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現実のサッカーにも多大な影響を与えたマンガ『キャプテン翼』。

今回はシンプルに『キャプテン翼』小学生編の構造は実にすばらしい、という話だけをします。


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物語のスタートから、翼、岬、若林らを擁する南葛SCが、読売ランドでの全日本少年サッカー大会で優勝するまでを描くのが「小学生編」です。恐らく最も多くの方の記憶に残っているのは、この小学生編ではないでしょうか。

この小学生編で面白いのは、各キャラクターでの家庭経済格差というものが、きちんと描かれていたことです。

具体的にはまず、若林、三杉、翼あたりを代表とした裕福な家庭のグループ。

特に若林家は絵に描いたようなお金持ちで、お屋敷は大きいし、専用のコーチ(見上さん)まで雇っています。若林が中学で早々にドイツへ旅立てたのは家のサポートも大きかったと思われます。

翼は、さすがに若林ほどのお坊ちゃんではありませんが、外国船の船長をしている父を持ち、アル中おじさん、いやロベルト本郷を居候として養ったり、ブラジル留学を考えている翼の為にポルトガル語の家庭教師をつけてくれる程度には余裕のある家庭です。

もうひとつは、日向に代表される貧しい家庭。 
貧しさという意味では、母子家庭の四人兄弟の長男で、小学生からアルバイトに励む日向に勝てるものはいません。
日向は別格ですが、裕福ではない(庶民)ということなら、ほとんどの家庭がこちらに該当するでしょう。

また、経済に限らないハンデまで含めれば、スポーツしづらい雪国でがんばっている立花兄弟(花輪・秋田)や松山光(ふらの・北海道)もひとつのハンデを背負っているキャラクターと言えるかも知れません。身体的ハンデまで含めれば三杉はこちらにも該当します。

さて、この2つのグループを、

翼・若林・三杉に代表される「裕福なグループ」=「ヨーロッパ」
日向に代表される「貧しい(または)庶民グループ」=「南米」

と見立てたとき、この両者が激突する少年サッカー大会は、FIFAワールドカップに相当します。

つまり実際のワールドカップのように、欧州と南米、経済格差のある二大勢力の戦いの構図です。

日向小次郎 貧しさからのサッカーによる脱出


南米(庶民)グループ代表の日向小次郎。
日向の目的は、貧しい家庭に負担をかけずに、より上のレベルでサッカーを続けること。

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サッカー大会での優勝はその目的の為に必要でしたが、、明和FCは準優勝に終わってしまいます。
しかし東邦学園は決勝戦を見て、勝った翼だけでなく、敗れたまた日向もスカウトに値すると判断します。

これにより日向は、裕福でない環境からより恵まれた環境へ、サッカーによって脱出する、という目的を果たすことができました。

これは、日向=南米(庶民)グループという本稿の見立てでいけば、南米の若くて才能のある選手が、ヨーロッパのサッカークラブにスカウトされるようなもの。
現実のサッカーでも普通に行われていることで、例えばFCバルセロナのリオネル・メッシも若くして、祖国アルゼンチンからスペインへ渡っています。

南米(庶民)グループ=日向もまた、前年度優勝の若林のお坊ちゃん(欧州)に挑戦状を叩きつけたこの大会で、華々しい活躍をし、才能とハングリーさを武器に貧しさからサッカーで脱出する結末となっています。 

ただ重要なのは、重いものを背負っているがゆえに目的重視のサッカーだった日向が、純粋にサッカーをプレーする喜びや楽しさを取り戻したことです。
それには、主人公大空翼の存在が重要になってきます。

大空翼 欧州&南米ハイブリッドのサッカーカウンセラー


前年度優勝の若林(欧州)vs挑戦者の日向(南米)という構図を踏まえた上で、キーポイントになるのが、主人公大空翼です。

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前述のように家庭環境としては、翼は裕福な欧州グループに分類しました。
しかし彼に大きな影響を与えた、サッカーの師が元ブラジル代表のロベルト本郷であることで、いわば翼はヨーロッパと南米のハイブリッド的な存在になっていると考えます。

翼は日向のように、サッカーを続けるための家庭的ハンデも、三杉のような身体的ハンデもなく、何もコンプレックスを背負ってはいません。
ただ、ひたすらにサッカーというスポーツを楽しむ(ことができる)ように設定された存在です。
そこへロベルトノートの記述にもある通り、「自由」を重んじる南米的なロベルト本郷の教えが加わり、欧州・南米両面の要素を併せ持ったキャラクターとなっています。

結果、翼こそがサッカーの楽しさを1点の曇りなく表現できるキャラクターとして、この作品に君臨します。
彼が、サッカーカウンセラーとして一緒に戦った選手たちの(精神的な)問題を解決していくことが出来るのは、このハイブリッドなキャラクター設定あってこそでしょう。
サッカーがいちばん上手いからではなく、だからこそ大空翼は『キャプテン翼』という作品の主人公なのです。

岬太郎 誰とでも友人になれる移民系サッカー選手


そしてもう一人のキーとなるのは、貧しい日向とも、裕福な翼や若林とも、誰とでも友達になれる男。……そう、ボクは岬太郎。

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岬は、父子家庭であり、放浪画家の父との転校続きの少年時代と、経済的にも豊かには見えない生活からすると、苦労人の日向(南米)グループと言えるでしょう。

しかし岬は自らの境遇を悲しむことなく、抜群のサッカーセンスと人当たりの良さでグループを横断して、どこでも友人を作りサッカーが出来るキャラクターとなっています。

本稿の文脈で岬太郎を例えるなら、彼は「移民系のサッカー選手」ということになるでしょう。

自分のルーツとは関係なく、今いる場所でどこでもサッカーによってつながることが出来る選手。

例えば、岬と縁が深いフランスでいえば、ジネディーヌ・ジダンがアルジェリアにルーツを持つ移民出身でありながら、フランス代表で活躍をしたのが有名ですね。
こうした選手は数多く、岬=移民系サッカー選手という見立てもまた、サッカーでの現実とシンクロするものになっています。

主人公らしくヨーロッパと南米のハイブリッド的な性格を持ち合わせている翼と、世界のどこでもサッカーが出来る移民的な性格を持ち合わせている岬が、「ゴールデンコンビ」として作中最強のコンビネーションを誇るのは、今回の文脈からいけば自然であり必然といえましょう。

決勝戦 合法的な主人公チームの敗北


ここまで説明したように、現実のサッカー世界の縮図のようなキャラクター達が集まった全日本少年サッカー大会。

その大会システムもまた、予選リーグ→決勝トーナメントと、現実のワールドカップと同じものとなっています。(実際の全日本少年サッカー大会も、このシステムであるようです)

この大会システムは、擬似的なワールドカップとなると同時に、週刊少年ジャンプのスポーツ漫画として素晴らしい展開を実現しました。
ちょっと振り返ってみましょう。

翼擁する南葛は、日向の明和と予選グループにおいて同組となり、対戦の結果、南葛は敗れます。
予選1位:明和、予選2位:南葛で決勝トーナメントに進むことは出来ましたが、予選リーグで1位と2位になったチームは決勝トーナメントでは別のブロックに配置されます。

つまりリベンジの機会は、この両チームが決勝戦まで勝ち上がらないと実現されません。
逆に言えば、この大会システムであれば、予選で負けたことがあるチームが優勝することも可能です。無敗のまま、優勝しなくても良いのです。

個人的には、2010 FIFAワールドカップ(南アフリカ大会)において、スペインが予選リーグ初戦でいきなり負けながら、その後勝ち上がって、初優勝を果たしたのを思い出します。(決勝の相手は予選で敗北した国ではないですが)

『キャプテン翼』この大会システムをフル活用しています。

(1) 同じチームとの対戦を、同大会で二回作ることができる。
(2) ライバルチームに一度敗北させながらも、決勝まで進ませることができる。
(3) 二度目の舞台を必然的に決勝戦に設定でき、リベンジ=優勝させることができる。


特に、ジャンプマンガであるにも関わらず、この大会システムによって極めて「合法的」に、主人公チームの敗北を組み込むことができたのは、物語展開の自由度としてかなり大きな意義があったのではと考えています。

例えば、野球における夏の甲子園優勝の物語ですと、予選・本大会を通じて無敗で通すしかありません。(敗北のエピソードは、事前の練習試合などで扱うしかない)

『キャプテン翼』小学生編は、こうして一度予選で敗北した南葛が、決勝戦でリベンジを果たして優勝します。

では、これは日向=南米(庶民)グループの敗北なのかといえば、そうではなく、決勝で翼と戦うことでサッカーカウンセリングを受けた日向は、さまざまな大事なことに気づき、その結果、東邦学園の特待生として、家庭に負担をかけずにサッカーを続けるチャンスを掴みます。

決勝戦の勝敗は、絶対的なものでもなければ、最終的なものでもありません。
彼ら全員のサッカー人生が続いていく、その未来の方が重要です。この先の方が長いのです。

現実のサッカーがワールドカップのあとも続いていくように、彼らのサッカーもこの後、中学生編、ワールドユース編、さらにその先へと続いていきます。

そしてその中心には、欧州と南米のハイブリッドであり、サッカーの自由と楽しさを表現するキャラクター、主人公大空翼がいるのです。


どこまでかというのは不明ですが、『キャプテン翼』小学生で見られるサッカー世界の縮図は、高橋先生が意図してデザインしたものではないかと思っています。日本のプロリーグも、ワールドカップ出場も無かった何十年も前に、と考えると、すばらしいですね。

仮にこれが意図的でなかったとしても、作品は実際にそういう構図になっていますから、すばらしい事には変わりありません。


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おまけ。「ある日の明和FC」


明和FCのタケシ達は、当時、日向さんに結構気を使っていたのではないか。

若島津「いいかみんな。もうすぐキャプテンが練習に来るが、日向さんの前でドラクエ2とビックリマンの話はするなよ」
タケシ「そうですね。ヘラクライストだとか、ロンダルキアだとか……」
日向「ヘラク? ロンダル? ……なんだって?」

いつの間にか、練習場に来ていた日向。

タケシ「う、うわああああああああ! 日向さん!」
日向「ようタケシ。みんな練習してるか? で、ロンダ……何とかはどこのサッカー選手だ?」

タケシ「……イ、イタリアです」

<おわり>

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あとがき


本稿の流れでは主人公翼を、無敵のサッカーカウンセラーと位置づけましたが、そのために主人公にサッカーを楽しむ上でノイズになるような背景を与えず、コンプレックスなしの100%サッカーバカとなっていますので、ある種の狂気を感じないこともないですけどね。

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『キャプテン翼』については、過去記事でも扱っていますので、もし宜しければ御覧ください。

基準(物差し)となるキャラクターから考える物語<『スラムダンク』『キャプテン翼』『機動戦士ガンダム』のパワーバランスとキャラクターの格>


今回は、本来準備していた記事が想定より時間がかかる事が判明した時、ひとまずつなぎに更新はしたい、ということで、Twitterでのツイートをベースに最小限の手間で、記事を仕立てました。

経験上、ツイートをベースにしても書き出すと長文にしてしまうので、今回はとにかくひとつの話だけにして膨らませたり、脱線したりしないように気をつけました。(おかげでいつものような、おふざげ要素も少ない=見やすい)

そのため本ブログ愛読者には、今回のようなあっさり風味の記事では物足りなかったかも知れませんが、多分普通のブログ記事ってこんな感じのバランスなのだと思います。
ただ一部マニアの為に、翼の自室のような安心感を感じる記事も用意しますので、お待ち下さい。


ではまた次回の記事にキックオフ!(アニメ『キャプテン翼』次回予告風)





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などと宣伝にいそしむ今日この頃ですが、バナーの「ガンダム作品続々追加」にウソは無いとはいえ、視聴数があまりに多いものはさくっと見放題からはずれる印象です。
『機動戦士ガンダム』『機動戦士Zガンダム』のように『∀ガンダム』も、いつ見放題のラインナップからはずれるか予断を許しません。

ということで、いくつか考えていた記事候補は一旦保留して、今回は『∀ガンダム』ネタを優先してお届けすることに致しました。

「大丈夫、大丈夫。どうぜ『∀ガンダム』は見放題からはずれるほど見られてないよ」などという方には、罰として「アニス・ファームの会」に参加してもらいます。え?ご褒美なのでは?と思った大きなお友だちの諸君。内容はアニス婆さんの畑での強制労働です。






『∀ガンダム』第44話 「敵、新たなり」とは


『∀ガンダム』第43話 「衝撃の黒歴史」は、太古より繰り返されてきた宇宙戦争として、すべてのガンダムシリーズの戦いが「黒歴史」として封印されていたことが明かされます。

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この「黒歴史」の映像公開は、主人公ロラン達にとって衝撃であったと共に、月の民ムーンレィスにとっても衝撃であり、またこの作品を見ているわれわれ視聴者にとっても衝撃であった、という、まさに「衝撃の黒歴史」のサブタイトルにふさわしい内容になっていました。

『∀ガンダム』全体でも重要であり、注目されることが多いエピソードです。

今回取り上げるのは、その次の回にあたる第44話 「 敵、新たなり」

第43話に比べれば知名度では劣るエピソードになると思いますので、本題に入る前に第44話全体がどのようなお話だったのかを、復習がてら確認してみましょうか。
Amazonプライムビデオでの各話あらすじから、第44話のものを引用してみます。

