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劇場版『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は、ネット世界で「災害」が発生する物語です。
ネットやコンピューターの大混乱によって、わたしたち現実の社会システムも二次災害的に大いに混乱することになります。

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この作品では「災害」の主体として、ディアボロモンというデジタルモンスターが登場していますが、目的、善悪、敵味方の概念はなく、ただひたすらに人々に迷惑をかける存在です。
すでに起こってしまった「災害」に対するリアクションのみを描いた作品といえるでしょう。

なぜ具体的な目的や善悪の概念を持った敵を、作品に組み込まないのか?
それには、いくつかの理由があるでしょう。

そもそもがいわゆる「2000年問題」という混乱をモチーフにしたもので、ディアボロモンはその擬人化に過ぎません。冬の厳しさを擬人化して表現した「冬将軍」みたいなものと考えてもいいかも知れませんね。
また実利的なことをいえば、わずか40分の上映時間しかないこの作品では、「敵」の存在を描くことを、最初から戦略的に放棄した面が大きかったように思います。
「世界の混乱と、それに対応する人々(リアクション)」のみが必要とされた結果、限りなく「災害」に近い敵として設定されたのでしょう。

大人は見えない夢の島(デジタルワールド)


この「災害」――ディアボロモンによる世界規模の混乱に対して、大人たちは何も解決できません。
それどころかデジモンが原因であることすら大人は見えない、しゃかりきコロンブスです。大人は夢の島(デジタルワールド)までは探せないわけですね。

原因に気付き、対処ができるのは子供たちだけ。まさしく、ごきげんいかが、はしゃごうよパラダイスです。
映画では、主人公・太一を中心とした「選ばれし子供たち」が、世界中の子供たちの支援のもと、仲間のデジタルモンスターと協力してディアボロモンを倒し、問題を解決します。

大人たちは物語に関与できず、子供たちが主役として問題を解決する、というのは東映アニメフェアのデジモン劇場版として全く問題ありません。

確かに大人たちは、原因がデジモンとは分からず、また問題を解決することもできませんでした。
しかし、大人たちも実際に世界の混乱には巻き込まれ、それに対し、それぞれの立場で現実的な対処を強いられたはずです。

子供たちに救われるまでの世界


実際にディアボロモンによって起こされた世界混乱の対処として、例えば、

「警官」は交通整理や治安維持を、事故や火災には「救急隊員」「消防士」が駆けつけ、病院では「医師」が治療にあたり、「水道局員」はライフラインを守り、「自衛隊」も災害出動したかも知れません。

賢明なる読者諸氏はお気づきかも知れませんが、これらは『ぼくらのウォーゲーム!』と同じ細田守監督作品『サマーウォーズ』において、ヒロイン夏美が所属する「陣内家」の大人たちの職業です。

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『サマーウォーズ』に登場した職業以外でも、コンビニやスーパーなどの小売、飲食店、物流、製造などの店舗・企業、学校、公共施設、それからもちろん各家庭でも、ありとあらゆる場所で大なり小なり影響を受け、大人たちはみな、それぞれのポジションで日常を守るための戦いを余儀なくされたはずです。
IT系の企業などは、ネット災害が直接業務に関係するだけに、その対応たるや想像するだに恐ろしいですね…。

つまり『サマーウォーズ』は、大人が出てこない『ぼくらのウォーゲーム!』において、画面に映らないところで世界中の大人たちが社会や日常を守るためにしていたであろう戦いを、基本要素として取り込んでいるわけです。
なぜなら、子供たちの活躍で世界は救われたけど、救われるまでの世界は大人たちが守ったはずだから。

ただ、大人たちにデジモン(デジタルワールド)と子供たちの活躍が見えないのと同様に、もしかすると子供たちには見えない、分かりづらく、面白みのない戦いであったかも知れないけどね。

大人になった『ぼくらのウォーゲーム!』世代


『デジモンアドベンチャー』の主人公・八神 太一が小学5年生(10~11歳)で、『ぼくらのウォーゲーム!』の劇場公開が2000年春。
主人公・太一と同世代だった視聴者のちびっこだと、10年ほどが経過して成人している頃です。

子供たちのための映画として『ぼくらのウォーゲーム!』が見せたものと、見せなかったものは極めて正しいので、あの作品はあれで問題ありません。

だけど、デジモン世代が大人になっているような時期に上映する映画で、「あのとき、みんなが世界を救うまで、実は大人たちも世界を守っていたんだよ」ということを伝えるのは私は悪くないと考えます。
『ぼくらのウォーゲーム!』と基本的なしかけが同じでありながら別の映画になるための、つまり再構築(リビルド)の方法のひとつとして。

もう「選ばれし子供」では無くなった太一が、年長の大人たちと出会いながら別の戦い方を見つける物語になるだろうし、次世代の子供たちがデジタルワールドで活躍する立場を担う物語になるかも知れない。(この新旧三つの世代を、もっとも身近で分かりやすい単位で表現すると、おそらくは「家族」になるでしょうね)

それは、ディアボロモンが混乱をもたらした10年前、「世界を救ってくれた子供たち」と、(当時描かれなかったが)「日常を守ってくれた大人たち」へ送る物語。
恐らくその映画は、基本のストーリーラインや各種ギミックは『ぼくらのウォーゲーム!』と同じものを使っても、多分、意味が違う映画になっているはずです。

『サマーウォーズ』のパッケージング


実際現れた『サマーウォーズ』という作品は、要素を内包してはいますが、特にそういう映画ではありませんでした。
もちろん、『サマーウォーズ』はデジモンの続編でも後日譚でもないですし、そもそも、こうあらねばならないというものでもありません。

『サマーウォーズ』は、作品として、商品として、巧みに要素を選んでパッケージングされた映画です。
私自身の興味は、映画としての出来がどうこうより、この作品のパッケージングにこそあるといっていい。

この作品の枠組みが、なぜこうなっているのか、あるいはなぜこうしなければならなかったのか、ということが最も興味深く、可能性も含めて、考える価値があると思っています。

そのあたりのことを、先ほど書いた「10年前、世界を救ってくれた子供たちへ」という視点での可能性を中心に考えてみました。雑多なメモ形式で書いておきます。

メモ1:主人公とヒロイン


  • 『サマーウォーズ』は「男の子を主人公に」ということでつくられた映画ですが、それにも関わらず、ヒロイン夏美を主人公においた女の子視点の方がいろいろ整理しやすい内容になっています。(この辺りは、上映当時の感想にも書きました)
    ですから「男の子主人公」という前提が崩れますが、女の子主人公にしてしまう、というのはひとつの方法です。

  • 「男」にこだわるのであれば、枠組み自体が変わってしまいますが、大人になったデジモン世代へという意味も含め、「男の子」ではなく「大人の男」の映画にするという方向があります。

  • 例えば、28、9歳ぐらいのシステムエンジニア。もう少し若くとなれば24、5歳くらいか。OZ末端での開発や管理の仕事でしょうか。大学院生で、これからなんの仕事について社会に出ればいいのか悩みながら就職活動中というのでもいいかも知れません。
    かつて数学の天才児でしたが、今ではごく平凡な大人です。仕事に対して、充実しているとはいえない状況です。
    (「10年後のケンジ」をイメージしていただいた方が分かりやすいかも知れません。)

  • 主人公を大人の男性にした場合のヒロインは同年代でもいいですし、少し年下でもいいと思います。
    主人公とヒロインはすでに恋人関係にあり、ヒロインの実家に結婚(または交際)の挨拶に行く、ということにします。
    当然のことながら、主人公とヒロインの間には何らかのトラブルを抱えており、2人は結婚の挨拶に向かいながらも、「これでいいのか?この相手でいいのか?」という疑惑をもっています。
    『サマーウォーズ』は、細田監督が、結婚の挨拶をするために、奥様のご実家(上田市)を訪問したことがひとつのモチーフになっているそうですが、はっきりいえば、それそのままの方が日本映画になると思います。

  • 「男の子」視点がなくなりますが、これにはカズマを使いましょう。
    カズマにとって、ヒロインは、親戚のちょっと憧れていたおねえちゃん、という感じになるでしょうか。そのねえちゃんが男を連れてくる、ということになります。

メモ2:陣内家


陣内家(サマーウォーズ)
  • 陣内家のメンバーが全て「災害時に日常を守るための職業についている」こと自体は別に悪くありません。祖母の家訓という、言い訳もあります。しかし、災害の序盤でその役割を終え、陣内家に集まったときには、ごく一部の人間をのぞいて単に設定上のものでしかなくなってしまいます。

  • また田舎の旧家として、外部や近隣社会との関わりというのが全く不明なので、いっそ家業として、老舗旅館や老舗料亭を経営しているということにしてもいいかも知れません。
    従業員や取引先(酒屋など)、お客様、といった形で、「陣内家」の内部に、外部を存在させることができます。

  • 老舗旅館だけど最近はなかなか経営が苦しく、「温泉でも派手に湧いてくれればなあ…」ということにでもすれば、ラストの伏線にできるかも知れませんね。

  • 後述しますが、「陣内家」というのは、血族というよりマフィア・ファミリーといった場合の「ファミリー」の要素がありますので、家族+構成員=陣内一家、という意味を強めた方がいいかも知れません。娘をもらいに実家に行ったらジャパニーズ・マフィアだったというのも、ある種定番ですが、旅館や料亭といった商売でも「ファミリー」を表現することはできるでしょう。

