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デスノートが完結した。
想像してたよりテーマ的な回収も多く、面白い終わらせ方だった。

最終回前に書いたデスノート記事はこちら
デスノート学級会

※このエントリはネタばれを含んでいます。



まず面白いのは、最終回が刑事2人の会話だけで終わっていることだろう。
もっといえば最終回は、「読者からのよくある質問」に連載終了前に作品が答えておく、というFAQ方式だった。

松田を読者目線に立たせて、読者側としてキラ事件とその後についてあれこれしゃべらせる。そしてもう1人の刑事に、作品代表として答えさせる。

あらかじめ読者が考えそうな意見・質問・反論などを想定し、それに答えておくというまさにFAQ。読者の邪推や未練を断ち切るための仕組みだ。

そんなわけで松田は、キラ事件の事後処理について、魅上はニアがノートを使って殺したんじゃないかとか、ニアを誘導してノートを手に入れさせたとか、証拠のない邪推をあれこれをめぐらす。

それに対して話相手の刑事(めんどくさいから検索した…井出さんか)、井出が、こう返す。

「それは、お前の願望だ」
「お前、ライト君が好きだったろう」
はっとする松田。

そう。
僕達は初期の、悪を憎み、悪を裁く天才ライトが好きだった。
警察やLどころか、父も世界もだましてでも、目的を果たそうというライトが好きだった。
大量殺人兵器デスノートを私利私欲でなく世界の悪に対して使えるライトが好きだった。

だから最終決戦。
どうみてもライトの命運は尽きた、という頃になっても
「ここまでは、ライトの計算の内なんじゃないだろうか?」
「この後、逆転がはじまるんじゃないだろうか?」
と信じてる人はかなり多かったはずだ。
もちろん奇跡はこなかった。しかしそうなればなったで、
「ライトはまだ死んでないんじゃないだろうか?」
「ニアは怪しいんじゃないだろうか。真の黒幕はニアなんじゃないのか?」
と考える。

だが、それは井出の言葉で全て終わりだ。

「それは、お前の願望だ」
「お前、ライト君が好きだったろう」

確かにその通りだ。
でもそれは仕方ない。普通の人には当たり前のことだ。

で、普通の人、松田は悩んでいる。
キラがいた時の世界と、1年後の全てが元通りになった世界(我々の現実世界)と、どっちがよい世界なんだろうか…。
もう悪人に天罰を下せる神はいない。悪人はさぞほっとしたことだろう。

一方でニアは、その後も推理と捜査で悪と戦っているようだ。
「デスノート無しでの悪との付き合い方」という意味では、教科書的というか、人間として真っ当な悪との立ち向かい方をニアはしている。
もちろんライトのような悪を裁く圧倒的な力はない。
だがニアは自分の正義を信じている。だからライトを「ただの大量殺人者」と否定できる。

しかし松田どころか井出ですら、キラがいる世界といない世界、どちらが正しいのか分からないという。
松田は読者の代理だからいいとして、作品側のはずの井出ですら、キラの目的自体は否定はしていないわけだ。

場面変わって、岩山の道を歩くローブを来た人々。
山頂で1人の少女が「キラ様…」とつぶやいて灯りのともったろうそくを立て、人々は夜空の月に祈る…。
という場面でデスノートは終わる。

「キラ教」と言ってもいいような宗教的なシーンですが、ここは刑事2人の会話とはうって変わって、テーマ的な回収シーンでもある。

岩山を歩くローブ姿の老若男女のシーン。最終回だというのに大胆に見開きページを使ってることが引っかかっていたのだけれど、立ち読みでしか読んでないので最初は読み飛ばした。
が何か気になって、数日たってから2回目の立ち読みで見直してみて気づく。

場面内にいるローブの人々の中に、青年、壮年といった成人男性の姿がないのだ。

ページ内にいるのは、老人、女性、子供、赤子を抱えた母親…。
つまり社会的弱者だ。ニアのように強くない人たち。悪と直接対峙する力のない人たちだ。

そういった「弱いが正しく生きる人々」を法や警察は守れない。世界は守りきれてない。
唯一の希望、救いの神が「キラ様」だったはずだ。
もちろんそれは真っ当な裁き方ではない。
だから彼らは日のあたる場所でなく、ひっそりと夜の月に祈るのだ。

