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それは昔。私がまだ「お兄さん」で通用するほどの昔。
確か正月で、祖父の家に親類が集まって食事をしたあと、私は居間で何人かとTVを見ていた。

そこへ、親戚の幼児(当時2~3歳ぐらいか?)がトコトコ歩いてきて、あぐらを組んで座っていた私のひざにちょこんと座って、私の体にもたれかかり、一緒にTVを見始めた。私は驚いた。なぜか。

関係が日常的で、深ければわかります。
でもこれまで、せいぜい盆と正月に何度か遊んであげた程度の、覚えているかどうかも怪しいレベル。
そんな人間の膝に、こうも屈託なく座り、全幅の信頼を寄せるように体を預けられるものかと、幼い頃から人見知りで警戒心の強い子供だった私は少し驚いた記憶があります。

もちろん子供が飽きて、どこかへ行くまでの間、私はおとなしく座っていました。

チンピラ主人公のズボンの端


『グランド・セフト・オート(GTA)』という超人気ゲームシリーズがありますね。
アメリカの架空都市を舞台に、車を盗んでイカした(イカれた?)チンピライフを満喫する自由度の高いゲームです。


私は『GTA3』を途中までプレイしたことがあるだけですが、このゲームをプレイして何より感動したのは、オープンワールド(箱庭世界)のつくりこまれた架空都市が、反社会的な存在であるチンピラ(犯罪者)に与えられていたことです。
現代社会的なゲーム舞台で心から自由に遊ぶには、反社会的な存在になるしかない。

ゲーム上、自動車泥棒や暴行・殺人がシステムとして用意されているからそれをするのではない。
自分(プレイヤー)がどうしようもないクズだからこそ、それをするのだ。楽しむのだ。
少なくとも私には、そういうゲームでした。

こうした『GTA』的なゲームで、「チンピラ主人公のズボンの端を、いつの間にか見知らぬ幼児が握っている」というシチュエーションはどうでしょう? その姿をちょっとイメージして欲しい。
主人公が歩くと、幼児もそのまま拙い歩き方でついてくる。
止まれば、幼児も止まる。

このようなギミックを追加するだけで、ゲーム内容が変化したりはしないだろうか。

もちろん暴力的なプレイに何も制限はしない。
だが、幼児が巻き込まれた場合、たやすく死んでしまい、二度と主人公のズボンの端は握らないだろう。

ちなみに、Twitterで(間接的に)頂いた反応によると、GTA+幼児は『BioShock(バイオショック)』というゲームで、似たようなシチュエーションは体験できるらしいです。



私はこのゲームを全く知らないので、少し検索してみたのだけど、プレイヤーの選択で「助けるか」「能力強化の犠牲にするか」を選べる、リトルシスターというキャラクターがそれにあたるのだろうか?

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病弱な妹の薬代を稼ぐ兄


考え方的には、先程の幼児とむしろ逆になるけれど、「GTA的主人公に盲目で病弱な妹を追加する」というのは、どうだろう。

妹には日々の生活費と莫大な手術費用が必要になる。
兄は反社会的な活動でそのお金を稼ごうとする。それが最も手っ取り早く合理的だ(おまけに楽しい)。
だからゲームプレイ内容は、通常の『GTA』と全く変わらない。
いや、むしろ積極的に犯罪や殺人などをすればするほど、それだけ妹の為になるはず。

いつもの自由な行動(犯罪や暴力)の結果、「盲目の妹」の命が助かっている、という要素だけがゲームに追加され、制限は何もない。

もちろん盲目の妹は、兄の仕事を知らず、自分の為に無茶をしているのではないかと、いつも主人公を心配している。

AI王様と私


いくつか思わせぶりなイメージを書いてきましたが、ここまでのあれこれを踏まえて、もう少し具体的な妄想ゲームを考えてみましょうか。

もちろん、ゲームを実際に作るでもなく、リアルにゲームを設計するわけでもなく、面白おかしくコンセプトだけを提示して、ゲームを考えるふりをしながら「物語」について考える、という、このブログで何度もやってるいつもどおりのアレです。
単なる妄想にすぎないので、ここからは読者諸氏の豊かなイメージ力(ちから)に頼ることになります(それもいつもどおり)。

さて、どんなゲームか。

実は、『ターミネーター2』的な「暴力装置とその主人のコンビ」という構造のゲームで、面白いことができないかな、と以前から考えていました。

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ただ、プレイヤーが担当するのは、暴力をコントロールする側(主人)の想定で考えていました。
でも、ゲームにおけるプレイヤーという存在は、むしろターミネーターに近いのではないのか。

