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公安9課の少佐こと、バトーさんの守護天使こと、ザ☆メスゴリラは、こうつぶやきました。

草薙素子「ネットは広大だわ……」


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実際のところネットは確かに広大で、子供時代の私が手に入れたかったものがそこにはあります。

今回は、人類史がGoogle検索「できる時代」と「できなかった時代」の2つに分かれるとするなら、検索できなかった時代のお話。



記憶にしかないものを、記憶しておく方法


例えば、アニメソング。

歌謡曲やヒットソングであれば、その後もテレビでしばしば登場したり、後からでも聴いたり、手に入れることは当時でも比較的容易だったと思います。
しかしアニメソングは番組が終了すれば、再放送の機会に恵まれない限りはまず聴くことはできませんし、後から音楽メディアを手に入れるのも当時は容易ではありませんでした。
もちろんネットはありませんので、動画や音楽どころか歌詞すら確認できません。

さあ、どうやって、曲を忘れないようにすればいいでしょうか?
または、どうしても思い出したい曲があった場合にはどうすればいいでしょうか?

私の当時の環境だとこんな感じでした。

インテグラ「ビデオデッキ」
ウォルター「NON ビデオが初めて自宅に来たのは中学なかばのこと。それ以前の作品の保護は不可能。また全てが録画できたわけでも、テープを残しておけたわけでもありません」

ウォルター「カラオケ」
インテグラ「NON 田舎で身近な存在ではなかった。そもそもカラオケ行ってアニソン歌うような友達もいなかった」

インテグラ「音楽CD」
ウォルター「NON CD再生機器を手に入れたのは高校のころ。この年代以前の作品こそが大事なのに遅すぎます。加えて貧乏でCDもろくに買えていません」

ウォルター「裕福かつオタクな友人」
インテグラ「NON そんな便利な存在がいれば苦労はせん。そもそも友達の絶対数が少ない」


田舎、家が貧乏、友達がいないというヘレン・ケラー(三重苦)。
まさしく無理難題だな。

ウォルター「いえ、あります。恐らくこの世でただひとつ。その無謀をかなえる方法が」


その方法とは、忘れないように唄い続けることです。

アニメソング民俗学


私は友人たちと、アニメソングのレパートリーを定期的(日常的)に唄うことで記憶を保っていました。
脳内――記憶にしか曲が存在していない以上、取り出す方法は唄うしかありません。
これはもうほとんど、民謡や民話の口伝の世界です。

こうした「忘れないため」の方法を取りつつ、すでに忘れてしまった曲を「思い出す」努力もしていました。
その方法とは、曲を覚えている人に目の前で唄ってもらうことです。

友人「あのアニメのOP曲を覚えている人が、うちのクラスにいたよ!」


そう聞きつけると、休み時間にそのクラスへ出かけ、目の前で唄ってもらいました。
友達でも何でもないのに!(今から考えると、よくみんな唄ってくれましたね)
それを聴いて記憶の糸をたぐり寄せながら思い出していくのです。
もうほとんど老婆を訪ねて昔話を集める、民俗学のフィールドワークみたいな感じです。

私は『聖戦士ダンバイン』のED曲「みえるだろうバイストン・ウェル」を忘れていた時期がありました。
そこでED曲を知るという集落の長老を(同級生の中から)見つけてきて、目の前で唄ってもらいました。
このとき「…あー!妖精が走ってるやつか!」と唐突に思い出して、途中から一緒に唄った覚えがあります。
まさに、思い出せない。そんなことない。少しとびらをひらくだけで記憶をのぞけたのです。



映像とセットで記憶がつながる感覚……あれは快感だったな。
アニメソングは映像とセットになって記憶されているので一緒に思い出しやすいんですよね。
曲の途中が思い出せないときに、映像を先にイメージして、それに乗る曲を思い出そうとするときもあります。

逆に「あのアニメ、昔好きでよく見てたんだけど、歌が思い出せなくて…」というご依頼にお答えして、友人相手に唄ったりもしていました。目の前で記憶がよみがえって笑顔になるのを見るのはなかなか楽しいものです。

そうはいっても上には上がいます。私も呆れるほどよく曲を知っているというレベルではありませんでしたので、私の知らないアニメの場合、一緒にアニソン民俗学をやっていた友人を当たってみたり、それでも分からなければ捜索対象リスト入りとなり、捜索の結果「知ってる人が見つかったぞ!」となるわけです。

こうして曲(昔話)を求めて老婆を訪ねるようなことをするのは、今の時代からすると意味が分からないでしょうが、欲しい情報が誰かの記憶の中にしか無い、という状態はかつてあったのです。

記憶だけを集めてつくる、歪んだWikipedia


もっとも、私たちよりひとつ上の世代のオタクだと、もう大人になっていたりして早くから自分のビデオデッキを手に入れたり、資料やデータを揃えたりもできたと思います。
ただ、あのとき田舎の子供だった私にはかなりどうしようもないことでしたし、そもそも、この一連のフィールドワークも、オタク的な活動という意識が全くありませんでしたけどね。
TV番組の曲とかアニメ以外でもやっていましたし、純粋に面白いものが記憶の中でただ失われていくのを何とかしたいというだけ……いや、それがオタク気質なのかも知れないけれど。

今は情報の質や権利的な問題もありますが、YouTubeなどで貴重な動画もいつでも見ることができますし、Wikipediaでひと通りの情報は手に入ります。
私はこれについて「昔はよかった…」「最近の若いものは…」とは全く思いません。
今の状態はうらやますごい。
当時、Googleがあれば私も真っ先に検索していたでしょう。それができないから自分たちなりに方法を探しただけの話。だから、私たちの苦労は基本的に単なる笑い話です。

ただ、アニメソングを口伝で伝え合ったり、複数人の記憶を統合して失われた一曲を復元したり(正しい歌詞を巡って議論が起こる)という状態自体が、今から考えると面白いなと思います。

当時はネット社会はもちろん、マイナー作品までひと通りBOXセットが発売される未来は想像していなかったので、もう死ぬまでに二度と見ることができないかも知れない、と漠然と感じていました。
だから記憶としてしか存在しないアニメを忘れないようにみんなで歌を唄ったり、キャラクターを落書きしたり、覚えているエピソードを言い合ったりした。
それはみんなの記憶だけを集めてつくる歪んだWikipediaであり、もっといえばひとつの神話・伝承の構築といえるかも知れません。

異世界でつくる『機動戦士ガンダム』Wiki


今現在、そのおもしろ不自由な状況を再現するには、現世界から断絶するのがいちばんてっとりばやいかも知れません。
無人島に漂着でもいいですし、いっそ異世界に召喚されてしまうのもよいでしょう。

異世界に召喚された私は、『機動戦士ガンダム』を忘れないようにするために、全43話のリストをつくり、キャラクターとMSを思い出せるだけメモし、忘れないように主題歌なども唄うでしょう。
つまり記憶Wikipediaと記憶YouTubeのデータベース整備を進めるわけです。
しかし私ひとりで、どこまで精度の高いデータベースを構築できるのか…もともとデータに強くないので自信がない。皆さんはどうですか?

ですから月日が流れ、もし新たに日本人が異世界に召喚された場合、「今、日本はどうなっている?首相は?国際情勢は?」の前に「マチルダさんにミデアの修理急かされたの誰だっけ?」と尋ねるに違いない。
(「え?なに?マチルダ?ミデア?」と返事が返ってきたら、舌打ちしながら、次の召喚者を待つ)

そして異世界人は、私たちが整備したデータベースを、ひとつの神話体系として、口伝で伝えていく。
神そのもの(本編映像)はどこにもなく、ただそれを説明・表現しようとした神話だけが残っていく。

……というような話がでっち上げられるかも知れない。

『∀ガンダム』のホワイトドール神話もそのようなものだけど、あれは神話として残ったあとの世界。
これはそれ以前、データベースを集めるために記憶だけを頼りにあれこれあがく話。
まあ、ガンダムは例えなので、音楽でも、野球でも、お笑いでも、何か体系と歴史があるものなら題材として面白そうですけどね。
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当ブログのメインコンテンツ。富野アニメの作品別、記事インデックスです。

初めてブログをのぞいたとき、自分も良く知ってる作品についての記事を見て、どのような考えを持っているのか推し量ることがあると思います。そういう意味では、ここに並べた記事は私の自己紹介にあたるかも知れません。ブログのリトマス試験紙や!

初めての方は好きな(知っている)作品の記事、または、記事タイトルの後ろに表示しているブックマーク数の多いものなどから読んでみてはいかがでしょうか。



『機動戦士ガンダム』


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ニュータイプほどステキな戦争の道具はない <機動戦士ガンダムでのお約束と言い訳>

ガンダムにとって「ニュータイプ」とは何でしょう?私の答えは「戦争の道具」です。
という、ガンダム、富野アニメへの基本スタンスが分かる自己紹介代わりの記事。
これを読んでいただけると、このブログの富野アニメ記事が大変分かりやすくなると思うのですが、ただひとつの問題は、自己紹介が長いこと。

ちなみに、囚人021さんの記事でご指名をいただいて、twitterで話したニュータイプ話のベースはこの記事になっています。( Togetter - 「富野アニメの不思議力は、いつも思うに任せない」

母から旅立つためのG戦場シェルタードア <『機動戦士ガンダム』にみるロボットアニメ第一話の始め方>

ロボットアニメという虚構性の高いフィクションでは、ただロボットが存在しているだけでは、ロボットアニメとして成立しません。
『機動戦士ガンダム』第一話を改めて見直しながら、難しいロボットアニメ第一話の三要素を考えていこう、という記事。

「ロボットチャンバラ」としてのガンダム<ビームサーベル戦闘論>

「ビームサーベル」という武器から導き出されるガンダムの戦闘スタイルとは。
「ライトセイバー」の『スターウォーズ』との違いは?

