『機動戦士ガンダムZZ』を自分の中で整理しておこうとしたのですが、そのための前提となるシャアとハマーンの関係性をまとめはじめたら(いつものごとく)長文化したため、単独記事として別にしておくことにしました。

『ZZ』話のためにまとめた内容ですが、『機動戦士ガンダム』から『機動戦士ガンダムZZ』までを範囲とした「ニュータイプとその因果の中心にいたシャア・アズナブルの話」に仕立てましたので、独立した記事としても読んでいただけると思います。

では、宇宙世紀のブロックごとに分けて見ていくことにしましょう。まず『機動戦士ガンダム』から。

UC0079 『機動戦士ガンダム』


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本記事の主役であるシャアを中心にした、簡単な見取り図を作成しましたので、参考にご覧ください。
「主人公」「シャア」「ニュータイプ少女」「妹(偽妹)」という4つの要素でまとめています。
もっと要素を増やすこともできますが、複雑化しますし、本記事のテーマ的にあえて4つに絞りました。

0079

この図をご覧いただくとお分かりの通り、『機動戦士ガンダム』での4つの要素は以下になります。

・主人公 = アムロ
・シャア = シャア(当たり前)
・ニュータイプ少女 = ララァ
・妹 = セイラ(シャアの妹)


物語の主人公であるアムロと、立ちふさがるシャア。シャアが見出したニュータイプの少女・ララァ。
この宇宙三角関係は、第41話「光る宇宙」で不意にクライマックスを迎えます。

激しい戦闘の最中に、アムロとララァがニュータイプ同士の心の交流を果たします。
これはこれ以後長く続くガンダムシリーズで初めて描写された、ニュータイプ同士の深い精神のつながりです。

シャア「ララァ、奴との戯言(ざれごと)はやめろ!」


しかしシャアがこれに嫉妬し、二人の間に割って入ることで、決定的な喪失=ララァの死が発生します。

言わずと知れた『機動戦士ガンダム』の名場面ですが、この場面の成立にはアムロ、ララァ、シャアの3要素だけでなく、4要素目としてセイラ・マスも関与しています。

■ララァか、アルテイシアか


悲劇の直前、シャアのゲルググは、アムロと兄の間に割って入ろうとするセイラのGファイター(コアブースター)を斬ろうとするが、寸前でナギナタの刃を止め、相手が妹アルテイシアだと気づく。
だが、そのスキをアムロに突かれて片腕を斬られてしまい、さらにとどめを刺されようかという絶体絶命のピンチをララァにかばわれ、彼女は命を落とします。

ニュータイプ・アムロとララァによる心の交流を表現する上での対比・強調の問題だと思いますが、この場面でのシャアは、肉親であるセイラの存在に徹底的に気づかない。
赤の他人でロクに会話すらしたことがないアムロとララァが感じ合い、分かり合ったのと比べて、血が繋がっているはずのシャアとセイラの通じなさは極めて象徴的だと思う。

そもそもシャアがナギナタの刃を止めることができたのも、先にララァがセイラを感じ取り「大佐、いけません!」と止めたからに過ぎません。
しかもその後に、シャアがコクピット内のセイラを目視して「アルテイシアか!」と気づく主観のカットをわざわざ入れている(これがすばらしい)。

セイラの存在を知っていたかどうかすらも怪しいララァが先に感知し、目視でないと愛する妹に気づかない兄に親切に忠告してくれたおかげで、シャアはセイラを殺さずに済んだ。だが、それゆえにララァの死を招いた。
結果的にではあるが、シャアは、妹の命を助けることを引換にして、後に自分で母とも呼ぶ女性の命を失ったともいえるでしょう。

だがこの後の最終話、ア・バオア・クー内で、セイラをアムロ(ホワイトベースの仲間)の所へ送り出し、妹とも決別するので、シャアは一年戦争で、「ニュータイプ少女」と「妹」の両方を失ってしまった。
(ついでにいえば、姉ともいうべきキシリアも自分で殺したので、すべての女性関係を一度失ったともいえる)

大事なものを失ったシャアは、アクシズへと逃げ延び、次のフェイズへ入ります。

UC0081 アクシズ時代


かけがえなのない女性ララァと死別し、また最愛の妹であるアルテイシアとも決別したシャアは、その後アクシズで、ハマーン・カーンに出会い、恋人関係になったといいます。

この時期に関しては、物語内で直接描写があったわけではないので、あまり考えすぎても意味がないと思います。あくまで設定上の問題と考えることにしましょう。(北爪宏幸さんのマンガがありますが、最初の方しか読んでませんし、そもそも、それがあったからどうとも思わない)

ではシャアとハマーンだけの問題ではありますが、この時代の見取り図です。

0081

シャアの業が深いなと思うのは、結局この人はララァ喪失後に、ニュータイプ少女(少年も)を何人も引っ掛けることになるんですよね。

その結果から考えると、最初のひとりとなったハマーンは、一年戦争で失ったララァと妹の代用物だったように思えます。

ただ、ニュータイプ能力以外何も持たず、また持とうともしないララァと違い、ハマーンには家柄もあれば、政治能力や統率力などさまざまな才能を持っていたようです。
ハマーンは、シャアの推挙を受けてミネバ・ザビの摂政になり、政治の表舞台に立ちます。
(父シャーマン……マハラジャ・カーンのあとを継いで、アクシズの第2弾ヘッドとなったわけですね)

しかしミネバの扱いなどを原因に、シャアとハマーンは政治的に対立して、シャアはアクシズを離れたという。
ミネバという子供の教育方針に対し、夫婦である父シャアと母ハマーンが対立したような形ともいえますね。
父シャアは責任を放棄して出ていき、残った母ハマーンが引き続きミネバを育てることになります。

物語上の描写がないのであくまで推測ですが、シャアにとってのハマーンは、短い間に「妹」「ララァ(の幻影)」「恋人」「妻(パートナー)」とさまざまなポジション(あくまで構造上の配置)を取ったキャラクターになると思います。

ハマーンの方でも、築いた関係の行き着く先として、頼れる夫(大人の強い男)の役割をシャアに求めたかも知れません。
それなのに対立したシャアは家(アクシズ)を出ていってしまい、ハマーンは、残された子供であるミネバとアクシズの民の面倒を見るシングルマザーになってしまう。
ハマーンが、決定的に「大人の男」に対する不信感を抱いたとすればここになるでしょう。

そもそもハマーン・カーンはシャア無しでは存在しえないキャラクターで、彼女の行動原理は「シャア無き欠損をどうするか」ということに尽きると思う。(初登場の『Zガンダム』ですでにシャアを失っていた)
直接キュベレイでシャアの首根っこを抑えて連れ戻そうとしたり、ジュドーにシャアを感じてそれにこだわったり、シャアがいなくても一人でがんばる!と強がったりするが、どれもシャアの存在なしでは成立しない。

シャアに与えられた欠損は少女に大きな傷を残したと思われ、それは次の世代に影響を及ぼします。

UC0087 『機動戦士Zガンダム』


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では『Zガンダム』の見取り図を見てみましょう。シャアはクワトロと名前を変えて登場。
「主人公」はカミーユになるが、これはクワトロがスカウトしたニュータイプ。その意味では「ニュータイプ少女」の位置だと言ってもいい(と、言うとカミーユに殴られるけれど)。クェス・パラヤの立ち位置は「女カミーユ」でしたが、逆をいけばカミーユは「男クェス」ですからね。
ニュータイプ少女は、クワトロには引き続きハマーン。
カミーユに対しては、フォウやロザミア(偽妹でもある)、サラなど数多く登場するが、その全てが死んでいく。

0087

『Zガンダム』終盤、第47話「宇宙の渦」において、ハマーンのキュベレイとカミーユのZガンダムは、戦闘中に精神が共鳴して、深いレベルでつながる。
『ガンダム』でのアムロとララァを彷彿とさせる、ニュータイプ同士での「僕達は分かり合える」シチュエーションの再来ですね。

この場面のキャストは高いニュータイプの素養を持つハマーンとカミーユの2人だけ。
「光る宇宙」での「シャア」や「妹(セイラ)」のような要素が参加していない。
『ガンダム』で達成し得なかった、敵味方を越えて、ニュータイプ同士で心が通じ合える条件は揃っている。「光る宇宙」のその先へいけるかも知れない。

だが皆さんご存知のとおり、ニュータイプであるハマーン本人が、カミーユを拒絶します。

ハマーン「よくもずけずけと人の中に入る。恥を知れ!俗物!」
カミーユ「やめろ!僕たちは分かり合えるかもしれないだろ。ここに来るまで……」
ハマーン「黙れ!貴様もシャアと同じだ!」
ハマーン「貴様は確かにすぐれた資質を持っているらしいが。無礼を許すわけにはいかない!」


そうだった。
ニュータイプ能力があろうと、人間は分かり合えることを拒絶していく愚かな生き物なのだったな。
この場面は2人だけである必要があり、当事者である2人でないと、この絶望がきちんと露わにならなかっただろう。

私は「ニュータイプのドラマ」というのは、最初のサンプルであるララァの死の場面で基本的には終わっていると思っています。最初の機会でよくあれをやったな、と出し惜しみのなさに感動を覚えます。
ガンダムにおいて、ニュータイプという異能者を通して常に逆説的に描かれるのは、あくまで人間です。ニュータイプは人間を描くための悲しき戦争(アニメ)の道具と言ってもいい。
そこで描かれるのはもっと言ってしまえば、「人間は分かり合えない生き物だ」というひとつのテーマ。
これは人として逃れ得ない絶望だ。確かに、これを結論としてしまうなら絶望のままで終わるだろう。
だが、分かり合えないということを分かり合っていくことはできる。それが唯一の希望だ。
そのことを示すには、長い時間と多くのドラマが必要となってくる。

