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「人々は自らの行為に恐怖した…」とは、『機動戦士ガンダム』の有名なオープニングナレーションですが、私は自分が今年書いたブログの記事数の少なさに恐怖して青ざめましたよ。戦慄のブルーフェイスというか、サカナ偏にブルーディスティニーです。

「さあ、あとは年末恒例の『今年の記事まとめ』をしたら終わりだな」と思っていたけど、そもそも、まとめるほどの記事数がない。焼け石に水…あ、ウォーターですけど、ひとつ記事を書くことにしました。

先日、興味深いニュースを目にしたから、というのもあります。ご紹介しましょう。



「恐怖」をまったく感じない女性


■恐怖をまったく感じない女性、PTSD治療にヒントか

恐怖をまったく感じないという珍しい脳疾患にかかった女性に関する研究が、米科学誌カレント・バイオロジー(Current Biology)に発表された。
論文の主著者、ジャスティン・ファインスタイン(Justin Feinstein)医師は、「人間が感じる恐怖の本質とは、生存本能。恐怖を感じることができなければ、自分の命に危険をもたらす物や状況、人物を避けることができない。彼女がこれまで生きているということ自体が驚きだ」と述べている。
<中略>
S・Mというイニシャルだけで報告されたこの女性は、脳の中で恐怖感を生み出していると考えられている扁桃体(へんとうたい)が破壊された「ウルバッハ・ビーテ病(Urbach-Wiethe disease)」という珍しい疾患の患者で、他の人ならば恐怖を感じる場面で「非常に強い好奇心」を感じるのだという。
<中略>
この女性の20代の息子は、自分の母親が怖がったところを見たことがないという。子どものころに兄弟で遊んでいたとき、大きなヘビが近づいてきたが「母は驚きもせずに、すたすたと近づいていって、道路脇の草むらに放り投げた。信じられなかったよ」
<中略>
女性は30歳のときに強盗に襲われたこともある。体をつかまれ、喉にナイフをつきつけられたが、女性がまったく動じない様子を見てとると、強盗のほうから手を放した。女性はその後、普通に歩いて帰ったという。

AFPBB News - 恐怖をまったく感じない女性、PTSD治療にヒントか


「ウルバッハ・ビーテ病」という珍しい疾患の患者であるこの女性は、恐怖を感じる場面で「非常に強い好奇心」を感じる――つまり「恐怖を感じない人間」であるようです。
幼児と違って、危険かどうかという知識はあるのでしょうか?知識としてはあったとしても、好奇心が勝つので平気で近づく、という感じなんでしょうか?

とても興味深い記事ですが、医師が語るように、恐怖は生存本能と直結しています。恐怖は無事生きるために必要なツールです。
「恐怖を感じない」というのは、一見カッコよく聞こえますが、比較的安全で平和な現代でも、生きていくのは大変なことでしょうね。

それともうひとつ。

小さい頃は暗闇や犬が怖かったという記憶があることから、疾患は生まれつきではないと考えられる。医師らは、この女性が「犯罪を犯したことはないが、逆に、強盗や銃暴力やドメスティック・バイオレンスといったさまざまな犯罪の被害者となってきた」とみている。


という記述の、先天性の疾患ではない、ということが示すこと。つまり、生存本能である恐怖を失うことが、彼女の生存に必要だったのかもしれない、と考えるとやりきれないものもあります。

ですが私はこの記事を読んだとき、不謹慎かも知れませんが、いくつかのことを連想して「面白い」と思いました。
「面白い」というのはもちろん、S・Mというイニシャルの女性の人生についてではなく、そこから連想したフィクションの世界での「恐怖」についてです。
ですからこの「面白い」は、非実在世界の非実在キャラクターを使った実在物語の中に持ち込んで、話を広げることにしましょう。
そこが私のフィールドですから。

「恐怖」に震えるヤムチャと、わくわくする悟空


昔、いわゆる『ドラゴンボール』の戦闘力的な強さでなくて、「恐怖を感じないキャラ」を、危なかっしい感じの「強キャラ」として設定できないかな、と、いろいろ考えていたことがありました。