ガンダム0083とガンダム0079の比較

ララァの死を境に入れ替わるアムロとシャア。そして2人の間に入るセイラ。
0083でのコウとガトー。そして2人の間に入るニナ。

アムロはシャアを、いつニュータイプだと認識したのか?<TV版『機動戦士ガンダム』での相互不理解と「貧しい愛」>

最終話「脱出」において、アムロはシャアに向かって「貴様だってニュータイプだろうに!」と叫ぶ。
はたして、アムロによるシャアのニュータイプ判定の根拠となる場面は一体どこか?調べます。調べた上で考えます。



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サイコな彼女とガンダムな僕。出会いは拡散メガ粒子砲<キャラクターとしてのモビルスーツ>

ガンダムMk2はなぜ初代ガンダムのように強くないの?主役ロボット「ガンダム」の意味は?たびたび登場する巨大モビルアーマーは一体何なの?
架空のロボット兵器である「モビルスーツ」は、フィクション上のキャラクターです。そのキャラクターとしての表現や魅力について考えてみる記事です。

カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>

一般的に嫌われたり、うざがられたりすることが多いキャラクター、ベルトーチカ・イルマ。
彼女の最大の仕事は、カミーユに対して「アムロにガンダムMk2を譲れ」と迫ったことだと、私は思っています。
好き嫌いは別として、彼女が果たした役割と「機動戦士ガンダムの主人公」について考えてみる記事です。

シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>

挿入歌「銀色ドレス」の歌詞の意味とは? 曲名の意味とは?
またそこから、フォウとカミーユの対比。そして、なぜカミーユとフォウは別れるしかなかったのか。



『機動戦士ガンダムΖΖ』


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だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>

富野アニメで頻出するモチーフである「洗脳少女」まとめ記事ですが、これはエルピー・プルとプルツーの箇所を書くために書いたようなものです。第28話「リィナの血(後)」ラストは『ZZ』で最も好きで、この回のプルのことが書けて本当によかった。

【2011年記事まとめ】好きあう真似事や傷を舐めあう道化芝居でもいいじゃない。だってにんげんだもの。

年間まとめ記事ですが『ZZ』について色々と。映画『逆襲のシャア』制作決定に伴い『ZZ』のシリーズ構成が変更になり、後半出演するはずだったシャアは『ZZ』に出ないまま作品を去ります。では、あとに残った『ZZ』とはいったいなんなのか。

僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>

ニュータイプの因果の中心に関わったシャア・アズナブルと、ハマーン・カーンを中心にした話。
プル、プルツーを救ったジュドーがなぜハマーンを救えなかったのか、というのをずっと考えていますが、理由は「大人の女だったから」になるような気がしています。
もちろん実利的な理由は『逆襲のシャア』と無関係・無干渉にするためでしょうから、あくまで物語的な理由として。大人というのは実年齢というより社会的な、いやもっと概念的なものかも知れない。
ハマーンとディアナ・ソレルを比較するのも面白いと思う。
初恋の男に去られても、指導者として民を率いて、地球と交渉し、戦争を引き起こす宇宙の女王として。

空虚なハマーン・カーンを救うことは可能か<『機動戦士ガンダムZZ』感想戦>

Twitterでの『ZZ』語りを受けて、ツイートしたものを追加・修正した記事。
ハマーン・カーンのキャラクターについてと、彼女を救済する可能性について検討しています。「救済」というものがどういう意味を指すかは、ぜひ記事をご覧ください。
大筋はツイート時と変わっていませんが、かなり加筆・修正(脱線ともいう)して、ブログ記事として仕立て直しています。関連してぜひ読んでほしい、ツイートまとめ、ブログ記事へのリンク付き。



『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』


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サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>

「νガンダムとサザビーはどっちが強いの?」という質問はよく提示されますね。みなさんは、どちらが強いと思いますか?
この問いと「アムロの完全勝利」という実際のフィルム上の結果との関係から、νガンダムvsサザビー戦を考えます。

アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

「ララァ以後」のアムロとシャアの女性観を軸に、『逆襲のシャア』で起こった【奇跡】とはいったい何だったのか?を考えます。
また、この記事を「前編」としたときに、「後編」の気持ちで書いた記事があります。

10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

直接的な続きではなく、メインの話題は『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』ですが、『逆襲のシャア』のことも言及していますのでよろしければどうぞ。

落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>

『映像の原則 改訂版』発売記念の応援記事。2つの小惑星およびサザビーとνガンダムの戦いを「上手・下手」の原則で解説します。
「画面構成がこうだから、ここはこういう場面なんです」という読み解きではなく、「こういう物語構成だから、映像を流れにしたときにこの画面構成が選ばれた」という記事になるようにこころがけました。
キャプチャや構成図など最も労力がかかりましたが、富野アニメ記事で最も多くのブックマーク数をいただいたのでその甲斐はありましたし、応援記事としての目的も達せられたと思います。

サイコな彼女とガンダムな僕。出会いは拡散メガ粒子砲<キャラクターとしてのモビルスーツ>

『Zガンダム』の話が中心ですが最後に「アムロとシャアの子供」としてのνガンダムという機体の話。



『機動戦士ガンダムF91』


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『機動戦士Vガンダム』


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【ガンダム三大悪女】 カテジナ・ルース裁判

「宇宙世紀三大悪女」と呼ばれるガンダムの女性キャラクターたち。カテジナやニナについて。
本放送でVを見ていたとき、最終回「天使たちの昇天」で、カテジナを死なせてしまうのかどうかを、ドキドキしながら見守っていたことを恐らく私は一生忘れない。



『∀ガンダム』


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なぜ『タイタニック』は世界中の海を渡れたのか<富野由悠季と映画『タイタニック』にみる「大きな物語」>

富野監督が公開当時、何度も言及していた映画『タイタニック』について。
記事タイトルに『∀ガンダム』と入っていませんが、『∀ガンダム』を語る上でははずすことができない、エピソード0に相当する話題になっています。

惑星の午後、僕らはキスをして、月は僕らを見なかった。<『∀ガンダム』最終話「黄金の秋」より>

『∀ガンダム』最終話エピローグ、その中のさらに、ロランとソシエの「別れのキス」に関するエントリ。
記事中でこんなに、キス、キス、書くのはもう二度と無いと思う。
いただいた反応などを見て面白かったのは「ガンダム素人には『∀ガンダム』は面白くない」「序盤がタルい」あたりでしょうか。両方共、私の印象とは真逆。
あとは「自分の解釈と違う」というご意見もあったのだけど、解釈論にしかならないパートの言及は意図的に排除してるつもりです。

『∀ガンダム』から見える「物語の景色」<「黄金の秋」補遺拾遺>

上の『∀ガンダム』記事の補遺拾遺として、いくつかのこぼれ話や連想などを集めたもの。
主なトピックは、「ディアナ妊娠説」、「ディアナ=キエル 入れ替わり完全犯罪」、「ハイム家の恐ろしさ」などです。

「MOON」から「月の繭」へ 菅野よう子から井荻麟へ <『∀ガンダム』が第1話から最終回までに獲得したもの>

『∀ガンダム』ラストシーンを彩る名曲「月の繭」をテーマに、同じモチーフの名曲「MOON」との関係や、タイトルの「月の繭」とは何を指すのか、など、スリルとショックとサイエンスに満ちたエントリです。




『伝説巨神イデオン』


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『戦闘メカ ザブングル』


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惑星ゾラで生きるための、たったひとつのルール。<"異世界もの"としての戦闘メカ ザブングル>

『ザブングル』の舞台、惑星ゾラには「三日限りの掟」という、ひとつのルールがあります。
「三日の掟、泥棒、殺人、あらゆる犯罪は三日逃げ切れば全て免罪」という単純なルールですが、これが提示されたことで、惑星ゾラはすばらしい異世界となりました。
『ザブングル』を知らなくても、作品舞台としての「異世界」づくり、という意味でいろいろと考えてみるのも面白いと思います。

ブルーストーン経済によるシビリアンコントロール<『戦闘メカ ザブングル』惑星ゾラ開発史>

『ザブングル』の舞台である「惑星ゾラ」が、ロボットアニメの物語世界として出来上がるまでを、富野監督の手記を元に追いかけます。分かりやすくするために図を入れてあります。
『ザブングル』に興味がなくても、物語創作や、それに関連する世界構築に興味がある方なら、楽しんでいただける内容ではないかと思います。

ジロン・アモスの持論に基づくダブルスタンダード<『戦闘メカ ザブングル』のイノセント・ワールド>

上のブルーストーン経済記事の続編というか、補遺拾遺のような記事。
主人公ジロンは三日限りの掟を破るのと同時に、都合よく掟を利用している。つまりダブルスタンダード。
そこに単にルールの破壊者ではないジロン・アモスの特異性を見る……いや、これ内容を大分盛ってるな。
実際は、3つぐらいの話に分かれています。

ウォーカーマシンとリアリティのハンドリング <『戦闘メカ ザブングル』が生んだ「フィクションチャイルド」>

『ザブングル』に登場するウォーカーマシンは「ガソリンで動くロボット」で、主役機のザブングルはそれを「ハンドル操作」で動かします。ロボットをガソリンとハンドルで動かすという冗談のような設定は、冗談以上の意味があるのか?
また、この作品に登場する2つの人類「イノセント」と「シビリアン」の関係について、『風の谷のナウシカ』的な視点とは違う視点を考えます(こじつけます)。




『聖戦士ダンバイン』


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なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか <『聖戦士ダンバイン』に見る物語の始め方>

『ダンバイン』第一話の途中で、主人公ショウ・ザマは異世界バイストン・ウェルでぐっすり眠ってしまいました。それだけのことが1年間のTVシリーズに与えた影響とは?
同時に「物語のはじめ方」の難しさをいろいろ考えてみませんか。

【聖戦士急募】バイストン・ウェルで君の夢をかなえよう! <ダンバイン第18話「閃光のガラリア」より>

異世界バイストン・ウェルに召喚されて「聖戦士」に選ばれるには、どうすればいいの?
『ダンバイン』の召喚システムを、召喚とは全く関係のない、非地上人の女騎士ガラリア・ニャムヒーから考えていきます。
ガラリアさんはなぜ、バイストン・ウェルに帰れなかったのか。

【前編】 再びバイストン・ウェルへ 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【問題提起編】

物語の成立上、いくつかの問題をかかえていた『ダンバイン』。本来あるべきであった幻の『ダンバイン』を想像しつつ、自分なりに再構成(リビルド)してみようという企画。
こちらは前編。『ダンバイン』全体の構成の復習と、考えるべき問題点の確認。

【後編】 因果地平から遠く離れて 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【再構築編】

こちらは後編。前編での準備を踏まえて、リビルド版『ダンバイン』の構成を考えていきます。
はたして、TV版『ダンバイン』と、どこが同じで、どこが変わっていくのか。
そして最終的に自分でも予想外のところへたどりつく。自分としてはとても楽しい体験でした。




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カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>

『エルガイム』という作品は、当時の制作状況などからくる問題を抱える一方で、イロイロと面白い要素を内包しています。あれこれと妄想をめぐらしながら、可能性を検討します。それと同時に「ゆるい世界」であるペンタゴナ・ワールドの価値について。