だから宇宙世紀では、はじめに起きた絶望を出発点にして、ニュータイプのドラマをさまざまなバリエーションで延々と繰り返していく。
ハマーンとカミーユのドラマもそのバリエーションのひとつでしかない。
ニュータイプとして心を開いた悲劇(ララァ)に対する、心を閉じた悲劇。絶望のバリエーション。

とはいえ、なぜこの場面でハマーンは心に踏み込まれるのを頑なに拒んだのだろうか。
それはハマーンの「貴様もシャアと同じだ!」のセリフにあるとおり、カミーユより以前にハマーンの心に入った人間がおり、その人は彼女を救ったかも知れないが結果的に大きな傷を残したからなんだろう。
ハマーンがこういう人間になったのは、彼女自身の性質もあるかも知れないが、シャア・アズナブルに大きな責任があると思っていいはずだ。

もちろん例えばの話だが、シャアが年上の男性としてうまくハマーンを導くことができていたら、仮に対立してもハマーンから逃げ出さなければ、彼女がカミーユを拒絶するようなニュータイプにならなかった可能性はあると思う。

そう考えれば、「光る宇宙」から「宇宙の渦」までがニュータイプのエピソードとして、物語のひとつのサイクル。
一年戦争末期、ニュータイプに夢を見始めていたシャアが、宇宙世紀はじめてのニュータイプ同士の精神の交流という歴史的な場面を、個人的な感情で崩壊させてしまった。
その後シャアは、失った妹とララァの代用品であるハマーンを得るが、結局のところ彼女を傷つけ、責任も取らず逃げだしてしまう。
さらにその後シャアは、カミーユという新たなニュータイプの素材を見つけ、シャアが見出した2人のニュータイプであるカミーユとハマーンが戦場でついに出会う。
そして、カミーユはアムロがララァにしたのを同じことをしようとして、ハマーンに、分かり合えるはずのニュータイプ本人に拒絶されてしまう……。

ハマーンによる「光る宇宙」の再演は、シャアにとって「ララァの因果に、ハマーンが報い」であり、因果応報といってもよいのではないか。

ハマーンは、その昔シャアがララァに求めたように、カミーユとの「戯言(ざれごと)」を途中でやめましたからね。
よかったですね、クワトロ大尉。ハマーンはララァと違って、あなたがいなくても戦闘中の「戯言」をやめる人間に育ちましたよ(にっこり)。

シャアは、この一連のニュータイプドラマに常に中心で関わりながら、あまりの人間らしさゆえに悲劇しか生み出せない役割を与えられています。
ニュータイプというものの可能性をあの時点で最も信じていたと思われるシャア・アズナブルが、ニュータイプ同士で起こった宇宙世紀初の交流を自らの手で壊し、さらに次世代のニュータイプ同士の出会いと拒絶にも影響を与えた、というのは運命の皮肉というほかありません。

シャアのことを揶揄する「ニュータイプのなりそこない」という言葉がありますが、その言葉はモビルスーツでの戦闘能力などではなく、この一連のドラマの主人公としてこそふさわしいものだと思います。
本当に彼はニュータイプになりそこなった。もう人間そのもので人間以外の何者でもない。私達と何も変わらない不完全きわまりない人間です。
愛されて当然のすばらしいキャラクターだと思います。

※参考
『Zガンダム』のこの場面については、TV版と劇場版で異なる部分があります(流れ自体は変わりません)。
それについては、以下をご参考になさるとよろしいかと思います。
カミーユとハマーンの交感(テレビ版と劇場版の違い) - 『だからtominoは・・・』ライナー・ノート(仮) - だからtominoは・・・

UC0088 『機動戦士ガンダムZZ』


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そして『機動戦士ガンダムZZ』。
『ZZ』についてはまた別に記事を書く予定ですし、自分の中でも整理しきっていないので、あくまで「シャアとハマーン」という今回の流れに沿ったものだけにしておくことにします。

「主人公」はジュドー・アーシタに変わります。ジュドーにはガンダム主人公で初めて「妹」のリィナがいます。

ポイントは「シャア」の不在。当初の想定では、後半に登場予定だったのですが、映画『逆襲のシャア』製作決定を受けて、『ZZ』への出演が無くなってしまいました。
「ニュータイプ少女」はハマーンが引き続き登場しますが、前述のようにハマーンは、シャアありきのキャラクター。シャア不在の物語である『ZZ』はいったいどうなっているのでしょう。

0088

見取り図を見ていただくと分かるのですが、シャアの要素は、主人公ジュドーと、ネオ・ジオンの士官グレミー・トトの2人で分け合うような形になっています。シャアの表裏をそれぞれ担当します。

ジュドーは、妹がいるお兄ちゃんで、ハマーンにシャアの気配と勘違いさせるガンダム主人公です。
グレミーは、そもそもが出演キャンセルとなったシャアの代わりを務めるためのキャラクターで、血統に支えられた金髪エリートで、ニュータイプ少女を手中にしています。

『ZZ』前半では、ジュドーとグレミーで、リィナの保護権を巡って取り合いを繰り広げます。
グレミーはジュドーの実妹リィナを手に入れることで、より本物のシャアに近づくことができます。
対するジュドーは、グレミーの支配下にあるニュータイプ少女(プル、プルツー)を解放して保護していきます。
ジュドーとグレミーの戦いは「妹(偽妹)」「ニュータイプ少女」を手に入れ、シャア・アズナブルに近づくための戦いと言ってもいいかも知れません。

ただ、シャアの半身ゆえにジュドーもグレミーも、不完全な兄ではあります。

ジュドーは妹リィナに対して、過保護な愛情を与えます。お前はオレのようになるな。幸せにしてやるから兄ちゃんのいう通りにしてろ。愛情はたっぷりですが、近視眼的で危なっかしく心配な兄です。

一方のグレミーは、ジュドーには与えることができない、豊かな生活と高等教育を与えることができます。
しかし、妹リィナに愛情を注ぐ一方で、同じような年頃の少女であるエルピー・プルを平気で戦争の道具に使うことができる兄です。
(シャアが妹セイラに与えた「過保護な忠告」が、ジュドー。贈った「金塊」が、グレミーともいえます)

不足している半身は、ジュドー自身が持つパーソナリティで補って、より強い存在になるべきなんでしょうね。

■ハマーンのシャドウ、プルとプルツー


同じように、ハマーンのキャラクターも、プルとプルツーという2人の少女に分かれています。
後期OP「サイレント・ヴォイス」にもそれを象徴させるような、プルとハマーンが重なるカットがありますね。



プルとプルツーは、ダークサイド・シャアであるグレミーに支配されています。
2人を解放していくのが、ライトサイド・シャアであり、宇宙世紀最強のお兄ちゃんであるジュドー。
それを達成したからこそ、ジュドーは最終回で、ハマーンと一騎打ちする資格を得ることができる、と『ZZ』全体を考えることができるかも知れません。

そもそもアクシズはジオンの残党の集まった小惑星で、国力も限られ、兵たちも練度も低い。
でもアクシズにはろくな大人がいない。将官も兵も(そして外部でも)多くが「ハマーン様!ハマーン様!」と呼び崇拝するが、愛染(『BLEACH』)なら「崇拝は、理解から最も遠い感情だよ」と言うかも知れない。
「ハマーン様」と呼ぶ人間は、ハマーンにとって最もどうでもいい存在だろう。必要とあればマシュマーのように強化でもして使うまで。
例えばラカン・ダカランあたりは大人に見えるが、結局、ハマーンとグレミー、小娘と小僧の間を行ったり来たりするような存在にすぎない。頼れる大人がいない。パートナーがいない。私はいつも孤独だ……。

多分、ハマーンの期待に応えられるような強い存在は、富野由悠季が言うところの「迷いを捨てたシャア」しかいない。アムロをあっという間に消し、ジュドーやグレミーもお話にならない。多分、ハマーン自体もすぐに殺し、アクシズ全軍を掌握してしまうような男。それこそがハマーンが望む強い存在。

もちろん「迷いを捨てたシャア」というのは、辞書にも「ありえないものをあらわす例え」と書いてあるので、どこにも存在しない。

でも地球圏には、強い大人の男はいなかったが、強い子供はいた。

強い子供であるジュドーが面白いのは、彼はハマーンと面と向かって、批判し、説得し、コミュニケーションをとろうとするんですよね。
実は、ジュドーにはアムロや、カミーユと同じ形でのニュータイプの交感シーンがない。
これを「ニュータイプ能力が一段劣る」ジュドーと言えないこともないですが、私はむしろ、ハマーンに対してはそんなジュドーだからこそ良かったのだと思います。
ジュドーは、ニュータイプ力で心の中に入ろうとはせず、正面から人間として対話しようとした。
ニュータイプであるがゆえに傷を負い心を閉じたハマーンにとっては、恐らくその方が好ましい存在だったと思います。

そんなハマーンの最後のセリフは、有名なこれでした。

ハマーン「帰ってきてよかった……強い子に会えて……」


エピローグでは、死んでいたと思った妹リィナが、シャアの妹セイラによって救われており、涙の対面を果たしますが、ジュドーはリィナに別れを告げて、木星に旅立ちます。
これはもちろん『逆襲のシャア』とジュドーを無関係にする意義が大きいでしょうが、妹と別れ、他者であり妹ではない女性ルー・ルカと旅立つというのは、物語の落としどころとして、それなりに意義のあることだったと思います。(このあと、ジュドーとルー・ルカの関係がどうなるかということはどうでもいい)
リィナは元より、プルもプルツーも、そしてハマーンも、妹たちはジュドーのそばにいることは許されませんでしたし、ジュドーも言い方は悪いですが、彼女らの死(リィナの死も含め)を通過儀礼としたようです。
こうも多くの少女が死なないと得られない少年の成長ってなんなんでしょう、と思わないでもないですが。

ちなみにシャアの要素をジュドーとグレミーが受け持ったり、ハマーンがプルとプルツーに分かれて、グレミーに支配されていたりするのは、永井豪『バイオレンスジャック』と思えばわかりや…す…くは全くないけど、面白いよね。『バイオレンスジュドー』。豪ちゃん世界では割りとよくあることなので。
ハマーンを飛鳥涼とした場合、ジュドーがジャック(逞馬竜でもあるけど)、グレミーがスラムキングかな?