命に執着が無くて死線を越えるのにためらいが無い、というキャラクター造形ではなくて、恐怖によって生じるマイナスを排除して勝利や成功の確率を上げるタイプ。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という言葉がありますが、「身を捨てた方が浮かぶ確率が高ければ捨てるし、捨てない方が高ければ絶望的でも捨てずに戦う」というのを、恐怖フィルター無しで判断できるという感じか。

しかし、「恐怖」を「非常に強い好奇心」に変換する、というのは、考えもつかなかった。

意味が伝わりやすいので、『ドラゴンボール』で例えてみましょうか。例えば、強大な敵を前にしたとき。

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ヤムチャが恐怖に震える隣で、悟空が「オラ、わくわくしてきたぞ!」と好奇心をあらわにするのは、戦闘力の大小の問題ではなくて、戦闘民族サイヤ人の恐怖に対するシステムが地球人とは違うから、とか考えると面白いかも知れません。

ご存知のとおり、サイヤ人は死の淵から回復することで戦闘力がはね上がる。
そのためには積極的な危機的状況に自分を追い込んだ方がよく、好戦的なサイヤ人の性格はこの身体システムとセットになっている。
つまり、恐怖(生存本能)を押さえて、危機的状況に飛び込んでいかないと、成長機会(死の淵)には辿りつけないわけです。

恐怖を感じないわけではない。恐怖は存在するが、恐怖を脳内で無理やり「強い好奇心」に変換することで、強敵に「わくわく」して向かっていく。
結果命を落とす者も多いだろうが、生き残れば、悟空のように強いサイヤ人が生まれる。
戦闘民族サイヤ人的にはそれで正しい。

一方、地球人は戦闘民族ではないので、そんな便利なシステムは持っていない。
恐怖を感じて、自己を守るために逃げ出すのが生存本能として圧倒的に正しい。ヤムチャ様は悪くない。人間として正しい。

まあ、これはあくまで説明のための例えで、『ドラゴンボール』の公式設定とはなんにも関係ないのですが、悟空の「わくわく」や病的なまでの「強いやつと戦いたい」を、悟空の性質だけでなく、医学的、生物学的背景がある、と考えるとちょっと面白いかも知れないですね。

『マトリックス』での東洋的な恐怖克服の修行


「恐怖」というものは、目の前の物理的な何かではなく、脳内に生成されるものなので、精神的なものを重んじる、東洋的な修行シチュエーションなどでよく題材になります。

『マトリックス』の序盤に、主人公ネオが、電脳世界の街の中でビルの屋上から、ビルとビルの間を飛び越える修行のシーンがありましたね。

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電脳世界なので、肉体が実際に飛ぶわけではない。飛べるか飛べないかは、肉体ではなく、純粋に精神の問題です。自分は飛べると信じられるなら飛べる。
しかし、ネオは「落ちたら死ぬ」という既成概念的な恐怖から、飛び越えることができない。

劇場でこのシーンを見たときに私が思い浮かべたのは、もちろん『鉄拳チンミ』

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ネオと全く同じ修行をチンミは体験しています。まず、小川をジャンプ。身軽なチンミは朝飯前で飛び越えます。
では、と、小川と同じ幅の断崖絶壁に連れていかれるチンミ。チンミのジャンプ力なら飛び越えられることは証明済みですが、「落ちたら死ぬ」の恐怖で飛び越えることができません。

ネオもチンミも、能力的には飛ぶことができるのですが、恐怖によって自分で自分に限界をつくってしまい、クリアできないわけです。

このタイプの試練は、『ジョジョの奇妙な冒険』に言わせれば、

ツェペリ:「勇気」とは「怖さ」を知ることッ!「恐怖」を我が物とすることじゃあッ!