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富野アニメ全般


ファーストガンダムによるアルバム革命<「私の履歴書」富野アニメ体験プロフィール【前編】>

「富野アニメで産湯をつかう」ように、幼少期から順番に富野アニメを見ながら成長した私の、富野アニメ体験プロフィール。この記事も、私の自己紹介代わりですね。
前編は、『機動戦士ガンダムΖΖ』まで。

アムロとシャアの子供たち。<「私の履歴書」富野アニメ体験プロフィール【後編】>

後編は、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』以降。
良かったら、皆さんの富野アニメ体験プロフィールも知りたいと思います。
初めて見た富野アニメは?富野作品と自覚して見るようになったのはいつ?見た順番とそのときの年齢は?など。
多分、ここが分かれば、ガンダム議論を戦わせるより、よっぽど早くその人が分かると思う。

宇宙(そら)で"めぐりあい"を作る方法 <ロボットアニメ戦闘コミュニケーション(メモ)>

富野アニメは、ロボットアニメをしつつ、最大限のコミュニケーション機会をつくって、ドラマを展開させようとするところに大きな特徴があります。私がすばらしいと思っている部分です。
この問題に、ここまで自覚的に取り組んでいる人は、富野由悠季以外にいないと思います。
私にとって富野作品はリアルロボットアニメなどではなく、ドラマロボットアニメです。ドラマティックロマンティックRPGです。

この記事では、富野アニメが戦闘中のコミュニケーションをどう工夫してきたかを作品別にメモしています。
メモ以上に高めたいとは思っているので、そのための準備メモなのですが、いつになるやら。
実はTOMINOSUKI / 富野愛好病のkaito2198さんが、この切り口で語ってくれる予定があるので、そちらを私も楽しみにしています。(と、自分の問題を棚上げしておきます)

だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>

富野アニメには、洗脳された女性キャラクターが敵として登場するという、「洗脳少女」のモチーフが繰り返し現れます。こうした「洗脳ヒロイン」たちを作品別に俯瞰してみようという企画。
なぜ戦場へ出る少女は、洗脳されねばならないのか?




富野アニメのゲーム化アイデアメモ


別にゲームをつくるわけではないのですが、物語と世界を考えるのにゲームを使うのは面白いので、アイデアレベルだけいろいろ考えます。そのうちの富野作品やガンダムに関係するゲームネタです。

メビウス(双方全滅)の輪から抜け出せなくて<「富野由悠季シミュレーションゲーム」>

「ガンダムゲーム」ではなく「富野由悠季ゲーム」が考えられないか、というコンセプトで考えたゲーム。
双方全滅と運命づけられた2つの勢力の戦いの中で、何度もリプレイを繰り返しながら全滅の輪廻から逃れるのがゲーム目的。
桜坂洋の小説『All You Need Is Kill』を想像してもらってもいいと思うが、戦闘の勝利も自己の生存も目的ではない。

因果は応報し、運命は輪廻する<愛と幻想の『南極大陸』と『富野由悠季ゲーム』>

「富野由悠季ゲーム」の追加アイデア。運命とエゴに振り回される富野アニメを「因縁」システムで考えてみました。

【政治家】ほど楽しいゲームはない<ガンダムオンラインゲームのアイデアメモ>

ゲームとの関わり方の深さによって、立場を変えて「ガンダム世界」にアプローチできるオンラインゲームのアイデア。同じゲーム世界で、ディープな方はどっぷりと、ライトな方は携帯でそれなりにプレイできる。ポイントは「民主主義」にもとづいた「政治」。




番外・その他


飛び降りる宮崎駿vs飛び降りない押井守 <リアリティコントロールの話>

最後のオチに富野監督つかったら、皆さんにいろいろ突っ込まれた。楽しかったけどね。

はてしなく、どうでもいい日々【twitterまとめ】

雑多な記事だが、最後に「宇宙世紀ワイン」ネタと、バイストン・ウェルと『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(マーク・トウェイン)のネタ。

アバターと龍馬伝、ほか3本<はてしなく、どうでもいい日々【twitterまとめ】>

こちらも雑多な記事。映画『アバター』話で少し富野監督の話題。もうひとつは最後に『聖戦士ダンバイン』から、「バイストンウェル・ベースボール・クラシック」ネタ。
オーラもいいけど、野球しようぜ!線審がショウを呼ぶ!線審「君、ちょっとこっちに来なさい」





以上が、このブログの富野アニメ関連記事です。

各記事にいただいた、はてなブックマーク数を表示させてみたのですが、記事の内容とブクマ数は基本的に比例していると思います。ブックマーカーの皆さんの見立ては正しい。
逆に言えばブクマ数が多めの記事は、私もある程度自身を持っておすすめできます。よろしければどうぞご覧ください。

まだ作品別の単独記事がないものもたくさんあるので、いろいろ書いていければと思っていますので、新しい記事書きましたら、ここにも追加していきます。

まあどうなることやら。今後もあらあらおやおやそれからどんどこしょの気持ちで見守っていただければ幸いです。
『聖戦士ダンバイン』の物語により深く触れるために、自分なりに問題点を整理して再構成してみようという企画『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)。

前回は、 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)【問題提起編】として、ダンバイン全体を「行きて帰りし」物語でとらえてみたり、問題点を考えたりしました。
今回は、いよいよ再構成案を考えてみることにしましょう。

その前に、おさらいも兼ねて、簡単にポイントを整理してみましょう。

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再構築のポイント


ダンバインの基本ストーリーライン
(1)ショウの召還→異世界で戦う
(2)東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還
(3)ジャコバの「浮上」→地上編へ
(4)シーラの「浄化」→地上編決着


前回、ここから考えたポイントはこんな感じ。

ポイント(課題)
・一見、オーソドックスな「行きて帰りし物語」に見えるが全然そうではない。(それで良い)
・主人公ショウが、物語の重要な転換点で、意思決定していない(関与していない)。
・主人公ショウと、異世界バイストン・ウェルのつながりが希薄である。
・オーラマシンの「浮上」と「浄化」があまりにご都合主義的で唐突。


ストーリーの各ブロック、重要イベントはそのまま同じにしながら、これらのポイントを踏まえて意味合いを変えたいと思う。

大きな変更要素は、3点。

変更要素
(A)「主人公ショウ」(目的と行動)
(B)「浮上」(バイストン・ウェルからのオーラマシンの排除)
(C)「浄化」(地上からのオーラマシンの排除)


散漫にならないため、できる限り上記3点の変更の話に集約する。

※ご注意
・小説『オーラバトラー戦記』、小説・OVA『リーンの翼』は未読未見。あえて読まないし、見ない。
・構成上、どうしても『聖戦士ダンバイン』のネタばれが発生します。ご注意を。
・あくまで今現在の私が考えた私なりの『ダンバイン』です。富野監督の考えや意図とは関係ありませんので誤解なきよう。

また根本的な前提として「問題点を解消した物語=より面白い物語」というわけではありません。矛盾や問題を抱えようが面白いものは面白いし、構造上問題がなくてもつまらないものはつまらない。
だからこれは、思考実験のようなものです。ひたすら、ひたすら長くて申し訳ないのですけど。



ブロック(1) ショウの召還→異世界で戦う


<変更点>
大きな変更点は特になし。


このブロックは、基本的にはTV版どおりで、大きな変更点はなし。
ただし、変更点(A)「主人公ショウ」(目的と行動)に関係するところについては検討の価値はあります。「物語がよくなるか、どうかなんだ。検討する価値はありますぜ!」

主人公ショウを「すぐに寝ない子」にする必要はあるでしょう。
そのために、「やる気」「元気」「根気」の「3本の木」を植えるのもいいですが、バイストン・ウェルへの召還に工夫をしてもいいかも知れません。

分かりやすいのは、ショウ1人が召還されるのではなく、同時にショウの関係者が(巻き込まれか何かで)召還されるパターン。
召還されるのは、近しい人であれば、兄弟(姉、妹、弟)、親友、恋人あたりの守るべき人。

彼ら彼女らがいれば、ショウは守るべき人のために眠るヒマも無く必死にならざるを得ないでしょう。敵方に姉を人質にとられたり、親友とはぐれたり、弟・妹が襲われたり。
はぐれた親友や恋人を探すという理由で、バイストン・ウェル世界中を回ることもできるし、人質にとられたりや養ったりするためということで、戦うことにとりあえずの理由をつけたりもできる。(要は、「ZZガンダム」のジュドーなので、これはジュドーパターンということですね。)
これらは、あくまで物語導入のための理由付けなので、途中で本当の「戦う理由」「戦う目的」への移行が必要になります。(いわゆる「契約」と「再契約」の関係ですね)

逆にショウをTV版どおりの「すぐに寝る子」のままにしておくのであれば、兄的存在を追加すると良いかも知れません。聖戦士として兄(兄的存在)が召還され、ショウが巻き込まれて召還された、というパターンですね。
この場合、ショウは始めは兄に庇護されますが、味方にせよ、敵対するにせよ、最終的には兄を乗り越えるような展開になるでしょう。
(要するにこちらは、最近のアニメでいえば「グランガラン」…いや「グレンラガン」パターン。)

私は以前、他の記事で「1クラス全員バイストン・ウェル召還」とか言ってたぐらいなので、地上人のバリエーションをつくるという意味では、「ショウ以外も召還」には基本的に賛成です。ただし、できれば肉親や恋人など、関係が深すぎる人間じゃない方がいいのでは、とは思っています。

とりあえず検討としては、これぐらい。
「召還人数」を可能性のひとつとして保留しつつ、ひとまずはTV版と同じくショウが1人で召還されたということで先を進めることにします。
この後の検討の中で、物語上の役割として必要性がでてきたら、他の人を召還することにしましょう。

ブロック(2) 東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還


このブロックも展開はTV版どおり。
ただし、このブロックでシーラ・ラパーナ女王が初登場することもあって、のちのちのために、シーラの設定を少しいじっておきたい。

<変更案>
シーラ・ラパーナを、バイストン・ウェルでの人間界の盟主とする。
強い実権はないが、権威と伝統を持ち、人間界の象徴として君臨する。
覇者を承認する役割をもち、彼女が認めた王がバイストン・ウェルを実質的に治めることになる。


これは日本で言えば天皇家にあたり、中国では春秋時代の周王朝にあたり、ヨーロッパではローマ法王のような感じかも知れない。

変更の意図は2つある。
1つは、『ダンバイン』における戦争の構図に変更を加えるため。
もう1つは、ラストの浄化に説得力を与えるための設定の補強。

■ダンバインでの戦争の構図


味方側:シーラ・エレ連合軍 vs 敵側:ドレイク・ビショット連合軍

物語後半は完全に、上記のような二カ国vs二カ国の戦争になっています。
国家同士がお互いオーラマシンを抱えて全面戦争しているわけで、この状況でどちらに非が、どちらに大義が、というのは物語上の理屈でしかないと思う。
つまり女王であるエレとシーラが可憐な美少女で、一方のドレイクとビショットがおっさんであり、聖戦士としては乙女は助け、おっさんは殺すしかないということだ。
これは半分は冗談だが、半分はまじめにそう思う。おっさん4カ国大戦だったら、誰が味方に見える?誰を殺せばいい?