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巻末付録など


今回はシャアを中心に『ガンダム』から『ZZ』までのニュータイプの因果を振り返ってみました。
もちろん要素を絞ったので、シャアもハマーンもここに書いたことはある一面に過ぎません。

『ZZ』については、また違った角度で別の記事を書く予定です。
『ZZ』はいまいち掴み切れなくてスッキリしないのですが、もともと外部要因などもあって歪みを内包する作品なので、歪みなくキレイに整理できたら、それはそのために何かを歪めているような気もします。
だから矛盾や不明点を抱えたままでいいかな、無理に整理しなくても、と今は思っています。

さて、各パートで使用した見取り図ですが、これを全部つなげた大きな画像を作成しましたので、巻末付録(おまけ)として置いておきます。
あくまで本記事に必要だった四要素だけですが、宇宙世紀0079~0088を一覧できますので、シャアさんの因果応報ぶりでも確認して楽しんでみてください。

※画像が大きいので縮小しています。クリックして別ウィンドウでご覧ください。
『機動戦士ガンダム』シャアを中心とした、ニュータイプ因果の流れ
子供の頃、祖父と祖母に戦時中の話をいろいろ聞きました。
それは悲惨だったり、苦労だったり、その時代を生きた庶民の視線だったり、こんな貴重な体験を聞かせてもらえる私はきっと特別な存在なのだと感じました。
今では私がおじいさん。孫に聞かせる話は、もちろん2011年の日本。
なぜなら、彼もまた、特別な存在だからです。

ただ、これからどうなるかによっては、2011年の話を孫たちにすることで袋叩きにあうかも知れない。
私は孫に袋叩きにされるような未来には決してしないことを固く決意する夢を見たような気がします。

さて毎年恒例、一年の締めくくりは本年度の当ブログ記事まとめです。

キャリアも晩年にさしかかった今、もともと少ない投稿記事数もさらに少なくなりましたので、面白い記事を厳選することもなく、全て垂れ流しの介護老人感覚で余すところなくお送りいたします。

過去記事のリンクを並べるだけでは芸がないので、紹介する記事の話をベースに通常記事と同じぐらいネタを入れていますので、記事リンク集とは思えないほどのぐだぐだとした長文を味わえる仕様となっております。
それではどうぞ。



富野アニメ関連記事(当ブログの主力)


『逆襲のシャア』にみる「映像の原則」


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落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>

富野監督の著作「映像の原則 改訂版」発売を記念した、応援記事。
私は映画『逆襲のシャア』をサンプルに、左右の要素に絞って紹介させていただきました。
私の記事を含め富野系ブログで、同時多発的に「映像の原則」を使った分析記事が公開されたのは、応援の形としては悪くなかったと思います。

今年、もっともページビューとブックマーク数をいただいた記事でもあります。
とにかく分かりやすく、というのが目標だったので画像を多用しましたが、こういう手法で記事をつくったのが初めてなので非常に労力がかかりました。いただいた反応からその甲斐はあったようで、嬉しく思います。

以前から、インフォグラフィックのような形で、富野アニメのシリーズ構成や構造を分かりやすく整理できないかな、と考えています。
例えば『ダンバイン』の地上とバイストン・ウェルの二層の世界を置いて、話数進行による世界の関わりを図式化したり、『∀ガンダム』をディアナとキエルの入れ替わりの動きと、2人がどこで何をしたかだけに絞ってまとめたり。できれば本業のデザイナーの方に美しいものをつくってもらいたいけどなあ。

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『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】とはなんだったのか


アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

こちらも『逆襲のシャア』記事ですが、「ララァ以後」のアムロとシャアの女性観を軸に、映画の最後に起こった【奇跡】とはいったい何だったのかを考えます。アクシズの軌道が変わったのは、おまけみたいなものです。

この記事の最後に「おまけ」があるのですが、父ジオンを殺し、アクシズというペニスで母なる地球を犯す「愛と幻想のジオニズム」というネタをまたどこかで書きたいですね。いや「愛と逆襲のジオニズム」かな?

ディアナとキエルの入れ替わりは、なぜ気付かれないのか


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『∀ガンダム』から見える「物語の景色」<「黄金の秋」補遺拾遺>

『∀ガンダム』記事の補遺拾遺として、いくつかのこぼれ話や連想などを集めたもの。
主なトピックは、「ディアナ妊娠説」、「ディアナ=キエル 入れ替わり完全犯罪」、「ハイム家の恐ろしさ」などです。

この記事で、受け手が見る「物語の景色」ということを書いています。

創作者が物語を生むときにその人の生き方や考え方が反映されるのと同じように、受け手が物語を通して見た「物語の景色」は、その人の生き方や考え方が反映される。つまりは世界の見え方ですね。
物語の景色は誰にも縛られない自由なものである代わりに、自分に見えてしまった景色にはきちんと向きあう必要があるのではないかと思っています。


これは物語に限らず言えることではあります。
同じ景色を見て、感動したり面白がったりする人もいれば、絶望したりつまらなそうにする人もいる。
このとき、景色そのものを変えるのと、景色を見るためのフィルターを変えるのと、どちらがコストが少なくて済むかということはよく考えます。
もちろん一人で可能なフィルター交換だけでなく、みんなで景色をより良くしていくことも両方必要ですけどね。

惑星の午後、僕らはキスをして、月は僕らを見なかった。<『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」より>
上の記事の元になった記事です。エピローグの一場面についてだけのお話。

洗脳少女と呼ばれて。洗脳少女反逆同盟


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だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>

富野アニメには、洗脳された女性キャラクターが敵として登場するという「洗脳少女」のモチーフが繰り返し現れます。こうした「洗脳ヒロイン」たちを作品別に俯瞰してみようという企画。
なぜ戦場へ出る少女は、洗脳されねばならないのか?

来年こそ『ガンダムZZ』の記事を書こうと少し準備をしていて、その要素がいくつかこの記事に含まれています。ただ『ZZ』は外部要因でかなり歪みがある物語なので、純粋に作品だけを見て何かを読み取ってもあまり利があると思えない。どうしても外部要因とセットで考える必要があると思うが、情報が乏しくてよく分からない。

特に大きいのが『逆襲のシャア』制作決定、という話は有名だけど、どのタイミングでどう影響受けたのだろうか。
『ZZ』のもともとの構想だと、後半にシャアが登場する予定となっていたと聞く。

Wikipedia:グレミー・トトを見る限りでは、

当初の予定では、番組後半には行方不明のシャア・アズナブルが再登場してネオ・ジオン内でハマーンの抵抗勢力となる予定だったが、映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』制作決定に伴いグレミーに変更された。

とある。

『ZZ』に出てくる構想だったシャアは何をするシャアだったんだろうか?
スペースノイドの代表者?地球圏に対するスタンスはハマーンと同じ?ジオンの息子としての正当性を主張する?もう地球と人類に絶望したシャア?

『逆襲のシャア』のシャアと、『ZZ』のハマーンは制作事情の根が同じだからか、同じようなことしかしていない。2人が同居するとなると、スタンスを変えるか、目的は同じまま役員会でハマーン社長の解任を行いそのまま組織を乗っ取って、ネオ・ジオン総帥になり、アクシズを落とすのか。
『ZZ』後半は『逆襲のシャア』の構図になって、シャアvsアムロ、ジュドーでTV決着する構想だったのか。

ともかく『逆襲のシャア』制作決定で、その役割はグレミーが担うことになった。
その結果、グレミーがネオ・ジオンを2つに割り、ハマーンはジュドーと戦って死に、そのジュドーは木星に旅立たせていなくなり、逆シャアの準備が整えられた。ではあとに残った『ZZ』とは一体なんなのか。

例えば「リィナの血」でリィナが死んで、ジュドーの戦う動機が一旦全てなくなり、もう少し広い視野と動機で戦うようになる(そして路線はシリアス強化になる)。これは最初からの既定路線?映画制作決定の影響?
『逆襲のシャア』関係なくても、動機の再設定は必要だとは思うけど、後半シリアスは単純に営業的な理由なのだろうか?

