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「リアルロボット」ものという言葉を作った機動戦士ガンダムは、さまざまな意味で後世に影響を与えた。
だけど子供の頃、なぜガンダムが好きになったのかといえば、その理由は「善悪も無いリアルな戦争」でも「ニュータイプ論」でもなく、すばらしく出来のいい「ロボットチャンバラ」アニメだったからに他ならない。

保育園の頃、なわとびをグフのヒートロッドに見立てて遊んでいたのを未だに覚えている。恐らく相手側は、木の棒か何かをビームサーベルに見立てて、ヒートロッドと戦っていたんだろうと思う。多分、みんなも似たようなことをしただろう。
この頃の自分達にとって、ガンダムは面白いロボットチャンバラが見れるアニメであり、ニュータイプはごっこ遊びのスパイスのようなものだった。

ファーストガンダムは、それまでのロボットアニメとは違うものとして「別格」扱いされることが多いけど、忘れてはいけないのは、ガンダムがロボットアニメ(男の子アニメ)のお約束を全くはずしていないこと
はずすのではなく、むしろお約束の全てを高いレベルでこなしたからこそ、子供達に人気があったアニメであったことを忘れてはいけない。

というわけで今回は、ガンダムを「ロボットチャンバラ」アニメとして、振り返ってみよう。



「ロボットチャンバラ」とは


「ロボットチャンバラ」、同じような言葉に「ロボットプロレス」があるが、これらの表現はどちらかといえばネガティブなイメージで使われることが多い。
おもちゃ会社のコマーシャルフィルムであるロボットアニメがいかに子供だましであるかを表現するための言葉として使われるのが一般的だ。
(実際、富野監督も自虐的に「ロボットプロレス」という発言を何度もしている)

だがここでは、世代的に富野アニメで産湯をつかった人間として、「子供達を魅了したロボットアクション=ロボットチャンバラ」としてポジティブなイメージで使いたい。
「ロボットプロレス」でなく「ロボットチャンバラ」の方を使うのは、ビームサーベルのためだが、詳しくはこの後を読んでもらえれば分かるだろう。

ファーストガンダムの戦闘名場面大行進


ファーストガンダムのアクションは大変魅力的なのだが、まずは自分にとって思い出深い戦闘アクションを箇条書きで並べてみました。(チャンバラでないシーンも含まれます)

ファーストガンダム戦闘名場面
・1話。爆発させないためにザクのコクピットだけをサーベルで突き刺す(有名なシーン)
・空中のドップ部隊を叩くために最大限のジャンプ→着地(冷却)→ジャンプ。
・グフ戦。ヒートロッドに苦戦。最後の斬り合いで下から入って、腕ごと叩き切る。
・トリプルドム戦。ジェットストリームアタック破り。踏んづけてサーベルを突き刺す。
・ジャブロー。逃げるアッガイを追って全機切り捨てる。白い悪魔伝説のはじまり。
・シャアズゴック戦。ズゴックのビーム砲をシールドで受けるがビームが貫通。やられたと見せかけて、シールド裏から射撃。
・ドレン艦隊戦。当初姿を見せないが、オーラスで直上から登場。正確にムサイのブリッジ、2つのエンジン、主砲をつぶす。白い悪魔伝説その2
・ドレン艦隊のリックドムと格闘。ヒート剣の動きを読むアムロ。「上か下か……下か!」しかしかわされ、ヒート剣をシールドで受ける。が、シールド切られる。あやうしと思いきや、実はシールドの下でもう1本サーベルを抜いていた。
・コンスコン戦。12機のドムを撃破(うちガンダムが9機)。白い悪魔伝説その3。
・テキサスでのギャン戦。フェンシング的な動きをするギャン相手に二刀流サーベルで圧倒。
・ジオング戦。オールレンジ攻撃を封じるために懐へ飛び込む。コクピット位置を胸と読んで射撃(でもはずれ。頭が逃げる)。
・頭と片腕を失ったガンダムでラストシューティング。


「記憶に残っているもの」を出すために、あえて調べたり、映像を見直したりはしないで挙げてみました。(なので、多少の記憶違いや、良い場面のもれがあるかも知れません。)
それでもこれだけの数がぱっと出てくるのは劇中にいかに印象的なアクションシーンが多かったか、ということですね。
特にすばらしいのが、リックドムなど名も無いパイロット相手にも名シーンが続出しているところ。
富野アニメというと戦闘しながらディベート、というイメージを持たれることが多いけど、少なくともファーストガンダムはおもちゃ会社のコマーシャルフィルムとしての仕事を完璧に果たしていますね。(少なくとも私にとってはそう)

