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毎年恒例、1年間のブログ活動のまとめ記事でございます。
今回は昨年2017年度のご報告となります。まっこと遅くなり申した。
単なる怠惰の産物であり、どきゃんもこぎゃんもあらしまへん。

2017年中に書いた記事数は、6本。
そのうち富野アニメ関係の記事は4本(実質5本)と、最低限の義務は果たしたというか、上出来じゃん!という思いでいっぱいでございます。

どの記事も面白い自信はあるのですが、世間の評価とアクセス解析の結果を見る限り、ほとんど誰にも読まれてないし、誰にも評価されていないという有様。
それが本当に妥当かどうかチェックするチャンスが今、幸運なあなたに与えられました。
(「妥当でした」というリアクション不要です)

2017年度 珠玉のブログ記事(もう何も言うな)


「永遠のフォウ」は耐えられるが、「ロザミアの中で」は耐えられない


フォウ・ムラサメが三度死んだとき、ロザミアはようやく兄を見つける。<『機動戦士Zガンダム』「ロザミアの中で」でのカミーユの絶望>

『機動戦士Zガンダム』第48話「ロザミアの中で」を見ていく中で、フォウ・ムラサメの「三度の死」を検証します。

「ロザミアの中で」は劇場版ではカットされた要素なのですが、尺の問題以前に、劇場版のラストに向かうためにはカットする以外の選択肢が無い、という事が重要です。

劇場版『Zガンダム』は、ラストの変更が話題になることが多いですが、『ブレンパワード』、『∀ガンダム』、『キングゲイナー』と当時の作品を追っていれば、何一つ驚きはなく、実際に予定調和的なものでした。
ですから劇場版に関しては、ラストに注目するよりも、ラストを変更するためにどのような再構成がされたか。さらにいえば「何が取り除かれたか?」を考える方が面白いかも知れません。

その視点の一助になる記事ではないかと思っています。

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沈まなかったアーガマに帰らなかった魂


「帰れる船」としてのホワイトベースとアーガマの対比 <『機動戦士ガンダム』での優しい嘘の共同体>

TV版『機動戦士ガンダム』にだけ存在する「光る宇宙」でララァに取り返しをつかないことをしてしまった直後、ホワイトベースに帰還したシーンについての話。

劇場版は素晴らしいのですが、やはり私の心のベースはTV版なのです。

長い旅路の末、ホワイトベース内部には疑似家族的なコミュニティが成立します。
アムロはニュータイプであるがゆえに、この疑似家族的なコミュニティへの最後の参加者になりました。

そしてこの終盤のホワイトベースとアーガマを比較します。
「ロザミアの中で」で同じように傷ついて母艦に戻ったカミーユに待っていたものは果たして何か。
ということで、先の「ロザミアの中で」解説記事に接続します。
ぜひ2つの記事をセットでお楽しみ下さい。

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パンダ目暗殺おじさん、一世一代の晴れ舞台


わがままはディアナの罪、それを許さないのはみんなの罪 <『∀ガンダム』第44話 「敵、新たなり」のミドガルド、女王に救いを求めて走ること>

『∀ガンダム』第44話 「敵、新たなり」の解説記事なんですが、主役は完全にパンダ目暗殺おじさんことミーム・ミドガルドになっております。

ここまでミドガルドおじさんに寄り添った記事はないのではないか、と思っていたのですが、今改めて読み返すと、寄り添ってはいるけど全然ミドガルドに優しくないですね。
殺し殺されたらカーニバル(中森明菜)の回だから仕方ないかな。キスは命の火です。

記事後半には、おまけとして『∀ガンダム』でよく言われる「ギンガナムへの責任の押しつけ問題」について書いています。
ある種、こちらの方が本編のような気もします。

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誰が悪いんじゃない。みんな貧乏が悪いんだ。


異世界にアメリカ人が5人。天才がふたり、軍人がふたり、さて残るひとりは? <『聖戦士ダンバイン』での地上人 from USA>

『聖戦士ダンバイン』では、現世から異世界バイストン・ウェルへ召喚されてしまった人間(地上人)が何人も登場します。
その中で、アメリカ国籍を持つ地上人5人にスポットを当てた企画です。

いちばん書きたかったのは、マーベル・フローズンについて。
そして彼女との関係を考えることで明らかになる主人公であり日本人ショウ・ザマの立ち位置についてです。

ショウはダメな主人公と言われることがありますが、そこには日本や日本人ゆえのという部分が見え隠れします。
良くも悪くもアメリカという国との付き合いが、日本には強い影響を及ぼしていますが、バイストン・ウェルでもショウの前にはさまざまなパターンのアメリカ人が登場いたします。
さて、どのアメリカ人を友人として付き合いましょうか?

そんな視点でお読み頂けたら楽しいかと思います。



海南大附属の王者・牧紳一は本当にすごいのか問題


基準(物差し)となるキャラクターから考える物語<『スラムダンク』『キャプテン翼』『機動戦士ガンダム』のパワーバランスとキャラクターの格>

バトル(スポーツ)物の作品における、キャラクターの「格」についての記事。
こういった作品でキャラクターが強くあるために必要なのは、身体能力とか必殺技とかではなく、「格」なのです。

『スラムダンク』、『キャプテン翼』などの名作マンガを例に記事は進みますが、後半『機動戦士ガンダム』の戦闘バランスの話になって、そこから結局いつものガンダム漫談が始まります。

本当は『スラムダンク』、『キャプテン翼』のパートだけでも、ちゃんとひとつの記事として成立してると思うんですけどね。



どうしていっちゃうんだよロベルトォ!


四人兄弟を養う日向家 VS 居候ロベルトを養う大空家 <『キャプテン翼』小学生編でのキャラクター経済格差>

純粋にサッカーマンガ『キャプテン翼』の記事。ガンダム漫談に脱線したりもしない貴重な記事。

『キャプテン翼』小学生編における富裕層と貧困層の戦い。
それがいかに現実に存在するワールドサッカーの構図そのものか、ということを解説します。

そういえば、大空家に居候していた時のアル中天パおじさんこと、ロベルト本郷の金回りってどうだったんでしょうか。
元プロ選手とはいえ、アル中寸前の浮浪者のようにまで身を崩したロベルトはお金持ってたんですかね。
渡航費用や日本での検査費用、日常の大空家でのご飯など、大空キャプテンのご好意というイメージがあるんですが、どうなんでしょうね。
名目(ロベルトに負担をかけないための建前)は翼の個人コーチとしての居候とか何とかで。
つまり何が言いたいかというと、小学生編ラストでブラジルに帰国する渡航費用は誰の金だったんだろう、という。

そもそも大空キャプテンは、自分が長期航海でほとんど家を空けるのに、まだ若い自分の妻と、たくましい元スポーツマンしかもラテン系サッカー選手だったロベルトを平気で同居させるという、大変懐の大きな人物です。

翼ママ「バスタオル用意しておくの忘れちゃったわ。入るわよロベ(脱衣場に入ってくる)……」
ロベルト「(ちょうど浴室から出てきた全裸ロベルト)……ママさん」
翼ママ「ご、ごめんなさい!(あわてて扉を閉める)」

だから昔から良くネタとして妄想してたのは、ロベルトのブラジル帰国の真の理由です。

ロベルトの手紙「翼、おまえはこの日本にいてもきっと素晴らしい選手になれる。おれがいなくともおまえはきっとそうなれる。翼、サヨナラだ。……P.S. ママさん、愛しています」
翼「どうしていっちゃうんだよロベルトォ!」

飛び立つ飛行機を見上げながら、思わず自分のお腹を抑えてしまう翼ママ。
翼。ロベルトはいっちゃったからブラジルへいっちゃうのよ。

そして翌年、翼とは全く似ていない浅黒い肌とチリチリの天パをもった次男が大空家に生まれるのだった。

《 『キャプテン翼』小学生編・完 》

……みたいな。
ただひとつ言えることは、私の中で大空キャプテンは大海原のようにとてつもなく大きく、懐の深いド変態だということです。(あくまで私の中で)





2018年の抱負など(もう一ヶ月分終わってますが)


以上、選びに選びぬいた、珠玉の2017年ブログ記事でございました。

2018年もどうせ大して記事の数は書けないと思いますので、せめて中身は充実野菜であって欲しい。せめて充実であれ。
『機動警察パトレイバー』のシリーズ記事がストップしているので、何とか再開したいです。
もう一度、胸のエンジンに火を入れるのはなかなか大変なのですが、2018再起動が今年の抱負です。