ただ後半シリアスにはなるけど、大人のやることを否定して、子供のバイタリティ全肯定のキッズアニメ構造は、最後まで変わらない。その意味では『ガンダムAGE』より『ZZ』の方がキッズアニメだと思う。
シリアスかコメディかどうかは雰囲気の違いであって、最後まで構造自体は変わっていない。

コロコロやボンボンのホビーマンガと一緒で、子供の「ホビー(ラジコン、ミニ四駆、ファミコン等)」に対するスタンスやバイタリティが世界を救い、大人は問題の決定的な解決には関われず、サポートするか、足を引っ張るか、立ちはだかるだけ、というのに近いんじゃないかな。『ZZ』の場合は「ホビー」のところに「モビルスーツ」が入れる。

おもちゃを売るためのコマーシャルフィルムなんだから、ホビー漫画(キッズアニメ)の構造でも問題はないんだけど、おもちゃさえ売れたら、そこに載せるお話(ドラマ)は好きにやらせてもらっていいよね?主人公ロボットと敵ロボットが戦う理由は好きに決めていいよね?で始めたのがガンダムなわけだし、当時のターゲットど真ん中の子供だった私や周りの友人は全然喜んでいなかったことを考えると、地続きの宇宙世紀で行うホビー漫画構造の難しさを感じます。

そういう意味では『銀河漂流バイファム』の方がスマート。
練習艦ジェイナス号で宇宙漂流を始めて、大人が責任果たして全員死んだあと、完全に子供しか残らない。
だから宇宙船内を探検したり、宇宙船の壁にラクガキしまくったり、横から出てきた大人の軍人よりブリッジクルーとして優秀になっていたりと、子供が自分たちの宇宙船もらったら好き放題やりたい妄想をうまく処理していました。

『ZZ』でも同じように子供たちの船ネェル・アーガマをもらうのだけど、だからといって好き放題には全くならず、結局大人のつくった枠組みで戦っているに過ぎない。もちろん、それこそがガンダムで『ZZ』で、だからこそブライトはジュドーに殴られるんだ、とは言えるのだけど。
大人全否定、子供全肯定ただし大人のつくった遊び場の中だけ全肯定といわれて、子供がそんなに喜ぶのかという話。

こういう作品ですから『ZZ』自体にはいろいろと問題があるのですが、その存在はとても興味深くて面白い。結局シャアは出演しませんでしたが、見えざるシャアを考える意味でも興味深い作品です。

ひとつだけ確かなことは、子供が大人から戦艦一隻もらうなら、ネェル・アーガマよりジェイナス号の方がいいということ。

※『ZZ』の本来の構想や、外部要因の影響やタイミングなどについてお詳しい方は何か教えてください。

「因縁」システムで考える富野由悠季ゲーム


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因果は応報し、運命は輪廻する<愛と幻想の『南極大陸』と『富野由悠季ゲーム』>

以前書いた「富野由悠季ゲーム」の追加アイデア。運命とエゴに振り回される富野アニメを「因縁」システムで考えてみました。

これに限らず、作るわけでもないゲームのアイデアを考えることが多いのですが、物語の要素を分解して、ゲームシステムを通して改めて物語を構築できないかな、ということに昔から興味があります。
だから、考えるのは常に「物語」ゲームで、実質のところ「物語」について考えているのだと思っています。

メビウス(双方全滅)の輪から抜け出せなくて<「富野由悠季シミュレーションゲーム」>
ちなみに第一弾はこちら。こちらは、富野AIガンダムパレードマーチ。

『サマーウォーズ』


『ぼくらのウォーゲーム』10年後のアンサーとしての『サマーウォーズ』


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10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

『サマーウォーズ』については公開後もずっと引っかかっており、いくつか記事を書いたあとも、いろいろと考えてきましたが、この記事で自分の中ではケリをつけました。

ちなみに映画という枠組みではボリューム的に難しいので、上記の記事では採用していませんが、いちばん見たい『サマーウォーズ』は、信州上田へ各家族が帰省する最中に「災害」が発生し、それでも何とか苦労して上田に向かうというロードムービー形式の物語です。要は「災害」の発生タイミングを早めるわけですね。

全国に散らばる家族は、上田への距離も、交通手段も、状況も違う。それを各家族の視点で目的地へ目指すさまを描く。連続ドラマ(アニメ)にして、各回で主役になる家族が違うという感じがよいでしょうか。
各家族がバラバラの中、ネットワーク上のSNSさらにその中の家族用サイト「陣内家の茶の間」に集まって、連絡や相談を取り合い、助けあう。

主人公ケンジは夏希と2人で上田に向かうが、途中で「災害」が起こり、電車が運行せず困ったり、ヒッチハイクしたりして進んでいく。家族でないのに、SNS上の「陣内家の茶の間」にも夏希の招待で入れてもらうが、その一方、家族なのに「陣内家の茶の間」に入れないユーザー、侘助がいた……とかね。

そういえば、細田守監督の次回作が発表になりました。
映画『おおかみこどもの雨と雪』。2012年7月公開予定とのことです。

今度は「親子」「育児」がテーマだそうで、流れとしては納得なのですが、だとしたらやはり『サマーウォーズ』でご自分の体験を元にした「結婚の挨拶」をしにいく映画の方がよかったように思えます。
ただ、それがそうはならなかったところが『サマーウォーズ』の面白いところで、この作品が「優しく配慮された、誰も傷つかない世界」になっていなければ、私はここまで興味を持たなかったでしょう。

ともかく次回作を楽しみに待ちたいと思います。

アニメの話あれこれ


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物語の主役になるために必要なもの<『TIGER&BUNNY』の広告とキャラクター>

今ざっと読み返してみたら、『TIGER&BUNNY』自体の話は全然してないですね。

後半にまた、軽くゲームネタがありますが、学園恋愛カードゲームはちょっとやってみたいですね。
ターゲットになるヒロインを決定し、それを落とせる主人公になれるよう、カードで役をつくる感じかな?

Matthew's Best Hit TVアニメ


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友達が少ない僕のDEAD FUTURE<想像力による世界の「二層化」「拡張現実」>

いくつかのアニメの雑多記事。『僕は友達が少ない』『輪るピングドラム』『BLOOD-C』『こんにちはアン』。
一応「友達が少ない」というテーマでつないでいるけど、実質『こんにちはアン』のことが書きたかった記事。

『こんにちはアン』は『赤毛のアン』の前日譚で、現在のところ世界名作劇場の最終作。
『こんにちはアン』放送終了に続いて『赤毛のアン』が放送してますので、見直すのは10年以上ぶりですが、改めて見るとやっぱりすごい。

第一話は、駅にアンが着いて、迎えに来たマシュウの馬車に乗ってカスバート家に向かうだけ。それだけ。しかもまだ着かない。でも退屈さは全くない。ぜいたくで豊かな時間。

カスバート家に向かう道中で、アンは通りかかった林檎並木の美しさに感動し、これを「よろこびの白い道」と名づけ、マシュウにも以後そう呼ぶようにすすめる。
マシュウは林檎並木がキレイなことは知っていたがそれだけで、日常の風景でしかなかった。まして「よろこびの白い道」なんて。

アンは場所や人の名前が気に入らないと、もっとすてきな名前と空想を加え、より魅力的になるように改変する。現実に自分で情報を付加して価値を増やす、という感じだろうか。
現実が面白くなければ、自分で情報を付加して面白くすればいい。
高杉晋作と気が合いそうなアンは、逆にいえば平凡で面白みの乏しい日常では我慢できないということでもある。

馬車ではひたすらアンがおしゃべりして、寡黙なマシュウはひたすら受身で聞き役になるが、アンの想像力と現実改変能力は、涼宮ハルヒみたいなものだな。
アニメ『赤毛のアン』では、マシュウ自身によって内面(モノローグ)は語られず「そうさのう」だけだが、マシュウ視点にして内面(「やれやれ」)を語れば、マシュウはキョン君になると思う。

マシュウは優しいが、内気で女性が(女の子ですら)苦手な独身男性で、でも、そんな彼にも初対面から屈託なくおしゃべりなアン・シャーリーはなぜか大丈夫だったというところが、なんというか面白い。ライトノベル主人公っぽい感じ。
男の子とまちがいでアンが来たのに、そのことが言えないまま自宅へ連れて帰って、それを結局マリラに言わせるところも。

アニメソング民俗学


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記憶にしかないものを、記憶しておく方法<口承としてのアニメソング>

子どもの頃、もう二度と見ることができないと覚悟していたCMや歌を、現在、検索してわりと簡単に探すことができる。本当にすごいと思うが、その少しだけ前。検索できない時代はどうしていたか、という私の子ども時代の話。

子どもの頃だと英語歌詞がネックになってくる。仮に歌詞が表示されていても読めなかったりして、結局何となく音で覚え、そのまま月日が経ってさらに記憶があやふやになっていく。
だから『スペースコブラ』OPも適当な日本語で憶えていたりして、全く原型を留めていない。

この流れで『百獣王ゴライオン』OP「斗え!ゴライオン」には英語が入っていると思い込んでいた。
英語が少し分かるようになった中学のころ、友達と「Give up say」じゃない?とか、いや「Keep up なんとか」じゃない?と話し合っていたのだが、実際の歌詞は「ギブアップせい」であり、逆に分からんわこんなの。

Twitterまとめ記事


大人が子供を守るゾンビゲームとメタ必殺技・鳳凰幻魔拳


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ゾンビと、コブラと、鳳凰幻魔拳。<はてしなく、どうでもいい日々【twitterまとめ】>

ゾンビゲームネタから始まって、昔考えていた「大人が子供を守るゲーム」のアイデア。
今年はゲームネタが多いですね。ゲーム1本も買ってないくせに。脳内ゲーム機で遊ぶしかないという貧乏な子供のようだ。

後半は、『聖闘士星矢』のフェニックス一輝がもつ、メタくてすばらしい必殺技、鳳凰幻魔拳のお話。

スキスキ、スキトキメキトキス、あいしてる


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Twitterでのネタを並べたもの。それなりに面倒な手間がかかる割に面白くないので、この形式では二度とやらない。ツイート自体は、いつも記事の元ネタや要素の一部にはなっているので、それでいい。



2011年の記事は以上です。

このブログは2008年夏にはじめましたので、期間にして約3年半。来年は4年目に突入します。
いつも長文で申し訳ありません。全部きっちり読まなくてもいいようにはしているつもりですので、面白そうなところだけ読んでいただければそれで構わないと思います。(例えば、まさにここも読まなくても済むところ)
私がそもそも読む側として長文記事が好きなんですよね。ブックマークもひとつで済むし。

今年お世話になった皆さま、記事を読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。
このブログの半分は皆さまの応援で出来ており、あとの半分はFC2ブログの未投稿一ヶ月で広告が強制表示される仕様に支えられてできています。
来年も同じようなペースだと思いますが、メルヒェンあふるるポエムを書いていこうと思いますので、よろしくお願いいたします。

