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『機動戦士ガンダム』シリーズに登場するロボット「モビルスーツ」は、宇宙戦争で使われる兵器です。

スペックや武装なども細かく設定されており、ファンはミリタリー的な楽しみ方をすることが出来ます。
プラモデルもかつてその要素を取り入れて発展しましたし、現在でもネットでは「どのガンダムが最強か」などの議論が発生し、検証するためにミリタリー的な見地が持ち込まれたりもします。

私は残念ながら、プラモデルも買いませんし、ミリタリー的な知識も素養もないので、そういう対象としてのモビルスーツには全く興味がありません。
興味があるのはやはり、物語内に登場する「キャラクター」としてのモビルスーツということになります。

フィクションに登場させるためにつくられた架空兵器なのですから、登場人物(キャラクター)と同じように、当然そこには登場させる意図と、物語上で果たすべき役割があるはずです。
機械であり兵器であるモビルスーツを、どうすれば物語中で「キャラクター」にできるのでしょうか。

今回は、いくつかのサンプルをもとにあれこれ雑多に考えてみましょう。
(いつもどおり、当然いろいろ脱線します)

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『ガンダム』シリーズに、主役ロボット「ガンダム」が登場する意味とは


先日とあるきっかけで、『機動戦士ガンダム』シリーズにおいて主役ロボットが「ガンダム」である意味についてツイート連投しました。
一連の流れに関しては、あでのいさん(@adenoi_today)が、Togetterでまとめてくださいましたので、ぜひご覧ください。私はともかく様々な方の発言が集まっており、興味深いものになっていると思います。

ガンダムが「ガンダム」である意味
http://togetter.com/li/630810

詳細は読んで頂くのが良いですが、私のパートは基本的に『機動戦士Zガンダム』についてのもの。
簡単にまとめると以下のような感じになります。

(1)「ガンダム」の名を継いだ主役機ガンダムMk-IIが、突出した性能を持たないのは「7年後の世界」の現状認知としては普通のこと。
(2)Mk-IIは「ガンダム」の顔と名前を利用しているだけのガンダム。
(3)Mk-IIに限らず『機動戦士ガンダム』以降のガンダムは、全てガンダムのフェイク(偽物)。
(4)Mk-IIに対してのZガンダムの価値は「父から与えられたガンダム」ではなく、カミーユが開発に関わったこと。


『機動戦士ガンダム』以降のシリーズでのガンダムが、いかに「ガンダム伝説」を利用したフェイクであるか、というのは『ガンダムF91』『Vガンダム』を中心に、あでのいさんが語ってくださっています。

私は『機動戦士Zガンダム』をリアルタイムで見ていた子供のひとりでしたが、ガンダムMk-IIが主役機にふさわしい強いロボットであると思ったことはありません。
これは私や周りの友人を含めた当時の子供の共通認識だった思います。

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確かにガンダムMk-IIは、初代ガンダムのようにスペシャルなロボットではなく、普通のロボットに過ぎませんが、『Zガンダム』において、それが間違っているとは思いません。
作品上の必然から来る「偽物のガンダム」という微妙なポジションのキャラクターをきちんと果たしています。
無論すべてが上手く表現できているとは思いませんが、意味なくMk-IIがああいうモビルスーツになったのでは無いのは確かだと思います。

まあ、そもそもタイトルが二代目主役機の名を冠した『機動戦士Zガンダム』でしたしね。
同じように二代目機が登場する『ザブングル』『ダンバイン』『エルガイム』はタイトルが初代主役機名になっていました。

その番組名を冠した正真正銘の主役機「Zガンダム」については、Twitterで興味深い情報を知ることができました。

「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」「Zガンダムにね」



『Zガンダム』の主人公カミーユ・ビダンのモデルが、彫刻家カミーユ・クローデルであることは有名ですが、ロダンとクローデルとの関係と「Zガンダム」という機体とカミーユとの関係との関連というのは初耳でした。

そこで早速、LDライナーのインタビューについて検索してみると、さすが!ひびのたわごとさんが紹介してくださっていました。関連箇所だけ引用させて頂きます。

ZガンダムLDライナー富野インタビューby庵野
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3937.html

庵野:カミーユ・クローデルって、その後映画にもなりましたけど、その頃は誰も名前知らない人ですよね。半生を精神病院で過ごした女性(ひと)で。カミーユも最終回で精神をやられちゃいましたが、それもクローデルに影響を受けて?

富野:もちろんです。あの時は「エルガイム」の反動で本能的にクローデルみたいな人をモデルにしたんだけど、今ならうまく説明できる。カミーユ・クローデルにとっての師ロダンの位置づけが、カミーユ・ビダンにとってのZガンダムだってっていう。その構造が僕にとって一番シンプルにとらえられる。クローデルとロダンの関係というのは、愛人関係でありながら、じつはロダンの半分くらいの作品を彼女が作ってたんじゃないかという。でも世間的には、クローデルの作品もロダンが作ったんだと見なされて、失意の中で彼女は精神をやられる。反対にロダンという人はそのおかげで美術史に残っていったわけ。でもひとりの人間として考えると、ロダンが自分ひとりで成立していったかといえば決してそうではない。クローデルみたいな人もいたんじゃないか。と同じように、ガンダムだけで「ガンダム」が出来るわけではない。要するに「表現される人と物の関係」を、クローデルとロダンの関係は象徴的に表しているサンプルだったんです。だからカミーユに惚れこんじゃた。


インタビュー読むと色々連想されて面白いですね。

例えばベルトーチカに「アムロにガンダムを譲れ」と言われたこと。
つまりこれは、アムロが乗ってないと『機動戦士ガンダム』じゃないでしょ?ということですよね。
だがカミーユは、アムロにガンダムパイロットの座を譲らなかった。

あとは、エマさんによる「私の命を吸って」問題。
エマは最終回「宇宙を駆ける」で、Zガンダムは人の意思を吸い込んで、自分の「力」にできるとカミーユに伝えています。だから、死にゆく私の命を吸って、とカミーユに頼み、そして死んでいく。

Zガンダムが持つ「力」というのは、同じく最終回シロッコ戦で、フォウとロザミアも語っています。

フォウ「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」
ロザミア「Zガンダムにね」


エマもフォウも、Zガンダムというマシンにその「力」があると言っています。カミーユではなく。

もちろん、アポリーの乗ったZガンダムに同じことが出来るかといえば、出来ないでしょう。
ですが、やはりこれは「ガンダム」の力なんでしょう。ただし、それには人の命とマシンとをつなぐ、霊媒体質のパイロットを必要とする。

そう考えるとカミーユは、神に捧げられた人身御供の巫女(というとカミーユに殴られるけど)だよね。
自分自身のというより、多くの人の意思を背負って、神にその願いを伝える役割。
そしてエマは、カミーユに与えられたのがその役割であることを、最終回で告げる役だよね。

エマは「命を吸って、力にして、戦いを終わらせなさい」と言います。
それはエマさんらしい正しさに則った言葉です。姉として最後の励ましでもあります。はっぱかけたげる、さあカタつけてよ!です。最終回にふさわしい正論といってもいい。

でも、カミーユはここまで来るまでに、死んだ多くの人たちの命を吸ってきています。背負う荷物はもう限界ギリギリです。そこにさらにひとつ荷物を載せて、さらにここまで誰も直接本人には言ってなかったのに、カミーユが最後にすべき事を具体的に伝えてしまう。

繰り返すが、エマさんの言うことは正しい。
作劇上も、最終回冒頭でラストのために、あらかじめこれを言っておくのは正しいと思う。

でも残酷だ。正しいが残酷だ。カミーユはエマに言われたとおりのことをして『Zガンダム』は終わる。

『機動戦士ガンダム』いう作品がなければ『機動戦士Zガンダム』は当然生まれなかったし、カミーユも「ガンダム」によって生み出されたキャラクターです。
相田みつをに言わせれば「Zガンダムはねぇ カミーユのために この世に生まれてきたのでないんだよ Zガンダムがさき カミーユはあと」。

主人公としてガンダムに乗り、多くの人を殺し、多くの人を殺され、そして1年でその主役を降り、翌年に始まる『機動戦士ガンダムZZ』への道をつくって、主役をジュドーに譲りました。
まさしく「ガンダム」のために生まれ、命を使ったキャラクターだったな、と思います。

これを考えると『ガンダムF91』で、カロッゾ・ロナが「人をいっぱい殺しなさい」と言われて、鉄仮面をかぶり、自らを強化改造して、マシン(ガンダム)に近づいていったというのが面白いよね。
バグを使った虐殺を、カロッゾが「誰も良心を痛める事のない良い計画」と言う意味が分かるというか、カミーユみたいに人の命を吸いたくなければ、ああいうのを使うしかないかも知れない。

『逆襲のシャア』終盤でも、ナナイが「大佐の命が、吸われていきます……」と語っていましたが、「ガンダム」というコンテンツがこれまでにどれだけの人の命を吸ってきたのでしょうか。
これからも吸い続けるでしょう。

MAは城、MAは石垣、MAは堀、情けは味方、仇は敵なり


ティターンズは、ガンダムMk-IIを奪われたあとも、サイコガンダムというモンスターのようなフェイクガンダムを開発しています。

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パイロットは、ニュータイプのフェイクである強化人間のフォウ・ムラサメ。
名前も記憶も何も持っていないフォウは、それを取り戻そうと巨大なモビルスーツ・サイコガンダムに乗り込み戦います。

ガンダムの強化人間少女たちは、少女たちのイメージとは真逆な、巨大で暴力的なマシンに乗り込むことが多いですね。例えばこんなメンバー。

・サイコガンダムのフォウ・ムラサメ
・サイコガンダムMk-IIのロザミア・バダム / プルツー
・クィン・マンサのプルツー
・α・アジールのクェス・パラヤ


並べてみただけで恐ろしいラインナップですね。

以前書いたことがありますが、これら巨大なモビルアーマーはその名のとおり彼女たちの心の「鎧」いや、彼女たちが囚われている心の「城」です。

思春期の少女たちは、それぞれの理由で不安定。
アイデンティティに悩み、自意識が肥大した少女ほど、その「城」は堅牢巨大な要塞となります。
モビルアーマーの巨体は、触るものみな傷つける不器用なギザギザハートの現れであるかも知れず、少し動いただけで世界とそれと同時に中に囚われた少女自身を傷つけてしまいます。

これらのモビルアーマーは全て拡散メガ粒子砲を持ち、ビームを四方八方肘鉄砲にまき散らしながら大暴れしますが、これはつまり少女の大号泣です。
女の子が泣きじゃくっているわけです。他傷・自傷行為しながら、ぎゃんぎゃん泣きじゃくっているわけです。めちゃんこかわいいね!(崩れゆく街並み)

『イデオン』の全方位ミサイルみたいなのと同様に、兵器による感情の発露ですね。

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モビルアーマーに籠城している彼女たちを解放するために、ガンダムの主人公たちは攻城戦に挑みます。
城攻めの方法として、暴力で屈服させようと言う人もいますが、やはり接触して(体をくっつけて)話しかけて、落ち着かせるべきでしょう。
しかし、カミーユやハサウェイを見て分かるように城門を開かせる(コクピットを開かせる)のは容易ではありません。

カミーユは結局、サイコガンダムがジェリドのバイアランの攻撃から庇ったことでフォウを失っています。
エルメスに庇われてララァを失ったシャアと同じような体験をしたわけですが、エルメスならともかく人型のサイコガンダムがなぜコクピットのある頭部で庇って一撃で死ななければならないのか、ということはよく言われますね。

またサイコガンダムMk-IIのロザミアの場合では、「かわいそうだが、直撃させる!」のセリフと共にカミーユ自身が葬り去っています。
こちらは「殺す側」という意味では、アムロがララァを殺してしまったのと同じような体験といえます。
カミーユはこのとき頭部コクピットを一撃で撃ちぬいていますが、フォウを同じように頭部への一撃で失った体験が、この見事な射撃につながっているのだとしたら、こんなにやるせなく、不条理なことはないと思います。

一方、ジュドーは攻城戦が巧みで、終盤でもクィン・マンサのコクピットを開けさせたことが、グレミー・トト直接の敗因にもなっています。
(結果的に、少女を救い切れてないのがやるせないところなのですが)

以上、メガ粒子が乱舞する巨大モビルアーマー戦は「号泣少女とそれに困る男子」のアングルで見るとより楽しいよ、というお話でした。かわいいね!(廃墟の中で)

もちろん作品の性質上、搭乗するモビルアーマーが先に決定しているような場合の方が多いのではないかと思います。
ただ、このような巨大で暴力的でバカげたマシンにどのような人物をパイロットとして乗せるのがふさわしいのか、ということを考えたとき、極めて精神的に不安定な少女たちが選ばれたのは組み合わせの妙を感じます。慧眼と言うほかないですね。

単なる兵器であるモビルアーマーが、強化人間の少女たちを得ることで、ひとつのキャラクターとなり、私達に強烈な印象を残すものになったのですから。

ちなみにこの流れで見たときに『ガンダムF91』で、モビルアーマー「ラフレシア」に搭乗するのが、ベラ・ロナ(セシリー)ではなく、その父カロッゾ・ロナ(鉄仮面)であることがやっぱり面白いよね。モビルアーマーにふさわしい精神的に不安定なパイロットは娘ではなく、自らを強化人間の手術を受けた父の方だという。

アムロとシャア、2人の初めての共同作業です


号泣少女のひとりであるクェス・パラヤのα・アジールが登場する『逆襲のシャア』。
主役となるモビルスーツは、もちろんアムロ・レイの乗機、νガンダムです。

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ガンダム以降のガンダムは全てフェイクと述べましたが、それでもこのνガンダムに関しては、単なるフェイクとは呼べないものを感じます。
それはなぜかと考えてみると、やはりνガンダムが「アムロとシャアの子供」だからではないでしょうか。

νガンダムは、パイロットとなるアムロ・レイ本人による設計と、そのアムロと互角の決着をつけたいと望んだシャアによる技術提供によって生まれたモビルスーツです。
ガンダムのマスクと名前を持ち、ジオン系技術であるサイコミュ兵器を搭載したモビルスーツであり、アムロとシャア、2人の遺伝子を使った愛の結晶と言ってもいいでしょう。

