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漫画は展開が早い方が面白い、というのは100%正しいと思う。
『DEATH NOTE』の時もそうでしたが、たらたら展開を引き伸ばしてやるよりも、ぽんぽん先へ進む、かつ密度が濃いものの方が面白いに決まってる。
面白いものが、より面白くなっていく状況を止めてまで、展開を引き伸ばす必要はないですから。」
『バクマン。』担当編集 相田聡一氏


わーん。『バクマン。』の展開が速すぎる!
『バクマン。』記事を以前から準備していたけど、展開が速すぎるせいでそのたびに修正して、修正がおっつかない。いつまでたっても公開できない無間地獄。
もういい。こうなったら、いかに私が『バクマン。』の高速展開に振り回されたかも含めて、これまで書いたもの全てを面白おかしく見てもらうことにしよう。



『バクマン。』とは?


まずは簡単に『バクマン。』の紹介から。
今日ご紹介するのは、岡江久美子の旦那でも、エルエルさんの保護者兼フーリガンでもなく、マンガ『バクマン。』ですので、お間違えなきよう。

バクマン。 1 (1) (ジャンプコミックス)バクマン。 1 (1) (ジャンプコミックス)
(2009/01/05)
大場 つぐみ

商品詳細を見る

週刊少年ジャンプ連載のマンガ「『バクマン。』は、高校生のマンガ家コンビを主人公にした物語。
原作担当のシュージンと、作画担当のサイコーの2人がコンビを組んで、少年ジャンプのヒットマンガ家を目指します。
架空のマンガ雑誌ではなく、実在の週刊少年ジャンプ(「ONE PIECE」や「NARUTO」も存在する)を舞台にしているのが面白いところです。
作者は、『デスノート』で大ヒットを飛ばした、大場つぐみ(原作)+小畑健(作画)コンビ。

では、ここから『バクマン。』の高速展開と、それに振り回されっぱなしの私の感想を見ていただこう。
文中には今でも通用する部分と、すでに時代遅れになっている箇所とが混在しています。恥ずかしいし、価値が無くなったものもありますが、あえて切り分けずに思考の過程として、全部お見せします。



『バクマン。』狂想曲 第一楽章


■『バクマン。』あらすじ その1
絵の上手なサイコーは、優等生シュージンにコンビを組んでマンガを描こうと誘われます。
はじめは断るサイコーでしたが、クラスの好きな女の子が声優を目指していることを知り、「いつか自分達のマンガがアニメ化されたらヒロインをやってください。あと結婚も。」と、宣言+告白をしてしまう。
これでヒットマンガを描かないといけなくなったサイコーは、シュージンとのコンビをスタートさせるのでした。


現在のところ、『バクマン。』作品内では、以下のように目標が設定されています。(これは今でも変わってない)

『バクマン。』の目標設定
・ジャンプでマンガをヒットさせて、「TVアニメ化」を達成する。

(サイコーはこれを達成して、ヒロインと結婚する)

マンガ家マンガでの目標が「アニメ化」というのが面白いですが、今のジャンプマンガの「あがり」がTVアニメ化になっているのも確かです。

個人的には『バクマン。』という作品では、さまざまな試みがされているので、その効果次第では、どの段階で終わっても特に気にしません。物語としてだけでなく、大きなシステムとして楽しんでいると言った方がいいでしょうか。

それを詳しく語るには、ちょっと話題を変えて、"『バクマン。』世界に、マンガ『デスノート』は存在しているのか問題"から考えてみたいと思います。

『バクマン。』世界に、マンガ『デスノート』は存在しているのか


『バクマン。』は実在の週刊少年ジャンプを舞台にしているため、「ONE PIECE」や「NARUTO」など実際にジャンプに連載中のヒットマンガは当然『バクマン。』内にも存在しています。
では『デスノート』はどうなんでしょうか。
『バクマン。』内のジャンプには、過去『デスノート』が連載されていたのでしょうか?