きっとキラでしか救えない人もいるとも思う。
だからニアみたいにライトを完全否定できない。
ニアみたいに否定して自分の正義を信じて強くは生きられない。

普通の人はそうですよね。

だから作品としても、少年誌らしく堕落したライトには情けは全くかけませんでしたが、ライトが目指したもの=「キラ」とその目的自体は肯定もしないが、否定もしませんでしたね。

連載中も思ってましたが、デスノートは、小説「銀河英雄伝説」のテーマにして究極の選択を思い出しますね。
「最高の独裁君主制国家」と「最低の腐敗民主主義国家」。
どっちの国がいい?というあれをね。

デスノートに置き換えると、
「1人の天才に悪人を殺してもらう世界」と「世界の全員で悪と立ち向かわないといけない世界」どっちがいい?
でしょうかね。さて、どっちがいいかな?

問題提起は充分にしてくれましたから、あとは読者(特に子供たち)が考えるきっかけになればいいのです。

うん。いい終わり方だ。
立ち読みだけなのでストーリーは全忘れしてますが、この終わり方は多分忘れないな。
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……(立ち読みのジャンプを閉じる)。

いやね、ノートに名前を書いたら人が死ぬでおなじみのデスノートが次週で最終回なんですよ。
小学校で「デスノートごっこ」が流行し、全国で日ごと「デスノート学級会」が開かれ、先生が「みんなも自分の名前がデスノートに書かれてたらどう思う?名前を書かれた子の身になって考えてみよう」と熱く語ることでおなじみのデスノートが。
まあ、そんなうっとうしい先生はクラス全員のノートに名前が書いてあるけどな!

私は連載で読み流しているだけで細かいことは何にも覚えていませんし、第二部に入ってテンションが明らかに落ちたので毎週1分でパラパラ読みしかしてませんでした。

でも、ここ何週はいよいよクライマックス。いよいよ決着ということで、毎週きっちり読んでました。
今週はラス前だったわけですが、実はすでに決着は2週前ぐらいについてますので、後はもうホント終わるだけ、という感じです。

僕は推理合戦としてのデスノートに全く興味がないですが、テーマには大変興味があります。

まず、あらすじ見てみましょう。



■デスノートのあらすじ

デスノートは、主人公の高校生夜神月(以下、ライト)が、名前を書いたら人が殺せるノートを手に入れたことから始まります。
優秀で正義感の強いライトは、ノートを世のため人のために使うことを決意し、悪人をこの世から消すために使いはじめます。
世界は、悪人を消し続けるライトを「キラ」として英雄・神であると賛美します。世界はライトを受け入れるのです。

その一方で、警察はこの人為的に殺人を発生させているキラ(ライト)を突き止めるため謎の探偵Lと捜査をはじめます。
デスノートは、悪をこの世から滅ぼし正義を実現しようするライトと、探偵Lの推理合戦を主軸としています。



というのが、このお話のアウトライン。

面白いのは、
ライトの行動は、典型的な「少年マンガ」の主人公的行動であることです。

■ジャンプ主人公としての夜神月

いわゆる悪を戦う少年マンガの主人公は以下のような道筋をたどります。

(1)ふとしたきっかけで、超能力を手に入れる。
(2)その能力を使えば、悪いことも良いこともできる。
(3)しかし主人公は悪を倒すために、力を使うことを選ぶ。
(4)その力と戦いが世間、世界に認められる。

分かりやすいところで言えば、藤子不二雄の「パーマン」。
「ジャンプ」のバトルマンガも多くはこのフォーマットにのっかってると言ってもいいでしょう。

「デスノートは、ジャンプのマンガっぽくない」と言っている人もいますが、ライトの行動はまさに上記の通りで、ジャンプマンガの主人公以外何物でもないわけです。
その意味で、デスノートは典型的なジャンプマンガだと言えます。

ただ。
ただ、デスノートが圧倒的に面白いのは、探偵Lによって(そしてその後継者ニアによって)、そのライトの行動が全否定されていることです。
ニアはライトのことを「ただの大量殺人者」と言い切りました。
超能力を身につけた少年が、自己の判断で悪を殺す行為を単なる「大量殺人」だと!
この通常なら賞賛される「主人公行動」を全否定するところがすばらしい!価値の逆転ですね。

実際、ライトは「主人公行動」してるのに、物語の上では完全に悪(=犯人側)として書かれていますしね。

しかし、そもそも、ライトは本当に悪なのでしょうか。

■ライトは悪か?