  • この場合、主人公とヒロインも空部屋に泊めてもらって、お客気分でのんびり…のつもりが、ヒロインどころか初対面の主人公まで旅館の手伝い(一家の仕事)をさせられる、というのも良いかも知れません。

メモ3:陣内栄(ゴッドマザー)


  • マフィアの親分としてのゴッドマザーという位置づけにする。旅館・料亭にするなら、大女将ということになるでしょうか。

  • 血族だけでなく、「身内」と認めたものは、ファミリーの一員としてどんなことがあっても守る。だから侘助や主人公なども、ファミリーの資格がある。
    侘助との断絶は、愛情というより、仁義の問題にするという方向もあるかも知れない(でも結局、愛情がからんでくるのだろうけど)。

  • 扱いがデリケートなのだけど、少し認知症が入っているキャラクターにするという方法はあると思う。

  • ケンジをいきなり承認して、ファミリーの中に入れてしまうことや、災害発生後の各所への電話なども(あくまで作劇上の言い訳として)認知症によるものにしておくが、そのことは伏せておき、死後はじめて主人公(観客)に明かされてもいいのかも知れない。
    そうなると、電話なども普段一緒に暮らしている家族から見れば「また、おばあちゃんは電話して迷惑をかけて…」という扱いになるだろう。

  • 栄の電話は批判も多かった場面ですが、「劇中の人物は感動。でも観客は批判」という構図ではなく、できれば「劇中の人物は批判・反対。でも観客視点では真意を汲み取れるから感動」となるべきのように思います。
    陣内家としては認知症の老人のやることにすぎないのでスルーしがちですが、老人と暮らしていない主人公や作品外部の観客にとってはそうではなく、その行動の意味を汲み取ることになるでしょう。
    結果、主人公(と、多分ヒロイン)だけが、老人の意図を理解して継承するということにする。

  • 主人公を、侘助と勘違いして、ファミリーとして受け入れてしまう手もあるかも知れない。すると、早すぎる根拠なき承認は、単なる老人の勘違い、ということになる。
    「OZにアクセスできないが、陣内家には入れる主人公」と、「ラブマシーンによりOZを自由にできるが、陣内家には入れない侘助」という対比が強調されるかも知れない。

  • 余談だが、私の親戚のおばあさんも認知症で、たまに会うと「○○のとこの、二番目のせがれか?」などと、私ではよく分からない親類の誰かと間違われたりする。でも、元気で明るく楽しい人なので、親族の集まりではアイドル的な人気があったりする。ちょっとそれをイメージした。

メモ4:侘助


  • 『サマーウォーズ』では、ラブマシーンの開発者なので、全ての元凶ともいえますが、あらゆる社会的な責任を免責されるため、「敵」でもない。彼に与えられるのは、個人的なペナルティ(栄の死)。

  • 栄との関係をどうするか、というキャラクターなのだろうけど、私には正直よく分からない。

  • ラブマシーンを開発した侘助が、物語が始まったときにはすでに死んでいるという「帆場暎一」ネタにするのはどうか。そして香貫花・クランシーがコンバット目的で来日すればいい。

  • 主人公とヒロインを、結婚間近のカップルに設定した場合、侘助の「ヒロインの初恋の人」というポジションがもう少し生々しくなるでしょうね。

  • 個人的には、むしろ「主人公と侘助」の関係性に興味がある。主人公をOZの末端に関わるエンジニアと設定した場合、AI開発者としての侘助の存在を、正当に評価できる存在になると思う。
    陣内家の外部から来たことも合わせて、侘助の唯一の理解者になれるかも知れない。

  • その意味で、栄の代わりに侘助を承認するのが、擬似的に栄を継承した主人公、というのはいいかも知れない。で、主人公と侘助が、開発者同士とても仲良くなって、それにヒロインがヤキモチを焼く、という三角関係がよいと思う。

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メモ5:陣内家の戦い


  • 『ぼくらのウォーゲーム!』での戦いは、「選ばれし子供たち」による、いわばノブレス・オブリージュな自発的な行動によるものでした。

  • 2時間の尺がある『サマーウォーズ』でも、『ぼくらのウォーゲーム!』と同じように「敵」とそれに伴う悪意は省略されている。ハッキングAI「ラブマシーン」という存在はいるが、『ぼくらのウォーゲーム!』と同じく、社会的には「大災害」でしかない。

  • OZでは、誰もがネットワークに参加している。大人も子供も。その中で、誰が、何の理由で、リスクを負ってまで最後までラブマシーンと関わらないといけないのか。

  • 『サマーウォーズ』では、陣内家が戦う理由を、身内の侘助がラブマシーンをつくり他人様(ひとさま)に迷惑をかけ、栄が死んだから――つまり完全に「私闘」にしている。良い悪いでも、正義のためでも、世界のためでもなく、身内のため。
    そのために、ラブマシーン災害で直接の死者はいないこととし、陣内家が唯一、身内の死を被ったことに(物語上は)している。

  • 『サマーウォーズ』の状況の場合、「私闘」でないと、きっと戦う理由として成立しないだろう、と考えたことは、『ぼくらのウォーゲーム!』との比較という意味において興味深い。

  • ただし、この「私闘」感が、映画ではうまく伝わっていないようにも思う。前述したように、「ファミリー」としてのオトシマエ、という要素を強調するものが何か必要かも知れない。

メモ6:花札勝負


『サマーウォーズ』における最後の花札勝負は、はっきりいえばフィクションの大嘘としての「奇跡」です。
その意味で、前回記事で書いた『逆襲のシャア』と良く似ているところもあります。

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『逆襲のシャア』と『サマーウォーズ』 奇跡のプロセス
↓世界危機だが、根源は個人の「私闘」でもある(マクロとミクロ)
↓宇宙から、大きなものが落ちてくる。
↓危機に対して、ちっぽけな個人が何とかしようとする。
↓それを見つめる多くの人間たちの意思が集まってくる。【奇跡】が起こる。
↓その副産物として、危機的状況が解決される。


単純な絵面やシチュエーションとしてもそうですし、理屈からはずれた大嘘による解決であることも似ていますが、決定的な違いは、『逆襲のシャア』はタイトルどおり、シャアが人為的に起こす世界危機であることでしょう。

シャアにはアコギなことをしてでも、それをする理由があり、またアムロにはそれを止める理由があり、さらに2人には地球規模のマクロな戦いとは別に「私闘」とも言うべき因縁がありました。

  • 『サマーウォーズ』でも、意思と目的をもった「敵」を立ててもよいかも知れません。
    背後にいるものとして、侘助を立てる手もあるかも知れませんが、ラブマシーンがAIの割には、精神的な進化を感じさせなかったので、神々しくなっていくと共に、何か超越的な目的(それが人類には悪意に観えるかも知れないが)を手に入れるべきなのかも知れない。
    ただ、世界ネットワークを掌握したAIと、田舎の人のつながりの濃いファミリーの戦い、という単純構図になるのは避けたいところ。

また、『サマーウォーズ』では、花札勝負で夏希が代表に出ることに対して、いろいろと意見がありましたが、2つの意味で夏希しかありえないと思います。

  • ひとつは、映画として、観客の応援を受け、奇跡を起こす対象は美少女がふさわしいだろう、というもの。
    もうひとつは、OZでこの戦いを観ているギャラリーに対して、奇跡を起こそうとするキャラクターが美少女(アバターではあるのだが)である必要がある、というもの。
    この2つは、映画の観客と、その映画内のギャラリーという違いはあれど、起こす作用はほぼ同じ。
    シンボルとしてのアイドル(偶像)を応援してもらおう、というものだ。

  • つまり、OZで戦いを見守るギャラリー達の協力を最も得やすいキャラクターを出すのが、この戦いで奇跡を起こすための最低条件になっていると思います。
    陣内家で、その役ができるのは、恐らく夏希しかいない。
    (カズマは既に「キングカズマ」という別の偶像をやっている)

  • だから、この戦いでは花札が最も強いキャラクターを代表として出しても、多分意味がない。
    夏希のタレント力で世界中から人々の協力を集めることができるか、という戦いになっているはずです。

  • OZの守り神、ジョンとヨーコは、戦う前に夏希に幸運のアイテム(着物)を与えてくれたが、あれは実際の効果というより、アイドルの魅力を増すステージ衣装のようなものと考えてもいい。

  • 話は少しずれるけど、例えば、ジャニーズのアイドルが個人で大金を募金する必要はないし、その力を持つ必要もないよね。
    彼らがすべきことは、日本中の女の子から100円ずつお金を集めること。それは彼らにしかできない。
    ジャニーズのアイドルたちには、私の100円を預けるとするなら、あなたたちがいい、と思わせる力があるんでしょう。それはまさにタレントです。

  • 夏希も同じように、みんなのアカウントを集めたのだろうと思います。ネット上の「祭り」のような形ですけどね。もちろん、全てのギャラリーが味方についたわけでも協力してくれたわけでもない。あくまで一部ですが。

  • しかし、この仕事を美少女に委託しなければならないということであれば、やはり男性主人公というのは難しいのかも知れない。
    花札勝負の場合、外部と内部、二重の観客を納得させなければならないが、それは男に可能だろうか。(画面上は個人情報が紐づいているとはいえ、ただのアバターなんだけどね)

  • カズマも、彼の価値は、強大な戦闘力という男性的で分かりやすい評価軸に支えられていた。
    (だからこそ「敗北」で、一気に価値を失ってしまう)