それでは皆さま、よいお年を。
来年はより多くの人々に幸せと感じる脳内物質が分泌されんことを願って。
富野アニメには、洗脳された女性キャラクターが敵として登場するという、「洗脳少女」のモチーフが繰り返し現れます。

例えば、『機動戦士Zガンダム』の強化人間、フォウ・ムラサメ。
フォウを見てわかるように、彼女たちは大人の都合によって精神を歪められ、心を閉じ込めた巨大なマシンに乗り、多くは悲劇的な結末を迎えることになります。

今回は、そうした「洗脳されたヒロイン」を作品別に俯瞰してみようという企画です。



富野ロボットアニメ 洗脳少女の系譜


では、富野ロボットアニメでの「洗脳少女」たちをひとりづつ見ていきましょう。

本当はちゃんと俯瞰して分析すると、何か面白い見地が得られると思うのですが、このために作品を見直すこともなく、順に記憶頼みで思い出すという「洗脳少女思い出語り」になってしまっています。
並記されたメモでしかなく、全体を貫く芯のようなものがありません。
(それでも公開するのは、一ヶ月未投稿で表示されたFC2広告を消すためです)

毎度ながら本文が長くなってしまったので各少女たちのもとへアクセスできるページ内リンクを用意しました。
興味のあるキャラクターだけ、つまみぐいしていただいてもかまいません。また洗脳少女がいなくても言及している作品もあります。

『戦闘メカ ザブングル』

『重戦機エルガイム』

『機動戦士Ζガンダム』

『機動戦士ガンダムΖΖ』

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』

『オーバーマン キングゲイナー』

『機動戦士ガンダム』


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洗脳ヒロイン:なし


一年戦争の中で、何人かの女性達が男のために死んでいくけれど、洗脳されて戦ったわけではない。
ランバ・ラルに対するハモン、ガルマに対するイセリナ、そしてシャアに対するララァ。
いずれも正規の軍人ではなく、戦場に出た理由は男で、彼女たちにはジオンの大義など何の意味もない。

後年のガンダム洗脳少女の構図にもっとも近いところにいるのはララァ・スンだろうか。
シャアに拾ってもらった恩。ただそれだけのために戦場に出て、連邦の戦艦を次々に落とす。彼女には思想も大義もない。おそらく彼女自身がそれでいいとした。だが何か考えを植えつけられたわけではない。

宇宙世紀昔話「白鳥の恩返し」

一羽の白鳥が、自分を救ってくれた青年の前に美しい娘のすがたで現れ、こう言いました。

ララァ「ガンダムを倒すおてつだいをさせてください。あなたは私が守りましょう。でも約束してください。ひとつは今日からノーマルスーツを着ること」
シャア「うん。ララァがそう言うのならな」
ララァ「そしてもうひとつ。けして、戦闘中の思考はのぞかないでくださいね」

青年はキスでそれに答え、ふたりは仲むつまじく暮らしました。

しかしある日のこと。ガンダムとの戦闘中に青年はのぞいてしまったのです。

シャア「ララァ!奴とのざれごとはやめろ」
ララァ「けしてのぞかないでといったのに。見られたからにはもうここにはいられません。ああ、アムロ……時が見える……」

娘は白鳥の姿に戻って、天に還ってしまいました。
青年は死ぬまで寝言でつぶやくほどに、たいそう悔やみ続けたそうな。

<おしまい>


これはもちろん単なるおふざけですが、元ネタの鶴女房(鶴の恩返し)が、人間と人でないものが結ばれる異類婚姻譚であることを考えると少し面白いかも知れません。

人(シャア)に、人とは少し違うものであるニュータイプ(ララァ)が嫁いで一刻の平穏を得るが、人であるがゆえにそれを失ってしまうという話として。

『戦闘メカ ザブングル』


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洗脳ヒロイン:エルチ・カーゴ


エルチ・カーゴは、交易商人カーゴ一家の跡継ぎにして、アイアン・ギアーの艦長。物語のヒロインのひとり。
物語中盤で敵に拉致され洗脳を受け、敵キャラクターとして主人公ジロン達の前に再登場する。その後、その身は奪還され、治療を受けることで洗脳が解かれ、再び味方へ戻る。

私が幼少時に初めて見た富野洗脳ヒロイン。そういう意味で非常に思い出深い。
特徴は、もともと味方側のキャラクターが洗脳され敵となる点と、一次的に洗脳が解く方法があるところ。
洗脳時のエルチは、ジロンに強い敵対心を抱くが、ジロンがキスをすると一時的に洗脳が解ける。
よって戦闘中には、エルチはジロンの命を狙い、ジロンはエルチへのキスを狙うという、キス・オア・ダイが発生する。

子供の頃、この「キスすると洗脳が解ける」というギミックに、相当ドキドキしていたのを今でも覚えている。
単にキスシーンだからというのではなく、洗脳された少女に唯一の望みとしてキスして正気を取り戻させるというシチュエーションにドキドキしていたはずです。しかも、主人公ジロンのキスでも決定的にエルチを取り戻すことはできないという。

なんでしょうね。自分に近しかった少女が敵に捕らわれて(洗脳によって)心変わりするというのは、ある種のNTR(寝取られ)みたいなものなので、それにドキドキしたんだろうか。

その流れで想い出深いのは、漫画『ブラックエンジェルズ』でもジュディ(ヒロイン)が敵につかまったとき、普通にボス(しかも単なる影武者)にレイプされてたこと。
あの頃は、週刊少年ジャンプのヒロインが敵に拉致されてレイプされているという時代だった。時代のせいなのか平伸先生のせいなのか知らないが。ザブングルと並んで幼少期の自分にはショッキングな出来事だった。

話を戻して、あと印象的なのは、洗脳が解けたエルチが、自分を洗脳した女性科学者(Dr.マネ)を許すところでしょうか。
洗脳を指示したのはもちろんカシム・キング(男性)なのですが、直接洗脳を施したのはこの科学者(女性)です。でもエルチは彼女の命乞い(弁明)を受け入れるんですよね。

富野洗脳ヒロインを考えるとき、誰が洗脳したのかと、もうひとつ、直接的に少女と関わったのが誰なのか、というのもちょっと注目ポイントとしてもいいかも知れない。
男性による少女洗脳のプロセスの中で、『ザブングル』のように少女と同じ女性が洗脳に関わるパターンもある。

エルチは生存するが最終的に光を失うので、「結局、悲劇的結末じゃないか」と思う人もいるかも知れないが、「みんな走れ」を見た私はそうは思わない。
だから『ザブングル・グラフィティ』のアレは個人的には蛇足だと思っているけど、お祭り劇場版であのノリが許されないとも思わない。(ガンダムでああいう事をすると「どちらが正史か」「歴史の上書き修正」になるが、『ザブングル』では全く無縁のことだ)

『聖戦士ダンバイン』


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洗脳ヒロイン:なし


地上と異世界バイストン・ウェルが交錯する作品なので、違う世界へ飛び込むキャラクターを使って、洗脳ヒロインを出せないことはない。
例えば、主人公ショウなんかは、見知らぬ世界であるバイストン・ウェルに召喚され、事情も分からぬままドレイク達の話をそのまま鵜呑みにしてダンバインに乗っています。非常に危なっかしい。
またそれとは逆パターンで、地上人ショット・ウェポンが音楽教師だったミュージィー・ポーを自分の開発したオーラバトラーに乗せたような、後のシロッコのような方法も考えられます。

しかし聖戦士はドレイクの野望に一方的にそそのかされただけでなく、本人自身の自己実現のためにオーラバトラーに乗るような、win-winの関係でしたのでもちろん洗脳ではありません。
またショットは普通にミュージィーを大事な人だと認識していました。ショットはどうもパーソナリティとしては常人並というか、キャラクターとしての個性が弱く、普通に人を愛せるようです。
ショット・ウェポンのキャラクター性を大幅に強化したところに、パプティマス・シロッコがいると思ってもいいかも知れません。

小説『オーラバトラー戦記』は未だに読んでないのですが、こちらは記憶をなくした地上人のヒロインが主人公に敵対するようなことを聞いた気がします。これは洗脳少女に近いキャラクターなのでしょうか。
もしそうならTVアニメである『ダンバイン』にこそ出ていませんが、個人創作の意味合いが強い小説だと結局出てるわけですね。洗脳ヒロインが。

『重戦機エルガイム』


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洗脳ヒロイン:クワサン・オリビー


クワサン・オリビーは、主人公ダバ・マイロードの義妹にして婚約者。
マインドコントロールされた状態でいきなり敵として登場し、最終回で精神崩壊したオリビーを連れて、ダバが皆から去っていくところでこの物語は終わります。
原作のベース(主に永野護成分かな)のひとつである『スター・ウォーズ』に例えると、
帝国を打倒したものの、最終的に精神崩壊したレイア姫(オリビー)の面倒を見るために、英雄ルークが皆の元を去り、ハン・ソロ(ギャブレット)もイウォーク族と共にそれを見送って終わるという感じでしょうか。

ポセイダルのくり返しにならないために、英雄ダバは新世界構築から距離を置く必要がありましたが、オリビーがその理由として使われた形でしょうか。(同時に、アム、レッシィの両ヒロインのどちらも選ばない理由付けでもある。)
バイストン・ウェルの聖戦士もそうですが、強すぎる救国の英雄はその後の治世では不要な存在になるので、英雄のまま物語から消えねばなりません。

エンディング分類という意味では、表舞台から姿を消し、保護者として隠遁するパターンとして『∀ガンダム』の系統に連ねることができるかも知れない。

クワサンは主人公と深い関わりがあるものの、エルチと違い、前半の元人格での活躍→洗脳描写→全く違う人格へ、というプロセスが無かったためどうしても印象が弱かった感があります。
はじめから洗脳少女として登場するのであれば、一定以上のエキセントリックさは必要で、それはこのあとの少女たちで実現されていきます。