そしてνガンダムという肉体の誕生に、アムロとシャアの2人が関わっていたことは『逆襲のシャア』ラストに形となって現れてきます。

物語の終盤、大破したサザビーから射出された脱出コクピットを、アムロのνガンダムはトリもちで捕らえて手につかみます。(よくサイズがおかしいと突っ込まれる丸いボールです)

この「トリもち」というものを媒介にして、νガンダムの手と脱出コクピット(もちろんシャア大佐入り)がくっついて、一体となることがとても面白い。
このトリもちで、アムロとシャアはもう離れられない関係になってしまったわけです。
そう、まさに最後の瞬間まで。

実利的なことをいえば、トリもちはアムロとシャアを一体化して通信状態を保つ言い訳でもあるし、ネオジオン兵によるシャア奪還とアクシズを押す無防備なνガンダムの撃破を不可能にする言い訳でもあるでしょう。
シャアの命を見捨てればνガンダムは倒せるでしょうけど、アクシズ落下の状態でそれをやる意味は特に無いだろうし、この映画でそれができる唯一の存在ギュネイはもう死んでいる。

さて、トリもちで脱出コクピット(シャア)とνガンダム(アムロ)が文字どおり一体化して、三位一体、一心同体三銃士となったことで、どうなったのか。

肉体(νガンダム)に対し、心(アムロとシャア)が2つになりました。この2つの心は口論を始めます。
心の中にいる天使と悪魔のケンカのようなものですね。

体のコントロール権はアムロにあるので、νガンダムはアクシズを押し始めるのですが、その最中もずっとνガンダムの肉体の中で、2つの人格がせめぎ合います。

シャア「ふふふふ、ははははっ」
アムロ「何を笑ってるんだ?」
シャア「私の勝ちだな。今計算してみたが、アクシズの後部は地球の引力に引かれて落ちる。貴様らの頑張りすぎだ」
アムロ「ふざけるな。たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる」
シャア「馬鹿な事はやめろ」
アムロ「やってみなければわからん」
シャア「正気か?」
アムロ「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」
シャア「うわああっ……アクシズの落下は始まっているんだぞ」
アムロ「νガンダムは伊達じゃない」

シャア「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて自然に対し、地球に対して贖罪しなければならん。アムロ、なんでこれがわからん」


元々『逆襲のシャア』は、人類に対する絶望と希望が、シャアとアムロの2人のキャラクターに別れて、争い合うような作品(永井豪ちゃん的作品理解)です。
そう考えると、この2人の最終状態が、アムロ&シャア in ガンダム(from L.A.)というのは興味深いですね。(from L.A.=ロンドベルとアクシズから来た2人の意)

作劇上、人格を分離して配役した2人のキャラクターが、最終的に2人が生んだガンダムの中でまたひとつに統合されたかのようです。この状態は、富野監督個人が強く持っている二律背反状態に形の上でもより近づいたとも言えるかも知れない。
すぐに全ては光の中に消えていくのだけれど。

個人的にはこのようなことを感じているので、νガンダムは単なる主役モビルスーツというより、おはようからおやすみまで、いや、誕生から消滅まで、アムロとシャアの因縁を象徴するキャラクターとして大変優れていると思っています。





今回は「キャラクターとしてのモビルスーツ」をテーマにお送りしたように見えましたが、実際のところ、Twitterでのツイートリサイクルまとめです。
観念的な部分が多くて、自分で書きながら自分であまり好みじゃなかったりしますが、Twitterだと、思いついた順に適当にツイートするんでそうなりがちなんですよね。

ですから今回の話は、全部本気で書いているというよりは、半分くらいは「まあ、こじつけるのも一種の芸か」と思いながらやっているところもあります。

ただ「キャラクターとして演出されたモビルスーツ」にこそ魅力を感じているのは本当のことですし、「ロボットによる感情の発露」は、ガンダムに限らない富野作品の特徴のひとつなので、いつかちゃんとやってみたいですね。

ともあれ、もう少し具体的な話が好みなので、そうなるように生きていきたいと思います。
僕は僕に。君は君に。拝み倒して泣けばいい、いや笑えりゃいい。

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最近パスタも巻いてないし、ゲームもしてない私ですが、ゲーム自体は好きなので、Twitterで書いた雑多なゲーム系の話題をひとつにまとめました。
ゲームが好きだと耳元で言った、そんなヒロシにだまされたと思って、ご覧ください。
(読んでから、ほとんどが妄想で実体のあるゲームの話がないことに、だまされたと思うことでしょう)

例によって長文なのですが、ネタやゲームアイデアが主なので全て読むことはあまり想定していません。
面白そうなブロックだけ読んでいただければ結構です。
面白い部分が見つからないという方には「こんな長いのに読むとこ無いってある意味爆笑エントリだな」と笑うことで、笑顔でページを去ることができるというライフハックをお教えしておきます。

それではまず、実体のあるゲームの話題から。



『スカイリム』のスカイ無理な話


『スカイリム (The Elder Scrolls V: Skyrim)』って知ってるかい?
少し前に発売されて、ゲーム好きの間でイキに暴れまわってたって言うぜ。

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そんな噂の『スカイリム』は、海外の人気ゲームシリーズ最新作で、オープンワールド・アクションRPG。
私は『スカイリム』の前作『オブリビオン』の話を聞いてこのシリーズに興味を持ちましたが、どちらもプレイしたことも見たこともありません。
どっち(スカイリム)もどっち(オブリビオン)も。どっちもどっちも!

そんな中、とある情報筋から友人が『スカイリム』をプレイしていると聞き、たまらないぜハニハニな我々取材班は、どんなゲームか見せてもらうことにしました。
……うーむ、確かに体中にビートが駆け巡るほどすごいゲームだ。
友人が発売日にゲット・イン・ストレートしたのもうなずける。
(もう言いたいだけの意味ゼロで進行しているテキスト)

友人がプレイしながら、あんなこともできるこんなこともできると説明してくれた。
海外のゲームらしくさまざまな自由がユーザーに任されている。
ただこのとき、友人がひとつの例として見せてくれたのが、シェフのきまぐれ村人大虐殺などのグランド・セフト・オート的社会的逸脱だった。

構築したひとつの世界の中で遊ぶオープンワールド型ゲームでは、箱庭の中でやりたい放題して遊ぶことになるわけだが、自由を保証するということは社会ルールからの逸脱の自由も保証することになる。
となると、ゲームの主人公は社会のモラルやルールを無視できる存在であることが望ましい。
それはつまり犯罪者やチンピラだったり、軍人だったり、文明レベルが低い(例えば古代・中世の)人間だったりするだろう。
私が初めてこういうタイプのゲームのひとつである『グランド・セフト・オート3』を遊んだときに感動したのは、街の中で自動車泥棒も暴力も殺人も自由であることではなく、主人公がどうしようもなく犯罪者でチンピラであることだった。マフィアの命令で簡単に人殺しもするような人間。
だがそれこそが必要で、プレーヤーキャラが社会ルールを守らないチンピラであることで、初めて私は自由にプレイができた気がする。

もちろん、ひとつの世界を構築した箱庭世界だからこそ、現実と同じく法の逸脱に対するペナルティもある。
『スカイリム』でも警備兵(警察)が止めに来ていたが、友人はそれすらも惨殺して馬を盗み最後はゲハハと尸良さんのように笑いながら逃亡していった。
それを見ていたらだんだん気分が荒んできて、心のバランスを取ろうとしているのか、発作のような衝動が湧きおこってきた。

友人「……こんな感じで冒険や成長や犯罪とか、いろいろ自由なんだよ」
私「確かにすごい。すごいよ。けど、今はとにかく、いいことがしてえ。とにかくいいことがしてえ。そして極楽浄土さ行きてえ」
友人「は?」
私「だから、ぎゃあてえ、ぎゃあてえ、はらぎゃあてえ的なことがしたいんだよね」
友人「例えば?」
私「こんなに自由ということは、陣痛の妊婦を病院に運んだり、老婆をおんぶして歩道橋渡ったりできるよね?子供たちにも夢を与えられるよね?学校を建設したり、靴磨きの黒人の少年にトランペット買ってあげたり。で、その少年が成長して世界的なジャズミュージシャンになるよね?」
友人「いや、さすがにそういうのは……。あ、ほら、ドラゴンが飛んできた」
私「ドラゴンなんかどうでもいいよ。ネコは?どしゃ降りの雨の中で捨てネコが拾いてえ。しこたま拾いてえ。両脇にかかえてえ」
友人「(私を無視し、ドラゴンと戦闘を始める)」


私は特別善人というわけでもありませんから、純粋に地獄を見たので、心が渇き、戦いに飽きたというだけのことなんでしょう

PC版『スカイリム』だと、MOD(改造データ)を用いて、世界そのものを改造する自由度がありますから、そんな「やさしい世界」も実現できるのかも知れません。こういうゲームでの本当の自由度とは、こういうレベルにも介入できることを言うんでしょうしね。

そういえば「やさしい世界」で思い出したゲームがひとつあります。ゲームといっても別の友人が昔考えたゲームアイデア(ネタ)です。
10年以上前のネタですが、私はすごく気に入り、今でも憶えています。これを紹介しましょう。

おいでよ!やさしさの森


『スカイリム』見ながら「やさしい世界」を連想して思い出したのは、こんなゲームです。

・あなた(プレイヤー)は森に迷い込みました。
・すると森の動物たちが現れ、あなたを「やさしさ」で攻撃してきます。
・あなたが「やさしさ」を受け入れると、HP(生命力)が減ってしまいます。
・HPがゼロになってしまったら、ゲームオーバーです。
・さあ、はたして無事に森を脱出できるでしょうか?


メルヘンチックで分かりやすい設定ですね。
しかし敵……というか動物たちがしてくる「やさしさ」攻撃って、どういうものなんでしょうか?

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森の動物たちは、あなたに、笑顔であいさつし、イスにお座りよといい、くだものをすすめたり……つまり「やさしさ」で攻撃してきます。
これを受け入れると、HPが減っていきますので、あいさつは無視し、イスは蹴飛ばし、くだものは足で踏み潰す必要があります。

プレイヤーが「やさしさ」を拒絶しても、恐ろしいことに森の動物達は無限の愛で「やさしさ」攻撃してきます。
夜の森で動くのは危ないからと、木の葉をいっぱい集めてつくったふかふかのベットを用意してくれます。
間違った方向へ進んでいるあなたの前に出て、「こっちは危ない。森の出口はあっちだよ」と指さします。
何もあげられるものがないウサギさんは、自ら焚き火に飛び込みます。

これらの「やさしさ」を振り払い、森から脱出できたらクリアーです。
面が進むと、「やさしさ」は増していきますが、屈してはいけません。踏みにじりましょう。
すごく簡単なゲームですよね。

この「やさしさの森脱出ゲーム」を、『スカイリム』や『グランド・セフト・オート』のようなオープンワールド型のゲームでやってみたいですね。
箱庭世界でやりたい放題なゲームが好きな人にはぴったりです。
世界はあなたに無限にやさしいが、それを拒絶できる人はゲームオーバーにならないはずですから。

うっかり屋さんの私は、恐らく「何か」を撃つために持ってきた銃をどこかに落としてしまい、それを対象いや住人に親切に拾って届けてもらうでしょう。
会釈しながら銃を受け取って「あー、どうもどうも。すいません……あ!」で、ゲームオーバーです。

『火の鳥<鳳凰編>』を今、ゲーム化するとこんな感じになるかも知れない。主題歌は渡辺典子の愛したら火の鳥のままで。シルバーウィーン。
もしくは「やさしさ」攻撃を、ストレートに主題にすえれば、母性社会のやさしさを振り払って脱出するゲームに仕立てられるかも知れない。

それにしても『スカイリム』。噂通りのすごいゲームだったが、子供たちに夢を見させる自由さえないゲームとはなんて不自由なゲームなんだ、と思いつつ、村人の虐殺遊びをやらせてもらった。うわ。なにこれ。楽しい。

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宇宙船のエネルギーコントロール問題


昔、ニンテンドーDSの『無限航路』という宇宙戦艦RPGを遊んだのだけど、途中でリタイアしてしまいました。

無限航路無限航路
(2009/06/11)
Nintendo DS

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宇宙船の内装エディットなど新しい要素が目立ちましたが、ゲームの基幹部分はかなりクラシック。
個人的には戦闘の魅力が乏しかったのが大きかったです。3すくみというか後出しじゃんけんみたいな感じでしたが、コンピューター相手に延々それするなら、友達と普通にじゃんけんした方が楽しいんじゃないかな、と私は思っているので。
ゲーム全体に対して思いますが、3すくみ入れると確かに簡単に駆け引きっぽくはなります。ですがそれは、じゃんけんのすばらしさであって、そのゲームのすばらしさではない。安易な3すくみや属性は好きになれません。

もちろん途中でやめてしまったので、このゲームの魅力の全てを体験できたわけではないでしょう。
ただ要素がいくつか加わるとしても根本的にあまり好みではありませんでした。
ストーリーがよいというお話も聞きますが、私はゲームシステムにお金を払う意識が強い人間なので、ストーリーのために我慢してゲームを続けるということをあまりしません。

個人的な好みではなかったとはいえ『無限航路』も移動を前後だけにしたり、回復と資金稼ぎを省略していたり、かなり割り切った工夫をいろいろしていました。そうした方向性は正しいと思います。
宇宙戦闘は思い切って単純化したり、ある要素だけクローズアップ(強調)する方がポイントが絞れて良いと思います。
個人的には昔から「エネルギーコントロール」だけに駆け引きを集約する宇宙船ゲームはどうかな、と考えていましたので、いつものように妄想を書き散らしてみましょう。

【ゲームの概要】

あなたは宇宙船(宇宙戦艦)の船長(艦長)です。
宇宙船に乗って、宇宙を旅したり、戦闘したりします。
でも、あなたの宇宙船の動力炉(エンジン)でつくられるエネルギー量は決まっています。
移動にも、ワープにも、ビーム砲にもバリアーにも、船内の空調や生命維持装置にも、何でもエネルギーは必要です。
あなたは艦長としてその場の状況に応じて、適切にエネルギーを使えるでしょうか?