第44話 「敵、新たなり」あらすじ

黒歴史の映像に動揺した月の市民たちはパニックとなり、暴動状態に。闘争本能に目覚めた者は例外なく排除しようとするアグリッパをディアナとキエルは殺そうとするが、アグリッパはミドガルドの手により射殺される。さらにミドガルドは、新秩序を築くためディアナの命も狙う。


簡潔に出来事だけを並べれば、「アグリッパが死んで、月光蝶が初めて発動し、ミドガルドが死んだ」回である、ということになるでしょう。

本記事の主役、ミーム・ミドガルド


今回は、パンダ目暗殺おじさんことミーム・ミドガルドに注目します。

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【 ミドガルドおじさんのかんたんな紹介 】

キースのパン工場で働くおじさんとして登場したミドガルドは、実はアグリッパ・メンテナーの命により女王ディアナ暗殺の為にやってきたアサシンおじさんだった。
テテス・ハレを使い、ディアナ暗殺を謀るが失敗。テテスを始末する(超うまい射撃)。
その後、ディアナを月に連れて行く任務を負い、ハリーに恨まれながらも宇宙へ。
だが途中でキャンサー、ムロンの協力によりディアナに逃げられるという、都会っ子が夏休みに虫を網で捕まえたけどカゴに移すときに逃げられるようなツメの甘さを露呈してしまい、ギム・ギンガナムに嘲笑される。
そして、アグリッパの部下として、冬の宮殿での黒歴史公開にも居合わせることに。


アグリッパは、冬の宮殿の管理者(メンテナー)として月から動かない(動けない)こともあり、地球が舞台である物語前半において、アグリッパが地上に影響を及ぼすための存在としてミーム・ミドガルドは登場します。

物語後半、舞台は宇宙、月へと移りますが、この時にキャラクターのほぼ全てが月へ移動します。
野心あるグエン、核ミサイルを抱えるロラン、勇ましいミリシャの軍人たちなど、月世界旅行への動機や感情にバラエティをもたせながらも、月へ向かうベクトルは統一されていますが、問題はディアナ・ソレルです。

彼女は「地球帰還作戦」の最高責任者であり、それにより発生してしまった地球人との戦争の責任を負う立場。本来であれば、月帰還をする理由もないし、そもそもディアナ・カウンターと地球の問題を放置して月へ去るのも無責任でしょう。
だからディアナだけは本人の意志でなく、外部の力によって強制的に月へ連れていくしかない。
その役割を果たしたのがこのミドガルド、ということになると思います。

そして、この第44話 「 敵、新たなり」で、ミドガルドはまた違う役割を負うことになるわけですが、この回での彼の動きをまとめると、こんな感じになります。

【 第44話でのミドガルドの動き 】
  1. アグリッパとディアナの論戦。お互いを批判し合うが埒があかない。
  2. ディアナとキエルによるアグリッパ暗殺……を、ミドガルドが代行し、アグリッパは死亡する。
  3. ミドガルドは続いてディアナの生命も狙うが、リリ嬢の機転により、逃げ出す羽目になる。
  4. 逃げたミドガルドは、戦艦ジャンダルムで冬の宮殿に向かってミサイル攻撃を仕掛けてくる。
  5. そのミサイルの雨を防ぐ際に、∀ガンダムの月光蝶システムが発動し、宮殿は守られる。
  6. 月光蝶を目撃したミドガルド。狼狽し、ディアナの名を呼びながら船の脱出口に向かって走る。
  7. しかしハリーによってスモーチョップで叩き潰され、ミドガルドは処刑された。

アグリッパを殺し、ディアナをも殺そうとしたミドガルドが、なぜディアナに救いを求めたのか。
そして、それに対してハリーが行った「ディアナの法の裁き」とは一体何なのか。
この1.~7.の動きを追いながら、考えてみることにしましょう。

1. アグリッパとディアナの平行線議論


今回の本題は「ミドガルドの死」の場面そのものですが、それにつながる前述の1~3.にあたる部分を簡単にまとめておきましょう。

アグリッパとディアナ(キエル)が議論するわけですが、双方ともに問題をはらんでいます。

ディアナの地球帰還作戦は、基本的にはある種の「わがまま」から発生しています。
しかしそれは月の世界と比べて自然で、より人間らしい営みであるとディアナは考え、これを我が子たるムーンレィスにもと、帰還作戦を立案します。ですが根を下ろしたい地球には当然ながら地球人が住んでおり、文明レベルの格差などの問題もあって、戦争が発生してしまいます。
この戦争の発生責任は、ディアナ・ソレルにあります。

わがままは ディアナの罪
それを許さないのは みんなの罪

若かった 何もかもが
あの金魚は もう捨てたかい

(「月と金魚の頃」より)



天皇陛下の生前退位によるご公務からの引退を検討している我が国としては、他人事とは思えなかったりしますね。

ディアナの子たるムーンレィス市民からすると、東京に住んでいたのに「より人間らしい生活をしよう」などと言いだして、田舎に移住するのを決めた勝手な父親、といったところでしょうか。……と書くと、なぜか黒板 五郎みたいな気がしてきた。

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一方アグリッパは、そのディアナの地球帰還作戦に反対していた人物です。
彼はメンテナー(管理者)らしく、現状のまま月の冷凍睡眠システムを使いながら、地球と関係なく生きていくことを主張します。
我が子たるムーンレィスに対しては闘争本能が目覚めることを恐れ、黒歴史など過去の戦争の情報も隠蔽し、今いる月でこのまま幸せに暮らしていきましょう、といった考え。

アグリッパの子たるムーンレィス市民からすれば、バトル物やヒーロー物など暴力的なテレビは見せず、戦争ゲームもダメ。お外に出る必要もありません。おとなしく、おうちの中で平和に過ごしましょう、という母親といったところでしょうか。

ムーンレィスから攻撃性を奪って、外にも出さず、月という人工の箱庭の中で管理して閉じ込めておくという、いわば母性的な働きをしているのは女王ディアナではなくアグリッパ・メンテナー。
これは役職からの性質という面が大きいと思いますが、女王ディアナが黒板五郎であるのに対し(むちゃくちゃな例えだ……)、男性であるアグリッパがむしろ「ああ、こういう難しいお母さんいる」といった感じであるのが面白いところです。

アグリッパは、ムーンレィスに余計な刺激を与え、戦争をも起こしたディアナを批判します。
もうひとりのディアナであるキエルからは「月に閉じこもっていても、いつか地球人の方から月に来ますよ」と返されますが、それに対して「その為のネルフ(ギンガナム家)です」とアグリッパは答えます。

具体的な力を持たないアグリッパお母さんにとって、ギンガナムは「お父さんが帰って来たら、ゲンコツしてもらいますからね!」という、暴力の外部委託機関のようなものでしょうか。 
暴力装置としては利用するが、アグリッパに言わせるとそれは闘争本能や戦争とつながるものではないらしい。彼は言う。
「武門の家ギンガナム家でも、実戦などは1度たりともやっていない歴史を歩んできたのだ」

ただ、ギンガナムやスエッソン達が黒歴史の映像を見た反応は「おい、マジかこれ。黒歴史にあるような宇宙戦争最高だな。我が世の春が来た!」だったりするので、アグリッパがコントロールできるようなものとは思えないのだけど。

その後のやりとりについては、台詞を引用しましょう。最終局面です。

アグリッパ:「私はムーンレィスには黒歴史という真実など知らせず、永遠に穏やかに暮らさせたかったのです。それなのに女王は……」
キエル:「地球人は覚醒を始めていました。永遠に真実から目をそらすことなどできません!」
アグリッパ:「それが闘争本能の言わせる事なのだ。その本能を目覚めさせた者、目覚めた者は排除するしかないのです!」
ディアナ:「闘争本能に火のついていないアグリッパが、そこまで言う変節、正しようがないようですね」
ミドガルド:「む」
アグリッパ:「ほう!」
ディアナ:「私は地球で、花を咲かせるにも血と肉が必要なのだと学びましたが、私は300年前に大罪を犯したのでしょう」
キエル:「ならば、ここでもうひとつの大罪を犯し、地球人とムーンレィスの暴走の果ての無残さを示しましょう」


闘争本能に火をつけたものと火がついたものは殺す!と主張する、健康のためなら死んでもいい主義のアグリッパに対して、あれれー?おかしいぞー(江戸川コナン)。殺すとか言っちゃうんだ?闘争本能を否定しているというあなたが?と返すディアナ。

アグリッパの声を担当するのは、兜甲児とジャッキー・チェンという闘争本能の塊キャラでおなじみの石丸博也。いかに闘争本能を拒否しても、それはムリな話である。……と思ってしまうようなキャスティングではある。

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そのあとの2人の女王(ディアナ&キエル)の台詞がまたふるっている。
地球人とムーンレィスの闘争本能に火をつけた自らの大罪を認めた上で、ではそのムーンレィス(ディアナ)と地球人(キエル)の暴走の果ての無残さを示しましょうと言う。

この二人の口上は、上品な言い回しをやめるなら、「おい、おっさん。もう罪がひとつでもふたつでも一緒じゃ。お前が恐れる闘争本能とやらを、その身で味わってみるか?あ~ん?」みたいな感じだろうか。めちゃこわ!

2. アグリッパとディアナを、共に暗殺しようとするミドガルドおじさん


ここまでで、1. のパートしか紹介できてない。ここは本題じゃないのに……。もう少しはしょってスピードアップします。

アグリッパとディアナの議論は平行線に終わるわけだが、先のめちゃこわ口上の後、ディアナ&キエル「死にませい!」と、アグリッパを殺そうとする2人。対話による平和的解決をあきらめ、自らの手を汚して問題を解決しようとする女王。
もうこの場面だけでも、女王ディアナが別に清廉潔白な現人神でもなんでもないことは分かる。

しかしこれは未遂に終わり、アグリッパの腹心であるミドガルドがアグリッパ殺しを女王の代わりに行う事となりました。(やっと、今回の主役ミドガルドの話になった)

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ミドガルド:「女王陛下のお話を聞けばアグリッパのやり方の非もわかります。それに従って己の手をも汚したのは、月のシステムが安定すればと思えばこそでした。陛下もまた、アグリッパの指摘する通りでありましょう」
ディアナ:「認めましょう」
ミドガルド:「はい。もはやあなたも月のシステムにとっては不幸なお方です。そのお手を殺人で穢させなかったのは……女王陛下への最後の忠誠心とお思いいただきたい」


アグリッパとディアナの議論を聞いていたミドガルドによるジャッジは「2人とも死んだほうがいいな」でした。これはそんなにむちゃくちゃな結論ではありません。
アグリッパもディアナもお互いが批判しあったように、それぞれ非がありました。

ただ月の統治者2人に問題があるとはいえ、ミドガルドにその後のプランがあるとは思えません。
今後の月のシステムや、残ったギンガナムをどうするのか、などはあまり考えてないでしょう。
このあたりの何も考えてなさは、この後、ミドガルド自身に返ってくることになります。

3. ディアナ暗殺に失敗し、逃げ出すミドガルドおじさん


前述のやりとりの後、会話はさらに続きます。

キエル:「月の真の安定を望むのなら」
ミドガルド:「それでは私が裁きを受けなければならなくなる。御覚悟!」


途中でミドガルドに遮られていますが、キエルの言葉の意味は、月の真の安定を望むのなら――ディアナ様に従いなさい、またはディアナ様にお任せなさい、といったニュアンスだろうか。
責任があるのはディアナ様もお認めになっているけれど、今の事態を治められるのもまたディアナ様しかいないと。(実際、この回で発生した暴動はディアナによって鎮められる)

しかしミドガルドは「それでは私が裁きを受けなければならなくなる」と返している。

ミドガルドがこれまで行った数々の行為を考えれば、「裁き」を受けるわけにはいかない。
月のシステムのためにも、自らの保身のためにも、女王には死んでいただくしかない。
ここでミドガルドは、女王の「裁き」を拒否しています。これはポイントのひとつなので、ぜひ記憶しておいて下さい。

この後、リリ嬢の機転によって、ディアナ暗殺には失敗。ミリシャ兵に取り押さえられます。

リリ:「あなたの裁きは寛大な結果になります。ご安心なさい」
ミドガルド:「……リリ・ボルジャーノ嬢!」
リリ:「この場は、あなたの部下と共にお引き取りください!」


リリ嬢は、ミドガルドに対する女王の裁きは寛大な結果になるから安心しろと言う。

この回に登場する、「裁き」というキーワード。
ミドガルドが己の罪を自覚し、身の危険を感じている「裁き」。
そんなことはないと、リリ嬢が言う寛大な「裁き」。
はたしてミドガルドにはいかなる「裁き」がくだされるのか?
(ヒント:この回でミドガルドは死ぬ)

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結局、ミドガルドはどさくさに紛れて、この場を逃走する。

4. タブーを無視して、ミサイル攻撃を仕掛けるミドガルドおじさん


逃げたミドガルドは戦艦ジャンダルムで冬の宮殿に引き返し、ミサイル攻撃を命じます。

ミドガルド:「この騒乱の元は地球人であり、それを連れてきたハリー・オード大尉だ!全砲門ミサイル発射用意!」
DC兵:「ここでは宮殿に被害が出ます」
ミドガルド:「人口冬眠しているドームを攻撃しろとは言っていない!新たなる地図を作る為、掃除をするだけである!」