ということで、「勇気」の名のもとに「恐怖」をコントロールすることで、克服することができる流れです。
そして、東洋的には精神によってコントロールができるようになれば、肉体強化をせずとも十分に限界は突破できるのです。

自分にできることと、できないことをきちんと見極め、できることは、いつでも100%の実力が発揮できるように精神で肉体をコントロールできる、というのが理想的な状態になるでしょうか。
できないことの見極めがつかずに飛び込むのは勇気ではない、と、ツェペリさんも言ってますしね。

それにしても『マトリックス』のように肉体が介在しない電脳空間では、肉体は完全に精神の支配下にあるわけですから、極めて精神の影響が大きく、非常に東洋的な空間と言えます。
『マトリックス』でのカンフーは、アクションとしてのスタイル(見かけのカッコよさ)だけでなく、電脳空間との組み合わせ相性も大変すばらしかったわけです。

最近ですと、夢世界を扱った『インセプション』なんかも大変参考になる楽しさがありますので、未見の方はぜひご覧ください。

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「主人公」という病


恐怖に対して、どう向き合い、対処するのか、というのは物語の主人公に求められる資質のひとつで、それは極端にいえば「バカ」じゃないと主人公はつとまらない、ということになります。

ここでの「バカ」とは、もちろん知能指数のことではなく、「バカなこと」ができる人間のことです。
戦略とか確率とかリスクとか身の安全とかあらゆる理屈を超越して、分の悪い賭けに自らの身を投げ出す行動がとれるのはバカしかいません。
しかし、これこそが少年マンガ的な主人公の行動といえます。

『ファイブスター物語』内で、ダイアモンド・ニュートラルという人物が出した、MH(ロボット)テストパイロットの条件をちょっと思い出しますね。
「危険を危険と分かって突っ込む」のではなく、「危険に全然気づかないで突っ込む」(でも切り抜けることができる)タイプ。

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逆に、身の危険に対して敏感なキャラクターは、物語を発生させて駆動させることができないということです。
そういう人間は、そもそも「バカなまね」をしないと解決できないような状況自体を生まないように行動をとります。 現実に私たちも、ヤムチャ的にリスクを回避して生きています。なぜならそれが「賢くて正しい」とされているからです。

ただ、その状況で「わくわくして戦うことを選ぶ」人がいないと、「わくわくするバトル」自体も、その先の奇跡の勝利も発生しないんですよね。

このあたりは、すごく昔ですが、『ジョジョの奇妙な冒険』第三部主人公承太郎と、第四部主人公仗助の違い、ということで記事にしたことがあります。
今見ると、メモ程度でしかない不足感ありありの記事ですが、良ければご参照ください。

これらと記事のきっかけとなった疾患を踏まえて、「主人公の素養というのが医学的に定義されて人体のシステムとして存在してる」という物語にすると面白いかも知れないな。
ちょっと、ツンデレを医学上で定義した『百舌谷さん逆上する』みたいだけど。もしくは『サトラレ』か。

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「主人公」の定義を、「主人公病」のような医学的な病名のある「病人」として設定する。「主人公=病人」。
その病気にも重い軽いがあって、重度患者は世界の問題(恐怖)に対して否応なく首を突っ込まざるを得ない。それは「正義感」や「勇気」ではなく、「症状」のあらわれとしてそうなる。
世界でも救わないと、身体が満足しないから。
「主人公病」の発症者は何人もいて、誰が物語の「主人公」なのかはよく分からない。争いあって、主導権を取りあったりしてもいいのかも知れない。
いわゆる、常識レベルでのリスク計算が全くできない障害?それは欠落なのか、それとも私たち(健常者)が欠落しているのか。
「主人公病」ではなく、(リスク計算用の)「天秤が壊れている病」みたいなニュアンスの名前にするといいかも知れないね。(特に着地点もなく、メモで終わります)



ということで、現実での恐怖から連想して、フィクションにおける恐怖についていくつか書いてみました。
なぜ、こんな記事を書いているのかといえば、それはもちろん、何もしてないのに、あと数日で2010年が終わるという現実での恐怖から逃れるためです。
フィクションの恐怖について考えているときだけ、人はそこから逃れることができるのです。

この記事を読んでいるあなただけは、恐怖に対して、大いなる好奇心をもって向かい合うことができますように。(そして私の記事にも、恐怖でなく好奇心を抱いてくださいますように)
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