  • 個人的には『サマーウォーズ』での夏希の最大の仕事は、最後のピースである侘助を呼び寄せて、家族を全員集合させたことで、花札勝負ではないと考えています。
    花札勝負は物語上の最大の仕事ではないかも知れませんが、「私闘」にギャラリーを巻き込んで奇跡まで持っていった見せ場ではありますので、これはこれでいいのかも知れません。夏希のアイドル的魅力や、タレント力をどう保証するのかは難しい課題ですが。

脇道:ギラ・ドーガのパイロットについて


クライマックスで協力してくれた人の中には、キングカズマの敗北のとき罵倒していたような人たちも大勢いただろう。なぜ、そんな人達が協力してくれたのか、ということについては『逆襲のシャア』で最後にアクシズを押してくれたギラ・ドーガのことを思い出す。

アクシズを落とそうとしたギラ・ドーガが、なぜ最後にアクシズを押す側に回ったのか。いろいろ内面的な解釈はできると思うけれど、行動から見る事実として、ギラ・ドーガはあのシチュエーションにならないと、アクシズは絶対に押してないはずなんだよね。

敵味方もなく、アクシズを押すというラストシーンはある種の奇跡なんだけど、逆に言えば、あの状況以外では、ギラ・ドーガのパイロットは押す方へ参加していない、ということになる。

それはギラ・ドーガのパイロットが悪いというわけでなく、多分、それが普通の人間ということなのだ。そこには私も含まれる。悲しいけれど、間違ったこともするし、日和見もするし、影響を受けてストーンと転向もする。
『サマーウォーズ』でのOZのギャラリーも同じ。どちらでもあり、どちらでもない。罵倒するし、神と崇めるし、状況や空気を読みながら、ポジションと行動を決める。

でも、東日本大震災のときに、恐らくほとんど反射的に人を助けたり、避難に協力したり、呼びかけたりした人が大勢いたことを報道で知った。
私は被災していないが、その場でそういうことができるかどうか分からない。自信がない。そこまで自分を信じきれない。
ただ、最初のひとりにはなれないかも知れないけれど、誰かがやろうとしてることの協力ぐらいだったらできるのではないか、やるべきではないか、などと甘いことを考えたりもしています(まさにギラ・ドーガ精神)。
アムロ・レイは、最初にアクションをとった人になりましたね。前回記事でも書いたけど、私はニュータイプだからどうかとは一切関係なく、人間としての行動を賞賛します。

メモ6:物語の終わり


  • 『サマーウォーズ』では最終的に、ラブマシーンを撃破し、映画的なカタルシスを得るために一方的にやられて消滅します。

  • ラブマシーンの意味合いをどう変えるか、に関係しますが、侘助は自分の生んだAIを否定すべきではないかも知れません。いや、侘助は栄を失ったこともあり、自分の仕事と生まれたものを全否定していてもよいですが、唯一の理解者である主人公が肯定すべきかも知れません。

  • 主人公は、これからどうしようかな、どう生きようかな、と物語の冒頭で悩んでいたことにしましたが、「好奇心」いっぱいのAIラブマシーンを面白い、と感じて、開発者魂に火がついたことにするのもいいですね。

  • 侘助は、ラブマシーンの責任を取らないといけないですが、AI開発は、主人公が引き継ぐ、または将来的に侘助と一緒に研究者として活躍したり、ベンチャー企業を立ち上げて、など、何でもよいのですが、やることが決まって進みだした、ということにしておくのがよいでしょうか。

  • ベタではありますが、主人公がAI開発者になって、将来生まれるかも知れない「デジタルモンスター」の生みの親になることを示唆するようなオチも、まあ、ありかも知れません。

  • 主人公とヒロインの関係は、これまでの過程で修復されるでしょう。
    ヒロインは、主人公が世界を救うのに重要な働きをしたからではなく、祖母を継承し、ファミリーに承認され、バラバラになりそうだったファミリーをひとつにまとめた、という事実をもって、彼が大事な人であり、自分の選択が間違っていなかったことを再認識するでしょう。

  • ちなみに、これまでの流れでは、軽い認知症にしてしまった栄の電話ですが、全てが終わったあとに、総理大臣から陣内家に電話が入って、侘助の件と、陣内家がやった私闘の後始末はできるだけ手を回す、栄さんの頼みだからな、と伝えられるというのもいいかも知れないですね。
    老人の困った電話と思っていたけど、その中で1本だけ、本当にすごいところに、ばあちゃんの電話が効いていた、と最後に分かって全員びっくり、というような形で。

  • この場合、最後の遺影は、笑顔でなくウインクになるかも知れないけどね。

『サマーウォーズ』が選んだものと選ばなかったもの


以上のように、長々と雑多なメモで、『サマーウォーズ』のありえたかも知れない可能性のひとつを探ってみました。
これは、『サマーウォーズ』批判でもなければ、「こうすればもっといい映画になるよ」という改善案でもなく、ありえたかも知れない可能性の話でしかありません。

はっきりいって、私が思いつく程度のこれらの断片的な案は、制作時の会議などで、すでに出ているものばかりでしょう。
さまざまな作品の可能性が、制作時には検討されているはずです。
そして、皆さんが知っているあの『サマーウォーズ』が形作られ、映画として上映された。
実際の映画で選ばれている各要素は現実的に考えて、多くの場合で正しいものであったろうと思います。実際に結果も出ています。

ただ、「男の子主人公」の「誰も傷つけない」ただひたすら「とにかく楽しめる」映画をつくろうとして、こういう枠組みの映画になったというのは、私にとって、とても興味深いことです。
『サマーウォーズ』が選んだものと選ばなかったもの、それは何なのか、なぜなのか、誰のためなのか、ということを考えてみるのはきっと面白いですよ。

終わりに。『逆襲のシャア』と『サマーウォーズ』


このブログでは上映前後にいくつか『サマーウォーズ』の記事を書きましたが、未だにたまにコメントをいただいたりします。基本的にコメントが少ないブログなので、これはかなり異例のことです。
それらのコメントを見ると、私より若いデジモン直撃世代の方が、もやもやしているように見えて、なかなか罪作りな映画になってしまっているかも、と感じています。

私は『機動戦士ガンダム』いわゆるファーストガンダムを幼少期に見た世代ですので、これを原体験としてのデジモンおよび『ぼくらのウォーゲーム!』の位置に置くなら、『サマーウォーズ』に位置する作品は、おそらく『逆襲のシャア』になるでしょう。

『逆襲のシャア』を見たタイミングでは、私はまだ大人にはなっていませんでしたが、原体験の約10年後に見た映画としては大きな価値がありました。
私は自分の成長過程でこれを体験しているから、『サマーウォーズ』が、『ぼくらのウォーゲーム!』を見たデジモン世代への、10年後のアンサーになってほしかったと、自分勝手に思っているのかも知れないですね。

『逆襲のシャア』については、前回の記事で詳しく書きましたので、それをご参照ください。
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

いずれにせよ、「ニュータイプ少年」でも「選ばれし子供」でもない私が守れるのは、日常でしかありません。いつか世界を救ってくれるかも知れない子供たちのためにも、まあ、何とか自分のいる位置、手の届く範囲で、日常を守っていこうと思います。

追信:こどもたちへ
大人たちはたぶん、みんなこういう気持ちでがんばっているのですが、中には爆装(ばくそう=爆弾を抱えた状態)してる機体だってあります。
できれば全機(ぜんき)がオーバーロードして爆散(ばくさん)する前に、みんなに大きくなって手伝ってもらえると助かります。そこんとこよろしく(ここんとこごぶさた)。




『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

このブログの『サマーウォーズ』記事です。よろしかったらどうぞ。最初の記事はネタバレありません。

■見る前(上映前)のレビュー
日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

■見た後のレビュー ※ネタバレあり
サマー"ウォーズ"バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ>

■特別編:ゴハン食べるの?食べないの?(フード理論) ※ネタバレあり
世界の危機には「家族で食事」を <『サマーウォーズ』 フィクションと現実で異なる「正しい行動」>

■完結編:『サマーウォーズ』のパッケージングと可能性の検討について(この記事) ※ネタバレあり
10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

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8月6日金曜ロードショーにいよいよ、細田守監督作品『サマーウォーズ』登場。

2009年8月1日より劇場公開され、興行収入16.5億円を記録(全国128館にて上映)し、第33回日本アカデミー賞ほか国内外の映画賞を多数受賞した劇場アニメ『サマーウォーズ』。3月3日に発売されたBlu-ray/DVDは、オリコンランキングにていずれも初登場1位を獲得するなど、パッケージでも大ヒットを記録した。
そんな『サマーウォーズ』が、早くもテレビ初登場! 2010年8月6日(金)、「金曜ロードショー」(日本テレビ系金曜21時00分~)にて放送されることが決定した。
マイコミジャーナル:今年の夏も、家族みんなで『サマーウォーズ』! 金曜ロードショーに8/6登場


公式サイトTOPにも大きく「テレビ初登場!」と出ていますね。

サマーウォーズ公式サイト

去年の夏、この作品の公開時に
「金曜ロードショーこそが『サマーウォーズ』の本当のスタートかも知れない」
というエントリを書いたものとしては、劇場でなく、DVDでもなく、こういう場で初めてこの作品を見る人たちの反応を見守りたいと思います。

『サマーウォーズ』どこを切る?