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罪に罪を重ねるミドガルドおじさんであった。

5. ターンAが月光蝶を発動して、ミドガルドおじさんのミサイル攻撃を防ぐ


冬の宮殿に迫るミサイルの雨を防ぐロランのターンAガンダム。

ソシエ:「何、あの光の幕?爆発を吸い取ってるの?」
ロラン:「場所をわきまえろっ!」


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ジャンダルムブリッジクルー:「ヒゲの奴が!」
ミドガルド:「どういう事なんだ?」
ジャンダルムブリッジクルー:「砲撃やめます!」


この場面で初めて月光蝶システムが発動し、冬の宮殿は守られました。

ターンAが黒歴史にあるように太古の戦争で文明を埋葬してきた恐ろしいマシンであることは事実ですが、ここでは闘争本能が暴走したミドガルドの愚かな攻撃から、ムーンレィスを守るという役割を果たしました。

6. 月光蝶を見たミドガルドおじさん、狼狽して走り回る


この光景を目の当たりにしたミドガルドは、激しくうろたえます。

ミドガルド:「そうだった。ヒゲのモビルスーツはターンA、黒歴史の象徴のマシンなのだ、文明を滅ぼした。……わ、私は、私はとんでもない事をしている、私は黒歴史のマシンを目覚めさせてしまったのだ!私は何をしようとして!ディアナ・ソレル様!ディアナ!船を港につけろ!」


そう叫ぶと、艦の脱出口へ向かって、全力で走り始めます。

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ミドガルドが大慌てで走るアニメーションは、恐らくこの回で(月光蝶より)印象に残る場面ではないかと思います。
艦内通路を右に左に、まさしく右往左往。
ミドガルドの焦りはもちろん、どこか人間として滑稽な部分も含めて伝わってきます。

しかし何度もディアナ暗殺を試み、今またタブーである冬の宮殿に攻撃をしかけておいて、何を今更、ディアナに救いを求めるのか。

先程の彼の台詞を分かりやすく置き換えれば、こんな感じになるでしょうか。

「自分の攻撃により、ターンAの月光蝶システム発動のきっかけを作ってしまった。黒歴史において文明を滅ぼした恐怖のマシン、ターンA。それを私が目覚めさせてしまった。とんでもないことをしてしまったぞ!ひ、卑弥呼さまー!」

ミドガルドの認識は基本的には正しいが、同時に歪んでいる。

アグリッパ家が代々守ってきた月の宮殿、いわば月の文明を司るものを滅ぼそうとしたのはミドガルド自身であって、この場面でのターンAは文明を滅ぼすどころか、それを守る役割をしたに過ぎない。それはロラン・セアックが使うターンAガンダムだからできたことである。

しかしミドガルドの中では、彼自身が行った罪が「ターンA(月光蝶)を目覚めさせてしまったこと」にすり替わってしまっている。
月光蝶を目の当たりにしたのが衝撃だったとはいえ、本来の罪である月の宮殿への攻撃を無意識にすり換えているところに、この男の本質が見えるような気がしてならない。

いずれにせよ。
ミドガルドはここで心底怯えた。

自分が批判し、裁こうとしたアグリッパやディアナと同じく、大変罪深いことをしてしまったと。
もはや逃れようもなく「裁く側」でなく「裁かれる側」の人間になってしまったことを自覚した。

それは要するに統治者たちの背負っている物の重さと、その覚悟に怯えたということでもある。
確かに黒歴史を隠匿していたりもした。地球へ行って戦争を起こしもした。
アグリッパとディアナ、考え方は異なるが、いずれも月世界の人々の命と、未来への責任を背負っての発言と行動である。(そういう意味で、やはり上に立つ者はすごいことはすごい)

それはミドガルドごときが背負えるようなものではなかった。

だから彼は無意識にディアナの裁きと、その先にある救いを求めて、親を探す子供のように走る。

なぜか?
それは恐らくディアナであれば。ディアナによる「裁き」であれば、彼の罪を許すからでしょう。
のちにフィル大佐やミラン執政官らも許したように、ディアナ・ソレルは全て自分の責任として受け止める覚悟でいました。

ミドガルドの罪も、ディアナの前で跪いて許しを請えば、恐らく許してもらえる。
より正確に言えば、彼の罪をディアナが代わりに背負ってくれることになるでしょう。

だからミドガルドは救いを求めて、ジャンダルムの脱出口の扉を開けた。

7. ミドガルドおじさん、ハリーにより「ディアナの法の裁き」を受ける


そこに待っていたのは、ディアナによる救いではなく、ハリー大尉のゴールド・スモーだった。

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ミドガルド:「スモー、ハリー大尉は、親衛隊」
ハリー:「ディアナの法の裁きは、受けていただく!」


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決まり手スモーチョップにより、ミドガルドは跡形もなく消し飛びます。

ハリーが言う「ディアナの法の裁き」というのは、この回に3度だけ登場する「裁き」という台詞、その最後のものであり、これがミドガルドにくだされた最終的な「裁き」ということになりました。

このシーンですが、そもそも全てを知っている我々視聴者と、当事者であるハリー大尉の間には情報の差が生じています。

ハリー大尉はスモーに乗って対処していたので、宮殿内での出来事には立ち会っていません。
(アグリッパの死など、重要情報については通信で把握していたなどの可能性はある)
ですからミドガルドに対する「ディアナの法の裁き」というのは、ハリーの目の前で行われた冬の宮殿を巻き込んだ攻撃に対してということになるでしょう。

それに対して月光蝶が発動し、それを見たミドガルドは戦艦ジャンダルムのブリッジで狼狽し、ディアナに救いを求めて叫びますが、当然これも視聴者は知っていても、ハリー大尉の預かり知らぬところです。

しかし、ミドガルドの心変わり(好意的に見れば、ある種の改心)とその後に取る行動をまるで知っていたかのように、ハリーは絶妙なタイミングで脱出口前に居合わせ、ミドガルドのみを処刑しています。

純粋にハリーの視点と動きだけを追っていくと、不自然なほどあまりにも出来すぎた流れといえますが、全てを見ている視聴者の立場では不自然さを感じることはないでしょうし、むしろ、ミドガルドが「裁く側」から「裁かれる側」に逆転したことを悟った瞬間にハリーによる「裁き」が訪れる、というタイミングを重視した構成を正しいと感じます。

ただひとつの問題は前述のとおり、「ミドガルドの罪はディアナの裁きによって許されていた可能性が高い」ということです。

「ディアナの法の裁き」というハリー・オードの私刑


ハリーは、ミドガルドに謝罪も弁明もさせる暇も与えず、スモーチョップで処刑しています。
これは、これまでにディアナ誘拐などで煮え湯を飲まされたりもした親衛隊ハリー・オードの物語としてはカタルシスとして作用するでしょう。

しかし「ディアナの法の裁き」であるとハリーが叫び、くだした実刑判決は、私が想定(予想)する、実際のディアナによる「裁き」の結果とは矛盾しています。

当然ながらハリーは、ディアナに対して「ミドガルドを殺して良いでしょうか?」などと事前確認は取っていないし、取るヒマもなかったでしょう。
であるがゆえにこれは、「ディアナの法の裁き」を建前とした事実上のハリー・オードによる私刑、と言って良いと思います。(もちろん、冬の宮殿への攻撃自体はディアナの名を借りずとも大罪のはずですが)

では、それに対して女王ディアナの反応はいかなるものか。
ハリーがミドガルドを処刑し、もう何もない破壊された脱出口が、ただ映される。

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そして、その後のディアナとキエルのカット。

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ディアナ:「法に従う。時には残酷ではあります」
キエル:「はい」


これはとても曖昧な台詞です。
ミドガルドの事を言っているようであり、ハリーの事を言っているようであり、自分自身の事を言っているようであり。
カットつなぎも含めて、演出上あえて曖昧にしているとしか思えません。
どう捉えるか、非常に面白い場面です。

ただ真意はどうであれ、この台詞と共にディアナがミドガルドの死を、済んだこととして受け入れたのは確かでしょう。
そして、これもまた女王ディアナの責任の一つとして背負ったことも。

そう考えると、上記の破壊されたジャンダルムの脱出口をじっくり映したカットは、女王に対して受け止めることを課したカットといえるのかも知れません。

第44話は月で発生した市民の暴動を、ディアナ・ソレル御自ら演説することで収めて終わります。
さすがディアナ様、その御威光で四角い宇宙をまーるくおさめまっせ、と言ったところですが、この回で分かる通り、丸くおさめる為に活動している者たちがいて、それにより死んだ者もいる。

そして女王ディアナはそれら全てを飲み込んだ上で、自らの罪と責任を背負いながらなお前進を続けていくのです。

まとめ:大罪人として「裁かれた」ミドガルドおじさん


と、いうことで今回は、ぺしゃんこミドガルドおじさんの死について詳しく追ってみました。

第44話 「 敵、新たなり」は、アグリッパが暗殺されましたが、これは本来、ディアナ(キエル)の手によるものになるはずでした。
それを代行したミドガルドはディアナをも暗殺しようとしましたが、これは幸運にも未遂に終わり、さらにこの回でそのミドガルドもハリー・オードの手によって処刑されてしまいました。
それにより、客観的事実としては以下のようになるはずです。

  • 政敵であるアグリッパが、(彼の部下である)ミドガルドの暗殺によりいなくなった。
  • 「アグリッパ殺し」「冬の宮殿へのタブー破り」の大罪人ミドガルドを、「ディアナの法の裁き」が討ち滅ぼした。
  • アグリッパに対して発生した市民暴動を、女王ディアナ・ソレルが演説して鎮めた。

えーと、結果的にとはいえ、得しか発生していないキャラクターがいるような気がしますが、それを口にすると、我が家の玄関の外にゴールド・スモーが待っているかも知れないので、お口にチャックしておきます。

もちろんミドガルドは実際に数々の汚れ仕事をしてきましたし、親衛隊ハリーとしてはその恨みをチョップで晴らしたわけですが、単純にカタルシスを感じるだけの場面というには、全てを見て (知って)いた我々視聴者には非常に居心地が悪かったりします。

ただ記事に書いたとおり、作中の登場人物により意図的にディアナ有利に物事が進められたというよりは、あくまで結果的なものでしかないので、そのことを考えるのであればメタ的に考えるしか無いと思います。

いずれにせよ第44話で分かるのは、人の運命など女王ディアナといえども、どうにもならないという当たり前の事実です。

物事が進んでいけば綺麗事だけではすまないし、全てを救えるわけでも、全てをひとつにできるわけでもないのです。
実際に、この物語は女王のわがままやミスから始まっているのですから。

浮世舞台の花道は、表もあれば裏もある。
ディアナ・ソレルの行く道も、表もあれば裏もある。

この回でのミドガルドの運命を見て、そんなことを感じました。
(ちなみにミドガルドが死ぬこと自体は全く問題ではありません)

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月は無慈悲な……いえ、慈悲深い夜の女王。

しかし地球に美しい顔を見せてくれる月も、その裏側は見えないだけで確かに存在しているのです。

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EX:アグリッパの退場と、ギンガナムへの責任の押しつけ問題


ミドガルドおじさんの記事としては、これで終わりです。
さて、ここからは例によって脱線というか、おまけ、蛇足……いや、えーと、エクストラコンテンツだよ。得したね!

『∀ガンダム』の後半または結末について、「ギム・ギンガナムにすべての責任を押し付けて物語を収束させた」とか「ディアナの御威光ですべてが上手くいく都合の良い展開」といったような見方もしくは批判がありますね。
これについては富野監督本人の発言もありますし、すべての責任かはともかく、確かにギム・ギンガナムで物語を落としたので、そういう側面はあろうかと思います。

ただ個人的には、その問題を考えるには、今回取り上げた第44話 「敵、新たなり」でアグリッパが退場することについて検討することが有意義ではないかと考えています。

ディアナ・ソレルにとって政敵といえるのはアグリッパ・メンテナーだけです。
2人の議論は真っ向からぶつかり、平行線のまま終わりましたが、互いの立場からは正しい主張をしており、指摘を認めあっている部分もあります。

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例えば、アグリッパが地球帰還作戦を300年反対し続けていたという話。
『∀ガンダム』という物語が、月と交渉しようというイングレッサの領主グエン、黒歴史のマシンを正しく使えるロラン・セアック、そして何より女王と瓜二つのキエル・ハイムなど、あらゆる条件が揃ったことであのエンディングにたどり着いた奇跡だと考えれば、アグリッパの反対はそれに確実に影響したともいえるでしょう。

もっと早いタイミングで地球帰還作戦が実施されていれば、文明格差はさらに開いており、戦力バランスを調整するホワイトドールも都合よく目覚めないだろうし、半ば強引に入植する形でアメリアのサンベルトは奪われていたかも知れない。

その摩擦から戦争は避けられず、戦力格差もあって地球側には多大な犠牲が出て、闘争本能に火がついたディアナ・カウンターは一方的に蹂躙する……といった最悪のシナリオも考えられる。
地球帰還作戦が起こす闘争の危険性については、ディアナも認めていることです。

一方でアグリッパの唱える闘争本能を恐れて、月で静かに暮らしていくという主張。
これに関してはディアナが、冬眠カプセルで得られる長寿は所詮永遠ではないと批判し、地球人キエルも引きこもってもそのうち地球の方からやってきますよ、と批判しています。
この状況下で現状維持を望むのは現実を見ていないに等しいと。

