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『聖戦士ダンバイン』は、異世界バイストン・ウェルに召還された高校生ショウ・ザマが、オーラバトラー(ロボット)ダンバインに乗ってアタックしまくる、アイアム ウォーリアーなお話です。

前半のターニングポイントである第16話「東京上空」では、敵の女騎士ガラリアさんの乗るバストールと激しく戦う中、オーラロードが開かれて、地上(現実世界)へ出てしまいます。
そこまでは以前のエントリ「なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか」でも紹介しましたが、今回の問題はその後です。

聖戦士ダンバイン 4聖戦士ダンバイン 4
(2006/08/25)
中原茂土井美加

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←ガラリアさんと乗機バストール



なぜガラリアはバイストン・ウェルに帰還できなかったのか?


両親と決別したショウは、敵であるガラリアと協力して、バイストン・ウェルに帰ろうとします。(第18話「閃光のガラリア」)
バイストン・ウェルをイメージし、強く帰りたいと願いながらオーラ力を高めて、オーラロードを開くのです。
それは寸前まで成功しました。
しかし、あと少しというところで、ガラリアがバストールごと爆散してしまいます。
パートナーを失ったことで、ショウもバイストン・ウェルに帰還することができませんでした。作戦は失敗したのです。

この失敗は、オーラの暴走、オーラ力の負荷にガラリア(とバストール)が耐え切れなかったため、となっていますが、オーラや精神がここまで影響する世界観で、物理現象的な表面の出来事だけが要因とは考えにくいと昔から思っています。
問題は、チャムが作戦実行前に言った「バイストン・ウェルに帰りたいと強く願うのよ!」というセリフ。
ガラリアは本当に(故郷である)バイストン・ウェルに帰りたかったんでしょうか。
ガラリアが閃光に消えたのは、彼女自身がバイストン・ウェルに帰りたいと、心の底から思っていなかったからじゃないのか。

そもそもオーラロードを通って異世界へ行けるかどうかについて、そこを通る人間のキャラクター(人格)が影響しているものなんでしょうか?

その話をするには、まずは主人公ショウ・ザマをはじめとして、地上(現実世界)からバイストン・ウェルに召還された人々のことを考えてみるのがいいですね。
なぜならガラリアさんのケースはきわめて例外であり、地上の人々がバイストン・ウェルからの召還に応じて、オーラロードを通るパターンが基本だからです。

そもそも、地球に何十億人といる人間の中から選ばれて、異世界バイストン・ウェルへ来てしまった人々とは、どのような人達なんでしょうか。
TVアニメ『聖戦士ダンバイン』に登場した"地上人(召還された人)"たちを見ながら、その傾向を探っていきましょう。
それでは、地上人の皆さんの劇的ビフォーアフターをご覧ください。

地上人 劇的ビフォーアフター


召還された地上人が元々どのような人で、召還されてからどう変わったのか。

■ショット・ウェポン
before(召還前)
天才なのにオーストラリアで苦渋の生活をしていた。奴隷のように肉体労働もしていた。天才なのに。
after(召還後)
思う存分才能を奮ってオーラーバトラーを開発。後半にはオーラバトラーの力を地上にも見せつける。

■ショウ・ザマ
before(召還前)
両親は仕事に夢中。いいとこのボンボンだが夢中になれるものがない。
after(召還後)
自分を必要としてくれる人達のために戦う。

■トッド
before(召還前)
マザコンアメリカ軍人。東部の落ちこぼれ。
after(召還後)
アメリカを手に入れてママと暮らす(夢だったけど)

■トカマク
before(召還前)
ソ連領(現在のウクライナ領)のハリコフに住む失業者だった。(wikipediaより。※初めて知った)
after(召還後)
"聖戦士"に再就職。すぐ死んだけど、失業者のままでは死ななかったよ!

■ジェリル
before(召還前)
崩壊した家庭に育ったロックシンガー。ダブリンの鼻つまみ者(本人談)
after(召還後)
新世紀のジャンヌ・ダルクとして活躍

■アレン
before(召還前)
冷戦下のアメリカ軍人
after(召還後)
コンピューターゲームでない本当の戦争ができたと喜ぶ

■フェイ・チェンカ
before(召還前)
売れない俳優
after(召還後)
売れない聖戦士。「俺はフェイ・チェンカなんだぜ?」知らんよ。でも売れない俳優では一生できないロボットに乗ったヒーロー役が出来て良かったね。


なんということでしょう。
あの角度がきつかったコクピットへの階段を巨獣の甲殻を利用したゆるやかなものにすることで、腰の悪いおばあちゃんも楽々オーラーバトラーの乗り降りができるようになったではありま……。

なんということでしょう。
皆さん、現実では何かと問題を抱えていたのですが、異世界に行ったことで、皆それなりに自己実現、問題解決ができているではありませんか。
聖戦士の召還は、決して呼ぶほうからの一方的なものではなく、呼ばれた側にもそれなりの利益が生まれるものだと考えてもいいかも知れません。
つまり異世界で活躍する素地がある=召還条件が揃っている人こそが、召還されやすいのではないか。

オーラロードを通る人によくある傾向
・現実世界では恵まれていない境遇の人が多い
・ストレスや鬱屈を溜め込んでいる
・何らかの技能、才能はあるが、それを現実で生かせていない
・妻帯者、恋人持ちで連れて来られた人がいない(小説「ガーゼィの翼」の主人公は恋人がいたけども)
・好戦的、または戦いを受け入れることができる人物が多い(平和主義者を召還しても意味が無い)
・生きづらい、または自分を認めないくそったれな世の中にあまり未練がない(誰も地上へ帰りたがらないし、浮上後も地上側へつかない)


傾向を見て分かるとおり、現状の生活(リアル)に満足している人、つまり最近で言ういわゆる"リア充"な人は、バイストン・ウェルには呼ばれていません。
例えば「仕事も慣れてきてやりがいを感じているし、趣味で出来た友達も多い。可愛い妻ともうまくいっている。何より最近子供が生まれて、毎日の生活が充実してます!(満面の笑顔)」
このような人はバイストン・ウェルには呼ばれません。「ここではないどこか」へ行く理由が全く無いからです。
聖戦士になりたい人は、決してこんな風になってはいけませんよ!

