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「永遠のフォウ」は耐えられるが、「ロザミアの中で」は耐えられない。


これは私が『機動戦士Zガンダム』を見て以来、長年思っていることであり、ブログやTwitterなどでも何度か書いていることでもあります。

「永遠のフォウ」とは、『機動戦士Zガンダム』第36話のサブタイトル。
この回で、ティターンズの強化人間であるフォウ・ムラサメという少女が、敵である主人公カミーユ・ビダンをかばって戦死します。
これ以前のニューホンコン編においてカミーユとフォウは出会い、彼にとって特別な女の子となりました。
彼に与えた影響の大きさを考えるならば、この作品のメインヒロインと言っても過言ではないでしょう。

もう一方の「ロザミアの中で」も、同じく第48話のサブタイトル。
この回では、ティターンズの強化人間であるロザミア・バダムという少女が、命を落とします。
ただし、フォウとは違い、カミーユ自身の手によってそれはなされます。




今回は、フォウ・ムラサメとロザミア・バダム、2人の強化人間と、カミーユとの関係を追いながら、なぜ「ロザミアの中で」が私にとって耐え難いものなのかをお伝えしたいと思います。




フォウ・ムラサメとは何だったのか


今回の主役はロザミア・バダムですが、ロザミアの事を語るには、フォウの事も語る必要があります。

フォウ・ムラサメについては以前、記事を書きました。

シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>

この記事から、ロザミアを語る上での前提として要点だけを取り出して、かんたんにまとめておきましょう。(詳細を知りたい場合は、記事本文をご確認ください)

  • 『機動戦士Zガンダム』第11~20話「地球編」で、カミーユは様々な「過去」との対峙を迫られる。
  • ニューホンコンで出会ったフォウ・ムラサメもその一人。彼女は「過去に生きる少女」である。
  • 未来に生きようとするカミーユと、過去に生きるフォウの心は哀しくすれちがう。
  • 最終的にカミーユはそのフォウによって、自分の名前(過去の自分)を肯定する事ができた。
  • カミーユを宇宙に送り出し、フォウの役割は終わる。(一度目の死)
  • キリマンジャロでのフォウ再登場はまさに殺すためだけのもの。(二度目の死)
  • その死により、カミーユにとって過去でも未来でもなく「永遠のフォウ」という存在になってしまう。

ニューホンコンでのフォウとの別れは、場面としてはせつないものですが、カミーユに与えた影響としてはあくまでポジティブなもの。
少女からの承認を通して、地球編ラスボスである自分の過去(名前)を肯定できるようになっています。
第1話においてジェリドの一言で見境なくキレるカミーユとは、もうこの時点で決別していると言っていいでしょう。

しかしキリマンジャロでの出会いと別れは違います。
カミーユが受けたのは哀しみと絶望だけ。そしてその絶望は、フォウによってのみもたらされたわけではないのです。

「永遠のフォウ」という儀式


「永遠のフォウ」は、一度死んだフォウ・ムラサメをわざわざ再登場させて、もう一度殺すという、何かの儀式のような回です。
新訳こと劇場版『Zガンダム』で丸々カットできるぐらいに物語的には大して意味がないパートです。
フォウの役割はニューホンコンで終わっており、そこでの死別で何も問題はありません。劇場版もそう処理しています。

ただフォウ再登場に物語的な意味はないが、まさに儀式という意味だけはあったような気がしています。
なぜなら、TV版『Zガンダム』でカミーユが最終的に迎える過酷な運命――その運命に向かう不可逆の分岐点が、この「永遠のフォウ」であると思うからです。

これを確認するためにキリマンジャロ編がどのような回か思い出してみましょう。

フォウを再登場させ、再度殺すのをある種の「儀式」であると表現しましたが、この儀式の立会人が、クワトロ・バジーナ(シャア)とアムロ・レイであったことが重要です。

「軍に利用されたニュータイプ少女」を救おうとするカミーユに対して、この2人の大人は何もしてやることが出来ません。

以前より何度か書いていますが、富野ガンダムにおいて、巨大モビルアーマーは不安定な少女たちが籠城する心の城。
四方八方に乱れ飛ぶ拡散メガ粒子砲の光は、少女たちが泣き叫ぶ涙です。
さらに強化が進められたフォウは幻の過去を求め、地上から、サイコガンダムから離れることができない。

結局、この回のコメディリリーフでしかなかったジェリドが、それが周到な前フリであったかのように冗談にならない攻撃を放ち、それをフォウのサイコガンダムが(なぜか)頭部でかばうことによって、カミーユはフォウを永遠に喪いました。
経験としては、かばわれることでララァを喪ったシャアに近い状況でしょうか。

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フォウの亡骸を抱いて泣くカミーユを見ながら、直接の先輩とも言える2人の大人は

アムロ「人は、同じ過ちを繰り返す……。全く!」
シャア「同じか……」


などと、神妙な顔でもっともらしい事を言っているだけ。

この悲劇の立会人に、わざわざシャアとアムロが選ばれたのは、彼らがかつて「軍に利用されたニュータイプ少女」を巡って「過ち」を経験した当事者だからでしょう。

自分たちが死ぬ瞬間まで後悔し続けるその「過ち」の経験者であるにも関わらず、彼らはカミーユに大人の顔して「深入りはよせ」などと言うばかりで、結局、過去の自分達(カミーユとフォウ)を救うことができず、「同じ過ち」を再生産してしまいました。

ちなみにシャアとアムロは、この時代のさらに後、『逆襲のシャア』におけるクェス・パラヤのケースで、さらにニュータイプ少女をみすみす死なせているので、本当に「同じ過ち」を何度も繰り返しています。なんどめだナウシカ。

「永遠のフォウ」は、先に述べたように物語的な意味はほぼありません。
しかし、フォウを永遠に喪ったというだけでなく、アムロとシャアが立会い、さらにそれに対して無力で、「過ち」の再生産を繰り返した(彼らもそれを認めている)というのが象徴的で、これこそがひとつの絶望の儀式であろうと思います。

カミーユはフォウの亡骸を抱いたまま動かない。キリマンジャロ基地の爆発が始まる。

クワトロ「カミーユ。かわいそうだが、君はまだ死ねない身体だ」


と、クワトロとアムロは、カミーユを抱えて戦場を後にする。
結果論に過ぎないが、「かわいそうだが、君はまだ死ねない」というのは、カミーユにとって本当に残酷なセリフだと思う。

ちなみにカミーユがキリマンジャロに降り立ったのは、クワトロの百式が敵の攻撃により予定外に大気圏に落ち始めたのを救出した為で、これも結果から見れば、クワトロの命を救って、代わりにフォウを喪ったとも言えるでしょう。
そんな男が、偽名に偽名を重ねて、本来背負うべき役割から今も逃げ続けている。

この回は、カミーユとクワトロの以下のやりとりで幕を閉じます。

カミーユ「僕はもう、あなたのことをクワトロ大尉とは呼びませんよ。あなたはシャア・アズナブルに戻らなくてはいけないんです」
クワトロ「そうだな、カミーユ」



ロザミア・バダムという妹


フォウを喪ったあと、再度宇宙に上がったカミーユの前に、ロザミア・バダムが現れます。
前半にも登場していますが、フォウと同じ強化人間として、カミーユを兄と思い込むよう洗脳されての再登場。
本記事のメインですし、ちょっと以前書いたロザミアの紹介をリライトして掲載しておきましょう。

地球連邦軍のオーガスタ研究所で調整を受けた強化人間。精神調整と共に体も強化されている。一年戦争時のコロニー落としが精神に大きな傷を残しており、ティターンズはそこを利用しエゥーゴを敵と思わせるようローレン・ナカモトに精神操作させた。(Wikipedia:ロザミア・バダム


ロザミアは17歳という設定だそうだ。カミーユと同年齢ということになるだろうか。
私はイメージでなんとなく24歳ぐらいだと思っていた。劇中でカミーユの妹にしては老け顔だ、姉に見える、といった感じのやりとりがあったせいかも知れない。

明らかに20歳すぎである女性が、記憶操作によって年下のカミーユを「お兄ちゃん」と呼ばされる、という方が、いとしさとせつなさとグロテスクさとが高まって良いと思うので、今後も私の中では24歳ぐらいのイメージにしておこうと思う。

このあとさらに記憶を操られ、カミーユでなくティターンズパイロットのゲーツ・キャパを兄と思い込まされるので、いわば三段階で精神が変質させられたキャラクターと言えるだろう。

兄役のゲーツ・キャパを演じるのが矢尾一樹というところが味わい深い。
後番組である『機動戦士ガンダムZZ』において、彼はジュドー・アーシタという宇宙世紀最強の兄を演じることになる。

話をロザミアに戻す。
ロザミアは「突然現れた押しかけ美人妹(血縁なし)」という、とんでもないキャラクターでカミーユに接近します。
しかし、「そんな都合のいい人間がこの世にいるわけないだろ。いるとすれば軍に記憶操作された強化人間であり、スパイだ」というのが、富野アニメ的な世界観でございます。

とはいえ、オタク的な願望をハードな設定で皮肉っているわけではなく、結局の所どう理由をつけても、都合よく悲劇の少女を消費してしまうことについての言い訳であり、少女の本意でなく、背後に悪い大人(作品の中にも、作品の外=制作者にも)がいるせいだと、少女の罪を免責するための仕組みであったろうと私は思っています。
大人としての狡さと誠実さと。

そのあたりの事は「洗脳少女」という切り口で過去に記事を書いていますので、興味があればご覧下さい。

だから少女は、毎度コントロールされる。<富野アニメ 洗脳少女の系譜>

でも、この翌年に「押しかけ妹(血縁なし)」を本多知恵子声でやるのが、さらにえげつない。


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ロザミア=記憶を手に入れたフォウ


フォウ・ムラサメは過去の記憶に囚われ、カミーユの「宇宙へ行って、エゥーゴの技術で記憶を取り戻そう」という誘いも拒絶し、地上から、サイコガンダムから離れられずに、宇宙に上がることのないまま生を終えました。

一方ロザミアは、家族に関する偽の記憶を植え付けられ、さらにはカミーユを兄と思い込ませることによって、宇宙へ上がり、カミーユとの再会を果たしています。

そう考えればロザミアは、「記憶を手に入れて宇宙に上がったフォウ」といえるのかも知れません。
もちろん、その記憶はティターンズが人工的に植え付けたものに過ぎないのですが。

ただ「宇宙へ行って、エゥーゴの技術で記憶を取り戻そう」と主張していたカミーユだって、そこに何の保証もあったわけではありません。事実アーガマでは、ロザミアを精密検査しても強化人間であることが分かった程度で、特に何も対策が打てていません。

例えば、カミーユがフォウを救出し、宇宙へ連れ出したとする。そこでエゥーゴの医療スタッフや研究者に「無い記憶を取り戻すことは出来ない。精神を安定させるために、ニセの記憶を植え付けるしか手はない」などと言われたとしたら、どうするだろう?
それは、悪意と善意、異なるベースとは言え、本質的にティターンズがロザミアにした事と何が異なるだろうか。