どうなんでしょうも何も、『デスノート』という単語は、『バクマン。』第一話での主人公2人の出会いシーンですでに登場しています。学校へ忘れ物のノートを取りに戻ったサイコーに、ノートを先に手にしていたシュージンがこう言います。

シュージン「そんな深刻な顔するなよ。デスノートってわけじゃないだろ?」


『デスノート』が大場・小畑コンビのヒット作であり、原作担当のシュージンが大場つぐみポジションであることを踏まえた、くすりとさせるファンサービス的なセリフです。

しかし、これはマンガ『デスノート』の事なんでしょうか。

マンガ『デスノート』だとすると、「ONE PIECE」や「NARUTO」と同じように、小畑・大場コンビも『バクマン。』世界に存在することになってしまいます。それは色々と都合が悪くないでしょうか。

マンガ原作者としてのシュージンは、理性的に分析をして、ひねりを加えたお話を作るのが得意のようですが、そんな彼の性質は、私が持つ大場つぐみさんのイメージと自然に重なります。
作中に登場するシュージン原作の「この世は金と知恵」というマンガは、実際に大場つぐみさんが企画したマンガだそうですが、それをシュージンが企画してもキャラクター的にも何ら違和感はありませんでしたよね。
今のところ、マンガ原作者としてのシュージンは、大場つぐみに限りなく近い。
ジャンプの編集者に、シュージンが評価されている点も、今のところは、”大場つぐみ的なマンガ”を考えられるところにあるようです。

しかし、そうなるとジャンプ連載陣のマンガ家として見れば、シュージンは『デスノート』の大場つぐみと競合してしまいます。
だから少なくとも大場つぐみは『バクマン。』内に存在しない方が都合がいいはずです。
これからジャンプに風穴を空けるであろうシュージンが、編集さんに「君の考えるお話は、大場さんと似てるね。」「でも君みたいなマンガを考える人は、うちにはもう大場さんがいるからなあ…」となっても仕方ないですしね。

ロボットの鳥山明が出てくるならともかく、そもそも『バクマン。』のようなマンガで、作者がマンガ内に(登場ではなく)存在していることだけでも単純に考えてもやりづらい。
だから、大場つぐみの存在は消し、それに伴って『デスノート』の存在も消しておくのが一番いいのではないか。
大場つぐみと『デスノート』の存在を消すことで、シュージンは大場つぐみとかぶることなく、"大場つぐみ的な"作品を発表することができるというわけです。

…となると、第一話での『デスノート』発言は、どう解釈すればいいのか。ジャンプに『デスノート』が連載されていなかったのであれば、シュージンが言う『デスノート』とはなんのことなのか?
これは、マンガ『デスノート』ではなく、「デスノート事件」を指している、というのはどうでしょう。
第一話のギミックとして『デスノート』という単語は使いたいが、マンガの作品名として使いたくない、ということであれば、『バクマン。』の世界は、実際にデスノートによる殺人があった世界ということにすればいいんじゃないかな。
『デスノート』のコミックス持ってないので分からないですが、デスノートの存在そのものはごく一部の人しか知らないんですよね?まあ都市伝説や陰謀論のような形で、『デスノート』というトンデモ話が流布していて、物好きだけが信じている、という感じならばシュージンが『デスノート』という単語を知っていてもいいかな?

まあ『デスノート』世界と『バクマン。』世界をつなげるのは、シュージンのセリフに後付けの整合性を持たせようと思っただけでそこに興味はありません。

本題は、実在するジャンプという雑誌を舞台に、あまりに"大場的"なシュージンが、これからマンガ原作をやるためには、大場つぐみの存在を消さないといけないんじゃないか、という推測です。
(サイコーの叔父「川口たろう」の死は、存在を消すという意味ではまさにそうなのですが、あれはガモウひろしの死であって、大場つぐみの抹消ではないと思いますので。)

この辺りをどうするのか興味深いなあ、と思って見守っていたら、展開が激しく動きました。

『バクマン。』の主人公達が、「王道マンガ」を目指すことを宣言したのです。



『バクマン。』狂想曲 第二楽章


■『バクマン。』あらすじ その2
シュージン原作の「この世は金と知恵」は、いわば"大場つぐみ"的に、ひねりの効いたマンガで編集にも高評価だったが、サイコーは王道マンガで勝負したいと言い、2人は王道マンガのネームをつくる。
しかし、それを見た編集は「君達は王道で人気は取れない」「このネームも面白くない」と言い放つ。
その評価自体には、サイコー、シュージンも納得していたが、2人はあくまで王道マンガでの勝負を望み、編集もその熱意に負けて、半年という期限をきって認めることに。目指すはジャンプマンガの中心、王道バトルマンガだ!


