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番組表を眺めていたら『僕は友達が少ない』というアニメを見つけました。
新番組のようです。タイトルぐらいは聞いたことがある気がしますが、私の中のゴーストが囁いたので第1話を視聴してみることにしました。

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(2012/01/13)
木村良平、井上麻里奈 他

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主人公は転校生の友達がいない男の子のようですが、第1話目にして同じく友達のいない美少女たちと出会い、つるみ、口ゲンカしたりするものの客観的に見て、すでに友達のようにキャッキャしていたので、ファンタジーだなー、メルヘンだなー、ポエムだなーと、私の中の山城新伍(ゴースト)が囁きました。

ライトノベル原作だそうなので、巻を重ねていろんなキャラが増えていくのでしょうから、『僕は友達が少ない』のはきっと最初だけなんでしょうね。
「少ない」は看板に偽りありなので、タイトルを『僕は友達がチョメチョメ』に変更した方がいいと、私の中の新伍十番勝負が申しております。

美少女のうちひとり(もちろん友達が少ない)が、「エア友達」という存在しない仮想の友人と会話をしているのが印象的でした。

ということで今回は「友達がいない」というテーマでお送り致しますが、「ほんとは全然関係ない」ものもある上に、「書きたいから書くだけ」という、スプライトクールを飲んだ清春さんみたいな記事になっております。





自殺する前に1回だけ電話するとして、誰に電話する?


私自身も『僕は友達が少ない』の主人公のように転校経験がありますし、友達が少なく、また「友達が少ない」という属性でつながっている友人もいます。
(お互いに求めるものが違うので、2人で親友になれば解決じゃん、にはならない。世の中そんなに甘くない)

その友人とは同じ「友達が少ない」芸人として、「友達が少ないあるある」や「自殺する前に1回だけ電話するとして、誰に電話する?(家族以外で)」などのテーマトークでキャッキャいっております。

みなさんは自殺する直前に、友人に1回だけ電話するとして、誰に電話しますか?
友達が多い人なら「最後のお別れを言う一番大切な友人は誰にしたらいいだろう?」「もしかしたら自殺を止めてくれるような影響力がある友人は誰だろう?」ということでおおいに盛り上がる話題だと思います。

我々の業界では「そもそも電話する相手がいるのか?誰の電話番号を知っているのか?」「電話をかける友人がいたとして、電話に出てくれるのか?」という次元を検討する真剣10代しゃべり場と化します。
「電話したけど出てくれなくて留守電になり、メッセージ吹き込みがまだ途中なのに電話が切れ、さらに絶望を深めながら自殺」を回避することができるのかどうかを熱く語り合うのです。

まあ、少ないながらも深い付き合いのできる友人をつくることはできているのですが、「友達になれそうだな」と思った人と実際に友達になったのが2年後とか普通にあります。
そんな私から見ると『僕は友達が少ない』の主人公たちは、第1話であれだけできれば十分に友達づくりの才能があるといっていいと思う。
もう何も心配する必要がないので、2話以降を視聴するモチベーションが今のところ見つからない。
むしろ彼らには私を心配して欲しい。

それは、君じゃない。君の、せいじゃない。


そういえば『輪るピングドラム』ED曲の曲名を今まで「DEAD FUTURE」だと勘違いしていた。
つい先日、正しくは「DEAR FUTURE」だと初めて知りました。

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(2011/08/31)
coaltar of the deepers、Ringo Deathstarr 他

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作品がもつ死の未来(運命)を改変するようなイメージあたりから来た勘違いなんだろうけど、調子に乗って「DEAD FUTUREいいよねー。ねー?」とか言ってたら、私の未来の方が死んでいたところだった。
だがよく考えれば、言う相手となる友人がいないから、その心配はまったくの杞憂と気づきました。
友人がいないと余計な恥をかく必要がないという、おすすめのライフハックを現在実践中です。

OPより好き。

リッツパーティ!レッツパーリィ!


