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「ニュータイプは戦争の道具じゃない!」

いや、ニュータイプほどステキな戦争の道具はないんじゃないかな?


"ニュータイプ"を中心に、機動戦士ガンダムにおけるお約束と言い訳について、色々考えてみましょう、というお話です。

機動戦士ガンダム 劇場版メモリアルボックス機動戦士ガンダム 劇場版メモリアルボックス
(2007/12/21)
鈴置洋孝古川登志夫

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以前書いた記事で、ガンダムがすばらしかったと考える理由の一つとして以下のものをあげました。

・これまでのロボットアニメのお約束をはずすのでなく、全てを高いレベルで盛り込んだこと
・このあらゆるお約束に大人の言い訳をしてくれたこと。


現在から見ると、"ファースト以前、ファースト以後"にロボットアニメを区分けする意識も強いですが、ファーストにはきっちりと"ファースト以前"のロボットアニメ(あるいは男の子アニメ)のお約束が盛り込まれています。
だからこそ当時幼かった自分でもそれほど違和感なく楽しめたのではないかと思っています。(要するに小さい子供でも、マジンガーZのようなロボットアニメからスムーズに移行できた)

ワクワクするバトルアクション(=ロボットチャンバラ)アニメだったことも、男の子アニメのお約束であり、小さくても熱中できた理由の1つです。(ファーストでのアクションについては、 「ロボットチャンバラ」としてのガンダム<ビームサーベル戦闘論> をご覧下さい。)

そして何より基本設定にお約束がきっちり入っています。
キリが無いのですが、あくまで分かりやすい所を思いつくままあげてみましょう。

・大前提としてロボットプロレスであること
・父がつくったロボットに乗る主人公
・仮面の美形ライバル
・敵味方に分かれた兄妹(実は王子とお姫様)
・無敵のスーパーロボット(全然傷つかない)
・合体変形コアブロック。レーザーサーチャー同調!
・次々と現れる新型ロボットと敵パイロット
・ジェットストリームアタックのような必殺攻撃
・でっかいモンスターロボット登場(グラブロ、ザクレロ、ビグザムなど)
・戦争なんだけどスポットをあてるのは主役ロボット周りだけ


などなど。そして、これらのお約束にきちんと大人の言い訳を用意してくれています。

「どうして、わざわざロボット同士で撃ち合ったり斬り合ったりしないといけないの?」
「それはね、セ・リーグとパ・リーグが戦うからだよ」
まちがえた。
「それはね、ミノフスキー粒子があるからだよ(以下は略します)」

「どうして、ガンダムはあんなに無敵なの?傷つかないの?」
「それはね、ガンダニウム合金だからだよ。あとマジンガーZと違って同じ人類の科学レベルの争いなので、超合金Zも溶かす謎の溶解液などは出ないからだよ」

「どうして、連邦vsジオンの戦争なのに、結局ホワイトベースとガンダムだけなの?」
「それはね、第13独立部隊という囮部隊だからだよ。意味なくホワイトベースが単独行動しているわけではないんだよ」

「どうして、素人でしかも子供のアムロがガンダムに乗れたの?」
「それはね、父がガンダム開発者で自身もメカマニア、そこへザク襲撃のどさくさ、目の前にマニュアル。ガンダムに乗るのに一番近いところにいたからだよ」

「どうして、その後もずっとアムロが乗り続けるの?」
「それはね、大人がみんな死んじゃってサバイバル状態になったからだよ。子供でもやれるならやらなきゃいけない極限状態だったから、仕方がなかったんだよ」

「どうして、アムロはあんなすごいスピードでシャアに勝つぐらいに強くなったの?」
「それはね、アムロがニュータイプだからだよ」

「どうして、クラムボンは死んだの?」
「それはね、やまなし、オチなし、そして意味なしだよ。ガンダム全然関係ないよ。あとクラムボンはかぷかぷわらつたよ」

「どうして、がるまは死んだの?なぜ?なぜなの?」
「それはね、そうだなあ…」
「な…ぜ………ZZ…ZZ…」
「おや、ダブルゼータかい?いや、寝てしまったんだね?(毛布をかける)おやすみ、坊や」

などなど。お分かりの通り、こうしたお約束に伴う疑問への答えは全て言い訳です。
本当の理由はもちろん別にありますが、こうした言い訳がキレイに、より面白く、作品を形作ってくれています。ここが工夫のしどころです。