これはあくまで意地悪な仮定に過ぎないが、ロザミアが、フォウ・ムラサメのありえた可能性のひとつである事は確かでしょう。

第47話「宇宙の渦」での体験


ロザミアは精神不安定の中で、結局アーガマを去り、第48話「ロザミアの中で」で、敵として再びカミーユの前に現れます。

その前にまず抑えておくべきは、前回が第47話「宇宙の渦」であることです。
この回では、ハマーンのキュベレイとカミーユのZガンダムは、戦闘中に精神が共鳴して、深いレベルでつながります。
ララァとアムロの再現のようなシーンですが、ニュータイプであるハマーン本人が、カミーユを拒絶してすることで終わります。

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カミーユ「僕は、チャンスがあったのにハマーンを殺せませんでした」
クワトロ「気にするな。それは私の役目だったのだろう」


カミーユはこの体験を通して、つながった相手であるハマーンを殺せなかった事を悔み、それをクワトロが適当な事を言ってなだめて、「宇宙の渦」の回は終了します。

適当な事というか、クワトロの責任という意味では真理ではあるのですが。
根本的にクワトロいやシャアの責任である、という記事を以前書きましたので、興味のある方はどうぞ。(こうして見ると、ちゃんと要所の記事は書いてるんだな。えらい)

僕達は分かり合えないから、それを分かり合う。<『機動戦士ガンダム』シャアとハマーンのニュータイプ因果論>

ニュータイプ同士に精神の深いところでつながる能力があったとしても、それと分かり合えるかどうかは全くの別。
それでは、ニュータイプが持つ力とは、ニュータイプに出来ることとは一体なんなのか。

それを抱えたままカミーユは第48話「ロザミアの中で」を迎えます。

ロザミアの中でカミーユが見たもの


第48話の冒頭で、カミーユはブライト、クワトロとこのような会話を交わします。

カミーユ「もし、このままアクシズがグラナダに落ちたら、僕の責任です。僕がハマーンを殺せなかったから」
クワトロ「ハマーンが死んでもアクシズは落ちていた。気にするな。キュベレイを動けないようにしただけでも、カミーユは十分やった」
カミーユ「でも、モビルスーツは直せます。ハマーンは、倒せば……直せないんだ」
ブライト「カミーユ、いつからそんな苦労性になった?」
カミーユ「苦労してますからね」
ブライト「アクシズの方は任せておけ。カミーユは少し休んでいろ。いつモビルスーツ戦になるかもしれないんだからな」
カミーユ「はい」
クワトロ「カミーユ・ビダンか……。いい方向に変わっているようだが……」


未だにハマーンを殺せなかったことを悔やむカミーユ。
一度は精神がつながった相手とは思えない、いや、つながったからこそなのか。拒絶され、ハマーンの本性を見たからこそ、死ぬべきであり、殺すべきである、と考えているのか。それにしても――。

前回ラストの後悔をさらに引きずっているこのカミーユを見て「いい方向に変わっている」と考えるクワトロは、色んな意味でどうかしていると思うが、カミーユを誘い、戦場に出し、さまざまなものを背負わせた張本人のセリフにはふさわしいかも知れない。

ファ「少しは休んでいなくっちゃ。カミーユ。ね、戦争が終わったらまた前みたいに学校へ行ってケンカして、昔みたいになるわよね?」
カミーユ「ファ……」
ファ「ね? カミーユ」
カミーユ「元通りにはならないさ。オレは自分の役目がわかってきたから」


このカミーユの台詞は、結末への予兆という意味で有名なもの。
カミーユが考える「自分の役目」というのが明らかになるのが、前回「宇宙の渦」であり、今回の「ロザミアの中で」になる。

フォウと同じくサイコガンダム(Mk-II)で出撃するロザミア。
精神を安定させる為に、ティターンズのパイロット、ゲーツ・キャパを兄として信じ込まされたが、アーガマに接近したことで再び不安定になり、さらにシロッコのモビルスーツ隊の強襲に、ゲーツが対応するために、ロザミアとの交信ができなくなる。

一方のカミーユは接近する敵の気配に、フォウ・ムラサメを感じ、Zガンダムで出撃する。

この回では、カミーユが何度もロザミアをフォウと見間違える描写がされる。
フォウの幻影を見るだけでなく、フォウの幻聴も聞く。

フォウ「やっと会えたね、カミーユ。もう、離れないから」


カミーユが逃げ込んだコロニーの中で、ファに銃を突きつけるロザミア(カミーユはフォウの幻を見る)。

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ファはロザミアの家族の記憶が偽物だと告げる。違う、お兄ちゃんがいる、とそれに反論するロザミア。
そこへカミーユが声をかける。

ロザミア「家族はいた。父と母と、お兄ちゃんと……」
ファ「そのあなたの記憶は偽物なのよ」
ロザミア「違う、あたしにはお兄ちゃんがいる!」
カミーユ「ロザミィ、一緒にボートで遊んだこと、覚えていないのか?」
ロザミア「お前はお兄ちゃんとは違う。あたしはロザミアだ。ロザミィじゃない」


直後、頭の痛みを訴えたロザミアは、泣きながら「お兄ちゃん!」と、兄を求め飛び出していく。
走り去るロザミアにフォウの姿を見て、思わず「フォウ」と呼びかけてしまうカミーユ。

このシーン。いつもなら兄として呼びかけるカミーユに、ロザミアなら一瞬でも応えるところを、一切の迷いなく「お前は兄ではない」と瞬時に切り捨てている。

この回のサブタイトル「ロザミアの中で」とは、要するにカミーユが「ロザミアの中で」フォウを見た、フォウを感じた、という意味になるだろう。前述したように、そのような描写はしつこいほどされている。

しかしそれはロザミアから見れば、カミーユは自分を見ていない、という事を意味する。
そんな存在は「お兄ちゃん」ではありえない。

ロザミアの事を「記憶を手に入れたフォウ」と表現したが、そういう存在だからこそカミーユはロザミアにフォウを重ねて、今度こそは少女を救おうとしただろう。「人は過ちを繰り返す」だけではないはずだ。

だが、それゆえにカミーユが見ているのはフォウ(の幻影)であり、ロザミアではない。
皮肉なことにそれがカミーユに、ロザミアの兄の資格を失わせた。
目の前にカミーユがいるのにも関わらず、お兄ちゃんはどこ?と兄を探しさまようロザミィ。

この時の兄を求めるロザミアの悲痛な声を、ゲーツ・キャパはしっかり受け取っている。
同じく偽物の兄ながら、ゲーツ・キャパは最後までロザミアを気にはしている。
しかし、シロッコのモビルスーツ部隊の迎撃という上官バスクの命令を優先し、ロザミアの所には全く来てくれない。

この回でロザミアは、2人の兄の両方から自分の事を見てはもらえなかった。

主人公にできることがない。ただひとつの事をのぞいて


最終局面。サイコガンダムに乗り込んだロザミアは、メガ粒子砲を乱射しながら兄を求めてさまよう。
撒き散らされるメガ粒子の光は、ロザミアの涙だ。大号泣と言っていい。

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発狂状態のサイコガンダムが、アーガマに迫る。

カミーユ「誰でもいい!止めてくれ!」


カミーユが叫ぶ。これは誰あろう、ガンダムに乗るニュータイプの主人公の叫びだ。

だが思い出して欲しい。キリマンジャロにおいて「過ち」界のパイオニア、「過ち」パイセンこと、シャアとアムロの2人が揃っていても
少女一人を何ともできなかったのに、誰にも止められるわけがない。
そしてもちろん、ロザミアに兄として映らなくなったカミーユ自身にも止められるわけがない。

カミーユ「ロザミィ、か、かわいそうだが、ちょ、直撃させる!」


「かわいそうだが直撃させる」以外に、ロザミィにしてやれることが何もない。この絶望。

本当に?本当に何もないのか?何もない。何もないことはアムロとシャアが証明し、さらに言い訳のように説明した。人の愚かな過ちはただ繰り返されるのだと。
カミーユにとっても救うべき少女の悲劇が、フォウに続き、ロザミアと繰り返されたことになる。

かくしてロザミィめがけ、救いの矢は放たれる。

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ロザミアの求める「早く」と、フォウの求める「早く」


射撃の直前。カミーユの目の前に、ロザミアとフォウのイメージが描写される。
この記事を書くにあたり、「ロザミアの中で」を見直したときに、この場面での2人の台詞の違いに改めて気づいた。

ロザミア「(早く来て、お兄ちゃん!)」
フォウ「(早く!)」
カミーユ「フォウが……」
フォウ「(早く、カミーユ!)」


ロザミアが「早く」と言っているのは、どこにもいない兄に対して、私の元に早く来てと言っている。
フォウも同じく「早く」と言っている。しかし、フォウの言う「早く」は、明らかにロザミアが希望している「早く」とは違う。
またカミーユが反応しているのも、フォウの言葉であり、その直後に引き金が引かれている。

サイコガンダムの頭部を直撃も、キリマンジャロのフォウと全く同じ結末であり、これはカミーユ自身の手による三度目のフォウ・ムラサメ殺しといえるでしょう。

救うべき少女を自らの手で葬ってしまうというのは、ララァに対するアムロの体験であり、キリマンジャロのかばわれて喪うというシャアの体験と合わせて、これで両方の体験をコンプリートしたことになる。アムロとシャアが一生背負ったものを両方……。

さらにそれでありながら、最後の最後にロザミアにこう言わせる。

ロザミア「見つけた!お兄ちゃん!」



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ロザミアが最後に見つけたお兄ちゃん。だがお兄ちゃんには誰が見えていたのだろうか。
フォウの導きで彼女の幻影を葬り去った瞬間、ロザミィのお兄ちゃんにまた戻ったのかも知れない。
いや。そもそも見つけるも何も、お兄ちゃん自体が偽記憶で存在などしていない。
お互いが幻を見ていたようなものにすぎない。

それでもロザミアは、最後にお兄ちゃんを見つけた。

劇場版の為に取り除かれたものはなにか


以前から「永遠のフォウ」は大丈夫だが「ロザミアの中で」は耐えられない、と何度も言っているのはこのあたりによります。
それを伝えるため、今回は長々と說明してまいりました。お付き合い頂き、ありがとうございました。

この回は、アーガマに戻った後の以下のようなやりとりで締めくくられます。

ファ「ロザミアさんには言い過ぎたのかしら。あの人には罪がないのにね」
カミーユ「ファは、何も間違ったことなんて言っちゃいないさ。ニュータイプも強化人間も、結局何もできないのさ。そう言ったのはファだろ?」
ファ「でも……」
カミーユ「できることと言ったら、人殺しだけみたいだな」
ファ「カミーユ……」(ファ、去る)
クワトロ「あまり気にするな」
カミーユ「気にしてなんていませんよ。気にしてたら、ニュータイプなんてやってられないでしょ?」(笑顔)


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クワトロ大尉、カミーユは良い方向へ変わっているんでしたよね。良かったですね。


この状態でカミーユは、ラスト2話の最終決戦、「生命散って」「宇宙を駆ける」へ進みます。
「永遠のフォウ」「ロザミアの中で」を踏まえたTV版の結末は、必然のものといえるでしょう。

劇場版『Zガンダム』においては、カミーユはTV版と違った結末を迎えましたが、個人的には『ブレンパワード』『∀ガンダム』『キングゲイナー』と作品を追っていれば、結末が変わること自体は理解できるものでした。
この三作を見ている人にとっては、『Zガンダム』に対するスタンスの変化も分かるし、ラストの変更も正直、想定の範囲内でしかありませんからね。