洗脳少女としてのクワサン・オリビーのルーツがどこ(誰)にあるか分からないが、次作品『機動戦士Ζガンダム』ラストにおいて、『エルガイム』とは真逆に、今度は幼なじみの女の子が精神崩壊した主人公の面倒を見ることになろうとは当時は知る由もない。

あと全然関係ないけど『エルガイム』といえば『仮面ノリダー』だよね。主に音楽面で。
世間的にはジョッカーの曲として認知されてそうだけれども。

『機動戦士Ζガンダム』


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エルチ、クワサンを経て、やってきました洗脳少女パラダイス。

洗脳ヒロイン:フォウ・ムラサメ


この記事でとりあげる洗脳少女の中で、恐らくもっとも知名度があるキャラクターだと思われるので、ひとつの分かりやすいサンプルになるかも知れない。

彼女はティターンズの兵士にして、人工ニュータイプである「強化人間」ですが、敵として戦う前にカミーユに出会うというのは、アムロとララァと同じですね。
そのあと、12時までのシンデレラデートでキスまで行ってしまうのが違うところ。フォウはララァと違って何もない少女なので、事前にそこまでしておかないとドラマにならない。

名前も記憶も何も持っていないフォウは、それを取り戻そうと巨大なモビルスーツ・サイコガンダムに乗り込み戦います。
ガンダムの強化人間少女たちは、少女のイメージとは真逆な、いかつく巨大なマシンに乗り込むことが多いですが、これは彼女たちが囚われている心の「城」と思ってもいいでしょう。アイデンティティに悩み、自意識が肥大した少女ほど城は堅牢巨大となり、巨体を少し動かしただけで周りを傷つけてしまう。
籠城している彼女たちを解放するために、ガンダムの主人公たちは攻城戦に挑む(コクピットを開けようとする)のですが、なかなか容易ではありません。

ララァにとっての天秤は、救ってくれた隣にいる異性であるシャアと、敵MSのコクピットにいながら精神的につながったニュータイプのアムロでした。人と人の天秤。

フォウにとっての天秤は、過去の記憶と、カミーユとつくれるかも知れない未来。

洗脳ヒロイン:ロザミア・バダム


地球連邦軍のオーガスタ研究所で調整を受けた強化人間。精神調整と共に体も強化されている。一年戦争時のコロニー落としが精神に大きな傷を残しており、ティターンズはそこを利用しエゥーゴを敵と思わせるようローレン・ナカモトに精神操作させた。(Wikipedia:ロザミア・バダム


フォウと同じ強化人間。物語前半にも登場するが、後半にカミーユを兄と思い込むよう洗脳されて再登場する。

ちなみに今回初めて、Wikipedia:ロザミアの項を参照したのだが、ロザミアは17歳という設定だそうで驚いた。カミーユと同年齢?
私は24歳ぐらいだと思っていた。20歳すぎの女性がカミーユを「お兄ちゃん」と呼ぶ方がいとしさとせつなさとグロテスクさとが高まってよいと思うので、今後も私の中では24歳ぐらいのイメージにしておこうと思う。(ケンシロウ「お前のような妹がいるか」)

このあとさらに記憶を操られ、カミーユでなくティターンズパイロットのゲーツ・キャパを兄と思い込まされる。
いわば三段階で精神が変質させられたキャラクター。

兄役のゲーツ・キャパを演じるのが矢尾一樹というところが味わい深い。
後番組である『機動戦士ガンダムZZ』において、彼はジュドー・アーシタという宇宙世紀最強の兄を演じることになる。

個人的にはフォウよりロザミア(ロザミィというべきか)の方が印象深いので、「永遠のフォウ」より「ロザミアの中で」の方がくるものがある。
カミーユのセリフ「かわいそうだが、直撃させる!」が忘れられない。
これしかロザミアにしてあげられることがない。全く救いがない。

今から振り返ると『BLACK LAGOON』の双子ヘンゼルとグレーテルが思い起こされる。

ロック「くそ。くそッ。畜生ッ!…なんて……なんてことだ、あんまりだ……
……みんなが寄ってたかって、あの子を虎に仕上げたンだ。人食い虎にしちまったんだ!!ちきしょう!!」

ベニー「……ロック。ああいうものを、真っすぐ見るな。ここはそういう場所で――それが一番だ、それしかないんだよ、ロック。」
ロック「…………俺が――」
ベニー「あの子を養うか?無理だ。あの子は殺しをやめられないよ。」

ベニー「……誰かが、ほんの少し優しければ、あの子たちは――学校に通い、友達を作って、幸せに暮らしただろう。でも、そうはならなかった。そうはならなかったんだよ、ロック。だから――」

ベニー「この話はここでお終いなんだ。」


洗脳ヒロイン:サラ・ザビアロフ


パプテマス・シロッコ子飼いのパイロット少女。
フォウ、ロザミアが研究所によって科学的に強化・洗脳されているのと違い、サラはパプティマス・シロッコへの心酔によって成り立っている。彼をパプティマス様と呼び「シロッコと健康のためなら死ねる!」と思っている。

シロッコは、新しい世界をつくるのは私ではなく女性だ、と言う建前のもとに女性を支配する男。
機械的な洗脳や刷り込みをするまでもなく、少女サラは自分を導いてくれるパプティマス様に心服しており、シロッコのために死ぬどころか、精神体になっても彼をかばうほどです。

サラといえば、カツを手玉にとり、さんざん利用したことも印象深いですね。
以前も書きましたが、アムロの活躍を見て育ち、ニュータイプに憧れたカツは当時のガンダム視聴者である少年(私)そのものです。
しかし、カツはニュータイプを間近に見ていただけの普通の人なので、ガンダムに乗れるわけでも、ニュータイプ少女との出会いと精神の交流があるわけでもありません。ありていに言えば「主人公」ではない。

だからアムロやカミーユのようにニュータイプ少女と接触しても、ただ純粋に騙され、利用されるだけで終わる。
(「あなたって、いい人ね」ぐらいには思われるけれど)

私が本放送『Ζガンダム』を見ていたとき、カツよりさらに年下でしたが、カツの言動とその結果にはショックを受けたのを憶えています。
一年戦争を戦い抜いた(視聴していた)幼い少年が、カツを見てのリアクションは、私のように打ちのめされるか、ひたすら嫌悪するかどちらかだと思う。このふたつは、リアクションの表現がちがうだけで根は同じ。

もちろんこれはあくまで子供の反応で、大人になってから(つまりカツより年上になってから)、初めて『Ζガンダム』でカツを見た人の中には、「うざい。でしゃばり。無能。カス。死ね」としか思わない人もいるでしょう。
そうした主人公クラスの力を持った偉大な方とは、残念ながら友達になる予定がないので、それはそれで別に私はかまいません。

個人的には『逆襲のシャア』ラストで、アムロと普通のパイロットたちが同じ行動をしたときに、このあたりの問題は解決されたように感じています。
そのあたりのことは、以下の過去記事をご参照ください。
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

サラよりカツの言及の方が多くなってしまいましたが、それは私がサラ側でなく、彼女と接触したかった少年側だったので仕方のないところかも知れません。

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洗脳ヒロイン:キャラ・スーン


ネオ・ジオンの女性将校で、前半はマシュマーの監視役として登場。その後、ジュドーたちに捕まり、アーガマで掃除・洗濯などをした時期を経て脱走。
アクシズに戻ると、強化されて再登場する。強化が不安定らしく、ジュドーに会うと昔の人格を取り戻したりする。

「洗脳(強化)されたけど、少女じゃないよね?」とのご意見はごもっともですが、設定上は23歳らしいのでそんな年増でもない。この後に控える、プル、プルツーとの平均年齢で少女ということにしてほしい。

マシュマーといい、キャラといい、『ΖΖ』後半の路線変更の象徴のように強化され人格が変わり、周りのシリアスさと釣合いと取ろうとしているが、その実、存在の滑稽さ自体は変わっていない。
キャラに関しては、アーガマ捕虜時代に掃除・洗濯など家事をやらされるなど、うまくキャラクターを回せば面白い存在になれる可能性もあったと思う。
しかし、アーガマは子供だけの船にされていくので、23歳のキャラはそこに居続ける資格を失わされてしまった。

このあたりのことは、いつか書きたい『ΖΖ』記事でいろいろと触れたいと思う。

洗脳ヒロイン:エルピー・プル


アクシズのニュータイプ少女。天然ではなく科学的に生み出されたニュータイプ。
精神的にはガンダムへの敵意などを刷り込まれている。グレミーの支配下にあったが、ジュドーにひかれて離反。のちにもうひとりの自分であるプルツーと対立する。

兄(ジュドー)を求めるプルは、ハマーンのシャドウでもある。幼く素直なプルは、心の求めるままにジュドーの元へ行くことができた。

私が『ΖΖ』でもっとも好きなシーンは、第28話「リィナの血(後)」のラスト。

この回でジュドーは、自らの戦う動機である囚われた実妹リィナを助け出したが、ジュドー不在時にプルが嫉妬を爆発させ、リィナが受けて立ち、妹同士の戦いが始まる。
このときのプルがリィナに向けて言ったセリフをいくつか拾ってみましょう。

プル「私には親も兄弟もいないから……だからジュドーが欲しいんだよ!」
プル「なのに…リィナはいいよ。あんたは黙っててもジュドーにかわいがられて。アクシズに来たらグレミーにかわいがられて。……あたしなんて、毎日毎日変な機械を頭にかぶらされて!」
プル「ジュドーをちょうだい、ちょうだいよ!あんたはいっぱい幸せだったじゃない!」
プル「今度は私が幸せになる。だから……ごめん!」(殺意を持って、リィナの首を絞める)