あと言いたいことは、ファブリーズのTVCMですね。



パパ役に千鳥ノブをキャスティングしているのは喜ばしいことですが、標準語しかしゃべらせないことに何の意味があるんじゃ!ノブが死ぬ!
「シンプルに靴がくさい!」「さすがママじゃ!」など合わせやすいセリフにも出来るのに、せっかくの「神の『じゃ』を持つ男」に標準語のセリフ与えて何がしたいんじゃ!
このCMを企画した無能な広告代理店やCMディレクター、そしてOKを出したメーカーは、猛省のため智弁和歌山高校のノックを受けて頂きたい。

ということで、2月に言うことではないですが、今年もよろしくお願い致します。
次の記事でまたお会いしましょう。

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ファーストこと『機動戦士ガンダム』第41話「光る宇宙」で、ララァを死なせて帰還した直後のホワイトベースでの、このシーンが好きなんですよね。

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よく登場する出撃ハッチに隣接した部屋で、パイロットスーツのままなので、ホワイトベースに帰還したすぐ後なのだろう。
出撃したカイ、ハヤト、セイラに加え、ハロと子供たちまで来て、アムロを囲んでいる。
ちなみにこれはTV版だけのシーン。

今回の出撃でアムロに何があったかは誰も、いちばん距離的に近かったセイラですらきちんと分かっていないだろう。
それでも帰還した直後のアムロを囲んで、恐らく「大丈夫か?」といった心配している。

それに対してアムロの方も、「取り返しのつかない事をしてしまった」直後にあれほど号泣していたのに、皆に笑顔を見せる。

この場面での台詞のやりとりはアムロとハロだけで、セイラやカイ、ハヤト、子供たちの台詞は省かれているが、描かれていないことでそこに恐らくあったであろう自然なやりとりやフォローを想像させてくれる。

アムロ 「大丈夫です、戦えますから」
アムロ 「な、ハロ、大丈夫だろ?僕」
ハロ 「アムロ、ノウハ、レベル、ユウリョウ、ユウリョウ」
アムロ 「ははは、ありがとう」


心配した?ハロが太鼓判を押してくれた「脳波レベル優良」が皮肉めいている。
そうなのだ。アムロの脳波は優良すぎて、戦場で敵パイロットとつながってしまうほどに強い。
それが、つい先ほど起きた悲劇の原因でもあった。

しかしアムロは、気遣ってくれる仲間やハロに対して、大丈夫だと笑顔で強がる。

本当は全然大丈夫じゃない、というのはアムロが後の『逆襲のシャア』まで引きずって生きている事で分かる通り、明らかに嘘でしょう。これは一生物の傷で、それが出来た直後なんですから。


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ただこの嘘は、集まってくれた仲間たちの気遣いに対する優しさの嘘である。
ちなみに「戦えますから」の方は、嘘でも何でもなく本当なのは、この後のア・バオア・クー戦で分かる。 (シャアさんに聞いてみよう)

何かを感じ取った仲間たちは自然にアムロのそばに集まり、アムロもそれが分かっていて、ララァを失った直後であるに関わらず、仲間たちを安心させるために笑顔を見せている。

この場面は、アムロとホワイトベースの仲間たちの関係、すなわち疑似家族的な共同体の成熟を示しているといえるでしょう。

これを踏まえた上で、このあと第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」において、今度はアムロが皆を気遣って「作戦は成功します」と宣言するシーンが訪れます。

「脱出」前の帰ってこれるための布石


ジオンのソーラレイにより、レビルの主力艦隊が壊滅した状態で向かう最終決戦、宇宙要塞ア・バオア・クー攻略。
作戦前、不安を感じる皆のために、アムロが力強く発言します。

マーカー 「第二大隊と第三大隊がNポイントから進攻します。我々はルザルを旗艦として残存艦艇をまとめてSポイントから進みます」
ミライ 「いかにも戦力不足ね」
ブライト 「こちらもソーラ・システムを使えればな」
アムロ 「でも、大丈夫だと思います。ア・バオア・クーの狙い所は確かに十字砲火の一番来る所ですけど、一番もろい所だといえます。作戦は成功します」
ブライト 「ニュータイプのカンか?」
アムロ 「はい」


これが皆を安心させるためだけの嘘であることは、直後のエレベータのシーンで早々に明らかになります。

カイ 「アムロ、さっきお前の言ったこと、本当かよ?」
アムロ 「嘘ですよ。ニュータイプになって未来の事がわかれば苦労しません」
セイラ 「アムロにああでも言ってもらわなければみんな逃げ出しているわ、恐くてね」
カイ 「そりゃそうだな。逆立ちしたって人間は神様にはなれないからな」


これはここまで紹介してきたTV版の流れで言えば、ララァを喪った後の皆の気遣いに対する、お返しの嘘ということになると思われます。

このララァ喪失後の皆の気遣い、最終決戦前の不安に対するアムロの気遣いを見て、ホワイトベースが擬似家族的な共同体として完成しているのを確認しているからこそ、最終話「脱出」時のアムロの選択が感動的になるわけです。

なぜならララァの魅力的な誘惑を振り切れるほどに、「帰って来れる場所」もまたアムロにとって大きな存在になっているから。

「ニュータイプをやる」主人公たちがつく嘘


さて皆さん。
『機動戦士ガンダム』の続編であるTV版『機動戦士Zガンダム』においても、最終決戦直前に主人公のニュータイプは嘘をつくのです。

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第48話「ロザミアの中で」で、ロザミアを自らの手で葬ることで喪い、アーガマに帰還したあと、まずカミーユとファの会話。

ファ「ロザミアさんには言い過ぎたのかしら。あの人には罪がないのにね」
カミーユ「ファは、何も間違ったことなんて言っちゃいないさ。ニュータイプも強化人間も、結局何もできないのさ。そう言ったのはファだろ?」
ファ「でも……」
カミーユ「できることと言ったら、人殺しだけみたいだな」
ファ「カミーユ……」(ファ、去る)


この場面でのファは、矢吹丈に「灰のように真っ白に燃え尽きる」話を聞かされた紀ちゃんみたいになっており、悲しそうな顔を見せるが、そのままカミーユをケアせず去ってしまう。

その後、クワトロがなぜか微笑を浮かべながら、カミーユの肩に手を置いて話しかける。

クワトロ「あまり気にするな」
カミーユ「気にしてなんていませんよ。気にしてたら、ニュータイプなんてやってられないでしょ?」(笑顔)


48_06.jpg

で、カミーユのこの笑顔。
カミーユの言葉が嘘であることは誰もが気付くことですが、クワトロは何も言いません。
おい、ノースリーブ。お前の自室のサボテンに花が咲いているかどうか今すぐ確認してこい。

ホワイトベースのように自然と皆が集まって気遣うシーンようなシーンは無い。
そもそも、それが可能な関係性が出来上がっているならば、カミーユはこの時点ですでにドクターストップになっていただろう。

カミーユ・ビダンはこの時点で己の役割に気づいてしまっているが、そのことに誰も気づかないし、止めようともしない。
クワトロは気づいているかも知れないが何も言わない。
ホワイトベースとアムロは優しい嘘を、嘘と知った上でそれを受け入れる事が出来るような関係を最終的に手に入れたが、アーガマの中には何もない。

お前はアーガマに帰りたいの?


アムロが自らの意思で帰る場所としてのホワイトベースは、ア・バオア・クー戦の中で沈んでしまった。
しかし「帰れる場所」の本質は、当然場所そのものではなく、そこに成立した人間関係やコミュニティにある。
だから、アムロは脱出艇であるランチで待っている皆のところへ迷わず帰ってこれた。

その意味でホワイトベースという場所を最後に失ってしまうことに物語的な意味はあっただろう。
疑似家族的共同体の形成にホワイトベースという船は必須だったが、成立したコミュニティは船を失ったとしても失われない。
そのことがホワイトベースを失うことで明確になる。

ではカミーユ・ビダンはどうか。
最後の戦いが終わった後、カミーユは自らの意思ではアーガマに帰ることができない。
帰ろうとしない、とまで言ってもいいのかも知れない。

アーガマは最後まで沈まなかった。だから帰ってくる場所はある。
場所はあるけれど、そこにはホワイトベースのようなコミュニティは存在しない。
傷ついた魂はアーガマには帰らない。
これはホワイトベースとの対比として象徴的だ。


百式の残骸はそ知らぬ顔で銀河を流れていく。


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あとがきと関連記事


冷蔵庫の残り物でチャーハンを作るように、ありもので2017年内に1記事でっちあげるつもりが叶わなかった。
そのため、元日から記事あげるなんて気合入ってるね!という感じになってしまったが、もちろんそのような甲斐性はない。