『サマーウォーズ』上映時間155分に対し、金曜ロードショー放送時間が154分。
CMが合計20分ほどあるそうなので、単純に考えれば20分ほどカットになる計算です。
しかし細田監督自ら再編集した特別バージョンで放送されるとのこと。

8月6日日本テレビ系で放映される『サマーウォーズ」、金曜ロードショー枠に合わせて再編集&再ダビングしました。再編集はさておき、テレビ放映のためだけにダビングをやり直せるのは結構珍しいのでは?なかなかいい仕上がりになったと思います。

細田監督のtwitterより(http://twitter.com/hosodamamoru/status/19664311468


これは楽しみ。
あの中身パンパンの映画をどうカットしてどう編集するのでしょうか。
すでに見ている身の上としては、そちらの方が断然興味深い。

とりあえずエンディング(スタッフロール)は総カットできますね。
『サマーウォーズ』では、エンディングが「単なる名場面集+ED曲」となっており、正直なところ、劇場での初見時には正直やや寂しい感じもしました。
しかしTV放映前提のこの作品が、本編が終わって以降は「作品内の時間を1秒も進ませていない」のも、総カットができることを考えれば納得がいきます。

とはいえ個人的に、『サマーウォーズ』という作品は、あの内容のまま、その全てを2時間以内のサイズに収めるというのは、かなり無理があると思っています。
そのため、公開後いろいろ批判されたようにいくつか歪みもあるのですが、破綻するような内容を、綱渡りのようにギリギリのところで映画にしていて、そちらにドキドキするタイムサスペンス映画です。
ですから今の『サマーウォーズ』である以上、むしろ足りないぐらいで、カットできるようなところなんて無いはずなんですよね。

そういう『サマーウォーズ』の根本的な枠組みを問題には触れないまま、作品の細部について
「なんでこうなるわけ?こうするべき!」
というような批判があったりします。
しかし、その批判通りの展開に必要な時間(+3分、+5分など)と、その代わりに削るシークエンスに配慮のないものは、私は正直いって、ほとんど有益性を感じていません。
みんなの改善点を追加して、もし2時間半や3時間になるのであれば、それはむしろ根本的に枠組みを考え直す必要があるように思えます。

例えば、劇場で見た当時の感想記事にも書きましたが、物語中盤での栄に関するあの処理も、あれしか無かったのかと友人と検討したりしました。
それは感情的にどうこう抜きで、いや抜きではなく、感情的になる前に構成として正しいのかという意味で。
そして、

「あれ」が映画的には最も効果的(強み)になる上に、その後の展開に有効に働き、スムーズに進むはずだ。特に2時間におさめるためには。

というのが、その場で出した私達の結論でした。

『サマーウォーズ』公開当時、この中盤のイベントについて、細田監督がインタビューで、はじめての経験なので苦悩したことを話していたように思います。
ですが結果としては、当然のように個人的なポリシーより映画の組み立てをとったわけですよね。
創作において、組み立てや構成だけが大事なわけではないことはもちろん分かっていますが、『サマーウォーズ』ではちょっといろいろと制約がありすぎて、合理的な判断を下す以外なかったのではないか、というような気がしています。

※実をいうと「中盤のイベント」回避パターンもありえると思って考えたのですが、それこそ根本的な枠組みレベルで変える必要がでてくるはずです。
さらに中盤イベント回避パターンと、実際の『サマーウォーズ』、どちらが映画として良いのかというのは非常に難しい。方向自体が変わってくるので、単純な改善ポイントではなく、やはり別の映画として、枠組み、方向性レベルの検討になってくると思います。


そんな『サマーウォーズ』を、テレビ放映版では、20分…エンディング抜いても15分ぐらいは単純にカットしないといけない。
もちろん微妙な間の調整なんかを全体的しているようですが、あのギリギリ成立している映画のどこがカットされているのでしょう。実際どうなっているのか本当に楽しみですね。

すでに劇場やDVDなどで見た方も、明日はオリジナル版とどこが違うのか確認してはいかがでしょうか。


しかし8月6日に『サマーウォーズ』か……。
日付と作品名の兼ね合いで、いらぬ誤解を招かねばよいが……。

『サマーウォーズ UEDA WAR』~ 8月6日 ある家族の風景 ~


(食卓を囲みながら、金曜ロードショーを見ている家族)

祖父「(渋い顔しながら)うーむ……」
母「どうしたんですか?おじいちゃん」
祖父「ここはどこだ?広島か?疎開先か?『サマーウォーズ』という映画なのに、ぜんぜん戦争が始まらんぞ」
父「あのさ父さん、確かにウォーズなんだけどさ…、ネット上の仮想世界OZといって」
祖父「何の話だ。少なくともまだ戦争など始まってはおらん」

長男「(いきなり、ブツブツしゃべりだす)始まってますよとっくに!
……気付くのが遅過ぎた。金曜ロードショーでの放送、いやその遥か以前から戦争は始まっていたんだ」


祖父「お前は何を言っとるんじゃ」
妹「どうせまた、アニメかなんかのセリフでしょ」
母「あの子、『サマーウォーズ』初めて見るのかしら」
父「それで、気付くのが遅過ぎたとか言ってるのか(去年、夫婦で劇場で見ている)
母「ずっとアニメばっかり見てるのに、なんで知らないのかしらねえ」
妹「そりゃ映画館もレンタルショップも、どこにも行かないからでしょ」

(ひとりをのぞいて、ひとしきり笑う家族)

長男「……突然ですがあなた方には愛想が尽き果てました」

妹「家族側がいつ尽き果てたかは聞かないの?」
父「お前はもう少し利口な子だと思っていたがな」

母「(息子より画面)ほらほら、おじいちゃん。たった今ラブマシーンのハッキングで、人工衛星が」
祖父「(聞いてない)この白い世界はなんじゃ?ぬいぐるみがいっぱいおるぞ」

長男「だから!OZだと言ってるんだ!」

(ひとりをのぞいて、画面を見続ける家族)

―ひとつ教えてくれんか。何故自決しなかった?
もう少し、見ていたかったのかもしれんな。
―見たいって何を?
この映画の、続きを。

というわけで、8月6日は、家族で『サマーウォーズ』。
それまでは全員、自決禁止なので、そこんとこよろしく!ここんとこごぶさた!(シャレになってない)



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日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

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10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>
世界の危機まで、あと2時間。あ、今2時間をきった。
あなたならどうする?
とにかく急いで何とかする?
それもいいけれど、もしもあなたが物語世界の住人なら、他にとるべき「正しい行動」があるかも知れません。

sw

「現実での正しい行動」と「フィクションでの正しい行動」


前回記事である映画『サマーウォーズ』の感想メモをアップして、しばらくしてから、ARTIFACTの加野瀬さんのtumblrに気付きました。

と、思ったら、「世界危機のタイムリミットが刻まれているときに、なぜ呑気に全員でご飯食べてるんだ」と怒っている人もいるらしい。現実で取るべき正しい行動と、フィクションでの正しい行動は別物なんだけどな。
サマー”ウォーズ”バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ> - HIGHLAND VIEW 【ハイランドビュー】

これ難しいなー。これだと『海猿』の「救助途中で携帯電話」も「フィクションでの正しい行動」とも言えてしまう。
http://kanose.tumblr.com/post/168562507


確かに難しい問題ですね。加野瀬さんのご指摘に刺激されて、改めて考えをまとめてみたくなりました。
『サマーウォーズ』を例に出しますが、考えることは広く物語全般について。
「現実での正しい行動」と「フィクションでの正しい行動」の違いとは何なのか?



物語の中でも全力を尽くせ!


私は残念ながら映画『海猿』を見たことが無いのですが、「人命救出を急がないといけないような場面で携帯で長々とプロポーズ」が、当時ネットで話題になっていたのを思い出しました。
映画『海猿』のクライマックスでは、人命救助のタイムリミットが迫る中、主人公は恋人に携帯で連絡し、5分ほどプロポーズをするようですね。その後、救助に向かう。

なるほど。シチュエーションだけ見れば、『サマーウォーズ』での最後の食事と、確かにあまり変わらないですね。

実際、感想やレビューの方を少し検索してみると、「感動的な場面。感動しない人はどうかしてる」といった意見もある一方で、「人の命がかかっているのにおかしい」といった批判的な意見もなかなか多い。

『サマーウォーズ』でも、同じように怒っている人を私は見かけたわけですが、「フィクションでの世界や人命の危機」に、「現実で取るべき最適行動」を取らないと「おかしい」「頭が悪い」「リアリティがない」と批判するタイプの方は確かにいらっしゃいますね。
そういう方から見れば、『海猿』や『サマーウォーズ』のこれらのシーンは、「タイムリミットが刻まれているのになぜ時間を無駄にし、全力を尽くしていないのだ」ということになるのでしょう。

『サマーウォーズ』ご飯食べない派


こうしたクライマックスで「ご飯食べない」派の方に満足していただくには、こんな感じにすればよいのでしょうか?