ブリッジ→エンジン×2→主砲×2→\(^o^)/


私はドレン(キャメル)艦隊戦の第32話「強行突破作戦」が好きで好きで、ガンダムのエピソードベスト5を決めるときはこれは必ず入れると思うのですが、この回を「アムロ達がプロフェッショナルになったエピソード」として紹介することが多いです。「連邦の白い悪魔」回です。

※この回のダイジェスト動画がありました。

白い悪魔の登場は、4分11秒ごろからです。

冒頭のザクレロ戦(前座)にはじまり、ドレン艦隊戦でのガンダムによる直上からムサイへの全く無駄の無い射撃。リックドムとの格闘、格闘の合間にドレン艦ブリッジへの攻撃、と見所多数。
特にムサイへの射撃は、ブリッジ→エンジン×2→主砲×2とパーフェクト。感動すら覚える。
しかもこれらを、ドレンと木馬を挟み撃ちにするつもりだったシャアのザンジバルが到着する前に全て終わらせるという鮮やかさ。
もし興味をもたれたらぜひ見直してみることをおすすめします。

とまあ、こう書きながら何ですが、実はこの回、全体で見ると色々残念なことになっているのです。もったいない回です。
完全にジオン側(ドレン)視点の物語にして、ドレンが化け物(白い悪魔)に襲われて戦慄する、というお話にリメイクすると相当面白くなると思っています(めぐりあい宇宙でリメイクしてましたが、やはりTVシリーズの第32話としてリメイクしたのが見たい) 。
ダイジェスト動画見ていただくと分かりますが、ムサイ撃沈後にガンダムが登場し、アムロが2カット登場します。最初のカットは目線が見えず素晴らしいのですが、その次に横顔が映っているのがもったいない!
「ドレンを殺すまでは表情を見せない」にするだけでも白い悪魔度が格段に上がったように思います。
ガンダムは出撃シーンも見せず、アムロも最低限しか登場せず顔も見せない。ひたすら「白いやつがいません!」「必ずいるはずだ探せ!」とパニックになるジオン軍のお話。一種のホラー映画だね。

なぜファーストガンダムには格闘戦が多いのか


ちょっと脱線してしまいましたので、話を戻しましょう。
ファーストガンダムはチャンバラ(格闘戦)が多いイメージがありますね。
1話はビームライフル無しでまずビームサーベルですし、その後もグフ、ドム、ビグザム、ギャンと全てビームサーベル決着です。
ララァを死なせてしまった一撃もビームサーベルでした。ラストのジオング戦はシューティングでしたけども。

ファーストの格闘戦の多さは、作品内の理由を適当にいえば、こんな感じでしょうか。

ジオン軍側から見ると
・ガンダムに対し射撃戦があまり役に立たない。格闘戦の方がまだまし。
(ビーム兵器レベルじゃないと歯が立たない)

連邦軍(ガンダム)側から見ると
・射撃でも充分優勢ですが、機動性、運動性の高さ、ビームサーベルという武器の優位性からして格闘は有効な手段だった。
(ヒート剣とビームサーベルが鍔迫り合いするようなシーンが出てきてしまってましたが)


と、一応挙げてみましたが、この辺りは、こじつけというか後付け理由にすぎなくて、制作側として純粋にチャンバラやる意識が強かったんでしょうね。やっぱり。
それは作った人々の世代というものもあったかも知れませんが、なんといってもビームサーベルがスターウォーズ(ライトセイバー)に強い影響を受けたからでしょう。
スターウォーズの公開は1977年(日本公開は1978年)。ガンダムはご存知1979年放送。
どこかのインタビューで、富野監督がライトセイバーを先に出されたのは悔しいというような発言をしていたように思います。

そもそも、スターウォーズ自体が黒澤明のサムライ映画(「隠し砦の三悪人」)を下敷きにしているので、
黒澤明(日本刀)→スターウォーズ(ライトセイバー)→ガンダム(ビームサーベル)
というのが、スペースチャンバラの系譜になっているわけですね。

ビームサーベル戦闘の問題点


ところがライトセイバー(ビームサーベル)戦闘は、素材としてみた場合、結構むずかしいポイントがあるんですよね。
それは「ヒットしたら切れなければいけない」という点。
ライトセイバーはすさまじい切れ味の剣なので、当たったら否応なくスパスパ切れてしまうんです。

「…いや、剣なんだから、すさまじい切れ味は良いことだし、当たったら切れるのは当たり前のことでしょう?」

純粋に戦闘に使う武器としてならばね。
物語の中で使う演出上の道具としては、そう喜んでばかりもいられません。
何が問題なのか。それは「ライトセイバーが戦闘中ヒットすれば、必ず致命傷となってしまう」ことです。