また、もし地球人が月にやってきたらギンガナム家で排除する!闘争本能が目覚めたものは全員排除!というアグリッパに対しては、闘争本能を否定しながら闘争本能でそれを抑えようという矛盾を指摘しています。

要は、保守と革新の対立であり、管理と放任の対立であり、虚構と現実の対立でもあります。

アグリッパの主張は、彼がなぜか病的に闘争本能を恐れるために、現実性に乏しく、矛盾をはらんだものになってしまっているが、本来どちらも選択したときに、それなりのメリット、デメリットが存在しうるはずで、必ずしも女王ディアナが正しいわけではないはずです。
それらの問題を自覚した上でそれでもなお、地球で人らしく生きるのだ、というのが女王の考え方であり、立場であるに過ぎない。

しかし対話は平行線のまま、アグリッパ暗殺という形で、ディアナだけが残される。
個人的にはこのアグリッパとディアナの対立構造が、この第44話で消滅してしまったことこそが大きいような気がしています。
アグリッパは立場上、月から動かない(動けない)し、ラストの舞台を地球にするなら、月で何らかの決着をつけなければならないから、大変処理が難しいキャラクターだとは思いますが……。

アグリッパ、ミドガルドが死に、これで地球帰還作戦の反対者は存在しなくなってしまいました。
残るギム・ギンガナムは月の女王としてオトシマエを付ける存在に過ぎません。

EX2:アグリッパとの対立構造を維持する方向性はあるか(感想戦)


あくまで本編を尊重した上で可能性を探る(いつもの感想戦)としては、アグリッパを闘争本能否定というイデオロギーを中心にしたキャラクターではなく、もっと政治人間にする方向性は考えられるかな、という気はします。

どうしても画面からは、アグリッパ=闘争本能恐怖おじさん、という印象を受けてしまい、現実から目を背けた病的な闘争本能否定主義が先に来ているように見えてしまいますが、恐らく本来は違うはずなんだろうと思います。

ですからアグリッパを、徹底的に月の世界の現実に即したリアリストにしてみる、という手はあるかも知れません。

政治家として、豊かとはいえない月世界を維持しながら地球帰還作戦を行うのがどれだけ大変か、という点から反対する。
仮に戦争になれば、さらに月の負担は増大しますが、月はギリギリなのです。
月の都市はデリケートなので、ちょっとしたテロなどで深刻な機能不全を起こす危険性もある。情報統制もやむを得ない。
また地球帰還を望まないものも調査では全体の○%もいる。地球帰還だけに国力をかけるわけにはいかない。
月世界も維持し、月で暮らし続けたいという市民もサポートする義務がある。
なぜなら、それもまた我々が守るべきムーンレィスだからだ。

みたいな感じにして、国力や治安維持など行政上の問題が第一で、情報統制や闘争拒否はあくまで副次的なものにする。

イデオロギー的なリーダーはあくまで女王ディアナのみとして、アグリッパを政治家として月の現実から見た反対者ということにすれば、もしかすると、アグリッパは暗殺という形で処理されなくて済むのかも知れない。

これはアグリッパというキャラクターの生死が問題なのではなく、対立構造の消滅を問題と考えるので、構造と引き継ぐキャラクターがいるのなら、別にアグリッパは死んでも良い。

政治家キャラの使い勝手がいいのは、女王ディアナの地球帰還作戦に対してのあくまでも反対政策の立場にしておけば、状況の変化によっては融和も協力もできることになるから。それが政治家というものなので。
個人のイデオロギー同士の対立になると本編のように、もうどちらかが死ぬしか終われないかも知れないから。

EX3:アグリッパの退場によって一人残されたギンガナム


この第44話でアグリッパが退場したことによって、ディアナ・ソレルの戦いは事実上終了したと考えていいはずです。
ただ、それが暗殺退場という形なのでね。何か別の形もありえないか、感想戦として検討してみる価値はあると思っています。

あとはギム・ギンガナムが残っているが、これはもうディアナ・ソレルの敵というより、ありとあらゆるものの敵となっています。
よって対ギム・ギンガナムという形で物語は収束していくことになり、前述の批判に行きつくわけだが、月の統治者としてのディアナの戦いの相手はギンガナムではなく、そもそもがアグリッパ・メンテナーであろうと思う。

個人的には、アグリッパとの対立構造の作り方と、それを暗殺という手段で終了させてしまったことこそ「ディアナにとって都合の良い展開」としての問題をはらんでいるように思えます。

つまり「ギム・ギンガナム1人を悪者にした」という結果的なことより、「アグリッパとの対立構造をここで消滅させた」ということの方が、ことの本質ではないか、ということです。
(ただ、本編のアグリッパはここで殺してでもおくしかないようなキャラクターとして造形されていると思いますが)

ですから「なぜギンガナムに全てを押し付けたのか」より、「なぜアグリッパを退場させざるを得なかったか」を考える方が個人的には意義があるように感じています。

かといって物語の最後の敵をギンガナムにやってもらうことが間違っていた、とは思いません。
あの状況下での人選としてはギンガナムしかいないと思いますし、ターンAとターンXが相打ちとなり繭玉に封印されるべきでしょうからね。

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惑星の午後、僕らはキスをして、月は僕らを見なかった。<『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」より>

ジャンダルムの破壊された脱出口と同じように、女王ディアナがわがままの代償として受け止めることを課されたカットの話が出てきます。


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バトル(スポーツ)物の作品には、特に長編連載になれば、さまざまなキャラクターが登場します。
その多彩なキャラクターが織りなす数々の名勝負が、こうしたジャンルの魅力となるわけですが、とりわけ私は、登場人物間のパワーバランスや、高位キャラクターの「格」を落とさない表現について強い関心があります。

その物語世界で誰が強いのか?
誰かと誰かを比べたときに、どちらが上なのか?
勝敗が発生したときに、その理由をどう表現するのか?

こうした処理が巧みな作品が、個人的には好みです。

具体的な一例を出した方が、分かりやすいですね。

例えば「誰かと誰かを比べた時にどちらが上か?」「高位キャラクターの強さ(格)とは?」という意味で、私が聞いたことがあるのは、バスケットマンガの金字塔『スラムダンク』のこんな話。

海南大附属の王者・牧紳一は本当にすごいのか問題


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「作中随一の実力者であるはずの海南大附属の牧が、あまり強そうに見えない気がする」


牧 紳一(まき しんいち)は、17年連続インターハイ出場の王者、海南大附属高校の主将にして「神奈川No.1プレイヤー」。
作中では、特に一学年下の仙道が自分と同じ位置に登ってきているのを実感するシーンが印象的ですが、「打倒海南」「打倒牧」の面々の躍進に驚く場面も確かに多かったとは思います。


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これは、驚いてやんなっちゃった方の牧。

……ですから、「あまり凄そうに見えない」という気持ちは分からないではありません。
しかし牧紳一というキャラクターは、スラムダンク世界での実力を測る物差し(基準値)になっているのだろうと思います。

物差しと言っても、牧さん自身も日々精進してるわけで、静止した物差しではありません。
それでも牧に対してどこまでのプレイができるか。そして牧による人物の評価が、スラムダンク世界でのプレイヤー格付けになっていますし、それが「全国」への基準として機能しているはずです。

その前提で作中では、仙道や湘北の面々など、牧が同格または実力者であることを認めるプレイヤーが次々に登場していきます。
読者に対して、陵南や湘北もまた「全国」レベルの資格を持っていることに説得力をもたらしているのは、牧紳一の存在あってこそではないでしょうか。

あくまで牧にどこまで近づいたか、であって、限りなく距離をゼロに詰めたキャラクターはいても、結局、神奈川において、牧と海南を超えることはできていません。越えられたらそもそも基準の役割を果たせなくなります。
躍進するライバル達を抑え、無敗で全国行きを決めた牧と海南大附属は、神奈川の王者として結果を出していますし、だからこそ、キャラクターの格は保たれたまま、牧基準による評価も信用できるものとなっていると思います。

『スラムダンク』は、キャラクター間のパワーバランスや、高位キャラクターの「格」を落とさない表現について、複雑かつ巧みであると、個人的には評価しています。

この「作品内での物差し(基準)となるキャラクター」ですが、牧のように最大のライバルが担当するパターンの他には、主人公自身が担当するパターンも存在します。
その代表として、同じジャンプのスポーツマンガ『キャプテン翼』を見てみましょう。

『キャプテン翼』における1v1のタイマン勝負構造


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サッカーマンガの金字塔『キャプテン翼』。
ここでは最初の連載シリーズである『キャプテン翼』全37巻を対象にします。
いわゆる無印の『キャプ翼』です(なぜ無印に絞るのかは各自お察し下さい)。

この作品において、物差し(基準)キャラクターは、基本的には主人公である大空翼が担っています。

ですから強敵と戦う際には、まずは翼くんが1vs1の勝負を挑んで、あっさりと止められる。またはあっさりと抜かれる、といったような場面が多かったりします。

石崎「なにィ! 翼があっさり抜かれた!?」的なシーンですね。
基準である翼くんのプレーが通用しないことで、対戦するライバルキャラの実力を表現する手法です。

翼くんは攻撃的なポジションであり、守備の選手ではないので、サッカー的にはあっさり抜かれても別に何の不思議もないし、問題もありませんよね。
それでも作中で、衝撃を持って描かれるのは、これが現実のスポーツでのポジションや駆け引きの問題ではなく、マンガとしてのキャラクターの「格」勝負の描写だからです。

つまり、戦争のはじめにお互いの軍から代表を出して一騎打ちを行い、戦の勝敗を占うようなもの。

その文脈で見たとき、『キャプテン翼』はもちろんサッカーマンガなのですが、戦いの構造そのものは、伝統的な番長マンガや、ジャンプでいえば車田正美的なバトルマンガの系譜に近いと言えると思います。

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現実のサッカー場(ピッチ)は、本来はタテ・ヨコのある平面と高さが存在する立体的なフィールドですが、『キャプテン翼』のピッチはどちらかといえば、それを再現するよりも直線(リニア)として表現する方向に整理されていると考えます。

つまり、マンガと相性の良い、前後の関係が重要な直線的なフィールド。
進んでいくと敵が現れ、それを倒さないと基本的にはその後ろには行けない。
(迂回するには、当然複数人の協力が必要になる)

連載スタートは『翼』より後ですが、車田正美『聖闘士星矢』の十二宮突破をイメージしてもらうと分かりやすいでしょうか。

さらにいえばこれは、チーム競技でありながら、構造的に1vs1の連続によって展開する為に、マンガというメディアと大変相性が良いスポーツ「野球」の対決構造に近いと言えます。
(ということは同時に、野球マンガとバトルマンガは構造的に近いわけですが)



また、直線的なフィールドで勝負が発生し、それによりラインが上げ下げされる、と考えれば、実際のスポーツでいえば(ルールをあまり知らないが)「アメリカンフットボール」が近いのかも知れませんね。




ただし、そこで重要視されるのは、サッカーの技術や駆け引きというより、それらも含めたキャラクターの「格」そのもの。

作品の基準(物差し)キャラクターである翼は、味方チーム(南葛、全日本)の最強のエースカードでもあります。
その翼があっさり抜かれるような相手であれば、味方は同じように1vs1を挑んでいては誰も勝てない、ということになります。

全日本ディフェンス陣としては、松山、石崎、次藤、早田の4枚スタック(4枚重ね)で必殺シュートをブロックする他ありません。
通常のサッカーではありえないプレーですが、キャラクター格の勝負と考えれば、4枚スタックで少しでも期待値を上げるのは正しいプレーと言えます。

また、球技ではボールのあるところが視点として中心になります。
野球マンガが常にボールを手に持つピッチャーを中心にせざるを得ないことを考えれば、サッカーはボールの移動によって、視点を自由に変更できるバトルマンガともいえます。
中盤の攻防、サイドの攻防、ペナルティエリア内の攻防など、瞬間的なボール移動で戦場を自由に設定可能です。(野球は打球の発生により、視点を守備側、走塁側へスイッチできますが、サッカーほどの自由度はありません)

『キャプテン翼』は確かに現実のサッカーのような、スポーツマンガではありません。
反則になるプレイや物理法則を無視したプレイなど、荒唐無稽なプレイのオンパレードです。
そして今語ったように、そうした表面上のことだけでなく、構造の上でもむしろケンカや野球マンガに近いわけです。

正直、サッカーというスポーツへの理解度が格段に深まった現在から見れば、誰が見てもおかしい、という場面も多いでしょう。

ですが連載開始は、日本のワールドカップ出場どころかプロリーグさえない1981年。
現在とは比べ物にならないほど日本全体のサッカー知識もない時代に、しかも作者の高橋陽一先生は自身にサッカープレイヤーとしての経験もない状態で、サッカーをマンガとしてどう表現するか、かなり苦心したのではと想像します。

その結果、リニア(直線)を意識したフィールドとキャラクター格をぶつけ合うバトルという、ジャンプマンガらしいケンカ(バトル)構造や、同じスポーツの中でも野球マンガに近い構造を導入したのは、やはり偉大な発明だったと思います。

そのあたりを踏まえずに、現実のサッカー観からだけツッコミを入れるのはナンセンスかな、と個人的には思っています。(終始それで終わられても何一つ面白みがないので)

『キャプテン翼』での格の保ち方。強くありたければ試合に出るな


ちなみに、翼くんは主人公でありながら物差しキャラとしても使われるので、どうしても相手の力量を見せるための引き立て役にも良くなっています。いきなりあっさり抜かれたり、止められたり。

それでも主人公としての格が何とか保たれるのは、あきらめずに挑んで結局最後には翼くんが勝つからでしょう。
その為に、翼くんにはとにかくあきらめずにサッカーを楽しむメンタリティ(サッカー狂)と、相手の技を吸収(コピー)して、最後には相手を越えていく、というプレー特性が与えられています。
主人公として、そのキャラクター設定と最終的な勝利が約束されていなければ、普通は「格」は下がるはずです。

「強敵と手当たり次第に戦った上で格を保つ」というのは、それぐらい難しく、翼くんぐらいしかできない芸当ですが、「格」を高く保つためには他の方法もあります。
例えば、翼とは逆に「可能な限り勝負をしない」というのもその方法のひとつです。
この方法を実践しているキャラクターは『キャプテン翼』にもいます。誰でしょう?