ライトの「極悪人は死刑になるべきだ」という思想は、はっきりいって僕は中学・高校時代普通に持ってましたよ。
なんというか思春期のかたよった考えというか、潔癖症的というか、さまざまな検討をした上でというわけでなく、ただ悪への嫌悪でそう思っていました。中学・高校の僕はライトの行動を完全に支持すると思う。

だってデスノート使えば、名前は分かってても捕まってない凶悪殺人犯なんかが、抹殺できるんだよ?
世の中で捕まってない殺人者がどれだけの人たちを不安にさせてるか、不幸にしてるか、それを考えると殺すのにためらいがいるのだろうか。
実際デスノート中でも、世界は悪人だけを殺すキラを歓迎した。それで何か僕ら庶民が困るのか?安心こそすれ何か困るのか?

そんな自分の体験からしても、ライトの行動は、中学・高校の正義感として十分指示を得るものだと思うな。
ちょっとこれはデスノートのメインターゲットである今の子供相手にアンケートでもとってみたい。

「キラのやってることは、いいことですか?悪いことですか?」

どんな結果になるだろう。

■ライトと違う正義

Lは、ニアはそれを否定する。
超能力によって、人が人を裁くのは「悪」で「大量殺人」にすぎないと言う。
「北斗の拳」や「ドラゴンボール」などの世界でならともかく、現代、法治国家日本を舞台にしたデスノートでは、その行いは大量殺人であると。

その結論に行くのは全然構わない。そう行くべきだとも思う。
ただ、それをするなら、じゃあ僕達はどうしたらいいの?この世の悪とどう付き合っていったらいいの?
という所を提示するべきなんじゃないだろうか。

魅力的な、とても魅力的な大いなる力での悪へ制裁無しで、この世の悪とどう向かい合うべきなのか。
ライトの正義が違うのであれば、どうすれば良いのか提示しないとデスノートはテーマ的に終われないと思うのだ。

もちろん「絶対的な力を持つ1人でなく、1人1人が正義の心を持って、民主的に法治国家としての手続きを踏み、社会悪と対峙することが大事なのだ」的な教科書回答はあるけど、うーん。
それしかないのだろうか。それがライトのプランより魅力的で説得力に満ちているかどうかの自信が僕には無い。何かアクロバットが必要な気もする。
今まで見てる連載では、ストーリー的に風呂敷を畳んではいるけれど、そういうテーマ的な回収があまり見て取れない。
ストーリーを終わらせたからと言って、物語を作品を終わらせたことにはならないと思うんだけど、来週の最終回でどうするんだろ。

■残されたノート

1つ、話の閉じ方のアイデアとして考えるのは、
L(ニア)vsライト、ではなく、人間vs死神にすることだ。

デスノートは死神がつくったノートであり、ライトは死神の期待に応えて、たくさんの人を殺した(悪人か善人かは死神には関係ない話だろう)。
退屈しのぎにもなったし、死人も増えたし、死神が一番得をしたように思える。

そもそも人間の命をもて遊ぶこのノート自体こそが悪であり、人類の敵ではないのか?
小学校の「デスノートごっこ」に使ってるジャポニカ学習帳が、全て本物のデスノートになったら?

ニアはライトを食い止めて仕事は終わりなのか?本当にやるべきなのは、ノートをこの世から消すことではないのか?
そうでなければ、死神はいくらでもノートで遊び続けるだろう。人に人を殺させるだろう。
ロード・オブ・ザ・リングの「ひとつの指輪」ではないけれど、強すぎる力はこの世から無くさなければいけない。

というわけで、人類vs死神(ノート)という構図にすればうまいことテーマ的も収まるかな、と思ってたんだけど、そういう意味では今週の展開なんかをニアが全く止めなかったのは良くわかんないんだよね。
ノートの始末はどうするんでしょうか。

まあ、メディアミックスだの何だのありますので、政治的な問題でノートを消滅させることはできないのかも知れないですけどね。(デスノートは、ノートが主人公なので、ノートがあれば何でも話はつくれる)

とにもかくにも来週だ。

世界中のノートが全てデスノートになるという絶望全滅ラストでも面白いけどね。
きっちりノートに自分の名前を書く真面目な小学生から死亡。僕はずぼらなのでなかなか死にませんけdおnえwk(誰かに名前を書かれたらしい)

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