先にオーラマシン軍拡をしたのがドレイクだとしても、その対抗としてオーラマシンを装備して戦うシーラ、エレもその意味では大差ない。核保有国に対抗するために、核を保有するやり方と同じですからね。

存在としては同じだからこそ、ジャコバによってシーラもエレも、全てのオーラマシンが放逐されたし、シーラの「浄化」の光も敵味方、分け隔てなく包みこんだ。
「良きオーラ」だとか「悪しきオーラ」だとかは関係ない。オーラマシンで殺しあう輩はある意味、全て悪い。

もちろん物語の構成上、ドレイクに対抗できるオーラマシンを持った国は必要だが、ドレイクをオーラマシンで滅ぼすという行動には意味はない。できれば全く違うレイヤーでドレイクに対抗する指導者が欲しい。
その人は敵側、味方側の区別無く、バイストン・ウェルの人間界全てを代表して、責任を取る立場の人がいい。

そう考えて、シーラを、聖王家、聖王女的な、ひとつ上の別ポジションに置いてみました。
彼女はバイストン・ウェル統一王朝時代の最も古く高貴な血筋(例えば。何でもいい)とでもいうことにする。

ドレイクもそもそもの最終目標はシーラから征夷大将軍の(ような)位をもらうこと。
しかしオーラマシンは人の欲望を肥大化させる。ドレイクはオーラマシンを手に入れたことで、そうした古き風習に頼ることなく世界を手に入れる野心をもつ。

シーラはドレイクの野心に気づき、バイストン・ウェル人間界代表として、ドレイクを止めることを決意する。
しかしそれは結局、ドレイクに引っ張られてオーラマシン軍拡をすすめている、全ての人間たちを止めることを意味する。
そういう意味で、シーラの戦う相手は、ドレイクだけでなく、エレなど味方側も含めた全てのオーラマシンと、その力を利用するもの、ということになる。
だからこそシーラは、彼女と同じ考えをもつショウを支援し、彼にビルバインを与えることになる。

ブロック(3) ジャコバの「浮上」→地上編へ


「浮上」がありますので、予定どおり変更します。まず私の案は以下のような形。

<変更案>
妖精の長ジャコバ・アオンは、歪んだ存在であるオーラマシンによって、バイストン・ウェルが戦乱に荒れるのを憂う。
それを知ったショウは、コモンとして、地上人として、妖精の長に提案します。
「それならば、地上に全てのオーラマシンを追い出すというのはどうでしょう?」
ジャコバは、ショウの提案をグッドアイデアと認め、儀式を行い、地上へ全てのオーラマシンを「浮上」させるのだった。


つまり私の提案は、『「浮上」はショウ自身の選択であり、ショウの責任ということにしてはどうか』というものです。
実行者は、ジャコバ・アオンのままで構いません。その代わり「浮上」自体のアイデアはショウのものとして、彼がジャコバに提案するということにします。

「浮上」は、バイストン・ウェルからオーラマシンを全て消し去るという、物語のキーポイントの一つです。ですが、『ダンバイン』ではジャコバから唐突になされ、ショウは関与していません。
実際のところ、オーラマシンは全て排除されたので、バイストン・ウェルは元の秩序を取り戻したでしょう。(平和を取り戻したということではない。)ショウは何もしてないですけど、結果的にね。

それをショウ自身の選んだ道ということにしましょう。
ショウはこの時点で一度里帰り済みですので、地上でのオーラバトラーの強力さ、凶悪さを理解しています。理解しているにも関わらず、地上人のショット・ウェポンが作った兵器の責任をとるには地上で、と決意し、「浮上」を提案するのです。

それは「地上」と「バイストン・ウェル」を天秤にかけて、後者をとったということでもあります。
地上人として、バイストン・ウェルに対してけじめをつけた、ということでもあります。

ショウのこの決断はベストが無い中で彼なりのベターとして選んだものですが、彼によって地上の人々が少なからず犠牲になるでしょう。視聴者全ての賛同は得られない類の大変罪深い行動です。
ですから、作品中で彼の選択に対する「アンチキャラ」を配置しましょう。
この場合、「ショウ!なぜ地上がめちゃくちゃになると分かっていながら、オーラマシンを浮上させた!」と、ショウを批判するキャラになりますね。
地上を大事にしているキャラクターが必要ですね。新キャラクターを追加して役割を背負わせてもいいが、現状で存在するキャラクターを使うならば、トッド・ギネスだろうか。

トッド「俺のママとアメリカがめちゃくちゃになるところだったんだぞショウ!」
トッドには悪いが、実際にママがケガする、死亡するなどの実被害を出して、強調する方法もある。
トッドは視聴者の代わりにショウを責めなくてはいけないし、ショウはこの批判を受けなければならない。

ブロック(4) シーラの「浄化」→地上編決着


TV版と同じく地上編です。
今回の流れでは「ショウのせいで」地上にオーラマシンがあふれて、地上は大混乱。という状況です。
もちろん、ショウは地上をめちゃめちゃにしたいというわけではありません。今度は地上からオーラマシンを根絶するために戦います。

<変更案>
地上で合流したショウやシーラ、エレ達は。ドレイクやショット、ビショットは地上に圧力をかけていく。
もはや一刻の猶予も無い。ショウはシーラに、地上のオーラマシン根絶のために相談。
シーラは「浄化」という方法があることを明かす。シーラの王家に伝わる秘儀。ショウはシーラに「浄化」によるオーラマシン根絶作戦を提案。
しかし全てを「浄化」するためには、敵味方も含めた全てのオーラマシンが一堂に会さなくてはならない。
そこで、「浄化」を前提にした最終決戦のために作戦が進められた。そしてドレイク、ビショット、ショットを全て集めることに成功。
太平洋上の決戦により双方壊滅。準備が全て整ったシーラの「浄化」が発動する。
全てのオーラマシンが地上から消え、ショウ達もまた、地上から消え去った。


ポイントはこの2点
・「浮上」と同じく、「浄化」もショウが意思決定をした結果、選ばれた作戦ということにする。
・「浄化」の存在を早い段階で明かし、全ては「浄化」作戦に向けた舞台づくりのため戦いを進めるという構成にする


TV版と結果は何も変わらないのですが、中身の意味合いはこれでかなり違ってくると思います。

まず「浄化」作戦を、「浮上」と同じくショウが意思決定したものにします。
これで、ショウは「バイストン・ウェル」「地上」双方の世界でのオーラマシン根絶の中心にいたことになります。

これと同時に、シーラの浄化に必然性をもたせましょう。
ラスト直前で現れるデウス・エキス・マキナでなく、あくまでショウとシーラの決意で準備された最終作戦と言う形にします。

ジャコバは地上にいない(いても無理だが)。シーラに「浄化」を任せるほかは無いが、いかに霊力が高いとはいえ、人の身でそんなことをすればどうなるか分からない。残酷だがショウはそれでもシーラに捨て身の「浄化」作戦を提案する。
つまり「目的のために死んでくれ」とお願いするわけです。シーラはそれに同意する。
(なんか「ナースエンジェル しいらSOS」みたいになってきた)

あとの軍事行動は、全て「浄化」作戦のためという展開にする。
太平洋に全てのオーラマシンを終結させて一大決戦するのも、その後全てを浄化するのも全て予定通り。

しかし、作戦の真の目的はショウとシーラの秘密、ということにした方がいいかな。
ショウとシーラの目的は勝利でも平和でもない。敵味方関係なく、オーラマシンを排除して、狂った戦いを止めること。
「浄化」は敵味方わけへだてなく全てのオーラマシンが対象となりますからね。

TV版「ダンバイン」のストーリーは一応ここまで。

再構築ストーリーおさらい

(1)シーラ登場
バイストン・ウェルの盟主、聖女王シーラとショウが出会う。
シーラとショウは、オーラマシンの根絶ということで意見が一致する。

(2)ショウによる「浮上」
ショウは、地上とバイストンウェルを天秤にかけて、地上をオーラマシン戦争の舞台に選び、ジャコバ・アオンの力で「浮上」を行う。(トッドはこの選択を許さない)
オーラマシンは全て地上へ。バイストン・ウェルはオーラマシン以前の状態に戻る

(3)地上からのオーラマシン根絶
ショウは今度は地上のオーラマシンの根絶を目指す。最終目標はオーラマシンの開発者ショット・ウェポン。シーラもバイストン・ウェル軍が地上に戦火を及ぼすことが無いよう手を尽くす。これはバイストン・ウェル盟主としてのけじめ。

(4)ショウとシーラによる「浄化」
ショウとシーラは「浄化」作戦を立案。この作戦のための準備を整える。
決戦において、シーラの「浄化」が発動。地上からオーラマシンは全て消滅する。


TV版のダンバインのストーリーはここまでですが、個人的にはあと少し付け加えたい。
ここから先は、個人の趣味の範疇だと先におことわりしておきます。

最後はバイストン・ウェルで


ショウは、2つの世界のために働き、両方の世界からオーラマシンを消滅させることに成功した。
ここまでの展開で来た場合、地上での「浄化」で終わるのは不十分だと思われる。
異世界→地上→異世界という構図を持っているショウは、最終的にはバイストンウェルに帰るべきだと思うからだ。

その場合「浄化」がオーラマシンともども、オーラマシンに引っ張られた全ての人々を罰し、救済するというものだと、いわゆる「全滅」にしかならないので、できればオーラマシンを全て失いつつ、生き残った者たちは肉体を持ったままバイストン・ウェルに帰還することにしたい。

地上、バイストン・ウェルあわせて、この世に残った最後の二機のオーラバトラーは、バーンのズワースと、ショウのビルバイン(ダンバイン)。
最後にズワースとビルバイン(ダンバインに乗り換え?)で戦うのはサービスの意味合いと、OVAでのサーバイン、ズワース2機と重ねるイメージ。

ズワースとダンバインは当然のように相討ちになる必要があり、これでオーラバトラーはこの世から消える。

エンディング


完全に好みの問題だが、こんな感じで話が進んだ場合に一番ステキだな、と思うラストシーンは、「浄化」で霊力を使い果たし、しわしわのおばあちゃん(でも心は乙女のまま)になってしまったシーラ様を、ショウが面倒みながら、ひっそりと暮らすというラスト。