これには少し驚きましたが、驚くと共に、王道を選ぶというのは、実に上手い方法だと思いました。

1つ目に、ジャンプの王道マンガこそアニメ化されやすい作品であること
2つ目に、シュージンと、大場つぐみの競合問題を解消できること
3つ目に、シュージンが王道マンガを考える=大場つぐみが王道マンガを考える、であること


アニメ化達成を急ぎたい2人に王道マンガは(困難だが)最短距離。
しかも王道マンガであるなら、シュージンと大場つぐみは競合しない。無理に『デスノート』の存在を消す必要もなくなる。
そして3つ目。シュージンが、大場つぐみと別の道(王道)へ行くということは、結局のところ、大場つぐみが王道マンガにチャレンジすることになります。これはちょっと面白そうですよね。
大場つぐみは、正直なところ、いわゆる典型的なジャンプ「王道」バトルマンガに向いているタイプには私には見えません。
もちろん「王道」作品を分析したり分解、再構成する、といった分野では、むしろ得意でしょう。
(大場=ガモウひろしとすれば、「ラッキーマン」はその力が発揮された作品と言えるかも知れません。)
しかし、ジャンプの王道マンガというのは、「努力・友情・勝利」のジャンプ三大原則が入った長編バトルマンガを指します。

『デスノート』では、主人公夜神月は、努力なしで強大な力(ノート)を手に入れ、友情でなく彼一人の知恵で立ち回り、最終的に勝利でなく敗北しています。「努力・前進・ア ビュリホースター」というジャンプ三大原則の真逆を行くのがすばらしかったところですが、王道であれば、このような大場つぐみ得意のひねりの手は使いづらい。

では、大場つぐみが書くにふさわしい王道マンガとはどういうものでしょうか?

大場つぐみのメタ王道マンガ


その可能性の1つだと私が考えるのが、メタ王道マンガです。
王道マンガ作品自体は、マンガ内マンガの形にして、その王道マンガが生まれる過程、作られていく過程を見せるマンガにします。
大場つぐみが『バクマン。』をつくり、その中でシュージンが王道マンガをつくり、その王道マンガの中で、物語が動くわけです。
それは「王道マンガとは何か?」を作者(シュージン、サイコー)という視点で考え続けると共に、挫折あり失敗あり衝突あり、友情あり努力あり成功(勝利)あり、という創作過程そのものを、王道マンガ展開として見せるということでもあります。

王道マンガ自体は、ダイジェスト形式で部分的にだけ読者に見せる。
「まんが道」で途中に挿入されるマンガの断片のように。
全てを見せる必要はない。最高に盛り上がって面白そうなところだけを見せる方がいいでしょう。
(逆に言うと、サイコー達のマンガは部分的にせよ、ちゃんと見せて欲しい。「ヒカルの碁」の碁のような「分からなくても大丈夫」な存在にしてほしくない)

自分は「王道」マンガは書けない。でもそれでも「王道」マンガを書くとしたらどうすべきか。
ストレートに書けないなら、「王道マンガ」とどう関わっていくのかという部分をひねるしかないでしょう。
だからメタ視点にして、王道マンガを連載するマンガ家のマンガを作る。シュージン越しに王道マンガと関わる。
さすが。この構造はすばらしい。すばらしいひねりようだと思います。

こうしてシュージンは、『デスノート』の大場つぐみとは別の道を行くことになりました。
それはすなわち、大場つぐみが、大場つぐみなりのやり方で王道マンガに関わっていくことを意味します。
これは第二の『デスノート』を書かないために、非常に計算されたやり方だと考えます。

第二のデスノートを書かないために


大ヒットを飛ばしたジャンプマンガ家が、次の作品で失敗する光景を私達は何度見てきたことでしょう。
大場つぐみ+小畑健の『デスノート』コンビに求められるものは、デスノートとは違う、デスノート級のヒット作。

しかし、絶対に成功する保証のあるマンガを作るのは極めて難しい。
そして、週刊少年ジャンプで失敗して許される回数には限度がある。

ではどうするべきか?