プレイヤーは暴力を担当するキャラクターとして、コンピューター(AI)の主人とペアを組む。
その方が、構造的にも、内容的にも興味深いものになるかも知れない。

プレイヤーは暴力の象徴的なキャラクターになります。
ターミネーターのような存在でもいいし、サムライや騎士でも、魔法使いや超能力者でも何でもいい。
キャラクターとして大事なことは以下の3つ。
  • 比類なき戦闘力をもっていること(暴力装置)
  • ある目的のために、仕えるべき「王(主人)」をもっていること
  • 暴力は「王」の許可を得ることで初めて使用できること
※「王」というのは地位や役職ではなく、概念的なキーワードだと思ってください。

ゲームでは、プレイヤーは自分が仕えるべき主人となる「王」(AIキャラクター)を、用意された何人かの中から選択できるとよいですね。

それぞれの「王」はそれぞれ自分の目的を持ち、暴力装置である主人公(=プレイヤー)を、どのような目的で、どのように使うか、という利用目的、倫理基準、判断基準などが異なります。

ある「王」は復讐のために。別の「王」は逃避行のために。また別の「王」は何かを手に入れるために。
個人として達成したい目的を持っており、そのために主人公(=プレイヤー)の力を必要とします。

主人公(=プレイヤー)の暴力(戦闘能力)は、何段階かのレベルに分けて制限がかけられており、その制限が解除できるのは、自らが仕える「王」のみ。
「王」が制限を解除することで、圧倒的な暴力をゲーム内で振るうことが出来ます。

要するに「三蔵法師(王)に対する孫悟空(暴力装置)」、「水戸のご老公(王)に対する助さん(暴力装置)」をするゲームといえば、分かりやすいでしょうか。

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ご老公が「懲らしめてやりなさい」と言った時だけ、助さんの暴力は解放され、「それぐらいでよいでしょう」と言った時点で、暴力はまた制限される。そういうゲームです。

暴力の使用はプレイヤーではなく、仕える「王」に委ねられますが、暴力が制限される方向だけで不自由になるとは限りません。

仕える「王」によって、暴力の使用基準は異なりますので、「ちょっと、足になる自動車を調達してこい」「この村を住民ごと焼き払え」などという倫理基準でプレイヤーを使おうとする「王」もいるはずです。

場合によってはプレイヤーが望まぬ状況で暴力を振るうことを命じられる可能性もあるでしょう。
それでも基本的には暴力装置に徹して、忠実な「王」の剣となり、「王」の目的を達成することがプレイヤーの役割になります。

『Fate』シリーズでの「サーヴァント(英霊)」側をプレイするゲーム、とも言えるかもしれないですね。

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ここまでの基本ルールまとめ


ここまでいかがでしょうか。
所詮、妄想にすぎないので、コンセプトだけ把握して頂ければ大丈夫ですが、ここまでの基本ルールを簡単にまとめておきます。
  • 主人公(=プレイヤー)は、自分が仕える「王」(AIキャラ)を決め、その従者となる。
  • 「王」はそれぞれ背景も個性も異なるが、目的のために主人公を利用するという点では同じ。
  • 主人公の戦闘能力は「王」に捧げたもの。勝手に暴力をふるうことはできない。
  • 主人公の戦闘能力にはリミッターが設定されており、これを解除できるのは「王」のみ。
  • 「従者」として、「王」の目的をサポートし、それを達成することでゲームクリアとなる。

では、この「王(主人)と暴力装置(従者)」コンビによる、ゲーム全体のプレイイメージを考えてみましょうか。

多分、このゲームを考える上でもっとも分かりやすく、相性も良さそうな物語は「復讐劇」ではないかと思われます。
以後は、「復讐劇」をサンプルとして話を進めましょう。

復讐するは我でなし。王の望みなり。


このゲームの場合、「復讐」はプレイヤーの目的ではなく、プレイヤーの主人たる「王」の目的です。
両親の仇、恋人や子供の仇、同胞の仇、何かは知りませんが、あなたの主人は「復讐」を望んでいます。

主犯を含めた、n人の仇が「復讐」のターゲット。
それを共に旅しながら追い、主人を守りながら、ターゲット全員をひとりずつ殺していくのがこのゲームでのプレイヤーの役割です。

こういう設定では、復讐すべきターゲットにも、それぞれ人間模様があり、複雑な事情があり、というのがセオリーなので、標的を追う中で、主人と従者(プレイヤー)は、ターゲットの個人的な背景を深く知ることになるでしょう。

命を狙われていることに気づいたターゲットが、あわてて雇った何十人もの用心棒。
「王」によってリミッターを解除された主人公が、圧倒的な暴力でそれを粉砕していく。

そして、追い詰めたターゲットをどう「処理」するのか。

このゲームでは、主人の命令(制限解除)なしでは、プレイヤーは暴力を振るうことが出来ないので、ターゲットの背景を知った上で、主人が下した判断に従うことになるでしょう。