これはけして当人同士にとって悲劇ではなくて、ショウは「死んでくれ」と命をもらう代わりに、自分の命を当然シーラに賭けただろうし、シーラも霊力を全て失くし死を覚悟しても、ショウに応えた。
その2人が全てをやり終え、責任を果たしたとき、余生をこんな風に過ごしてもいいでしょう?
何より、あのままいっても聖女王と聖戦士という立場の2人はあれ以上には望んでもなれなかっただろう。でも今は一緒に暮らしてる。傍目には、おばあちゃんと介護する孫にしか見えなくてもね。私にはとてもロマンチックで幸せな構図だと感じます。



以上でおしまいです。

さて、ここまで来ると、誰でも分かると思うのですが、完全に『ターンAガンダム』ですよね。これ。

自分でもびっくりすることにこれ意図的でも何でもないんですよね。だから本当に驚いた。
途中で違和感を感じながらも、それが何か分からず、そのまま考えを進めて、ラストのイメージが出たときにやっと気がついた。

「これターンAだ!」

ショウ=ロラン→命を大事にしない人とは誰とでも戦います。
シーラ=ディアナ→バイストン・ウェル(月)の女王として責任を取ります。


最後のズワースとダンバインの相討ちは、ターンXとターンAのそれだし、ラストはいわずもがな。

『ターンAガンダム』の構造に似てしまったのはそれなりにショックでしたが、これは無意識の結果ですので別にいいのです。何がショックって、無意識ではなく、意識的にしたことがあるんですよね。それの結果が『ターンA』だったことの方が驚きが大きかった。

意識的したこと。それは「絶対に『イデオン』にはしないでおこう」ということでした。

因果地平に飛ぶのは、ひとつだけでいい


『ダンバイン』のラストで浄化されたショウ達がバイストン・ウェルに転生する姿までを描く予定があったのを、「『イデオン』に似すぎてしまうから」と取りやめにしたのは有名です。

最終話のシナリオ段階(そのシナリオは「マイアニメ」85年3月号に掲載)では、命を落とした登場人物達がミ・フェラリオとして生まれ変わることになっていたが、「それでは『伝説巨神イデオン』と同じ結末になってしまう」という富野の演出意図により、完成したフィルムからは削除されている。
Wikipedia - 聖戦士ダンバイン


これからも分かるとおり、確かに『イデオン』と『ダンバイン』には重なる部分が多く、『ダンバイン』の問題点を修正していくと、『イデオン』になってしまう可能性がある。
ただ、それは『ダンバイン』が「これは全滅するしかないな!」というストーリーとして、完成度が高まるという意味でだ。

ホントはもっと色々可能性があるんだろうけど、私には無理だった。
富野作品に強い影響を受けた上に、貧困な想像力の私では、一番最初にイメージできたのは矛盾無くスムーズに「全滅」する『ダンバイン』だった。

それは危ない。それはやめようと思った。

もうすでに『イデオン』が因果地平まで飛んでいることですし、そもそも『イデオン』『ダンバイン』通過後の人間が考えることが『ダンバイン』を「出来のいい全滅もの」にすることでは無いと、私は信じる。因果地平に飛ぶのはひとつだけでいい。

だから、『イデオン』から離れることを意識して、『ダンバイン』の再構築を考えた。
そうなると全滅を避けるための動き方を、ショウにしてもらう必要がある。
だから、どちらかの勢力ではなく、真ん中に立ってもらい、もめごとの中心であるオーラマシンそのものを相手にしてもらおうとした。つまり「誰とでも戦い、誰とも戦わない」という戦い方。
で、それは要するに『もののけ姫』のアシタカであり、『ターンAガンダム』のロランですよね。

こうして考えると、やはり『ターンAガンダム』は、ガンダム文脈でなく、『イデオン』『ダンバイン』と並べることで、分かりやすくなるし、また違った面白さを感じることができるかも知れない。
「ガンダム全然見てないんだけど、『ターンAガンダム』を見るには、これまでのガンダムを見ないとダメ?」
と、聞く人がいたら、
「『ターンAガンダム』だけで全然いいよ」
と、最初に答えるけど、それでも他に何か見ておきたいと言われたら
「じゃあガンダムじゃなくて、『イデオン』を見ましょう。劇場版でいいですよ。ただし先に『イデオン』見てね」
と答えたい。(ダンバインは?…ちょっと長いよねえ)

「まとめ」と「課題」


富野由悠季がニュータイプを描くことで逆説的に明らかにしたように、人と人とは分かり合えない。
それはひとつの絶望だけど、「分かり合えない」ということを分かり合っていくことはできる。
それですらとても困難なことだけど、全ての人間が憎しみ殺し合い全滅する前に、それに気づくことができればそれで上出来だ。
シャアはそれは無理だと言っていたが、アムロはそこまで絶望はしていないと返した。
どちらが正しかったかは、『ターンAガンダム』を見れば分かる。(みんな見ようね)

ただ、それには、アシタカやロランのような、境界線上の人間が必要だった。
こちら側でも、あちら側でもないところに立つ人間が。
(私はそういう意味では、ターンAはやっぱり「おとぎ話」とか「神話」のイメージが強い。)

ロランはムーンレイス(月の民)でありながら、地球に2年住み、すっかり地球が好きになり、月と地球の両方を愛する人間になった。その後のポジショニングも月と地球を行ったりきたり。男性と女性の2つの性も行ったりきたりすれ違いあなたと私の恋。

再構成案で書いたとおり、私はショウの「立ち位置」と「しなければならないこと」というのは、すぐ決められた。
ショウを二つの世界の狭間に置いて、「どちらかの勢力」ではなく「オーラマシン」を相手として戦い、全滅を回避させる役割をさせようとしたんですよね。

ただ、ショウ・ザマという人を、それができるような人間にするために、何をどう変えればいいのか、ということに、自分なりの結論が出せていない。(だからこれまで書いた再構成案にもその部分は一切含まれていない)
バイストン・ウェルとの結びつきが弱すぎると言ったのも、地上とバイストン・ウェルとのバランスを取るためだったし、ショウの相手をリムルにするのもひとつの手と言ったのもそう。
例えばだが、よくある話として、ショウの両親の片方が実はバイストン・ウェル人で、地上とバイストン・ウェルのハーフ、などの設定にすれば一応条件はクリアーできる。クリアーだけなら。何か大きな軸がいるはず。他の要素と有機的に結びつくような何かが。
色々考えたが結局、これだというアイデアは思いつかなかった。すみません。これは宿題にさせてください。



あとがき


想定外なことに『ダンバイン』から始めて、『イデオン』から離れようとして、結局『ターンAガンダム』に行き着いてしまった。
私があれこれ考えたことは、とっくの昔に富野監督が到達してたわけです。
でも結論は一緒でいいんです。仮に私にいくばくかのオリジナリティがあるのだとすれば、そこへ到る思考の筋道そのものだけ。悩んだり、先ほどのようにいいアイデアが浮かばなかったりしたのも含めてね。だからカットせずに全て書きました。長くなった上に、こんな結論で申し訳ありません。(最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます)
バイストン・ウェル小説を読まずにここにたどりついたのは、「あえて読まない」意義があったと私個人は感じます。面白い実験でした。

ラストも、体はおばあちゃん、心は乙女のシーラ女王というのも私個人は好きなんだけど……。

「バーロー!見た目は乙女、頭脳は老婆。その名はディアナ・ソレル」

あー、ですよね。心はおばあちゃん、体は乙女のディアナ・ソレルの方がいろんな意味で良いに決まってるよね。『ターンAガンダム』はすごいなあ。

私はもちろん、どっちもOKです。(節操がない)

子供の頃にリアルタイムで体験したこともあって、私は『聖戦士ダンバイン』を愛しているのですが、この作品にはいくつかの歪みから来る問題があるんですよね。ね?ショウ君。

ショウ・ザマ「オレが最初に寝たからとか言うんだろ?でも―――」

クローバーがほんの少し長生きすれば、制作状況や時代が変われば、ショウが眠らなければ、違う物語もあったかも知れない。
でも、そうはならなかった。ならなかったんだよショウ。
だから、この話はここでおしまいなんだ。

………ちがうちがう。終わんない終わんない。

おしまいにしないために『聖戦士ダンバイン』の物語を自分なりに再構築してみよう、というのが今回の企画です。

聖戦士ダンバイン 1聖戦士ダンバイン 1
(2006/08/25)
中原茂土井美加

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『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)


『聖戦士ダンバイン』は、制作当時の外部的、内部的な要因で、いくつか問題を抱える物語になっています。
外部要因としては、視聴率だったり、スポンサーの売上不振からの路線変更、設定変更であったり。
内部要因としては、バイストン・ウェルという異世界を主役にしすぎたことへの歪みであったり。こちらは以前のエントリ(「なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか」)で詳しく取り上げました。

『ダンバイン』には、本来語られるはずだったプレーンな形の物語が存在していたと想像できます。
しかし、それはさまざまな要因により我々の前には姿を現さなかった。
その「幻の物語」を体験するには、同じ異世界バイストン・ウェルを舞台にした小説、『オーラバトラー戦記』や『リーンの翼』を読むのが一番てっとりばやいだろう。
特に『オーラバトラー戦記』は、個人の作家性を色濃く反映できる小説という形式を利用した、富野由悠季本人によるセルフリメイクだ。と思う。多分。おそらく。

なぜ「多分」かといえば、私が『オーラバトラー戦記』も『リーンの翼』も読んでいないから。
だから、そこで語られ直したであろう聖戦士の物語が、実際にどうだったのかは良く分からない。
確かショウの名前が変わってたりするんですよね?超電子ダイナモが埋め込まれてるような感じの名前に。

読んでしまえば全てが終わる。読むと妄想力(ちから)が弱まる。
だからあえて、これらは読まずに『聖戦士ダンバイン』の物語を自分なりに考え直してみようと思います。

企画意図と注意書き


目的:『聖戦士ダンバイン』の物語を再構成する
・『ダンバイン』が持つ物語上の問題点や課題点を検討する
・私なりに問題点を修正して『ダンバイン』を再構成してみる。
・ただし、できる限りTV版『ダンバイン』の展開とキャラクターはそのまま残す。

ポイント
・小説『オーラバトラー戦記』や『リーンの翼』は未読。あえて読まない。
・OVA『リーンの翼』も未見。あえて見ない。
・「読まず、見ず、wikipediaも調べず」。これらの作品と比べたりはしない。(比較三原則)
・構成上、必然的に『聖戦士ダンバイン』のネタばれが発生します。ご注意を。
・あくまで今現在の私が考えた私なりの『ダンバイン』です。富野監督の考えや意図とは関係ありませんので誤解なきよう。