絶対に失敗しない方法を考えるのではなく、失敗を許容できるようなシステムを作るのが一つの方法だと思います。
絶対に事故を起こさない、ではなく、事故が起こりうることは前提として織り込んで、事故のダメージを極力減らしたり、リスクを分散させるようなシステムをつくるわけです。

ジャンプで連載をするには多くのハードルがあり、問題もあることは『バクマン。』本編でも語られていることです。
『バクマン。』にマンガとしての面白さを追求しつつ、リスク分散機能があるなら、私は喜んで肯定したい。

『バクマン。』が持つさまざまな機能(の可能性)


「これはちょっと実験的になっちゃうんですが、『バクマン。』の二人組が描いた漫画を実際に載せるということも、いつかはやってみたら面白いかなと個人的には思っています。」
『バクマン。』担当編集 相田聡一氏


例えば、『バクマン。』の主人公コンビの名で、実験的な読切マンガを実際のジャンプ(赤マルでも本誌でも)に掲載してみる。
さらに掲載したマンガのアンケートやリアクションを『バクマン。』のマンガ内へフィードバックさせる。

編集の服部さんからアンケート結果などが主人公達に伝えられ、反省会と次回作への作戦会議という形をとるのが自然でしょう。

×不評の場合
アンケートや感想の結果が思わしくない場合は正直に『バクマン。』中でそれを報告しましょう。
これはあくまで、駆け出しのマンガ家が書いた意欲作です。
『バクマン。』としては、主人公達がぶつかった壁、試練という展開になります。

○好評の場合
アンケートや反応が良い場合は連載の可能性もあります。そのために読者の反応なども見て、キャラクターや設定などに手を入れて、より連載に向いた素材へカスタマイズすることになるでしょう。
『バクマン。』としては、ひとつの戦いに勝利し、大きく前進するフェイズになります。(野球マンガだと予選突破フェイズとか)

『バクマン。』としては、どちらの展開になったとしても、マンガとして困ることはありません。
失敗したなら失敗したで、そこから新たなマンガが生まれる過程自体をドラマにすればいいのですから。

「それって、新人マンガ家って言う設定を隠れ蓑にして、失敗しても新人マンガ家のせいにするってこと?」

いやいや、何よりも希望するのは、この「新人マンガ家の悪戦苦闘」という形をうまく利用して、大場・小畑ペアには、さまざまな実験をしてもらいたいのです。大場さんはアイデア勝負の短編が向いているように私は思いますが、少年マンガ誌だと、どうしても王道長編マンガが望まれ、キャラクターやアイデアを全て1つの物語に投入することになってしまいます。
だからこそ、『バクマン。』で作った設定を使うことで、オモシロアイデアの短編を低リスクで、色々投入できないでしょうか。
中心はもちろん長編としての『バクマン。』、その中から数々のアイデアあふれる短編や、ダイジェストマンガが生まれる、というのがもっとも私が望むシチュエーションです。

『バクマン。』がそういった機能を持つように創られたマンガなのかどうかは分かりませんが、多くの役割を果たすことができるように設計されているように思います。

『バクマン。』の考えられる可能性
・マンガの現場のレポート
・ジャンプシステム、編集部の公開
・マンガ論議にみんな(ネット)を巻き込む(私のこの記事もそう)
・読者のリテラシーを向上させる。(アンケートの質の向上)
・マンガの投稿者の増加と年齢層の引き下げ
・マンガ投稿者のリテラシーの向上
・マンガ内から、新しい別のヒットマンガをつくる


ここに並べた可能性は、いくつか機能しなくてもそれはそれでかまわない。あくまで『バクマン。』本編が中心としてあるのだから。

しかし『バクマン。』がこのままヒットすれば、マンガを見る目が変わる読者にも影響が出てくるでしょう。アンケートも少し変わるかも知れない。
ジャンプを理解し、マンガを理解する、という意味でね。
さらに、低年齢の子供たちもマンガにチャレンジし、ジャンプへのマンガの持ち込みも増えれば、ばんばんざい。
ジャンプにも、マンガ界にも、それなりの益があるというマンガにすることで、存在自体に意義を見出すこともできるようになる。特にジャンプ編集部は、そのようなプラスアルファの価値を『バクマン。』に見出していると思います。

編集部の望むプラスアルファ効果がどれぐらいあるのかは知りませんが、あるといいな。
連載をする意味のひとつになって、『バクマン。』が続く理由付けの一つになれば、私はそれでいい。