・タイムリミットが迫っているのだから、時間を無駄にしない。
・全員集合してご飯は食べない。そんなことしてる場合じゃない。
・問題解決のため、全力を尽くす。


非常に堅実な行動です。もし現実で、ということでしたら、確かにこのような行動を取るしかないでしょう。

ただ、私の考えでは、食事なしルートを選んだら、間違いなく作戦は失敗します。敗北します。100%負けます。

では、映画どおりに、残り時間を浪費してでも、全員でご飯を食べたなら?
間違いなく、作戦は成功します。勝利します。100%勝てます。


なぜなのか?
それは「物語」だから。

「リアリティの無い行動」で約束される勝利



『サマーウォーズ』のあの場面では、「全員で食事」という「リアリティのない」行動をしなければ、作戦は成功しなかったでしょう。

私にとって「フィクションでの正しい行動」のラインはやはり、現実のルールでなく、物語のルールに従うかどうか、というところにあります。逆に言えば、物語がきっちりと構築されていないと選べない、成立しないわけですが。

「それにしても現実に沿って行動したのに成功確率0%ということはないだろう。もっと無駄なく行動して、10分、いや15分は稼げば、20%ぐらいに確率が…」

そういう問題ではありません。成功確率は0%です。

『サマーウォーズ』は、「家族の食卓」をひとつのテーマとして、物語を組み立てていました。
あの場面で食事をしないのであれば、どんなコンピューターや暗号の技術を使おうが、勝利は約束されません。

前回記事での「家族の食卓」部分を引用してきましょう。

  • インタビューなどで監督自身が語っていたように、「家族の食卓」は作画的にもテーマ的にも重要な役割を果たしていた。とにかく、みんなでご飯を食べる。

  • 侘助登場。彼は食卓の輪には加わらず、食事も口にしない。

  • そのあと、栄ばあちゃんが侘助をナギナタで追い回す際に、食卓は一度崩壊する。

  • 次の日の朝(「栄の退場後」)、これまでひとつの食卓を囲んでいたが、はじめて別々のテーブルで、一人ひとりに配膳された食事をとり、食卓がバラバラに。

  • しかし、侘助が帰還し、親族が再びひとつになると、大テーブルをみんなで囲み、大皿の料理を取り分ける食事をとる。ここは良かった。侘助が食卓につく際に当たり前のように誰も何も言わないのがよかった。

  • そしてその後、同じ食卓で食事をした全員で、ラブマシーン撃破に成功する。

  • 食卓の役割が非常に分かりやすい。

  • と、思ったら、「世界危機のタイムリミットが刻まれているときに、なぜ呑気に全員でご飯食べてるんだ」と怒っている人もいるらしい。現実で取るべき正しい行動と、フィクションでの正しい行動は別物なんだけどな。


  • 世界の危機の土壇場で、家族全員で食事をする、というのは「リアリティのない」行動なんだけど、きちんと組み立てられた物語の中では、これがも最も正しい行動になる。

    私は、フィクションがフィクションだからこそ可能な世界の救い方をする方が好き。
    もちろん、こんな解決は「現実ではあるわけない」。
    でも巧妙な物語の組み立てをすることで、現実の合理性を、物語の合理性が越えることができる。それが物語の快楽のひとつだな、と思っているのです。

    「みんなでお食事」Q&A


    「…食事の意味は分かった。でも、食事という、問題解決に全く関係ないことをしてるのはやはりおかしいんじゃない?」

    最後の「家族の食卓」シーンについては、初めて全員で食べる食事であると共に、状況の整理と作戦会議、さらにいつも不利な状況でも戦わざるをえない陣内一族としての覚悟とあきらめのシーンにもしていました。
    ここからノンストップの怒涛の最終決戦に突入しますので、食事を兼ねて、いくつかの処理を同時にしています。
    何より観客のためのシーンになっていて、クライマックス前の良い「決戦前夜」だな、と思います。

    「…食事の意味は分かった。でもカウント始まってから、わざわざ食べなくても、カウント前に食事すれば反発もないんじゃない?」

    うーん。確かに方法としてはそちらもありますね。でも、あえてカウント後に食事という構成を選んでいると思います。その方が対比も面白いですし。
    「家族の食卓」という物語の構造をちゃんとつくっているから、私はむしろ、タイムカウント中での「みんなで食事」シーンを、ニヤニヤ楽しんだほどです。
    だって、全員で食事してるからには、極端に言えば、残り時間なんか別に関係ないしねえ。

    「…食事の意味は分かった。でも、現実的な行動をしても絶対失敗するかどうかは、やってみなくちゃ分からないんじゃない?」

    クライマックスでの「家族全員での食事」が作戦成功のキーだということは、逆に言えば終盤まで成功の条件はそろわない、ということでもあります。
    中盤で、ケンジ(立案)、カズマ(キングカズマ)、理一(自衛官)、太助(コンピューター調達)、佐久間(OZ内サポート)など、問題解決に直接関わることのできるメンバーのみで、ラブマシーンに戦いを挑みましたが、これは失敗、敗北しました。
    直接の原因は、翔太兄がスーパーコンピューターを冷やすための氷を別の場所に移してしまったから、コンピューターが熱暴走を起こしてしまったこと。
    ここはコメディシーンにもなっていますが翔太は何も状況が分かっていないからこそ、そうしたわけですし、女性陣は「うちの男どもと来たらバカばっか」と、家事や雑事に追われて、何の関与もしていません。
    この中盤戦では、OZでの戦いに現実的に対応できるメンバーがほぼ揃っているはずなんですが、でもこれではダメなんですよね。家族の一部だけでは。
    何より最後のピース、侘助がまだ来ていない。「全員」にはどうやってもならない。(で、侘助を呼ぶ役割が夏希なんですよね)

    つまり一部のコンピューターが分かる人だけで現実的に事に当たっても、物語としては成功にはしませんよ、というのは中盤戦での敗北、という形で一度やっているわけです。

    と、いうことは「全員で食事せずに、最終決戦に向かう」というのは要するに、「失敗した中盤戦をもう1回繰り返す」だけ、ということになるわけですね。

    『海猿』のプロポーズ大作戦


    『海猿』のプロポーズ大作戦についても、受け入れられるかどうかというのは、それまでに組み立てた物語で、すでに半分は答えが出ているはず。
    「プロポーズしておかないと、この後の奇跡の救出が成功しない」と思えるだけの物語構造を組めていたのなら、別に問題はないのですが、どうもそうではないらしい。

    お膳立てだけではなく、プロポーズシーン自体も、タイムリミットに誰かの生命が直接かかっているにも関わらず、5分もの時間をプロポーズに使う、というのはあまりに長すぎたみたい。(サマーウォーズのタイムリミットは衛星の落下。その結果として二次的に被害が出る)

    ただ、だからといって、『海猿』のプロポーズ大作戦の存在自体を否定するつもりはありません。
    私は見ていないですが、役割はだいたい同じような感じだと想像します。
    つまり、生死を賭けた救出任務の前に、恋人と「約束」をして、帰り道のロープ(絆)をつくっておく、というような感じなんでしょうね。

    でも、ネットの感想を少し見た限りでは、あまりうまく作用していないみたい。
    それが本当なら私は、主人公が現実に取るべき最適行動をとらないことを批判するより、行動はフィクション的には正しいのに、機能不全を起こしている物語構造の方を批判する方を選びたいな。



    おまけ「お願い!! 説得に時間を!」



    もっと単純で、極端で、すっごく分かりやすい例では、『トップをねらえ!』5話「お願い!! 愛に時間を!」の「炎となったガンバスターは無敵だ」がありますね。
    そうです。「合体しましょう!」「お姉さま!」フー!のとこです。フーのとこ。



    宇宙戦艦ヱクセリヲンを護衛しながら、戦うバスターマシン1号、2号。
    地球の大ピンチなんだけど、コーチの命が気になってついに戦えなくなるカズミ(お姉さま)を、ノリコが説得する。宇宙怪獣により傷ついていくヱクセリヲン。絶体絶命。

    使い物にならなくなったカズミはほっといて、ノリコは地球のために全力を尽くせよ。
    と、あの説得シーンを時間を無駄にした行動だと文句つける人はまずいないでしょう。

    だって炎となったガンバスターは無敵だって言ってるんだから、2人の気持ちがひとつになって合体できたら、もうどんな不利な状況になっていようとそれは勝てますよ。敵が何億いようとね。
    つまりドラマは「炎となれるか」どうかであって、「宇宙怪獣をあと何体倒せばよいのか」ではないわけです。
    だから炎と化したあとは「お姉さま、アレを使うわ」「ええ、よくってよ」にしかならないです。

    私はつくづく、世界のルールを巧みに書き換えるような、よくできたフィクションが好きなんだと改めて思いましたよ。
    リアリティがない?ええ、よくってよ。それと引き換えに、すばらしい物語が組まれていればね。

    『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

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    夏期休暇に田舎に帰省して、地元の友人2人と映画『サマーウォーズ』を見てきました。
    なんとなく、そのシチュエーションの方が映画がよりステキになる気がしたから。

    友人A「…『サマーウォーズ』やってるシネコンがある、でかいショッピングモールまで、車ですっごいかかるけどな!」

    君たちもTVCMなんか見て、面白そうって言ってたじゃないか。

    友人B「でも、誘われなかったら、見には行かなかったな。遠くて大変だし」

    まあ、車出してもらった君らは確かにお疲れサマーウォーズなんだけど、きっと君たちに損はさせない。
    この映画は、そういう映画のはずなんだ。

    サマーウォーズ

    映画『サマーウォーズ』上映終了。

    ―どうだった?