ビームサーベル戦闘の祖、スターウォーズのライトセーバー戦を思い出してみましょう。
ジェダイの騎士同士でしか発生しませんが、人間同士の戦いです。
ライトセイバーがまともに当たればジェダイ騎士といえども、肉体はたやすく切れてしまいます。
エピソード1で、強敵だったダース・モールが、オビ・ワンのクリティカルヒットで、末期の言葉を発する間もなく、あっけなく真っ二つになりましたよね。
ライトセイバー戦をまともにやると決着がああなるしか無いんです。
そうでなくとも四肢を失うことになるでしょう。ルークは父ダース・ベイダーに手首を切り落とされました。
ベイダーの告白も合わせて名シーンですが、敗北したルークはその代償に手首を失うのです(つまり、それぐらいはしないと「敗北」を形であらわせない)。

チャンバラ映画のように「切れた」ということにして倒れる、というのは武器の性質上やりづらいのですね。
そのため、そうしたい時は、エピソード4でオビ・ワンが倒された時のように「突き刺す」という使い方(殺し方)をせざるを得ない。
また激しい攻防を描く中で、四肢が切れてしまうというのも、どうにも後味が悪いものです。
(「モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル」までいくと面白くなりますが)

このため結局、ライトセイバー戦は、
「何合も打ち合うけどなかなか有効打は入らない」
「勝負を決める一撃をどちらが先に決めるか」

という描写にどうしてもなりがちです。

ライトセイバーの凶悪な殺傷力と、傷つきやすい人間の肉体とのバランスが取れていないわけです。
(防御側のバランスを整えてあげる必要があります)

実際、スターウォーズでも、ジェダイ騎士は限られた存在のため剣同士の戦いは少なく、戦闘の多くは対ザコ戦、対メカ戦になりましたが、そうなるしかないと思います。
メカ相手にバッタバッタと薙ぎ倒すしか、後味の良い爽快感を得る方法が無いからです。

こういったことを考えると「ライトセイバー戦が本当に有効なのはロボット物である」ということが見えてきませんか?

ロボット+ライトセイバーの理想的な関係


【ロボット物でライトセイバーを使う利点】
・どれだけ切っても大丈夫。だってロボットだから。マシンだから。
・やっぱりマシンだ。100人切っても大丈夫。
・四肢を切られても平気。だってロボットの手足だから。
・復活も容易で、矛盾も無い。だってロボットだから。
・致命傷を受けても、それは機体が切られただけ。パイロットの生死とは必ずしも直結しない。
・切られた後、パイロットは脱出するなり、最後の言葉をしゃべったりも自由自在。
・人間形態でないもの、サイズの違うものとの戦闘もできる。(対艦船、対ビグザム戦など)
・敗者は最後に花火(機体の爆発)となって華々しく散り、結果が分かりやすく絵面も悪くない。


どうでしょうか。
精神衛生、倫理面のマイナスもクリアーできますし、ロボット物でこそライトセイバーはその名の通り光輝くのではないでしょうか。

特に「傷つくことを許された肉体」というのは大きい。
刀傷ではありませんが、ラストシューティング時のガンダムが印象深い理由の1つが「片腕、頭を失っていること」なのは言うまでもないでしょう。
頭を失っても戦えるロボットは、激闘の結果として「不具」の姿になることを許された存在なのです。

とはいえ、アニメーション制作の面から見て、傷つくロボットの描写というのは面倒な存在でしょう。バンクフィルム(使い回し)が使えなかったりもするでしょうし。
ロボットが傷ついていい存在だからといって、アニメではやりたい放題できるわけではないということです。
そう考えると主役機が「ほぼ無敵」の設定になっているガンダムは実にすばらしいですね。
実際、TVシリーズにおいて、ガンダム(RX-78)の機体は数えるほどしか傷を受けていません。
でもそれは「ガンダムが無敵」だからしょうがないのです。決して腕が飛んだり、足が切れたりすると、余計な手間が増えるからじゃないんだからね!勘違いしないでよね!
(ガンダムの偉大さは、ロボットプロレスのお約束全てに大人の言い訳をちゃんとしてくれた、ということだと思います)

その意味では最後の最後で、ガンダムが片腕、頭を失うのは、それまで見てきた視聴者へのサプライズでありサービスといえるんじゃないでしょうか。

そして、このガンダムで証明されたとおり、
ライトセイバーという武器は、ビームサーベルへと名を変え、ロボット(傷つくことを許された肉体)というパートナーを得ることで、初めてその真価を発揮したように私には思えるのです。



さて、このようにロボット物でライトセイバー戦が有効であることと、それを生かしてガンダムにすばらしい戦闘アクションが多いことを説明してきたわけですが、これはあくまでファーストガンダムだけのこと。

ファースト以降のガンダムでは魅力的なチャンバラ、戦闘アクションはめっきり無くなってしまいます。全滅といってもいいでしょう。
せっかく「ロボット+ライトセイバー」という最高の舞台を手に入れたガンダムがなぜ?どうして?

長くなりすぎましたので、それはまた別の機会に。
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