……そう、それは全日本ジュニア見上監督の「源三を使います」でおなじみ、SGGK若林源三です。

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『キャプテン翼』(無印)全37巻では、若林がゴールキーパーとして、まともに描かれる形で出場した試合は、修哲対抗戦、小学校決勝、ユース決勝のわずかに3試合のみです。37巻で3試合。それでSGGK(スーパーグレートゴールキーパー)の称号を得ています。

ケガでお休みの若林君の代わりに、皆さん大好き森崎君がゴールマウスを守ることになるわけですが、彼がたくさんゴールを決められてしまうことで、翼がそれ以上の点を取らないと勝てない、というのが試合展開の基本になりました。

つまりかなり初期から、試合展開をロースコアでなくハイスコアゲームにするという方針が決まっていたのであろうと推測されます。
実際に現実のサッカーを見ていると、0-0スコアレスドローでも面白い試合というものはありますが、派手な点の取り合いを選んだのは、当時の判断として正しいと思います。
若林が守れば、どうしても味方の失点が少なくなり、それと同時に翼の得点も少なくなるわけですから。

だから、森崎をキーパーにしておいて、次々と出てくるライバルが多彩な技でゴールを決める。森崎くん一歩も動けない。インディアン嘘つかない。
そして翼がそれ以上の数のゴールを決めて勝つ、という派手な試合をつくることができたわけですね。
Jリーグもなく世界のサッカーも身近でなかった当時としては、やはり少年ジャンプ連載マンガとして正しい選択だと思います。

若林はいわば派手なゲーム展開に邪魔であるがゆえに極端に温存されたわけですが、そのことが彼自身のキャラクターの格を保つことにもつながりました。

いずれの決勝戦も、両チームとも名キーパーを置いた(キャプ翼的には)ロースコアゲームになりましたが、若林の格を下げていないのがここで効いており、両チームともに「いかにして難攻不落なキーパーからゴールを奪うか」というテーマの良い試合になっています。

『キャプテン翼』についてはまだまだ色々書くことがあるのですが、無印以後、わー、という展開になっていくので、ひとまず今宵はここまでに致しとうございます。



『機動戦士ガンダム』(ファースト)における絶妙なパワーバランス


『キャプテン翼』の話が予想以上に膨らんだので、これで終わってもいいんですが、本ブログのメインコンテンツは「富野アニメ」なので、それを期待したお客様向けのお話もしておきましょう。
本当はいつかしっかりと独立した記事でやるつもりでしたが、短めのテスト版のつもりで。

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『機動戦士ガンダム』いわゆるファーストガンダムもまた、全編を通してのパワーバランスの取り方が見事な作品です。

この作品での物差し(基準)キャラクターはご存知、「シャア大佐 ご覧のとおり 変態だ」の句で有名なジオン軍のエース赤い彗星のシャア
ただロボットアニメですので、キャラクターだけではなく、搭乗するモビルスーツと合わせた状態(ユニット)でバランスを見ていくことになります。

物語初期 最強パイロットvs最強モビルスーツ


最初は皆さんご存知、【シャア+ザク】 vs 【アムロ+ガンダム】 の構図で始まります。



これは、最強パイロット(シャア)とザクの組み合わせに対して、素人パイロット(アムロ)+最強モビルスーツ(ガンダム)でバランスを取った形です。

連邦のモビルスーツは化物か、でおなじみのRX-78 ガンダムは、戦艦並のビームライフルを持った最強のモビルスーツです。
ザクなど直撃すればひとたまりもありませんが、当たらなければどうということはない。蝶のように舞い、蜂のように刺す、ルンバを踊れルンバを、ということで、赤い彗星シャアにその攻撃は当たりません(部下のザクには当たります)。

一方、シャアザクからの蜂のような攻撃も受けても、ガンダムは平気です。
ガンダムは、ちょっとやそっとで傷つかないスーパーロボットですから。

敵味方通じてずば抜けたシャアの手練ぶりと、そのシャアでも直撃すれば終わりの攻撃力と、シャアでも落としきれない防御力を持つガンダムの化物ぶりが共に強調される構図になっています。

この「アムロの攻撃はシャアに当たらない。シャアの攻撃は当たっても致命傷にならない」
という初期状態を良く覚えておいて下さい。

この時点でただの素人であるアムロが死なずに済んでいるのは、完全にガンダムの機体性能のおかげですが、ここから徐々にアムロ自身がパイロットとして成長していきます。

物語前半 シャアお休み期間のアムロの成長


アムロが徐々にガンダムに慣れていく中で、シャアは左遷され、ガンダムの前から姿を消してしまいます。
変わって登場してくるのが、ランバ・ラルや黒い三連星など新たな敵。

アムロの成長で、 【アムロ+ガンダム】 のユニットは総合力を増していきますが、ジオン軍が次々と新型のモビルスーツを導入することで、戦闘バランスが調整されています。

【ランバ・ラル+グフ】のユニット。ザクとは違う新型。



【黒い三連星+ドム】のユニット。新型に加え、レツゴー三匹のコンビネーション。
「ガイアでーす」「マッシュでーす」「……ミデア春夫でございます」←オルテガハンマーという伝統芸。



いずれも手練のパイロットに加え、新型のモビルスーツに、アムロは苦戦を余儀なくされます。
つまり「アムロのパイロットとしての成長」に対しての「より強力な新型モビルスーツ」。
この2つが大きく変化するメインのパラメータ。

ただランバ・ラルが言うように、彼と戦った時点ではまだガンダムの機体性能で勝っていた部分も大きかったのでしょう。
実際、ガンダムの機体の方にも、化物的なスペックの他に、成長型コンピュータだのサポートメカだのありますが、成長も運用もアムロによるものですし、不自然なほどの急成長を遂げる主人公ですから、大きな変動はアムロ自身によるもの、と言っていいでしょう。

次々現れる新型モビルスーツに苦戦しながら対応していく(対応できてしまう)アムロ。
これにより、いつも画面にはハラハラ・ドキドキの熱戦が繰り広げられたわけです。

シャアの左遷とその復活は、物語全体のパワーバランス調整として意図されたものではありませんが、結果的にこれはシャアにとっては幸いしたと思われます。

アムロの快進撃に対して必然的に求められる負け役、つまりガイアの言う所の踏み台の役割を他に任せることができた為です。
もしもお休みなしの出ずっぱりであれば、出撃しては不利になって撤退するという、『Zガンダム』におけるジェリドのようなキャラクターにも成りかねません。

自分に得がないならいっそ戦わない(出演しない)方が良い。
これはつまりSGGK若林君と同じキャラクター格の維持テクニック。
ここで出演がなかったことは、シャアにとって幸運であったといえるでしょう。

物語中盤 復活のシャアと互角の戦い


シャアはジャブロー攻防戦にて、再びアムロの前に姿を現します。

アムロもかなり成長をしています。当然、シャアザクではバランスが取れません。
ジャブロー基地潜入の為もあって、シャア専用ズゴックに乗っての登場です。

シルエット的にスマートとはいえないデザインの水陸両用モビルスーツですが、早速すばやい動きからのジムへの一撃で、他と違うことを見せつけます。アムロは確信します。シャアが、赤い彗星が帰ってきたと。
このシーンは、パイロットであるシャアと共に、ズゴックというモビルスーツが最高に格好良いものとして高められた瞬間です(特にTV版)。

このジャブローでの 【アムロ+ガンダム】 vs 【シャア+ズゴック】 あたりの戦いが、ユニットとして、シャアとアムロの強さの均衡が取れている時期ではないかと、個人的には思います。

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最終的に損傷を受けてシャアのズゴックは撤退しますが、戦闘の内容自体は一進一退、双方お見事といえるものになっているのではないでしょうか。

問題は、シャアとアムロがこの時点で互角だとしても、物語はまだまだ中盤であることです。
中盤にして、すでにアムロはシャアに追いついてしまいました。さらにここからバランスはアムロ側に傾いていきます。

物語後半 ニュータイプを止められるのはニュータイプ


再度、宇宙に上がって後半戦へ。
アムロはさらに熟練し、ニュータイプへの覚醒が進みます。

【アムロ+ガンダム】 vs 【シャア+ゲルググ】 あたりになってくると、シャアは乗機のレベルをゲルググにまで上げていますが、それでもアムロの方が優勢をとってしまう、という状態に突入してしまいます。



あの赤い彗星が新型機ゲルググに乗ってすら、ガンダムを止められない。
いや、ガンダムの機体は基本的には変わっていないわけですから、止められないのはアムロなのです。

ただこれは恐らく構成どおりの展開で、要するに目覚めたニュータイプを止めるには、同じくニュータイプが必要だ、という展開に移行していきます。

この段階でのシャアは、シャリア・ブル、ララァなどニュータイプと比較される対象となっています。
赤い彗星として、この物語の基準であり物差しであったシャア・アズナブルの前に、「ニュータイプ」というこれまでになかった存在が登場し、これまでとは全く違う、新しい価値基準が提示されていく。

ニュータイプに勝てるのはニュータイプだけ。縮退炉に勝てるのも縮退炉だけ。
そこには赤い彗星のこれまでの輝かしい経歴も無意味なのです。
ほんの少し前まで軍と縁のなかったララァに「大佐、どいてください、邪魔です」と言われる展開など、誰が想像したでしょう。

一方、そのニュータイプであるアムロはさらに成長を続けます。
ついには彼の成長にガンダムの機体性能がついていけなくなり、マグネットコーティングを施して、ようやくアムロに適応できるようになります。物語前半と違い、完全にアムロがガンダムを従える形になっており、主従が逆転しています。

戦いの構図は、 【アムロ+ガンダム】 vs 【ララァ+エルメス】 に変わり、ここでシャアが割って入ったことで、宇宙世紀最大の悲劇が生まれます。

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序盤を見ていた頃には想像すらしていなかった。
アムロとララァの戦いの蚊帳の外に置かれ、小さな嫉妬から介入するも、ララァが生命を賭してかばわなければ簡単に死んでいた存在。
物語のはじめに強さの基準にもなったキャラクターが、まさかそんな存在になるなんて。
でも強さの基準だったからこそ、シャアをこの状態に落とす必要はあったといえましょう。
それは最終決戦において明らかになります。

物語最終局面 一撃死ビームが当たらない


そして迎えた最終局面。

シャアは未完成で未テストながらも強力なモビルスーツ、ジオングを手に入れます。
これにて戦いは最終構図、 【アムロ+ガンダム】 vs 【シャア+ジオング】 となります。



シャアは乗機をさらにグレードアップさせ、オールレンジ攻撃とガンダムと言えど直撃させれば一撃で葬れるほど強力なビームを手に入れました。
物語初期においてシャアザクでどれだけ直撃させても、ガンダムを落としきれなかったことを考えれば、ジオン(シャア)側のパラメータ変動値である「モビルスーツ性能と攻撃力」がいかに増大したのか分かりますね。

と・こ・ろ・が。
シャアが直撃でガンダム倒せるビームを手に入れた時には、アムロにはその攻撃自体が全く当たらなくなっているのでした。
ガンダム側の変動パラメータである「アムロのパイロット能力」は、ニュータイプとしての覚醒も加えて、こちらもとんでもないことになっており、オールレンジ攻撃だろうが、強力なビームだろうが、滅多なことでは当たりません。

つまり、攻撃力のインフレに対して、回避力の上昇でバランスが調整されていることで、最後までどうなるか分からない戦闘バランスが維持されています。

そしてガンダムvsジオングの戦闘結果は、皆さんご存知のとおり。
ジオングが強力なビームで、ガンダムの頭部、片腕の破壊には成功したものの、撃墜には至らず。
ガンダムはオールレンジ攻撃をくぐり抜け、ジオングを撃墜しています。

ジオングヘッドでかろうじて脱出したものの、無人オートのガンダムにラストシューティングを食らうので、ジオングはパイロット・アムロとモビルスーツ・ガンダム、それぞれに1度ずつ合計2度撃破されたと言ってもいいかも知れません。

余談 第42話ラストのナレーションについて


さて、ここから意図的に少し脱線しますが、この最終決戦に関しては、第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」ラストで、シャアの心情を説明するナレーションが入るのが印象的です。

ナレーション(永井一郎さん)「シャアは激しい焦りを感じ始めていた。ニュータイプ用に開発されたこのジオングのパワーを最大限に発揮できぬ自分に。あのガンダムのパイロットは今確実に自分を追い込んでいる」