大場つぐみが企画したマンガ「この世は金と知恵」は、いかにも『デスノート』原作者らしさが伝わってくるマンガだ。
『デスノート』みたいに面白いんじゃないか、少し読んでみたいな、と思うが、大場つぐみはそれを第二の『デスノート』として私たちに見せることなく、『バクマン。』の連載を開始した。
そして、その中で主人公シュージンとサイコーは、「この世は金と知恵」を生み出しながらも、あえて王道マンガを目指す。
確かにこの世は金と知恵かも知れないな。



『バクマン。』狂想曲 第三楽章


などと、「王道マンガ」へのシフトチェンジを踏まえて、ここまで書きました。
それでは今週のジャンプ(2009.12号)までの展開は?

■『バクマン。』あらすじ その3
サイコーは、ライバルの天才、新妻エイジのアシスタントをして数々の体験をするが、自分が子供の頃に書いていたマンガを思い出し、「たった2日」でアシスタントをやめる。子供の頃のマンガノートに、お気に入りのキャラ「サギ師探偵」を見つけたサイコーは、推理モノが書きたいと思うようになる。
一方、シュージンも王道バトルマンガではなく、推理マンガの原作を考えていた。
シュージン「俺が得意なのはバトルじゃないんだ!」
2人とも何の相談してないけど、ほぼ同時に王道バトルではなく、推理マンガの構想を思いついていたのだった!


わー。「大場つぐみが考える王道マンガ」とか熱く語った私、バカみたいですねえ。笑え!みんな笑え!あはははは!(片マユ剃り落とす)
王道マンガは、本当に書きたい題材が見つかるまでの前フリのようなものでしたか。
どうやら、ちょっとひねりの効いた推理モノをやるみたいですね。

シュージン「俺が得意なのはバトルじゃないんだ!」


知ってるよ!だから色々考えたのにー。わー。みー。けー。(PUNK LADY)

しかし、どうやら、また大場つぐみっぽいマンガになりそうですね。王道バトルものを分解するところをもっと見たかったから残念だなあ。まあ、この後も色々あるでしょ。
そういう意味では、シュージンと大場つぐみの競合問題は復活したことになりそう。
となれば、やはり、『バクマン。』内のジャンプでは、『デスノート』は無かったことになるのかな。これもまた今後を見守りましょう。(存在が無い、というよりは、触れない、というような形かなと思うけど。)

この推理マンガぐらいのタイミングで、ジャンプに読み切りマンガとして実際に掲載してくれないかしら。
ただ、サイコー、シュージンのマンガは実際にジャンプに掲載して欲しいですが、主人公達のライバル天才新妻エイジ、彼だけは徹底的なフィクションの存在にするのが良いかなと思います。
完全なマンガ内のキャラクターにして現実とは出来る限りリンクさせない。新妻エイジの書くマンガは絶対に読者に見せない。
その上で、主人公達の一歩先行くジャンプ本誌のトップマンガ家というライバルにするのがいいように思います。
実際にマンガなんかを見せてしまうと、天才の底が割れてしまいますしね。

そうすることで、
・実際のアンケートがどうあれ、新妻エイジのマンガがある以上、『バクマン。』では主人公コンビは、簡単に1位にはなれない。
・現実のジャンプ人気マンガ1位ではなく、1位の新妻エイジを倒す、ことにすれば、何も問題は起こらない。

という利用法ができるんじゃないでしょうか。
(サイコー、シュージンは駆け出しマンガ家ですけど、結局、大場+小畑コンビですからね。アンケート結果は素直なものにはならないでしょうし。)

さて、まだ読んでいない皆さん。マンガ家どころか読者までをも振り回す『バクマン。』の高速展開を楽しんでみませんか?
私は振り回されてこんな感じですが、振り回されるほど楽しいことはないよ。
読もう!『バクマン。』そして、書こう!感想記事。(そして、剃ろう!片マユ。)
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デスノートが完結した。
想像してたよりテーマ的な回収も多く、面白い終わらせ方だった。

最終回前に書いたデスノート記事はこちら
デスノート学級会

※このエントリはネタばれを含んでいます。



まず面白いのは、最終回が刑事2人の会話だけで終わっていることだろう。
もっといえば最終回は、「読者からのよくある質問」に連載終了前に作品が答えておく、というFAQ方式だった。