このゲームは「限られたエネルギー量をどう使えばいいか?」という駆け引きやジレンマに悩むゲームです
ですから戦闘のメインシステムのほとんどを、この「エネルギーコントロール」の問題として単純化して処理するというゲームになるでしょう。

【エネルギーについて】

宇宙船のエネルギーは、移動、攻撃(ビーム)、防御(バリアー)はもちろん、艦内の生活・生命維持にも使われます。
ですから、戦闘していなくても、停止していても、エネルギーは一定量使われていることにします。
ちょうど、私たちの体が夜寝ているときでもエネルギーを消費しているようにね。

エネルギーは使えば無くなりますが、動力炉(エンジン)を動かしている限りは、また生み出されていきますので、時間が経過することで回復はしていきます。

このエネルギーを、状況に応じて上手く割り振っていくのが、プレイヤーの主な仕事です。
エネルギーの使い道について、ここでは大雑把に4つに分けて紹介しましょう。

【エネルギーの使い道】


移動

・宇宙船で移動するにもエネルギーが使われます。
・移動スピードのギアを一段階上げるたびに、エネルギーの消費量が段階ごとに上がって行きます。
・SFの定番「ワープ」もあってもいいかも知れませんが、エネルギーのほとんどを一気に使い切るという感じでしょうね。


攻撃

・戦闘時に撃つビームにも、当然エネルギーを消費します。
・ビームの本数や出力(威力)を上げれば、それだけエネルギーを多く消費します。
・波動砲やハイメガ砲的な主砲のエネルギーチャージにも、エネルギー出力の一部を回す形で消費します。チャージは時間をかけて、貯金のように少しずつ100%めざして貯めていきます。出力何%で撃つかどうかは艦長の判断次第といったところです。
・ミサイルなどの実体弾兵器は、エネルギーを使わないという意味で貴重なものという扱いになるでしょう。
・艦載機も同じく、エネルギーを使わず攻撃できるファンネルみたいな兵器になるでしょう。


防御

・敵からの攻撃は、防御スクリーン(バリアー)を張って防ぎますが、もちろんこれにもエネルギーを使います。
・これも防御スクリーンのレベルを上げることで、より多くのエネルギーが必要になります。
・敵の艦載機やミサイルに対して、迎撃のための弾幕を張るにもエネルギーが必要ですし、防御スクリーンのレベルも上げなければいけないでしょう。ミサイル・艦載機攻撃の主目的は、こちらのエネルギーを使わず、相手のエネルギー消費を増やすことです。


生活・生命維持

・宇宙船の中を人間が生きられる環境にするために、一定量のエネルギーが必要です。これは自動的に消費されます。
・また人間が食事したり、洗濯したり、お風呂入ったりなど、生活のためにも同じく一定量のエネルギーが必要です。
・エネルギー消費量は、宇宙船の規模や乗組員の人数などによって変化します。
・エネルギー不足で生命維持系に回すエネルギーすら無くなると、宇宙では生命の危機に直結してしまいます。


プレイヤーは状況に合わせて、これらの要素にどれくらいエネルギーを使うか、という「エネルギーコントロール」に集中しながら、冒険を進め、戦闘では勝利をめざすという感じになるでしょう。
作られるエネルギー量自体は決まっているので、それをどう配分するかという、割合調整という感じですね。

【移動中でのエネルギーコントロール例】

・エネルギーは基本的に「移動」「生活・生命維持」にしか使われません。消費量と回復量とのバランスが取れている状態です。
・未使用のエネルギー割合が多いでしょうから、急なトラブルや戦闘にも対応できます。
・目的地まで急ぎたければ移動スピードを上げましょう。エネルギー出力は上がってしまいますけどね。


【戦闘中でのエネルギーコントロール例】

・戦闘になれば、ビーム攻撃や防御スクリーンにもエネルギーを使うので、エンジンに無理させて目一杯ギリギリまで使うことになるでしょう。
・攻勢に出る場合は、ビームの出力を上げて畳み掛けましょう。その分、防御に回すエネルギーを削ることになるとは思いますが、攻撃は最大の防御ですしね。
・移動スピードと防御レベルを最大に上げて、一気に敵艦に近接し白兵戦を挑むというのも面白いかも知れません。
・主砲のチャージに多くのエネルギーを回して、決着をつけるのもいいでしょう。
・守勢時は、弾幕や防御レベルを上げつつ逃げて、小惑星の陰に隠れたりしてエネルギーバランスを回復する機会をつくりましょう。艦載機やミサイルなどエネルギーを消費しない兵器に頼るのもいいかも知れません。


エネルギーの利用選択という意味では『サイキックフォース』がイメージに近いですが、格闘ゲームの速い展開の中で、あんな忙しくて難しいことは私にはとてもできません。
宇宙船、艦隊戦ぐらいのテンポで、さらにエネルギーコントロールに注力する形なら何とかなるかも知れません。
個人的には、このような形で『ふしぎの海のナディア』のレッドノアvsNノーチラス号に近いことができないかな、と思ったりしています。縮退炉に勝てるのは縮退炉だけです。

このゲームが何に似ているかというと、家庭での電力消費なんですよね。
エアコンつけながらTVつけてゲームしたいけど、お母さんは電子レンジ使いたくて、お姉ちゃんはドライヤー使おうとしている。
ブレーカーを落とさずに、電力消費をできる限り抑えて、どう電力(エネルギー)のやりくりをするか、というイメージで考えてもらうのがいちばん近いと思います。
家庭でいう戦闘といえば、夕飯の準備でしょうか。炊飯器、電子レンジ、ホットプレート……などの大型兵器を上手く使う必要があります。すべてを同時に使うとエネルギーが足りなくなってしまうかも知れませんからね。

震災後の夏、空前の節電ブームの頃、昔考えたこのエネルギーコントロールだけに要素を絞った宇宙船ゲームを思い出したのでした。
生活する宇宙船をひとつの家だとすると、家の中に原子力発電所があって、外から攻撃を受けたり、無茶なエネルギー運用をすると爆発するようなものなので、これはもう緊張感ただよいますよね。

逆襲のシャア×ソーシャルゲーム


ガンダムを題材にしたソーシャルゲームはいくつかありますが、『逆襲のシャア』だけをテーマにしたゲームを新たにつくりましょう。

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ジオンとロンド・ベルに分かれて戦いますが、現実時間で1週間など一定期間ごとにシャアさんが小惑星(アクシズなど)を落としてきます。
小惑星の落下を食い止めるには、多くのプレイヤーが取り付いて支えなければならない
アクシズの阻止限界点までに、どれだけ人を集められるか。
「阻止限界点まであと7日と14時間。軌道変更まで、あと483人必要」と表示されますので、友人をだましてでもゲームに招待し、アクシズ落下を食い止めてください。


というようなことを、Twitterで書いたら、

「それなら俺は課金してロンド・ベル隊に核ミサイル提供しますわ」
「じゃあワシは課金でサイド6の監察官やってブライトさんに情報を流す(ロンド・ベルが少し早くアクションできる)役やるわw」


といったリアクションをいただいた。面白い。みんなやりたい役があるんだな。

人数調整のために、阻止限界点の瀬戸際で、敵方であるネオ・ジオンのプレイヤーを買収することができるようにしようか。
もちろん見返りに何を与えるのかは交渉次第。買収相場はゲームの進行と展開によって上下するだろう。
ひと儲けしたいネオ・ジオンのプレーヤーが自分を高く売るにはギリギリまで待った方がいいのだが、それまでにアクシズが落下してしまっては元も子もない。かといって、小惑星を支える人数が過剰になれば相場は崩壊する。
アクシズを支えるジェガンが増えるにつれ、ロンド・ベルの戦力が落ちていくが、ネオ・ジオンも「どうしうようかなー」と様子見するプレイヤーが増え、双方の戦力はそれなりに拮抗する。とまでは、簡単にはいかないが、そういう駆け引きがあってもいいかも知れない。

いっそのことゲームのフェイズを「アクシズの譲渡」からはじめて、譲渡金額交渉をする。
アクシズを譲渡して得たお金で、ロンドベルは戦力を整えることができる。
アクシズ以前に落とす5thルナなど他の小惑星落下の可否によって、交渉金額(どちらが優勢か)に影響してもいいかもしれない。

昔、3層レイヤーのガンダムオンラインゲームネタを考えたけど、これを1層のガンダムソーシャルゲームにするなら、ロンド・ベル側は地球のエリアに家族が住む家(マイページ)を持つことにする。これが各プレイヤーにとってのベルトーチカとその子供。
小惑星の落下エリアによっては、地球は壊滅的な打撃を受け、大事なものは消滅する。だから、がんばって課金しよう。人の心の光、みんなで見せよな!(アンジェラ・アキで)

ダメだ。どう考えても、人の心の闇しか見せられないよ。

∀ガンダム×ソーシャルゲーム


そういえば『∀ガンダム』放送当時、友人と「マウンテンサイクル発掘ゲーム」の話をしていたことがある。
地層に埋もれたモビルスーツや戦艦など、ガンダム世界の遺産を地中から掘り起こす山師ゲーム。
今だとこれはソーシャルゲームのシステムで出来てしまう。マウンテンサイクルという巨大なガチャを舞台に。

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『∀ガンダム』マウンテンサイクル発掘ゲーム体験レポート


とりあえず軽い気持ち、スナック感覚で【発掘】してみようかな。

ロラン「発掘ポイントを選んでください。……このポイントを掘りますか?」


掘る。掘ります。

ロラン「……おや?地中からゼータの鼓動が聴こえてきましたよ!さらに掘りますか?」


ゼータの鼓動?掘る!掘るよロラン!掘りまくるよ!

ロラン「ゼータの鼓動はどんどん大きくなってきました!さらに掘りますか?」


もちろん掘るよローラ!

シドじいさん「うーむ。硬い岩盤に突き当たってしまった。この地層を掘るには資金400が必要じゃ」


……仕方ないな。それぐらいなら出しましょう。

シドじいさん「発掘にはあと8時間30分かかるが、人出を集めることで時間が短縮できるぞ。もちろん費用はかかるが」


……。(恨みがましい目でサイフを出す)
うーん。これはシドに渡す発掘資金で、御曹司のノックスが崩壊するかも知れないですね。キースの札束など紙切れ同然ですよ。

ロラン「ちなみに先ほどの発掘が終わりましたよ。モビルスーツを発掘できました!」


おお!ラッキー!月光蝶中畑清です!で、そのモビルスーツというの

ロラン「メタスです!(屈託のない笑顔で)」


は……?

ロラン「メタスです!おめでとうございます!」
シドじいさん「もっと深くの地層まで掘ればあるいは……。資金800が必要なんじゃが……」


……。

シドじいさん「仕方ないの。ボルジャーノ公にスポンサーになってもらうとするか」
ロラン「いいんですか本当に?リリ様にまたバカにされますよ?」


わ、わかったよ。わかりましたよ。(泣きながら、サイフを出す)

……ダメだ。悪魔のゲームにしか思えない。小生のノックスも崩壊寸前ですよ。

家計簿アプリ「マイナスをプラスに」


ソーシャルゲームもいいけれど、家計の範囲内で計画的にご利用する必要がありますね。
一年ほど前スマートフォンに変えたとき、これを契機に家計簿をつけたいなと思って、いくつか家計簿アプリを試してみました。
ただ長続きしなかった。アプリに問題があるわけではなく、私自身に問題があるのは私との付き合いが長い私がいちばんよく分かっているので、ダメ人間でも続けられるような家計簿アプリが欲しいと考えました。

当時考えたのは、出費を入力すると、その内容に応じてアプリ内の世界に影響を与えるというもの。
いくつかパターンを考えたが、最も親和性が高く、分かりやすい例は、アプリ内に「街(カケーボシティ)」があって、ユーザーの出費入力によって、この街が成長し変化していく。
要するに「家計簿シムシティ」
現実世界での出費は、この架空の街での開発予算に変換される

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例えば食費としての出費を入力すれば、ゲーム内の「街(カケーボシティ)」の市場やスーパーマーケットの数や規模が発展していく。
他のカテゴリの出費も同様に、街の要素に変換される。

・家賃 → 住宅・マンション
・交際費 → 飲食店(レストラン)
・教育費 → 学校
・医療費 → 病院
・遊興費 → 遊園地・ゲームセンター
・交通費 → 街のインフラ(電車や道路)
・貯蓄 → 銀行


出費を入力すると、それに対応する街の施設が発展するので、どんな特徴のある街に育つかはユーザーの家計次第。
例えば、映画をたくさん見に行く人の街には巨大なシネコンが建っているかも知れないし、おしゃれな人の街には、ファッションビルがたくさん建っているかも知れない。

ゲーム的には、街のバランスはあくまで予算に対する割合で変化するべきかな?
収入(出費)が多い人は大都会島になって、少ない人は小都市になるのでは、私の街はペンギン村にしかならない。
あらかじめ街の予算(月収)を設定した上で、その予算をどう街に配分したかで、開発状況が変わるべき。
予算の割合と毎月の継続(積み上げ)を、街の成長という形で評価することになるでしょう。

月間収支が赤字になれば、市の財政を悪化させたわけですから、市長としては失敗。
支持率が下がったり、トラブルが起きたり、何かゲーム的なペナルティを与えるべきですね。
逆に予算内で街を運営すれば、なにかゲーム的なボーナス(ごほうび)はあげてもいいでしょう。

Twitterで書いたときには、リアクションをいただきました。

家計簿の目的としては1)家計の見える化(無駄を発見、抑止)2)家計の健全化(浪費の防止、貯蓄の増加)3)資産の見える化などで、ゲームとするなら収支バランスの他に交遊費などの割合や無駄がある場合に警告を出すとか、貯金が一定割合を超えたらボーナスを出すとかがいいかもしれない。― fukasawa takuyaさん (@fukasawa_takuya) 2月 5, 2012


@fukasawa_takuyaさんには加えて「あらかじめ決めておいた購入目的の商品や貯金額の目標を達成したらやはりボーナスを出す」や「名目が家計簿である以上、浪費よりも貯蓄や健全化をしやすくした方が喜ばれるのではないか」などのアドバイスもいただきました。
ゲームのために浪費するのは本末転倒ですから「健全な家計簿をつくる」という方向性であるべきだと私も思います。

家計簿データは単なるデータに過ぎませんが、それを「街」のビジュアルに置き換えることで、消費傾向を視覚的にとらえることができます。
育った街を眺めるのは楽しいですが、消費の特徴(またはいびつさ)は、街の状態として視覚化されてしまう。
街のデータやスクリーンショットをソーシャルサイトなどで共有してもいい。
前述のように消費金額でなく予算の割り振り(割合)方式ならば、具体的な金額は完全に伏せたまま、街のバランスだけ公開されるので、他人に見せてもいいし、相手のも見てもいいはずです。
お互いの街を見ながらアドバイスしあったり、人の振り見て我が振り直せ的なことをするのも健全な家計簿化に貢献できるかも知れません。

さて、あなたは市長として、街の予算を使って、どんな街をつくるでしょうか?