成長物語としての『機動戦士ガンダム』と、ニュータイプへ覚醒したアムロが擬似家族に帰るまで辿った「心の回り道」

ホワイトベースで生まれた疑似家族的な共同体と、それに最後のメンバーとして参加したアムロ・レイのお話。
今回の記事と関連したTogetterまとめですので、宜しければどうぞ。

フォウ・ムラサメが三度死んだとき、ロザミアはようやく兄を見つける。<『機動戦士Zガンダム』「ロザミアの中で」でのカミーユの絶望>

今回の記事でも登場した『機動戦士Zガンダム』の第48話「ロザミアの中で」を深く掘り下げた記事。カミーユにとって「ロザミアの中で」がいかに絶望するものだったのか。

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「永遠のフォウ」は耐えられるが、「ロザミアの中で」は耐えられない。


これは私が『機動戦士Zガンダム』を見て以来、長年思っていることであり、ブログやTwitterなどでも何度か書いていることでもあります。

「永遠のフォウ」とは、『機動戦士Zガンダム』第36話のサブタイトル。
この回で、ティターンズの強化人間であるフォウ・ムラサメという少女が、敵である主人公カミーユ・ビダンをかばって戦死します。
これ以前のニューホンコン編においてカミーユとフォウは出会い、彼にとって特別な女の子となりました。
彼に与えた影響の大きさを考えるならば、この作品のメインヒロインと言っても過言ではないでしょう。

もう一方の「ロザミアの中で」も、同じく第48話のサブタイトル。
この回では、ティターンズの強化人間であるロザミア・バダムという少女が、命を落とします。
ただし、フォウとは違い、カミーユ自身の手によってそれはなされます。




今回は、フォウ・ムラサメとロザミア・バダム、2人の強化人間と、カミーユとの関係を追いながら、なぜ「ロザミアの中で」が私にとって耐え難いものなのかをお伝えしたいと思います。




フォウ・ムラサメとは何だったのか


今回の主役はロザミア・バダムですが、ロザミアの事を語るには、フォウの事も語る必要があります。

フォウ・ムラサメについては以前、記事を書きました。

シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>

この記事から、ロザミアを語る上での前提として要点だけを取り出して、かんたんにまとめておきましょう。(詳細を知りたい場合は、記事本文をご確認ください)

  • 『機動戦士Zガンダム』第11~20話「地球編」で、カミーユは様々な「過去」との対峙を迫られる。
  • ニューホンコンで出会ったフォウ・ムラサメもその一人。彼女は「過去に生きる少女」である。
  • 未来に生きようとするカミーユと、過去に生きるフォウの心は哀しくすれちがう。
  • 最終的にカミーユはそのフォウによって、自分の名前(過去の自分)を肯定する事ができた。
  • カミーユを宇宙に送り出し、フォウの役割は終わる。(一度目の死)
  • キリマンジャロでのフォウ再登場はまさに殺すためだけのもの。(二度目の死)
  • その死により、カミーユにとって過去でも未来でもなく「永遠のフォウ」という存在になってしまう。

ニューホンコンでのフォウとの別れは、場面としてはせつないものですが、カミーユに与えた影響としてはあくまでポジティブなもの。
少女からの承認を通して、地球編ラスボスである自分の過去(名前)を肯定できるようになっています。
第1話においてジェリドの一言で見境なくキレるカミーユとは、もうこの時点で決別していると言っていいでしょう。

しかしキリマンジャロでの出会いと別れは違います。
カミーユが受けたのは哀しみと絶望だけ。そしてその絶望は、フォウによってのみもたらされたわけではないのです。

「永遠のフォウ」という儀式


「永遠のフォウ」は、一度死んだフォウ・ムラサメをわざわざ再登場させて、もう一度殺すという、何かの儀式のような回です。
新訳こと劇場版『Zガンダム』で丸々カットできるぐらいに物語的には大して意味がないパートです。
フォウの役割はニューホンコンで終わっており、そこでの死別で何も問題はありません。劇場版もそう処理しています。

ただフォウ再登場に物語的な意味はないが、まさに儀式という意味だけはあったような気がしています。
なぜなら、TV版『Zガンダム』でカミーユが最終的に迎える過酷な運命――その運命に向かう不可逆の分岐点が、この「永遠のフォウ」であると思うからです。

これを確認するためにキリマンジャロ編がどのような回か思い出してみましょう。

フォウを再登場させ、再度殺すのをある種の「儀式」であると表現しましたが、この儀式の立会人が、クワトロ・バジーナ(シャア)とアムロ・レイであったことが重要です。

「軍に利用されたニュータイプ少女」を救おうとするカミーユに対して、この2人の大人は何もしてやることが出来ません。

以前より何度か書いていますが、富野ガンダムにおいて、巨大モビルアーマーは不安定な少女たちが籠城する心の城。
四方八方に乱れ飛ぶ拡散メガ粒子砲の光は、少女たちが泣き叫ぶ涙です。
さらに強化が進められたフォウは幻の過去を求め、地上から、サイコガンダムから離れることができない。

結局、この回のコメディリリーフでしかなかったジェリドが、それが周到な前フリであったかのように冗談にならない攻撃を放ち、それをフォウのサイコガンダムが(なぜか)頭部でかばうことによって、カミーユはフォウを永遠に喪いました。
経験としては、かばわれることでララァを喪ったシャアに近い状況でしょうか。

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フォウの亡骸を抱いて泣くカミーユを見ながら、直接の先輩とも言える2人の大人は

アムロ「人は、同じ過ちを繰り返す……。全く!」
シャア「同じか……」


などと、神妙な顔でもっともらしい事を言っているだけ。

この悲劇の立会人に、わざわざシャアとアムロが選ばれたのは、彼らがかつて「軍に利用されたニュータイプ少女」を巡って「過ち」を経験した当事者だからでしょう。

自分たちが死ぬ瞬間まで後悔し続けるその「過ち」の経験者であるにも関わらず、彼らはカミーユに大人の顔して「深入りはよせ」などと言うばかりで、結局、過去の自分達(カミーユとフォウ)を救うことができず、「同じ過ち」を再生産してしまいました。

ちなみにシャアとアムロは、この時代のさらに後、『逆襲のシャア』におけるクェス・パラヤのケースで、さらにニュータイプ少女をみすみす死なせているので、本当に「同じ過ち」を何度も繰り返しています。なんどめだナウシカ。

「永遠のフォウ」は、先に述べたように物語的な意味はほぼありません。
しかし、フォウを永遠に喪ったというだけでなく、アムロとシャアが立会い、さらにそれに対して無力で、「過ち」の再生産を繰り返した(彼らもそれを認めている)というのが象徴的で、これこそがひとつの絶望の儀式であろうと思います。

カミーユはフォウの亡骸を抱いたまま動かない。キリマンジャロ基地の爆発が始まる。

クワトロ「カミーユ。かわいそうだが、君はまだ死ねない身体だ」


と、クワトロとアムロは、カミーユを抱えて戦場を後にする。
結果論に過ぎないが、「かわいそうだが、君はまだ死ねない」というのは、カミーユにとって本当に残酷なセリフだと思う。

ちなみにカミーユがキリマンジャロに降り立ったのは、クワトロの百式が敵の攻撃により予定外に大気圏に落ち始めたのを救出した為で、これも結果から見れば、クワトロの命を救って、代わりにフォウを喪ったとも言えるでしょう。
そんな男が、偽名に偽名を重ねて、本来背負うべき役割から今も逃げ続けている。

この回は、カミーユとクワトロの以下のやりとりで幕を閉じます。

カミーユ「僕はもう、あなたのことをクワトロ大尉とは呼びませんよ。あなたはシャア・アズナブルに戻らなくてはいけないんです」
クワトロ「そうだな、カミーユ」



ロザミア・バダムという妹


フォウを喪ったあと、再度宇宙に上がったカミーユの前に、ロザミア・バダムが現れます。
前半にも登場していますが、フォウと同じ強化人間として、カミーユを兄と思い込むよう洗脳されての再登場。
本記事のメインですし、ちょっと以前書いたロザミアの紹介をリライトして掲載しておきましょう。

地球連邦軍のオーガスタ研究所で調整を受けた強化人間。精神調整と共に体も強化されている。一年戦争時のコロニー落としが精神に大きな傷を残しており、ティターンズはそこを利用しエゥーゴを敵と思わせるようローレン・ナカモトに精神操作させた。(Wikipedia:ロザミア・バダム


ロザミアは17歳という設定だそうだ。カミーユと同年齢ということになるだろうか。
私はイメージでなんとなく24歳ぐらいだと思っていた。劇中でカミーユの妹にしては老け顔だ、姉に見える、といった感じのやりとりがあったせいかも知れない。