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だからこそ私は当時、そもそも劇場版『Zガンダム』三部作を作る必要がないのでは、と否定的に考えていました。
(ガンダム以外の新作を求めていた私にとっては、劇場版制作の発表は絶望に近かった)

しかし『Zガンダム』だからこそ、新訳劇場版を見たという人も多くいたでしょうから、『Zガンダム』の形を借りなければ、より広く、また分かりやすく変化を伝えることができなかったとも言えるのだと思います。

そう考えれば、映画制作前から予測可能だったラストの変化に注目するよりも、変化するラストのために取り除かれたものは何か、を考える方が面白く、意義があるのではないでしょうか。

「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」は、劇場版『Zガンダム』からカットされたエピソードです。

キリマンジャロでのフォウの二度目の死は、カットも当然と思うほど物語的には意味がないものですが、TV版においては儀式としての意味はあり、それはロザミアへの直撃、すなわちフォウ三度目の死の儀式につながっています。

「永遠のフォウ」をカットして「ロザミアの中で」だけを残すことは出来ないし、もちろんその逆も出来ません。カットするなら、全てカットするしかありません。

それに前述したように、「永遠のフォウ」がTV版カミーユの運命の分岐点なのであれば、尺の問題以前に、「永遠のフォウ」&「ロザミアの中で」を収録しては、どう再編集しても劇場版のようなラストを迎えることはできないでしょう。

だから劇場版でのカットは妥当です。
繰り返し述べているように、大きなストーリーラインとしての意義は薄いのも確かです。
しかし、TV版の結末を迎えたカミーユを理解するためには、極めて重要な要素だろうと思います。




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遅まきながら、あけましておめでとうございます。
新年初めての記事なので、一応あけおめせざるを得ない。

毎年恒例、1年間のブログ活動のまとめ記事でございます。今回は昨年2016年度のご報告となります。

2015年に書いた記事数は、わずか5本。
これはさすがに最低記録だろう……と落ち込んでいたら、調べてみると2012、2013年も5本でタイ記録。
そう考えると、ボジョレー・ヌーボー的な「最低と呼ばれた、12、13年に匹敵する出来栄え」みたいなものだな、と安心しました。(してはいけない)

数は少ないですが、記事自体は「エレガントで酸味と果実味のバランスがとれた上品な味わい」との評判でございます。
まだご覧になっていない方は、この機会にぜひどうぞ。

2016年度 ブログ記事 厳選ベスト5!(もう何も言うな)


エントリーNo.1 「ニュータイプ」の証拠を探しにいこう


アムロはシャアを、いつニュータイプだと認識したのか?<TV版『機動戦士ガンダム』での相互不理解と「貧しい愛」>

「シャアって、ニュータイプなの?」と、友人にストレートな質問をされた事がきっかけで書いた記事。
この質問、簡単に答えられそうで、実は結構難しいのです。

この記事ではTV版『機動戦士ガンダム』において、タイトル通りアムロがシャアの事をいつニュータイプと認識していたのか?ということを検証します。

もちろん検証だけでは終わらず、書こう書こうと思いながら今まで書けていなかかった、シャア・アズナブルの「貧しい愛」について考えます。

アムロのシャアに対するニュータイプ判定については、ファーストガンダムの事に詳しい人ほど、映画や小説、後の作品や情報など知識が豊富なため、意外に感じるのではないかと思っています。

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エントリーNo.2 カミーユとフォウの交わらない過去と未来


シンデレラ・カミーユは、地球で過去と対峙する<『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」とフォウ・ムラサメとの出会い>

『機動戦士Zガンダム』挿入歌「銀色ドレス」の歌詞の読み解きを中心にして、そこからカミーユとフォウの哀しい対比構造について書いています。

タイトルの「銀色ドレス」ってなんのこと? この歌はどういう視点の歌? シンデレラ・カミーユって?
などの疑問にお答えいたします。

この記事の最後に「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」について触れていますが、この2つの関係については、最近Twitterでツイートを色々したので、それをベースにして、ひとつ記事を書くかも知れません。

個人的に、ツイートの清書するだけの記事を書くのはつまらなくて全くモチベーションが上がらないので、何かプラスアルファが上乗せできると確信が持てないと、ブログ記事にはしない傾向があります。
逆に言えば、つまらない清書にしかならないほど、ツイート連投しすぎなのです。
「ブログでやれ」と思っていても言わない、寛大なフォロワーの皆様に支えられて、楽しいTwitterライフをおくっております。

Z・刻を越えて/星空のBelieve/水の星へ愛をこめて/銀色ドレス (TV版 機動戦士Zガンダム主題歌)
森口博子 鮎川麻弥 鮎川麻弥 森口博子
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エントリーNo.3 どうしようザビーネが邪魔する


光る風の中、聞こえてくる「ETERNAL WIND」(のイントロ)<VR元年と機動戦士ガンダムF91「宇宙でセシリー探しゲーム」>

PSVR(ペェスヴァー)対応ゲームとして、宇宙漂流者救出ゲーム「宇宙でセシリー探しゲーム」をやりたいね。
という、当ブログのもうひとつの柱になりつつある、妄想ゲームネタです。サンクスモニカ!

とはいえ、記事数を増やすために12/31に慌てて用意した記事なので、正直ゲーム妄想ネタとしてはかなり弱いです。
通常なら「宇宙でセシリー探しゲーム」をつかみのネタにして、本ネタともいえるオリジナル妄想ゲーム案を紹介するところですが、そこまでいっていません。

その代わり、完全に趣味の替え歌コーナーとか作っておりますので、お楽しみ下さい。
ていうか、せっかくフルで替え歌作ったのに、ノーリアクションだったので、すごく寂しい。
誰か、この歌詞でMAD動画作って欲しい。絶対に面白いはずなんですよ!あー、わかった、わかった。あとは署で聞く。

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エントリーNo.4 天がカズマを許しても、カズマは天を許さない


ポイント全振りキャラクター達が起こす奇跡<『この素晴らしい世界に祝福を!』のシステムに則ったコメディ>

TVアニメ『この素晴らしい世界に祝福を!』の愛すべきキャラクターたちについて。

私は原作なども未読でどんな作品か全く知らなかったので、録画を崩して見て、やっと面白さに気づきました。
メインキャストの皆さんいずれも芸達者ですが、アクア役の雨宮天さんは特に素晴らしかった。
声優さんには疎いのでこの作品で初めてお名前を覚えました。天さん、どうか死なないで……。
と思ったら、雨宮 天(あまみや そら)とお読みすると今知りました。そらかー。

「渡と申します。わたしの天が、何とも不可思議な演技を……」



アニメ第2期が、2017年1月12日から放送開始だそうです。ぜひそのお供に記事をご覧下さいませ。
2期は非常に楽しみですね。1期と違って、リアルタイムで追っかけたいと思っています。

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エントリーNo.5 ゲームにおける最大の暴力装置とは


機械仕掛けの王に仕える、命ある暴力装置<ゲームにおける暴力コントロールのアイデアメモ>

これは「宇宙でセシリー探しゲーム」と違い、がっつりとオリジナル妄想ゲームネタ。

「王(意思決定)」と「従者(暴力装置)」という、2人のキャラクターによる、バディものです。
ただし、プレイヤーは王の命によって行動する「従者(暴力装置)」のキャラクターを担当します。
では、命令を出す「王(意思決定)」は誰が?これはコンピューター(AI)にやってもらいましょう。
すなわち、「AIの主人に仕えて、主人の目的達成のために戦う」というゲームになります。

映画『ターミネーター2』でいえば、ジョン・コナー(AIの主人)を守るターミネーター(T-800)をプレイするようなゲームです。

例によってコンセプトアイデアだけなので、ゲームの全体像については、読んだ皆さんのイメージ力に完全に頼っています。

何度か書いていますが、私は実際にゲームを作るわけではありません。
物語の要素を分解して、それをあるゲームシステムとして設定したときに、何か面白いことが起きるのではないか。
物語というものが、ゲームという表現方法を使うことで、より理解できるのではないか。
という試みです。

ですから、物語と関係がないゲームを妄想したことがありませんし、ゲーム用のストーリーを考えたこともありません。
私が考えたいのはキャラクターやストーリーではなく、物語の要素を分解し、ゲームシステムに入れ、エンジンを回したら、出力結果として物語が再構成されないだろうか。されるとしたらどんな形に?という興味です。

早い話が、物語ゲームの単なる妄想とその開陳に他ならず、基本的には不評のコンテンツです。
ごくたまに面白いと言って下さる方もおられますが、貴兄もなかなかの物好きだね、と思いますね。ありがたいことですが。

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『Fate』のようなものでもあります。




2017年 みなさまのご多幸をお祈りしつつお別れです


以上、選びに選びぬいた、2016年ブログ記事ベスト5でございました。

それにしても、『君の名は。』『シン・ゴジラ』『聲の形』『この世界の片隅に』などの劇場作品に関する記事が一切なく、あとで読んでも、全く2016年っぽさが感じられない、ということになりそう。
この中では『シン・ゴジラ』に関しては、Twitterではかなりツイートはしていたんですけどね。

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2017年は実写版『攻殻機動隊』こと、『ゴースト・イン・ザ・シェル』がちょっと楽しみですね。


こんな感じの映画になるといいなあ。

さて振り返りが終わった以上は、2017年の抱負を述べておくべきなのかも知れないですが、いつものように、それなりにいくつか記事を書いて、その結果をこうした年度振り返り記事で紹介できればいいのではないだろうか。

2016年はネットにおける情報の信頼や倫理が問われた1年だったと思います。
私としても、アニメやマンガを紹介すると見せかけて、単なるSEO用のランキング形式スパム記事のような検索ノイズを生み出そうという気は一切起こらないので、今年も自分が本当に好きなものや、本当に面白いと思ったことだけ書いていく所存でございます。

と言っても、私の書く物の方が価値が高い、ということではなくて、「アニメ ランキング」「マンガ おすすめ」などのワードで検索する層に対して、私が与えられるものは多分何もないだろう、という事に過ぎませんけどね。

それでは今年もよろしくお願い致します。
次の記事でまたお会いしましょう。

(いちばん面白いのは、これで次の記事が「決定版!必見!おすすめ面白神アニメランキング2017」になることだとは思うけど、ネタとしても用意が面倒なのでやりません)

このマンガがすごい! 2017

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今回は、『機動戦士Zガンダム』の挿入歌「銀色ドレス」をきっかけに、カミーユ・ビダンとフォウ・ムラサメの関係、そしてカミーユが地球に降りた意味などについて、あれこれ考えてみましょう。


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『銀色ドレス』はとにかく難しい


富野由悠季監督が「井荻麟」というペンネームで行ってきた作詞活動を語りつくす「井荻麟作詞論」。
TOMINOSUKI / 富野愛好病のkaito2198さんが進めている一大連載です。

その第53回 OP・EDおよび挿入歌のビジネス事情その2 が公開されてまもなくのこと。

kaito2198さんと富野アニメの挿入歌について話し合っていたとき、ふと気づく。

私「挿入歌といえば、『銀色ドレス』の記事がまだですよね? なぜなんでしょう?」


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『銀色ドレス』はテレビアニメ『機動戦士Zガンダム』の挿入歌。
連載では、第34回 「銀色ドレス」 として予定されていましたが、第53回に至っても、その記事はアップされていませんでした。このような扱いは「銀色ドレス」のみです。

kaito2198さん「あれは難しいですね……」


その後、それはなぜなのかという説明を受け、私自身も生まれて初めてちゃんと歌詞と向き合ってみて、未だ記事化されてなかったことに納得しました。確かにこの曲、難しい……。

kaito2198さん「いちばん難しいのは、そもそも誰の視点の曲なのか、ということです」


「視点」ですか……ちょっと『銀色ドレス』について整理してみましょう。

『銀色ドレス』は誰の歌?