「マイナスの行動」を「プラスの行動」に


要するに家計簿をゲームにしましょう、ということです。そうでもしないとできない私のために。
ただ、なぜ家計簿をゲーム形式にするのかというのは、私がダメ人間であること以外に、家計簿自体にも問題はあると思います。

家計簿におけるプラスは、基本的には毎月の月収。
これは金額もタイミングもほぼ一定で、このプラス以外は、日々のマイナス=出費を入力していく作業になります。

お金が手に入ってから、その範囲内で日々お金を使う……。
当たり前のことなんだけど、そのひたすらマイナスを続けていく作業が非常にやるせない。
だからマイナス作業を、せめて家計簿上ではプラスの行動に変換したいと考えました。
その方法のひとつとして考えたのがこの家計簿シムシティ。

この家計簿アプリ上では、出費こそが街を動かす原動力。
出費が無ければ街が成長することはなく、この世界では出費(街への投資)はプラス行動として肯定される。

いわばソーシャルゲームの「課金」みたいなもの。
ゲーム内の映画館を大きくするには、映画を見に行く、つまり現実の映画館に「課金」すればいい。
とにかく出費というマイナスの事実を、ゲーム内でプラスとして利用し、入力のモチベーションを保ったり、罪悪感を軽減したいと考えました。

大事なことは、この家計簿アプリを利用してまで得たいものは「成長した街」でなくあくまで「家計簿データ」だということです。

例えば、街の特定の施設を成長させるために、実際には使っていない出費を入力することはできます。
ウソ出費入力ですね。あくまで家計簿なので、システム上そういうことはできてしまいます。

ゲームとして見れば「ずるっこ」ができるのは確かなので、個人的にはもしズルがしたければいくらでもやればいいと思っています。
なぜなら、ここまでの仮定ですと、予算に対する割合が問題なので、架空出費をどんどん入力しても投入金額の大きさは街の発展とは関係ありません。
そして何より、街の裏側にある本当の目的「家計簿」が手に入らない。
ダメ人間ゆえにゲームっぽくしてまで入力を続けて、手に入れようと思った家計簿が、正しいデータでなくなり、価値を失ってしまう。

ですからシステム側で架空出費を防止するというより、各市長の政治倫理に任せるという形でいいのではないかな、と思っています。
これに関してはもうひとつよいアイデアがあればさらにスマートになるかも知れません。
(ただしダメ人間想定なので、入力の手間が増えたり、システムの複雑化は避けたい)

「ゲームスキン」のバリエーション


というわけで、家計簿との親和性が高いシムシティパターンをご紹介しました。
冒頭で「いくつかパターンを考えた」と書きましたが、この「現実でマイナスである出費を、ゲーム内でプラスに変換する」というコンセプトで、他のゲームスキンも家計簿にかぶせることができます。
シムシティ以外にも、例えばこんなのが考えられます。

・コーエー的な、国づくり戦争もの(出費で国づくりをして、毎月、月末に一度戦争をする)
・シヴィライゼーション的な、文明発展もの(原始時代から始まり、出費で文明技術を発展させ、世界を広げていく)
・かわいい女の子と共同生活もの(出費は、同居する女の子との生活費に変換される)
・足長おじさんもの(出費は仕送りに変換され、仕送りで女の子が成長し「おじさま、ありがとう」の手紙を送ってきてくれる)


他にも「アイドル育成もの(THE K@KEIBO MASTER)」「ホストに貢ぐゲーム」なんかもリアクションでいただきました。
あなたがプロデュースするアイドルが太ってしまったのは、現実のあなたが暴飲暴食するからだ。というわけなので、来月は一緒に節制(ダイエット)しようね、とがんばればいいわけですね。
ホストものは浪費イメージで怖いですが、こまめにお店に通って出費(を入力)しないと、お気に入りホストが機嫌を損ねたり距離が離れると考えれば(家計簿的には)健全に使えるかも知れません。

とはいえ、ゲームはやっぱりどこかで飽きるもの。しかし家計簿(収入と消費)は生きる限り続いていくもの。
ひとつのゲームに飽きるのを最初から前提にして、家計簿データはそのままに途中で別のゲームに変更できる形にしておくのが良いと考えています。
ブログのデザインテンプレートを変えるように、家計簿のゲームスキンを付け替える。
だから本当は、アカウントを作成して利用する登録制家計簿サービスみたいなところが、これまでのデータと、これからの入力はそのままに、家計簿データでゲームが楽しめますという導入をするのが理想的だと思っています。

もともとは私みたいなダメ人間がどうやれば家計簿を長続きさせることができるのか、ということで考えたものですが、ゲームはこういう問題をクリアできる力があると思います。
ゲームを現実と接続させて、ダメ人間が生きやすいようになるといいですね。
宇宙に浮かぶ、ひとつの小惑星。
ただいま地球方面へ向かって進んでおります。地球に激突するかどうかはまだわかりません。

このとき、小惑星は画面の右・左どちらの方向へ向かって進んでいるでしょうか?
また、If もしも、地球にこの小惑星が落下してしまうとしたら、小惑星は画面の右下・左下どの方向へ落ちていくでしょうか?

何かの心理テストのようですが、この先の話がより楽しくなると思いますので、ここで少しイメージしてみてください。

……脳内の宇宙に、小惑星が横切りました?

では、いきましょう。



富野由悠季監督の映像技術書『映像の原則』が、『映像の原則 改訂版』として発売されることになりました。『映像の原則』は2002年出版だそうなので、10年後での改訂ということになるようです。

映像の原則 改訂版映像の原則 改訂版
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富野由悠季

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内容は本当に「原則」の話なので、読んでから実際に映像を扱ったりしないと、本当の体感として自分のものにならない類のものだと思います。
発売当初にとりあえず頭に入れただけの私は内容が身につかず、すっかり色々と忘れてしまいました。
改訂版は、追加もあれば、読みやすくもなっているそうなので、いい機会ととらえて、読みなおそうかなと思っています。

今回は、この改訂版の発売を記念して、ささやかながら応援企画『逆襲のシャア』で見る映像の方向性(上手・下手)をお送りいたします。
これは非常に重要で面白い「原則」の話です。
私自身、前述の有様ですので、もう一度勉強し直すつもりで書こうと思います。

はじめに:映像の方向性(上手・下手)って?


画面内の配置や向き、動きの方向性が意味を含むという視覚印象の力学に基づいた考え方です。
観客(視聴者)に対して、右側が上手(かみて)。左側が下手(しもて)になります。
上手は、上位(ポジティブ)の傾向。下手は、下位(ネガティブ)の傾向をもちます。

画面の右にいるか、左にいるかというのは偶然ではなく、「原則」に基づいた意味がちゃんとあるよ、ということです。

上手と下手の関係(イメージ)を、分かりやすくなるようにまとめてみました。

上手下手の原則

※単純化するために、左右の要素だけに絞っています。
※これらはあくまで原則のイメージであって、状況や流れによって使い分けられますし、例外もあります。


ピンと来ない方には、マンガを想像してもらうのがいいんじゃないかと思います。
日本のマンガは、右から左(←)へコマとページが進んでいきます。
ページが左へ進むということは、物語のゴールは左方向にあることになりますね。
現在見ているページやコマを基準にすれば、右側が過去、左側が未来、とも言えるでしょう。

主人公は、物語のゴール目指して行動しますから、右側から左(未来)を向いて、進みます。
それに対抗する敵役は、左側から右を向いて、主人公と激突するのが自然であり、基本になります。
マンガは方向性が決まっているメディアですので、映像より分かりやすいですね。

上手・下手(右と左のちがい)については、メディア(映像・演劇・マンガ・ゲームなど)、歴史、文化によっても色々とややこしかったりしますが、視覚的に物語を進行する際に、方向性に一定のルールを設定することで、スムーズで気持ちよく、理にかなったものになるということは確かです。
恐らくそれこそが重要で、右・左のそれぞれの意味がどうというより、映像を何らかのルールでまとめあげることが有効であり、また必要であるということなのだと思います。

マンガのように進行方向が決まっているメディアと違い、映像の場合は、作り手がより自覚的に上手と下手を設定して、方向性や、移動の変化などを考える必要があります。それを富野監督がまとめたものが上記の「原則」ということになるでしょう。

今回のサンプル『逆襲のシャア』について


では、この原則を基に実際の作品を見ていきますが、私は映像に関しては素人ですので、映像の技術や演出論を語ることもできないし、そのつもりもありません。
あくまで『映像の原則』を読みながら、『逆襲のシャア』を見てみると楽しいよ!というお話です。

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『逆襲のシャア』は、原則に基づいたダイナミックな映像のベクトルが楽しめる、とてもすばらしい作品です。今回の紹介サンプルとしてはちょうどよいと思います。映画なので短くて見やすいのも選んだ理由です。

上手・下手の話をベースにしていますが、ひとつの画面内の配置というよりは、どちらかというと全体構図と移動方向の話の方がメインになっているかも知れません。
それは私の興味がそこにあるからですが『逆襲のシャア』では全体の流れを踏まえた上で、個々のカットを考えた方が分かりやすいからでもあります。

では早速、『逆襲のシャア』のオープニング。「5thルナ落とし」を見てみましょう。

オープニング:5thルナ落とし


『逆襲のシャア』は、「5thルナ」という小惑星が地球へ落ちるかどうかの瀬戸際の状態で始まります。
オープニングでの映像の上手・下手、方向性はどうなっているでしょうか。
それを確認するために、5thルナ落としの構図をまとめてみました。

CCA_5thルナ落としの構図
※これは宇宙空間のマップではなく、映像の上手・下手、方向性、全体の流れを図にしたものです。

これを見て分かるように、オープニングでのアムロは、上手(右)側で、左を向いて戦っています。

5thルナ落とし_アムロ

アムロはファーストガンダムの頃から、ランバ・ラルのグフとの斬り合いも、ジェットストリームアタックも、上手側で戦っています。オープニングでのこの戦いは、主人公アムロの紹介として、基本通りの構図ともいえますね。

対するギュネイは、そのアムロを迎え撃つ敵役として、下手(左)側で戦います。

5thルナ落とし_ギュネイ

これは、2人のパイロット技倆(強弱)の差でもありますし、主役であるアムロと、敵役のひとりに過ぎないギュネイというキャラクターの格の違いでもあるでしょう。

ここではむしろ、5thルナと地球の位置関係の方が重要です。

5thルナは下手(左)側。地球へ落ちようと、左から右(→)へ進んでいます。
極めて自然なもの、強いもの、大きいものは上手という原則がありますので、地球は上手(右)側に配置されています。

5thルナ落とし_進行方向
左上から右下へ向かう5thルナと、ギュネイの援護に向かうサザビー(画面奥は5thルナ)。

アムロは5thルナ落下を阻止しようと、いわばヒーローの位置で戦っていたわけですが、核エンジンによる加速も始まり、シャアも赤いサザビーでギュネイの援護に現れ、健闘むなしく5thルナは地球へ落ちることが確定してしまいました。

するとどうなるか。続いての5thルナ落下シーンにおいて、地球と5thルナの位置関係が変わります。

5thルナ落とし_落下方向
右上から左下へ落ちる5thルナ。左下から右上へ上昇するシャトル。

「落ちる」ものは右上から左下がいちばん自然なので、5thルナは、上手(強いもの)の位置に移動し、右上から左下へ落下します。その先にある下手(弱いもの)側が地球です。
上手から落ちてくる小惑星を止めるすべなどありません。
落ちることが確定した小惑星は右からくるし、右からくる小惑星は確実に落ちるわけです。
「右からくるぞ!気をつけろ!」「せっかくだから俺はこの赤いMSを選ぶぜ」としか言いようがありません。

このとき、すれ違いでクェスとハサウェイの乗るシャトルが地球から宇宙へ上がります。
下手のシャトルめがけて、上手から小惑星とその破片が落ちてきて不安を煽りますが、シャトルは左から右(→)の上向きの力で、何とか無事に重力圏を突破します。
5thルナはそのまま地表に激突し、大きな被害が生まれてしまいました。

5thルナの地球への落下が確定したことで、位置関係が入れ替わるのが面白いところですね。
この位置関係の力学は、アクシズと地球の関係として再度くり返されますので、5thルナ落としを「落下確定(ロンド・ベルの敗北)」パターンとして覚えておいてください。
もしアムロたちロンド・ベルがアクシズの落下を食い止めることが出来なかったとしたら、そのときアクシズは5thルナと同じように右上から左下に落ちていくことでしょう。この構図になったら負けです。

その後も、レズン隊に押されて劣勢の中で駆けつけるνガンダムの初登場や、ネオ・ジオンが条約違反をしてアデナウアー・パラヤのいる艦隊を一方的に蹂躙するシーンなど、あらゆる場面で位置関係と方向性を気にすると面白いのですが、キリがないので、ここでは5thルナとアクシズ、2つの小惑星に話を絞ります。

では5thルナ落としを踏まえた上で、後半のアクシズ落としを見てみましょう。

アクシズ落としの基本構図


『逆襲のシャア』の後半、ネオ・ジオンによる小惑星アクシズ落としが開始されます。
対するロンド・ベルはこれを阻止するべく、みんなの命をくれでおなじみ、決死のアクシズ落下阻止作戦を決行します。

「アクシズ落とし」での基本構図は以下のような形になります。

アクシズ落とし_概要図
※これは宇宙空間のマップではなく、映像の上手・下手、方向性、全体の流れを図にしたものです。

見ての通り、上手側のいちばん右には母なる地球が鎮座しております。これは5thルナ落としと同じ。
小惑星アクシズは、下手である左から右(→)に向かっています。最も右に位置する地球へめがけて。
この左から右(→)への大きな流れが、このパートでの基本の方向性になります。

アクシズ落とし_進行方向

アムロ達ロンド・ベルは、アクシズのさらに下手(左)からアクシズを追いかけるように、左から右(→)に進みます。
地球とアクシズの関係で見ると、地球が右にいて上手側。アクシズが左で下手側。
ただアムロとアクシズの関係で見たときには、アクシズはアムロの右にいる上手側の存在になります。
地球とアクシズの間には何も存在しないので、逃げるアクシズに早く追いついて何とかしなければ、地球に落ちてしまいます!