明らかに20歳すぎである女性が、記憶操作によって年下のカミーユを「お兄ちゃん」と呼ばされる、という方が、いとしさとせつなさとグロテスクさとが高まって良いと思うので、今後も私の中では24歳ぐらいのイメージにしておこうと思う。

このあとさらに記憶を操られ、カミーユでなくティターンズパイロットのゲーツ・キャパを兄と思い込まされるので、いわば三段階で精神が変質させられたキャラクターと言えるだろう。

兄役のゲーツ・キャパを演じるのが矢尾一樹というところが味わい深い。
後番組である『機動戦士ガンダムZZ』において、彼はジュドー・アーシタという宇宙世紀最強の兄を演じることになる。

話をロザミアに戻す。
ロザミアは「突然現れた押しかけ美人妹(血縁なし)」という、とんでもないキャラクターでカミーユに接近します。
しかし、「そんな都合のいい人間がこの世にいるわけないだろ。いるとすれば軍に記憶操作された強化人間であり、スパイだ」というのが、富野アニメ的な世界観でございます。

とはいえ、オタク的な願望をハードな設定で皮肉っているわけではなく、結局の所どう理由をつけても、都合よく悲劇の少女を消費してしまうことについての言い訳であり、少女の本意でなく、背後に悪い大人(作品の中にも、作品の外=制作者にも)がいるせいだと、少女の罪を免責するための仕組みであったろうと私は思っています。
大人としての狡さと誠実さと。

そのあたりの事は「洗脳少女」という切り口で過去に記事を書いていますので、興味があればご覧下さい。

だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>

でも、この翌年に「押しかけ妹(血縁なし)」を本多知恵子声でやるのが、さらにえげつない。


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ロザミア=記憶を手に入れたフォウ


フォウ・ムラサメは過去の記憶に囚われ、カミーユの「宇宙へ行って、エゥーゴの技術で記憶を取り戻そう」という誘いも拒絶し、地上から、サイコガンダムから離れられずに、宇宙に上がることのないまま生を終えました。

一方ロザミアは、家族に関する偽の記憶を植え付けられ、さらにはカミーユを兄と思い込ませることによって、宇宙へ上がり、カミーユとの再会を果たしています。

そう考えればロザミアは、「記憶を手に入れて宇宙に上がったフォウ」といえるのかも知れません。
もちろん、その記憶はティターンズが人工的に植え付けたものに過ぎないのですが。

ただ「宇宙へ行って、エゥーゴの技術で記憶を取り戻そう」と主張していたカミーユだって、そこに何の保証もあったわけではありません。事実アーガマでは、ロザミアを精密検査しても強化人間であることが分かった程度で、特に何も対策が打てていません。

例えば、カミーユがフォウを救出し、宇宙へ連れ出したとする。そこでエゥーゴの医療スタッフや研究者に「無い記憶を取り戻すことは出来ない。精神を安定させるために、ニセの記憶を植え付けるしか手はない」などと言われたとしたら、どうするだろう?
それは、悪意と善意、異なるベースとは言え、本質的にティターンズがロザミアにした事と何が異なるだろうか。

これはあくまで意地悪な仮定に過ぎないが、ロザミアが、フォウ・ムラサメのありえた可能性のひとつである事は確かでしょう。

第47話「宇宙の渦」での体験


ロザミアは精神不安定の中で、結局アーガマを去り、第48話「ロザミアの中で」で、敵として再びカミーユの前に現れます。

その前にまず抑えておくべきは、前回が第47話「宇宙の渦」であることです。
この回では、ハマーンのキュベレイとカミーユのZガンダムは、戦闘中に精神が共鳴して、深いレベルでつながります。
ララァとアムロの再現のようなシーンですが、ニュータイプであるハマーン本人が、カミーユを拒絶してすることで終わります。

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カミーユ「僕は、チャンスがあったのにハマーンを殺せませんでした」
クワトロ「気にするな。それは私の役目だったのだろう」


カミーユはこの体験を通して、つながった相手であるハマーンを殺せなかった事を悔み、それをクワトロが適当な事を言ってなだめて、「宇宙の渦」の回は終了します。

適当な事というか、クワトロの責任という意味では真理ではあるのですが。
根本的にクワトロいやシャアの責任である、という記事を以前書きましたので、興味のある方はどうぞ。(こうして見ると、ちゃんと要所の記事は書いてるんだな。えらい)

僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>

ニュータイプ同士に精神の深いところでつながる能力があったとしても、それと分かり合えるかどうかは全くの別。
それでは、ニュータイプが持つ力とは、ニュータイプに出来ることとは一体なんなのか。

それを抱えたままカミーユは第48話「ロザミアの中で」を迎えます。

ロザミアの中でカミーユが見たもの


第48話の冒頭で、カミーユはブライト、クワトロとこのような会話を交わします。

カミーユ「もし、このままアクシズがグラナダに落ちたら、僕の責任です。僕がハマーンを殺せなかったから」
クワトロ「ハマーンが死んでもアクシズは落ちていた。気にするな。キュベレイを動けないようにしただけでも、カミーユは十分やった」
カミーユ「でも、モビルスーツは直せます。ハマーンは、倒せば……直せないんだ」
ブライト「カミーユ、いつからそんな苦労性になった?」
カミーユ「苦労してますからね」
ブライト「アクシズの方は任せておけ。カミーユは少し休んでいろ。いつモビルスーツ戦になるかもしれないんだからな」
カミーユ「はい」
クワトロ「カミーユ・ビダンか……。いい方向に変わっているようだが……」


未だにハマーンを殺せなかったことを悔やむカミーユ。
一度は精神がつながった相手とは思えない、いや、つながったからこそなのか。拒絶され、ハマーンの本性を見たからこそ、死ぬべきであり、殺すべきである、と考えているのか。それにしても――。

前回ラストの後悔をさらに引きずっているこのカミーユを見て「いい方向に変わっている」と考えるクワトロは、色んな意味でどうかしていると思うが、カミーユを誘い、戦場に出し、さまざまなものを背負わせた張本人のセリフにはふさわしいかも知れない。

ファ「少しは休んでいなくっちゃ。カミーユ。ね、戦争が終わったらまた前みたいに学校へ行ってケンカして、昔みたいになるわよね?」
カミーユ「ファ……」
ファ「ね? カミーユ」
カミーユ「元通りにはならないさ。オレは自分の役目がわかってきたから」


このカミーユの台詞は、結末への予兆という意味で有名なもの。
カミーユが考える「自分の役目」というのが明らかになるのが、前回「宇宙の渦」であり、今回の「ロザミアの中で」になる。

フォウと同じくサイコガンダム(Mk-II)で出撃するロザミア。
精神を安定させる為に、ティターンズのパイロット、ゲーツ・キャパを兄として信じ込まされたが、アーガマに接近したことで再び不安定になり、さらにシロッコのモビルスーツ隊の強襲に、ゲーツが対応するために、ロザミアとの交信ができなくなる。

一方のカミーユは接近する敵の気配に、フォウ・ムラサメを感じ、Zガンダムで出撃する。

この回では、カミーユが何度もロザミアをフォウと見間違える描写がされる。
フォウの幻影を見るだけでなく、フォウの幻聴も聞く。

フォウ「やっと会えたね、カミーユ。もう、離れないから」


カミーユが逃げ込んだコロニーの中で、ファに銃を突きつけるロザミア(カミーユはフォウの幻を見る)。

48_01.jpg

ファはロザミアの家族の記憶が偽物だと告げる。違う、お兄ちゃんがいる、とそれに反論するロザミア。
そこへカミーユが声をかける。

ロザミア「家族はいた。父と母と、お兄ちゃんと……」
ファ「そのあなたの記憶は偽物なのよ」
ロザミア「違う、あたしにはお兄ちゃんがいる!」
カミーユ「ロザミィ、一緒にボートで遊んだこと、覚えていないのか?」
ロザミア「お前はお兄ちゃんとは違う。あたしはロザミアだ。ロザミィじゃない」


直後、頭の痛みを訴えたロザミアは、泣きながら「お兄ちゃん!」と、兄を求め飛び出していく。
走り去るロザミアにフォウの姿を見て、思わず「フォウ」と呼びかけてしまうカミーユ。

このシーン。いつもなら兄として呼びかけるカミーユに、ロザミアなら一瞬でも応えるところを、一切の迷いなく「お前は兄ではない」と瞬時に切り捨てている。

この回のサブタイトル「ロザミアの中で」とは、要するにカミーユが「ロザミアの中で」フォウを見た、フォウを感じた、という意味になるだろう。前述したように、そのような描写はしつこいほどされている。