まず歌詞全体については、以下のリンク先をご覧ください。

銀色ドレス(歌詞タイム)
http://www.kasi-time.com/item-6175.html

視点を考える上で必要な基本情報は以下のとおり。

歌い手:森口博子(女性)
一人称:僕(男性の一人称)
二人称:君


※歌詞中に「暖めておくわ」(女性語)が一箇所あり


劇中での使われ方としては、第20話「灼熱の脱出」で挿入歌として使われました。
カミーユが、フォウの協力で宇宙へ上がるときの曲です。

使われ方から普通に考えれば、女性(フォウ)から男性(カミーユ)に向けた歌でしょうか。
歌っているのも、女性である森口しぇんしぇい(博多風味)ですし。
高杢しぇんしぇい!森口しぇんしぇい!(このネタ、さすがに解説がいるような気がする…)

でも、一人称が「僕」ですから、男性(カミーユ)視点で、女性(フォウ)に向けた歌と考えてもいいのかも知れない。

と思ったら、歌詞中には「暖めておくわ」のように女性語になってる箇所もある。
ではやっぱり、女性の歌? どっちなんだろう?

歌詞が全てロジックで説明されるべきとは思わないけれど、曲にとって大事なポイントである「視点」のレベルで、どう考えればいいのか迷いますね。

女性歌手による「僕」について


やはり、考え所は女性歌手による「僕」にありそうな気がします。

私は音楽には全く詳しくないので、女性歌手による「僕」についても表面的なことしか知りません。
ただ、少し検索などして調べてみると、その効能としては以下のようなものあるようです。
  • 音として「わたし」より「ぼく」の方が、言葉が短くアクセントになる。力強さもある。
  • 女性が「ぼく」と歌うことで、「少年」性を帯びる(中性、性未分化的なものも含む)
  • 女性が男性視点として歌う(その逆も)ことでの、違和感の効果
  • 受け手になる男性への寄り添い、受け入れやすさ(アイドルソングなど)

純粋に、音や字数の問題もあれば、女性歌手+僕で性をミックスしたり、それで何らかの感情を生み出すような効果もあるようです。

そう考えると、「銀色ドレス」は女性視点(フォウ)? それとも男性視点(カミーユ)?ということではなくて、どちらも同時に存在する曲なのではないか、と思えてきました。

その根拠を『Zガンダム』本編に求めてみましょう。
フォウとの出会いを描いた第19話「シンデレラ・フォウ」では、カミーユとフォウはまさしくシンデレラのような時間制限付きのデートを楽しみますが、お城を去らなければならない制約のあるシンデレラは、フォウの方です。

フォウ:夜中の12時までには戻る。それくらいの時間は構わないだろう?
見張り役:12時ですか?
フォウ:今殴ったことは勘弁して欲しい。今は、少しだけ時間が欲しい。
見張り役:わかりました。大尉にはそう伝えましょう。


これでフォウは12時までのシンデレラとなりました。
結局、この後、サイコガンンダムの登場により魔法は解けてしまうのですが。


そして次回となる第20話「灼熱の脱出」では、今度はカミーユに時間制限が付きます。
アーガマが衛星軌道上に、コースを固定できるのは、24時間のみ。
この好機に何としても宇宙へ帰らなければなりませんが、フォウの協力により、スードリのブースターを奪うことでカミーユは無事に宇宙へ戻ることができました。
(この場面で流れるのが挿入歌「銀色ドレス」)

この回のカミーユはいわば、ブースターの馬車に乗り、宇宙へ帰るシンデレラ。
つまりシンデレラ・カミーユになっています。

宇宙に戻ってきたあとで、エマに「地球で恋をして来たんでしょ? 」と指摘されたように、地球に忘れ物をしてきたというのもシンデレラですね。

それぞれがシンデレラを演じた第19話「シンデレラ・フォウ」と第20話「灼熱の脱出」は、こうして対になっており、おとぎ話と同じく束の間の出会いと別れが、カミーユ、フォウの両面から描かれています。

であるなら「銀色ドレス」も、どちらかの曲ではないでしょう。
フォウの曲であり、カミーユの曲であるはずです。
だからこその女性歌唱の「僕」ではないのか。

今日という日はよかった(今日以外はよい日じゃない)


kaito2198さんと色々議論しながら、私たちはこの「シンデレラ・フォウ&シンデレラ・カミーユ視点」で、ひとまず「銀色ドレス」を整理できるのではという手ごたえを得ました。

例えば、そういう視点から改めて歌詞を見てみると、歌い出しもすんなり受け止められますね。

僕も見つめてた 蒼い瞳
ある日 突然に 消えてしまう


ファウもカミーユも蒼い瞳なので、これは2人が見つめ合っているわけだし、突然目の前から消えてしまうのも、片方ではなく2人が共に体験したことですからね。
フォウとカミーユの視点の融合というか、2人の重なりが感じられます。

歌い出しはあくまで一例。
歌詞全体の解説については、kaito2198さんが書かれた記事をご覧ください。

井荻麟作詞論 第34回 「銀色ドレス」
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1331.html

それにしても、毎回こういうレベルでの歌詞の検証をしているのは改めてすごいと思いましたね。

ちなみに個人的には、「銀色ドレス」の歌詞の中ではこの部分が好きですね。

濡れた手を拭いて 全て済むと
君が思うのは いけないけど


この歌が兵士でもあるフォウとカミーユの両方を指すとすれば、何によって手が「濡れて」しまっているのかは、いわずもがな。
図らずも「濡れた手」になってしまった少年と少女が最終的にどうなったかを知っている身としては、やるせない気持ちになります。もちろん手を拭いたからといって全て済むものではないにせよです。

ですが、この歌はけして絶望の歌ではありません。
戦場で敵味方になって殺し合う中で訪れた、一瞬にして永遠の奇跡を描いた歌。
12時までの舞踏会で魅かれ合い、一瞬の出会いを尊いものとして、「今日という日(だけは)よかった」と喜び合う歌です。たとえ、二度と会えないかも知れないとしても。

「銀色ドレス」ってどんなドレス?


今さらですが曲名でもあり、歌詞にも入っている「銀色ドレス」って一体なんなのでしょうか?

シンデレラのイメージとドレスを合わせると、女性用のパーティドレスのようなものを想像しますが、この曲がカミーユの事も歌っていることを考えると、カミーユに殴り殺されるかも知れません。

それにシンデレラのドレスの色は、銀色ではなく青色と決まっているようです。
これは、欧米において、青(ブルー)は、幸せ・忠実・信頼・純潔を表すことから来ているそうで、聖母マリアのシンボルカラーも青。
ブルードレスはシンデレラの「純潔・貞操・清純」などを表現しているようですね。

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では銀色のドレスとは何か?
恐らく一意ではなく、いくつかのイメージを持っているものと思いますが、そのひとつとして私は、銀色ドレス=モビルスーツ説を推したい。

モビルスーツは、宇宙で輝く金属色(メタリック)なドレス。
ここではスーツではなくあえてドレス。

特にカミーユにとっては、宇宙に戻った第20話「灼熱の脱出」の次の回が、第21話「ゼータの鼓動」。
番組タイトルにもなった主役機Zガンダムの初登場回です。

カミーユは、自分がデザインに関わった銀色のドレスで、番組後半の宇宙を駆けることになります。

フォウにとっても、モビルスーツは彼女が着ねばならない一種のドレスなのですが、彼女にとってモビルスーツの存在はネガティブなものでしかないので、フォウに対してはそのまま、キラキラとした美しいドレスのイメージで良い気がしますね。

映像をつくるなら、銀色ドレス=Zガンダムで宇宙を駆けるカミーユと、美しくキラキラしたドレスのフォウを重ねるようなイメージでしょうか…………Zガンダムとキラキラのフォウ?……どこかで見たような?



「銀色ドレス」と同じく、森口博子が歌う後期OP「水の星へ愛をこめて」が、イメージ的には近いんじゃないのか。これ。
フォウは別に銀色のドレスは来てないけど、謎のキラキラに包まれて、カミーユがZガンダムで駆けていく。そうそう、まさにこんなイメージ。
子供の頃から思っていますが、このフォウのキラキラってどういうイメージなんでしょうね。格子状で、何か具体的なものを表現してる気がするんですけど、分からない。鎖とかそういうイメージなのかな。

そもそも銀色ドレスのイメージを「水の星へ愛をこめて」に見出すというのも、何か間違っている気もするけれど、森口しぇんしぇいで上手くつながったような気もして面白いといえば面白い。

過去がない少女と過去を捨てたい少年


「銀色ドレス」では、同じシンデレラとして歌われたカミーユとフォウですが、そんな2人が一瞬の邂逅のあと別れることになったのは、共通点ではどうにもならないほどに根本的な違いがあったからでしょう。


強化人間フォウ・ムラサメは過去がない少女。
「強化」のため、自身の過去の記憶や本当の名前すら失っており、「フォウ・ムラサメ」という名前もムラサメ研究所の4(four)番目の被験体ということで与えられたものに過ぎない。

フォウが戦う理由は、それで過去の記憶が取り戻せると信じているから。
(正確には、ムラサメ研究所がそう信じさせているだけ)

何もない彼女は、記憶が、過去がどうしても欲しい。その意味で彼女は「過去」のために生きるキャラクターです。

ではカミーユはどうか。

カミーユと言う名前で生きてきた過去は、彼にとってコンプレックスであり、少し複雑な両親との家庭環境も含めて、出来れば否定して捨て去りたいものだろうと思います。
だからカミーユは、盗んだガンダムで走り出す。行く先も分からぬまま。暗い宇宙の帳の中へ。
でなければ、あんなにも簡単に日常を捨て去ることはできないでしょう。

コンプレックスである過去から目を背けての行動ですから、未来といってもポジティブな面だけではありません。
若者らしく屈折はしていますが、それも含めて前しか見えないという「未来」志向のキャラクターです。

「未来」に生きるカミーユと、「過去」に生きるフォウの会話は悲しくすれちがいます。

カミーユ:本当の名前は?
フォウ:わからないわ。私には昔の記憶がないのよ。知りたいんだ、昔のこと。それを探していたの。
カミーユ:でも、思い出なんて、これからいくらでも作れるじゃないか。

※中略

カミーユ:フォウ、アウドムラへ行こう。君が連邦軍にいる理由なんてないんだ。
フォウ:あそこに、あそこに私の記憶があるの。あの飛行機が私に記憶を持って来てくれる!
カミーユ:フォウ
フォウ:孤独はイヤ! 紛らわしたくても紛らわす思い出もないのよ。両親のいるカミーユには、理解できないでしょ。

※中略

フォウ:私は記憶が欲しいの。自分のことをもっと知りたい!
カミーユ:フォウ、出て来るんだ。
フォウ:Mk2を倒せば、ムラサメ研究所は私の記憶を戻してくれると言っていた!
カミーユ:それは違う! そんな約束、あてになると思っているのか?
フォウ:自分のことを知りたいのが、いけないことなの?
カミーユ:フォウ、宇宙へ行こう。
フォウ:宇宙へ?
カミーユ:エゥーゴの技術なら、君の記憶を取り戻せるよ、フォウ。
フォウ:研究所で治せなかったことを、宇宙で治せるものか!
カミーユ:やってみなくちゃわからないだろう?