ここでジュドーが間に入り、リィナとプルの二者択一でなく、3人で兄妹になればいいと取りなし、プルも納得します。

こうして言葉にすると、うまくまとまったように見えないこともないですが、画面を通じて感じるのはむしろその逆。血の繋がった実妹の圧倒的な優位性。
プルの言葉にあるとおり、リィナは無条件でジュドーに愛される、代わりのいないオンリーワンの存在であることがプルと並べることで改めて浮き彫りになります。

そしてこの回のラスト。リィナが隠れていた小屋に、戦闘中の敵モビルスーツが墜落する。
妹を失い、炎上する小屋の前で呆然と立ち尽くすジュドー。涙を流すジュドーにプルが言う。

プル「ジュドー、アーガマに戻ろうよ。……今日から私がリィナになってあげるから


それを聞いたジュドーは無言でプルの頭を小突く。プルは押されて地面にへたりこみ、号泣。
この回はプルの泣き声で終わる。

結果として、リィナは消えて、プルの望んだとおりの結果(兄の独占)になったわけだが、プルは何もうれしくてこのセリフを言ったわけではない。
彼女もリィナの死を悲しんでいて涙を流している。このセリフは純粋にプルなりのやさしさや思いやりで言っているはずだ。
でも、目の前で最愛の肉親を失った直後というか真っ最中(炎上中)の人に言うセリフではやっぱりない。
やさしさの形が、どこかいびつで、それが本当にやるせない。

ただそんなプルも、死の直前にはジュドーをじっと見つめて「ジュドー……好きだよ」とつぶやくなど菩薩化しており、妹(リィナの代わり)ではない何かになっていた。

ちなみに「リィナの血(後)」の次回は、ジュドーがアーガマに帰還し、コアファイターのコクピットに閉じこもるところから始まる。
アムロもカミーユも現実での1週間をまたいで立ち直り(を要求され)、連続アニメの主人公の責務を果たすしかなかったが、ジュドーは思い切り引きずった。

リィナの死によって、「主人公の動機(目的)」が全てなくなって、ジュドーが戦う意味がゼロになった。
ここで動機の再設定が行われて、ジュドーの戦う意味もここを境に変わる。そのきっかけになったのがルー・ルカ。

ジュドーに強い関心を持つ女性のほぼ全てが、彼の妹になろうとするのとは違い、彼女だけが妹になろうとはしない。
その意味で、ルー・ルカが動機の再設定のトリガーになること自体は正しいと思うけれど、もう少し良い形で処理できなかったかなと思わないでもない。

さて実妹リィナに代わりはおらず、プルはリィナが死んでも本当の妹になることはできない。だが、プルには代わりがいる。それも11人(11人いる!)。
そのひとりが、プルツー。

洗脳ヒロイン:プルツー


プル・クローンのひとり。プルがジュドーの元へ去ったあと、グレミーにより目覚めさせられ、ガンダムと戦う。プルより好戦的で攻撃的な性格が強い。

プルが言っているとおり「もうひとりのプル」だが、プルがハマーンのシャドウであることを考えれば、プルツーもハマーンのシャドウ。
ハマーンの人格を、プルとプルツーの2人に分けたとも言える。『ドラゴンボール』の神様とピッコロ大魔王のような感じでしょうか。
プルは天真爛漫で素直に感情を現し、自分の心が求めるままにジュドーの元へと赴くが、プルツーはより理性的で冷静であると共に、攻撃的。ジュドーの説得にも頑なに応じず戦い続ける。だがプルツーもジュドー(お兄ちゃん)大好き。それを理性で最後まで我慢し続ける。

ここでハマーンを語らないわけにはいかないが、彼女は洗脳少女というわけではないし、恐らく長くなるのでこの辺りのことは別の記事で改めてまとめたいと思う。
トピックは以下のようなものになるんじゃないかな。

・ハマーンとシャアの関係。
・ハマーンの2つのシャドウ(プルとプルツー)
・シャアの2つのシャドウ(ジュドーとグレミー)
・ジュドーと4人の妹(リイナ、プル、プルツー、ハマーン)による妹大戦
・妹でない女性ルー・ルカ

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』


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洗脳ヒロイン:クェス・パラヤ


地球連邦軍参謀次官アデナウアー・パラヤの娘。父の愛人とは険悪で、家を飛び出すが、最終的にとびこんだ先がよりによってシャアの胸の中だった。

洗脳少女というカテゴリとは少しずれるかも知れないが、シャアの戦争の道具として死んでいった少女。
シャアの「来るかい?」に引っかかると、本当にろくなことがない。

富野監督の想定どおり、立ち位置は女カミーユですが、そういう女性がシャアに接するとこうなってしまうという見本のような人。
カミーユは女みたいな名前かも知れないけれど、まぎれもなく男なので、クェスのようにはならなかった。

クェスはシャアの「娘」と「恋人」をやろうとし、「大佐、あたしララァの身代わりなんですか?」のあとは「母」もやろうとするが、裏返せばシャアに「父」と「恋人」と「息子」の役割を求めることになるので、もちろんシャアは戦争の道具以上の扱いにはしなかった。

クェスは高いニュータイプの素養を持つはずだったが、シャアの心の中は結局表面しかのぞけていない。
それは彼女が未熟なのか、それともシャアが悪いのか。

『機動戦士ガンダムF91』


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洗脳ヒロイン:なし


少女という意味ではヒロイン、セシリー・フェチャイルドが最初に思い浮かぶ。
主人公シーブックの通う学園のヒロインであり、敵方クロスボーン・バンガードの姫君でもある。
祖父マイッツァーに実家であるロナ家に迎えられ、シーブックが死んだと思っていた経緯もあり、ベラ・ロナとしてクロスボーンのアイドルを引き受ける。
だが、さまざまな事情があるにせよ、これは葛藤の上のセシリー自身の決意であり、洗脳とは違う。
だから戦場でシーブックと交戦し、彼が生きていることを知った際に、彼女は再び自分の意思でセシリーに戻ることを決断した。
(セシリーの母ナディア、シーブックの母モニカ、アンナマリーも含めて、女たちは自分の意思で生きる場所を変えるが、男たちは自分のポジションを変えずに守り続ける)

では従来の「洗脳少女」のポジションを与えられたのは誰なのかといえば、それはもちろん鉄仮面カロッゾ・ロナだ。
セシリーの父であるカロッゾは、義父マイッツァーに従って期待に応えていくが、妻に逃げられ、鉄仮面をかぶり、自ら強化手術を受けるが、成長した子にも否定される。
彼は優秀で、義父にも忠実だったが、彼に与えられた仕事は「過剰人類を効率的に処分すること」。
だがマイッツァーが、セシリーを探し出しクロスボーンのアイドルに迎えたことから分かるように、半分マシンの義子は便利ではあるが、本当に欲したのはマイッツァーの血をひいた若く魅力的な女性だったのかも知れない。コスモ貴族主義(の理想部分)を体現できる存在。
カロッゾの花が機械じかけの宇宙の妖華ラフレシアだったのに対し、セシリーの花が瑞々しさを残した生花(切花)だったように。

いわゆる「洗脳少女」ポジションが、女性でなく男性(しかも中年)で、しかも自分で自分を洗脳(強化)していくというのがこれまでに比べて面白いとは言えるかも知れない。
それが肉親である実子にも拒まれれば、そのまま破滅にまで進むしかない。つくづく男というものは度し難いな。

ここではお題の洗脳少女に無理やりからめて書きましたが『機動戦士ガンダムF91』という作品自体は、PSB1981さんの記事を読むのがよろしいかと思います。

偽史同士の抗争=ガンダムF91という物語
http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20110211/1297406715

『機動戦士Vガンダム』


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洗脳ヒロイン:なし


カテジナ・ルースとか、ファラ・グリフォンとか、両親の教育によってつくられた主人公ウッソが、とか無理やりお題にからませて書けないことはないけれど、もういい加減疲れたのでやめます。いちばん従来モデルに近いのは、ファラ・グリフォンだろうか。

メモとして書いておくとしたら、洗脳兵器エンジェル・ハイロゥが登場したことぐらいかな。
赤ちゃんが生まれたら、ベビーベッドの真上にエンジェル・ハイロゥを吊るしておくと良いと、ばっちゃが言ってた。

そういえばエンジェル・ハイロゥは強力な精神波を発信しますが、そのときのポワワン的なSE(効果音)は、このアニメ独自のものでなく、いわゆるライブラリとして色んなアニメに使われてるものです。恐らく皆さんもどこかで聞いたことがあるに違いありません。

私にとってこの効果音で思い出すのは『ミンキー・モモ』。
本放送時に初めてエンジェル・ハイロゥの精神波が流れたときは「アダルトタッチで大人になるどころか、シャクティのドリミン波で逆に赤子に!」と、どっきんハートにまばたきショットでした(びっくりして目をパチクリした程度の意)。

『オーバーマン キングゲイナー』


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洗脳ヒロイン:シンシア・レーン


本名はシンシア・ウェラ・レーン。 18歳。
オーバーマン乗りの少女で、キッズ・ムントの秘蔵っ子。
趣味で遊ぶゲーム・オーバーマンバトルでは連続200回対戦チャンプの「クィーン」の称号を持つ。本人が登場するのはずっと後になってからだが、ゲーム内では第一話から登場。シンシアを倒したゲイナーが「キング」となった所から物語は始まっている。(Wikipedia:OVERMANキングゲイナー


『キングゲイナー』は最近の作品だけど、本放送以降の見直しがないので、あまり詳細を覚えていない。
また見直したときにでも、ここの記述をアップデートしておくことにします。