あなたが仕えることを決めた「王」は、ターゲットを殺すのか。見逃すのか。

この生殺与奪の権利を、プレイヤー(人間)ではなく、パートナーである主人(AIキャラ)に完全に預けてしまうという点がちょっと面白いかな、と思っています。AIの言うとおりにターゲットの命を奪う人間。

あくまでも構造上の面白さなので、コンピューターゲームとして実際にあったとして単純にどうだろう?とは思いますが。

復讐劇にスポットを当てれば、これは『無限の住人』で少女・凜(主人)に雇われた用心棒・万次(暴力装置)をプレイするゲームでもあります。



万次は凛の仇である逸刀流には何の恨みも因縁もありません。
実行者こそ万次ですが、凛の殺意が逸刀流を殺すのです。

その万次の視点と役割で物語に関わる、というのをちょっとやってみたい気がします。

よその世界の他人事を救う英雄


そもそも、ゲーム世界での魔王の危機も、銀河系の危機も、個人的な復讐も、現実世界からコントローラーを通じて介入するプレイヤーにとっては、はっきりいって、よその世界の他人事なわけです。
プレイヤーは究極的にいえば、このゲーム世界の誰にも義理もなければ、恨みも利害関係もない。

でもだからこそ、その世界の論理に縛られず、憎しみの連鎖にも囚われず、綺麗事の理想を押し通したり、メタ的な視点で解決法を探すことも出来る。

今回のゲームでは、復讐に燃える主人(AIキャラ)こそが、真にこの世界で生きるキャラクター。
それに仕える従者(プレイヤー)は、誰にも恨みもなければ、義理も利害関係もない……でも殺そうぜ!

他人事気分で関わりながら、圧倒的な暴力で、よその世界を決定的に変えていく。
それこそゲームにおけるプレイヤーなのだから。

AI人格いじりによる不確定の未来


さて前述したように、プレイヤーに、目の前の標的を殺すかどうかの権利はありません。

ですから、どうしようもないクズに対して「見逃せ」と命じられるかも知れないし、改心して真面目に暮らし女房子供もいる人間を「殺せ」と命じられるかも知れない。

全ては仕えた「王」の選択次第。

なのですが、AIキャラクターが登場するゲームなら、プレイヤーが干渉することでAI人格に影響を与えて変化させていくのも、ひとつの重要な楽しみ。

旅の中で、状況によっては「王」はプレイヤーに相談をしてくることもあるでしょう。
どう返答するかはプレイヤーの自由で、暴力とその支配について、諭すことも誘惑することもできるはずです。

コミュニケーションとプレイヤーの行動、そして行動の結果として、復讐の中で「王」が実際する体験。
それが、AIキャラである「王」の人格に影響を与えながら、ゲームは進行していきます。

ですからゲームシナリオ上、ターゲットの誰を殺して、誰を助けるか、というのは当然確定していません。
そのときの主人のAI人格と感情的なブレによって、プレイごとに選択は異なっており、恐らくプレイヤーも完全にコントロールすることはできないのではないでしょうか。できないといいですね。

用意された「命令違反」


あと必要そうなギミックは、「従者による命令違反」を可能にしておくことでしょうか。
主人公の暴力は「王」によって管理されているわけですが、何かのデメリット(ペナルティ)と引き換えに、自らの意思で暴力をふるえるようなゲームシステムを組み込んでおくべきでしょう。

例えば、これにより、「王」が「見逃せ」と判断したターゲットを、「御身を守るために仕方なく」殺すことができたりする。
これは「王」の命に逆らった命令違反になるので、2人の関係に大きな影響を与えるかも知れない。

他にも、「王」がさらわれ、リミッター解除をしてもらえない状態で、救いにいくためにやむなく暴力を解禁したり。
「王」がかわいがっていた野良犬に協力をお願いして、おいしい串焼きをゲハハとつくったり……いや、これはやりすぎだな。

プレイヤーにとって、暴力を管理されるストレスを解消する手段であると同時に、シナリオ上の自由度を得るためにもぜひとも必要なシステムだと思います。

はたして、「王」と「従者」の復讐の旅の結末はいかに。


『ヴィンランド・サガ』的な要素もありますね。多分。

擬人化されたゲームシステム


以上で、大体このネタで考えていたアイデアは出しきりました。

このゲーム、再三書いているようにコンセプトだけのものなので、実際にゲームにしたさいにどうなのか?どうするのか?という事はあまり具体的には考えていません。
最初に書いたとおり、ゲームを考えるふりをしながら「物語」について考える、というのが最大の目的であるように思います。

もしゲームが実在していたら、ストレスが溜まりそうな気もしますが、例えば用意したシナリオで物語を誘導するタイプのゲームでは、そもそもプレイヤーの暴力はゲーム側にきっちり管理されているわけです。
ここはイベントシーンだから人は殺せない。ここはバトルステージがだから殺せる。それが終わるとイベントだから殺せない……といった具合に。