アクシズ落とし_ロンド・ベル

もちろん、ネオ・ジオンも黙ってみていません。
クェスとギュネイを中心とした第一波が、右から左(←)へ出撃しますので、当然ロンド・ベル(→)と接触し、戦闘が発生します。

アクシズ落とし_クェスとギュネイ

アムロの目的は、アクシズに取り付き、破壊することです。戦闘の勝利ではありません。
となればクェスやギュネイの撃破は目的ではないので、「子供に付き合っていられるか」とあしらって、とにかく前(→)へ進みます。
突破されたクェスとギュネイは、νガンダムを追って方向転換(→)、アムロを追いますが、ギュネイは撃破されてしまいます。

ひたすら前進したアムロが、ついにアクシズに到達する頃、真打ちとばかりにシャアのサザビーが登場。
ここから宇宙世紀の大一番、νガンダムvsサザビーの決戦がはじまります。

オールナイトアクシズ「Disりあい宇宙」


劇中空間での位置はもちろん、「強いもの」は上手から登場する原則がありますから、この戦争の仕掛け人、ネオジオン総帥のサザビーは堂々と上手からの登場です。
そのまま上手で攻撃を開始し、νガンダムは下手で応戦します。
このあたりは攻守、上手下手もめまぐるしく入れ替わり、2人の戦いはほぼ互角といったところか。

アクシズ落とし_サザビー登場

ところが戦闘途中、腹部のメガ粒子砲を放ったあたりで、サザビーがパワーダウンします。

シャア「ララァが死んだ時のあの苦しみ、存分に思い出せ」
アムロ「情けない奴」
シャア「何が」
シャア「貴様こそ、その力を無駄に消耗していると、なんで気がつかん?」
アムロ「貴様こそ」
シャア「パワーダウンだと?」


アクシズ落とし_パワーダウン
シャア「パワーダウンだと?」

アムロの目的はシャアの撃破ではありませんので、スキを見てガンダムを降り、アクシズ内部に潜入します。
無人となったνガンダムを見つける、いまだ上手側のサザビー。
絶好の機会ですが、無人のガンダムを破壊できるシャアであれば、ここまで来る前にとっくに勝利しています。当然のようにシャアもサザビーを降りて、アムロを追います。
(ここがシャアが勝利する最後の機会でした。画面構成上もそれが後に分かります。)

アクシズ落とし_MSを降りる
シャア「何?」「ガンダムを捨ててでもアクシズを内部から爆破しようっていうのか。させるか」

両者モビルスーツを降りてから、アクシズ坑道の中でDJアムロによるラジオ番組「Disりあい宇宙」がはじまります。

アムロ「世直しのこと、知らないんだな。革命はいつもインテリが始めるが、夢みたいな目標を持ってやるからいつも過激な事しかやらない」
シャア「…四方から電波が来る」
アムロ「しかし革命のあとでは、気高い革命の心だって官僚主義と大衆に飲み込まれていくから、インテリはそれを嫌って世間からも政治からも身を退いて世捨て人になる。だったら」
シャア「私は世直しなど考えていない!」
アムロ「…」
シャア「愚民どもにその才能を利用されている者が言う事か!」


アクシズ落とし_DJアムロ

この場面では、ここまでの左右の動きとは対照的に、タテ方向の動きが強くなっています。
アクシズ内部に潜るのですから、タテの動きになるのは当然ですし、これまでずっと左右のベクトルだった映像に、タテの流れという変化が生まれます。
物語としては前に進んでいないかも知れませんが、2人が直接、生身で接触し、会話する機会をつくることで、アムロとシャアの関係性をタテに掘り下げています。

アクシズ落とし_坑道侵入
坑道進入時。下へ(↓)。

アクシズ落とし_坑道脱出
坑道脱出時。上へ(↑)。

アムロに手痛い批判を浴びせられたシャアですが、アムロのDisにリアクションをとるだけで受け身。
感情的な反論はしますが、本質的な反論はできないまま、坑道から脱出します。

そして再びサザビーに乗り込んで戦闘が再開されたとき。
ここが転機、大逆転のポイントです。

逆転こそ我が命:サザビーの撃破


さあ!宿命の戦いもいよいよ大詰め。

アクシズ落とし_シャア下手へ
外へ出てみると…あら?レウルーラも、ギラドーガもいつのまにか下手側の右向きに。

サザビーはその中の人であるシャア共々パワーダウンし、ついにはっきりとアムロに上手を譲ることになってしまいました。シャアは確実に敗者に近づいていきます。

アクシズ落とし_なんと!
シャア「サーベルのパワーが負けている?ええーい」「……なんと!」

アクシズ落とし_殴り合い宇宙
タックルからの、なぐりあい宇宙。「君がッ!脱出するまで!殴るのをやめないッ!」

サーベルのパワーで負け(パワーダウンの証明)、腕をビームサーベルで斬られ(なんと!)、さらにパンチラッシュを浴びて(モニターが死ぬ?)、撃破されます。

戦いながらアムロとシャアはひたすら口論を続けますが、サザビーの2つの「パワーダウン」直前のやり取りは興味深いですね。その意味で、両者がモビルスーツを降りる場面は1年戦争ラストの再演というだけでなく、アムロ大逆転の「転機」としても非常に重要なものとして機能していると思います。

『逆襲のシャア』の最終構図


シャアを撃破した今、アムロの上手側にいるのはアクシズだけです。
アムロは、アクシズのさらに右側にまわって地球とアクシズの間に入り、アクシズを受け止め、押し返そうとします。

アクシズ落とし_νガンダムは伊達じゃない
アムロ「アクシズほどーのー、石ころひとーつー…」

アクシズ落とし_やって見る価値はありますぜ
みんなでアクシズを押す。押してダメでも退いちゃダメ。

これが『逆襲のシャア』の最終構図です。

νガンダムは、左のはしっこからスタートして、ついに右のはしっこまでたどりつきました。
アクシズのはるか下手側にいたアムロが、最終的にアクシズの上手にまわって、下手から来るアクシズを止めるわけです。地球を背負いながらね。

ここまでの一連の流れは、この最終構図からの逆算になっています。
『逆襲のシャア』の最終決戦は、アムロがこの構図までたどりつけるかどうかの戦いともいえるでしょう。

そして、ずっと下手側だったアムロが、上手側にまわる転機となったのが、サザビーの撃破。
作戦失敗における大佐の罪はかなり重いかも知れませんね。

スーパーアムロブラザーズ


というわけで、『映像の原則』どおりに展開する『逆襲のシャア』後半戦を見てきました。

下手からスタートして最終的に上手にたどりつくアムロは、横スクロールゲームの主人公みたいなものと考えてもいいかも知れません。

わかりやすく、誰でも知っているようなファミコンの横スクロールゲームに例えてみましょうか。

ファミコンゲーム『六三四の剣』でいえば、六三四がアムロのνガンダム。逃げる十一(犬)がアクシズです。
六三四(アムロ)は、どんどん右へ進んで、十一(アクシズ)より先にゴール、すなわち地球へたどりついて、十一の上手にまわる必要があるわけで……もしかして『六三四の剣』は誰でも分かるゲームではないのでしょうか?
すみません。ぺっこ(ちょっと)分かりづらかったかも知れません。
例を変えましょう。

では正真正銘、誰でも知ってるゲーム『スーパーマリオブラザーズ』に例えてみましょう。

スーパーマリオブラザーズスーパーマリオブラザーズ
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アムロがマリオさんですね。タイム制限がありますので、これをアクシズが地球へ落下するカウントダウンと考えましょう。
どんどん右に進みます。急いでいるのでBダッシュも使いましょう。
ギュネイやクェスは、ハンマーブロスのようなものかも知れませんが、先を急ぐので倒すのにこだわらず、先へ急ぐとよいでしょう。(走りながら一匹は倒してましたが)
アクシズの坑道は、ステージの途中で入る土管の中にある地下世界のようなものでしょうか。
ここは、左から右(→)の地上ステージに対して、上下(↓↑)の関係にある世界です。再び地上にあがって進みます。
そうなると右奥で待ち構えているクッパ大王は、シャアのサザビーということになりますね。
なかなかの強敵ですが、倒すにはどうすればいいのか。

それはマリオをやったことがある人なら誰でもお分かりのとおり、クッパの右側へ行けばいいのです。
クッパの上手にまわり、斧を手にいれれば、クッパは溶岩へ落ちて行くしかありません。

スーパーマリオ

『スーパーマリオ』は、『逆襲のシャア』のアムロのように、マリオが最終的にクッパの上手にまわることで勝利するゲームと考えても、なかなか面白いかも知れません。下手から冒険をはじめて、移動のダイナミズムを楽しみ、最終的に上手に回る(大逆転)というシステム。

アムロの下手スタートと、正面衝突パターンの可能性


それにしても、なぜアムロはマリオのように、こんな下手からスタートするのでしょう。

例えば、アクシズ落としを狙うネオ・ジオン→ ←地球を背後に阻止を狙うロンド・ベル
という構図も考えられます。

正面衝突のような形ですが、地球を攻撃する下手のネオジオンと、地球を守る上手のロンドベルというある種、分かりやすい構図です。
映像の原則に特別反しているわけではありませんし、この構図になったとしても、アムロの戦いは、クェス&ギュネイ→サザビー→アクシズ という順になるので、流れ自体も変わりません。

しかし映画では正面衝突はなし。アムロはアクシズのさらに下手側からスタートしていますね。

これには、いくつか要素があり、その全てが相互に作用すると思いますが、大きくは3つあると思われます。

ひとつめは、『スーパーマリオ』の例えで書いたように、移動のダイナミズムと、大逆転のカタルシス。
正面でぶつかりあう構図では、段取りは同じにできても、決定的にこれがありません。
アクシズは、地球に対して下手、アムロに対して上手と、別の面を見せながら、上手側に移動する(地球にとっては近づく、アムロにとっては逃げる)という存在です。これは正面衝突では表現できません。

ふたつめには、この映画がアクシズが地球へ落ちるのを阻止できるかどうかというある種のタイムサスペンス性をもつこと。
初期構図では、アクシズと地球の間には落下を阻止できるようなものは何も存在しない。
はたして、アムロ達ロンド・ベルはアクシズに追いついて、止めることができるのか?
タイムサスペンスを強調するには、アムロはアクシズを「待ち構える者」ではなく「追う者」である方がより効果的でしょう。

この映画において、シャアはアコギなことや条約違反もしつつ、戦略的には優位に立ち続けます。
ロンド・ベルのブライトやアムロ達は、ネオ・ジオンだけでなく、コロニーや、無能な連邦政府にも足をひっぱられ、常に不利な状態です。

5thルナもそれで落ちましたし、アクシズもアデナウアー・パラヤが譲渡してしまい、ネオ・ジオンの艦隊は、アクシズに駐留・護衛しながら、落下の工作を進めています。
『パトレイバー』ではないですが、ロンド・ベルがしていることは常に後手後手でしかありません。
すでに、ことが起こったあとの手遅れの対応なのです。

ですから、アムロ達が下手から、上手のアクシズ、ネオ・ジオンを追うという状況は、単なる画面上の配置や、映像の進行方向の問題だけではなく、映画での状況そのものの体現ともいえます。これがみっつめです。

この物語が展開した最後にあのラストシーンが来るとするならば、ロンド・ベルに正面からの艦隊激突をさせるというのは、「原則」に反していなかったとしても、構成上ありえないものだと思います。
やはりアムロのνガンダムは、下手側から上手のアクシズに向かわなければいけなかったでしょう。

まとめに変えて:ブリーフィングでの作戦画面より


今回は『逆襲のシャア』をサンプルに上手・下手や方向性についてみてきました。

画面が「原則」どおりの上手・下手になっている、というのは「原則」なのですから当たり前のこと。
問題は、その「原則」をどう利用して、わかりやすくて魅力的な構成を組み、映像を進行できるかだと思います。

それには画面内の上手・下手を見るだけでなく、その前後の構成まで含めて考えてみると面白いよね、と、あれこれ整理してみようとしたのがこの記事です。

『逆襲のシャア』が、『映像の原則』をもとに、極めて効果的で理にかなった構成と方向性でつくられている映画だということが、私自身改めて確認できました。

そもそも、ここまでキレイな直線的な構図でまとめられていること自体が、私には非常に面白くて。
実は、作戦前のブリーフィングのシーンでアクシズ破壊作戦のイメージがスクリーンに表示されています。

アクシズ落とし_ブリーフィング

地球への落下軌道に侵入するアクシズを、ここのポイントで攻撃し、アクシズまたはノズルを破壊する。ダメならラー・カイラムをアクシズに接舷して内部から爆破する…と、当たり前ですが、アクシズの真後ろから直線的に追いかけるような単純な作戦でも構図でもありません。

でも宇宙空間で行われる、本来分かりづらいこの作戦を映像で表現する際に、あえて直線的に方向性を整理し、単純化しているんですよね。それこそ『スーパーマリオ』にでも例えられることが可能なほどに。

『逆襲のシャア』は、ガンダムの続編映画で、ガンダムをまったく知らない方には不親切なところも多い映画です。キャラクターや世界観、専門用語、モビルスーツなど、分からないことも多いでしょう。

ただ映画後半、アクシズ破壊作戦の流れや、敵味方、位置関係が理解できない人は非常に少ないのではないでしょうか。全体構図の画像を今回つくりましたが、あれを頭に思い浮かべるのは、見た人ならそれほど難しいことではないはずです。

それはこの映画が『映像の原則』をもとにして、わかりやすく、それでいてタイムサスペンスと、映像の方向性がつくる気持よさと、大逆転のカタルシスが充分に発揮されるように、構成を組んでいるからだと私は思います。

その見事さを体験するために、『映像の原則 改訂版』を片手に、『逆襲のシャア』を見直してみるのはいかがでしょうか。


■巻末付録:『逆襲のシャア』アクシズ落とし 詳細全体図

アクシズ落としの方向性と映像の流れをまとめた図の詳細版をつくってみました。
長い記事をここまで読んで下さった方への、ささやかなお礼というか、オマケです。

構造上、ヨコに長くなってしまっていますので、クリックして別ウィンドウでご覧ください。
『映像の原則 改訂版』と『逆襲のシャア』のお供にでもしていただければ幸いです。