子供の頃、いつかかなえたい夢の一つがリッツパーティでした。

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ヤマザキナビスコ

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キャビアやスモークサーモンをオンザリッツしたカナッペとお酒で楽しいパーティ……をするはずが未だに実現していません。
いや、あの、キャビアやサーモンは大人だし手に入れようと思えばがんばればなんとかなるのです。
まさか「気の合う仲間」のメンバー数がこんなに足らないとは思わなかった。そっちかー、そっちかー的な。
もちろんリッツパーリィできるような部屋にも住んでないので、仲間もねえ、スペースねえ、車もそれほど走ってねえという状態ではあるんですけど。

あと「子供の頃は立食パーティを、リッツ食パーティだと思い込んでいた」という新設定を今思いつきましたので、今後は記憶を改ざんしてネタとして語っていきたいと思います。

『BLOOD-C』の奇々怪界


『BLOOD-C』は主人公の価値観が人間と違いすぎて、クラスメイトがもっとドン引きするエピソードがもっと欲しいな、と中盤頃に思っていました。

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(2011/09/28)
水樹奈々、藤原啓治 他

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朗らかに即興で歌いながら日本刀で刺しまくり、大量の返り血浴びまくって血まみれになったメガネの左右のレンズを、両手の指でワイパーのように拭きながら「メガネくもっちゃった」と円鏡師匠のように笑ってほしい。
(円鏡師匠が分からない方は、キーワード「メガネクリンビュー」と共に検索してください)

そんなことを言っていたら、そのあと虐殺ハイスクール ロックンロール(登校編)がスタート。
主人公小夜の敵である「古きもの(化物)」が学校に登校して、みんな死んだし、弁当も持ったし。
可愛いあの娘は、くるくるパーマに、長めの臓物引きずって。といった有様。

そこから恒例である小夜の堪忍袋の緒が切れて、今度は化物側が虐殺されるわけですが、そのときにはドン引きして欲しかったクラスメイトはみんな死んじゃってました。アハッ♪(Theかぼちゃワイン) The虐殺!
それまでの展開に疑問があっただけに、ビバリーヒルズ殺戮白書回は授業中の校庭に野良犬が入ってきたぐらいにテンションが上がりました。(もう褒めているのだか何なんだか分からない)

『BLOOD-C』は視聴ストレスを存分に溜めておいて、後半のターニングポイントで一気に開放するという構成になっていますが、普通は「早く何か起これよ、誰か死ねよ」と思う前に「何か起こるフリはあるけど、特に何も起こらないから見るのやめよう」にしかならないんじゃないかと思いますね。
(だってCLAMP学園探偵団先生を知っているのなら、第1話を見た時点で、喫茶店のやさしそうなお兄さんがドス黒い人間だと思わないわけがないですよ)
拘束されて強制的に見ているならともかく、TVアニメを全話見なければならない義務は誰にもないですから。

個人的には、後半までは各話ごとに(全く別のベクトルで)満足させておいて、全く逆の方向でターニングポイントを迎える方が良かったのではと考えます。
例えば、ターニングポイントまでは、主人公小夜に好意をもつ委員長のメガネ君視点で物語を進めるとか。
日本刀を持った美少女と出会うボーイ・ミーツ・ガール話、つまり『灼眼のサヤ』として進めておいた上で、最終的に小夜視点になってマスカレード(仮面舞踏会)だったと分かり、最終的にサバイバルダンス~no no cry more~という展開になるわけです。

要するに視聴者が楽しむ(興味を持つ)ためのフックといいうかレイヤーが少ないつくりなんですよね。(もちろんシリーズ構成的にそれが狙いだと仰ると思いますが)
終盤のインパクトやひっくり返しがあるからといって、前半をそのためだけに奉仕させる必要がTVアニメにあるのか私には疑問で、むしろ終盤のためには、多くのダミーレイヤーやダミードラマを展開させておく方がコンテンツとしていいのでは、と思います。

もちろん限りあるリソースをどこに配分するか、および劇場版完結までどう引っ張るかということも前提のシリーズ構成だとは思いますけどね。

ちなみに小夜も友達いない芸人ですね。友達の役割をふられて演じたキャラはいましたが、みんな死んでしまいました。

アン・シャーリーがつくる心の「王国」


ケーブルテレビ(アニマックス)にて、途中からですが『こんにちは アン ~Before Green Gables』を見ています。

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日高里菜、田村聖子 他

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『こんにちはアン』は、『赤毛のアン』の前日譚となる『Before Green Gables』を原作としたアニメーション。