もっといえば、シューティングゲームや格闘ゲームでさえ、暴力をふるうためのルールやタイミングは、ゲーム進行によってきちんと管理されている、とも言えないこともない。

であれば、今回のネタに出てくる「王」とは、プレイヤーの暴力を管理するゲーム側のシステムが擬人化され、人格を持ったキャラクターのように考えることもできるかも知れません。

ある場面では「誰も殺さず、情報を集めろ」と、シナリオ進行させる。
ある場面では「50人敵がいるぞ。全員やっつけろ」と、ステージミッションを設定して戦わせる。
ある場面では「仇だが、この男は見逃すことにする……」と、ゲームの不確定要素として変化を与える。

一種のゲームマスターであり、審判であり、出演俳優であり、すばらしいゲーム体験を共につくるための正にパートナーでもあるわけです。

あとがき・まとめ


ゲーム世界ではプレイヤーこそが圧倒的な暴力を持ちますが、それをメタ的なゲーム進行(システム)ではなく、もっと自然な形でコントロールできないだろうか、というのが、アイデアの発端だったと思います。

それでこんな不自由な制限があって、普通のゲームでは当然のように与えられる「暴力をばらまき、誰を殺すのかの自由」がないゲームを考えてみました。

恐らく擬人化したことでストレスは増大するとは思うのですが、その代わり、我慢に我慢を重ねたあげく、「存分に暴れ回れ!」と、主人から全てのリミッターを解除されて振るう暴力の嵐は、いつでも撃てる銃とはまた別の意味での気持ちよさを与えてくれるのではないかという気はします。


ああ。そういえば、『BLEACH』では、死神が現世に来る際に霊力を封印されるため、「限定解除」を行うことで本来の戦闘能力を発揮できるというシステムがありましたね。

暴力リミッターの解除という意味では、ああいう感じに近いかも知れません。

今回、意図的に映画やマンガなど、さまざまな作品を持ち出しましたが、感情や選択を司るイデオロギー型のキャラクターと、破壊と問題解決を司る暴力型のキャラクターの組み合わせによる、バディ関係というのはよく使われるパターンです。

その関係をゲームで再現しつつ、プレイヤー側に暴力型主人公をやらせてみてはどうか?というのが、今回のネタの肝ですね。

妄想なので私が考えるのはあくまでコンセプトアイデアだけなのですが、このコンセプトを元に色々考えてみるのは面白そうです。何かよいアイデアが浮かべばまた何か書きますし、これを読んだ方で何かアイデアや情報などがあれば教えて頂ければ幸いです。(これと同じ体験ができるゲームがあるなら、プレイした方が早くて楽なのでやってみたい)

それではまた、次回お会いしましょう。(特にオチフレーズ思いつかず)
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また、FC2さまのお怒りに触れて、広告掲載の辱めを受けることになってしまいました。
とりあえず、記事は準備しつつあるのですが、すぐ更新できないので、恒例の広告消すだけ記事をあげたいと思います。

twitterをはじめていますので、過去の雑多な発言からピックアップして、まとめました。ゆえに古い話題も混ざっていますがご了承ください。
また、そのままですと私のtwitterhttp://twitter.com/highland_view)を見ていただいている人には無価値なので、誤字脱字の修正や補足などをしてあります。



はてしなく、どうでもいい日々


■パチンコ『CRマクロス』


(TVCM放映直後)
TVCM観ましたが、パチンコ『CRマクロス』が出るんですね。
パチンコマクロスは何年か前に友達といろいろ話したことがあったけど、とりあえず板野サーカスリーチとかもいいけど、ブリタイ司令の「キースーをしてみろ」リーチが絶対いるよね、ということになった。

ブリタイ司令の「キースー強要リーチ」を大当たり(カイフンがミンメイとキス)させて、ひともうけしたら、豪勢にシースーを食べにいったらいいと思う。キースーしてシースー。ツェーマン ゲーセンのシースー。

(TVCM放映後しばらくして…)
「合体の次が来る!」はいはい、出産、出産。と思うほど、パチンコ『CRマクロス』のTVCMを見る回数が多すぎて、さすがにつらくなってきた。
これはもう、パチンコマクロスがシリーズ化された時を想像して楽しむ(逃避する)しかないな。

パチンコ『CRマクロスプラス』
台からホログラムで飛び出してきたシャロン・アップルにみなメロメロになり、とろん、とした顔でパチンコを打ち続ける。
シャーロン!シャーロン!そして店内に響き渡るシャロンコール。
カータカム!カータカム!そしてどさくさで響き渡るカタカムコール。

パチンコ『CRマクロス7』
熱気さん「パチンコなんてくだらねえぜ!俺の歌を聴け!」
あ、あれ?玉が出ない。なんで?
※パチンコ『CRマクロス7』では、ザ・熱気バンドことFIRE BOMBERのライブが終わるまで(熱気さんが満足しきるまで)、争いの元になる玉は出ない仕様となっておりますので、ご了承ください。

パチンコ台の分際で、パチンコなんてくだらないと言い切る熱気さんがかっこよすぎる。

■21世紀の信長をさがせ!