カミーユは、宇宙へ行けば記憶を取り戻せると説得する。もちろんその保証などありません。
ただカミーユは未来を信じている。

だが過去にこだわるフォウは、カミーユの語る無根拠な未来を信じることができない。
彼女は結局サイコガンダムから降りず、明るい未来が待つという宇宙に出ることのないまま、その生涯を終えました。

つまり、この2人の関係は、

宇宙=未来=カミーユ vs 地球=過去=フォウ

という構造になっています。

ホンコンでの一瞬の出会いのあと、カミーユが宇宙へ戻ってZガンダムを手に入れ、フォウはサイコガンダムから離れられないまま、宇宙に上がることなく終わってしまう、というのは示唆的です。

この時点でのカミーユを、宇宙=未来の象徴的キャラクターとして見たとき、フォウとの出会いだけではなく、この一連の地球パート全体が、過去との対峙といえるかも知れない。
ちょっと地球編を振り返ってみましょうか。

地球での過去との対峙


カミーユが地球に降りるのは、第11話 大気圏突入からです。
なぜ地球に降りるのか。地球連邦軍(ティターンズ)の拠点である南米のジャブローを攻撃するためです。

ジャブロー基地は、前作『機動戦士ガンダム』に登場した、まさしく過去の象徴的な場所です。
過去には激戦が繰り広げられ、アムロ達が必死に守った重要拠点ですが、『Zガンダム』では、カミーユたちは攻めこむ側。
しかし、激戦どころかジャブロー基地はもぬけのから。核で消滅させられてしまいます。
カミーユは、伝説のホワイトベースクルーのひとり、カイ・シデンをレコアと共に救出します。
これが、最初の「過去」との出会い。

それから、カイ・シデンを皮切りにして、前作『機動戦士ガンダム』の人々と出会います。
ハヤト・コバヤシ、カツ・コバヤシ、そして、一年戦争の英雄アムロ・レイ。
ホンコンで、ミライ・ヤシマ。

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ベルトーチカ・イルマには「アムロさんにMk2を譲らない?」と、ガンダムのパイロット(主人公)の座を、過去の主役に譲るように迫られる。だがカミーユは絶対に、その座を譲らなかった。

これもひとつの過去との対峙だと思いますが、この件については以下の記事にて詳しく書きましたので参照されたい。

カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-225.html

そして、この記事で詳しく取り上げた、「過去」に生きる少女フォウ・ムラサメとの出会い。

ここでカミーユは、コンプレックスだった過去をフォウに話し、少女の承認を経て、自分の名前(過去)をついに受け入れる。

フォウ:カミーユ……カミーユ、もう一度だけ聞いて良い? 今でも「カミーユ」って名前、嫌い?
カミーユ:……好きさ!……自分の名前だもの!」


カミーユは最終的にフォウに自分の名前について訊かれ、自分の名前だから好きなんだ、とまで言えるようになります。

宇宙=未来=カミーユという構造を前提に、この地球編自体を「過去との対峙」編なのだとすれば、そのラスボスというか最終イベントは、カミーユが彼自身の過去と対峙し、それを受け入れることが出来るのか、ということになるでしょう。
そして、それを可能にしたのが、そもそも嫌いになる名前も過去の記憶も何もない少女だった。

「過去は、記憶は、すばらしいもの」と無条件に肯定できるフォウという存在によって、カミーユは過去を乗り越え、再び宇宙に戻ることができました。
しかし、そのフォウのキャラクターは強化人間として人工的に、強制的につくられた、という歪んだものです。
それでもそんな彼女でなければ、カミーユは救われなかったかも知れない。でも、フォウは――。

この、こうでなければ2人は出会うことも、その先もなかった。だが、それでもなぜこの2人は出会ってしまったのか。
というのは、前作のアムロとララァとの出会いにも言えますが、富野作品で特に特徴的な因果ですね。
個人的には、この因果のやるせなさが、富野作品の強力な魅力のひとつです。

それでいくと、地球=過去を背負ったフォウは、カミーユは救えても、彼女自身は地球から出られない(救われない)んですよね。この構造のままでは。

「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」


はっきりいって、フォウというキャラクターはホンコンで役割を終えているので、キリマンジャロでの再登場は物語としては必要がないと思います。

総監督の富野曰く、テレビシリーズの当初の構想ではフォウは第20話「灼熱の脱出」で死なせる予定であったとの事である。しかし、そこでフォウを死なせてしまったらストーリーが1年続かない事に気付いたため、うやむやな形で生死不明という事で一時離脱させ、第35話「キリマンジャロの嵐」で再登場させたという。従って、劇場版では当初の構想を忠実に反映させた話の流れとなっている。
Wikipedia:フォウ・ムラサメ


フォウの地球(ホンコン)での役割はすばらしいけれど、殺すためだけに登場させたキリマンジャロは見ていてつらいですね。
ホンコンで一度、キリマンジャロで一度、二度殺す必要はありません。
劇場版でカットされたのは、彼女のためにも当然にして優しい処理だったと思います。

ただ、キリマンジャロにおいて、カミーユの目の前で死ぬことによって「永遠のフォウ」になるでしょう?
もう過去も未来もなく永遠の存在になってしまう。宇宙で未来を生きるはずだったカミーユが最終的にああなってしまったことを考えると「永遠のフォウ」の存在は結構重いような気もします。
カミーユをあの結末に向かわせる分水嶺のようなポイントが「永遠のフォウ」にあったかも知れない。

個人的には「永遠のフォウ」は耐えられるけど「ロザミアの中で」は耐えられないんですよね。
「かわいそうだが、直撃させる」以外にしてあげられることがないって、ニュータイプとか、ガンダムとか何なんでしょうね。
リアルタイムで見ていた時から、何度も見返す今に至るまで、カミーユじゃないけど、宇宙でバイザー上げたくなる。

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"The world around you is not what it seems."
(あなたの周りの世界は、見えたままとは限らない)



Googleが提供する位置情報ゲーム「Ingress(イングレス)」。

現実世界をゲームフィールドにした、世界規模で行う陣取りゲームです。
私はプレイしてないのですが、話題になっていますね。

ある神秘的なエネルギーがヨーロッパの科学者チームにより発見されました。その力の起源や目的は未知ですが、研究者の中には、この力が我々の思考に影響を及ぼしていると考えている者もいます。我々はそれをコントロールしなければなりません。さもなければ、それは我々をコントロールするでしょう。

「エンライテンド(覚醒者)」はエネルギーが我々に与えるものを受け入れようとしています。
「レジスタンス(抵抗勢力)」は人類に残されたものを守り、保護するために戦っています。


このような設定の元、現実世界にゲーム世界のレイヤーが重ねられ、スマホ片手に歩きながら、拠点(=ポータル)を巡って勢力争いが繰り広げられているそうです。

「Ingress」やってないので分かりませんが、プレイしている人のことは「イングレッサー」と呼ぶのでしょうか?……イングレッサ?

ということは、北米ではイングレッサ・ミリシャとディアナ・カウンターが、肥沃なサンベルトの取り合いをしてるんでしょうか。してない。いや、してて欲しいのでしてることにする。
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そう考えていくと猛烈にプレイしたくなるのは、富野アニメ位置情報ゲーム。
我々が現実世界に仮想世界のレイヤーを重ねるなら、それは南米にジャブロー基地が存在する富野アニメ世界であるはずだ。
ノックスを崩壊させたいし、セントアンジェを探したいし、ウーイッグがどちらか訊きたい。

ポータルを探しながら色々歩いていたら、いつのまにか見たこともないマップが表示され、それがバイストンウェルだったりしてもいいんじゃないかな。
世界で限られた人間がオーラーロードを通って召喚されるような感じで。

世界中でプレイするためには、アニメに登場したスポットだけではとても足らないので、世界中をマウンテンサイクルにして、そこでモビルスーツなど黒歴史の遺物を発掘することにするのがよいかな。

良いマウンテンサイクルの採掘権を守りつつ、発掘していたらブラッドテンプルの頭部や謎の青い石、川村万梨阿のチャム・ファウ写真が発掘されたりするでしょう。
ゲーム的に設定された拠点ポイント(ドーム)に行くと、ポイントに換金されたり、最新ウォーカーマシンがもらえたらいいんじゃないかな。
そしてもちろん、「核」も掘り出されてしまう。

核を掘り出してしまったプレイヤーは、月まで捨てに行かねばならない。
というのは冗談ですが、何か取り合いが発生して、一歩間違えば夜中の夜明けになってもいいのかも知れないし、ジャブローで起爆することが選べてもいいのかも知れない。
その過程を『指輪物語』みたいなプロセスにしてもいいかも知れない。

アムロのように鉱山基地を破壊したけど無数にある鉱山のひとつに過ぎなかったように、世界中にマウンテンサイクルがあり、それを巡って争いが起これば、大変なことになるでしょう。
そのとき、ディアナ・カウンターのリーダーと、それに敵対するイングレッサ・ミリシャ側の少女が、持ち前の茶目っけで、こっそりGoogleアカウントを交換していたことを、そしてそれがこの争いを終結に導くことを、誰も、当の本人たちさえも知る由もなかった。

ちなみに私は行儀よく真面目なんて出来やしないので、世界中のドームを襲撃して壊してまわりたいと思います。




そのシビリアン、凶暴につき


「襲撃」といえば、『戦闘メカ ザブングル』を北野武監督で実写化する妄想。
出演者として、主人公ジロン・アモス役に、ねじめ 正一。ではなくビートたけし。(あの格好します)
アイアンギアの面々に、たけし軍団。
彼らは、フライデー……金曜日にイノセントのドームに殴りこみをかける。
盗まれるウォーカー・ギャリア。破壊されるレンジローバー。
「だ、誰か、あいつを止めなさーい」と叫びながら彼らを追う、イノセント役の明石家さんま。
にやりと笑いつつ、一足先に逃げ出すティンプ・シャローン役の大杉漣。

とりあえずダンカンは、サンドラットの一員が似合いすぎると思う。(ダイク的な意味で)
エルチは岸本加世子でいいんだろうか。ホーラは誰がやればいいんでしょうかね。最初、三田村邦彦と思ったんですが、いっそ福山雅治とかがやればいいんじゃないかという気もしてきました。

メガネキャラのコトセットはどうしようか。主演ビートたけしを踏まえて、松方弘樹にする方向もあるけれど、そうなると自動的にブルメが高田純次になって、トロン・ミランが「ゆきねえ」こと兵藤ゆきになるけどいい? 悩みの相談、兵藤ゆき。(西日本番長地図)