松田を読者目線に立たせて、読者側としてキラ事件とその後についてあれこれしゃべらせる。そしてもう1人の刑事に、作品代表として答えさせる。

あらかじめ読者が考えそうな意見・質問・反論などを想定し、それに答えておくというまさにFAQ。読者の邪推や未練を断ち切るための仕組みだ。

そんなわけで松田は、キラ事件の事後処理について、魅上はニアがノートを使って殺したんじゃないかとか、ニアを誘導してノートを手に入れさせたとか、証拠のない邪推をあれこれをめぐらす。

それに対して話相手の刑事(めんどくさいから検索した…井出さんか)、井出が、こう返す。

「それは、お前の願望だ」
「お前、ライト君が好きだったろう」
はっとする松田。

そう。
僕達は初期の、悪を憎み、悪を裁く天才ライトが好きだった。
警察やLどころか、父も世界もだましてでも、目的を果たそうというライトが好きだった。
大量殺人兵器デスノートを私利私欲でなく世界の悪に対して使えるライトが好きだった。

だから最終決戦。
どうみてもライトの命運は尽きた、という頃になっても
「ここまでは、ライトの計算の内なんじゃないだろうか?」
「この後、逆転がはじまるんじゃないだろうか?」
と信じてる人はかなり多かったはずだ。
もちろん奇跡はこなかった。しかしそうなればなったで、
「ライトはまだ死んでないんじゃないだろうか?」
「ニアは怪しいんじゃないだろうか。真の黒幕はニアなんじゃないのか?」
と考える。

だが、それは井出の言葉で全て終わりだ。

「それは、お前の願望だ」
「お前、ライト君が好きだったろう」

確かにその通りだ。
でもそれは仕方ない。普通の人には当たり前のことだ。

で、普通の人、松田は悩んでいる。
キラがいた時の世界と、1年後の全てが元通りになった世界(我々の現実世界)と、どっちがよい世界なんだろうか…。
もう悪人に天罰を下せる神はいない。悪人はさぞほっとしたことだろう。

一方でニアは、その後も推理と捜査で悪と戦っているようだ。
「デスノート無しでの悪との付き合い方」という意味では、教科書的というか、人間として真っ当な悪との立ち向かい方をニアはしている。
もちろんライトのような悪を裁く圧倒的な力はない。
だがニアは自分の正義を信じている。だからライトを「ただの大量殺人者」と否定できる。

しかし松田どころか井出ですら、キラがいる世界といない世界、どちらが正しいのか分からないという。
松田は読者の代理だからいいとして、作品側のはずの井出ですら、キラの目的自体は否定はしていないわけだ。

場面変わって、岩山の道を歩くローブを来た人々。
山頂で1人の少女が「キラ様…」とつぶやいて灯りのともったろうそくを立て、人々は夜空の月に祈る…。
という場面でデスノートは終わる。

「キラ教」と言ってもいいような宗教的なシーンですが、ここは刑事2人の会話とはうって変わって、テーマ的な回収シーンでもある。

岩山を歩くローブ姿の老若男女のシーン。最終回だというのに大胆に見開きページを使ってることが引っかかっていたのだけれど、立ち読みでしか読んでないので最初は読み飛ばした。
が何か気になって、数日たってから2回目の立ち読みで見直してみて気づく。

場面内にいるローブの人々の中に、青年、壮年といった成人男性の姿がないのだ。

ページ内にいるのは、老人、女性、子供、赤子を抱えた母親…。
つまり社会的弱者だ。ニアのように強くない人たち。悪と直接対峙する力のない人たちだ。

そういった「弱いが正しく生きる人々」を法や警察は守れない。世界は守りきれてない。
唯一の希望、救いの神が「キラ様」だったはずだ。
もちろんそれは真っ当な裁き方ではない。
だから彼らは日のあたる場所でなく、ひっそりと夜の月に祈るのだ。

きっとキラでしか救えない人もいるとも思う。
だからニアみたいにライトを完全否定できない。
ニアみたいに否定して自分の正義を信じて強くは生きられない。

普通の人はそうですよね。

だから作品としても、少年誌らしく堕落したライトには情けは全くかけませんでしたが、ライトが目指したもの=「キラ」とその目的自体は肯定もしないが、否定もしませんでしたね。

連載中も思ってましたが、デスノートは、小説「銀河英雄伝説」のテーマにして究極の選択を思い出しますね。
「最高の独裁君主制国家」と「最低の腐敗民主主義国家」。
どっちの国がいい?というあれをね。

デスノートに置き換えると、
「1人の天才に悪人を殺してもらう世界」と「世界の全員で悪と立ち向かわないといけない世界」どっちがいい?
でしょうかね。さて、どっちがいいかな?