富野監督は「人は誰でもバイストン・ウェルに呼ばれる可能性がある」と言っていましたが、満足した人生を送っている人はごくまれで、全ての人間は何らかの不満やストレスを抱えながら生きているのですから、それは当然なのです。
もちろん(大変喜ばしいことに)私も立派な聖戦士候補です。呼ばれる資格があります。
しかし(大変残念なことに)私は召還されないだろうな、と思ってしまうのは、召還条件の一部しか満たしていない、と思うからです。
つまり、エネルギーがない。バイタリティがない。技能も才能もない。生まれたてのインパラのような草食動物である。などなど、実際に呼ばれるだけの"何か"が無いと思うからです。
やっぱり、召還に選ばれた人間は、それがプラスにしろマイナスにしろ、何らかの強いエネルギーを持っているんだろうな、と感じるのです。(そういうのもオーラ力の強さなのかな)
リアルが充実してないだけではダメ。やっぱり何かプラスアルファは要る。

バイストン・ウェルの人は、そういった現実に不満を持ち、鬱屈してエネルギーを溜め込んでいる人間を召還し、自己実現のステージ(場)を与えている。
その結果、地上人はいきいきと自己実現できてハッピー、バイストン・ウェル側も、技術やオーラ力の強い聖戦士が得られてハッピーのwin-win関係が生まれる。
地上人の召還には、根本的にそういうしくみがあるんじゃないかな。あった方が面白いな、ということです。
(※この辺り、小説には色々書いてあるんじゃないかなあ、と思うのですが、ガーゼィしか読んでないので分かりません。ここはあくまでTVアニメ版のみを材料に考えておきます)

聖戦士の召還は一方的かつ唐突なものですが、もしショウら地上人のもとに、バイストン・ウェルからの使者が現れて、
「あなたを聖戦士待遇でお迎えします。条件はこう、待遇はこう、お仕事はこう、あと基本的に地上へは戻れません。どうされますか?」
と、事前に丁寧な説明をされた上で、現実を選ぶか、異世界を選ぶかを迫られたら、どうなったでしょう?
私は、それでもほぼ全てが契約書にサインしたんじゃないかと考えます。面白くない現実を蹴って、本当の自分が生きる場所を求めたのではないかと。
そういう現実感の薄い危なっかしいところも共通の性質としてあるような気がします。神隠しに遭いやすい体質というか、現実にきっちり根をはっていないというか。

聖戦士たちは、現実(地上)を捨てるだけの理由がそれなりにあったからこそ、オーラロードを通って、全く別の世界へやってこれたのではないか、ということをちょっと覚えておいてください。

閃光の中でガラリアは何を思ったのか


ここで、ガラリアさんの話に戻りましょう。
ガラリアさんは、なぜ故郷であるバイストン・ウェルに帰れなかったのか。

それを知るには、ガラリアさんがどういう人なのかを知る必要があります。wikipediaの記述を引用してみます。

ガラリア・ニャムヒー
ドレイク配下の女騎士。裏切り者の娘として育ったため、人一倍名誉欲が強く、バーンをライバル視していた。


ガラリアさんは、敵前逃亡した父を持ち、それを理由に幼いころからいじめられたり冷たい仕打ちを受けたりしてきたようです。
その経緯もあって、ガラリアさん本人は女性ながら勇敢であり、名誉欲、功名心が強く、戦で大功をたてることを目指していますが、ライバルのバーンには与えられたオーラバトラーも自分には与えられず、悔しい思いをしていました。
そんなガラリアさんがついに待望である新型オーラバトラー、バストールを手に入れて、ショウを討とうとがんばっているところで、オーラロードが開いてしまいました。

地上に出たガラリアさんはそれでも執拗にショウを追うのですが、慣れない地上で自衛隊につきまとわれたり、食料がないので山へ行楽に来ていた老夫婦のお弁当を盗んで猟犬に追われたり、みじめな目にもあいます。
最終的には冒頭で述べたとおり、両親(地上)を捨てたショウと協力して、バイストン・ウェルへ帰還することになるのですが、これは寸前で失敗します。

ショウは生き残り、ガラリアだけが爆死した、この失敗について、wikipediaにはこう書かれています。

AB・バストールに乗ってショウと交戦した際、共に東京上空に出てしまう。ショウと協力してバイストン・ウェルに帰還しようとするが、自らのオーラ力がショウよりも弱かったために、オーラロードを抜ける寸前で爆死する。


実際フィルム上でも特別な描写がないので、単に「オーラ力がショウよりも弱かった」からで終わらせてもいいんですが、それではちょっと物語的に面白くないというか、豊かではないと思います。
前フリしまくった「オーラロードを通る人によくある傾向」を、ガラリアさんにも適用できないでしょうか。