ガンダムはその言い訳のリアリティレベルを全ての面で上げたため、お約束を全てクリアーしながらも、"ファースト以前"の作品とは別物になることができたと思うのです。つまり"ファースト以前"のロボットアニメと、用意されたお約束内容は同じでも、それを説明する言い訳が違っているわけですね。

この辺りが、スポンサーの要求(制限)を飲み込んだ上で最大限の作品作りをしてきた監督として、私が評価しているところなんですが、以前の記事では言葉足らず(オチ)にしたせいで誤解を生んでしまったようです。

ガンダムは戦いそのものも宇宙移民の独立戦争という、人類同士の政治的な闘争にしましたし、それを支えるSF設定も整えられました。こうした、これまでのロボットアニメとは違うリアリティを設定する中で各部門の言い訳がきっちりと整えられましたが、個人的にここで一番注目すべきは、そうした世界観、SF設定だけでなく、

「アムロみたいな子供が、4ヶ月で急成長するのには無理があるよね」

と主人公が強くなることにも言い訳をきっちり用意したことだと思います。つまり、それが、「アムロは実はニュータイプという異能者だった」という言い訳です。

言い訳としてのニュータイプ


実は私はいわゆるニュータイプ論、ニュータイプ思想的なものへの興味が無いので、私にとっての第一の存在意義は「言い訳としてのニュータイプ」ということになります。

主人公がロボットへ乗り込み、そこで戦う状況が揃うまで、というのは割とこれまでのロボットアニメもきっちり言い訳つくったと思うのですが、ロボットに乗った主人公が大活躍する部分は自動的に約束された道としていたものが多かったように思います。
(実は何とか一族の末裔なんたらなどの設定があっても、結局「乗る理由=活躍理由」であって純粋な「活躍理由」ではなかったように思います)

それぞれの世界観がありますから、良い悪いという話ではありません。ガンダムの場合では、富野監督が作品世界全体のリアリティレベルを考えたときに「この世界で主役ロボで活躍するアムロには何か理由がいる」という判断をした、ということだと思います(この辺りが、私の考える富野監督版のリアリティコントロールといえます)。

ニュータイプが必要かどうか。誰でも引っかかりそうではあるのですが、少なくとも私はその場でそれが必要と思えたかなあ、と考えると自信がありません。

「子供がいきなり戦争行って、そんな簡単に生き残れるわけないでしょ。まして大活躍なんて」

という大人の(ある意味冷めた、いや覚めた?)正気が必要な気がしますね。

ここで重要なのは、ニュータイプがいかなる力で、それは現実的(またはSF的)にありえるのか、というようなことでなく、言い訳を「するか、しないか」の選択そのものだと考えています。

例えば「現実世界の主人公が異世界で大冒険」のようなお話がたくさんありますよね。普通、異世界で私たちの言葉は通じません。でも物語進行上、言葉が通じないとお話が円滑に進まない。ですので「言葉が通じる」言い訳をすることになります。
この時、理由が魔法やテレパシー(能力)であろうと、翻訳こんにゃく(道具)であろうと、世界のしくみ(世界観)であろうと、理屈はどうでもいいのです。
物語はどんどん進行していきますから、見てる方は「あれ?言葉が何で通じてるの?」という疑問(引っかかり)をとりあえずクリアーできるなら、どんな言い訳でも、ひとまずそれで納得して見続けることにするからです(言い訳として提示した設定が、上手いか、苦しいか、というのはその次の問題としてあります)。

言葉が通じない面白さを題材にしたり、童話など、言い訳を必要としない物語(世界)もあります。必ずしも言い訳がいるわけではありません。でも創作上「言い訳がいるの?いらないの?」という問いかけは必要で、問いかけの上「言い訳はいらない」と選ばれることが重要じゃないかな、と考えます。


そういう意味では、ニュータイプとはガンダム全体のリアリティと釣り合いを取るために色々考えられる言い訳パターンの一つでしかありません。問題となっているのは「アムロの不自然な成長と戦闘能力をどうするか?」であって、ニュータイプ能力はその解決案の1つに過ぎないのですから。

しかし実際には、ファーストガンダムとニュータイプは切り離すことができない関係にありますね。

ニュータイプで複数の問題を解決しよう


宮本茂「アイデアというのは複数の問題を一気に解決するものである」


とは、ポール・マッカートニーにもサインをしたという任天堂のえらい人の言ですが、私はどうやら、1つのアイデアで複数の問題を解決するのが大好きのようです。特に、実利的な解決が、物語にもプラスにもなる、というアイデアが大好物です。