問題提起は充分にしてくれましたから、あとは読者(特に子供たち)が考えるきっかけになればいいのです。

うん。いい終わり方だ。
立ち読みだけなのでストーリーは全忘れしてますが、この終わり方は多分忘れないな。
……(立ち読みのジャンプを閉じる)。

いやね、ノートに名前を書いたら人が死ぬでおなじみのデスノートが次週で最終回なんですよ。
小学校で「デスノートごっこ」が流行し、全国で日ごと「デスノート学級会」が開かれ、先生が「みんなも自分の名前がデスノートに書かれてたらどう思う?名前を書かれた子の身になって考えてみよう」と熱く語ることでおなじみのデスノートが。
まあ、そんなうっとうしい先生はクラス全員のノートに名前が書いてあるけどな!

私は連載で読み流しているだけで細かいことは何にも覚えていませんし、第二部に入ってテンションが明らかに落ちたので毎週1分でパラパラ読みしかしてませんでした。

でも、ここ何週はいよいよクライマックス。いよいよ決着ということで、毎週きっちり読んでました。
今週はラス前だったわけですが、実はすでに決着は2週前ぐらいについてますので、後はもうホント終わるだけ、という感じです。

僕は推理合戦としてのデスノートに全く興味がないですが、テーマには大変興味があります。

まず、あらすじ見てみましょう。



■デスノートのあらすじ

デスノートは、主人公の高校生夜神月(以下、ライト)が、名前を書いたら人が殺せるノートを手に入れたことから始まります。
優秀で正義感の強いライトは、ノートを世のため人のために使うことを決意し、悪人をこの世から消すために使いはじめます。
世界は、悪人を消し続けるライトを「キラ」として英雄・神であると賛美します。世界はライトを受け入れるのです。

その一方で、警察はこの人為的に殺人を発生させているキラ(ライト)を突き止めるため謎の探偵Lと捜査をはじめます。
デスノートは、悪をこの世から滅ぼし正義を実現しようするライトと、探偵Lの推理合戦を主軸としています。



というのが、このお話のアウトライン。

面白いのは、
ライトの行動は、典型的な「少年マンガ」の主人公的行動であることです。

■ジャンプ主人公としての夜神月

いわゆる悪を戦う少年マンガの主人公は以下のような道筋をたどります。

(1)ふとしたきっかけで、超能力を手に入れる。
(2)その能力を使えば、悪いことも良いこともできる。
(3)しかし主人公は悪を倒すために、力を使うことを選ぶ。
(4)その力と戦いが世間、世界に認められる。

分かりやすいところで言えば、藤子不二雄の「パーマン」。
「ジャンプ」のバトルマンガも多くはこのフォーマットにのっかってると言ってもいいでしょう。

「デスノートは、ジャンプのマンガっぽくない」と言っている人もいますが、ライトの行動はまさに上記の通りで、ジャンプマンガの主人公以外何物でもないわけです。
その意味で、デスノートは典型的なジャンプマンガだと言えます。

ただ。
ただ、デスノートが圧倒的に面白いのは、探偵Lによって(そしてその後継者ニアによって)、そのライトの行動が全否定されていることです。
ニアはライトのことを「ただの大量殺人者」と言い切りました。
超能力を身につけた少年が、自己の判断で悪を殺す行為を単なる「大量殺人」だと!
この通常なら賞賛される「主人公行動」を全否定するところがすばらしい!価値の逆転ですね。

実際、ライトは「主人公行動」してるのに、物語の上では完全に悪(=犯人側)として書かれていますしね。

しかし、そもそも、ライトは本当に悪なのでしょうか。

■ライトは悪か?