ガラリアさんの場合、立場が逆になりますので異世界バイストン・ウェルこそが彼女の現実となります。

ガラリアさんの現実
・「敵前逃亡した騎士の娘」でずっといじめられてきた。
・バーンより自分が劣っているとは思わないのに、自分にはオーラバトラーが与えられない。
・「敵前逃亡した騎士の娘」というレッテルは一生消えないのか。
・自分が女だから、というのも理由の一つなのかも知れない。
・能力に自信はある。だが自分の責任とは関係のない理由で不遇だ。


これは完全に、ショウや召還された地上人の逆パターンといってよいと思います。
ショウ達の場合、地上ライフが充実していませんでしたが、ガラリアの場合、バイストン・ウェルライフが充実していません。

ガラリア「私はバーンにも負けていない!なのになぜ?"敵前逃亡した騎士の娘"なのは私の責任じゃない。一体どうすればいいというんだ!」
―――あなたは世界を革命するしかないでしょう。あなたが進むべき道は用意してあります。

ということで、ガラリアさんがバイストン・ウェルの誰よりも先駆けて世界を脱出する人間に選ばれたのにはそれなりの理由があるように思えます。
もちろん「東京上空」のシチュエーションはシリーズ構成上のもので、ガラリアさんのために用意されたものではありません。
ただ、ショウと共に地上へ出るパートナーとして、他の誰でもなくガラリアさんが選ばれたのは妥当に思える。そういう話です。

さて、行きはよいよい、帰りは怖い。問題はバイストン・ウェルへの帰還時です。
地上人のショウが、両親と決別して地上への未練を断ち、バイストン・ウェルでしか生きられないような立場になっていたのに対し、ガラリアさんは果たして本当に心の底の底から帰還することを望んでいたのでしょうか。
もちろんたった1人、地上にいても仕方ないんですよ。ですから帰ろうと思ったし、思ったからオーラロードは一時的には開いた。ではなぜそこまでいって通り抜けることができなかったのか。
本当に「オーラ力がショウよりも弱かった」だけなのか。

実際のところ、どうだったのかは良く分かりません。フィルム上でのセリフや描写でフォローされているわけではないので何ともいえないのです。

もし、ガラリアが死んだ理由にこういうバックグラウンドがあるのだとしたら、老夫婦のお弁当を強奪するシーンを、親切にお弁当分けてもらう優しい触れ合いのシーンとしたり、または、ガラリアの事を誰も知らない地上で「敵前逃亡した騎士の娘」から解放されたようなシーンがあると、オーラロードを開いた時にバイストン・ウェル帰還への「ブレーキ(余分なノイズ)」になって、爆散がよりせつなくなっていいかも知れません。
地上でふれた優しさ、開放感が、かえって帰還時にブレーキをかけてしまうなんて、という具合に。

さらに展開を大きくを変えるならば、地上でガラリア1人というのがあまりにきついので、これを変えましょう。地上人ゼット・ライトかなんかと一緒に地上に出て、ゼットの故郷へ一緒に行くかと言われて、心が動くけど騎士として踏みとどまって断る、みたいな回があっても面白いかも知れません。
「敵前逃亡した騎士の娘とは誰も知らない世界で、女として生きてもいいかも知れない………」いや、ダメだ。と振り切ってバストールへ乗り込むような(もちろん、これも「ブレーキ」になる)

こんなことやると完全にガラリア回にしかならないので、地上でのショウと両親のドラマがボケる。
でも結果的に見るならば、後半の回をいくつか削ってもいいから、こういうエピソードの話数を増やして欲しかったなあと思いますね。
(たぶん今なら出来るけど、ダンバイン当時ではダメだったんでしょうね。なんせ後半の単なる戦争ロボットアニメ展開こそ、軌道修正した結果なのだから)

残されたいくつかの問題


オーラロードを通ることについて、地上→バイストン・ウェル、バイストン・ウェル→地上の2つのパターンを材料に、ここまで書いてきましたけど、正直いうと、あんまりこの要素はTVアニメ『聖戦士ダンバイン』本編では色濃く出ていません。
それどころか、この考え方を軸にして見ていくと、いくつか引っかかる描写があるのです。

■ガラリア死後のショウの帰還
パートナーのガラリアが死んで、もうバイストン・ウェルに帰れないと絶望するショウなんですが、その次の回である第19話「聖戦士ショウ」で、あっさり帰還します。
これはショウというより、エレ・ハンムの霊力すごいね、という描写なんですが、尺の都合もあったのか、とにかくあっという間に帰還する。本当にお気軽に。スナック感覚で帰ります。ガラリアさんのことを考えると阿藤快みたいな気持ちになります。

■ショウの再浮上時の出現場所
2回目の浮上で、再び地上に出たショウが出現したのが、吉祥寺の実家だったのです。
マーベル、トッドなど初めて浮上した人達が自分の故郷に出現するのは分かるが、ショウは「東京上空」で出現時にすでに両親と決別をした身。
地上人はどうしてもなじみがある場所に出てしまうのだとするなら、せめて吉祥寺以外の日本のどこか、ということにした方が良かったのではないか。
その方が両親と決別し、地上に帰る家がない(もうショウにはバイストン・ウェルしかない)ことが良く演出できたように思います。
もちろん、ショウがああいうキャラクターで終わってしまっただけに、両親を捨てたくせに実家にまた舞い戻ってしまうような中途半端な主人公なのだからこれでいいのだ、とは言えてしまうのだけれど。
(でも、そういうショウが出来上がってしまったのは、こういう場面場面の積み重ねの結果だと思うんだけどね)