    友人A「おもしろかった!『ぼくらのウォーゲーム!』は昔見たけど、いい感じに忘れてて全然楽しめたよ」
    友人B「俺はアニメとか全然見てないけど、おもしろかったよ。で、OZってなに?」

    ―終わってから言うか。ああ、あなたはPC持ってなくて、ネットも全然やってないもんな。

    友人B「でも携帯ではやってるし、映画の最初にOZのプロモーションビデオがあるし、なんとなくは分かったけどね。」
    友人A「思い切って来てよかった。楽しかった」

    ―友人たちは、とても楽しんでくれたようだ。良かった良かった。さあ、ご飯食べて帰ろうか。

    友人B「で、自分はどうなの?」



    期待していたのは「みんなにとって80点の映画」


    『サマーウォーズ』については、前回のエントリで書いたように、幅広く多くの人に楽しんでもらえる映画になればステキだな、と期待をしていました。

    この映画は、「誰かにとって100点の映画」であることより、「みんなにとって80点の映画」であることを選択すべきだろうと。

    例えば、まだ感想記事がまとめきれてないけれど、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は、私にとって100点といってもいい。でも、それはこれまでのエヴァ体験を含めた人生が大きく影響するので、みんながみんな100点をつける映画だとはとても思えない。人によって極端に差が出るタイプの映画だと思う。

    その意味では『サマーウォーズ』は、そういう私の期待に応えてくれた。
    ホームランバッターではなく、アベレージヒッターに徹していて、平均点が高い映画になっていると思う。
    劇場には、お盆ということもあってか、家族連れの姿も多かったし、アニメをパチンコの液晶でしか見ていないような地元の友人も楽しい映画として、面白がってくれた。

    公開前に、あんな記事を書くほどに期待と心配をしてたわけだから、私もとてもうれしい。

    なのに、なぜ、こんなにも、もやもやサマー(ウォー)ズなんだろう。
    純粋に私自身の体験としてはどうなんだ、と言われたら、それが、その、正直に告白して、びっくりするほど、テンションが上がらなくて困った、という他ない。

    楽しんでいないかと言われれば、楽しんだ。面白かった。
    うまいなあ、らしいなあ、と感心しながらも見た。

    にも関わらず、目の前(スクリーン)に美人がいるのにちっともエレクチオンしないので、これは私がウォーゲームをDVDでたくさん見てるからだなとか、いろいろ理由をつけながら見たが、結局、最後まで自尊心とラブライフを取り戻すことは出来なかった。

    そのことには困惑している。理由は自分でも未だによく分からない。
    僕の体が昔より、大人になったからなのか。

    本当は「ネットと現実」、「家族」、「田舎」などについて、何か話をするのが『サマーウォーズ』感想のお作法だと思うけれど、こういった経緯もあり、あまりそれらの要素と、それを語ることに興味が持てなかったので、鑑賞しながら、考えていたことをメモ形式で書くことにします。(※思い出したり、思いついたことは随時追加する予定です)
    メモなので、思考があっちこっちに行ってますから、メモ同士のつじつまがあっていなかったりもしますし、絵コンテ集や設定資料なども見てないので、あくまで映画を見た上でのメモと、とらえてください。

    <ネタバレ注意>
    上映中なので全てを語るようなネタバレはしませんが、それでもネタバレ満載なので、ご注意を。
    ただし、最大のネタバレはやはり『ぼくらのウォーゲーム!』なので、未見の人はそのまま見ずに『サマーウォーズ』に行った方が良いでしょう。



    映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ


    全体で見ると、「世界規模の混乱を家族だけで解決するには、どういう家族構成にすればいいか」、という視点で見ると、とても興味深い映画だった。
    実際のところ、主人公の友人1名を除けば、田舎の陣内家のみで話が進み、問題が解決する。
    陣内家は、この映画のためにつくられた、問題解決のための家族集団なので、そこにリアリティがどうこう言うのは、割合ナンセンスかな、と思います。

    ■「陣内家の人々」
    • 「映画の舞台となる陣内家は、由緒正しい名家だが、財産の類は一切ない」というのを冒頭でわざわざ強調するのも、家族のネガティブ要素のひとつ「親族間での財産争い」をなくすためでしょうね。映画に不必要な要素は全てつぶしておく。

    • 内科医、自衛官、消防士、救急救命士、警官、水道局員など、問題解決に役立つ職業を出す必要があるが、これを家族だけでまかなうには、陣内家の男たちがそういう特殊な職業ばかりについていなければならないことになる。
      しかし、その理由として、「『人の役に立て』というのが栄ばあちゃんの教えであり、それを忠実に守っているから」で処理しているのは、なかなかすばらしい。

    • 親族が映画に必要な職業にしかついていないのは必然なので、あとはどう言い訳するかだけ。
      それを、栄おばあちゃんの信念ということにし、ばあちゃんを敬愛し実行している子供たち、ということにしてしまうのはストーリーの補強的にも悪くない。(いわゆる私の好きな「1アイデアで複数の効果」というやつ)

    • ただ女性陣は主婦ばかり。ちょっとバランスが悪いかも知れない。
      もし専門的な職業についた男性陣と主婦である女性陣ということで分ける意図なら、女性陣は「男どもはバカだよねえ」と言いつつ、家の実務的なことを切り盛りしている方が良かった気がするなあ。葬式や食事の準備、子供の世話とか。
      栄ばあちゃんのもうひとつの教えである「よくないのは、ひとりでいること、おなかが空いていること」については、女性陣が解決する、と分かりやすく単純化しても良かったかも知れない。
      アカウント貸しはしないといけないけど。

    • 公式サイトの陣内家家計図を見たときに気づくのは、長男(栄ばあちゃんの長男)がいないこと。
      長男の存在が消されているのは、家長としての栄ばあちゃんの強化と、「栄の退場」後に家長権の委譲が長男へスムーズに行われてしまうからでしょうね。主導権を取る人間が存在してしまうと、混乱が発生しないから。

    • ヒロインである夏希先輩の両親は、OZの混乱の影響もあり、エンディングにしか登場しない。両親がいると夏希先輩は、当然のように親を頼るので、両親は解決後にしか娘の元へ来させない。


    • ■「家族の食卓」
    • インタビューなどで監督自身が語っていたように、「家族の食卓」は作画的にもテーマ的にも重要な役割を果たしていた。とにかく、みんなでご飯を食べる。

    • 侘助登場。彼は食卓の輪には加わらず、食事も口にしない。

    • そのあと、栄ばあちゃんが侘助をナギナタで追い回す際に、食卓は一度崩壊する。

    • 次の日の朝(「栄の退場後」)、これまでひとつの食卓を囲んでいたが、はじめて別々のテーブルで、一人ひとりに配膳された食事をとり、食卓がバラバラに。

    • しかし、侘助が帰還し、親族が再びひとつになると、大テーブルをみんなで囲み、大皿の料理を取り分ける食事をとる。ここは良かった。侘助が食卓につく際に当たり前のように誰も何も言わないのがよかった。

    • そしてその後、同じ食卓で食事をした全員で、ラブマシーン撃破に成功する。

    • 食卓の役割が非常に分かりやすい。

    • と、思ったら、「世界危機のタイムリミットが刻まれているときに、なぜ呑気に全員でご飯食べてるんだ」と怒っている人もいるらしい。現実で取るべき正しい行動と、フィクションでの正しい行動は別物なんだけどな。


    • ■「主人公ケンジくん」
    • OZ混乱の犯人扱いされたあと、警官の翔太兄(にい)に身柄を拘束され、車で連行されるが、そのときに「え?この家を出るの?」って驚いた。
      連行途中で陣内家に引き返すのだけど、『ぼくらのウォーゲーム!』がマンションの部屋から一歩も出ずに解決したように、陣内家から一歩も出ずに解決させるのかな、と勝手に思っていた。
      あれは、ケンジに実際発生している混乱を、肉眼で確認させるためなんだろうか?

    • ちなみに陣内家に来た夜には、大家族なんて苦手だ、と言っていたのに、翌日の身柄拘束時には、楽しかった、来れて良かったと告白する。正直、ここはよく分からない。

    • 個人的には、親類一堂が集まって大家族状態になることが当たり前の夏希先輩にとっては、普通で面白くもない毎度のことで、そういう当たり前が、ビジターのケンジにとっては楽しい、ということにした方が良かった気がするなあ。
      ケンジ「こうやって、全国から親族が集まってみんなで食事するって面白いですね」
      夏希「そう?私には当たり前すぎて、面白くとも何ともないんだけど」

    • その後、「栄の退場」があったり、侘助と親族のいさかいがあったりして、夏希先輩が親族特有のうっとうしさがイヤになり、「家族」に絶望するパートに進んでおく。
      そこでケンジがバラバラになってた家族をひとつの目的でまとめあげて、夏希が再度、家族っていいな、と再発見する。
      ケンジが陣内家に入っていって、親族の大切さ、すばらしさを再認識させてくれたから、夏希はケンジに魅かれる。というような展開の方が分かりやすかったんじゃないのかな、という気がする。


    • ■「ヒロイン夏希先輩」
    • 先に書いたように、個人的には「家族」の良さを認識するのは、ケンジでなく、この人であるべきな気がする。そういう意味で夏希を主人公のように扱う方向もあったかも知れない。

    • 「侘助に負けているのに、花札決戦の代表になることに説得力がない」との声も耳にするが、侘助との勝負では、夏希の方が手札も良く、引きも良く、基本的に夏希はついてた。ただ、勝負の駆け引きという意味では侘助の方が上だったというのを見せたかったんじゃないかな。
      ラブマシーンは花札の知識が無い上に、AIのせいか駆け引きも侘助ほどでは無いので、十分勝てる見込みのある勝負だった、という意図だったのかな、と思った。

    • ただ後述するが、私個人としては、こういう映画ならくどいほどにフリがあって、それを回収していくのが好きなので、夏希=ラッキーガールのシーンが細かく挿入されている方が好き(もちろん、ケンジ君は対比としてアンラッキーということになって気の毒な目に会うだろうけどね)。幸運であることは絶対にセリフでは出ないが、こうした細かいコメディシーンで分かる、ということにする。