最終決戦の主人公とライバルとの戦闘中に、ライバル側が押されて激しい焦りを感じている、とナレーション說明するなど、普通のアニメであればありえません。
しかも次回である最終回を見て分かるとおり、ここからシャアが逆転するわけではなく、ナレーション通りにジオングを最大限生かせないシャアは、アムロに追い込まれて、そのまま撃墜されています。

つまりシャアは、ロボットバトルにおけるラスボスでありながら、「弱者」として、ナレーションで心情を吐露されているわけです。なぜこのような事をするのか。

個人的に考えるに、これは要するにシャアが「人間」であるという說明(表明)であろうと思っています。
弱くて、焦ってしまって、どうしよう?このままだとやられちゃうよ!と考える、ごく普通の人間の心理です。これには、私たちも自然に共感できるはずです。

では「人間」シャアは、何と戦ってこんなに不安がっているのか。追い詰められているのか。
それはもちろん恐ろしく強い「ニュータイプ」アムロです。物語の主人公です。

しかし、ナレーションが心情を語り、心を寄せる対象は主人公アムロではなく、シャア・アズナブル。
この場面において、私たち視聴者も「人間」シャアをより身近な存在として感じ、「ニュータイプ」アムロとはそれより距離を感じているのではないでしょうか。
なぜなら、見ている私たちもシャアと同じ「人間」にすぎないのだから。

ガンダムに乗ってシャアを追い詰めていくアムロは完全に「ニュータイプ」であり、普通の人間の世界というよりニュータイプの世界、いわばララァの領域により近いところにいる。

この後アムロは、ガンダムという機体を失って、シャアにザビ家打倒の目的をスイッチし、ホワイトベースクルーの「脱出」をサポートし、己自身の「脱出」を探る中で、アムロは「人間」に近づいていく。ララァの所へ行くことをやめ、ホワイトベースの仲間達の元へ戻ることを決意する。

最終話のサブタイトル「脱出」は、アムロが人であらざる領域、ララァの住まうところから脱出し、「人間」の世界へ帰還する、という意味にも考えられるのかも知れない。
宇宙要塞ア・バオア・クーという胎内の中で、甘美なララァの母性に閉じ込められるよりも、辛いことが待っていようと外の世界へ飛び出した方がいい。幸せなことに自分を呼んでくれる仲間もいる。

それは胎内からの脱出であり、これまでの自分の死と再生であり、アムロにとっての新たなバースデー(誕生日)でもある。
この時、コアファイターの風防を鉄板で覆い、外の世界が見えない状態になっていたのも象徴的だ。
(ちなみに、シャアは『逆襲のシャア』においてサザビーの脱出コクピットでこれと同じ状態を体験する)

これを踏まえると、シャアの焦りを語るあのナレーションは、「人間」vs「ニュータイプ」の構図をはっきりさせ、かつ視聴者の心情をむしろシャアに寄せ、アムロとの距離を感じさせるような効果があったのではないか。

だからこそ次回最終話「脱出」で、アムロが(私たちと同じ)人間の世界に帰ってきてくれたことを、その選択をしてくれたことを、より感動的なものにするのではないだろうか。

なので、色々問題があったとしても、やはり劇場版よりTV版が私のベースであり、いちばん好きなのです。

まとめ 全編に渡るバランス調整と新しい価値観の提示


さて、意図的とはいえ思い切り脱線しましたので、話を戻しましょう。

『機動戦士ガンダム』全体の戦闘バランスを見てきたわけですが、アムロの成長曲線に合わせた、新型モビルスーツの登場によって、最後までゲームバランスが調節されていたのがお分かり頂けたのではないかと思います。
ポイントはどちらかが完全有利というわけではなく、常に緊張感とワクワク感のある戦闘バランスをキープすること。

『機動戦士ガンダム』の場合は、さらに「ニュータイプ」という概念によって、これまでの価値観を崩しており、つい先日まで戦いに縁のなかった少女が、赤い彗星を邪魔な足手まとい扱いするようなパラダイムシフトが発生しています。

その中でニュータイプとして強すぎる力を持つアムロは戦場では無敵でも、一個人としては先鋭、孤立化していく。
覚醒していくにつれ、従来のロボットアニメで発生するようなピンチをくぐり抜けてしまうアムロ。

例えばマ・クベとのテキサスコロニーでの攻防。
マ・クベは周到な罠を仕掛けて、ガンダムを攻撃し、また誘導しますが、消耗こそするものの致命的なダメージを負うことなく、マ・クベのギャンの前に立っています。(この時点でマ・クベの敗北確定)

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従来のロボットアニメであれば、マ・クベのやり方は十分知的でいやらしく、主人公のピンチとして成立するものでしょう。
実際、物語前半にはマ・クベの策によって、ホワイトベースは大ダメージを受けています。
ですが、テキサスコロニーの頃には『機動戦士ガンダム』の物語はすでに変わっていました。
マ・クベの作戦を、アムロはただただ小賢しいものとしてしか感じなかった。
これはある種の象徴的なものだと考えても良いと思います。

とはいえ、ニュータイプは神様ではありませんので、アムロにピンチが訪れていないわけではありません。
例えば、物語終盤におけるアムロ最大のピンチは、ララァに「なぜあなたはこうも戦えるの?あなたには守るべき人も守るべきものもないというのに」と言われた時でしょう。
アムロの存在と、そしてこれまでの戦いを根本から揺るがす攻撃です。
戦場で敵なしのアムロは、これに対して「だ、だから、どうだって言うんだ?」としか反論できませんでした……。

ここまで書いた『機動戦士ガンダム』の戦闘バランスについては、アムロの成長曲線や、ジオンモビルスーツのグレードアップ、パイロット+MS=ユニットの戦闘指数なんかをビジュアル化して、分かりやすくすれば、独立した記事として面白いものになると思っています。
(いつか、時が熟したら……人の革新を私は待つ)





ということで、ガンダムの話になると色々脱線するおかげで、何の話か分からないような感じになってしまいましたが、バトル(スポーツ)物におけるパワーバランスと、キャラクターが持つ「格」のコントロールのお話でした。

安易な方法として、高位とされるキャラクターをボコボコに負かせば、ぽっと出のキャラクターでも「強い」という表現には一応なります。しかし単純にそれをやるのは下策中の下策であり、上手な創作者ほどそれをもっと巧みに、誰の「格」も落とさないような形で表現できます。
そういう方が私は好みですね。

このテーマは色々切り口が考えられますので、また機会があれば書いてみたいと思います。

また、すでに書いた過去の記事で、このテーマにつながるものもあります。

例えば『逆襲のシャア』における、νガンダムとサザビーの死闘について。誰もが名勝負と認める戦いですが、結果はアムロの圧勝です。シャアの格を出来るだけ落とさずにその結果にするためにはどういう工夫が必要でしょうか?

サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>

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もうひとつ。『キャプテン翼』のバトル構造が、1vs1を基本としたものであり、格闘(ケンカ)ものや、野球に構造が近い、という話をしましたが、その中で野球というスポーツが持つ物語上での機能を検討した記事。

スポーツが生み出す「筋書きのあるドラマ」<「野球」と「サッカー」、物語機能の比較メモ>

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あとは……くっ! ガッツが たりない。

私が一番好きなキャプ翼ゲーム技は、岬のムーンサルトパスカットです。
それではまたお会いしましょう。

「永遠のフォウ」は耐えられるが、「ロザミアの中で」は耐えられない。


これは私が『機動戦士Zガンダム』を見て以来、長年思っていることであり、ブログやTwitterなどでも何度か書いていることでもあります。

「永遠のフォウ」とは、『機動戦士Zガンダム』第36話のサブタイトル。
この回で、ティターンズの強化人間であるフォウ・ムラサメという少女が、敵である主人公カミーユ・ビダンをかばって戦死します。
これ以前のニューホンコン編においてカミーユとフォウは出会い、彼にとって特別な女の子となりました。
彼に与えた影響の大きさを考えるならば、この作品のメインヒロインと言っても過言ではないでしょう。

もう一方の「ロザミアの中で」も、同じく第48話のサブタイトル。
この回では、ティターンズの強化人間であるロザミア・バダムという少女が、命を落とします。
ただし、フォウとは違い、カミーユ自身の手によってそれはなされます。




今回は、フォウ・ムラサメとロザミア・バダム、2人の強化人間と、カミーユとの関係を追いながら、なぜ「ロザミアの中で」が私にとって耐え難いものなのかをお伝えしたいと思います。




フォウ・ムラサメとは何だったのか


今回の主役はロザミア・バダムですが、ロザミアの事を語るには、フォウの事も語る必要があります。

フォウ・ムラサメについては以前、記事を書きました。

シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>

この記事から、ロザミアを語る上での前提として要点だけを取り出して、かんたんにまとめておきましょう。(詳細を知りたい場合は、記事本文をご確認ください)

  • 『機動戦士Zガンダム』第11~20話「地球編」で、カミーユは様々な「過去」との対峙を迫られる。
  • ニューホンコンで出会ったフォウ・ムラサメもその一人。彼女は「過去に生きる少女」である。
  • 未来に生きようとするカミーユと、過去に生きるフォウの心は哀しくすれちがう。
  • 最終的にカミーユはそのフォウによって、自分の名前(過去の自分)を肯定する事ができた。
  • カミーユを宇宙に送り出し、フォウの役割は終わる。(一度目の死)
  • キリマンジャロでのフォウ再登場はまさに殺すためだけのもの。(二度目の死)
  • その死により、カミーユにとって過去でも未来でもなく「永遠のフォウ」という存在になってしまう。

ニューホンコンでのフォウとの別れは、場面としてはせつないものですが、カミーユに与えた影響としてはあくまでポジティブなもの。
少女からの承認を通して、地球編ラスボスである自分の過去(名前)を肯定できるようになっています。
第1話においてジェリドの一言で見境なくキレるカミーユとは、もうこの時点で決別していると言っていいでしょう。

しかしキリマンジャロでの出会いと別れは違います。
カミーユが受けたのは哀しみと絶望だけ。そしてその絶望は、フォウによってのみもたらされたわけではないのです。

「永遠のフォウ」という儀式


「永遠のフォウ」は、一度死んだフォウ・ムラサメをわざわざ再登場させて、もう一度殺すという、何かの儀式のような回です。
新訳こと劇場版『Zガンダム』で丸々カットできるぐらいに物語的には大して意味がないパートです。
フォウの役割はニューホンコンで終わっており、そこでの死別で何も問題はありません。劇場版もそう処理しています。

ただフォウ再登場に物語的な意味はないが、まさに儀式という意味だけはあったような気がしています。
なぜなら、TV版『Zガンダム』でカミーユが最終的に迎える過酷な運命――その運命に向かう不可逆の分岐点が、この「永遠のフォウ」であると思うからです。

これを確認するためにキリマンジャロ編がどのような回か思い出してみましょう。

フォウを再登場させ、再度殺すのをある種の「儀式」であると表現しましたが、この儀式の立会人が、クワトロ・バジーナ(シャア)とアムロ・レイであったことが重要です。

「軍に利用されたニュータイプ少女」を救おうとするカミーユに対して、この2人の大人は何もしてやることが出来ません。

以前より何度か書いていますが、富野ガンダムにおいて、巨大モビルアーマーは不安定な少女たちが籠城する心の城。
四方八方に乱れ飛ぶ拡散メガ粒子砲の光は、少女たちが泣き叫ぶ涙です。
さらに強化が進められたフォウは幻の過去を求め、地上から、サイコガンダムから離れることができない。

結局、この回のコメディリリーフでしかなかったジェリドが、それが周到な前フリであったかのように冗談にならない攻撃を放ち、それをフォウのサイコガンダムが(なぜか)頭部でかばうことによって、カミーユはフォウを永遠に喪いました。
経験としては、かばわれることでララァを喪ったシャアに近い状況でしょうか。

36_01.jpg

フォウの亡骸を抱いて泣くカミーユを見ながら、直接の先輩とも言える2人の大人は

アムロ「人は、同じ過ちを繰り返す……。全く!」
シャア「同じか……」


などと、神妙な顔でもっともらしい事を言っているだけ。

この悲劇の立会人に、わざわざシャアとアムロが選ばれたのは、彼らがかつて「軍に利用されたニュータイプ少女」を巡って「過ち」を経験した当事者だからでしょう。

自分たちが死ぬ瞬間まで後悔し続けるその「過ち」の経験者であるにも関わらず、彼らはカミーユに大人の顔して「深入りはよせ」などと言うばかりで、結局、過去の自分達(カミーユとフォウ)を救うことができず、「同じ過ち」を再生産してしまいました。

ちなみにシャアとアムロは、この時代のさらに後、『逆襲のシャア』におけるクェス・パラヤのケースで、さらにニュータイプ少女をみすみす死なせているので、本当に「同じ過ち」を何度も繰り返しています。なんどめだナウシカ。

「永遠のフォウ」は、先に述べたように物語的な意味はほぼありません。
しかし、フォウを永遠に喪ったというだけでなく、アムロとシャアが立会い、さらにそれに対して無力で、「過ち」の再生産を繰り返した(彼らもそれを認めている)というのが象徴的で、これこそがひとつの絶望の儀式であろうと思います。

カミーユはフォウの亡骸を抱いたまま動かない。キリマンジャロ基地の爆発が始まる。

クワトロ「カミーユ。かわいそうだが、君はまだ死ねない身体だ」


と、クワトロとアムロは、カミーユを抱えて戦場を後にする。
結果論に過ぎないが、「かわいそうだが、君はまだ死ねない」というのは、カミーユにとって本当に残酷なセリフだと思う。