ライトの「極悪人は死刑になるべきだ」という思想は、はっきりいって僕は中学・高校時代普通に持ってましたよ。
なんというか思春期のかたよった考えというか、潔癖症的というか、さまざまな検討をした上でというわけでなく、ただ悪への嫌悪でそう思っていました。中学・高校の僕はライトの行動を完全に支持すると思う。

だってデスノート使えば、名前は分かってても捕まってない凶悪殺人犯なんかが、抹殺できるんだよ?
世の中で捕まってない殺人者がどれだけの人たちを不安にさせてるか、不幸にしてるか、それを考えると殺すのにためらいがいるのだろうか。
実際デスノート中でも、世界は悪人だけを殺すキラを歓迎した。それで何か僕ら庶民が困るのか?安心こそすれ何か困るのか?

そんな自分の体験からしても、ライトの行動は、中学・高校の正義感として十分指示を得るものだと思うな。
ちょっとこれはデスノートのメインターゲットである今の子供相手にアンケートでもとってみたい。

「キラのやってることは、いいことですか?悪いことですか?」

どんな結果になるだろう。

■ライトと違う正義

Lは、ニアはそれを否定する。
超能力によって、人が人を裁くのは「悪」で「大量殺人」にすぎないと言う。
「北斗の拳」や「ドラゴンボール」などの世界でならともかく、現代、法治国家日本を舞台にしたデスノートでは、その行いは大量殺人であると。

その結論に行くのは全然構わない。そう行くべきだとも思う。
ただ、それをするなら、じゃあ僕達はどうしたらいいの?この世の悪とどう付き合っていったらいいの?
という所を提示するべきなんじゃないだろうか。

魅力的な、とても魅力的な大いなる力での悪へ制裁無しで、この世の悪とどう向かい合うべきなのか。
ライトの正義が違うのであれば、どうすれば良いのか提示しないとデスノートはテーマ的に終われないと思うのだ。

もちろん「絶対的な力を持つ1人でなく、1人1人が正義の心を持って、民主的に法治国家としての手続きを踏み、社会悪と対峙することが大事なのだ」的な教科書回答はあるけど、うーん。
それしかないのだろうか。それがライトのプランより魅力的で説得力に満ちているかどうかの自信が僕には無い。何かアクロバットが必要な気もする。
今まで見てる連載では、ストーリー的に風呂敷を畳んではいるけれど、そういうテーマ的な回収があまり見て取れない。
ストーリーを終わらせたからと言って、物語を作品を終わらせたことにはならないと思うんだけど、来週の最終回でどうするんだろ。

■残されたノート

1つ、話の閉じ方のアイデアとして考えるのは、
L(ニア)vsライト、ではなく、人間vs死神にすることだ。

デスノートは死神がつくったノートであり、ライトは死神の期待に応えて、たくさんの人を殺した(悪人か善人かは死神には関係ない話だろう)。
退屈しのぎにもなったし、死人も増えたし、死神が一番得をしたように思える。

そもそも人間の命をもて遊ぶこのノート自体こそが悪であり、人類の敵ではないのか?
小学校の「デスノートごっこ」に使ってるジャポニカ学習帳が、全て本物のデスノートになったら?

ニアはライトを食い止めて仕事は終わりなのか?本当にやるべきなのは、ノートをこの世から消すことではないのか?
そうでなければ、死神はいくらでもノートで遊び続けるだろう。人に人を殺させるだろう。
ロード・オブ・ザ・リングの「ひとつの指輪」ではないけれど、強すぎる力はこの世から無くさなければいけない。

というわけで、人類vs死神(ノート)という構図にすればうまいことテーマ的も収まるかな、と思ってたんだけど、そういう意味では今週の展開なんかをニアが全く止めなかったのは良くわかんないんだよね。
ノートの始末はどうするんでしょうか。

まあ、メディアミックスだの何だのありますので、政治的な問題でノートを消滅させることはできないのかも知れないですけどね。(デスノートは、ノートが主人公なので、ノートがあれば何でも話はつくれる)

とにもかくにも来週だ。

世界中のノートが全てデスノートになるという絶望全滅ラストでも面白いけどね。
きっちりノートに自分の名前を書く真面目な小学生から死亡。僕はずぼらなのでなかなか死にませんけdおnえwk(誰かに名前を書かれたらしい)

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