    • 最後に軌道がずれた人工衛星が落ち、温泉が湧き出るのも夏希のおかげにすればいいよ。もちろん、何かするわけではなく、衛星をキッとにらんで、「ここには!おばあちゃんのいるこの家には落ちないで!」と叫ぶだけでいい。それで十分。


    • ■「侘助」
    • 「栄の退場」のあと、このまま伊丹十三『お葬式』になってしまうんじゃないか、と思ったが、映画見た後で調べてみたら、『お葬式』の主人公の名前が「侘助 (山崎努)」なのか。なるほどね。


    • ■「キング・カズマ」
    • 仮想世界OZでのアクション担当。

    • カズマの問題は、いじめと、はじめて年の離れた兄弟が出来たことに起因するが、解決にはケンジはほぼ関係ない。

    • 主人公が全ての問題を解決する必要は無いが、あれほど大家族の食卓から離れていたカズマが、中盤からはいつの間にか家族の輪に入っていたので、食卓の輪に戻るきっかけだけ、ケンジが作った方が良かったかな、と思うんだけど、どうだろうか。

    • 年少組の子供たちがマスコットなだけなので、カズマの兄弟っていいな、お兄ちゃんになるっていいな、と思うきっかけ作りに貢献してもいいかも知れないな。


    • ■「ラブマシーン」
    • 敵であって、敵でない。善悪の概念の無く、全ての人々に迷惑をかける災害のようなもの。
      災害に対して、誰が悪い、なぜこうなったと言っているヒマなどなく、行動して、ことを収めることが何より先決。そして陣内家には、災害対処のエキスパートが揃っている。
      この映画は、災害を収束させたところで終わり、内面や、善悪の判断は、意図的に映画の外に置いている。

    • ラブマシーンが、アカウントを奪い、成長して、権限を増やし、神々しくなっていく様を見て、星新一のショートショートを連想した。
      「神」とは何か、を知るため、研究者が「神」に関するありとあらゆるデータをコンピューターにインプットしていく。コンピューターは次第に光を帯び、そして最後は人間からは見えなくなった。
      (と、いう感じの話だったと思う。あれは、どこに収録された、なんと言う話だったろう?)

    • ラブマシーンは知識欲、知的好奇心を与えられたハッキングAIだそうだ。知識を蓄え、知的好奇心を満足させられるなら何でもする。しかし、ラブマシーンから与えられた意味不明の暗号を、知的好奇心だけで解いてしまったケンジと、何がちがうのだろうか(ケンジは結果的に無罪だったが)。
      もちろん違うのだけれど、その辺りは割りと省略してあるのかな。

    • ケンジがなぜ、数学オリンピック代表になれなかったのか、というあたりと、ひたすら貪欲に知識を蓄えて強大化するラブマシーン、とかの対比でもうひとつぐらいテーマ足せそうだけど、まあ優先度低いよね。


    • ■「その他いろいろ」
    • ケンジの友人佐久間くんは、すばらしく便利だな。デジモンだと光士郎だね。

    • 『ぼくらのウォーゲーム!』は、「デジタルモンスター」という、ポケモンタイプの作品が原作だったため、主人公はデジモンを前線で戦わせ、後方で指示を出す、という形だった。この形式は「友達」を戦わせる一方で、主人公は手を汚さない。
      そのため『ぼくらのウォーゲーム!』では、後半で主人公がモニタの中のネット世界へ入りこみ、デジモンと一体化して、直接戦いに参加する。

    • 「主人公が主体として戦闘に参加する」というのは絶対に必要なシークエンスだと思うが、『ぼくらのウォーゲーム!』の中でもっとも、概念を大事にして、現実を飛び越えた場面だった。ポケモンタイプの作品で主人公が戦いの主体となるためには仕方ないのだが、他の場面とのリアリティレベルと比べて、どうしても私は違和感が残った。

    • 『サマーウォーズ』では、本人がアバター(ネット世界での分身)と同一なので、デジモンが抱えていた問題は最初からクリアーされている。時代の変化と、オリジナル作品であることで自然かつスムーズに解決されたね。

    • 「栄の退場」後、ショックを受ける家族全員を大広間側から、カメラを横移動させながらとらえるシーン。メガネのおばさん(声は『時かけ』のヒロイン)が、赤ちゃんにお乳をあげている。非常に分かりやすい。

    • 栄ばあちゃんは、物語の途中であんなことになってしまうが、あれ無しで何とか構成できないかな、というのを色々考えた。
      もちろん「かわいそうだから」とかではもちろん無く、あれが絶対必要な要素なのかどうか、ちょっと考えてみたかったのだが、映画という限られた時間だと、あれを入れて構成を組むのがもっとも分かりやすくて、流れもスムーズになるはず。
      ただ、もっとも効果的であるのを認めた上で、それに抗いたい気持ちに少しなった。


    • 細田守に何を求めるのか―私の場合


      私は細田さんに、情緒的な所は全然求めていないんですよね。
      求めているのは、構成が巧みで、視点が俯瞰的で、対比を重視して、展開を同時進行して、それをキレイに最後に全部回収して、というテクニカルなところなんですよね。テクニカルな「まんが映画」なところが好き。
      だから例えば、細田さんの作品で「泣く」ことはこれまで無かったですし、求めてもない。

      そういう意味では、『サマーウォーズ』はもっと悪ノリして「やりすぎ」て欲しかったという気がする。
      リアリティなんて、豚に食わせてもいいから、うまくいきすぎ、やりすぎな細田アニメが私の好みです。

      ■やりすぎサマーウォーズ

    • 後半の見せ場、花札決戦。夏希アバターの魔女っ子変身シーンで、てっきり栄ばあちゃんにもらった朝顔柄の浴衣にちなんで、朝顔柄に変わるかと思ったのに全然そんなこと無かった。ジョンも気がきかねーな!

    • 最後に温泉が湧きますが、温泉が湧くこと自体は全然いい。リアリティとかなんて関係なく、むしろ湧くべきだとすら思うが、温泉の「フリ」が無いような気がする。「フリ」した上で温泉湧こうよ。
      先に書いたように、湧いたのは、ラッキーガール夏希のおかげということでいい。

      そしてスタッフロールを後日譚のフォトアルバムみたいにして、一族みんなで温泉入ろうよ。
      いやがるカズマも湯船に入れて、カズマが女の子だという誤解にとどめをさそうよ。

    • 紅白まんじゅう等の、まんじゅうネタは回収されてるんだっけ?セリフは無かったと思うけど、背景にあったりしたんだろうか。そこまで確認できなかったけど。

    • 物語と並行して進行する高校野球の試合は、細田さんらしい要素なんですが、決勝戦の決着は問題解決後、いつのまにか着いてしまっていました。
      非常に分かりやすい要素なので、どうせなら最後も、やりすぎなほど、重ねるほうが好み。例えばこんな感じ。

      延長戦。ランナーを置いてのサヨナラのチャンスに、上田高校のピッチャー(陣内家)が平凡な外野フライを打ち上げる。ダメかと思いきや、なぜか敵外野手がこれを落球。サヨナラ勝ち。
      (もちろん、このプレイが行われている瞬間には、ケンジによる軌道修正が行われており、プレーの描写自体は当然省略される)
      アナウンサー「平凡な外野フライに見えましたが・・・なにか落下予測地点に誤差が生じたのでしょうか?風でしょうか?」
      解説「どうでしょうか?これはまさに、奇跡としかいいようがありませんね」

    • あとは、落ちてくる小惑星探査衛星を、エヴァ三体で受け止めたらよかったんじゃないかな。三体の配置は女のカンで。

      アスカ「思ったより、全然速いじゃない。私じゃ間に合わない!」

      ケンジ「よろしくお願いします!」(エンターキーを押す)
      落下軌道を微妙に変える小惑星探査衛星。

      シンジ「軌道が変わった!ミサトさん!」
      ミサト「605から607!急いで!」

      箱根から上田までは遠いけど、シンジさんが音速を越えて走ればきっと何とかなるよ。




    • 『サマーウォーズ』まとめ


      いい映画であることは間違いないのですが、細田さんにしては、同時進行イベントと、対比構造が弱いのでは、という印象を受けました。(もちろん、私は「やりすぎ」大好き病なんですけどね)
      リアリティや、話のつじつまやディティールを、勢いとスピード感でねじ伏せるような映画であれば、前半でまいておいた要素が全てクライマックスに向かっていく必要がありますが、(意図的でしょうが)回収していないものや、スムーズでないものもあり、全てが1点に集まるような感覚が私には味わえませんでした。
      私がノリ切れなかったのは、『ぼくらのウォーゲーム!』体験のせいでもなく、このあたりなのかな、という気が、この文章を書きながら何となくしてきました。
      リアリティがどうこうでもなく、家族やネット世界の描き方がどうこうでもないんですけどね。
      映画ってむずかしいですね。

      いろいろ書きましたが(妄想しか書いてない)、『サマーウォーズ』は金曜ロードショーで立派に放映できる映画です。
      そこが本当の『サマーウォーズ』のスタートなのかな、という気もします。


      『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

      このブログの『サマーウォーズ』記事です。よろしかったらどうぞ。最初の記事はネタバレありません。

      ■見る前(上映前)のレビュー
      日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

      ■見た後のレビュー(この記事) ※ネタバレあり
      サマー"ウォーズ"バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ>

      ■特別編:ゴハン食べるの?食べないの?(フード理論) ※ネタバレあり
      世界の危機には「家族で食事」を <『サマーウォーズ』 フィクションと現実で異なる「正しい行動」>

      ■完結編:『サマーウォーズ』のパッケージングと可能性の検討について ※ネタバレあり
      10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>
    人生で初めて買ったDVDは、細田守監督作品、劇場版『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』 でした。

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    その細田守監督の最新作、映画『サマーウォーズ』は8月1日公開。
    今はまだ7月。公開前。私は試写会にも行っていないので、まだ作品は見ていない。
    見てないのに、いや見てないからこそできる『サマーウォーズ』のおはなし。



    『サマーウォーズ』は、『ぼくらのウォーゲーム【リビルド】』?