アクシズ落とし_全体詳細図

※これは宇宙空間のマップではなく、映像の上手・下手、方向性、全体の流れを図にしたものです。
※完全に厳密ではなく画像作成の都合上、多少デフォルメしています。




『逆襲のシャア』関連記事

このブログの『逆襲のシャア』記事です。切り口がそれぞれ違いますので、よければご覧ください。

■なぜνガンダムはサザビーに「完全勝利」したのか
サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>

■『逆襲のシャア』で起こった【奇跡】とはいったい何だったのか
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

■『逆襲のシャア』の上手と下手で繰り広げられる戦いを『映像の原則』で確認しよう。※この記事
落ちるアクシズ、右から見るか?左から見るか?<『逆襲のシャア』にみる『映像の原則』>

『逆襲のシャア』以外の富野アニメ記事はこちらでどうぞ。
【目次】富野由悠季ロボットアニメ 記事インデックス
劇場版『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』は、ネット世界で「災害」が発生する物語です。
ネットやコンピューターの大混乱によって、わたしたち現実の社会システムも二次災害的に大いに混乱することになります。

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この作品では「災害」の主体として、ディアボロモンというデジタルモンスターが登場していますが、目的、善悪、敵味方の概念はなく、ただひたすらに人々に迷惑をかける存在です。
すでに起こってしまった「災害」に対するリアクションのみを描いた作品といえるでしょう。

なぜ具体的な目的や善悪の概念を持った敵を、作品に組み込まないのか?
それには、いくつかの理由があるでしょう。

そもそもがいわゆる「2000年問題」という混乱をモチーフにしたもので、ディアボロモンはその擬人化に過ぎません。冬の厳しさを擬人化して表現した「冬将軍」みたいなものと考えてもいいかも知れませんね。
また実利的なことをいえば、わずか40分の上映時間しかないこの作品では、「敵」の存在を描くことを、最初から戦略的に放棄した面が大きかったように思います。
「世界の混乱と、それに対応する人々(リアクション)」のみが必要とされた結果、限りなく「災害」に近い敵として設定されたのでしょう。

大人は見えない夢の島(デジタルワールド)


この「災害」――ディアボロモンによる世界規模の混乱に対して、大人たちは何も解決できません。
それどころかデジモンが原因であることすら大人は見えない、しゃかりきコロンブスです。大人は夢の島(デジタルワールド)までは探せないわけですね。

原因に気付き、対処ができるのは子供たちだけ。まさしく、ごきげんいかが、はしゃごうよパラダイスです。
映画では、主人公・太一を中心とした「選ばれし子供たち」が、世界中の子供たちの支援のもと、仲間のデジタルモンスターと協力してディアボロモンを倒し、問題を解決します。

大人たちは物語に関与できず、子供たちが主役として問題を解決する、というのは東映アニメフェアのデジモン劇場版として全く問題ありません。

確かに大人たちは、原因がデジモンとは分からず、また問題を解決することもできませんでした。
しかし、大人たちも実際に世界の混乱には巻き込まれ、それに対し、それぞれの立場で現実的な対処を強いられたはずです。

子供たちに救われるまでの世界


実際にディアボロモンによって起こされた世界混乱の対処として、例えば、

「警官」は交通整理や治安維持を、事故や火災には「救急隊員」「消防士」が駆けつけ、病院では「医師」が治療にあたり、「水道局員」はライフラインを守り、「自衛隊」も災害出動したかも知れません。

賢明なる読者諸氏はお気づきかも知れませんが、これらは『ぼくらのウォーゲーム!』と同じ細田守監督作品『サマーウォーズ』において、ヒロイン夏美が所属する「陣内家」の大人たちの職業です。

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『サマーウォーズ』に登場した職業以外でも、コンビニやスーパーなどの小売、飲食店、物流、製造などの店舗・企業、学校、公共施設、それからもちろん各家庭でも、ありとあらゆる場所で大なり小なり影響を受け、大人たちはみな、それぞれのポジションで日常を守るための戦いを余儀なくされたはずです。
IT系の企業などは、ネット災害が直接業務に関係するだけに、その対応たるや想像するだに恐ろしいですね…。

つまり『サマーウォーズ』は、大人が出てこない『ぼくらのウォーゲーム!』において、画面に映らないところで世界中の大人たちが社会や日常を守るためにしていたであろう戦いを、基本要素として取り込んでいるわけです。
なぜなら、子供たちの活躍で世界は救われたけど、救われるまでの世界は大人たちが守ったはずだから。

ただ、大人たちにデジモン(デジタルワールド)と子供たちの活躍が見えないのと同様に、もしかすると子供たちには見えない、分かりづらく、面白みのない戦いであったかも知れないけどね。

大人になった『ぼくらのウォーゲーム!』世代


『デジモンアドベンチャー』の主人公・八神 太一が小学5年生(10~11歳)で、『ぼくらのウォーゲーム!』の劇場公開が2000年春。
主人公・太一と同世代だった視聴者のちびっこだと、10年ほどが経過して成人している頃です。

子供たちのための映画として『ぼくらのウォーゲーム!』が見せたものと、見せなかったものは極めて正しいので、あの作品はあれで問題ありません。

だけど、デジモン世代が大人になっているような時期に上映する映画で、「あのとき、みんなが世界を救うまで、実は大人たちも世界を守っていたんだよ」ということを伝えるのは私は悪くないと考えます。
『ぼくらのウォーゲーム!』と基本的なしかけが同じでありながら別の映画になるための、つまり再構築(リビルド)の方法のひとつとして。

もう「選ばれし子供」では無くなった太一が、年長の大人たちと出会いながら別の戦い方を見つける物語になるだろうし、次世代の子供たちがデジタルワールドで活躍する立場を担う物語になるかも知れない。(この新旧三つの世代を、もっとも身近で分かりやすい単位で表現すると、おそらくは「家族」になるでしょうね)

それは、ディアボロモンが混乱をもたらした10年前、「世界を救ってくれた子供たち」と、(当時描かれなかったが)「日常を守ってくれた大人たち」へ送る物語。
恐らくその映画は、基本のストーリーラインや各種ギミックは『ぼくらのウォーゲーム!』と同じものを使っても、多分、意味が違う映画になっているはずです。

『サマーウォーズ』のパッケージング


実際現れた『サマーウォーズ』という作品は、要素を内包してはいますが、特にそういう映画ではありませんでした。
もちろん、『サマーウォーズ』はデジモンの続編でも後日譚でもないですし、そもそも、こうあらねばならないというものでもありません。

『サマーウォーズ』は、作品として、商品として、巧みに要素を選んでパッケージングされた映画です。
私自身の興味は、映画としての出来がどうこうより、この作品のパッケージングにこそあるといっていい。

この作品の枠組みが、なぜこうなっているのか、あるいはなぜこうしなければならなかったのか、ということが最も興味深く、可能性も含めて、考える価値があると思っています。

そのあたりのことを、先ほど書いた「10年前、世界を救ってくれた子供たちへ」という視点での可能性を中心に考えてみました。雑多なメモ形式で書いておきます。

メモ1:主人公とヒロイン


  • 『サマーウォーズ』は「男の子を主人公に」ということでつくられた映画ですが、それにも関わらず、ヒロイン夏美を主人公においた女の子視点の方がいろいろ整理しやすい内容になっています。(この辺りは、上映当時の感想にも書きました)
    ですから「男の子主人公」という前提が崩れますが、女の子主人公にしてしまう、というのはひとつの方法です。

  • 「男」にこだわるのであれば、枠組み自体が変わってしまいますが、大人になったデジモン世代へという意味も含め、「男の子」ではなく「大人の男」の映画にするという方向があります。

  • 例えば、28、9歳ぐらいのシステムエンジニア。もう少し若くとなれば24、5歳くらいか。OZ末端での開発や管理の仕事でしょうか。大学院生で、これからなんの仕事について社会に出ればいいのか悩みながら就職活動中というのでもいいかも知れません。
    かつて数学の天才児でしたが、今ではごく平凡な大人です。仕事に対して、充実しているとはいえない状況です。
    (「10年後のケンジ」をイメージしていただいた方が分かりやすいかも知れません。)

  • 主人公を大人の男性にした場合のヒロインは同年代でもいいですし、少し年下でもいいと思います。
    主人公とヒロインはすでに恋人関係にあり、ヒロインの実家に結婚(または交際)の挨拶に行く、ということにします。
    当然のことながら、主人公とヒロインの間には何らかのトラブルを抱えており、2人は結婚の挨拶に向かいながらも、「これでいいのか?この相手でいいのか?」という疑惑をもっています。
    『サマーウォーズ』は、細田監督が、結婚の挨拶をするために、奥様のご実家(上田市)を訪問したことがひとつのモチーフになっているそうですが、はっきりいえば、それそのままの方が日本映画になると思います。

  • 「男の子」視点がなくなりますが、これにはカズマを使いましょう。
    カズマにとって、ヒロインは、親戚のちょっと憧れていたおねえちゃん、という感じになるでしょうか。そのねえちゃんが男を連れてくる、ということになります。

メモ2:陣内家


陣内家(サマーウォーズ)
  • 陣内家のメンバーが全て「災害時に日常を守るための職業についている」こと自体は別に悪くありません。祖母の家訓という、言い訳もあります。しかし、災害の序盤でその役割を終え、陣内家に集まったときには、ごく一部の人間をのぞいて単に設定上のものでしかなくなってしまいます。

  • また田舎の旧家として、外部や近隣社会との関わりというのが全く不明なので、いっそ家業として、老舗旅館や老舗料亭を経営しているということにしてもいいかも知れません。
    従業員や取引先(酒屋など)、お客様、といった形で、「陣内家」の内部に、外部を存在させることができます。

  • 老舗旅館だけど最近はなかなか経営が苦しく、「温泉でも派手に湧いてくれればなあ…」ということにでもすれば、ラストの伏線にできるかも知れませんね。

  • 後述しますが、「陣内家」というのは、血族というよりマフィア・ファミリーといった場合の「ファミリー」の要素がありますので、家族+構成員=陣内一家、という意味を強めた方がいいかも知れません。娘をもらいに実家に行ったらジャパニーズ・マフィアだったというのも、ある種定番ですが、旅館や料亭といった商売でも「ファミリー」を表現することはできるでしょう。

  • この場合、主人公とヒロインも空部屋に泊めてもらって、お客気分でのんびり…のつもりが、ヒロインどころか初対面の主人公まで旅館の手伝い(一家の仕事)をさせられる、というのも良いかも知れません。

メモ3:陣内栄(ゴッドマザー)


  • マフィアの親分としてのゴッドマザーという位置づけにする。旅館・料亭にするなら、大女将ということになるでしょうか。

  • 血族だけでなく、「身内」と認めたものは、ファミリーの一員としてどんなことがあっても守る。だから侘助や主人公なども、ファミリーの資格がある。
    侘助との断絶は、愛情というより、仁義の問題にするという方向もあるかも知れない(でも結局、愛情がからんでくるのだろうけど)。

  • 扱いがデリケートなのだけど、少し認知症が入っているキャラクターにするという方法はあると思う。

  • ケンジをいきなり承認して、ファミリーの中に入れてしまうことや、災害発生後の各所への電話なども(あくまで作劇上の言い訳として)認知症によるものにしておくが、そのことは伏せておき、死後はじめて主人公(観客)に明かされてもいいのかも知れない。
    そうなると、電話なども普段一緒に暮らしている家族から見れば「また、おばあちゃんは電話して迷惑をかけて…」という扱いになるだろう。

  • 栄の電話は批判も多かった場面ですが、「劇中の人物は感動。でも観客は批判」という構図ではなく、できれば「劇中の人物は批判・反対。でも観客視点では真意を汲み取れるから感動」となるべきのように思います。
    陣内家としては認知症の老人のやることにすぎないのでスルーしがちですが、老人と暮らしていない主人公や作品外部の観客にとってはそうではなく、その行動の意味を汲み取ることになるでしょう。
    結果、主人公(と、多分ヒロイン)だけが、老人の意図を理解して継承するということにする。

  • 主人公を、侘助と勘違いして、ファミリーとして受け入れてしまう手もあるかも知れない。すると、早すぎる根拠なき承認は、単なる老人の勘違い、ということになる。
    「OZにアクセスできないが、陣内家には入れる主人公」と、「ラブマシーンによりOZを自由にできるが、陣内家には入れない侘助」という対比が強調されるかも知れない。

  • 余談だが、私の親戚のおばあさんも認知症で、たまに会うと「○○のとこの、二番目のせがれか?」などと、私ではよく分からない親類の誰かと間違われたりする。でも、元気で明るく楽しい人なので、親族の集まりではアイドル的な人気があったりする。ちょっとそれをイメージした。

メモ4:侘助


  • 『サマーウォーズ』では、ラブマシーンの開発者なので、全ての元凶ともいえますが、あらゆる社会的な責任を免責されるため、「敵」でもない。彼に与えられるのは、個人的なペナルティ(栄の死)。

  • 栄との関係をどうするか、というキャラクターなのだろうけど、私には正直よく分からない。

  • ラブマシーンを開発した侘助が、物語が始まったときにはすでに死んでいるという「帆場暎一」ネタにするのはどうか。そして香貫花・クランシーがコンバット目的で来日すればいい。

  • 主人公とヒロインを、結婚間近のカップルに設定した場合、侘助の「ヒロインの初恋の人」というポジションがもう少し生々しくなるでしょうね。

  • 個人的には、むしろ「主人公と侘助」の関係性に興味がある。主人公をOZの末端に関わるエンジニアと設定した場合、AI開発者としての侘助の存在を、正当に評価できる存在になると思う。
    陣内家の外部から来たことも合わせて、侘助の唯一の理解者になれるかも知れない。

  • その意味で、栄の代わりに侘助を承認するのが、擬似的に栄を継承した主人公、というのはいいかも知れない。で、主人公と侘助が、開発者同士とても仲良くなって、それにヒロインがヤキモチを焼く、という三角関係がよいと思う。

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メモ5:陣内家の戦い


  • 『ぼくらのウォーゲーム!』での戦いは、「選ばれし子供たち」による、いわばノブレス・オブリージュな自発的な行動によるものでした。

  • 2時間の尺がある『サマーウォーズ』でも、『ぼくらのウォーゲーム!』と同じように「敵」とそれに伴う悪意は省略されている。ハッキングAI「ラブマシーン」という存在はいるが、『ぼくらのウォーゲーム!』と同じく、社会的には「大災害」でしかない。