空前の武将ブーム(らしいが実感ゼロ)の中、直江兼継や石田三成はいいとして、織田信長をやるような若い俳優がなかなかいないなあ、という話になった。
信長はやはり、イケメン成分だけではなく、魔王成分も必要になりますよね。
そこで「21世紀の信長をさがせ!オーディション」をやるのがいいんじゃないか、と提案した。

オーディションは「うつけ審査」と「正装審査」の二部構成。
「うつけ審査」は、それぞれが、きゅうりを丸かじりしたり、それぞれがオレ流UTSUKEスタイルを披露する。で、そのあとの「正装審査」は一転して、バシッとフォーマルでりりしく。審査委員長、斉藤道三も見惚れるほどの、UTSUKEとのギャップをいかに作り出せるかがポイント。

これまでの大河などでは、割と若めの信長としては、反町隆史や吉川晃司がやったりしたけどね。
あとキムタクもどこかでやったりししてたけど、見てない。ぶっちゃけ見てない。

GTO反町信長
反町信長は「POISON」のイントロ流れる中、バックで「GTO」のネオン点滅させながら、信長やってくれればよかったんじゃないか。
「GTO」の意味については、「グレート・天下人・オダ」とか「グレート・天下布武・オダ」とか色々あるけど、「グレート・てっぽう・オダ」が一番頭が悪くていいかな、と思う。

K2信長
吉川晃司(K2)の信長は、K2がシンバルキックをやったら、織田軍が攻撃開始すればいいと思う。
開始後は、「BE MY BABY(COMPLEX)」のPVのように、K2が前に出たら、右翼が前進。代わりに布袋が下がって、左翼が後退、という感じで戦闘指揮をとればいいと思う。


2人とも魔王成分が高すぎる。3:15あたりで、K2から全軍突撃の指示が出ます。

マンガあれこれ


■『BLEACH』藍染様は天の意志で動く


週刊少年ジャンプ好評連載中のマンガ『BLEACH』は、相変わらず敵ボスである藍染が登場すると、何がしたいんだか良く分からないことになる。これはどういうことなのか。

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敵ボスである藍染が何らかの行動を取る際には、サイコロをいくつか振る。
手元にある「藍染様 行動判定表」を見ると、出た目の合計数に対応する行動が書いてあるので、出た目にしたがい、判定表どおりの行動をとることにする。

例えば、サイコロを3個振って、出た目が「2」+「5」+「4」=「11」だとする。判定表の「11」のところを見ると、「突然、部下を殺す」と書いてあるので、藍染はいきなり部下を殺す。サイコロが絶対なので、絶対にそれに従うこと。

サイコロの出目が絶対。つまり行動が先。理由があと。
「突然、部下を殺す」が決定したあとで、部下を殺す理由を考えなければならない。

判定表には、他にもいろいろとんでもないことが書いてあることにする。
「現在の状況を計画通りだと笑う」
「全員に紅茶を強要」
「雛森がいかに自分を慕っていたか語る」
「真の敵の存在をほのめかす」
「いきなり涙を流す」
「私は○○の兄だ、と言い出す」

これらが実行されるかどうかは、サイコロ次第。
当然のように、一護たち主人公サイドは、誰も藍染の行動を予想できず、後手後手に回る羽目になる。作者すら予想できないので当たり前なのだが。
一番頭がいい、鋭いキャラでも「…悪い予感がする」ぐらいの曖昧な予測しかいいようがない。

かくして『BLEACH』には、さらに「なん…だと…?」のセリフが続出することになる。

サイコロの出目なんてまさしく神のみぞ知るわけで。
つまり主人公たちは、「敵ボス藍染」というか、「神」と戦わなければいけないということになる。

と、いった感じに「藍染様 行動判定表」が存在する、ということにして、『BLEACH』を読むと、より楽しめるんじゃないでしょうか、というおはなし。

ちなみに冗談でも皮肉でもなく、そういう考え自体ちょっと面白いかな、というのもある。
物語の全てでなく、理詰めの構成を崩壊させる一要素として作っておき、神のお導き(サイコロ)で使用する。作者も制御できない存在をつくるために。

物語発想法的に、自分の狭い枠から離れた物語をつくるために、あるルールでランダム生成して、つじつまを合わせる。というようなものもあるが、そうではなく、きちんと基本の物語フレームがある連載マンガで、一匹、混沌を飼っておくような使い方をする感じだろうか。
TRPGのリプレイにおける判定みたいなものかな、とは思うけど。
まあ、実際はいろいろむずかしいのですけどね。