しかしそれはロザミアから見れば、カミーユは自分を見ていない、という事を意味する。
そんな存在は「お兄ちゃん」ではありえない。

ロザミアの事を「記憶を手に入れたフォウ」と表現したが、そういう存在だからこそカミーユはロザミアにフォウを重ねて、今度こそは少女を救おうとしただろう。「人は過ちを繰り返す」だけではないはずだ。

だが、それゆえにカミーユが見ているのはフォウ(の幻影)であり、ロザミアではない。
皮肉なことにそれがカミーユに、ロザミアの兄の資格を失わせた。
目の前にカミーユがいるのにも関わらず、お兄ちゃんはどこ?と兄を探しさまようロザミィ。

この時の兄を求めるロザミアの悲痛な声を、ゲーツ・キャパはしっかり受け取っている。
同じく偽物の兄ながら、ゲーツ・キャパは最後までロザミアを気にはしている。
しかし、シロッコのモビルスーツ部隊の迎撃という上官バスクの命令を優先し、ロザミアの所には全く来てくれない。

この回でロザミアは、2人の兄の両方から自分の事を見てはもらえなかった。

主人公にできることがない。ただひとつの事をのぞいて


最終局面。サイコガンダムに乗り込んだロザミアは、メガ粒子砲を乱射しながら兄を求めてさまよう。
撒き散らされるメガ粒子の光は、ロザミアの涙だ。大号泣と言っていい。

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発狂状態のサイコガンダムが、アーガマに迫る。

カミーユ「誰でもいい!止めてくれ!」


カミーユが叫ぶ。これは誰あろう、ガンダムに乗るニュータイプの主人公の叫びだ。

だが思い出して欲しい。キリマンジャロにおいて「過ち」界のパイオニア、「過ち」パイセンこと、シャアとアムロの2人が揃っていても
少女一人を何ともできなかったのに、誰にも止められるわけがない。
そしてもちろん、ロザミアに兄として映らなくなったカミーユ自身にも止められるわけがない。

カミーユ「ロザミィ、か、かわいそうだが、ちょ、直撃させる!」


「かわいそうだが直撃させる」以外に、ロザミィにしてやれることが何もない。この絶望。

本当に?本当に何もないのか?何もない。何もないことはアムロとシャアが証明し、さらに言い訳のように説明した。人の愚かな過ちはただ繰り返されるのだと。
カミーユにとっても救うべき少女の悲劇が、フォウに続き、ロザミアと繰り返されたことになる。

かくしてロザミィめがけ、救いの矢は放たれる。

48_04.jpg

ロザミアの求める「早く」と、フォウの求める「早く」


射撃の直前。カミーユの目の前に、ロザミアとフォウのイメージが描写される。
この記事を書くにあたり、「ロザミアの中で」を見直したときに、この場面での2人の台詞の違いに改めて気づいた。

ロザミア「(早く来て、お兄ちゃん!)」
フォウ「(早く!)」
カミーユ「フォウが……」
フォウ「(早く、カミーユ!)」


ロザミアが「早く」と言っているのは、どこにもいない兄に対して、私の元に早く来てと言っている。
フォウも同じく「早く」と言っている。しかし、フォウの言う「早く」は、明らかにロザミアが希望している「早く」とは違う。
またカミーユが反応しているのも、フォウの言葉であり、その直後に引き金が引かれている。

サイコガンダムの頭部を直撃も、キリマンジャロのフォウと全く同じ結末であり、これはカミーユ自身の手による三度目のフォウ・ムラサメ殺しといえるでしょう。

救うべき少女を自らの手で葬ってしまうというのは、ララァに対するアムロの体験であり、キリマンジャロのかばわれて喪うというシャアの体験と合わせて、これで両方の体験をコンプリートしたことになる。アムロとシャアが一生背負ったものを両方……。

さらにそれでありながら、最後の最後にロザミアにこう言わせる。

ロザミア「見つけた!お兄ちゃん!」



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ロザミアが最後に見つけたお兄ちゃん。だがお兄ちゃんには誰が見えていたのだろうか。
フォウの導きで彼女の幻影を葬り去った瞬間、ロザミィのお兄ちゃんにまた戻ったのかも知れない。
いや。そもそも見つけるも何も、お兄ちゃん自体が偽記憶で存在などしていない。
お互いが幻を見ていたようなものにすぎない。

それでもロザミアは、最後にお兄ちゃんを見つけた。

劇場版の為に取り除かれたものはなにか


以前から「永遠のフォウ」は大丈夫だが「ロザミアの中で」は耐えられない、と何度も言っているのはこのあたりによります。
それを伝えるため、今回は長々と說明してまいりました。お付き合い頂き、ありがとうございました。

この回は、アーガマに戻った後の以下のようなやりとりで締めくくられます。

ファ「ロザミアさんには言い過ぎたのかしら。あの人には罪がないのにね」
カミーユ「ファは、何も間違ったことなんて言っちゃいないさ。ニュータイプも強化人間も、結局何もできないのさ。そう言ったのはファだろ?」
ファ「でも……」
カミーユ「できることと言ったら、人殺しだけみたいだな」
ファ「カミーユ……」(ファ、去る)
クワトロ「あまり気にするな」
カミーユ「気にしてなんていませんよ。気にしてたら、ニュータイプなんてやってられないでしょ?」(笑顔)


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クワトロ大尉、カミーユは良い方向へ変わっているんでしたよね。良かったですね。


この状態でカミーユは、ラスト2話の最終決戦、「生命散って」「宇宙を駆ける」へ進みます。
「永遠のフォウ」「ロザミアの中で」を踏まえたTV版の結末は、必然のものといえるでしょう。

劇場版『Zガンダム』においては、カミーユはTV版と違った結末を迎えましたが、個人的には『ブレンパワード』『∀ガンダム』『キングゲイナー』と作品を追っていれば、結末が変わること自体は理解できるものでした。
この三作を見ている人にとっては、『Zガンダム』に対するスタンスの変化も分かるし、ラストの変更も正直、想定の範囲内でしかありませんからね。

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だからこそ私は当時、そもそも劇場版『Zガンダム』三部作を作る必要がないのでは、と否定的に考えていました。
(ガンダム以外の新作を求めていた私にとっては、劇場版制作の発表は絶望に近かった)

しかし『Zガンダム』だからこそ、新訳劇場版を見たという人も多くいたでしょうから、『Zガンダム』の形を借りなければ、より広く、また分かりやすく変化を伝えることができなかったとも言えるのだと思います。

そう考えれば、映画制作前から予測可能だったラストの変化に注目するよりも、変化するラストのために取り除かれたものは何か、を考える方が面白く、意義があるのではないでしょうか。

「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」は、劇場版『Zガンダム』からカットされたエピソードです。

キリマンジャロでのフォウの二度目の死は、カットも当然と思うほど物語的には意味がないものですが、TV版においては儀式としての意味はあり、それはロザミアへの直撃、すなわちフォウ三度目の死の儀式につながっています。

「永遠のフォウ」をカットして「ロザミアの中で」だけを残すことは出来ないし、もちろんその逆も出来ません。カットするなら、全てカットするしかありません。

それに前述したように、「永遠のフォウ」がTV版カミーユの運命の分岐点なのであれば、尺の問題以前に、「永遠のフォウ」&「ロザミアの中で」を収録しては、どう再編集しても劇場版のようなラストを迎えることはできないでしょう。

だから劇場版でのカットは妥当です。
繰り返し述べているように、大きなストーリーラインとしての意義は薄いのも確かです。
しかし、TV版の結末を迎えたカミーユを理解するためには、極めて重要な要素だろうと思います。




TV版『機動戦士Zガンダム』を確認したくなった皆様へ


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今ならまだ間に合う! 見ることができる環境の方は急いで見よう。



ぜひTV版『Zガンダム』で、あなたのお兄ちゃんを見つけて下さい。


生きてるってなんだろ。生きてるってなあに。


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遅まきながら、あけましておめでとうございます。
新年初めての記事なので、一応あけおめせざるを得ない。

毎年恒例、1年間のブログ活動のまとめ記事でございます。今回は昨年2016年度のご報告となります。

2015年に書いた記事数は、わずか5本。
これはさすがに最低記録だろう……と落ち込んでいたら、調べてみると2012、2013年も5本でタイ記録。
そう考えると、ボジョレー・ヌーボー的な「最低と呼ばれた、12、13年に匹敵する出来栄え」みたいなものだな、と安心しました。(してはいけない)

数は少ないですが、記事自体は「エレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わい」との評判でございます。
まだご覧になっていない方は、この機会にぜひどうぞ。

2016年度 ブログ記事 厳選ベスト5!(もう何も言うな)