そして最大の問題があります。
勘のいい人ならすでにお気づきとは思いますが、「地上人 劇的ビフォーアフター」リストに名前が無い地上人がいます。私が意図的にはずしました。

もちろんそれは、セクシー眉毛のいい女、マーベル・フローズンです。

マーベルはなぜバイストン・ウェルに来たのか


マーベルだけは、私がここまで書いた地上人の召還条件にまるで一致しない。
彼女の人格に現実世界での歪みは感じ取れない。バイストン・ウェルに来る理由が分からないし、何のモチベーションで戦えばいいのか分からない。
マーベルを呼んだのが、どの勢力にも属していなかったフェラリオ、ナックル・ビーであったことも考慮に入れてもいいと思うけど、それでもどのみちナックル・ビーの召還に彼女が応えた理由が分からない。

浮上後に登場したマーベルの両親も娘を信じるいい親のようであったし、愛に飢えているようにも見えないし。あのまま現実に生きていっても、うまくやっていたタイプに見えるけどね。
いくつか想像で考えられないこともないけど、それこそ単なる憶測や妄想にしかならない。フィルム上の手がかりが無いと思う。
(もしマーベルが召還された状況や理由など詳細をご存知の方がいましたら、教えていただけるとありがたいです)

まあマーベルは『マトリックス』のトリニティみたいなもので、「ヒーローの導き手」だと思うので、その役割が強いんでしょうね。導き手が歪んでいてはいけないし。あとは、ショウよりかなり早くバイストン・ウェルに来ていることは何かのヒントになっているかも知れないね。マーベルは、ターンAのロラン・セアックと同じと思えばいい。

というわけで、長々と語りましたが、『聖戦士ダンバイン』全体を通してみると、この考え方はいくつか問題をはらんではいます。でも、地上人の召還条件とガラリアの爆散については、そういうことにした方が作品がより興味深いものになると思っているのですがどうでしょうか。

チャム・ファウがまだその辺りを飛んでいるのなら、つかまえて聞いてみたいところです。



関連リンク(過去記事)
『聖戦士ダンバイン』関連
なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか <『聖戦士ダンバイン』に見る物語の始め方>
第一話でぐっすり眠ってしまった主人公とそれに引っ張られた物語のおはなし。
再びバイストン・ウェルへ 聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築) 【問題提起編】
「ダンバイン」の物語を再構成。前編では、話の大枠と問題点を考えます。

バイストン・ウェル関連
身を捨ててこそ浮かぶキャラあれ < 『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』で考えるキャラクターの生死>
※後半、ゲームアイデアの中でバイストン・ウェルネタ。


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富野アニメは、リアルロボットアニメと言われますが、とことんドラマ優先主義なのは言わずと知れたことですね。
それがよく分かるひとつの例として、戦場でのコミュニケーション場面の作り方があげられるでしょう。

ロボットアニメの戦争を普通にやろうとすると、宇宙で敵味方に分かれたロボットが、ビームライフル撃ち合っている絵面にしかなりません。
その間に敵側、味方側のドラマを交互に挟むだけでは単調ですから、敵と味方の間に直接ドラマをつくりたいところ。しかし舞台は宇宙で、お互い鉄のハコに閉じこもって、殺し合いをしているのですから、なんらかの工夫をして、コミュニケーションを取る必要があるわけです。

ロボットアニメというフォーマットを取る代わりに、自由に好きなドラマを入れてきた富野監督は、最も戦闘中でのドラマ作りに工夫してきた一人といえるでしょう。
というわけで、富野アニメにおいて、どういう工夫で敵味方間のコミュニケーションを生み、ドラマが作られているのか、考えてみると面白いですよ、というのが今回の話。

…なんですが、それをちゃんとやるには、主だった作品を見直してチェックする必要があります。
ですから、とりあえず、今回はそれをやるための単なるメモです。忘れないようにメモ。

しかしそれだけでは寂しいし、再見チェックする前の印象を残しておいたり、チェックポイントを考えておくのも悪くないので、主だった富野作品での「敵味方間コミュニケーション」を一通りメモしてみることにしました。

まず、基本テキストとしての「機動戦士ガンダム」から。



「機動戦士ガンダム」での敵味方間コミュニケーション(メモ)


ファーストガンダムは、それまでのロボットアニメのアンチまたは進化の意味合いがあるので、むしろ「敵味方コミュニケーションが自由に(都合よく)取れない」という面白さを追求した作品でもあります。

赤い彗星さん
前半、アムロはシャア個人とは接触なし(シャアの潜入はあったけど)。
「赤い彗星」、「白いやつ」「木馬」とお互いが呼び合うだけの関係。
恐らくお互い素性を知らない同士で会話もなく、あだ名で呼び、戦い合う状態が、戦争アニメとしては面白かったのではないか。

イセリナ
自分に殺意を向けてくる敵としてアムロが視認する。だがガルマとアムロの接触はないので、アムロには訳が分からない。分からないのだけれど、人殺しをしている以上、知らない所で恨みを買っていることが分かる。

再会、母よ、時間よとまれ、ククルス・ドアン
メインストリームとは別だが、それぞれのシチュエーションでジオン兵とアムロが接触している回。出会うジオン兵に幅を持たせて、全てパターンが違うのが上手い。Zにはこういう話が無いな。ファーストに関しては全話での敵との接触(会話)表を作っても面白いかも知れない。