■『ブラックラグーン』9巻


『ブラックラグーン』最新巻を読んだ。ロベルタ復讐編終了。
twitterで書いていた『NARUTO』のメモ等をまとめて、「憎しみの連鎖」と「暴力の正当性」あたりの記事に仕立てなおそうと思っているけど、いい参考になった。

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ロックは最終形態として、サングラスかけて、髪型ちょっと変えて、ロック・ホーム(間久部緑郎)になってもいいな。名前も緑郎なんだし。
最終的に、日本からロアナプラに来た同級生か元同僚の「ケン一」の逆位置に立つ存在として現れる。

『ブラックラグーン』は、ロックとレヴィの関係を掘り下げれば、危ういバランスは崩壊し、ストーリーは不可逆となって、いつでも終われるはずだ。
それまでに楽しい楽しい、死の舞踏会をどこまで続けるか。個人的には、まだまだ舞踏会を続けてほしいけど。12時の鐘にはまだ早い。

今回で、ロック側の準備は整ったように見えるし、やろうと思えば最終章できると思う。
最近話題になってた「ストーリーひきのばし論」からすると、全力疾走するストーリーなら「ロック・レヴィ編」をさっさとやればいい。でも、そういう問題じゃないと思う。

『ブラックラグーン』の舞台である街「ロアナプラ」は、楽しい楽しい死の舞踏会をするために、良い舞踏会場になるためだけにあつらえた街なので、そこで面白いダンスができて、観客が喜んで拍手するうちは踊ればいいんですよ。まさしく、それをするための街なんだから。

結果としての「物語」に重きを置く、物語至上主義者のような人は、すぐ全体の物語の質とか完成度とか言い出すけど、それはあまりに視野が狭すぎるとしか思えない。私はそういう人とは良い友達になれそうにないなあ。

いつかは終わると分かっている舞踏会を、観客の拍手の数を見ながら、もっとも多くの人が幸せになれるところ、そのギリギリを見定めて踊り続ける。そういう物語だってたくさんある。

「終わりどころ(落としどころ)が見えない」のではなく、誰でも分かる「終わりどころ」を提示した上で、観客の顔見ながら、ダンスを踊り続けるマンガは私は大好きだけどね。現在進行形の価値がある。
しかし(結果としての)物語至上主義者のような人はそうではないらしい。評判のいい愛蔵版コミックスだけ買ってればいいのにね、と思ってしまう。

■浦沢直樹『BILLY BAT』は何のマンガなのか


浦沢直樹『BILLY BAT』 が何をするマンガなのか、というのはちょっと興味がある(話の中身自体にはあまり興味がない)。連載時、はじめの数話を見た時は、「20世紀少年」からさらにさかのぼって、「昭和」と「手塚治虫」をやるつもりなのかな、と漠然と思ったが、その後を見る限りどうも違うらしい。

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浦沢 直樹長崎 尚志

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単行本派の人にはネタバレになるけど、物語は、時間と空間を大きく越えていく。キリストの最後の晩餐。アメリカの黒人差別。今連載中のパートは、忍者ものだ。
昭和ではじまったものの、時間と場所がバラバラな短編がいくつか続いている。各エピソードの共通点は「ビリーバット」の存在だけ。

個人的には、浦沢直樹が一番面白いのは、物語の立ち上げと短編だと思うので、その武器を最大に生かす構造を作るべきなんじゃないかと常々思っている。

テンマが老夫婦に親切にされるエピソードなどが結局いちばん面白いが、「MONSTER」の中にそれをたくさん入れると、「わき道ばかりで全然、本筋が進まない」と言う人が出てきてしまう。
いっそのこともっと、わき道そのものを生かす構造の方がいい。

そういう意味で、「ビリーバット」を軸(言い訳)にして、さまざまな短編をつくる、というのは悪くないのではないか。いわば「ビリーバット」を、手塚治虫「火の鳥」に見立てて、「ビリーバット」が出てきたら、『BILLY BAT』だ、というマンガでいいんじゃないか。

浦沢直樹の忍者ものなんて初めて見たし。ありとあらゆるマンガのタイプを書いて欲しいぐらいだ。手塚治虫もありとあらゆるマンガのタイプを書いたのだから。

「そんな好き放題やって、ビリーバットの謎とか、ラストはどうするんだ!」と思われるかも知れないが、それについて、私は以前ブログにも書いたけど、浦沢直樹だけができる解決法がある。

解決法は「新連載」を用意すること。それで全て解決できる。
なぜなら浦沢直樹でいちばん面白いマンガは常に「新連載」だから。
恐らく終わりかけの『BILLY BAT』より何倍も「新連載」は面白い。今までもそうだったから。