ちなみに私の実写版『ボトムズ』脳内キャストは、ル・シャッコを大杉漣にしたことで、キリコが小野寺昭。フィアナが夏目雅……瀬戸内寂……前田美波里。ロッチナに大和田伸也となっています。
そして、イプシロンに近藤正臣。
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俺の『エルガイム』に確かなものが何にもないわけがない。(電撃文庫)


さて前置きはこれぐらいにして。前置きが長い?知らない。わたしは私の道(マイ・ロード)をゆく。


Twitterで見かけた、あでのいさんと、おりたさんの『重戦機エルガイム』話。
私も『エルガイム』好きではあるんですが、これを見てふと、どういう可能性があったのだろうかと色々考えてしまいました。
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その昔、土曜17時半の時間帯はロボットアニメ枠でしたが、その中で特に『戦闘メカ ザブングル』から『機動戦士ガンダムZZ』までは、富野監督作品が5年間連続で放送されるという状況でした。
まさに「富野、富野、雨、富野」という感じで大連投され、「富野由悠季ランド」が毎年開園されておりました。すると制作状況はどうなるのか。


Twitterで教えて頂きましたが、やはりかなり大変な状況だったようですね。

こうした当時の『エルガイム』の制作状況など外部状況はひとまず置いて、話をしますが、これは現在から過去へ向けた「この方が面白い」「こうするべきだった」という話ではありません。いつもこのブログで行っている、可能性を検討する「感想戦」みたいなものです。

ジャコバの水晶球に映る「ゆるい」世界


監督ご本人も話していたと思いますが、主人公ダバ・マイロード君に問題があることはありますね。
ただ、私はダバをいじるよりは、彼が置かれることになる物語状況の方を検討した方がいいんじゃないかという気がします。

例えば、立身出世を目指して出てくる有望な若者が主人公ダバとそのライバル、ギャブレット・ギャブレー以外にもっとたくさん出てくるのも面白いかも知れない。

それこそ五つの惑星を擁するペンタゴナワールドなので、ダバクラスの若者がそれぞれの惑星から、それぞれの目的と手段で出てくるとか。

ある者は経済的に立身出世を目指し(打倒アマン商会)、ある者はポセイダル圧政下でのジャーナリズムに命をかける。そして、ある者は宇宙海賊として乱世を望むがゆえに反体制で暴れまわる。
そして、その中のひとりとして、滅ぼされたヤーマン王家の血を引き、復讐に燃える若者(ダバ)もいる。

幕末みたいに色々なタイプの立身出世の若者がいた方が楽しいし、主役リソースを準主役級に分散しての主人公ダバ・マイロードなら、あの都会ぶったシチューのような薄さがちょうどよくなるかも知れないね。
ダバの魅力を無理に付け足そうとするのではなく、英雄の魅力を複数人で分散して受け持つなら、ダバはむしろあのままでもいいかも、ということです。隋唐演義みたいにならんかな。

ステラ・コバンとジェネラル・クロソを合わせたような感じで、王家の末裔と偽って人心を集めて反乱軍をまとめあげる若者と、実際に王家の血を引くけどそれを隠したまま反乱軍に参加するダバみたいな感じにして、対比させながら進めていくのも楽しいかも知れない。
生まれながらの背景を持つもの、持たざるもの、どちらがリーダーにふさわしいのかも含めて。

宇宙に立場の違う主人公格がたくさんいるパターンだと『ディーヴァ』(T&E SOFT)になるかも知れない。その場合、最終的に目指す惑星はガストガルではなく、ナーサティア双惑星になりますね。
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こうした群雄割拠型の方が、登場人物がみなダバの方を向いている(でもダバ自体にそんなに魅力はない)という状態が解消される気がします。

ダバの親友ミラウー・キャオなんかも初期は、ポセイダル軍入って出世する!みたいに考えていたので、ギャブレーと組んだり、他にやりたいことが見つかって独立したり、ダバ依存を解消した方がより魅力的になるかも知れない。

一部の世代にしか通用しない例えかも知れないが、マンガ『F』における、主人公・軍馬に対するメカニック・タモツにするというか。
ダバの欠点や限界も分かった上でサポートしたり、自分の目的のために離れたりできるようなキャオ。
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六田登

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また『エルガイム』はどうしても『スターウォーズ』変奏曲という面も強いのですが、ひとつのパターンとして「貴種流離譚の復讐劇」を強調する方向があると思います。
多分、それを突き詰めると『コードギアス』的なものにつながっていく。ていうか、さっき実際に脳内でつながりました。
敵方には、十三人衆(ナイトオブラウンズ)もいるよ。
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確かに『エルガイム』から見て、『コードギアス』は貴種流離譚の復讐劇パターンとしてのひとつの答えだと思います。しかし、これは方向性のひとつでしかありません。

『エルガイム』は、田舎の若者が都会で就職しようと上京するけれど、就職先の企業やそこにいる大人がろくでもないので会社を転々としたあげく、仕方なくベンチャーの社長になるような話でもあります。
僕らはどこに就職したらいいの?どの大人についていけばいいの?大人の支配から逃れる術はないの?という話ではあるとは思うので、その方向で膨らましても面白いかなとも思います。
ダバはやりたくて代表取締役になるわけではないうえに、結局、悪い大人(アマン商会)の融資を受けないと会社を維持できなかったりするのですが。

中島敦『悟浄出世』ではないですが、ダバがポセイダル軍を始め、ゲリラや反乱軍、平和運動組織など、とりあえず経験してみようと、いろんな団体・組織に入ってみるけれど、そこにいる大人を見て、なるほどみんな大人がどんなものか分からないけど、分からないなりに大人の顔して大人をやるのが暗黙のルールなんだと気づいていく一話完結性が強いものとか。

あとは『エルガイム』の先にあるものとして、『∀ガンダム』を見ても面白いのかも知れない。
永遠の女王が退位する物語として。ディアナ・ソレルは、ポセイダル(ミアン)、女王マリア(Vガンダム)と違って、もともと男性の傀儡ではないけれども。
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『ザブングル』『ダンバイン』そして『エルガイム』と、土曜17時半の大連投が生んだオリジナルロボットアニメ群は、その制作状況からも充分満足のいくものが出来たとは言い切れないのですが、その成果は『機動戦士Zガンダム』へつながっていきます。

特に『Z』直前の『エルガイム』と永野護の存在は大きい。
ペンタゴナ・ワールドは神様が3人いて混乱するし、何かと「ゆるい」。それは確かです。
けれども私は、永野護にビジュアル面を全て任せるのが許されるような「ゆるい」世界が、あのタイミングに生まれて本当に良かったと、こころから思っています。
それがビッグプロジェクト『機動戦士Zガンダム』制作のための捨て駒としての産物だとしても。
その後を見て分かるように、やはり『機動戦士ガンダム』の世界ではそれが許されなかったから。




Google検索のサジェストに「ベルトーチカ うざい」と表示されてしまう件


さて、『エルガイム』の後番組『Zガンダム』で登場した、ベルトーチカ。(埼玉県入間市出身)
声は『エルガイム』のガウ・ハ・レッシィ役であり、永野護夫人でもある川村万梨阿さん。

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ベルトーチカは場合によって「宇宙世紀三大悪女」に数えられることがあるほど、世間的には何かと嫌われたり、うざがられたりしているようですね。

私はわりと好きだったりします。
嫌う気持ちも分からないではないですが、物語中の役割もあって、あのキャラクター、あのデザインだと考えています。

そんな彼女の最大の仕事は、カミーユに対して「アムロにガンダムMk2を譲れ」と言ったことでしょう。

ベルトーチカ「もう慣れた? ガンダムMk2」
カミーユ「ええ」
ベルトーチカ「どれだけ実戦を経験したかが物を言うのよね、モビルスーツ戦は」
カミーユ「何が言いたいんです?」
ベルトーチカ「率直に言うわ。アムロさんにMk2を譲らない?」
カミーユ「ええっ?!」
ベルトーチカ「あの人の方が有効にMk2を扱えるわ」
カミーユ「アムロさんがそう言えって?」
ベルトーチカ「まさか! でもガンダムに乗らないアムロ・レイなんて、おかしいと思わない?」
カミーユ「どいてください!」
ベルトーチカ「アムロさんは一年戦争の英雄なのよ? 英雄には、英雄に相応しいマシンがあるはずよ」
カミーユ「僕には相応しくありませんか! Mk2は?」
ベルトーチカ「あなたのことを問題にしてるんじゃないの。あなた、アムロが嫌い?」
カミーユ「まだ好きにはなれませんね」
ベルトーチカ「これはアムロの為になることなのよ。もっと自信を付けてもらう為には。カミーユ!?」
カミーユ「それはあなたの同情ですね! そんな哀れみは、いつかアムロさんを殺すんじゃないんですか?」

第17話 「ホンコン・シティ」より (台詞はこちらから引用させて頂きました)


「ガンダムに乗らないアムロ・レイなんて、おかしいと思わない?」

これは単なる兵器としての「ロボットの乗り換え提案」ではありません。
『ガンダム』続編として、物語として、主人公の座をよりふさわしい者に禅譲したら?という提案です。

富野アニメでは視聴者が考えるようなことを先回りして作中で処理しておくことが良くありますが、このシーンもそうしたひとつで、彼女が言わなければ、この台詞はいずれ視聴者が言うことになったはずです。

前作主人公アムロ・レイが続編である『Zガンダム』に再登場した以上、作中で誰かが言わないといけない台詞なのですが、外部から来た空気を読まないキャラクターとしてベルトーチカが言うことになりました。
このシーンは恐らく、彼女が嫌われる理由のひとつになっているでしょうが、必要なプロセスであると私は思っています。

ただベルトーチカが言うように「英雄には、英雄に相応しいマシンがあるはず」というのは、子供だった私も思っていました。
なにしろ『機動戦士ガンダム』の主人公アムロ・レイが復活して、再び戦うわけです。
「僕がいちばん上手くガンダムを使えるんだ」と自負し、実際、最高に上手く使い切ったアムロがです。
しかし、ガンダムはMk2の一機しかありません。さて、誰がガンダムに乗るべきなのか。

ちなみに第17話 「ホンコン・シティ」の前には、カツ・コバヤシがガンダムMk2で無断出撃してピンチになる回(第15話「カツの出撃」)もあり、伝説のホワイトベースで、アムロと一緒に一年戦争を生き抜いた子供でもダメという前振りがされています。
下手するとベルトーチカよりよほど嫌われているカツですが、その経歴からいえば、普通のアニメなら主人公としてガンダムに乗っても不思議ではありません。でもカツはガンダムに乗るために生まれたキャラクターではないのです。
カツがダメなんだ……というのは、リアルタイムにカツより年下の子供だった私にはそれなりに衝撃だったと思います。

カミーユを主人公と認めた日


個人的な記憶では、子供時代にリアルタイムで『Zガンダム』を見ていたとき、ここまでのカミーユ・ビダンはどうしても難しい子というか、ナイーブでとっつきづらい子ではあったので、主人公(つまりガンダムのシートに座るもの)として、そこまで受け入れていなかったと思います。

子供の私から見ても、アムロの方が気難しくないし、ガンダムの操縦が上手くて経験も豊富だし、何より前作『機動戦士ガンダム』でアムロをずっと応援してきたわけで、思い入れもあります。
アムロの方が主人公として、ふさわしいかどうかは別として、心理的な抵抗がなかったと思います。

そうした個人的な前提があった上で展開された、「ガンダムを譲れ」のシーンです。
そう!ガンダムと言えばやっぱりアムロだよ!