ランバ・ラル、ハモン
初めての接触イベント。アムロが初めて倒すべきものとして認識する敵。前半では、敵とのドラマは、シャアでなくランバ・ラルが受け持っている。
酒場での偶然の遭遇。この時のアムロが脱走状態(でありながらジオンを追っている)で、敵と出会っても不自然ではないようにしている。
グフとの格闘戦後、コクピットの隙間からお互いの姿を認識。ゲリラ戦でのランバ・ラルとセイラの再会。

黒い三連星
接触なし。アムロは自分が倒したのが「黒い三連星」ということすら知らないのではないか。
ドムは受け取ったばかりで、トレードマークでもなんでもないし。

ララァ
サイド6での宿命の出会い。中立コロニーという設定は敵味方が自由に接触できるという面で重要。
アムロがシャアと対面するのもここが初。シャアはアムロへ自己紹介。
シャア「私はシャア・アズナブル。見ての通りの変態だ」
挙動不審で何も言えずに去るアムロ。それを不思議がるシャア。
ララァ「(くすくす)怯えているのですわ。大佐が全身真っ赤でそんな仮面とヘルメットをかぶっているから」

「ニュータイプ」という道具を使って、戦場でモビルスーツに乗ったまま敵とコミュニケーションをとる、という演出がスタートする。ランバ・ラル戦でやったように、コクピットを壊して、お互いが誰と戦っていたのかを視認する必要がなかったことに注目。(詳しくは、過去記事「ニュータイプほどステキな戦争の道具はない」を参照されたい。)

ギレン、キシリア
アムロは最後までザビ家とは接触なし。ガルマは知らないし(倒したけど)、ドズルは最後に姿だけ見ました。主人公が敵ボスと直接あいまみえるのはファースト以降。

ファーストについては、こんな感じでしょうか。
呼び名が敵にも伝わるエース、敵が同じ人間であることを示すさまざまな兵士達との接触、そして最初の倒すべき敵ランバ・ラルとの接触が前半。
後半は、ニュータイプの覚醒によるララァとのコミュニケーションが来るので、敵との接触の意味合いはこれ以降、かなり変わってくる。

設定的には、敵と出会い、会話するのが不自然でないような中立状態(アムロ脱走、中立コロニー)をうまく利用しています。
セイラとシャアの出会いが何回かありますが、こういう中立状態での出会いではなく、全て同じような戦場での偶然遭遇パターンにしてますね。
この2人は兄弟なので、戦場で敵味方状態のまま遭遇する必要があるからかな。中立状態で会うと単に家族の再会になってしまうし、別れるタイミングも作りづらいから。

ファーストガンダムは、基本テキストとなりえるので、丁寧めにやりましたが、以降の作品はざっとメモする程度にしておきます。

その他の富野アニメ 敵味方間コミュニケーション(メモ)


■イデオン
合体メカなので、複数人のパイロットが乗るため、会話には不自由しない。
ただ、スケールが大きすぎて、戦闘中に敵重機動メカとコミュニケーションというのはしづらい。
イデの力は、そんな中で便利に使われることも多い(テレポート能力が特にそう)。

■ザブングル
地上戦+自動車(ウォーカーマシン)。自動車の特徴はそのまま使える。
「助手席に、相方を乗せてコミュニケーションが取れる」
「地上なので、窓開けて戦っている相手とコミュニケーション」
そういう意味で、宇宙を中心としたロボット物と比べてドラマが作りやすい。ニュータイプもいらない。
艦隊戦でも同様で、下手するとブリッジ同士で直接罵り合いをしたりできるので、コミュニケーションには困らない。

■ダンバイン
コクピットにチャム・ファウ入れることで、コクピット内を2人にして会話を成立させる。
オーラ力や霊力で、エレ「ショウ!いけません!」的なニュータイプと同じような効果も使っている。

■エルガイム
リリスはしゃべらないので、コクピット内は会話なし。
ライトセイバーがあるので、人間vs人間の戦闘シーンが多い。

■Zガンダム
カミーユが「レコアさんが危ない」といって勝手に飛び出したりする。
ホンコンシティでフォウに出会って、サイコと戦い、かばわれてフォウが死ぬ(ララァにおけるシャアとアムロを両方体験したみたいな感じですね)
サラは捕虜になったり、コロニーでアイス食べたり、敵味方間での出番が多い。あとロザミィ。
最終決戦時は、劇場でボスキャラ全員集まってディベート大会。
あそこでモビルスーツを降りる意味は、戦争上は全く無いが、物語的にはある。
あるけど、自然な流れかと言われれば、そうでもないんだけど、いい舞台作りだとは思う。

■ZZガンダム
特になし。しいて言うなら、いつもなら味方側にまでは引っ張ってこれない強化人間(プル、プルツー)を戦闘中に味方へ引っ張ってきたところぐらいか。
あ、あとはZガンダムから通して言えるのは、いかにブライトが便利な艦長かということだろう。
カミーユやジュドーが何かを感じて出撃したりするのを、その勘を信じて、かたっぱしから許可出すのがブライト。
普通に軍事的観点からすればありえないんだけど、ブライトが許可すると、劇中人物にも、視聴者にも良い判断(「さすがブライト」)に見える。
なぜならホワイトベースでアムロ(ニュータイプ)と1年戦争を戦い抜いた伝説の艦長だから。
ニュータイプに、軍隊内での自由度(自由なドラマ展開)を許してるのが、伝説の艦長ブライトだとも言えるだろう。すごく便利な人。