ということで、私の中では、今のところ『BILLY BAT』 は『火の鳥』ということにしている。
予想というより希望だ。出来れば好き勝手に、おもしろ短編をいろいろ作ってくれないかなという希望。書いたことないジャンルにもどんどん挑戦してほしいなあ。

と、いう『BILLY BAT』論を、ご飯食べながら友人に話したら、どこにビリーバットが出てきたら面白いか、という話に当然なった。

ラスコーの壁画にバットマーク。伊達政宗の持っている鎧のカブト飾りにバットマーク。ナポレオンのエジプト遠征でバットマーク。ベーブ・ルースが手術する子供と約束したホームランを打つバットにバットマークなどなど。

なんでもよい。浦沢先生に書いて欲しいシチュエーションと、ビリーバットの登場アイデアを書いて、ハガキを送ろう。出来れば、歴史上の名場面の方がいいぞ!

幼稚園の先生が「みんな、自由に好きなものを描きましょうね」と園児にお絵かきさせる。
「はい、ではみんな、絵を見せてー」
園児全員がいっせいに画用紙を先生に見せると、全員の画用紙にビリーバットの絵が…。
もちろん、園児の目は全員、浦沢直樹がいつも描く、虚ろな目の子供のホラー顔。

あとは『火の鳥』だと未来あるけど、現代~未来ネタどうする?となって、火星の表面にバットマークとか、なぞの宇宙電波の波形をある法則で図形化したらバットマークとかでいいんじゃないか、ということになった。
(あとで、単行本を買った友人に聞いたら、火星ならぬ月面でバットマークネタはすでにあったらしい。わー。その回読み損ねてる。でも、やっぱいるよねその場面と、改めて納得した)

まあ『BILLY BAT』がこの先どうなるか全然わかんないけど、浦沢直樹歴史名場面集(ただしビリーバット付き)マンガになればいいなあ。

書物をめぐる冒険


水滸伝


AKB48を見ていたら、SKD108(エスケーディー ワンオーエイト)でもいける気がしてきた。
SKD108=水滸伝108星なので、メンバーはもちろん全員アウトローにして大酒飲みの好漢108人。「どきどきすいこでん」みたいに女性化とかじゃなくて。
いける。何がいけるかよくわからないがいける。

こんな水滸伝が好きな私が、北方水滸伝を読まない理由は大きく2つ。
登場人物が近代的な内面を強く持ちすぎているから。
もうひとつはキューバ革命に見立てるのが趣味に合わないから。
要するに単なる好みの問題なのだが、力作・大作であるのは確かなので興味はある。こんなときどうすればいいのか。

結論として「北方水滸伝読本」というガイドブックを買いました。年表や地図やキャラクター紹介(謙ちゃんの解説つき)など盛りだくさん。
オカズはこれで十分。水滸伝自体は知っているわけだから、あとは脳内で何とでもできる。
偽史・異世界もので育ったオタクは、年表と地図とキャラクター一覧があれば良くも悪くも消費できてしまう。

替天行道-北方水滸伝読本 (集英社文庫)替天行道-北方水滸伝読本 (集英社文庫)
(2008/04/18)
北方 謙三

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■IQ84


友人から村上春樹1Q84』を借りて読み、先日返した。
その際に友人とさまざまな話をしたが、最も意見が分かれたのは、「『1Q84』は村上春樹以外が書いても成立するか?」だった。

1Q84 BOOK 11Q84 BOOK 1
(2009/05/29)
村上 春樹

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1Q84』はbook1の150ページあたりで、物語の枠組みと材料が出揃う。
私はたった150ページで提示された物語の構造をすばらしいと感動した。
1Q84』序盤150ページの基本フレームがあれば、この物語は、ここからどんな方向へも行ける、どんな話も乗せられる、と思った。あれは、それぐらい使い甲斐のある物語構造だ。

この先、最後まで読み進めていくと、ストーリー的には「うーん」と首をかしげることになるかも知れない。しかし、そんなことで序盤の150ページで提示した物語構造に傷がつくことはない。私はこれだけで十分『1Q84』を評価する。

もちろん、ストーリー自体やキャラクターより基本設定や構造をすばらしいと思ってしまうところに私の歪みがあるのだが。
すばらしい物語フレームや基本設定に一番価値があると思っているんだよね。私は。
そこがすばらしければ、その物語フレームを多くの人が使えばいいし(古代から人間はそうしてきた)、リフォームの匠が良いリビルドをすればいいと思っているから。

ところが、そんな私でも、村上春樹の物語に関しては、村上春樹だけにしか書くことを許されない世界だと思っていたのだ。
ハルキ小説のためだけに作られた世界には、ハルキキャラしか存在できないし、ハルキストーリーしか展開できないと。