アムロへガンダムを譲れ、と迫るベルトーチカ。

不快感を露わにして拒むカミーユ。

そしてなぜか、それを見て「カミーユ、Mk2を譲らなくていいよ!」と思う子供の私。……あれ?

ガンダム主人公による「俺がガンダムだ」の正しさ


大人になった今の私がまず思い出すのは、このブログで多用する、相田みつを先生のお言葉です。

「Zガンダムはねぇ カミーユのために この世に生まれてきたのでないんだよ Zガンダムがさき カミーユはあと」

玩具メーカーのコマーシャルフィルムだった時代のロボットアニメは、その性質上、ロボットの登場は大前提として運命づけられています。(ロボットがさき)
キャラクターや物語・世界観は、ロボットを魅力的な存在にするために産み出されたものです。(キャラクターがあと)

カミーユ、もちろんアムロもですが、モビルスーツ・ガンダムに乗ることを前提としてつくられたキャラクターです。
その逆、カミーユというキャラクターをかっこよく描くために検討された結果、巨大ロボットが選ばれたわけではありません。

ガンダムは主人公キャラクターを必要とし、主人公キャラクターはガンダムを必要とする、と書くと、共依存みたいですが、実際にカミーユがガンダムから降りてしまうと、キャラクターとしてのそもそもの存在の拠り所を失います。
アムロの方がガンダムの操縦が上手いとか、そういう問題ではなく、カミーユ・ビダンはガンダムに乗り、戦い続けなければカミーユ・ビダンとして存在できません。(そして最終的にああなりました)

ガンダムに乗れない子供であることを証明したカツ。
乗れるのにガンダムに乗ろうとしないアムロ。
そのアムロをガンダムに乗せようとするベルトーチカ。
それを拒むカミーユ。

それぞれが正しいスタンスによる、必要なアクションをとっていると思います。

その中でも特にベルトーチカはなかなか損な役回りをしているのですが、前主人公アムロをガンダムに乗せようとして現主人公が断る、というプロセス自体は絶対に作中でやっておくべきだったと私は思っています。

そのためには、本当に番組を見てる子供ぐらいの空気の読まなさで、「Mk2はアムロが乗ればいいのに」と口に出してしまうような人が必要なんですよね。

これらを踏まえて改めてベルトーチカを見ると、最初にアムロに会った際に「ニュータイプといっても普通ね」と思ったことそのまま言ったり、クワトロに「平和なインテリジェンスを感じない」と、全く正しいけど、その場のメンバーには絶対口に出せないことを言ったり。
率直にものが言えるキャラクターとして最初からデザインされています。

その一方で、若いベルトーチカを批判させるに最もふさわしいであろうミライさんを登場させて、たしなめさせてもいます。

ミライ「ベルトーチカ、急いではダメよ。人と人の関係なんて、おんなじよ。時間を掛けてゆっくりとわかっていくものよ」


さすが! ミライさんの言うとおり! と、思ってくれれば、この台詞の価値はさらに増します。
まだ若く率直すぎるベルトーチカをきちんと批判できるアンチキャラクターを配置することで、作中でのバランスはある程度、とられているのではと思います。

とはいえ、ベルトーチカが嫌われてしまうにはそれ相応の理由があるのでしょうから、そう思うことを悪いとは全く思いません。
ただ、彼女はきっちりと役割果たしているので、良いキャラクターだなと私は思います。
アムロのお尻を叩き、奮い立たせる金髪キャラとして登場するところも含めてね。

以上。
今回は、誰かが口にすべき「ガンダムに乗らないアムロ・レイなんて、おかしいと思わない?」を作中で言ってくれた女性。かしこい、かわいい、ベルトーチカさんのお話でした。

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ベルトーチカ余談。
当時、子供の私が読んでいた雑誌(ボンボンなど)で事前にアムロが乗るモビルスーツが「ディジェ」だったと知っていた可能性はあると思います。さすがにこのシーンの前にそれを知っていたかどうかの記憶はありません。
ただ事前に知っていればなおさら、「えー、アムロってガンダム乗らないの?」と子供は単純に思うはずなので、「ガンダムを譲れシーン」はそれでもやる意味はあったんじゃないかな。

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『機動戦士ガンダム』シリーズに登場するロボット「モビルスーツ」は、宇宙戦争で使われる兵器です。

スペックや武装なども細かく設定されており、ファンはミリタリー的な楽しみ方をすることが出来ます。
プラモデルもかつてその要素を取り入れて発展しましたし、現在でもネットでは「どのガンダムが最強か」などの議論が発生し、検証するためにミリタリー的な見地が持ち込まれたりもします。

私は残念ながら、プラモデルも買いませんし、ミリタリー的な知識も素養もないので、そういう対象としてのモビルスーツには全く興味がありません。
興味があるのはやはり、物語内に登場する「キャラクター」としてのモビルスーツということになります。

フィクションに登場させるためにつくられた架空兵器なのですから、登場人物(キャラクター)と同じように、当然そこには登場させる意図と、物語上で果たすべき役割があるはずです。
機械であり兵器であるモビルスーツを、どうすれば物語中で「キャラクター」にできるのでしょうか。

今回は、いくつかのサンプルをもとにあれこれ雑多に考えてみましょう。
(いつもどおり、当然いろいろ脱線します)

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『ガンダム』シリーズに、主役ロボット「ガンダム」が登場する意味とは


先日とあるきっかけで、『機動戦士ガンダム』シリーズにおいて主役ロボットが「ガンダム」である意味についてツイート連投しました。
一連の流れに関しては、あでのいさん(@adenoi_today)が、Togetterでまとめてくださいましたので、ぜひご覧ください。私はともかく様々な方の発言が集まっており、興味深いものになっていると思います。

ガンダムが「ガンダム」である意味
http://togetter.com/li/630810

詳細は読んで頂くのが良いですが、私のパートは基本的に『機動戦士Zガンダム』についてのもの。
簡単にまとめると以下のような感じになります。

(1)「ガンダム」の名を継いだ主役機ガンダムMk-IIが、突出した性能を持たないのは「7年後の世界」の現状認知としては普通のこと。
(2)Mk-IIは「ガンダム」の顔と名前を利用しているだけのガンダム。
(3)Mk-IIに限らず『機動戦士ガンダム』以降のガンダムは、全てガンダムのフェイク(偽物)。
(4)Mk-IIに対してのZガンダムの価値は「父から与えられたガンダム」ではなく、カミーユが開発に関わったこと。


『機動戦士ガンダム』以降のシリーズでのガンダムが、いかに「ガンダム伝説」を利用したフェイクであるか、というのは『ガンダムF91』『Vガンダム』を中心に、あでのいさんが語ってくださっています。

私は『機動戦士Zガンダム』をリアルタイムで見ていた子供のひとりでしたが、ガンダムMk-IIが主役機にふさわしい強いロボットであると思ったことはありません。
これは私や周りの友人を含めた当時の子供の共通認識だった思います。

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確かにガンダムMk-IIは、初代ガンダムのようにスペシャルなロボットではなく、普通のロボットに過ぎませんが、『Zガンダム』において、それが間違っているとは思いません。
作品上の必然から来る「偽物のガンダム」という微妙なポジションのキャラクターをきちんと果たしています。
無論すべてが上手く表現できているとは思いませんが、意味なくMk-IIがああいうモビルスーツになったのでは無いのは確かだと思います。

まあ、そもそもタイトルが二代目主役機の名を冠した『機動戦士Zガンダム』でしたしね。
同じように二代目機が登場する『ザブングル』『ダンバイン』『エルガイム』はタイトルが初代主役機名になっていました。

その番組名を冠した正真正銘の主役機「Zガンダム」については、Twitterで興味深い情報を知ることができました。

「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」「Zガンダムにね」



『Zガンダム』の主人公カミーユ・ビダンのモデルが、彫刻家カミーユ・クローデルであることは有名ですが、ロダンとクローデルとの関係と「Zガンダム」という機体とカミーユとの関係との関連というのは初耳でした。

そこで早速、LDライナーのインタビューについて検索してみると、さすが!ひびのたわごとさんが紹介してくださっていました。関連箇所だけ引用させて頂きます。

ZガンダムLDライナー富野インタビューby庵野
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3937.html

庵野:カミーユ・クローデルって、その後映画にもなりましたけど、その頃は誰も名前知らない人ですよね。半生を精神病院で過ごした女性(ひと)で。カミーユも最終回で精神をやられちゃいましたが、それもクローデルに影響を受けて?

富野:もちろんです。あの時は「エルガイム」の反動で本能的にクローデルみたいな人をモデルにしたんだけど、今ならうまく説明できる。カミーユ・クローデルにとっての師ロダンの位置づけが、カミーユ・ビダンにとってのZガンダムだってっていう。その構造が僕にとって一番シンプルにとらえられる。クローデルとロダンの関係というのは、愛人関係でありながら、じつはロダンの半分くらいの作品を彼女が作ってたんじゃないかという。でも世間的には、クローデルの作品もロダンが作ったんだと見なされて、失意の中で彼女は精神をやられる。反対にロダンという人はそのおかげで美術史に残っていったわけ。でもひとりの人間として考えると、ロダンが自分ひとりで成立していったかといえば決してそうではない。クローデルみたいな人もいたんじゃないか。と同じように、ガンダムだけで「ガンダム」が出来るわけではない。要するに「表現される人と物の関係」を、クローデルとロダンの関係は象徴的に表しているサンプルだったんです。だからカミーユに惚れこんじゃた。


インタビュー読むと色々連想されて面白いですね。

例えばベルトーチカに「アムロにガンダムを譲れ」と言われたこと。
つまりこれは、アムロが乗ってないと『機動戦士ガンダム』じゃないでしょ?ということですよね。
だがカミーユは、アムロにガンダムパイロットの座を譲らなかった。

あとは、エマさんによる「私の命を吸って」問題。
エマは最終回「宇宙を駆ける」で、Zガンダムは人の意思を吸い込んで、自分の「力」にできるとカミーユに伝えています。だから、死にゆく私の命を吸って、とカミーユに頼み、そして死んでいく。

Zガンダムが持つ「力」というのは、同じく最終回シロッコ戦で、フォウとロザミアも語っています。

フォウ「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」
ロザミア「Zガンダムにね」


エマもフォウも、Zガンダムというマシンにその「力」があると言っています。カミーユではなく。

もちろん、アポリーの乗ったZガンダムに同じことが出来るかといえば、出来ないでしょう。
ですが、やはりこれは「ガンダム」の力なんでしょう。ただし、それには人の命とマシンとをつなぐ、霊媒体質のパイロットを必要とする。

そう考えるとカミーユは、神に捧げられた人身御供の巫女(というとカミーユに殴られるけど)だよね。
自分自身のというより、多くの人の意思を背負って、神にその願いを伝える役割。
そしてエマは、カミーユに与えられたのがその役割であることを、最終回で告げる役だよね。

エマは「命を吸って、力にして、戦いを終わらせなさい」と言います。
それはエマさんらしい正しさに則った言葉です。姉として最後の励ましでもあります。はっぱかけたげる、さあカタつけてよ!です。最終回にふさわしい正論といってもいい。