■逆襲のシャア
コロニー・ロンデニオンでのシャア(白馬)とアムロの接触。クェスをシャアにさらわれる。
終盤では、アムロがνガンダムを降りてアクシズ内部に入り、シャアも律儀にサザビーを降りてこれを追い、肉弾戦(をしながらディベート)。1年戦争のフェンシングの再来。
とにかく全編、戦いながらディベートの印象。

■F91
ポイントは、敵味方に分かれたシーブックとセシリーの戦場での接触シーンか。
セシリー「その息遣い、シーブックでしょ!」
のセリフで、戦っている相手に気づくシーンはどうしても違和感があり、TVシリーズだったらどうのようにでも自然な展開に出来ただろうにと悔やまれる。
後の展開を考えると、セシリーとシーブックのニュータイプ能力での察知にする方がガンダム的には自然だろうが、残念ながらこれは映画で、彼らは映画で初登場したキャラクターであり、モビルスーツに初めて乗ったのは何分前だっけ?になってしまう問題がある。

■Vガンダム
前半戦においては、コアファイターの活躍もあって、色々面白い使い方が多い。
ファースト以降では珍しく、ゲストキャラ的な敵パイロットとの交流回が多い。
ザンスカール本国に行ったりもする。敵側と味方側を行き来するシャクティの役割と必要性を再見時には注意しないといけないな。

■ブレンパワード
主人公が初期に敵側に所属し、そこから離反して始まる物語。ショウ・ザマパターン。
これにより、敵側は全て主人公にとって知り合いとなっている。
見直していないので、あまり何とも。コクピット開けコミュニケーションが多いようなイメージ(基本、地上戦のみだからか)

■ターンAガンダム
ロランは月側の人間だが、2年地球で過ごして地球大好きなので、どちらの勢力にも顔を突っ込める。地球側へ入るディアナのサポート役(従者)として最適のプロフィール。
かなり濃密な敵味方の触れ合いがあり、ブルーノ、ヤコップは元より、のちのコレン軍曹、共通の敵にしてラスボス、ギンガナムを出したことによるディアナ・カウンターとの共闘など、敵も味方もない。ブルーノ、ヤコップは要するに紳々、竜々(人形劇三国志)なんだけど、こういう敵も味方も関係ないキャラが便利かつ有効なんだよね。富野アニメでまともに出たのは彼らが初めてじゃないのかな?

■キングゲイナー
地上戦のみ。ガチコやガウリ隊なんかはそのまま直接声でコミュニケーションを取れる形。
ターンAと同じく、敵味方が同居する場面が多く、そこが魅力的。
よく考えると戦闘中での言葉のやりとり(通信)がどうなってるのか良く分からない。でも、それでいい。
これは再見時に確認したいのだけど、会話として見れば自然につながっているけれど、厳密に(ファーストガンダム的に)、戦闘中の敵味方の通信として考えると、つながっていなかったりするんじゃないだろうか。つまり、あくまで視聴者が見るドラマの流れとして会話がうまくつながっているだけで。
もし、そうなっているならすばらしい。ファーストの敵味方で会話ができず、お互いを「木馬」「白いやつ」、「スカートつき」「とんがりぼうし」と呼ぶアニメから始まって、それをやりきった後に、リアリティではなく、ドラマ最優先の会話劇に行き着いているのかも知れない。
これは書きながら思っただけなので、実は間違っていて、会話はきっちり矛盾無くつながっているのかも知れません。再見時の確認してみたい所としてあげておきます。

以上。

富野アニメ 敵味方間コミュニケーション 基本パターン(メモ)


戦闘中でのコミュニケーションには、いくつかの基本パターンがありますね。

コクピットに複数人を入れて会話できるようにする。
(複座式、妖精、助手席、救助・輸送など緊急的な措置)
 →ロボットの手に人間を乗せるのも、このバリエーション

コクピットを開けて会話(相手に姿をさらす)
(戦闘による破壊。自分から開ける、など)

モビルスーツを降りての会話
(アムロvsシャアの肉弾戦。Zラストのように複数人参加の同時会話シーンなど)

機体の接触によるコミュニケーション
(お肌の触れ合い回線。基本的に味方同士のみ)

ニュータイプ能力によるコミュニケーション
(相手パイロットが誰かを察知、メッセージを察知。離れた相手と会話など)


その他の交流手段

敵勢力への潜入
(シャアがかなりの回数行っており、その度にセイラに見つかる。)

中立状態で接触させる
(中立コロニー、脱走アムロ、変装しばしば女装など)


これらも、とりあえず思いつくものを基本パターンとしてリストアップしてみました。
再視聴の際に、他のパターンや、それぞれのパターンの使い分け、役割なんかも考えてみたいですね。



ちゃんと調べながらみると面白いと思うんだけど、この目的だけでみるのもしんどいので、他の目的とも組み合わせて、いくつかのチェック項目をつくってから見ることにしよう。
とりあえず、「主人公の名前が初登場するのはいつか?」というチェックは一緒にするつもりです。

今回はあくまでメモレベルで申し訳ないのですが、ある程度調べたら、まとめ記事でも書こうと思います。
というか、もしすでにどなたかがやっていたり、そういう書籍でもあれば、喜んで見たいんですが無いでしょうか?あったらいいな!なければやるしかないけども!