特に最後のもの。当初は「富野監督が本当にやりたかったダンバイン」を想像しようかな、といろいろ考えていったのだが、考えるうちにこれは「幻の物語」を発掘するものでも何でもなく、自分自身の物語に対する考えを『ダンバイン』を通して整理しているだけだということに気づいた。だから結局「富野ならこうするでしょ?」ということをやっていません。
そんな難しいことはそもそも出来ないし、物語とちゃんと向かい合うには拙くてもいいから自分自身でぶつかる方がいいよね。

…などと言っているが、要するに単なる妄想といった方がよく、表現手段のある方ならこういうのを二次創作作品に発展させるんだろうなと思ったが、私にはそれはできないので、こうするほかない。



さて、では始めましょうか。
まずは、『ダンバイン』の全体の大枠をつかんで、問題点や課題点をピックアップする必要がありますね。
とっかかりとして『ダンバイン』、というか「聖戦士伝説」を、物語の類型のひとつ、「行きて帰りし物語」で考えてみることにしました。

「行きて帰りし物語」で考える聖戦士物語


行きて帰りし物語」とは、その名のとおり、「行って」「帰る」おはなし。

現実(日常) → 異世界(非日常) → 現実(日常)

と、いった具合に、登場人物が、どこかにでかけ、そして帰ってくる、というお話のパターンの1つです。
この言葉の元になった「ホビットの冒険」「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」や、なじみ深いところでは「千と千尋の神隠し」なんかもそういうお話ですね。
千尋ちゃんが、ちょっと不思議な世界へ行って、そこでさまざまな体験をして、元の場所へ帰ってくる。それだけのお話でしたよね。

『ダンバイン』も、東京の高校生である主人公ショウがバイストン・ウェルという異世界でさまざまな体験をするお話ですので、オーソドックスな「行きて帰りし物語」のフォーマットに当てはめてみましょう。

行きて帰りし『ダンバイン』


(1)主人公は現実世界で何らかの問題を抱えている。
(2)主人公は異界であるバイストン・ウェルに行き、聖戦士として戦うことになる。
(3)異界で通過儀礼を受け、見事それを突破した主人公は、世界を救い、大人へ成長する。
(4)役割を終えた主人公は、現実世界に帰還する。


・非日常は、あくまで成長のための仮の世界であって、最終的には元の日常に戻ってこないといけない。
・元の日常に帰ってきたときに、主人公自身が変化しているため、いつもの世界がちょっぴり変わって見える。

という所がポイントでしょうか。

『ダンバイン』ですと、バイストン・ウェルの戦いを終結させて、その後、東京へショウが戻ってくる。
たくましく成長したショウは、両親の問題ですねることもないし、盗んだバイクで走り出すこともない(お金持ちだから元々ないけど)。きっと、これからは両親に対しても、社会や未来に対してもショウはちゃんと向かい合っていけるだろう………おしまい。

別に「行きて帰りし」過程で、必ず成功や勝利をしなければいけないわけではないですが、オーソドックスに、めでたしめでたし、でまとめるならば、こんな感じのお話にはできますね。

しかし『ダンバイン』を見た人ならご存知の通り、この作品はこういうお話にはなっていません。

実際の行きて帰りし『ダンバイン』


(1)主人公ショウは現実世界で何らかの問題を抱えている。
(2)ショウは異界であるバイストン・ウェルに行き、聖戦士として戦うことになる。
(3)その途中で地上(東京)に戻ってしまい、母親と衝突。両親を捨て、帰る故郷を失くす。
(4)やむなく異界に戻り、戦いを続けたが、異界側から拒否されて、またもや地上へ。
(5)現実世界でロボット大戦争(もう日常じゃない)。
(6)ショウはライバル・バーンと相討ちに。シーラ女王の力で全員バイストン・ウェルに帰還。
(7)全てのオーラマシンが無くなった地上には平和が訪れる。でもショウはいないし、帰ってこない。


基本パターンからはずれるのは(3)の、いわゆる「東京上空」から始まる東京三部作から。
まだ異界で何もしてないショウが、その途中で東京に里帰りし、そこで両親と故郷を捨てることになります。
この時点で「行きて帰りし物語」で最後に帰るはずの「日常」がなくなってしまいます。

さらに(4)。異世界側に戻ってはみたものの、おさまることのない戦乱に妖精界の渡辺えり、ことジャコバ・アオン様がお怒りになりまして、ショウはまだ何にもしてないのに、オーラマシンは全て地上世界へほっぽり出されます。(これが「浮上」)
このことで、物語の舞台は完全に地上世界のみとなってしまい、異界(非日常)としてのバイストン・ウェルの出番は終わってしまいます(そのために用意された世界にも関わらず!)。

代わりに、これまでの日常だった地上世界に大量のオーラマシンが溢れ出し、非日常世界に変化してしまいます。
したがって以降は「非日常化した世界を、日常へ戻す戦い」となっています。

(6)最終的にはバイストン・ウェルの軍勢が終結して一大決戦を行い、双方壊滅的な打撃を受けますが、敵方の王であるドレイク、ビショット、そしてオーラバトラー開発者ショット・ウェポンを討ち取ります。しかしショウはライバルの黒騎士バーンと相討ちに。そこへシーラ女王の”浄化"。全てのオーラマシンは消滅し、人々の魂はバイストン・ウェルに帰還する。

(7)全ての非日常がなくなった地上は平和になり、「日常」としての現実世界へ戻っていく。
しかしショウの姿はシーラの浄化の光と共に消えうせてしまい、チャム・ファウ1人が残された。

面白いのは、作品の途中(前半早々)で、主人公ショウが帰るべき日常そのものを失ってしまうことでしょうか。
さらに舞台が現実世界へ完全に移行することで、舞台としての異界(バイストン・ウェル)そのものも失ってしまいます。
その後は、非日常化した現実を救うために戦うのですが、日常を取り戻せたとしても、そこはもうショウが帰ってくる場所ではないのです。

ベタな英雄神話である「聖戦士伝説」が、このようにねじれているところが非常に面白い。
個人的には「これがダンバイン」と感じる部分ですから、この展開自体は変える必要を感じません。
しかし、この流れを生かそうとするときに物語上の問題点、課題点がいくつか存在するように思います。

『聖戦士ダンバイン』の問題点


あくまで私が気になって、今回何とかしたいと考えている問題点です。
これら問題点は、スポンサーや視聴率など外部要因が大きな影響を与えているものも少なくないですが、ここでは問題の発生理由は置いておいて、これらの要素が物語にどういう問題を及ぼしているのか、ということだけ考えます。

『聖戦士ダンバイン』問題点
・ショウが物語のキーポイントで重要な意志決定をしていない。
・ショウとバイストン・ウェルのつながりが弱すぎる。
・だからショウが何の動機で何がしたいのかよくわかんない。
・ジャコバによる、唐突で一方的なオーラマシンの放逐(「浮上」)
・最終回のシーラの「浄化」。シーラが完全にデウス・エキス・マキナ。


だいたい「主人公ショウ・ザマ」です。ショウの問題が解決すれば、他の問題も解決できるんじゃないかな。

ショウ・ザマ(主人公)問題


もともとショウは第一話でいきなりぐっすり眠るような困った主人公なのですが、それが悪かったのか全体を通して問題が多く、第一話以降も彼が何の目的で、なぜ戦うのか、私にはいまいちすっきりしない。

このストーリー展開が悪いわけではなく、要するにショウが「聖戦士の義務」だけで戦うにしては、「ショウがバイストン・ウェルという世界を愛しているようには見えない」というのが問題だと思うんですよね。

他の聖戦士や地上人は、普通に「行きて帰りし」物語の構造を持っている。
元々、地上で不遇な人たちだったけれど、異世界で存在を認められる。
だから地上へ帰ってきたときには凱旋帰国。故郷へ錦を飾る、という感じになっていた。
「ジャンヌ・ダルクの再来」と持ち上げられたジェリル。アメリカをもらってママといい暮らしをしようとするトッド。出世したショット・ウェポンは不幸時代の友人を呼び寄せてポストを与え、世界を見返そうとする。
みんな、エゴ丸出しの行動とはいえ、非常に分かりやすい。
この辺りの地上人の自己実現に関しては、以前書いたエントリ(【聖戦士急募】バイストン・ウェルで君の夢をかなえよう!)でまとめてみました。

でもショウは彼らより一足先に里帰りして、すでに両親と決別。地上世界からも拒絶され、バイストン・ウェルが唯一彼が生きられる世界になった。
そのためショウだけが、他の地上人と違い、普通の「行きて帰りし」の構造をもっていない。
作品中で彼がただ1人、異世界→地上(東京)→異世界 という通常の逆の「行きて帰りし」プロセスが与えられている。

だからショウだけが、成長や変化の場としての「地上」を与えられて、そこで体験したことをバイストン・ウェルに持ち帰るキャラクターなんじゃないかな、と考えています。
地上人なのに、バイストン・ウェルのために生きることを運命付けられているからこそ、ショウは真の聖戦士に一番近い位置にいる。
バイストン・ウェル側に都合のいい理屈でいえば、そうなるんじゃないかな。元の世界を完全に捨てて、自分達の世界のために奉仕してくれる聖戦士ということなので。
ショウ側から見ても、生まれた世界を捨てただけの価値を、聖戦士稼業やバイストン・ウェルの生活に見出すことができれば良いのだけれど。

で、この流れで考えると、『ダンバイン』でのショウとバイストン・ウェルの結びつきって非常に弱い。

ショウは特にバイストン・ウェルという世界自体を愛しているわけでも無い。
現代っ子だと思うので、現代文明の批判者でも無いと思うし、若者が田舎や発展途上国へ行って感動するようなタイプでもないでしょう。
東京三部作で両親と故郷を失って、バイストン・ウェルしか生きる場所がなくなり、聖戦士ショウとして生きることを決意するのですが、消去法的にやむなく選ばされた面が強く、ショウが積極的にバイストン・ウェルを選んだという感じはしません。

何もバイストン・ウェルそのものを愛さなくてもいいのです。ショウの目的や意志がはっきりすればいいので、世界を愛するかわりに、バイストン・ウェルの女性を愛する、というのでもいい。
ショウにとって、バイストン・ウェルが何かかけがえのないものになれば、その理由は何でもかまわないと思います。
しかし実際は、一番近くにいる女性は同じ地上人のマーベルだし、シーラ女王とはお互い立場もあって何も発生しない。