  • OZでは、誰もがネットワークに参加している。大人も子供も。その中で、誰が、何の理由で、リスクを負ってまで最後までラブマシーンと関わらないといけないのか。

  • 『サマーウォーズ』では、陣内家が戦う理由を、身内の侘助がラブマシーンをつくり他人様(ひとさま)に迷惑をかけ、栄が死んだから――つまり完全に「私闘」にしている。良い悪いでも、正義のためでも、世界のためでもなく、身内のため。
    そのために、ラブマシーン災害で直接の死者はいないこととし、陣内家が唯一、身内の死を被ったことに(物語上は)している。

  • 『サマーウォーズ』の状況の場合、「私闘」でないと、きっと戦う理由として成立しないだろう、と考えたことは、『ぼくらのウォーゲーム!』との比較という意味において興味深い。

  • ただし、この「私闘」感が、映画ではうまく伝わっていないようにも思う。前述したように、「ファミリー」としてのオトシマエ、という要素を強調するものが何か必要かも知れない。

メモ6:花札勝負


『サマーウォーズ』における最後の花札勝負は、はっきりいえばフィクションの大嘘としての「奇跡」です。
その意味で、前回記事で書いた『逆襲のシャア』と良く似ているところもあります。

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『逆襲のシャア』と『サマーウォーズ』 奇跡のプロセス
↓世界危機だが、根源は個人の「私闘」でもある(マクロとミクロ)
↓宇宙から、大きなものが落ちてくる。
↓危機に対して、ちっぽけな個人が何とかしようとする。
↓それを見つめる多くの人間たちの意思が集まってくる。【奇跡】が起こる。
↓その副産物として、危機的状況が解決される。


単純な絵面やシチュエーションとしてもそうですし、理屈からはずれた大嘘による解決であることも似ていますが、決定的な違いは、『逆襲のシャア』はタイトルどおり、シャアが人為的に起こす世界危機であることでしょう。

シャアにはアコギなことをしてでも、それをする理由があり、またアムロにはそれを止める理由があり、さらに2人には地球規模のマクロな戦いとは別に「私闘」とも言うべき因縁がありました。

  • 『サマーウォーズ』でも、意思と目的をもった「敵」を立ててもよいかも知れません。
    背後にいるものとして、侘助を立てる手もあるかも知れませんが、ラブマシーンがAIの割には、精神的な進化を感じさせなかったので、神々しくなっていくと共に、何か超越的な目的(それが人類には悪意に観えるかも知れないが)を手に入れるべきなのかも知れない。
    ただ、世界ネットワークを掌握したAIと、田舎の人のつながりの濃いファミリーの戦い、という単純構図になるのは避けたいところ。

また、『サマーウォーズ』では、花札勝負で夏希が代表に出ることに対して、いろいろと意見がありましたが、2つの意味で夏希しかありえないと思います。

  • ひとつは、映画として、観客の応援を受け、奇跡を起こす対象は美少女がふさわしいだろう、というもの。
    もうひとつは、OZでこの戦いを観ているギャラリーに対して、奇跡を起こそうとするキャラクターが美少女(アバターではあるのだが)である必要がある、というもの。
    この2つは、映画の観客と、その映画内のギャラリーという違いはあれど、起こす作用はほぼ同じ。
    シンボルとしてのアイドル(偶像)を応援してもらおう、というものだ。

  • つまり、OZで戦いを見守るギャラリー達の協力を最も得やすいキャラクターを出すのが、この戦いで奇跡を起こすための最低条件になっていると思います。
    陣内家で、その役ができるのは、恐らく夏希しかいない。
    (カズマは既に「キングカズマ」という別の偶像をやっている)

  • だから、この戦いでは花札が最も強いキャラクターを代表として出しても、多分意味がない。
    夏希のタレント力で世界中から人々の協力を集めることができるか、という戦いになっているはずです。

  • OZの守り神、ジョンとヨーコは、戦う前に夏希に幸運のアイテム(着物)を与えてくれたが、あれは実際の効果というより、アイドルの魅力を増すステージ衣装のようなものと考えてもいい。

  • 話は少しずれるけど、例えば、ジャニーズのアイドルが個人で大金を募金する必要はないし、その力を持つ必要もないよね。
    彼らがすべきことは、日本中の女の子から100円ずつお金を集めること。それは彼らにしかできない。
    ジャニーズのアイドルたちには、私の100円を預けるとするなら、あなたたちがいい、と思わせる力があるんでしょう。それはまさにタレントです。

  • 夏希も同じように、みんなのアカウントを集めたのだろうと思います。ネット上の「祭り」のような形ですけどね。もちろん、全てのギャラリーが味方についたわけでも協力してくれたわけでもない。あくまで一部ですが。

  • しかし、この仕事を美少女に委託しなければならないということであれば、やはり男性主人公というのは難しいのかも知れない。
    花札勝負の場合、外部と内部、二重の観客を納得させなければならないが、それは男に可能だろうか。(画面上は個人情報が紐づいているとはいえ、ただのアバターなんだけどね)

  • カズマも、彼の価値は、強大な戦闘力という男性的で分かりやすい評価軸に支えられていた。
    (だからこそ「敗北」で、一気に価値を失ってしまう)

  • 個人的には『サマーウォーズ』での夏希の最大の仕事は、最後のピースである侘助を呼び寄せて、家族を全員集合させたことで、花札勝負ではないと考えています。
    花札勝負は物語上の最大の仕事ではないかも知れませんが、「私闘」にギャラリーを巻き込んで奇跡まで持っていった見せ場ではありますので、これはこれでいいのかも知れません。夏希のアイドル的魅力や、タレント力をどう保証するのかは難しい課題ですが。

脇道:ギラ・ドーガのパイロットについて


クライマックスで協力してくれた人の中には、キングカズマの敗北のとき罵倒していたような人たちも大勢いただろう。なぜ、そんな人達が協力してくれたのか、ということについては『逆襲のシャア』で最後にアクシズを押してくれたギラ・ドーガのことを思い出す。

アクシズを落とそうとしたギラ・ドーガが、なぜ最後にアクシズを押す側に回ったのか。いろいろ内面的な解釈はできると思うけれど、行動から見る事実として、ギラ・ドーガはあのシチュエーションにならないと、アクシズは絶対に押してないはずなんだよね。

敵味方もなく、アクシズを押すというラストシーンはある種の奇跡なんだけど、逆に言えば、あの状況以外では、ギラ・ドーガのパイロットは押す方へ参加していない、ということになる。

それはギラ・ドーガのパイロットが悪いというわけでなく、多分、それが普通の人間ということなのだ。そこには私も含まれる。悲しいけれど、間違ったこともするし、日和見もするし、影響を受けてストーンと転向もする。
『サマーウォーズ』でのOZのギャラリーも同じ。どちらでもあり、どちらでもない。罵倒するし、神と崇めるし、状況や空気を読みながら、ポジションと行動を決める。

でも、東日本大震災のときに、恐らくほとんど反射的に人を助けたり、避難に協力したり、呼びかけたりした人が大勢いたことを報道で知った。
私は被災していないが、その場でそういうことができるかどうか分からない。自信がない。そこまで自分を信じきれない。
ただ、最初のひとりにはなれないかも知れないけれど、誰かがやろうとしてることの協力ぐらいだったらできるのではないか、やるべきではないか、などと甘いことを考えたりもしています(まさにギラ・ドーガ精神)。
アムロ・レイは、最初にアクションをとった人になりましたね。前回記事でも書いたけど、私はニュータイプだからどうかとは一切関係なく、人間としての行動を賞賛します。

メモ6:物語の終わり


  • 『サマーウォーズ』では最終的に、ラブマシーンを撃破し、映画的なカタルシスを得るために一方的にやられて消滅します。

  • ラブマシーンの意味合いをどう変えるか、に関係しますが、侘助は自分の生んだAIを否定すべきではないかも知れません。いや、侘助は栄を失ったこともあり、自分の仕事と生まれたものを全否定していてもよいですが、唯一の理解者である主人公が肯定すべきかも知れません。

  • 主人公は、これからどうしようかな、どう生きようかな、と物語の冒頭で悩んでいたことにしましたが、「好奇心」いっぱいのAIラブマシーンを面白い、と感じて、開発者魂に火がついたことにするのもいいですね。

  • 侘助は、ラブマシーンの責任を取らないといけないですが、AI開発は、主人公が引き継ぐ、または将来的に侘助と一緒に研究者として活躍したり、ベンチャー企業を立ち上げて、など、何でもよいのですが、やることが決まって進みだした、ということにしておくのがよいでしょうか。

  • ベタではありますが、主人公がAI開発者になって、将来生まれるかも知れない「デジタルモンスター」の生みの親になることを示唆するようなオチも、まあ、ありかも知れません。

  • 主人公とヒロインの関係は、これまでの過程で修復されるでしょう。
    ヒロインは、主人公が世界を救うのに重要な働きをしたからではなく、祖母を継承し、ファミリーに承認され、バラバラになりそうだったファミリーをひとつにまとめた、という事実をもって、彼が大事な人であり、自分の選択が間違っていなかったことを再認識するでしょう。

  • ちなみに、これまでの流れでは、軽い認知症にしてしまった栄の電話ですが、全てが終わったあとに、総理大臣から陣内家に電話が入って、侘助の件と、陣内家がやった私闘の後始末はできるだけ手を回す、栄さんの頼みだからな、と伝えられるというのもいいかも知れないですね。
    老人の困った電話と思っていたけど、その中で1本だけ、本当にすごいところに、ばあちゃんの電話が効いていた、と最後に分かって全員びっくり、というような形で。

  • この場合、最後の遺影は、笑顔でなくウインクになるかも知れないけどね。

『サマーウォーズ』が選んだものと選ばなかったもの


以上のように、長々と雑多なメモで、『サマーウォーズ』のありえたかも知れない可能性のひとつを探ってみました。
これは、『サマーウォーズ』批判でもなければ、「こうすればもっといい映画になるよ」という改善案でもなく、ありえたかも知れない可能性の話でしかありません。

はっきりいって、私が思いつく程度のこれらの断片的な案は、制作時の会議などで、すでに出ているものばかりでしょう。
さまざまな作品の可能性が、制作時には検討されているはずです。
そして、皆さんが知っているあの『サマーウォーズ』が形作られ、映画として上映された。
実際の映画で選ばれている各要素は現実的に考えて、多くの場合で正しいものであったろうと思います。実際に結果も出ています。

ただ、「男の子主人公」の「誰も傷つけない」ただひたすら「とにかく楽しめる」映画をつくろうとして、こういう枠組みの映画になったというのは、私にとって、とても興味深いことです。
『サマーウォーズ』が選んだものと選ばなかったもの、それは何なのか、なぜなのか、誰のためなのか、ということを考えてみるのはきっと面白いですよ。

終わりに。『逆襲のシャア』と『サマーウォーズ』


このブログでは上映前後にいくつか『サマーウォーズ』の記事を書きましたが、未だにたまにコメントをいただいたりします。基本的にコメントが少ないブログなので、これはかなり異例のことです。
それらのコメントを見ると、私より若いデジモン直撃世代の方が、もやもやしているように見えて、なかなか罪作りな映画になってしまっているかも、と感じています。

私は『機動戦士ガンダム』いわゆるファーストガンダムを幼少期に見た世代ですので、これを原体験としてのデジモンおよび『ぼくらのウォーゲーム!』の位置に置くなら、『サマーウォーズ』に位置する作品は、おそらく『逆襲のシャア』になるでしょう。

『逆襲のシャア』を見たタイミングでは、私はまだ大人にはなっていませんでしたが、原体験の約10年後に見た映画としては大きな価値がありました。
私は自分の成長過程でこれを体験しているから、『サマーウォーズ』が、『ぼくらのウォーゲーム!』を見たデジモン世代への、10年後のアンサーになってほしかったと、自分勝手に思っているのかも知れないですね。

『逆襲のシャア』については、前回の記事で詳しく書きましたので、それをご参照ください。
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

いずれにせよ、「ニュータイプ少年」でも「選ばれし子供」でもない私が守れるのは、日常でしかありません。いつか世界を救ってくれるかも知れない子供たちのためにも、まあ、何とか自分のいる位置、手の届く範囲で、日常を守っていこうと思います。

追信:こどもたちへ
大人たちはたぶん、みんなこういう気持ちでがんばっているのですが、中には爆装(ばくそう=爆弾を抱えた状態)してる機体だってあります。
できれば全機(ぜんき)がオーバーロードして爆散(ばくさん)する前に、みんなに大きくなって手伝ってもらえると助かります。そこんとこよろしく(ここんとこごぶさた)。




『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

このブログの『サマーウォーズ』記事です。よろしかったらどうぞ。最初の記事はネタバレありません。

■見る前(上映前)のレビュー
日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

■見た後のレビュー ※ネタバレあり
サマー"ウォーズ"バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ>

■特別編:ゴハン食べるの?食べないの?(フード理論) ※ネタバレあり
世界の危機には「家族で食事」を <『サマーウォーズ』 フィクションと現実で異なる「正しい行動」>

■完結編:『サマーウォーズ』のパッケージングと可能性の検討について(この記事) ※ネタバレあり
10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>

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映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』において、νガンダムを駆るアムロと、サザビーを駆るシャアのラストバトルが行われ、アムロはこれに完勝します。
シャアはνガンダムの腕1本もぎとることすらできませんでした。

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それにも関わらず、この戦いは宇宙世紀屈指の名勝負にあげられることも多いようですね。それはなぜなのか?と、いうようなテーマで、以前、記事を書きました。

サザビーのサーベルはνガンダムを切り裂いたか <『逆襲のシャア』 νガンダムvsサザビー戦のルール>

この記事にコメントをいただいたのが今回の記事の直接のきっかけです。一部、抜粋させていただきます。

コメントより
アムロの遠隔操作によるバズーカでシールドを、ファンネルの撃ち合い、
その他の二人のニュータイプとしての描写から考えて、
その二人のニュータイプの能力差が、五体満足のν、サザビーの崩壊
という考え方はいかがでしょう?
シナリオを原点とする視聴者側ならではの発想になるとも思います。
MSの性能も武器もパイロット技術も互角なら、あとはニュータイプ能力と「運」の差でしょうか?