ちなみにカミーユがキリマンジャロに降り立ったのは、クワトロの百式が敵の攻撃により予定外に大気圏に落ち始めたのを救出した為で、これも結果から見れば、クワトロの命を救って、代わりにフォウを喪ったとも言えるでしょう。
そんな男が、偽名に偽名を重ねて、本来背負うべき役割から今も逃げ続けている。

この回は、カミーユとクワトロの以下のやりとりで幕を閉じます。

カミーユ「僕はもう、あなたのことをクワトロ大尉とは呼びませんよ。あなたはシャア・アズナブルに戻らなくてはいけないんです」
クワトロ「そうだな、カミーユ」



ロザミア・バダムという妹


フォウを喪ったあと、再度宇宙に上がったカミーユの前に、ロザミア・バダムが現れます。
前半にも登場していますが、フォウと同じ強化人間として、カミーユを兄と思い込むよう洗脳されての再登場。
本記事のメインですし、ちょっと以前書いたロザミアの紹介をリライトして掲載しておきましょう。

地球連邦軍のオーガスタ研究所で調整を受けた強化人間。精神調整と共に体も強化されている。一年戦争時のコロニー落としが精神に大きな傷を残しており、ティターンズはそこを利用しエゥーゴを敵と思わせるようローレン・ナカモトに精神操作させた。(Wikipedia:ロザミア・バダム


ロザミアは17歳という設定だそうだ。カミーユと同年齢ということになるだろうか。
私はイメージでなんとなく24歳ぐらいだと思っていた。劇中でカミーユの妹にしては老け顔だ、姉に見える、といった感じのやりとりがあったせいかも知れない。

明らかに20歳すぎである女性が、記憶操作によって年下のカミーユを「お兄ちゃん」と呼ばされる、という方が、いとしさとせつなさとグロテスクさとが高まって良いと思うので、今後も私の中では24歳ぐらいのイメージにしておこうと思う。

このあとさらに記憶を操られ、カミーユでなくティターンズパイロットのゲーツ・キャパを兄と思い込まされるので、いわば三段階で精神が変質させられたキャラクターと言えるだろう。

兄役のゲーツ・キャパを演じるのが矢尾一樹というところが味わい深い。
後番組である『機動戦士ガンダムZZ』において、彼はジュドー・アーシタという宇宙世紀最強の兄を演じることになる。

話をロザミアに戻す。
ロザミアは「突然現れた押しかけ美人妹(血縁なし)」という、とんでもないキャラクターでカミーユに接近します。
しかし、「そんな都合のいい人間がこの世にいるわけないだろ。いるとすれば軍に記憶操作された強化人間であり、スパイだ」というのが、富野アニメ的な世界観でございます。

とはいえ、オタク的な願望をハードな設定で皮肉っているわけではなく、結局の所どう理由をつけても、都合よく悲劇の少女を消費してしまうことについての言い訳であり、少女の本意でなく、背後に悪い大人(作品の中にも、作品の外=制作者にも)がいるせいだと、少女の罪を免責するための仕組みであったろうと私は思っています。
大人としての狡さと誠実さと。

そのあたりの事は「洗脳少女」という切り口で過去に記事を書いていますので、興味があればご覧下さい。

だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>

でも、この翌年に「押しかけ妹(血縁なし)」を本多知恵子声でやるのが、さらにえげつない。


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ロザミア=記憶を手に入れたフォウ


フォウ・ムラサメは過去の記憶に囚われ、カミーユの「宇宙へ行って、エゥーゴの技術で記憶を取り戻そう」という誘いも拒絶し、地上から、サイコガンダムから離れられずに、宇宙に上がることのないまま生を終えました。

一方ロザミアは、家族に関する偽の記憶を植え付けられ、さらにはカミーユを兄と思い込ませることによって、宇宙へ上がり、カミーユとの再会を果たしています。

そう考えればロザミアは、「記憶を手に入れて宇宙に上がったフォウ」といえるのかも知れません。
もちろん、その記憶はティターンズが人工的に植え付けたものに過ぎないのですが。

ただ「宇宙へ行って、エゥーゴの技術で記憶を取り戻そう」と主張していたカミーユだって、そこに何の保証もあったわけではありません。事実アーガマでは、ロザミアを精密検査しても強化人間であることが分かった程度で、特に何も対策が打てていません。

例えば、カミーユがフォウを救出し、宇宙へ連れ出したとする。そこでエゥーゴの医療スタッフや研究者に「無い記憶を取り戻すことは出来ない。精神を安定させるために、ニセの記憶を植え付けるしか手はない」などと言われたとしたら、どうするだろう?
それは、悪意と善意、異なるベースとは言え、本質的にティターンズがロザミアにした事と何が異なるだろうか。

これはあくまで意地悪な仮定に過ぎないが、ロザミアが、フォウ・ムラサメのありえた可能性のひとつである事は確かでしょう。

第47話「宇宙の渦」での体験


ロザミアは精神不安定の中で、結局アーガマを去り、第48話「ロザミアの中で」で、敵として再びカミーユの前に現れます。

その前にまず抑えておくべきは、前回が第47話「宇宙の渦」であることです。
この回では、ハマーンのキュベレイとカミーユのZガンダムは、戦闘中に精神が共鳴して、深いレベルでつながります。
ララァとアムロの再現のようなシーンですが、ニュータイプであるハマーン本人が、カミーユを拒絶してすることで終わります。

47_01.jpg

カミーユ「僕は、チャンスがあったのにハマーンを殺せませんでした」
クワトロ「気にするな。それは私の役目だったのだろう」


カミーユはこの体験を通して、つながった相手であるハマーンを殺せなかった事を悔み、それをクワトロが適当な事を言ってなだめて、「宇宙の渦」の回は終了します。

適当な事というか、クワトロの責任という意味では真理ではあるのですが。
根本的にクワトロいやシャアの責任である、という記事を以前書きましたので、興味のある方はどうぞ。(こうして見ると、ちゃんと要所の記事は書いてるんだな。えらい)

僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>

ニュータイプ同士に精神の深いところでつながる能力があったとしても、それと分かり合えるかどうかは全くの別。
それでは、ニュータイプが持つ力とは、ニュータイプに出来ることとは一体なんなのか。

それを抱えたままカミーユは第48話「ロザミアの中で」を迎えます。

ロザミアの中でカミーユが見たもの


第48話の冒頭で、カミーユはブライト、クワトロとこのような会話を交わします。

カミーユ「もし、このままアクシズがグラナダに落ちたら、僕の責任です。僕がハマーンを殺せなかったから」
クワトロ「ハマーンが死んでもアクシズは落ちていた。気にするな。キュベレイを動けないようにしただけでも、カミーユは十分やった」
カミーユ「でも、モビルスーツは直せます。ハマーンは、倒せば……直せないんだ」
ブライト「カミーユ、いつからそんな苦労性になった?」
カミーユ「苦労してますからね」
ブライト「アクシズの方は任せておけ。カミーユは少し休んでいろ。いつモビルスーツ戦になるかもしれないんだからな」
カミーユ「はい」
クワトロ「カミーユ・ビダンか……。いい方向に変わっているようだが……」


未だにハマーンを殺せなかったことを悔やむカミーユ。
一度は精神がつながった相手とは思えない、いや、つながったからこそなのか。拒絶され、ハマーンの本性を見たからこそ、死ぬべきであり、殺すべきである、と考えているのか。それにしても――。

前回ラストの後悔をさらに引きずっているこのカミーユを見て「いい方向に変わっている」と考えるクワトロは、色んな意味でどうかしていると思うが、カミーユを誘い、戦場に出し、さまざまなものを背負わせた張本人のセリフにはふさわしいかも知れない。

ファ「少しは休んでいなくっちゃ。カミーユ。ね、戦争が終わったらまた前みたいに学校へ行ってケンカして、昔みたいになるわよね?」
カミーユ「ファ……」
ファ「ね? カミーユ」
カミーユ「元通りにはならないさ。オレは自分の役目がわかってきたから」


このカミーユの台詞は、結末への予兆という意味で有名なもの。
カミーユが考える「自分の役目」というのが明らかになるのが、前回「宇宙の渦」であり、今回の「ロザミアの中で」になる。

フォウと同じくサイコガンダム(Mk-II)で出撃するロザミア。
精神を安定させる為に、ティターンズのパイロット、ゲーツ・キャパを兄として信じ込まされたが、アーガマに接近したことで再び不安定になり、さらにシロッコのモビルスーツ隊の強襲に、ゲーツが対応するために、ロザミアとの交信ができなくなる。

一方のカミーユは接近する敵の気配に、フォウ・ムラサメを感じ、Zガンダムで出撃する。

この回では、カミーユが何度もロザミアをフォウと見間違える描写がされる。
フォウの幻影を見るだけでなく、フォウの幻聴も聞く。

フォウ「やっと会えたね、カミーユ。もう、離れないから」


カミーユが逃げ込んだコロニーの中で、ファに銃を突きつけるロザミア(カミーユはフォウの幻を見る)。

48_01.jpg

ファはロザミアの家族の記憶が偽物だと告げる。違う、お兄ちゃんがいる、とそれに反論するロザミア。
そこへカミーユが声をかける。

ロザミア「家族はいた。父と母と、お兄ちゃんと……」
ファ「そのあなたの記憶は偽物なのよ」
ロザミア「違う、あたしにはお兄ちゃんがいる!」
カミーユ「ロザミィ、一緒にボートで遊んだこと、覚えていないのか?」
ロザミア「お前はお兄ちゃんとは違う。あたしはロザミアだ。ロザミィじゃない」


直後、頭の痛みを訴えたロザミアは、泣きながら「お兄ちゃん!」と、兄を求め飛び出していく。
走り去るロザミアにフォウの姿を見て、思わず「フォウ」と呼びかけてしまうカミーユ。

このシーン。いつもなら兄として呼びかけるカミーユに、ロザミアなら一瞬でも応えるところを、一切の迷いなく「お前は兄ではない」と瞬時に切り捨てている。

この回のサブタイトル「ロザミアの中で」とは、要するにカミーユが「ロザミアの中で」フォウを見た、フォウを感じた、という意味になるだろう。前述したように、そのような描写はしつこいほどされている。

しかしそれはロザミアから見れば、カミーユは自分を見ていない、という事を意味する。
そんな存在は「お兄ちゃん」ではありえない。

ロザミアの事を「記憶を手に入れたフォウ」と表現したが、そういう存在だからこそカミーユはロザミアにフォウを重ねて、今度こそは少女を救おうとしただろう。「人は過ちを繰り返す」だけではないはずだ。

だが、それゆえにカミーユが見ているのはフォウ(の幻影)であり、ロザミアではない。
皮肉なことにそれがカミーユに、ロザミアの兄の資格を失わせた。
目の前にカミーユがいるのにも関わらず、お兄ちゃんはどこ?と兄を探しさまようロザミィ。

この時の兄を求めるロザミアの悲痛な声を、ゲーツ・キャパはしっかり受け取っている。
同じく偽物の兄ながら、ゲーツ・キャパは最後までロザミアを気にはしている。
しかし、シロッコのモビルスーツ部隊の迎撃という上官バスクの命令を優先し、ロザミアの所には全く来てくれない。

この回でロザミアは、2人の兄の両方から自分の事を見てはもらえなかった。

主人公にできることがない。ただひとつの事をのぞいて


最終局面。サイコガンダムに乗り込んだロザミアは、メガ粒子砲を乱射しながら兄を求めてさまよう。
撒き散らされるメガ粒子の光は、ロザミアの涙だ。大号泣と言っていい。

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発狂状態のサイコガンダムが、アーガマに迫る。

カミーユ「誰でもいい!止めてくれ!」


カミーユが叫ぶ。これは誰あろう、ガンダムに乗るニュータイプの主人公の叫びだ。

だが思い出して欲しい。キリマンジャロにおいて「過ち」界のパイオニア、「過ち」パイセンこと、シャアとアムロの2人が揃っていても
少女一人を何ともできなかったのに、誰にも止められるわけがない。
そしてもちろん、ロザミアに兄として映らなくなったカミーユ自身にも止められるわけがない。

カミーユ「ロザミィ、か、かわいそうだが、ちょ、直撃させる!」


「かわいそうだが直撃させる」以外に、ロザミィにしてやれることが何もない。この絶望。

本当に?本当に何もないのか?何もない。何もないことはアムロとシャアが証明し、さらに言い訳のように説明した。人の愚かな過ちはただ繰り返されるのだと。
カミーユにとっても救うべき少女の悲劇が、フォウに続き、ロザミアと繰り返されたことになる。

かくしてロザミィめがけ、救いの矢は放たれる。

48_04.jpg

ロザミアの求める「早く」と、フォウの求める「早く」


射撃の直前。カミーユの目の前に、ロザミアとフォウのイメージが描写される。
この記事を書くにあたり、「ロザミアの中で」を見直したときに、この場面での2人の台詞の違いに改めて気づいた。

ロザミア「(早く来て、お兄ちゃん!)」
フォウ「(早く!)」
カミーユ「フォウが……」
フォウ「(早く、カミーユ!)」


ロザミアが「早く」と言っているのは、どこにもいない兄に対して、私の元に早く来てと言っている。
フォウも同じく「早く」と言っている。しかし、フォウの言う「早く」は、明らかにロザミアが希望している「早く」とは違う。
またカミーユが反応しているのも、フォウの言葉であり、その直後に引き金が引かれている。