『ダンバイン』ではニー・ギブンとリムルがロミオとジュリエット状態になっていますが、リムルの相手役をショウにするのもひとつの手だな、と思います。ショウが守らないといけないもの、戦わなくてはいけない理由がかなりクリアーになりますね。
OVA『ダンバイン』(私は未見)では、そのカップリングだと聞いたことがあります。OVAゆえの人物と設定の整理かな、と思うのですが、確かショウは転生後か何かで「地上人」では無いんでしたよね?
本当は「地上人」ショウと「バイストン・ウェル」の女性、という世界の異なる2人の組み合わせが最も効果的であると思います。

ジャコバの「浮上」とシーラの「浄化」問題


「浮上」→バイストン・ウェルからオーラマシンを排除する。
「浄化」→地上からオーラマシンを排除する。


役割は同じなので、この2つはセットで考える問題。
2つとも、路線変更や幕引きのためのデウス・エクス・マキナになっていて、色々と事情を知っていると「これしか無かった」と思うのだけれど、純粋に物語として考えるならば批判されても仕方がないかも。

ただし、私は「浮上」と「浄化」の存在そのものに問題があるとは思わない。
ショウの問題とあわせて、いくつかの変更を施すことで、展開は同じままでも、問題解決はできると考えています。

『ダンバイン』リビルド(再構築)のポイント


さて、今回は【問題提起編】ということで、ここでまとめ。
【再構築編】では、ここまで出した問題点に対する修正案を出します。
出来る限り、本編の展開はそのまま生かしたいと思いますし、展開自体に問題があるとは全く思っていないので、全体のストーリーラインは変更しません。

(1)ショウの召還→異世界で戦う
(2)東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還
(3)ジャコバの「浮上」→地上編へ
(4)シーラの「浄化」→地上編決着


これら各イベントはそのまま同じにしながら、内容というか意味合いを変える。

また変更点は、基本的に以下の3点に絞ることにする。

・「主人公ショウ」
・「浮上」
・「浄化」


これは話が散漫にならないようするため。
話の主軸と考えるポイントの変更だけを検討します。
本当は変更を加えることによって、その影響はさらに細かい部分に及ぶことになるが、全ての検討はキリがないし、もう趣味の領域だ。私は物語の構造にしか興味がないので、皆さんの脳内でうまいこと整合性をつけていただけるとありがたい。大丈夫。みんなならできるよ。やったらできる子だって私は信じてる。

以上で問題提起編は終了。
次回は、今回のお話をもとに、具体的な再構成案をお送りしたいと思います。

では、後編の【再構築編】へつづく。

『聖戦士ダンバイン』は、異世界バイストン・ウェルに召還された高校生ショウ・ザマが、オーラバトラー(ロボット)ダンバインに乗ってアタックしまくる、アイアム ウォーリアーなお話です。

前半のターニングポイントである第16話「東京上空」では、敵の女騎士ガラリアさんの乗るバストールと激しく戦う中、オーラロードが開かれて、地上(現実世界)へ出てしまいます。
そこまでは以前のエントリ「なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか」でも紹介しましたが、今回の問題はその後です。

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←ガラリアさんと乗機バストール



なぜガラリアはバイストン・ウェルに帰還できなかったのか?


両親と決別したショウは、敵であるガラリアと協力して、バイストン・ウェルに帰ろうとします。(第18話「閃光のガラリア」)
バイストン・ウェルをイメージし、強く帰りたいと願いながらオーラ力を高めて、オーラロードを開くのです。
それは寸前まで成功しました。
しかし、あと少しというところで、ガラリアがバストールごと爆散してしまいます。
パートナーを失ったことで、ショウもバイストン・ウェルに帰還することができませんでした。作戦は失敗したのです。

この失敗は、オーラの暴走、オーラ力の負荷にガラリア(とバストール)が耐え切れなかったため、となっていますが、オーラや精神がここまで影響する世界観で、物理現象的な表面の出来事だけが要因とは考えにくいと昔から思っています。
問題は、チャムが作戦実行前に言った「バイストン・ウェルに帰りたいと強く願うのよ!」というセリフ。
ガラリアは本当に(故郷である)バイストン・ウェルに帰りたかったんでしょうか。
ガラリアが閃光に消えたのは、彼女自身がバイストン・ウェルに帰りたいと、心の底から思っていなかったからじゃないのか。

そもそもオーラロードを通って異世界へ行けるかどうかについて、そこを通る人間のキャラクター(人格)が影響しているものなんでしょうか?

その話をするには、まずは主人公ショウ・ザマをはじめとして、地上(現実世界)からバイストン・ウェルに召還された人々のことを考えてみるのがいいですね。
なぜならガラリアさんのケースはきわめて例外であり、地上の人々がバイストン・ウェルからの召還に応じて、オーラロードを通るパターンが基本だからです。

そもそも、地球に何十億人といる人間の中から選ばれて、異世界バイストン・ウェルへ来てしまった人々とは、どのような人達なんでしょうか。
TVアニメ『聖戦士ダンバイン』に登場した"地上人(召還された人)"たちを見ながら、その傾向を探っていきましょう。
それでは、地上人の皆さんの劇的ビフォーアフターをご覧ください。

地上人 劇的ビフォーアフター


召還された地上人が元々どのような人で、召還されてからどう変わったのか。

■ショット・ウェポン
before(召還前)
天才なのにオーストラリアで苦渋の生活をしていた。奴隷のように肉体労働もしていた。天才なのに。
after(召還後)
思う存分才能を奮ってオーラーバトラーを開発。後半にはオーラバトラーの力を地上にも見せつける。

■ショウ・ザマ
before(召還前)
両親は仕事に夢中。いいとこのボンボンだが夢中になれるものがない。
after(召還後)
自分を必要としてくれる人達のために戦う。

■トッド
before(召還前)
マザコンアメリカ軍人。東部の落ちこぼれ。
after(召還後)
アメリカを手に入れてママと暮らす(夢だったけど)

■トカマク
before(召還前)
ソ連領(現在のウクライナ領)のハリコフに住む失業者だった。(wikipediaより。※初めて知った)
after(召還後)
"聖戦士"に再就職。すぐ死んだけど、失業者のままでは死ななかったよ!

■ジェリル
before(召還前)
崩壊した家庭に育ったロックシンガー。ダブリンの鼻つまみ者(本人談)
after(召還後)
新世紀のジャンヌ・ダルクとして活躍

■アレン
before(召還前)
冷戦下のアメリカ軍人
after(召還後)
コンピューターゲームでない本当の戦争ができたと喜ぶ

■フェイ・チェンカ
before(召還前)
売れない俳優
after(召還後)
売れない聖戦士。「俺はフェイ・チェンカなんだぜ?」知らんよ。でも売れない俳優では一生できないロボットに乗ったヒーロー役が出来て良かったね。


なんということでしょう。
あの角度がきつかったコクピットへの階段を巨獣の甲殻を利用したゆるやかなものにすることで、腰の悪いおばあちゃんも楽々オーラーバトラーの乗り降りができるようになったではありま……。

なんということでしょう。
皆さん、現実では何かと問題を抱えていたのですが、異世界に行ったことで、皆それなりに自己実現、問題解決ができているではありませんか。
聖戦士の召還は、決して呼ぶほうからの一方的なものではなく、呼ばれた側にもそれなりの利益が生まれるものだと考えてもいいかも知れません。
つまり異世界で活躍する素地がある=召還条件が揃っている人こそが、召還されやすいのではないか。

オーラロードを通る人によくある傾向
・現実世界では恵まれていない境遇の人が多い
・ストレスや鬱屈を溜め込んでいる
・何らかの技能、才能はあるが、それを現実で生かせていない
・妻帯者、恋人持ちで連れて来られた人がいない(小説「ガーゼィの翼」の主人公は恋人がいたけども)
・好戦的、または戦いを受け入れることができる人物が多い(平和主義者を召還しても意味が無い)
・生きづらい、または自分を認めないくそったれな世の中にあまり未練がない(誰も地上へ帰りたがらないし、浮上後も地上側へつかない)


傾向を見て分かるとおり、現状の生活(リアル)に満足している人、つまり最近で言ういわゆる"リア充"な人は、バイストン・ウェルには呼ばれていません。
例えば「仕事も慣れてきてやりがいを感じているし、趣味で出来た友達も多い。可愛い妻ともうまくいっている。何より最近子供が生まれて、毎日の生活が充実してます!(満面の笑顔)」
このような人はバイストン・ウェルには呼ばれません。「ここではないどこか」へ行く理由が全く無いからです。
聖戦士になりたい人は、決してこんな風になってはいけませんよ!

富野監督は「人は誰でもバイストン・ウェルに呼ばれる可能性がある」と言っていましたが、満足した人生を送っている人はごくまれで、全ての人間は何らかの不満やストレスを抱えながら生きているのですから、それは当然なのです。
もちろん(大変喜ばしいことに)私も立派な聖戦士候補です。呼ばれる資格があります。
しかし(大変残念なことに)私は召還されないだろうな、と思ってしまうのは、召還条件の一部しか満たしていない、と思うからです。
つまり、エネルギーがない。バイタリティがない。技能も才能もない。生まれたてのインパラのような草食動物である。などなど、実際に呼ばれるだけの"何か"が無いと思うからです。
やっぱり、召還に選ばれた人間は、それがプラスにしろマイナスにしろ、何らかの強いエネルギーを持っているんだろうな、と感じるのです。(そういうのもオーラ力の強さなのかな)
リアルが充実してないだけではダメ。やっぱり何かプラスアルファは要る。

バイストン・ウェルの人は、そういった現実に不満を持ち、鬱屈してエネルギーを溜め込んでいる人間を召還し、自己実現のステージ(場)を与えている。
その結果、地上人はいきいきと自己実現できてハッピー、バイストン・ウェル側も、技術やオーラ力の強い聖戦士が得られてハッピーのwin-win関係が生まれる。
地上人の召還には、根本的にそういうしくみがあるんじゃないかな。あった方が面白いな、ということです。
(※この辺り、小説には色々書いてあるんじゃないかなあ、と思うのですが、ガーゼィしか読んでないので分かりません。ここはあくまでTVアニメ版のみを材料に考えておきます)

聖戦士の召還は一方的かつ唐突なものですが、もしショウら地上人のもとに、バイストン・ウェルからの使者が現れて、
「あなたを聖戦士待遇でお迎えします。条件はこう、待遇はこう、お仕事はこう、あと基本的に地上へは戻れません。どうされますか?」
と、事前に丁寧な説明をされた上で、現実を選ぶか、異世界を選ぶかを迫られたら、どうなったでしょう?
私は、それでもほぼ全てが契約書にサインしたんじゃないかと考えます。面白くない現実を蹴って、本当の自分が生きる場所を求めたのではないかと。
そういう現実感の薄い危なっかしいところも共通の性質としてあるような気がします。神隠しに遭いやすい体質というか、現実にきっちり根をはっていないというか。