皆さんでしたら、「νガンダム(アムロ)とサザビー(シャア)の命運を分けた、でも絶対に存在する差はいったい何だったのか?」という問いに、どう答えますか?

モビルスーツのスペックや、パイロット技倆、ニュータイプ能力などを中心にした考察や比較は、話のタネとしてあちこちで語られています。
知識も資料も持ちあわせてもいない私がその辺りの話をすることはできませんし、そもそもそういうことを語ること自体に興味が全くありません、というのは先の記事を見ていただくと分かっていただけるかと思います。

しかし、せっかく貴重なコメントをいただいたので、あくまで物語として「なぜアムロが勝ち、シャアが負けたのか」というのを、あれこれ考えることにしました。

小説『ベルトーチカ・チルドレン』のアムロパパ


物語としての構図を考えるならば、アムロに子供ができていることした方が圧倒的に分かりやすくなります。
つまり、これは小説『ベルトーチカ・チルドレン』であり、映画では実現しなかった形ですね。

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この形ですと、父親になって地球(子供)を守るアムロと、ララァに母を求めていた子供であることを告白するシャアの対比になりますので、当然のようにシャアは負けることになるでしょう。大変分かりやすい構図です。

いろいろありまして、映画でのアムロは、パパではなく、コスモ☆独身貴族となってしまいましたが、分かりやすい構図が良いのかどうかはまた別の問題です。
映画『逆襲のシャア』はあれでよいと、私個人はそう思っています。

ニュータイプ少女を再び死なせる二人


映画ではアムロもシャアも、クェス・パラヤという少女をフォローすることができず、死なせてしまっています。

高いニュータイプの素養を持つ少女クェス・パラヤの関心は、当初、先に出会ったアムロに向いていました。
ララァ・スンが先に出会ったのが自分でなくシャアだったという悲劇が、人生最大のトラウマであるアムロとすれば、過ちを繰り返さないためのひとつのチャンスといえたかも知れません。
しかし、アムロは普通の女性チェーンと恋人関係にありました。
自分の居場所を求めるクェスは名言「アムロ、あんた、ちょっとセコいよ!」を残して、シャアの元へ去ってしまいます。

そのシャアは、自分へ身を寄せたクェスをマシーンとして、戦争の道具に使いました。
シャアは役割を求められることを極端に嫌います。シャアに父性を求めてくるクェスは、もちろんララァの代替ですらありません。
しかし劇中の最後で、シャアはアムロに気付かされたように、この私が直撃を受けている級の衝撃セリフをつぶやきます。

シャア「そうか、クェスは父親を求めていたのか…。それで、それを私は迷惑に感じて、クェスをマシーンにしたんだな」


父を求めていたクェスに優しさの演技で応えつつ、確信犯的に戦争の道具にしていると思っていたのに、その自覚がなかったですって?
『逆襲のシャア』を最初に見たのは、クェスやハサウェイと同世代の子供でしたが、このセリフには驚いたのを覚えています。(このあたりが、シャアのかわいいところでもあるんでしょうが、シロッコだったら100%自覚の上、振舞うところですよね。)

「ララァ以後」の女性観


こうしてアムロとシャアの間を行き来したクェスを見ていると、アムロとシャアの「ララァ以後」の女性観の歪みが見えるようで面白いものがあります。

アムロは、ニュータイプ的な素養のある女性に深入りするのを可能な限り避けているような気がします。
ララァと精神の交流を果たして、あの体験をした彼なのに、ベルトーチカ、チェーンと、人生のパートナーを意識的なのか普通の女性から選んでいます。
フォウにこだわるカミーユにも、クェスにこだわるハサウェイにも、自分のような過ちを繰り返さないために、応援するのではなく、むしろ深入りに否定的な立場にいました。
フォウの亡骸を抱くカミーユの後ろで「人は同じ過ちを繰り返す…」とアムロはつぶやきますが、クェスをシャアの元へ去らせてしまったアムロ自身が、そのセリフの正しさを再び実証してしまいました。

一方のシャアは、アムロとは逆にニュータイプ少女ばかり、ララァの幻想ばかり求めている気がしますね。
かつてのハマーン、ナナイ、それからクェス。
もちろん幻想は幻想でしかないので、彼女たちがララァのように、シャアに何も求めない少女だったわけではないですし、かといって戦場に送り込んでも、ララァになるわけでもありません。
レコア・ロンドという、大人の女性に去られてしまうのも、面白いですね。

富野小説はあまり読んでいませんが、ララァ以後のシャアとアムロの女性観は小説にいろいろ書かれているかも知れません。(もちろん、小説に答えが書いてあるわけでも、それが全てでもないですが)

『GUNDAM EVOLVE 5』での「可能性」の物語


「ララァ以後」を踏まえて考えてみると、アムロはクェスに対して、ニュータイプとしても、男と女としても、多分関わらない(関われない)。
それ以外の関係性でないといけないから、例えば、子供ができて父親になったアムロであれば、クェスをニュータイプとしてではなく、ひとりの人間としてフォローできたのかも知れない。マシンにならなくても、自然な父親として。
でも、映画のアムロは父親ではないし、チェーンも母親ではなかった。(それは単に事実であって、悪いわけではない)

ちなみに富野監督がストーリーを書き下ろしたという『GUNDAM EVOLVE 5』は、クェスをフォローする可能性のエピソードになっていました。

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映画とは逆に、α・アジールでハサウェイを撃墜してしまい、動揺して暴れるクェスを、νガンダムのアムロが説得します。それは大人が子どもにする「しつけ」でした。

自暴自棄になり暴れる子どもを、ファンネルでつくったデルタ・エンド型いやピラミッド型のフィールドに閉じ込めて、暴力を抑えこみながら、アムロは根気よく言い聞かせます。
最終的にアムロは、ハサウェイがまだ生きていることをクェスに感じ取らせ、彼を救うようクェスを導き、送り出します。

『ガンダムF91』のラストで、宇宙に漂うセシリーの生命を、シーブックが探すシーンにシチュエーションが似ていますね。
ここでもシーブックが「わかんない/できない/無理だよ」と投げ出しそうになるところを、シーブックの母モニカが丹念に諭して、導いていました。
『GUNDAM EVOLVE 5』は、実験的な短編フィルムに過ぎませんが、エピソードの内容は「ありえたかも知れない可能性の物語」になっていて、とても興味深いものでした。
もちろん、どちらが正しいかではなく、どちらも同時に可能性として存在しえる物語として、です。

νガンダムは伊達じゃない


こうした「ララァ以後」の女性観や、カミーユら後輩に対する態度を見ても、アムロがニュータイプに対して複雑な想いを抱いていることは想像できます。
彼は「ニュータイプでも人間の業からは逃れ得ない」ということを身をもって体験してしまったので、宇宙世紀最高のニュータイプでありながら、もっともニュータイプ幻想を持っていない人間であるともいえます。

でも、いや、だからこそ『逆襲のシャア』ラストでの、アムロの行動が私は好きです。

映画の最後でアムロは、地球に落ちようとする小惑星アクシズを、νガンダムで受け止めて、押し返そうとします。アムロ「アクシズほどのー、石ころひとつー、楽しいことを、たくさんしたい」

最初に見た子供のときにも感じたし、今の方がよりはっきりと感じるけれど、この「小惑星をモビルスーツで押して、落下を食い止める」というシーンは、【奇跡】です。
つまり、ありえない、大嘘です。うそっぱちです。理屈でもなく、リアリティも度外視した、文字通りのミラクルです。

そういうシーンだと私は思っていますが、その【奇跡】において、アムロが何をしたのかというと、モビルスーツで小惑星を押し返そうとした。ただそれだけでした。ニュータイプであるかどうかなど全く関係ない行動です。
でも、そのアクションによる「ニュータイプでなくても伝わるメッセージ」は、ジェガンや敵であるギラ・ドーガのパイロットに伝わり、彼らはアムロと同じようにアクシズを押しはじめます。全員一緒にミラクル、ミラクル、全員一緒にミラクルナイトです。

アムロ「Come on a baby!」
ジェガン&ギラ・ドーガ「Come on a Fire!」(大気圏の摩擦熱で)←シャレになってない。


これを「ジェガンやギラ・ドーガのパイロット達はサイコフレームの光に導かれるようにアクシズに集まってきて…」などと文学的な表現をすることも、まあお好みであれば可能かも知れません。
しかしそうだとしても、落下するアクシズを目の前にして、何をすべきか、どう動くべきか、というのを伝えたのは、アムロ・レイが見せた具体的なアクションであったはずです。

経験上、『逆襲のシャア』を富野ガンダム免疫のあまりない人と見ると、「これはサイコフレームというやつの力なの?サイコフレームってなに?この光はなに?」となりがちです。
「よく分からないけど、ニュータイプのアムロとサイコフレームとやらの不思議なパワーで地球が助かって…」のように思えるかも知れませんが、ジェガンやギラ・ドーガのごく普通のパイロット達が集まってきてアクシズを押し始めたのは、そういったこととは全く関係ありません。アムロがνガンダムでアクシズを押していたからです。

最後の最後で、ニュータイプだから普通の人間だから、何が特別で何ができて、というのはもう一切関係なくなっています。その場に居合わせた人間ができることがひとつしかない。

ニュータイプといえば、離れていても、手や口を動かさなくても、感じあったり、意思を伝え合ったりと表現されていますが、ガンダム界最初にして、最高のニュータイプが、宇宙世紀で最後にしたことが、石ころにしがみつくことだった、というのが私は好きです。もうニュータイプだからどうこうの行動ではないですよね。

それが人の心の光を見せたことになったのかどうかわかりませんが、【奇跡】は起こりました。

『逆襲のシャア』で起こった【奇跡】


まず、地球が確実にダメになる状況で、ひとりの人間が「ダメになるかどうか」というレベルまでもっていこうとしていました。
それを見て、宇宙では一緒に押すものも現れました。地球でも多くの人々が宇宙(そら)を見上げました。
そして、全ての人々ではないけれど、恐らく人類始まって以来最も多くの人々が、アクシズを見つめて、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ「同じこと」を思った。

それは確かに【奇跡】と呼んでさしつかえないでしょう。
アクシズの軌道が変わったのは、この【奇跡】に付随する単なる一要素でしかない。

(しかし、それが本当に一瞬で、その後も人類が変わらずに闘争を繰り広げていくことを、悲しいけれど私たちは知っています。)

この【奇跡】の説明(言い訳)として、『逆襲のシャア』ではサイコフレームという概念を用意しています。
言い訳が自分に必要&言い訳を考えるのが面白い、という方は、積極的にサイコフレームという概念を解釈してみてもいいかも知れません。
しかし、サイコフレームやニュータイプのことが分からないから『逆襲のシャア』が分からないという方は、別に無理に考えなくてもよいと思います。
この映画はサイコフレームを描くためにつくられた映画ではないので、サイコフレームの要素を抜いても、映画の構造的には成立します。

ちなみに「モ、モニターが死ぬ!」とコクピットのモニタが全て死んでしまい、外の様子が全く見えなくなったシャアさんは、音声は聞こえていたものの、一切、この光景を見ていません。
シャアは、コクピットの外で何が起こったのか見ないまま、光の中へ消え去りました。

アムロの遺産を受け継ぐ、アムロの子供たち


最初に、父親になって地球(子供)を守るアムロと、ララァに母を求めていた子供であることを告白するシャアという構図を紹介しました。
この分かりやすい対比は、アムロがコスモ☆独身貴族となったことで無くなりましたが、その代わりに映画『逆襲のシャア』は、

ニュータイプには絶望したけれど、人類に絶望しなかったアムロと、人類に絶望しているけれど、ニュータイプへの幻想を捨てていないシャア

という構図になっているように思います。
そのシャアが負け、アムロがその計画を阻止する、という意味で、この映画はアムロ自身によってニュータイプ幻想に決着をつけたともいえます。でも私はそんなアムロを支持します。

アムロ「貴様ほど急ぎすぎもしなければ 人類に絶望もしちゃいない!」


それは彼が地球を救ったニュータイプだからではなく、人類には絶望しないでいてくれたから。

私は、幼い頃からガンダムを見て育ちましたが、やっぱり子供の頃は特別な存在であるニュータイプに憧れました。
でも、大人に近づくにつれ、自分がどうしようもなく普通の人間であり、普通のまま、がんばって生きていかないといけないと気づいていく。
私たちはニュータイプにならなくても、私たちなりの大人になるしかないし、脳内で意思を伝え合う便利な力は無いので、さぼらずに相手と向きあってコミュニケーションをとるしかない。「私たちは分かり合えない生き物だ」という前提でね。

そう覚悟してがんばれば、【奇跡】が起こるのかといえば、もちろん起きません。
でも、【奇跡】はなくても結構、いや十分生きていけるものだと、大人になってしばらくした今は思います。
【奇跡】は、物語の中にしかない、なんのリアリティもない大嘘だ、ということを、『逆襲のシャア』に教わりましたしね。

アムロが絶望せずに、残してくれた世界と創ってくれた時間が「アムロの遺産」であり、そこで生きる私たちが、生まれなかったベルトーチカ・チルドレンの代わりの「アムロの子供たち」。
そう思えば、映画で我が子を奪われたアムロが、子供も無しにあそこまで戦った意味があるんじゃないでしょうか。

おまけ『火の鳥<逆襲編>』


宇宙市民の父とも言うべきジオン・ズム・ダイクンを父に持ち、
多感な少年時代を母なる地球に育てられたシャアが、
宇宙と地球の交わる大気圏の狭間で、
外が見えない状態で球体のコクピット(たまごの殻)に包まれたまま、
「ララァ・スンは私の母になってくれるかもしれなかった女性だ」とつぶやきながら、消えていく。

というのはやっぱり面白いですね。

父ジオンを殺し、アクシズというペニスで母なる地球を犯す。
「愛と幻想のジオニズム」というネタをまたどこかで書きたいですね。いや「愛と逆襲のジオニズム」かな。

この人はもう一度人間界に生まれ落ちて人間をやり直させた方がいいんじゃないか、という欲望にかられます。
手塚治虫なら、何度も生まれ変わる呪いをかけることでしょう。

火の鳥「お前は生まれ変わって、革命家となり、インテリの世直しをするのです」
シャア「え、またですか!?」
火の鳥「その次もです」
シャア「えー!」


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