この原作はモンゴメリではなく、『赤毛のアン』100周年を記念して、モンゴメリ財団から依頼された児童文学作家バッジ・ウィルソンが執筆した作品だそうです。
「世界名作劇場」シリーズ第26作として、2009年4月よりBSフジなどで放送されました。私は見る機会が無くてこれまで見ていませんでした。

主人公アン・シャーリーが両親を失ってから、マシュウとマリラの兄妹に引き取られるまでの11年間の物語で、いわば『赤毛のアン エピソードゼロ』ですね。ということは最後は、マシュウに引き取られるところかな。

前日譚ということは、グリーンゲイブルズへ落ち着く前のたらい回し時代なので、もちろん不幸がいっぱい、夢いっぱい。心の友ダイアナに出会う前ということもあり、友達にもなかなか恵まれません。
このあとに『赤毛のアン』が来ると分かっているので、何とか落ち着いて見ることができる。そんな作品です。

作中で、薄幸の少女としてのアンをひたすら見ることになるわけですが、いわばそれは『おしん』のようなもので、ドラマとしての一形態だから特に胸が痛むわけではない。
ただ、やっぱりね。不幸なアンが現実逃避の方法として、空想や物語や演劇じみたひとりごとの世界へ行くと、胸が詰まる。

アンは幼いながら、かなりシビアな現実と向き合って何とか対処しているんだけど、だからこそ一方でバランスを取るための現実逃避を必要としている。
ここでの現実逃避は、現実を先送りにして逃げるというよりは、逃げられない現実があると理解した上で、それでも何とか楽しく生きていくためのポジティブな逃避のニュアンス。
もちろんアン・シャーリーとして生来の性質もあるだろうけど、加えて境遇がそれを育てた。

アンは、現実(不幸な日常)と空想(幸福な非日常)の2つのレイヤーに、絶妙なバランスでまたがって生きている。

『非現実の王国で』を書いたヘンリー・ダーガーだってそう生きたのかも知れないし、私自身も子供の頃は、誰かに見せる予定が全くない自分のためだけの物語をノートに書いていた。
アン・シャーリーやヘンリー・ダーガーほど特別な理由も想像力も無かったが、何とか勉強机の上にある道具だけで(自分を)楽しくできないか、と考えていたことは覚えている。

誰のためでもなく、ただ自分のためだけに使う想像力。そしてその力で築く、心の「王国」が必要だと私は信じている。そこでは自分が国王となり、たったひとりの国民のために、国を統治する。
それは現実という強大なものと対等に渡り合うための対抗勢力でもあるが、「王国」を滅亡させずに、荒廃させずに、よい国に育てるのは大変むずかしい。

その点、アン・シャーリーを見ていると、心の「王国」をうまく育てることで、世界を二層化して乗り切っているところに、ぐっとくるのです。

例えば少し前の『こんにちはアン』。
アンが諸事情から、次の家へもらわれてゆき、新しい環境でつらい目にあっている頃の次回予告で「アンに新しい友達ができました」という。これはグッドニュース。
やったやったやった、よかったね、と「やったね♪マーチ」を歌いながら、次の回を見てみると、アンの友達とは、実は山びこのことでした。やまびこ…。
そう。話し相手のいないアンは、必ず返事をしてくれる聞き上手の山びこを唯一の友達として、話しかけているのでした。

これは完全にかわいそうな子です。友達が山びこなんですから。まさにエア友達です。これはみじめで、かわいそうな現実です。賢いアンはそんなこと(現実)は分かっています。
でもアンは、山びこに「ヴィオレッタ」という名前をつけて、山びこをキャラクター化して会話します。早速、自分の王国の住人にしてしまうわけです。

いわゆるイマジナリーフレンド(空想の友達)なんですが、アニメでは山びこという現象(現実)をちゃんと認識した上で、ヴィオレッタ(空想)を名付けるシーンになっており、また演出上も擬人化されたヴィオレッタの幻が見えるでなく、単に山びこが返ってきた描写しかされていません。
そのため私は、アンが意識的に世界に情報を付加して、二層化したような印象を受けました。

現実 : 山びこ(そこには山しかなく、誰もいない)
空想 : ヴィオレッタ(そこには、友達のキャラクターがいる)