聖戦士たちは、現実(地上)を捨てるだけの理由がそれなりにあったからこそ、オーラロードを通って、全く別の世界へやってこれたのではないか、ということをちょっと覚えておいてください。

閃光の中でガラリアは何を思ったのか


ここで、ガラリアさんの話に戻りましょう。
ガラリアさんは、なぜ故郷であるバイストン・ウェルに帰れなかったのか。

それを知るには、ガラリアさんがどういう人なのかを知る必要があります。wikipediaの記述を引用してみます。

ガラリア・ニャムヒー
ドレイク配下の女騎士。裏切り者の娘として育ったため、人一倍名誉欲が強く、バーンをライバル視していた。


ガラリアさんは、敵前逃亡した父を持ち、それを理由に幼いころからいじめられたり冷たい仕打ちを受けたりしてきたようです。
その経緯もあって、ガラリアさん本人は女性ながら勇敢であり、名誉欲、功名心が強く、戦で大功をたてることを目指していますが、ライバルのバーンには与えられたオーラバトラーも自分には与えられず、悔しい思いをしていました。
そんなガラリアさんがついに待望である新型オーラバトラー、バストールを手に入れて、ショウを討とうとがんばっているところで、オーラロードが開いてしまいました。

地上に出たガラリアさんはそれでも執拗にショウを追うのですが、慣れない地上で自衛隊につきまとわれたり、食料がないので山へ行楽に来ていた老夫婦のお弁当を盗んで猟犬に追われたり、みじめな目にもあいます。
最終的には冒頭で述べたとおり、両親(地上)を捨てたショウと協力して、バイストン・ウェルへ帰還することになるのですが、これは寸前で失敗します。

ショウは生き残り、ガラリアだけが爆死した、この失敗について、wikipediaにはこう書かれています。

AB・バストールに乗ってショウと交戦した際、共に東京上空に出てしまう。ショウと協力してバイストン・ウェルに帰還しようとするが、自らのオーラ力がショウよりも弱かったために、オーラロードを抜ける寸前で爆死する。


実際フィルム上でも特別な描写がないので、単に「オーラ力がショウよりも弱かった」からで終わらせてもいいんですが、それではちょっと物語的に面白くないというか、豊かではないと思います。
前フリしまくった「オーラロードを通る人によくある傾向」を、ガラリアさんにも適用できないでしょうか。

ガラリアさんの場合、立場が逆になりますので異世界バイストン・ウェルこそが彼女の現実となります。

ガラリアさんの現実
・「敵前逃亡した騎士の娘」でずっといじめられてきた。
・バーンより自分が劣っているとは思わないのに、自分にはオーラバトラーが与えられない。
・「敵前逃亡した騎士の娘」というレッテルは一生消えないのか。
・自分が女だから、というのも理由の一つなのかも知れない。
・能力に自信はある。だが自分の責任とは関係のない理由で不遇だ。


これは完全に、ショウや召還された地上人の逆パターンといってよいと思います。
ショウ達の場合、地上ライフが充実していませんでしたが、ガラリアの場合、バイストン・ウェルライフが充実していません。

ガラリア「私はバーンにも負けていない!なのになぜ?"敵前逃亡した騎士の娘"なのは私の責任じゃない。一体どうすればいいというんだ!」
―――あなたは世界を革命するしかないでしょう。あなたが進むべき道は用意してあります。

ということで、ガラリアさんがバイストン・ウェルの誰よりも先駆けて世界を脱出する人間に選ばれたのにはそれなりの理由があるように思えます。
もちろん「東京上空」のシチュエーションはシリーズ構成上のもので、ガラリアさんのために用意されたものではありません。
ただ、ショウと共に地上へ出るパートナーとして、他の誰でもなくガラリアさんが選ばれたのは妥当に思える。そういう話です。

さて、行きはよいよい、帰りは怖い。問題はバイストン・ウェルへの帰還時です。
地上人のショウが、両親と決別して地上への未練を断ち、バイストン・ウェルでしか生きられないような立場になっていたのに対し、ガラリアさんは果たして本当に心の底の底から帰還することを望んでいたのでしょうか。
もちろんたった1人、地上にいても仕方ないんですよ。ですから帰ろうと思ったし、思ったからオーラロードは一時的には開いた。ではなぜそこまでいって通り抜けることができなかったのか。
本当に「オーラ力がショウよりも弱かった」だけなのか。

実際のところ、どうだったのかは良く分かりません。フィルム上でのセリフや描写でフォローされているわけではないので何ともいえないのです。

もし、ガラリアが死んだ理由にこういうバックグラウンドがあるのだとしたら、老夫婦のお弁当を強奪するシーンを、親切にお弁当分けてもらう優しい触れ合いのシーンとしたり、または、ガラリアの事を誰も知らない地上で「敵前逃亡した騎士の娘」から解放されたようなシーンがあると、オーラロードを開いた時にバイストン・ウェル帰還への「ブレーキ(余分なノイズ)」になって、爆散がよりせつなくなっていいかも知れません。
地上でふれた優しさ、開放感が、かえって帰還時にブレーキをかけてしまうなんて、という具合に。

さらに展開を大きくを変えるならば、地上でガラリア1人というのがあまりにきついので、これを変えましょう。地上人ゼット・ライトかなんかと一緒に地上に出て、ゼットの故郷へ一緒に行くかと言われて、心が動くけど騎士として踏みとどまって断る、みたいな回があっても面白いかも知れません。
「敵前逃亡した騎士の娘とは誰も知らない世界で、女として生きてもいいかも知れない………」いや、ダメだ。と振り切ってバストールへ乗り込むような(もちろん、これも「ブレーキ」になる)

こんなことやると完全にガラリア回にしかならないので、地上でのショウと両親のドラマがボケる。
でも結果的に見るならば、後半の回をいくつか削ってもいいから、こういうエピソードの話数を増やして欲しかったなあと思いますね。
(たぶん今なら出来るけど、ダンバイン当時ではダメだったんでしょうね。なんせ後半の単なる戦争ロボットアニメ展開こそ、軌道修正した結果なのだから)

残されたいくつかの問題


オーラロードを通ることについて、地上→バイストン・ウェル、バイストン・ウェル→地上の2つのパターンを材料に、ここまで書いてきましたけど、正直いうと、あんまりこの要素はTVアニメ『聖戦士ダンバイン』本編では色濃く出ていません。
それどころか、この考え方を軸にして見ていくと、いくつか引っかかる描写があるのです。

■ガラリア死後のショウの帰還
パートナーのガラリアが死んで、もうバイストン・ウェルに帰れないと絶望するショウなんですが、その次の回である第19話「聖戦士ショウ」で、あっさり帰還します。
これはショウというより、エレ・ハンムの霊力すごいね、という描写なんですが、尺の都合もあったのか、とにかくあっという間に帰還する。本当にお気軽に。スナック感覚で帰ります。ガラリアさんのことを考えると阿藤快みたいな気持ちになります。

■ショウの再浮上時の出現場所
2回目の浮上で、再び地上に出たショウが出現したのが、吉祥寺の実家だったのです。
マーベル、トッドなど初めて浮上した人達が自分の故郷に出現するのは分かるが、ショウは「東京上空」で出現時にすでに両親と決別をした身。
地上人はどうしてもなじみがある場所に出てしまうのだとするなら、せめて吉祥寺以外の日本のどこか、ということにした方が良かったのではないか。
その方が両親と決別し、地上に帰る家がない(もうショウにはバイストン・ウェルしかない)ことが良く演出できたように思います。
もちろん、ショウがああいうキャラクターで終わってしまっただけに、両親を捨てたくせに実家にまた舞い戻ってしまうような中途半端な主人公なのだからこれでいいのだ、とは言えてしまうのだけれど。
(でも、そういうショウが出来上がってしまったのは、こういう場面場面の積み重ねの結果だと思うんだけどね)

そして最大の問題があります。
勘のいい人ならすでにお気づきとは思いますが、「地上人 劇的ビフォーアフター」リストに名前が無い地上人がいます。私が意図的にはずしました。

もちろんそれは、セクシー眉毛のいい女、マーベル・フローズンです。

マーベルはなぜバイストン・ウェルに来たのか


マーベルだけは、私がここまで書いた地上人の召還条件にまるで一致しない。
彼女の人格に現実世界での歪みは感じ取れない。バイストン・ウェルに来る理由が分からないし、何のモチベーションで戦えばいいのか分からない。
マーベルを呼んだのが、どの勢力にも属していなかったフェラリオ、ナックル・ビーであったことも考慮に入れてもいいと思うけど、それでもどのみちナックル・ビーの召還に彼女が応えた理由が分からない。

浮上後に登場したマーベルの両親も娘を信じるいい親のようであったし、愛に飢えているようにも見えないし。あのまま現実に生きていっても、うまくやっていたタイプに見えるけどね。
いくつか想像で考えられないこともないけど、それこそ単なる憶測や妄想にしかならない。フィルム上の手がかりが無いと思う。
(もしマーベルが召還された状況や理由など詳細をご存知の方がいましたら、教えていただけるとありがたいです)

まあマーベルは『マトリックス』のトリニティみたいなもので、「ヒーローの導き手」だと思うので、その役割が強いんでしょうね。導き手が歪んでいてはいけないし。あとは、ショウよりかなり早くバイストン・ウェルに来ていることは何かのヒントになっているかも知れないね。マーベルは、ターンAのロラン・セアックと同じと思えばいい。

というわけで、長々と語りましたが、『聖戦士ダンバイン』全体を通してみると、この考え方はいくつか問題をはらんではいます。でも、地上人の召還条件とガラリアの爆散については、そういうことにした方が作品がより興味深いものになると思っているのですがどうでしょうか。

チャム・ファウがまだその辺りを飛んでいるのなら、つかまえて聞いてみたいところです。



関連リンク(過去記事)
『聖戦士ダンバイン』関連
なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか <『聖戦士ダンバイン』に見る物語の始め方>
第一話でぐっすり眠ってしまった主人公とそれに引っ張られた物語のおはなし。
再びバイストン・ウェルへ 聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【問題提起編】
「ダンバイン」の物語を再構成。前編では、話の大枠と問題点を考えます。

バイストン・ウェル関連
身を捨ててこそ浮かぶキャラあれ < 『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』で考えるキャラクターの生死>
※後半、ゲームアイデアの中でバイストン・ウェルネタ。


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