※余談
コードギアス第一期後半で、ルルはC.C.と2人で、複座式ナイトメア(ロボット)であるガウェインに乗りましたが、あれは素晴らしかった。戦闘中に動きながらでも、この2人が会話できるから。第一期ラストの名場面の数々(ルルが絶対に死なない魔女に「…死ぬなよ」と言って別れるとか)もガウェインあってこそ。
R2最終戦では、ルルとC.C.とは何にもイベント、会話すら無かったのが残念でしたが、複座式が無かったからやりようが無かったような気がします。C.C.が最終戦で途中で意味無く盾取りに帰ってきましたが、あれは最後の会話シーンつくるためなんじゃないかと私は感じました。

いいたいことがいっぱいあったけど、もういい。
読めたからもういい。
読みたかっただけなんだ…。


解放王アルスラーンの十六翼将、ついに集結。

蛇王再臨 アルスラーン戦記13 (カッパ・ノベルス)蛇王再臨 アルスラーン戦記13 (カッパ・ノベルス)
(2008/10/07)
田中 芳樹

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『アルスラーン戦記』の最新巻「蛇王再臨」にて、最後の1人が決まり、やっとこさ16人が揃いました。
16人目は…発売間もないからネタバレしない方がいいのかな。
ここまでの流れでは、この人しか候補がいないという感じなので、ネタバレも何もないのだけれど。あのー、あれですよ。安西先生(SLAM DUNK)ですよ。
友達と一緒に十六翼将のオーディション受けに来て、友達は落ちて、自分は選ばれるという、シンデレラボウイです。

さて、この巻も色々と悲しい出来事や、たのし…悲しい出来事や、うれし…悲しい出来事などがあったのですが、その辺りはまあ実際に読んで体験していただくとしましょう。
こんな風に煽ると、読んでない方は「えー?どういう話になってるの?」と、心配でドキドキしているかも知れませんが、そんなあなたはすぐにお読みなさい。
「かなしい、たのしい、だいすき」となって、ドリームズ(妄想)が、カムトゥルーされることでしょう。

さて、それ以外の面白かったところを適当にいじっていこうかな。
(まあ、なんて富野アニメ以外のエントリは気楽なんでしょう。気楽に推敲なしに書きます)



十六翼将集結の儀式にて


まずは、十六翼将せいぞろい後の儀式。
宝剣ルクナバートに全員が、おさわりする。叛意があれば掌が焼きただれるそうな。

この儀式は、アルスラーンにつかえた閲歴の旧い順からおこなわれた。一日でも一刻でも、早い者からである。ダリューンに始まり、ナルサス、エラム、ファランギース、ギーヴ、アルフリード、キシュワード、ジャスワント、ザラーヴァント、イスファーン、トゥース、グラーゼ、メルレイン、ジムサ、クバード、最後に安西先生(※ネタバレなので伏せてます)。
掌が焼きただれたものは、ひとりもいなかった。


なるほど。
年齢は関係なく、業界に入ったのが一日でも早ければ「にいさん」と呼ぶわけだな。
子役の頃から活躍してるエラムは、グラーゼやクバードから「エラムにいさん」と呼ばれているわけだ。
吉本興業みたいでいいなあ。エラムにいさん。

皆殺しの富…田中芳樹


さて、十六翼将が揃いましたので、ここからは108星揃ったあとの水滸伝みたいになることは、作者自ら公言してるわけですが、私は田中芳樹のキャラ殺しは全くこたえないので、思う存分やっていただいて結構です。

キャラ殺しでも、死ぬことが物語構成の一部になっているものと、そうでないものがありますよね。
前者の分かりやすい例は、あだち充『タッチ』での「カッちゃんの死」でしょうか。
タッチは、カッちゃんの死がはじめから予定された、構成に組み込まれた物語。

田中芳樹作品を見てみると、『銀河英雄伝説』では、キルヒアイス、ヤン・ウェンリーがそう。
ロイエンタールも予定されていたと思うけど、彼の叛乱が実際に実行されなくても物語は成立できると思う。
でも、キルヒアイスとヤンは、死なないと『銀河英雄伝説』にならない。物語の中で死ぬことが、構成上の必然となっているキャラクターは予定通りに殺すしかない。

ファンは「死なないで!」「なんで殺したの!」と言うだろうけど、死なないと成立しないから仕方がない。最初から予定されていたことだから、ファンがどう騒ごうが死ぬ。
まあ、ファンに「死なないで!」と言わせた時点で作者の勝ちですよね。死が最も惜しまれるキャラを殺してるはずなんだから。

『銀河英雄伝説』では、他にもいっぱい、いいキャラクター達が死んでいくけど、これらはもう、展開と筆のノリ次第と言ったところで、死ぬほうが面白ければ死ねばいいし、生きてるほうが面白いなら生かせばいい、という所。
物語のメインフレームに影響しないのだから、面白さへどれだけ貢献できるか、感情レベルでの効果が高いか、など、最大限の効果が発揮されるかどうかにこだわって殺せばいい。
そうでなければ、意味も無く、もったいない殺し方をしたことになってしまうのだから。
そういう意味で、田中芳樹は死んでキャラクターの華を咲かせるのが好きな方だとは言えるでしょうね。

『アルスラーン戦記』では正直いうと、物語上死ななければならないキャラクターがいるように思えない。そんなキャラクターはもうすでに死んでるはずだと思う。
十六翼将と初期から言っていたので、仲間集めを楽しむ物語になっており、それまでは殺せなかった、ということもあるでしょう。そういう意味ではアルスラーン戦記は、タッチや銀英伝のように決定的な喪失を構成に組み入れてない物語と言えるでしょう。