※過去、記事に書いたところでいうと、押井守「イノセンス」におけるバトーのジャケット問題、がそれに当たります。

ニュータイプも単なる言い訳にとどまらず、これ一つで複数の問題を解決するものとして使用されています。それがテーマ的なまとめ方にまで影響しているため、他のものでは代替の効かないものになっていると思われます。
というわけで、ニュータイプがガンダム中でどう利用されているかをあげてみましょう。

ニュータイプの導入効果


【言い訳としての効果】

・アムロの不自然な成長の説明(言い訳)
・人知を越えた超絶戦闘アクション理由


この辺りは紹介済み。ただ、これだけだと単なる戦闘(とその演出)に関する設定。
ゲームで例えるなら、RPGの戦闘と成長システム部分だけあるようなもの。
これが、物語面にも効果的に働いてこそ、複数の問題を1度に処理したことになり、作品に1本の軸が通ることになります。

【アニメ演出上の道具としての効果】

・不可能な相手とのコミュニケーション
・不可能な状況でのコミュニケーション、情報伝達


富野アニメではロボットアニメでは成立しづらいコミュニケーション機会を何とか作ろうとしているのが大きな特徴です。宇宙で全員、鉄のハコに乗って撃ち合っているだけでは、ドラマが全然起きないですからね。
ニュータイプ能力は、それをサポートできるものになっています。
戦場の流れを敏感に感じ取ったり、人の生死が分かったり、守るべき人達の危機を察知しアドバイスを与えたり、死者と会話したり、真正面からやろうとすると描写や段取りが色々面倒なところをニュータイプ能力で全て吹っ飛ばすことができます。
距離や、敵味方、人の生死、モビルスーツの装甲、それこそミノフスキー粒子の濃さも、ニュータイプの感応力には関係ないのですから。
(まあ、ここの部分は、これ以降、便利に使われすぎなこともありますが、今日はとにかくほめときましょう)

【テーマ的な効果】

・人類進化テーマ(SF的テーマ、問題提起)
・人は分かりえるかも知れない。でも人はどこまでいっても人なのよね。


ニュータイプのアムロとララァは、戦場でシャアが嫉妬するほどの深い心の交流を果たします。
しかし一年戦争時点で、いや、ガンダム全体を通しても最高峰のニュータイプであるララァですら、アムロへ完全に傾くのを踏みとどまりました(彼女はシャアをかばって戦死します)。しかし、その理由が、

「あなたが来るのが遅すぎたのよ」=(シャアと)先に出会ってしまったから

今出会ったニュータイプのあなたより、先に出会って救ってくれたシャアを愛したいから(でも、アムロとの方が深く感じあえる、分かり合えることはララァ本人が一番分かっている)

というのは、なんて業が深いのでしょう。
ニュータイプになったからといって自由になるわけでも何でもない。とことん人間であることから逃れられない。
「ニュータイプは人間的には不幸な人が多い」とは劇中でもいわれますが、それは不幸にもなりますよ。悩み事が単純に増えるだけですもん。

それにしても、この時のアムロの絶望と、シャアの嫉妬は想像を絶しますね。
だってシャアは、ビームきらめく戦場の真っ只中で、自分の女をアムロに寝取られたわけですから。
なんて官能的な関係なんでしょう!

すなわち"純白のモビルスーツ、スカートつきの戦場、最高の女(ララァ)と、ビットでドン・ペリニヨン"ということですね。
こんな浜田省吾のような体験をすれば、そりゃ何もかもみんな爆破したくなるよ。

そして何がすごいって、このドラマが展開された時、舞台は戦場であり、ララァはエルメスの、アムロはガンダムのコクピットから一歩も降りていないこと。「戦場で戦いながら、ロボットからも降りずに、こんなドラマをやってやったぞ!」という力強い手ごたえを感じますね。
スポンサーの注文に全て応じた上で(ここ重要)、こんなエロいドラマをロボットアニメに入れ込んだ富野監督は本当にすごいと思いますが、この一連のシーンを描くにあたって、ニュータイプ能力が最大限に活用されたのは言うまでもないでしょう。

余談ですが、こうして見るとニュータイプのお話ってやっぱりアムロとララァで終わっている気がしますね。ニュータイプって人類の革新かも知れないけど、やっぱりどうしようもなく人間だよねー、そのジレンマが物語的には一番魅力的で面白いよねー、ってことなので。
だからあとはバリエーション。もちろんそれでいい。バリエーションは作品を豊かにしてくれるから。
ニュータイプを突き詰めると、エヴァの「人類補完計画」になるか、もしくは森岡浩之のSF小説「星界シリーズ」のアーヴになるのかな。宇宙に適応した種族アーヴ(ニュータイプ)の中で、適応していない人間が1人だけ、という完全な逆転現象。