    ネットをながめていると、あちこちで、『サマーウォーズ』の試写会へ行ったというお話や感想が。うらやましい限り。

    見に行った方の感想を読むと、映画の内容は『ぼくらのウォーゲーム』を再構築した、『ぼくらのウォーゲーム【リビルド】』のようです。同じことを、多くの皆さんが話しておられるので、恐らくそうなのでしょう。

    これは予告編を見ても、ある程度は感じることはできますね。

    ■「サマーウォーズ」 劇場用予告


    ああ、細田さんの集大成的なところもあって面白いなあ。『ぼくらのウォーゲーム』の田舎とネット描写、タイムサスペンス。『SUPERFLAT MONOGRAM』のアバター。夏と恋と高校生。

    そうか。『ぼくらのウォーゲーム』が、サマーを冠につけて帰ってきたか。
    人生で初めて買ったDVDが『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』である私としては、これは喜ぶべき情報だ。

    しかし、これに対しては、当然のように別の反応も考えられる。

    映画の公開後、
    「なんだよ、サマーウォーズって、デジモンの焼き直しじゃないか」
    という感想が出てきたりするかも知れない。

    その反応は分かる。でも、そういう人はちょっと見ている範囲が狭すぎるんじゃないかな。
    ここでは、『ぼくらのウォーゲーム』が再構築(リビルド)された意義を考えてみたい。

    今ここで、細田守が選んだ映画


    あえてはっきり言うけど、デジモンの映画なんて誰も見てない。
    見ているのは、当時のターゲットである子供と、一部のアニメファンだけ。
    だって「東映アニメフェア」で「デジモン」で「40分」の映画だもん。
    当時、アニメが普通に好き、という私の周りの友人たちも見ていなかったが、それは当然だと思う。

    だから、「あなた」がすでに『ウォーゲーム』を見ているかどうかは個人的な問題で、映画『サマーウォーズ』の成立にはあまり関係がない。

    映画『ぼくらのウォーゲーム』は、誰にも見られていない。
    そのあと「誰もが見る映画」になるはずだった細田版『ハウルの動く城』は幻になった。

    そして、その後『時をかける少女(時かけ)』で再び高い評価を受けたことで実現したであろう、次の映画が、この『サマーウォーズ』。

    『時かけ』を経て、次回作のチャンスを得た細田さんが選んだのが、ほかでもない『ぼくらのウォーゲーム【リビルド】』なのは圧倒的に正しいと思う。
    今必要なのは、劇場版『デジモン』よりも(さらにいえば『時かけ』よりも)、広く、遠くまで届く『ぼくらのウォーゲーム』だ。
    金曜ロードショーで放映できる『ぼくらのウォーゲーム』だ。

    エヴァンゲリオンも今、再構築(リビルド)がされていて、それは細田さんとはまた意味合いが違うけれど、共通して言えることは、再構築は決して無意味じゃないということ。
    時代や状況、選ばれた作品の枠組み、制作者当人、そして見ている人々も変化していくものだから。それをちゃんと把握して、行われた再構築は無駄にはならない。
    出てくるキャラクターやストーリーラインは、ほぼ同じでも、物語の持つ意味を変えることはできる。
    (自分でも『聖戦士ダンバイン』の記事を書いた時に、その片鱗だけでも体感したから、私はその価値を信じる)

    だから、もし公開後に「サマーウォーズなんて、デジモンの焼き直しだ」という人がいたなら、その人にはこう言いたい。

    「君のいうことは正しい。―――だが、なぜそれを喜ばないのか」

    地上波でゴールデンタイムにリピート放送できる映画


    デジモン映画のリビルドであることは、批判ポイントには全くならない。私は肯定する。

    すばらしい作品であるにも関わらず、「デジモン」だからって、「東映アニメフェア」の1本である「40分」作品だからって、みんなが見ていなかった映画が、『時かけ』の監督最新作として、2時間の映画になって帰ってきたんだよ。カムバックサーモンだよ。喜ぶべきことじゃないのか。

    『サマーウォーズ』はおそらく、『時をかける少女』のように地上波で放送するだろう。
    うまくいけば夏の風物詩になってくれるかもしれない(なってほしい)。
    友人はもちろん、家族や恋人や、デジモンを知らない世代の子供たちとも一緒に見ることができる。

    『ぼくらのウォーゲーム』みたいな楽しい映画が、みんなで見れるような映画になって帰ってきた。
    うまくいって夏の定番になれば、リピート放送されて、ずっとこの先も見れる。
    これが喜びでなくて、なんなんだ。
    自分が見たことがあるからといって批判する必要などない。

    誤解の無いよう書くが、これは私が『ぼくらのウォーゲーム』が好きだから、もう1回それが見れてうれしい、という話ではない。それを喜ぶなら、DVDを繰り返し見ていればそれでよい。

    私は『ぼくらのウォーゲーム』が、誰でも楽しめる普遍的な面白さを持っていることを知っている。
    しかし『ぼくらのウォーゲーム』が、ある一部の層にしか届かない作品であることも知っている。

    作品が持つ面白さと同時に、その限界を知っているからこそ、それが今『サマーウォーズ』という別の映画になって現れたこと、それに意義を感じる、という話だ。

    これでやっと、作品が持つ普遍的な面白さと、作品が届く距離と範囲のギャップが解消され、ゴールデンタイムの地上波でリピート放送されるようなアニメ映画になっているかも知れない。

    そして、それができているのは、現時点ではジブリ映画。つまり宮崎駿だけだ。

    「宮崎駿の後継者」としての細田守


    細田守を「宮崎駿の後継者」と呼ぶことに一面の真実があるのだとしたら、そこに期待を込めるのだとしたら、私はゴールデンタイムにTVで流せるオリジナルアニメ映画を作れるかも知れない、というところにこそあると思っている。作風だの演出だのではもちろんない。
    (逆に個人的には、庵野秀明にはゴールデンタイムじゃない宮崎駿を担当してほしい)

    だからこそ、『サマーウォーズ』を構成する要素として「家族」を入れてきたのには、私は方法論としては納得できる。実際どう表現されたのかは、見てみないと分からないが、結果はどうあれ、考え方、やり方自体は間違ってないと思う。
    このあたりは、『ウォーゲーム』よりも、家族がいらない映画『時かけ』と対比させて考えた方が分かりやすいかも知れないね。

    『サマーウォーズ』を見ていて、インターネットやSNS、アバターなどが分からない大人は、一緒に見ている子どもたちに聞こう。
    田舎や花札のことが分からない子どもたちは、一緒に見ている大人に聞こう。(私も、子供のころ、花札は父や大人たちに教えてもらって遊んだ)
    見ていて、分からないことが映画の中で全て解消される必要はない。
    映画の外で(理想は家族のコミュニケーションで)、解消されることを促すようなつくりでも面白いんじゃないか。実際、どうなのかは見てないので分からないが。

    あと映画に季節感を付与するのは、宮崎駿との違いとしては、いいやり方だと思います。
    でも夏の映画はこれで2本になりましたね。
    今度は年末にでも放映できるようなクリスマスや冬の映画でもつくるといいかもしれないね。



    というわけで、まだ見てないからこそ、今のところ私にとっての『サマーウォーズ』の位置づけはこんな感じになります。CMの入りタイミングまで覚えるほどにリピートされる映画になっていたら一番うれしい。

    ネットの描写はあくまでアバターを介した象徴的なものだから、すぐにダメになるようなものでもないでしょう。(実際、『ぼくらのウォーゲーム』も、Adobe Illustrator的なネット世界を選択しているおかげで、古びることを最小限に抑えていると思う)

    しかしこれで実際見てどうなのかは神のみぞ知る、ですね。
    すでに試写会に行った人から見ると、バカなことを言っているように見えるのかも知れない。
    でも、ここまで希望と理想に満ち溢れたことは、公開前じゃないと言いづらいしね。

    しかし、仮に『サマーウォーズ』の作品の出来がどうだったとしても、自分の書いたことは無価値ではないと信じていますし、考え自体は変わらないでしょう。

    とにかく『サマーウォーズ』が楽しみ。
    「夏」はすぐそこまで来ている。



    8/19追記:『サマーウォーズ』見てきましたので、感想メモを書きました。

    『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

    このブログの『サマーウォーズ』記事です。よろしかったらどうぞ。最初の記事はネタバレありません。

    ■見る前(上映前)のレビュー(この記事)
    日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

    ■見た後のレビュー ※ネタバレあり
    サマー"ウォーズ"バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ>

    ■特別編:ゴハン食べるの?食べないの?(フード理論) ※ネタバレあり
    世界の危機には「家族で食事」を <『サマーウォーズ』 フィクションと現実で異なる「正しい行動」>

    ■完結編:『サマーウォーズ』のパッケージングと可能性の検討について ※ネタバレあり
    10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

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