ただ、ここまで時系列で見てきたとおり、近年はモロ洗脳少女みたいな敵は出てきていなかったので、物語後半のシンシアを見てたときは、正直いうと最初に「またか」と思った。そして二番目に「あんたも好きね」と思ったのは覚えている。

ドミネーターに乗ったシンシアに「甘い、甘いよ、チョコレートより!」と襲われたら、チョコラテをここに置いていく(『BLEACH』における「甘さは捨てろ」の意)しかない。

雀の子 そこのけ そこのけ お馬が通る(小林一茶)
雀の子 チョコラテ チョコラテ おいてゆけ(小林一護)

いやチョコラテはどうでもいい。富野監督の作品が(残念ながら)増えていっていない今、シンシアが最新の洗脳少女ということになるでしょうか。最後の洗脳少女になるかどうかは分からない。

まとめ:洗脳少女と呼ばれて…って「この私が洗脳を受けている?」


というわけで、富野ロボットアニメの洗脳ヒロインたちを見てきました。
後半明らかにバテたのと、作品によって記憶に偏りがあるものは、また機会を見てアップデートできればと思っています。すみません。

さてまとめとして、洗脳少女たちを社会学やジェンダーなどの分野で語って終わらせる手もあると思うのですが、私はそれが得意でも好きでもないので、あくまで物語の要素(機能)としてまとめたいと思います。

富野アニメの「洗脳少女」は大きくは2つに分類できます。

A:科学・機械的に洗脳を強制されたもの
エルチ・カーゴ、クワサン・オリビー、フォウ・ムラサメ、ロザミア・バダム、キャラ・スーン、エルピー・プル、プルツー

B:思想的に洗脳(影響)を受けたもの
サラ・ザビアロフ、クェス・パラヤ、シンシア・レーン


数としては圧倒的にAパターンが多いですね。
Aパターンの方が、洗脳人格と素の人格の両面を、多重人格的に表現できるので、ドラマ要素としての使い勝手がよいように思います。
Bパターンでも二面性を出すことは可能ですが、あくまで人格は1つですので、それは思想的にゆらいでいるということになり、変化してしまっています。
その点、Aパターンは女の子としてどれだけ心を開いても、洗脳人格に切り替われば、戦闘マシンとして戦ってくれます。ゆえに悲劇性もより高いといえましょう。

それにしても、どちらのパターンにせよ、なぜこんなにも多くの洗脳少女が出てくるのでしょう。
私は理由のひとつには「大人の言い訳」があるように思います。

・物語の舞台である戦場では、普通に考えれば大人の軍人ばかりしか出てこない。
・主人公の少年が出会う同世代の少女を、味方だけでなく敵にも登場させてドラマをつくりたい。
・その少女とボーイ・ミーツ・ガールさせて、恋をさせたりもするし、もちろんバトルもする必要がある。
・少年は戦争の中で、少女を救いたいと思うが、当然なかなかうまくいかない。


このときに、条件に合ったどんな少女を出せばよいでしょうか。

主人公と心を通わせられる愛らしい少女であり、かつロボットに乗って戦闘を行う少女?
恋とケーキと占いが好きで、同時に同じぐらい軍事政権や効率的な人殺しに興味があるキャラクターであればいいのかな?

昨今こういうキャラクターは普通に存在するような気もしますが、問題はこれに違和感を持つかどうか(持たないのが悪いとは言わない)。持ったとして何かが必要と思うかどうか。

ガンダムに乗って数ヶ月のアムロが大活躍するには、超能力者のような言い訳が必要だと思った人ならば、少女たちにも理由が必要と考えるかも知れません。

・少女たちは、もともと普通の女の子。チョコパフェも好きだし、男の子とデートもしたい。
・しかし何か戦闘用の人格のようなものを植えつけられている。
・この戦闘用人格のときは攻撃的になり、マシンに乗って暴れまわり、主人公にも耳を貸さない。
・(ガンダムの場合は)モビルスーツパイロットに年齢は関係なく、ニュータイプの素養があれば少女でも兵士として利用されることにする。


こういうことにすれば、未成年の少女がなぜ軍に入りロボットに乗り戦場で人殺しをするのか、なぜ主人公と普通の少女のように接することができるか、という問題はクリアできます。
(主人公である少年に関しては、こうしたことは第1話から1年かけて描かれます。)

思想的な洗脳パターンでも、これは同じような形で使えます。むしろ子供であることが、盲目的に誰かを信じる愚かさの説得力を増すでしょう。

そして、どちらのパターンにも共通して重要なことは、少女に戦闘用の人格を与えた主体、つまり洗脳を実行した大人が必ずいるということです。
少女に少女らしさだけでなく、戦闘マシンとしての役割を期待する大人たちがいて、はじめて洗脳少女は存在します。

これは人殺しをする子供の免罪でもあり、主体をあくまで大人にして責任をとることでもあり、どう理由をつけようが悲劇的な少女を消費してしまうことへの言い訳でもあります。

富野由悠季は、素人アムロが大活躍するドラマが必要と判断の上で、宇宙世紀のリアリティとして「ニュータイプ」という言い訳が必要と感じることができる人です。
敵と味方に別れた少年と少女の悲劇はドラマとして魅力的ですが、それに何が必要かと感じ、言い訳を考えた結果が「強化人間」や「刷り込み」なのかも知れません。

このあたりは、少女自らの意思で変身して、能力も名前も変えて戦うようなヒロイン(セーラームーンやプリキュア)と比較して考えても面白いかも知れませんね。



では最後に富野監督ご本人に「洗脳少女」について聞いてみましょう。
ひびのたわごとさんにて、そのことに言及した対談が紹介されていますので、少し長いですが引用させていただきましょう。

「ガンダム」のおもしろさは「視点の相対化」にある
特別対談 富野由悠季VS田中芳樹

田中 じつは「ガンダム」を見ていて感じたことがありまして、それは富野さんのいくつかの作品にも共通するように思えるのです。ふたつあって、ひとつは、兄妹の生き別れのシーンが多いということ、もうひとつは洗脳された美少女がよく出てくる(笑)ということなんですが、富野さんにお会いして、ぜひお聞きしたかったことなんです。それは意識してやってらっしゃることなんですか。

富野 ウーン……正直にいいまして、意識的にやってます。 
 まず、兄弟の生き別れについての質問ですが、これは現実のいまの生活に関与していることですから、はっきりとはお答えしかねるんです。

田中 それはどうも、大変失礼なことをお聞きしまして……。

富野 いえいえ、気になさらないでください。そのことについては詳しくはいえませんが、ぼくの創作活動のバックグラウンドとしてまちがいなくあります。ぼくは、いわゆるロボットもの、というジャンルで作品を創っていますが、たとえロボットものであろうとも、作者には、そういうバックグラウンドをもたないと良いものは書けないという気持ちがあります。それがないと作品になりませんし、買ってくれる人に、見てくれる人に失礼だという気がします。

田中 よくわかります。

富野 正直いって、そういったバックグラウンドを作品のなかで表現していくのは非常に恥ずかしいことです。とっても恥ずかしい。でも、その恥のない作品を書かないのは、ぼくはイヤですね。本当は、自分の恥を全部さらけ出して、それでいて気楽でいられればいちばんいいのでしょうけどね。

田中 ほんと、そう思います。

富野 それは、ロボットものであろうと、田中さんのスペースオペラといわれているジャンルであろうと同じでしょ。

田中 たしかにそうでしょうね。

富野 だからぼくは、恥を全部さらけ出すような度胸はないけれど、作品のなかには必ず入れるようにしているんです。それともうひとつの質問の「洗脳された美少女が多い」というご指摘ですが、それは、僕の女性観がいろいろな形で屈折して出てきた結果だと思いますね。

AM(女性) 富野さんのお書きになった作品、特に「ガンダム」に関する限り、女性蔑視の感じが強いんですけど……。

富野 そういわれると「そうですか」と返事をするより仕方がないんだけど、さっきも話した通りぼくの女性に対する気持ちが複雑にからみあって、本当は女性への憧れがすごく強いのに、そのウラハラな感情が、女性蔑視と受け取られてしまうことになってしまうのかもしれませんね。

AM ほんとは好きなのに、わざと女の子をいじめちゃう感じですね。

富野 そういうことです。そのあたりが、女の子をイジリ回したい感情になってしまうの。

AM(女性) カゲキィ!!(笑)。

富野 本当は、女の子がキライなのかもしれないなぁ。

AM ウソでしょう(笑)。

富野 ウソだなァ(笑)。好きなんだけどね、好きだけど押さえちゃう。

(引用部分以外も興味深い対談の全ては、ひびのたわごとさんでご覧ください。)


多くの作品に同じモチーフが繰り返し現れるのはやはり……なんといいますか。

ハリー・オード「趣味か?」


そうですね。趣味ですね。
作品ごとにはいろいろ分析できると思いますし、先に書いたように物語の要素としての有効性も多少あると思いますが、こうも多くの作品に登場していること自体は趣味としかいいようがないでしょう。

本人も自覚している屈折した女性観のなせるわざということなんですが、そうした自身のバッググラウンドから来る部分を恥ずかしいものと感じていて、それでも恥のない作品はイヤだというコメントが面白いところです。
いわゆる「パンツを脱いだ作品」であるべきだ、ということでしょうか。

ただ若い世代は、富野監督が「恥ずかしい」と感じるような要素にはすでに屈託がないかも知れませんね。
それは監督がいうように気楽なことでもあるし、解放されていて自由なことでもあるし、一方であまりにも屈託がないのはどうかな、と思わないでもありません。

以上、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
今回ご紹介した『洗脳少女』の中で興味をもったヒロインがもしいましたら、ぜひビデオショップGOKURAKU(いやSENNOUだったかな?)で、富野アニメをレンタルでもしてご覧になってください。

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