【ラストの落としどころとしての効果】

ニュータイプvsニュータイプである、ララァ戦が終わると、あとは1人残された孤独なニュータイプアムロが悟りきって戦う最終決戦(ア・バオア・クー)に向かいます。(ララァ戦後の、アムロのシャア越えについては、こちらのエントリーにまとめてみました。)
この最終決戦でも、ニュータイプはラストの落としどころというか、うまくまとめるためにも活用されます。

ニュータイプが活かされたガンダムのラスト

・ホワイトベースクルーのみんなへ、アムロからのメッセージが頭の中へ届けられます。サポートを受けてみな脱出。
・ホワイトベースクルー、ア・バオア・クーを脱出。ただアムロが来ない。
・ブライトやミライ、セイラ達、年長組がアムロを感じて、呼ぼうとするが分からない。
・その時、最も幼いクルーである子供たち(カツレツキッカ)が騒ぎ始める。
・アムロを誘導する子供たち。アムロはコアファイターで脱出成功。
・「まだ帰れるところがある」とみんなの元へ帰るアムロ


文句のつけようがないラストの流れ。
クルーの脱出と、アムロ自身の脱出にニュータイプ能力がうまく活用されています。

初見の記憶なんて幼すぎて思い出せないけど、クルーを誘導するシーンを見ながら、多分アムロが死ぬんじゃないかってドキドキしてたんじゃないかな。だって、アムロの肉体も映らないし、最後の贈り物というか、天のお告げみたいなんだもの。

実際、アムロも死の覚悟をするような状況だったんでしょうが、そこで大破したガンダムを見つける。最後の最後でコアブロック(変形合体、おもちゃの為の機構)を利用してコアファイターで脱出させるのがまたいい。

そして、おチビちゃんの誘導の下、脱出する。
分かり合える可能性をもったララァと死に別れ、それが原因で永遠に分かり合えないシャアとも別れ、残ったニュータイプは自分たった一人と思えた宇宙で、めぐりあった希望。
おチビちゃんをここまでひっぱって、最後の最後にこの役どころを任せるのは本当にうまいことまとめたなあ、と思います。

安彦さんがニュータイプの事について聞かれた際に「物語の落としどころとして使ったという意味ではうまいと思った」というようなことを言ってましたが、確かにもう純粋に、落としどころを決めて、まとめるというテクニックの上手さをとにかく感じます。

まとめ ニュータイプは?


最後にもう一度まとめますと、

(1)言い訳としてのニュータイプ(戦闘のための異能力)
(2)ロボットアニメ演出上の道具としてのニュータイプ
(3)テーマ、物語の落としどころとしてのニュータイプ


という3つの大きな役割がありますね。
割と(3)の意義で語られがちなんですが、(1)(2)の意義も大きいと思うので、3つまとめて考えておくと面白いんじゃないかな、ということです。

「ニュータイプは戦争の道具じゃない!」

いや、ニュータイプほどロボットアニメの戦争の道具としてすばらしい発明はないよ。戦争(ロボットアニメ)で使うために生まれた、ステキな戦争の道具だよ。

それを劇中では「戦争の道具じゃない」と言っておく所がいいですよね。物語上、テーマ的な立場では(1)、場合によっては(2)のニュータイプは否定しておくところがポイントでしょうか。



最後に


ニュータイプが万能に面白いと思ってるわけでもありませんが、ゼロからこの道具(ニュータイプ)を生んだのは、すばらしい発明といっても差し支えないと思っています。
ただ、生まれた道具のその後の取り扱いについてはやっぱり色々ありますね。
安彦さんも、ファーストでのニュータイプの使いどころは良かったと言いつつ、その後はエキセントリックすぎて僕にはついていけないよ、というような事を言っていたような。私はこういうスタンスなので、その気持ちはちょっと分かるような気がします。

私はターンAガンダムとキングゲイナー大好きなのですが、ガンダムからニュータイプが必要なくなり、またそれなしでも面白いロボットアニメを富野監督自身が作ってくれているので、ニュータイプは天寿を全うしたのかな、とも感じますね。

※富野作品の記事を色々書く前に、自己紹介も兼ねて書いてみたのですが、とんでもなく長くなってしまいました。すみません。最後まで読んでいただいた方ありがとうございました。
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