私は水滸伝の108星が次々といなくなる終盤もキライではないので、せっかく集めた宝石が一瞬でバラバラに失われるというスピード感を伴った快感は味わえるかも知れない。
その十六翼将のうち、誰が死に誰が生き残るかは定かではないが、それが誰でも(面白ければ)良い、と考えているのはすでに述べた通り。

しかし、ただ1人だけ気になる人がいる。ナルサス。

ナルサスの死と引き換えにするもの


ナルサスに、死亡フラグが見え始めたのは前巻辺りからだが、今巻ではさらに死の気配がする。

ナルサスは他のキャラクターと少し違い、死は物語に大きな影響を与える気がする。
というか、物語の幕引きのために死ななければならない役割かも知れない。
(つまり「物語構成に組み込まれた死」を与えられる可能性がある)

この巻で、我らが国王アルスラーンは、生涯、結婚することも、子供をつくることもしない、という考えをもっていることが明かされる。

ナルサスは他の二名を見わたし、ゆっくりした口調で告げた。
「陛下は、いまこう考えておいでだ。『王位は血統によって決められるべきではない。だが自分に子ができれば、王位継承者として期待される。結局これまでとおなじことだ、それはいやだ』と」


王位を血統で継承しなくても、国の指導者は必要になる。
アルスラーンの希望に沿う形でそれを実現するにはどうすればいいのか。
と、考えると、議会制のようなものを導入するしかないような気がする。
もっと広く、奴隷解放からつながるものとして、民主主義的なシステムにするかも知れない。
民が選んだ者が指導者として国の代表になる、という私達も使っているしくみだ。

もともとナルサスは奴隷解放を早くに志した男。
アルスラーン本人の希望を受ける形で、王が結婚せず、子を作らなくても、次代へ国がまわるシステムを提案することになるかも知れない。

こういうシステムの変更は時代の要請に応えるもので、舞台となる国パルスは文明レベル的にもそれを受け入れる素地が十分とは思えない。もっといえば民主主義は個人の(言ってみれば)わがままを解決するために採用するものでもないと思うけど、異世界ファンタジーなのだし、思考実験としては面白いかも知れない。
普通ならこの文明レベルでは君主制で十分だと思うけど、その君主本人が「次の王となる自分の子をつくらない」と宣言するなんて、そんな王様はアルスラーンで無ければありえない。
そして、そう宣言しても普通は家臣達が、誰かを王にまつりあげて、これまでの支配体制を維持しようとするものだ。しかしナルサスがいる。
変わった考えを持つ王アルスラーンがいて、変わった考えを持つ家臣ナルサスがいる。
この条件が揃った場合、やってみても面白いかも知れない。

そしてナルサスが死ぬ理由もここにある。

これは田中芳樹の民主主義観ということになるのだが、銀河英雄伝説では、優れた専制君主国家と腐敗した民主主義が比較されている。
優れた君主の統治は、腐敗した民主主義よりすばらしいかも知れない。しかし名君もやがて死ぬ。しかしその子が同じように優れているとは限らない。無能なだけならまだいいが、残虐な人間かも知れない。しかしそれを止めるシステムがない。「良き政治」を優れた君主個人に依存してしまっている。
しかし民主主義というものは、悪い政治を止めることができるし、有能な個人に依存せず、みんなで相談して決めるシステム。いくら腐敗してもそこが民主主義が持つ希望だと。だからヤン・ウェンリーは帝国と戦った。

ここからいくと、ナルサスは死なないといけない。
正確に言うと、有能な個人である知力100のナルサスが死んでも、それなりに上手く社会が回っていく仕組みを、ナルサスは考えなければならない。
条件は、もちろん先ほど述べた「アルスラーンの子は王にならない」だ。
これらに対する答えとして、民主主義(より原始的で、理想優先な形式だと思うけど)というシステムを考え、提案するかも知れない。
そうなると、物語の役割的には死んでもいいことになる。生きていてもいいけど、死ぬと、その死後、上手く社会が回るかどうかの証明がしやすい。

そういう意味では、アルスラーン本人もそのシステムが形になれば死んでも(王を降りても)いいと言うことにもなる。
まあ実際のところ、仮にそうなったとしてもそこまで物語自体は進まず、セリフなどから後の世がこうなっていくんだろうなあ、と想像させる程度になるでしょう。こんな部分、大して魅力的でもないので戦いまくって本編を終わらせてくれればいい。そうでないといつまでたっても終わらないからそうしてくれないと困る。

小役人カーセムなんかは、初代議長かなんかになるために登場させたのかも知れないね。
いかにも田中芳樹的民主主義の中で、うまく立ち回りそうなキャラクターだし。
(で、そこからかなりの年月が立ち、アーレ・ハイネセンが宇宙へ旅立つと。)

以上の展開については単なる妄想ですが、アルスラーンの結婚問題を政治システムなどで解決するのは必要な気がします。
政治にも詳しくないし、興味もないので、あくまで田中芳樹民主主義として、物語の落としどころを考えてみただけです。推敲もしてないから怖いけど、それやると時間がかかるからやめました。ごめんなさい。
まあ、死んだり死なせたり、殺したり殺されたりするのを楽しめばそれでいいんですけどね。

とりあえず今やるべきことは、「パルス」という国名でCivilization(シヴィライゼーション)をやってみることでしょう。まず奴隷解放をめざして、その後はどうしようかな。



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