エントリーNo.1 「ニュータイプ」の証拠を探しにいこう


アムロはシャアを、いつニュータイプだと認識したのか?<TV版『機動戦士ガンダム』での相互不理解と「貧しい愛」>

「シャアって、ニュータイプなの?」と、友人にストレートな質問をされた事がきっかけで書いた記事。
この質問、簡単に答えられそうで、実は結構難しいのです。

この記事ではTV版『機動戦士ガンダム』において、タイトル通りアムロがシャアの事をいつニュータイプと認識していたのか?ということを検証します。

もちろん検証だけでは終わらず、書こう書こうと思いながら今まで書けていなかかった、シャア・アズナブルの「貧しい愛」について考えます。

アムロのシャアに対するニュータイプ判定については、ファーストガンダムの事に詳しい人ほど、映画や小説、後の作品や情報など知識が豊富なため、意外に感じるのではないかと思っています。

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エントリーNo.2 カミーユとフォウの交わらない過去と未来


シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>

『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」の歌詞の読み解きを中心にして、そこからカミーユとフォウの哀しい対比構造について書いています。

タイトルの「銀色ドレス」ってなんのこと? この歌はどういう視点の歌? シンデレラ・カミーユって?
などの疑問にお答えいたします。

この記事の最後に「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」について触れていますが、この2つの関係については、最近Twitterでツイートを色々したので、それをベースにして、ひとつ記事を書くかも知れません。

個人的に、ツイートの清書するだけの記事を書くのはつまらなくて全くモチベーションが上がらないので、何かプラスアルファが上乗せできると確信が持てないと、ブログ記事にはしない傾向があります。
逆に言えば、つまらない清書にしかならないほど、ツイート連投しすぎなのです。
「ブログでやれ」と思っていても言わない、寛大なフォロワーの皆様に支えられて、楽しいTwitterライフをおくっております。

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エントリーNo.3 どうしようザビーネが邪魔する


光る風の中、聞こえてくる「ETERNAL WIND」(のイントロ)<VR元年と機動戦士ガンダムF91「宇宙でセシリー探しゲーム」>

PSVR(ペェスヴァー)対応ゲームとして、宇宙漂流者救出ゲーム「宇宙でセシリー探しゲーム」をやりたいね。
という、当ブログのもうひとつの柱になりつつある、妄想ゲームネタです。サンクスモニカ!

とはいえ、記事数を増やすために12/31に慌てて用意した記事なので、正直ゲーム妄想ネタとしてはかなり弱いです。
通常なら「宇宙でセシリー探しゲーム」をつかみのネタにして、本ネタともいえるオリジナル妄想ゲーム案を紹介するところですが、そこまでいっていません。

その代わり、完全に趣味の替え歌コーナーとか作っておりますので、お楽しみ下さい。
ていうか、せっかくフルで替え歌作ったのに、ノーリアクションだったので、すごく寂しい。
誰か、この歌詞でMAD動画作って欲しい。絶対に面白いはずなんですよ!あー、わかった、わかった。あとは署で聞く。

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エントリーNo.4 天がカズマを許しても、カズマは天を許さない


ポイント全振りキャラクター達が起こす奇跡<『この素晴らしい世界に祝福を!』のシステムに則ったコメディ>

TVアニメ『この素晴らしい世界に祝福を!』の愛すべきキャラクターたちについて。

私は原作なども未読でどんな作品か全く知らなかったので、録画を崩して見て、やっと面白さに気づきました。
メインキャストの皆さんいずれも芸達者ですが、アクア役の雨宮天さんは特に素晴らしかった。
声優さんには疎いのでこの作品で初めてお名前を覚えました。天さん、どうか死なないで……。
と思ったら、雨宮 天(あまみや そら)とお読みすると今知りました。そらかー。

「渡と申します。わたしの天が、何とも不可思議な演技を……」



アニメ第2期が、2017年1月12日から放送開始だそうです。ぜひそのお供に記事をご覧下さいませ。
2期は非常に楽しみですね。1期と違って、リアルタイムで追っかけたいと思っています。

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エントリーNo.5 ゲームにおける最大の暴力装置とは


機械仕掛けの王に仕える、命ある暴力装置<ゲームにおける暴力コントロールのアイデアメモ>

これは「宇宙でセシリー探しゲーム」と違い、がっつりとオリジナル妄想ゲームネタ。

「王(意思決定)」と「従者(暴力装置)」という、2人のキャラクターによる、バディものです。
ただし、プレイヤーは王の命によって行動する「従者(暴力装置)」のキャラクターを担当します。
では、命令を出す「王(意思決定)」は誰が?これはコンピューター(AI)にやってもらいましょう。
すなわち、「AIの主人に仕えて、主人の目的達成のために戦う」というゲームになります。

映画『ターミネーター2』でいえば、ジョン・コナー(AIの主人)を守るターミネーター(T-800)をプレイするようなゲームです。

例によってコンセプトアイデアだけなので、ゲームの全体像については、読んだ皆さんのイメージ力に完全に頼っています。

何度か書いていますが、私は実際にゲームを作るわけではありません。
物語の要素を分解して、それをあるゲームシステムとして設定したときに、何か面白いことが起きるのではないか。
物語というものが、ゲームという表現方法を使うことで、より理解できるのではないか。
という試みです。

ですから、物語と関係がないゲームを妄想したことがありませんし、ゲーム用のストーリーを考えたこともありません。
私が考えたいのはキャラクターやストーリーではなく、物語の要素を分解し、ゲームシステムに入れ、エンジンを回したら、出力結果として物語が再構成されないだろうか。されるとしたらどんな形に?という興味です。

早い話が、物語ゲームの単なる妄想とその開陳に他ならず、基本的には不評のコンテンツです。
ごくたまに面白いと言って下さる方もおられますが、貴兄もなかなかの物好きだね、と思いますね。ありがたいことですが。

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『Fate』のようなものでもあります。




2017年 みなさまのご多幸をお祈りしつつお別れです


以上、選びに選びぬいた、2016年ブログ記事ベスト5でございました。

それにしても、『君の名は。』『シン・ゴジラ』『聲の形』『この世界の片隅に』などの劇場作品に関する記事が一切なく、あとで読んでも、全く2016年っぽさが感じられない、ということになりそう。
この中では『シン・ゴジラ』に関しては、Twitterではかなりツイートはしていたんですけどね。

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2017年は実写版『攻殻機動隊』こと、『ゴースト・イン・ザ・シェル』がちょっと楽しみですね。


こんな感じの映画になるといいなあ。

さて振り返りが終わった以上は、2017年の抱負を述べておくべきなのかも知れないですが、いつものように、それなりにいくつか記事を書いて、その結果をこうした年度振り返り記事で紹介できればいいのではないだろうか。

2016年はネットにおける情報の信頼や倫理が問われた1年だったと思います。
私としても、アニメやマンガを紹介すると見せかけて、単なるSEO用のランキング形式スパム記事のような検索ノイズを生み出そうという気は一切起こらないので、今年も自分が本当に好きなものや、本当に面白いと思ったことだけ書いていく所存でございます。

と言っても、私の書く物の方が価値が高い、ということではなくて、「アニメ ランキング」「マンガ おすすめ」などのワードで検索する層に対して、私が与えられるものは多分何もないだろう、という事に過ぎませんけどね。

それでは今年もよろしくお願い致します。
次の記事でまたお会いしましょう。

(いちばん面白いのは、これで次の記事が「決定版!必見!おすすめ面白神アニメランキング2017」になることだとは思うけど、ネタとしても用意が面倒なのでやりません)

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今回は、『機動戦士Zガンダム』の挿入歌「銀色ドレス」をきっかけに、カミーユ・ビダンとフォウ・ムラサメの関係、そしてカミーユが地球に降りた意味などについて、あれこれ考えてみましょう。


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『銀色ドレス』はとにかく難しい


富野由悠季監督が「井荻麟」というペンネームで行ってきた作詞活動を語りつくす「井荻麟作詞論」。
TOMINOSUKI / 富野愛好病のkaito2198さんが進めている一大連載です。

その第53回 OP・EDおよび挿入歌のビジネス事情その2 が公開されてまもなくのこと。

kaito2198さんと富野アニメの挿入歌について話し合っていたとき、ふと気づく。

私「挿入歌といえば、『銀色ドレス』の記事がまだですよね? なぜなんでしょう?」


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『銀色ドレス』はテレビアニメ『機動戦士Zガンダム』の挿入歌。
連載では、第34回 「銀色ドレス」 として予定されていましたが、第53回に至っても、その記事はアップされていませんでした。このような扱いは「銀色ドレス」のみです。

kaito2198さん「あれは難しいですね……」


その後、それはなぜなのかという説明を受け、私自身も生まれて初めてちゃんと歌詞と向き合ってみて、未だ記事化されてなかったことに納得しました。確かにこの曲、難しい……。

kaito2198さん「いちばん難しいのは、そもそも誰の視点の曲なのか、ということです」


「視点」ですか……ちょっと『銀色ドレス』について整理してみましょう。

『銀色ドレス』は誰の歌?