でも、カミーユはここまで来るまでに、死んだ多くの人たちの命を吸ってきています。背負う荷物はもう限界ギリギリです。そこにさらにひとつ荷物を載せて、さらにここまで誰も直接本人には言ってなかったのに、カミーユが最後にすべき事を具体的に伝えてしまう。

繰り返すが、エマさんの言うことは正しい。
作劇上も、最終回冒頭でラストのために、あらかじめこれを言っておくのは正しいと思う。

でも残酷だ。正しいが残酷だ。カミーユはエマに言われたとおりのことをして『Zガンダム』は終わる。

『機動戦士ガンダム』いう作品がなければ『機動戦士Zガンダム』は当然生まれなかったし、カミーユも「ガンダム」によって生み出されたキャラクターです。
相田みつをに言わせれば「Zガンダムはねぇ カミーユのために この世に生まれてきたのでないんだよ Zガンダムがさき カミーユはあと」。

主人公としてガンダムに乗り、多くの人を殺し、多くの人を殺され、そして1年でその主役を降り、翌年に始まる『機動戦士ガンダムZZ』への道をつくって、主役をジュドーに譲りました。
まさしく「ガンダム」のために生まれ、命を使ったキャラクターだったな、と思います。

これを考えると『ガンダムF91』で、カロッゾ・ロナが「人をいっぱい殺しなさい」と言われて、鉄仮面をかぶり、自らを強化改造して、マシン(ガンダム)に近づいていったというのが面白いよね。
バグを使った虐殺を、カロッゾが「誰も良心を痛める事のない良い計画」と言う意味が分かるというか、カミーユみたいに人の命を吸いたくなければ、ああいうのを使うしかないかも知れない。

『逆襲のシャア』終盤でも、ナナイが「大佐の命が、吸われていきます……」と語っていましたが、「ガンダム」というコンテンツがこれまでにどれだけの人の命を吸ってきたのでしょうか。
これからも吸い続けるでしょう。

MAは城、MAは石垣、MAは堀、情けは味方、仇は敵なり


ティターンズは、ガンダムMk-IIを奪われたあとも、サイコガンダムというモンスターのようなフェイクガンダムを開発しています。

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パイロットは、ニュータイプのフェイクである強化人間のフォウ・ムラサメ。
名前も記憶も何も持っていないフォウは、それを取り戻そうと巨大なモビルスーツ・サイコガンダムに乗り込み戦います。

ガンダムの強化人間少女たちは、少女たちのイメージとは真逆な、巨大で暴力的なマシンに乗り込むことが多いですね。例えばこんなメンバー。

・サイコガンダムのフォウ・ムラサメ
・サイコガンダムMk-IIのロザミア・バダム / プルツー
・クィン・マンサのプルツー
・α・アジールのクェス・パラヤ


並べてみただけで恐ろしいラインナップですね。

以前書いたことがありますが、これら巨大なモビルアーマーはその名のとおり彼女たちの心の「鎧」いや、彼女たちが囚われている心の「城」です。

思春期の少女たちは、それぞれの理由で不安定。
アイデンティティに悩み、自意識が肥大した少女ほど、その「城」は堅牢巨大な要塞となります。
モビルアーマーの巨体は、触るものみな傷つける不器用なギザギザハートの現れであるかも知れず、少し動いただけで世界とそれと同時に中に囚われた少女自身を傷つけてしまいます。

これらのモビルアーマーは全て拡散メガ粒子砲を持ち、ビームを四方八方肘鉄砲にまき散らしながら大暴れしますが、これはつまり少女の大号泣です。
女の子が泣きじゃくっているわけです。他傷・自傷行為しながら、ぎゃんぎゃん泣きじゃくっているわけです。めちゃんこかわいいね!(崩れゆく街並み)

『イデオン』の全方位ミサイルみたいなのと同様に、兵器による感情の発露ですね。

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モビルアーマーに籠城している彼女たちを解放するために、ガンダムの主人公たちは攻城戦に挑みます。
城攻めの方法として、暴力で屈服させようと言う人もいますが、やはり接触して(体をくっつけて)話しかけて、落ち着かせるべきでしょう。
しかし、カミーユやハサウェイを見て分かるように城門を開かせる(コクピットを開かせる)のは容易ではありません。

カミーユは結局、サイコガンダムがジェリドのバイアランの攻撃から庇ったことでフォウを失っています。
エルメスに庇われてララァを失ったシャアと同じような体験をしたわけですが、エルメスならともかく人型のサイコガンダムがなぜコクピットのある頭部で庇って一撃で死ななければならないのか、ということはよく言われますね。

またサイコガンダムMk-IIのロザミアの場合では、「かわいそうだが、直撃させる!」のセリフと共にカミーユ自身が葬り去っています。
こちらは「殺す側」という意味では、アムロがララァを殺してしまったのと同じような体験といえます。
カミーユはこのとき頭部コクピットを一撃で撃ちぬいていますが、フォウを同じように頭部への一撃で失った体験が、この見事な射撃につながっているのだとしたら、こんなにやるせなく、不条理なことはないと思います。

一方、ジュドーは攻城戦が巧みで、終盤でもクィン・マンサのコクピットを開けさせたことが、グレミー・トト直接の敗因にもなっています。
(結果的に、少女を救い切れてないのがやるせないところなのですが)

以上、メガ粒子が乱舞する巨大モビルアーマー戦は「号泣少女とそれに困る男子」のアングルで見るとより楽しいよ、というお話でした。かわいいね!(廃墟の中で)

もちろん作品の性質上、搭乗するモビルアーマーが先に決定しているような場合の方が多いのではないかと思います。
ただ、このような巨大で暴力的でバカげたマシンにどのような人物をパイロットとして乗せるのがふさわしいのか、ということを考えたとき、極めて精神的に不安定な少女たちが選ばれたのは組み合わせの妙を感じます。慧眼と言うほかないですね。

単なる兵器であるモビルアーマーが、強化人間の少女たちを得ることで、ひとつのキャラクターとなり、私達に強烈な印象を残すものになったのですから。

ちなみにこの流れで見たときに『ガンダムF91』で、モビルアーマー「ラフレシア」に搭乗するのが、ベラ・ロナ(セシリー)ではなく、その父カロッゾ・ロナ(鉄仮面)であることがやっぱり面白いよね。モビルアーマーにふさわしい精神的に不安定なパイロットは娘ではなく、自らを強化人間の手術を受けた父の方だという。

アムロとシャア、2人の初めての共同作業です


号泣少女のひとりであるクェス・パラヤのα・アジールが登場する『逆襲のシャア』。
主役となるモビルスーツは、もちろんアムロ・レイの乗機、νガンダムです。

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ガンダム以降のガンダムは全てフェイクと述べましたが、それでもこのνガンダムに関しては、単なるフェイクとは呼べないものを感じます。
それはなぜかと考えてみると、やはりνガンダムが「アムロとシャアの子供」だからではないでしょうか。

νガンダムは、パイロットとなるアムロ・レイ本人による設計と、そのアムロと互角の決着をつけたいと望んだシャアによる技術提供によって生まれたモビルスーツです。
ガンダムのマスクと名前を持ち、ジオン系技術であるサイコミュ兵器を搭載したモビルスーツであり、アムロとシャア、2人の遺伝子を使った愛の結晶と言ってもいいでしょう。

そしてνガンダムという肉体の誕生に、アムロとシャアの2人が関わっていたことは『逆襲のシャア』ラストに形となって現れてきます。

物語の終盤、大破したサザビーから射出された脱出コクピットを、アムロのνガンダムはトリもちで捕らえて手につかみます。(よくサイズがおかしいと突っ込まれる丸いボールです)

この「トリもち」というものを媒介にして、νガンダムの手と脱出コクピット(もちろんシャア大佐入り)がくっついて、一体となることがとても面白い。
このトリもちで、アムロとシャアはもう離れられない関係になってしまったわけです。
そう、まさに最後の瞬間まで。

実利的なことをいえば、トリもちはアムロとシャアを一体化して通信状態を保つ言い訳でもあるし、ネオジオン兵によるシャア奪還とアクシズを押す無防備なνガンダムの撃破を不可能にする言い訳でもあるでしょう。
シャアの命を見捨てればνガンダムは倒せるでしょうけど、アクシズ落下の状態でそれをやる意味は特に無いだろうし、この映画でそれができる唯一の存在ギュネイはもう死んでいる。

さて、トリもちで脱出コクピット(シャア)とνガンダム(アムロ)が文字どおり一体化して、三位一体、一心同体三銃士となったことで、どうなったのか。

肉体(νガンダム)に対し、心(アムロとシャア)が2つになりました。この2つの心は口論を始めます。
心の中にいる天使と悪魔のケンカのようなものですね。

体のコントロール権はアムロにあるので、νガンダムはアクシズを押し始めるのですが、その最中もずっとνガンダムの肉体の中で、2つの人格がせめぎ合います。

シャア「ふふふふ、ははははっ」
アムロ「何を笑ってるんだ?」
シャア「私の勝ちだな。今計算してみたが、アクシズの後部は地球の引力に引かれて落ちる。貴様らの頑張りすぎだ」
アムロ「ふざけるな。たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる」
シャア「馬鹿な事はやめろ」
アムロ「やってみなければわからん」
シャア「正気か?」
アムロ「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」
シャア「うわああっ……アクシズの落下は始まっているんだぞ」
アムロ「νガンダムは伊達じゃない」

シャア「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて自然に対し、地球に対して贖罪しなければならん。アムロ、なんでこれがわからん」


元々『逆襲のシャア』は、人類に対する絶望と希望が、シャアとアムロの2人のキャラクターに別れて、争い合うような作品(永井豪ちゃん的作品理解)です。
そう考えると、この2人の最終状態が、アムロ&シャア in ガンダム(from L.A.)というのは興味深いですね。(from L.A.=ロンドベルとアクシズから来た2人の意)

作劇上、人格を分離して配役した2人のキャラクターが、最終的に2人が生んだガンダムの中でまたひとつに統合されたかのようです。この状態は、富野監督個人が強く持っている二律背反状態に形の上でもより近づいたとも言えるかも知れない。
すぐに全ては光の中に消えていくのだけれど。

個人的にはこのようなことを感じているので、νガンダムは単なる主役モビルスーツというより、おはようからおやすみまで、いや、誕生から消滅まで、アムロとシャアの因縁を象徴するキャラクターとして大変優れていると思っています。





今回は「キャラクターとしてのモビルスーツ」をテーマにお送りしたように見えましたが、実際のところ、Twitterでのツイートリサイクルまとめです。
観念的な部分が多くて、自分で書きながら自分であまり好みじゃなかったりしますが、Twitterだと、思いついた順に適当にツイートするんでそうなりがちなんですよね。

ですから今回の話は、全部本気で書いているというよりは、半分くらいは「まあ、こじつけるのも一種の芸か」と思いながらやっているところもあります。

ただ「キャラクターとして演出されたモビルスーツ」にこそ魅力を感じているのは本当のことですし、「ロボットによる感情の発露」は、ガンダムに限らない富野作品の特徴のひとつなので、いつかちゃんとやってみたいですね。

ともあれ、もう少し具体的な話が好みなので、そうなるように生きていきたいと思います。
僕は僕に。君は君に。拝み倒して泣けばいい、いや笑えりゃいい。

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