しかし「1Q84年の世界」については、村上以外の他の作家や、他の媒体で書いても成立するのでは、と感じた。村上春樹の本はある程度読んでいるが、それは初めての感覚だった。

もうひとりの村上こと、村上龍なら分かる。例えば『五分後の世界』。
本人も世界観だけを共通にした複数の物語を書いているし、他の作家が『五分後の世界』を舞台に作品を作ることもできるだろう。

「1Q84年の世界」の場合も同じように、主役の2人などメインキャストはもちろん触れないが、世界だけをシェアして、「月が2つある」という患者を診察する精神科医の話や、月が2つに見えてしまった天文学者の話などをやれるんじゃないか。友人にそう話した。

しかし友人は「それでも、あれは村上春樹が書いて、あの話じゃないと、1Q84にならないと思う」という。その話も分かる。大塚英志が言う(信じる)、技術で書けるものを取り除いていったときに最後に残る作家の固有性のようなものとして。

ただ何も私は村上春樹をコピーしようと言うわけじゃないんですよね。それはそれこそ二次創作にしかならないので。あくまで「1Q84年の世界」をシェアできないか、という話。これまでの村上春樹作品と違い『1Q84』はシェアできそうに思える。

他の作家が書く『1Q84』自体に興味があるわけではないので、作品の成立や内容の是非はどうでもいいのだが、村上春樹を読んで初めて、シェアできる物語世界かもと感じたのが、もっとも大きな驚きだったので。私だけかなあ。

それにしても。
「1984年」と「1Q84年」、2つの世界の見分け方が「月が2つあるか、どうか」というのが興味深いんですよね。
「空に浮かぶ2つの月」という異世界イメージがそれこそ、ライトノベル(しかも原初の)と最初思ったのだけれど、この世の中で、絶対1つしかないもの、そして、地球上の誰もがその共通の1つを確認できるもの、というのはそんなに無い。地上ではなればなれの主人公2人が絶対に同じものを見ているという保証が空に浮かぶ月にはある。
他のもので表現できないかな、とあれこれ考えてみたけれど、良いものを思いつかなかった。
陳腐なイメージだけど、代替物が確かに無いように思い、それなりに納得した。

富野作品関連


■私の血にはジオンが流れているの


とりあえずバンダイは、「連邦の白」と「ジオンの赤」というワインをつくって、法外な値段で売り出せばいいと思う。

【レストランにて】
男「じゃあワインは連邦の白もらえる?」
ソムリエ「白ですと、79年のいいものがご用意できますが。他には86年、87年、93年なども取り揃えております」
男「93年もいいけど、やはり白は79年だよ。君はどうする?」
女「私、赤がいい」
男「ジオンの赤は何かある?」
ソムリエ「79年もございますが、当店では83年をおすすめいたします」
男「83年!」
女「どうしたの?」
男「83年はジオンの当たり年なんだ。79年をさらに数年寝かせたような深みがあってね。ではそれを」
ソムリエ「かしこまりました」


このあと、男のワインうんちくが延々と続いていく。 これガンダムひと通りできるなあ。
最近は白ワインの粗製乱造がどうたらとか、僕は79年物以外は本物とは認めないとか語りまくって、心底、女の子にうざがられたらいい。

■ドレイク王宮廷のマサチューセッツヤンキー


そういえば、ダンバインの事を考えていた時に、『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(マーク・トウェイン)を引っ張ってくると面白いかも、と思いついたことを、忘れていた。

アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー?マーク・トウェインコレクション (16)アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー?マーク・トウェインコレクション (16)
(2000/10)
マーク トウェイン

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『アーサー王~』は、ショット・ウェポンが、アーサー王の配下になるような話なので比べると面白い。
アーサー王宮廷に、近代のテクノロジーを導入するけれど、最終的に時代に排除されるような形になる。

バイストン・ウェルの各国に1人ずつ地上のスペシャリストを配置するのはどうかな、と考えた。たとえば4人なら「軍事・戦闘」「政治・経済」「科学・技術」「文化・芸術」のスペシャリストをどれか1人という具合。どの地上人が来るかで、国の行く末が大きく変わるというネタはどうかな。
どの地上人が来た国が、幸せに近づけるのだろうか。



今回は以上です。広告表示消すためはいえ、さぼり記事ですみません。いや、エコ記事。エコ記事と言わせていただきたい。

ちなみにヱヴァ破感想の続きはとりあえず凍結します。間が空きすぎた上に、たいして新しい内容もないし、他にもっと書きたいこともできたので、そちらにします。

さて、こんなしょうもないことばかりつぶやいている私のtwitterを見たいという奇特な方は以下でご覧ください。
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あ、過去ログを見るという意味では、Twilogの方が便利ですので、よろしかったらこちらもどうぞ。
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