まず歌詞全体については、以下のリンク先をご覧ください。

銀色ドレス(歌詞タイム)
http://www.kasi-time.com/item-6175.html

視点を考える上で必要な基本情報は以下のとおり。

歌い手:森口博子(女性)
一人称:僕(男性の一人称)
二人称:君


※歌詞中に「暖めておくわ」(女性語)が一箇所あり


劇中での使われ方としては、第20話「灼熱の脱出」で挿入歌として使われました。
カミーユが、フォウの協力で宇宙へ上がるときの曲です。

使われ方から普通に考えれば、女性(フォウ)から男性(カミーユ)に向けた歌でしょうか。
歌っているのも、女性である森口しぇんしぇい(博多風味)ですし。
高杢しぇんしぇい!森口しぇんしぇい!(このネタ、さすがに解説がいるような気がする…)

でも、一人称が「僕」ですから、男性(カミーユ)視点で、女性(フォウ)に向けた歌と考えてもいいのかも知れない。

と思ったら、歌詞中には「暖めておくわ」のように女性語になってる箇所もある。
ではやっぱり、女性の歌? どっちなんだろう?

歌詞が全てロジックで説明されるべきとは思わないけれど、曲にとって大事なポイントである「視点」のレベルで、どう考えればいいのか迷いますね。

女性歌手による「僕」について


やはり、考え所は女性歌手による「僕」にありそうな気がします。

私は音楽には全く詳しくないので、女性歌手による「僕」についても表面的なことしか知りません。
ただ、少し検索などして調べてみると、その効能としては以下のようなものあるようです。
  • 音として「わたし」より「ぼく」の方が、言葉が短くアクセントになる。力強さもある。
  • 女性が「ぼく」と歌うことで、「少年」性を帯びる(中性、性未分化的なものも含む)
  • 女性が男性視点として歌う(その逆も)ことでの、違和感の効果
  • 受け手になる男性への寄り添い、受け入れやすさ(アイドルソングなど)

純粋に、音や字数の問題もあれば、女性歌手+僕で性をミックスしたり、それで何らかの感情を生み出すような効果もあるようです。

そう考えると、「銀色ドレス」は女性視点(フォウ)? それとも男性視点(カミーユ)?ということではなくて、どちらも同時に存在する曲なのではないか、と思えてきました。

その根拠を『Zガンダム』本編に求めてみましょう。
フォウとの出会いを描いた第19話「シンデレラ・フォウ」では、カミーユとフォウはまさしくシンデレラのような時間制限付きのデートを楽しみますが、お城を去らなければならない制約のあるシンデレラは、フォウの方です。

フォウ:夜中の12時までには戻る。それくらいの時間は構わないだろう?
見張り役:12時ですか?
フォウ:今殴ったことは勘弁して欲しい。今は、少しだけ時間が欲しい。
見張り役:わかりました。大尉にはそう伝えましょう。


これでフォウは12時までのシンデレラとなりました。
結局、この後、サイコガンンダムの登場により魔法は解けてしまうのですが。


そして次回となる第20話「灼熱の脱出」では、今度はカミーユに時間制限が付きます。
アーガマが衛星軌道上に、コースを固定できるのは、24時間のみ。
この好機に何としても宇宙へ帰らなければなりませんが、フォウの協力により、スードリのブースターを奪うことでカミーユは無事に宇宙へ戻ることができました。
(この場面で流れるのが挿入歌「銀色ドレス」)

この回のカミーユはいわば、ブースターの馬車に乗り、宇宙へ帰るシンデレラ。
つまりシンデレラ・カミーユになっています。

宇宙に戻ってきたあとで、エマに「地球で恋をして来たんでしょ? 」と指摘されたように、地球に忘れ物をしてきたというのもシンデレラですね。

それぞれがシンデレラを演じた第19話「シンデレラ・フォウ」と第20話「灼熱の脱出」は、こうして対になっており、おとぎ話と同じく束の間の出会いと別れが、カミーユ、フォウの両面から描かれています。

であるなら「銀色ドレス」も、どちらかの曲ではないでしょう。
フォウの曲であり、カミーユの曲であるはずです。
だからこその女性歌唱の「僕」ではないのか。

今日という日はよかった(今日以外はよい日じゃない)


kaito2198さんと色々議論しながら、私たちはこの「シンデレラ・フォウ&シンデレラ・カミーユ視点」で、ひとまず「銀色ドレス」を整理できるのではという手ごたえを得ました。

例えば、そういう視点から改めて歌詞を見てみると、歌い出しもすんなり受け止められますね。

僕も見つめてた 蒼い瞳
ある日 突然に 消えてしまう


ファウもカミーユも蒼い瞳なので、これは2人が見つめ合っているわけだし、突然目の前から消えてしまうのも、片方ではなく2人が共に体験したことですからね。
フォウとカミーユの視点の融合というか、2人の重なりが感じられます。

歌い出しはあくまで一例。
歌詞全体の解説については、kaito2198さんが書かれた記事をご覧ください。

井荻麟作詞論 第34回 「銀色ドレス」
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1331.html

それにしても、毎回こういうレベルでの歌詞の検証をしているのは改めてすごいと思いましたね。

ちなみに個人的には、「銀色ドレス」の歌詞の中ではこの部分が好きですね。

濡れた手を拭いて 全て済むと
君が思うのは いけないけど


この歌が兵士でもあるフォウとカミーユの両方を指すとすれば、何によって手が「濡れて」しまっているのかは、いわずもがな。
図らずも「濡れた手」になってしまった少年と少女が最終的にどうなったかを知っている身としては、やるせない気持ちになります。もちろん手を拭いたからといって全て済むものではないにせよです。

ですが、この歌はけして絶望の歌ではありません。
戦場で敵味方になって殺し合う中で訪れた、一瞬にして永遠の奇跡を描いた歌。
12時までの舞踏会で魅かれ合い、一瞬の出会いを尊いものとして、「今日という日(だけは)よかった」と喜び合う歌です。たとえ、二度と会えないかも知れないとしても。

「銀色ドレス」ってどんなドレス?


今さらですが曲名でもあり、歌詞にも入っている「銀色ドレス」って一体なんなのでしょうか?

シンデレラのイメージとドレスを合わせると、女性用のパーティドレスのようなものを想像しますが、この曲がカミーユの事も歌っていることを考えると、カミーユに殴り殺されるかも知れません。

それにシンデレラのドレスの色は、銀色ではなく青色と決まっているようです。
これは、欧米において、青(ブルー)は、幸せ・忠実・信頼・純潔を表すことから来ているそうで、聖母マリアのシンボルカラーも青。
ブルードレスはシンデレラの「純潔・貞操・清純」などを表現しているようですね。

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では銀色のドレスとは何か?
恐らく一意ではなく、いくつかのイメージを持っているものと思いますが、そのひとつとして私は、銀色ドレス=モビルスーツ説を推したい。

モビルスーツは、宇宙で輝く金属色(メタリック)なドレス。
ここではスーツではなくあえてドレス。

特にカミーユにとっては、宇宙に戻った第20話「灼熱の脱出」の次の回が、第21話「ゼータの鼓動」。
番組タイトルにもなった主役機Zガンダムの初登場回です。

カミーユは、自分がデザインに関わった銀色のドレスで、番組後半の宇宙を駆けることになります。

フォウにとっても、モビルスーツは彼女が着ねばならない一種のドレスなのですが、彼女にとってモビルスーツの存在はネガティブなものでしかないので、フォウに対してはそのまま、キラキラとした美しいドレスのイメージで良い気がしますね。

映像をつくるなら、銀色ドレス=Zガンダムで宇宙を駆けるカミーユと、美しくキラキラしたドレスのフォウを重ねるようなイメージでしょうか…………Zガンダムとキラキラのフォウ?……どこかで見たような?