サイコガンダムの頭部を直撃も、キリマンジャロのフォウと全く同じ結末であり、これはカミーユ自身の手による三度目のフォウ・ムラサメ殺しといえるでしょう。

救うべき少女を自らの手で葬ってしまうというのは、ララァに対するアムロの体験であり、キリマンジャロのかばわれて喪うというシャアの体験と合わせて、これで両方の体験をコンプリートしたことになる。アムロとシャアが一生背負ったものを両方……。

さらにそれでありながら、最後の最後にロザミアにこう言わせる。

ロザミア「見つけた!お兄ちゃん!」



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ロザミアが最後に見つけたお兄ちゃん。だがお兄ちゃんには誰が見えていたのだろうか。
フォウの導きで彼女の幻影を葬り去った瞬間、ロザミィのお兄ちゃんにまた戻ったのかも知れない。
いや。そもそも見つけるも何も、お兄ちゃん自体が偽記憶で存在などしていない。
お互いが幻を見ていたようなものにすぎない。

それでもロザミアは、最後にお兄ちゃんを見つけた。

劇場版の為に取り除かれたものはなにか


以前から「永遠のフォウ」は大丈夫だが「ロザミアの中で」は耐えられない、と何度も言っているのはこのあたりによります。
それを伝えるため、今回は長々と說明してまいりました。お付き合い頂き、ありがとうございました。

この回は、アーガマに戻った後の以下のようなやりとりで締めくくられます。

ファ「ロザミアさんには言い過ぎたのかしら。あの人には罪がないのにね」
カミーユ「ファは、何も間違ったことなんて言っちゃいないさ。ニュータイプも強化人間も、結局何もできないのさ。そう言ったのはファだろ?」
ファ「でも……」
カミーユ「できることと言ったら、人殺しだけみたいだな」
ファ「カミーユ……」(ファ、去る)
クワトロ「あまり気にするな」
カミーユ「気にしてなんていませんよ。気にしてたら、ニュータイプなんてやってられないでしょ?」(笑顔)


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クワトロ大尉、カミーユは良い方向へ変わっているんでしたよね。良かったですね。


この状態でカミーユは、ラスト2話の最終決戦、「生命散って」「宇宙を駆ける」へ進みます。
「永遠のフォウ」「ロザミアの中で」を踏まえたTV版の結末は、必然のものといえるでしょう。

劇場版『Zガンダム』においては、カミーユはTV版と違った結末を迎えましたが、個人的には『ブレンパワード』『∀ガンダム』『キングゲイナー』と作品を追っていれば、結末が変わること自体は理解できるものでした。
この三作を見ている人にとっては、『Zガンダム』に対するスタンスの変化も分かるし、ラストの変更も正直、想定の範囲内でしかありませんからね。

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だからこそ私は当時、そもそも劇場版『Zガンダム』三部作を作る必要がないのでは、と否定的に考えていました。
(ガンダム以外の新作を求めていた私にとっては、劇場版制作の発表は絶望に近かった)

しかし『Zガンダム』だからこそ、新訳劇場版を見たという人も多くいたでしょうから、『Zガンダム』の形を借りなければ、より広く、また分かりやすく変化を伝えることができなかったとも言えるのだと思います。

そう考えれば、映画制作前から予測可能だったラストの変化に注目するよりも、変化するラストのために取り除かれたものは何か、を考える方が面白く、意義があるのではないでしょうか。

「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」は、劇場版『Zガンダム』からカットされたエピソードです。

キリマンジャロでのフォウの二度目の死は、カットも当然と思うほど物語的には意味がないものですが、TV版においては儀式としての意味はあり、それはロザミアへの直撃、すなわちフォウ三度目の死の儀式につながっています。

「永遠のフォウ」をカットして「ロザミアの中で」だけを残すことは出来ないし、もちろんその逆も出来ません。カットするなら、全てカットするしかありません。

それに前述したように、「永遠のフォウ」がTV版カミーユの運命の分岐点なのであれば、尺の問題以前に、「永遠のフォウ」&「ロザミアの中で」を収録しては、どう再編集しても劇場版のようなラストを迎えることはできないでしょう。

だから劇場版でのカットは妥当です。
繰り返し述べているように、大きなストーリーラインとしての意義は薄いのも確かです。
しかし、TV版の結末を迎えたカミーユを理解するためには、極めて重要な要素だろうと思います。




TV版『機動戦士Zガンダム』を確認したくなった皆様へ


Amazonプライムビデオで配信中のTVシリーズ『機動戦士Zガンダム』があと少しで、見放題からはずれてしまうとのこと。
今ならまだ間に合う! 見ることができる環境の方は急いで見よう。



ぜひTV版『Zガンダム』で、あなたのお兄ちゃんを見つけて下さい。


生きてるってなんだろ。生きてるってなあに。


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遅まきながら、あけましておめでとうございます。
新年初めての記事なので、一応あけおめせざるを得ない。

毎年恒例、1年間のブログ活動のまとめ記事でございます。今回は昨年2016年度のご報告となります。

2015年に書いた記事数は、わずか5本。
これはさすがに最低記録だろう……と落ち込んでいたら、調べてみると2012、2013年も5本でタイ記録。
そう考えると、ボジョレー・ヌーボー的な「最低と呼ばれた、12、13年に匹敵する出来栄え」みたいなものだな、と安心しました。(してはいけない)

数は少ないですが、記事自体は「エレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わい」との評判でございます。
まだご覧になっていない方は、この機会にぜひどうぞ。

2016年度 ブログ記事 厳選ベスト5!(もう何も言うな)


エントリーNo.1 「ニュータイプ」の証拠を探しにいこう


アムロはシャアを、いつニュータイプだと認識したのか?<TV版『機動戦士ガンダム』での相互不理解と「貧しい愛」>

「シャアって、ニュータイプなの?」と、友人にストレートな質問をされた事がきっかけで書いた記事。
この質問、簡単に答えられそうで、実は結構難しいのです。

この記事ではTV版『機動戦士ガンダム』において、タイトル通りアムロがシャアの事をいつニュータイプと認識していたのか?ということを検証します。

もちろん検証だけでは終わらず、書こう書こうと思いながら今まで書けていなかかった、シャア・アズナブルの「貧しい愛」について考えます。

アムロのシャアに対するニュータイプ判定については、ファーストガンダムの事に詳しい人ほど、映画や小説、後の作品や情報など知識が豊富なため、意外に感じるのではないかと思っています。

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エントリーNo.2 カミーユとフォウの交わらない過去と未来


シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>

『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」の歌詞の読み解きを中心にして、そこからカミーユとフォウの哀しい対比構造について書いています。

タイトルの「銀色ドレス」ってなんのこと? この歌はどういう視点の歌? シンデレラ・カミーユって?
などの疑問にお答えいたします。

この記事の最後に「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」について触れていますが、この2つの関係については、最近Twitterでツイートを色々したので、それをベースにして、ひとつ記事を書くかも知れません。

個人的に、ツイートの清書するだけの記事を書くのはつまらなくて全くモチベーションが上がらないので、何かプラスアルファが上乗せできると確信が持てないと、ブログ記事にはしない傾向があります。
逆に言えば、つまらない清書にしかならないほど、ツイート連投しすぎなのです。
「ブログでやれ」と思っていても言わない、寛大なフォロワーの皆様に支えられて、楽しいTwitterライフをおくっております。

Z・刻を越えて/星空のBelieve/水の星へ愛をこめて/銀色ドレス (TV版 機動戦士Zガンダム主題歌)
森口博子 鮎川麻弥 鮎川麻弥 森口博子
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エントリーNo.3 どうしようザビーネが邪魔する


光る風の中、聞こえてくる「ETERNAL WIND」(のイントロ)<VR元年と機動戦士ガンダムF91「宇宙でセシリー探しゲーム」>

PSVR(ペェスヴァー)対応ゲームとして、宇宙漂流者救出ゲーム「宇宙でセシリー探しゲーム」をやりたいね。
という、当ブログのもうひとつの柱になりつつある、妄想ゲームネタです。サンクスモニカ!

とはいえ、記事数を増やすために12/31に慌てて用意した記事なので、正直ゲーム妄想ネタとしてはかなり弱いです。
通常なら「宇宙でセシリー探しゲーム」をつかみのネタにして、本ネタともいえるオリジナル妄想ゲーム案を紹介するところですが、そこまでいっていません。

その代わり、完全に趣味の替え歌コーナーとか作っておりますので、お楽しみ下さい。
ていうか、せっかくフルで替え歌作ったのに、ノーリアクションだったので、すごく寂しい。
誰か、この歌詞でMAD動画作って欲しい。絶対に面白いはずなんですよ!あー、わかった、わかった。あとは署で聞く。

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エントリーNo.4 天がカズマを許しても、カズマは天を許さない


ポイント全振りキャラクター達が起こす奇跡<『この素晴らしい世界に祝福を!』のシステムに則ったコメディ>

TVアニメ『この素晴らしい世界に祝福を!』の愛すべきキャラクターたちについて。

私は原作なども未読でどんな作品か全く知らなかったので、録画を崩して見て、やっと面白さに気づきました。
メインキャストの皆さんいずれも芸達者ですが、アクア役の雨宮天さんは特に素晴らしかった。
声優さんには疎いのでこの作品で初めてお名前を覚えました。天さん、どうか死なないで……。
と思ったら、雨宮 天(あまみや そら)とお読みすると今知りました。そらかー。

「渡と申します。わたしの天が、何とも不可思議な演技を……」



アニメ第2期が、2017年1月12日から放送開始だそうです。ぜひそのお供に記事をご覧下さいませ。
2期は非常に楽しみですね。1期と違って、リアルタイムで追っかけたいと思っています。

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エントリーNo.5 ゲームにおける最大の暴力装置とは


機械仕掛けの王に仕える、命ある暴力装置<ゲームにおける暴力コントロールのアイデアメモ>

これは「宇宙でセシリー探しゲーム」と違い、がっつりとオリジナル妄想ゲームネタ。

「王(意思決定)」と「従者(暴力装置)」という、2人のキャラクターによる、バディものです。
ただし、プレイヤーは王の命によって行動する「従者(暴力装置)」のキャラクターを担当します。
では、命令を出す「王(意思決定)」は誰が?これはコンピューター(AI)にやってもらいましょう。
すなわち、「AIの主人に仕えて、主人の目的達成のために戦う」というゲームになります。

映画『ターミネーター2』でいえば、ジョン・コナー(AIの主人)を守るターミネーター(T-800)をプレイするようなゲームです。

例によってコンセプトアイデアだけなので、ゲームの全体像については、読んだ皆さんのイメージ力に完全に頼っています。

何度か書いていますが、私は実際にゲームを作るわけではありません。
物語の要素を分解して、それをあるゲームシステムとして設定したときに、何か面白いことが起きるのではないか。
物語というものが、ゲームという表現方法を使うことで、より理解できるのではないか。
という試みです。

ですから、物語と関係がないゲームを妄想したことがありませんし、ゲーム用のストーリーを考えたこともありません。
私が考えたいのはキャラクターやストーリーではなく、物語の要素を分解し、ゲームシステムに入れ、エンジンを回したら、出力結果として物語が再構成されないだろうか。されるとしたらどんな形に?という興味です。

早い話が、物語ゲームの単なる妄想とその開陳に他ならず、基本的には不評のコンテンツです。
ごくたまに面白いと言って下さる方もおられますが、貴兄もなかなかの物好きだね、と思いますね。ありがたいことですが。

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『Fate』のようなものでもあります。




2017年 みなさまのご多幸をお祈りしつつお別れです


以上、選びに選びぬいた、2016年ブログ記事ベスト5でございました。

それにしても、『君の名は。』『シン・ゴジラ』『聲の形』『この世界の片隅に』などの劇場作品に関する記事が一切なく、あとで読んでも、全く2016年っぽさが感じられない、ということになりそう。
この中では『シン・ゴジラ』に関しては、Twitterではかなりツイートはしていたんですけどね。

ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ ([バラエティ])

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2017年は実写版『攻殻機動隊』こと、『ゴースト・イン・ザ・シェル』がちょっと楽しみですね。


こんな感じの映画になるといいなあ。

さて振り返りが終わった以上は、2017年の抱負を述べておくべきなのかも知れないですが、いつものように、それなりにいくつか記事を書いて、その結果をこうした年度振り返り記事で紹介できればいいのではないだろうか。

2016年はネットにおける情報の信頼や倫理が問われた1年だったと思います。
私としても、アニメやマンガを紹介すると見せかけて、単なるSEO用のランキング形式スパム記事のような検索ノイズを生み出そうという気は一切起こらないので、今年も自分が本当に好きなものや、本当に面白いと思ったことだけ書いていく所存でございます。

と言っても、私の書く物の方が価値が高い、ということではなくて、「アニメ ランキング」「マンガ おすすめ」などのワードで検索する層に対して、私が与えられるものは多分何もないだろう、という事に過ぎませんけどね。

それでは今年もよろしくお願い致します。
次の記事でまたお会いしましょう。

(いちばん面白いのは、これで次の記事が「決定版!必見!おすすめ面白神アニメランキング2017」になることだとは思うけど、ネタとしても用意が面倒なのでやりません)

このマンガがすごい! 2017

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