世界はひとつですが、それを認識するためのレイヤーは、アンによって二層化されています。想像力で行う一種の「拡張現実」と言えるかも知れません。
拡張された現実にはヴィオレッタというキャラクターが存在していて、会話をしてくれるので、彼女は孤独で厳しい現実にも対処することができました。
もちろん小さな子供であるアンには現実を書き換える力は無いので、空想のレイヤーの方を書き換えるしかなかったのですけどね。

だから大人なら、まずは現実を修正することを考えた方がいいと思うけれど、それでも心の「王国」は必要だと思うな。世界を二層化する技術が。
世の中の大きなことから小さなことまで楽しいと思える人は、きっと世界の見え方が違うと思うけど、それを支えるのは心の「王国」による「拡張現実」だと思う。どれだけ世界にプラスの情報を付加できるか。
すべての大人にとは言わないし「王国」ばかりが豊かになってもいけないけどね。

それにしてもアニマックスには『こんにちはアン』最終回のあと、そのまま続けて『赤毛のアン』をスタートする義務があるな。と思っていたら、キッズステーションで『赤毛のアン』がスタートするらしい……。なんで?

マシュウ「そうさのう…」

いや、見れるならどのチャンネルでもいいけども。タイミング的にはバッチリだし。

マシュウ「そうさのう…」

「円都(イェン・タウン)」という拡張現実


少し話はズレますが遠慮なくズレると、想像力での「世界の二層化」「拡張現実」と書いていて思い出すのが、岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』

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三上博史、Chara 他

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"円"が世界で一番強かった時代。一攫千金を求めて日本にやってきた外国人達は、街を"円都(イェン・タウン)"と呼び、日本人達は住み着いた違法労働者達を"円盗(イェン・タウン)"と呼んで卑しんだ。そんな円都に住む、円盗たちの物語である。
Wikipedia:スワロウテイル


映画は当時に一度見たきり。まったく見直してないので内容はほぼ忘れましたが、いくつか印象深いシーンはいまだに頭に残っています。

世界観とか設定・話の枠組み大好きっ子としては、話は半分どうでもよくて、舞台である「円都(イェン・タウン)」に感動していました。
「円都」というとファンタジーのような架空の街みたいだけど、フィルムに映っているのはあくまで「東京」(正確には「日本」というべきかな)。

「円都」は共通の幻想をもつものだけに見える都。「東京」に情報(幻想)を付加することでできた世界の見え方(レイヤー)のひとつ。現実の「東京」と仮想の「円都」が同時に存在し、重なりあう。
ネーミングやいくつかの設定だけで、現実を物語にふさわしい舞台に書き換えられるんだ、と感銘を受け、ああ、こういうのをいつか手に入れたいと思った覚えがあります。

アン・シャーリーはお金に幻想とロマンを感じるとは思えないけれど、彼女だったら、東京と同時に別の世界である円都が見えるだろうか。いや、もっとすてきなものが見えるのかもしれないね。

以下、余談。
前述のとおり記憶あやふやなんだけど、確か本編中に「東京」というセリフや情報がモロに出るんですよね。
もちろん誰が見ても「東京」なんですよ。でも「円都(イェン・タウン)」という幻想(嘘)を劇中では通すんじゃないの?「東京」を撮って「円都」って言うんじゃないの?惑星ゾラという地球じゃないの?
記憶がなさすぎて、シナリオ上、幻想の「円都(イェン・タウン)」ではなく、現実の「東京」と言わねばならない必然のシーンなのかどうか全く覚えていない。
メインの三上博史(中国系の移民役)あたりが言っていたような気がするので、キャラクターや立ち位置によって世界のとらえ方が違うということで呼び方を変える、みたいなのではなかったような。

自分の記憶を信用していないので『スワロウテイル』に冤罪をかけてるかも知れないけど、「東京(日本)」を撮って「円都」で通すべき、または立ち位置で世界のとらえ方が違うことにすべき、と思ったこと自体は間違ってないと今でも思う。『スワロウテイル』がそうなっていたのなら、それはそれでよしなので、ごめんなさいします。

では最後にCHARA HEAD-CHA-LAさんによる映画のテーマ曲「Swallowtail Butterfly ~あいのうた~」を。頭からっぽの方が円(イェン)つめこめる。


今回「友達が少ない」つながりと冒頭に書きましたが、全体読み返したら、真のテーマは80~90年代歌謡曲ベストヒット(CD5枚組・通販だけの特別価格)という気もしてきた。
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