「銀色ドレス」と同じく、森口博子が歌う後期OP「水の星へ愛をこめて」が、イメージ的には近いんじゃないのか。これ。
フォウは別に銀色のドレスは来てないけど、謎のキラキラに包まれて、カミーユがZガンダムで駆けていく。そうそう、まさにこんなイメージ。
子供の頃から思っていますが、このフォウのキラキラってどういうイメージなんでしょうね。格子状で、何か具体的なものを表現してる気がするんですけど、分からない。鎖とかそういうイメージなのかな。

そもそも銀色ドレスのイメージを「水の星へ愛をこめて」に見出すというのも、何か間違っている気もするけれど、森口しぇんしぇいで上手くつながったような気もして面白いといえば面白い。

過去がない少女と過去を捨てたい少年


「銀色ドレス」では、同じシンデレラとして歌われたカミーユとフォウですが、そんな2人が一瞬の邂逅のあと別れることになったのは、共通点ではどうにもならないほどに根本的な違いがあったからでしょう。


強化人間フォウ・ムラサメは過去がない少女。
「強化」のため、自身の過去の記憶や本当の名前すら失っており、「フォウ・ムラサメ」という名前もムラサメ研究所の4(four)番目の被験体ということで与えられたものに過ぎない。

フォウが戦う理由は、それで過去の記憶が取り戻せると信じているから。
(正確には、ムラサメ研究所がそう信じさせているだけ)

何もない彼女は、記憶が、過去がどうしても欲しい。その意味で彼女は「過去」のために生きるキャラクターです。

ではカミーユはどうか。

カミーユと言う名前で生きてきた過去は、彼にとってコンプレックスであり、少し複雑な両親との家庭環境も含めて、出来れば否定して捨て去りたいものだろうと思います。
だからカミーユは、盗んだガンダムで走り出す。行く先も分からぬまま。暗い宇宙の帳の中へ。
でなければ、あんなにも簡単に日常を捨て去ることはできないでしょう。

コンプレックスである過去から目を背けての行動ですから、未来といってもポジティブな面だけではありません。
若者らしく屈折はしていますが、それも含めて前しか見えないという「未来」志向のキャラクターです。

「未来」に生きるカミーユと、「過去」に生きるフォウの会話は悲しくすれちがいます。

カミーユ:本当の名前は?
フォウ:わからないわ。私には昔の記憶がないのよ。知りたいんだ、昔のこと。それを探していたの。
カミーユ:でも、思い出なんて、これからいくらでも作れるじゃないか。

※中略

カミーユ:フォウ、アウドムラへ行こう。君が連邦軍にいる理由なんてないんだ。
フォウ:あそこに、あそこに私の記憶があるの。あの飛行機が私に記憶を持って来てくれる!
カミーユ:フォウ
フォウ:孤独はイヤ! 紛らわしたくても紛らわす思い出もないのよ。両親のいるカミーユには、理解できないでしょ。

※中略

フォウ:私は記憶が欲しいの。自分のことをもっと知りたい!
カミーユ:フォウ、出て来るんだ。
フォウ:Mk2を倒せば、ムラサメ研究所は私の記憶を戻してくれると言っていた!
カミーユ:それは違う! そんな約束、あてになると思っているのか?
フォウ:自分のことを知りたいのが、いけないことなの?
カミーユ:フォウ、宇宙へ行こう。
フォウ:宇宙へ?
カミーユ:エゥーゴの技術なら、君の記憶を取り戻せるよ、フォウ。
フォウ:研究所で治せなかったことを、宇宙で治せるものか!
カミーユ:やってみなくちゃわからないだろう?


カミーユは、宇宙へ行けば記憶を取り戻せると説得する。もちろんその保証などありません。
ただカミーユは未来を信じている。

だが過去にこだわるフォウは、カミーユの語る無根拠な未来を信じることができない。
彼女は結局サイコガンダムから降りず、明るい未来が待つという宇宙に出ることのないまま、その生涯を終えました。

つまり、この2人の関係は、

宇宙=未来=カミーユ vs 地球=過去=フォウ

という構造になっています。

ホンコンでの一瞬の出会いのあと、カミーユが宇宙へ戻ってZガンダムを手に入れ、フォウはサイコガンダムから離れられないまま、宇宙に上がることなく終わってしまう、というのは示唆的です。

この時点でのカミーユを、宇宙=未来の象徴的キャラクターとして見たとき、フォウとの出会いだけではなく、この一連の地球パート全体が、過去との対峙といえるかも知れない。
ちょっと地球編を振り返ってみましょうか。

地球での過去との対峙


カミーユが地球に降りるのは、第11話 大気圏突入からです。
なぜ地球に降りるのか。地球連邦軍(ティターンズ)の拠点である南米のジャブローを攻撃するためです。

ジャブロー基地は、前作『機動戦士ガンダム』に登場した、まさしく過去の象徴的な場所です。
過去には激戦が繰り広げられ、アムロ達が必死に守った重要拠点ですが、『Zガンダム』では、カミーユたちは攻めこむ側。
しかし、激戦どころかジャブロー基地はもぬけのから。核で消滅させられてしまいます。
カミーユは、伝説のホワイトベースクルーのひとり、カイ・シデンをレコアと共に救出します。
これが、最初の「過去」との出会い。

それから、カイ・シデンを皮切りにして、前作『機動戦士ガンダム』の人々と出会います。
ハヤト・コバヤシ、カツ・コバヤシ、そして、一年戦争の英雄アムロ・レイ。
ホンコンで、ミライ・ヤシマ。

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ベルトーチカ・イルマには「アムロさんにMk2を譲らない?」と、ガンダムのパイロット(主人公)の座を、過去の主役に譲るように迫られる。だがカミーユは絶対に、その座を譲らなかった。

これもひとつの過去との対峙だと思いますが、この件については以下の記事にて詳しく書きましたので参照されたい。

カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-225.html

そして、この記事で詳しく取り上げた、「過去」に生きる少女フォウ・ムラサメとの出会い。

ここでカミーユは、コンプレックスだった過去をフォウに話し、少女の承認を経て、自分の名前(過去)をついに受け入れる。

フォウ:カミーユ……カミーユ、もう一度だけ聞いて良い? 今でも「カミーユ」って名前、嫌い?
カミーユ:……好きさ!……自分の名前だもの!」


カミーユは最終的にフォウに自分の名前について訊かれ、自分の名前だから好きなんだ、とまで言えるようになります。

宇宙=未来=カミーユという構造を前提に、この地球編自体を「過去との対峙」編なのだとすれば、そのラスボスというか最終イベントは、カミーユが彼自身の過去と対峙し、それを受け入れることが出来るのか、ということになるでしょう。
そして、それを可能にしたのが、そもそも嫌いになる名前も過去の記憶も何もない少女だった。

「過去は、記憶は、すばらしいもの」と無条件に肯定できるフォウという存在によって、カミーユは過去を乗り越え、再び宇宙に戻ることができました。
しかし、そのフォウのキャラクターは強化人間として人工的に、強制的につくられた、という歪んだものです。
それでもそんな彼女でなければ、カミーユは救われなかったかも知れない。でも、フォウは――。

この、こうでなければ2人は出会うことも、その先もなかった。だが、それでもなぜこの2人は出会ってしまったのか。
というのは、前作のアムロとララァとの出会いにも言えますが、富野作品で特に特徴的な因果ですね。
個人的には、この因果のやるせなさが、富野作品の強力な魅力のひとつです。

それでいくと、地球=過去を背負ったフォウは、カミーユは救えても、彼女自身は地球から出られない(救われない)んですよね。この構造のままでは。

「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」


はっきりいって、フォウというキャラクターはホンコンで役割を終えているので、キリマンジャロでの再登場は物語としては必要がないと思います。

総監督の富野曰く、テレビシリーズの当初の構想ではフォウは第20話「灼熱の脱出」で死なせる予定であったとの事である。しかし、そこでフォウを死なせてしまったらストーリーが1年続かない事に気付いたため、うやむやな形で生死不明という事で一時離脱させ、第35話「キリマンジャロの嵐」で再登場させたという。従って、劇場版では当初の構想を忠実に反映させた話の流れとなっている。
Wikipedia:フォウ・ムラサメ


フォウの地球(ホンコン)での役割はすばらしいけれど、殺すためだけに登場させたキリマンジャロは見ていてつらいですね。
ホンコンで一度、キリマンジャロで一度、二度殺す必要はありません。
劇場版でカットされたのは、彼女のためにも当然にして優しい処理だったと思います。

ただ、キリマンジャロにおいて、カミーユの目の前で死ぬことによって「永遠のフォウ」になるでしょう?
もう過去も未来もなく永遠の存在になってしまう。宇宙で未来を生きるはずだったカミーユが最終的にああなってしまったことを考えると「永遠のフォウ」の存在は結構重いような気もします。
カミーユをあの結末に向かわせる分水嶺のようなポイントが「永遠のフォウ」にあったかも知れない。

個人的には「永遠のフォウ」は耐えられるけど「ロザミアの中で」は耐えられないんですよね。
「かわいそうだが、直撃させる」以外にしてあげられることがないって、ニュータイプとか、ガンダムとか何なんでしょうね。
リアルタイムで見ていた時から、何度も見返す今に至るまで、カミーユじゃないけど、宇宙でバイザー上げたくなる。

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