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『戦闘メカ ザブングル』は、富野由悠季監督作品。痛快冒険活劇といってよい楽しいアニメです。
このザブングルを、惑星ゾラという異世界を舞台にした"異世界もの"作品として改めて考えてみようというのが今回の趣向。

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物語の舞台として"異世界"が用意される作品は実に多いですが、魅力ある世界をつくるというのは大変難しいことです。舞台としての"異世界"をどう表現するか、という、広く物語のお話なので、ザブングルを知らない方にも興味を持っていただけるかも知れません。

※ザブングルのネタバレがありますので未見の方はご注意(ネタバレしても魅力を損なうような作品ではないですが)。



惑星ゾラたったひとつのルール「三日限りの掟」


富野アニメで産湯を使った身なので『ザブングル』も子供の頃、がんばって見ており、クローバー製のウォーカー・ギャリア(後半の主役機)を買ってしまったほどです。あのでっかいの。
しかし残念ながら最終回予告を見ながらも最終回を見逃し、全話を見直すことができたのは、ビデオレンタルが開始されてからです。その時は大人になっていました。
見直したときに、とにかく感動したのが、惑星ゾラで生きるための、たったひとつのルールこと「三日限りの掟」です。ルールに感動したのです。

wikipediaのストーリー紹介が、このルールを含めてよくまとまっているので、丸ごと引用しましょう。

「三日の掟、泥棒、殺人、あらゆる犯罪は三日逃げ切れば全て免罪」―それが惑星ゾラと呼ばれる地球の不文律だった。ロックマン(ブルーストーン採掘業者)、ブレーカー、運び屋、交易商人といった「シビリアン」達は、この掟を守って生きていた。
しかし、たった一人、この掟に抗った少年がいた。著名なロックマン「鉄の腕」の一人息子ジロン・アモスである。両親を殺したブレーカーのティンプ・シャローンを親の仇とし、掟の三日を過ぎても、なお追いかけ続けた。
ジロンと関わった者は知らぬうちに「三日で晴らせなかった因縁は全て忘れなくてはならない」という三日の掟を超えた意思を示し、彼の生き様は周囲を巻き込みやがてゾラの支配階級「イノセント」との全面戦争に発展する。
wikipedia「戦闘メカ ザブングル」


ザブングルはこんな感じで、西部劇風の世界で繰り広げられるコメディたっぷりの活劇です。

しかし、なぜ「三日限りの掟」というルールが、こうして作中に登場し、特に序盤、あそこまで強調される必要があったのでしょうか?

「西部劇風のアウトローがいる荒れた世界」という説明のためだけであれば、あそこまでルールを明示する必要はないはずです。ザブングルを見たことがある方なら分かると思いますが、西部劇風の世界観、というのは映像を見れば、十分に伝わってきています。
仮に「三日限りの掟」のルール説明が作品内でされなかったとしても、なんとなく「弱肉強食の原始的な社会」というのは伝わったでしょう。

それならば、なぜ「三日限りの掟」という(言ってみれば単純きわまりない)ルールを、作品内に明示する必要があるのでしょう?
私が考えるに、ザブングルがすばらしいのは「三日限りの掟」というルールと、それを明示したこと、そのものにあります。

それはどういうことか。その前に、まず「三日限りの掟」がどんな役割をもっているか、考えてみましょう。

世界観の紹介としての「三日限りの掟」


「三日の掟、泥棒、殺人、あらゆる犯罪は三日逃げ切れば全て免罪」

このルールが適用されている世界をぜひ想像してみてほしい。特にザブングルを見たことの無い方に。

「事実上、犯罪し放題だよね?やりたい放題、荒れ放題の弱肉強食世界じゃないの?」

うん。確かに。
惑星ゾラには、ほとんどこのルールしかない。唯一絶対のルール。
ザブングルの世界は、西部劇のイメージで分かる通り、決して治安の良い世界ではない。
なんせ犯罪を犯しても三日逃げ切れば良い世界。犯罪者天国だよね。三日逃げさえすればいいんだもの。時効が三日。

だけど、このルールにはちゃんと裏がある。
三日逃げ切れば免罪、ということは三日間は言い訳もなく悪人であるということ。
近代法治国家じゃないので、法的な手順は踏まない(そんなことしてたら三日たっちゃう!)。この社会は被害者も加害者もどちらもフォローしない。
三日以内に報復されても、何も文句は言えないし、それを避ける方法は三日逃げる以外に無い。
だから、主人公ジロン・アモスの両親を殺した、ならず者ティンプ・シャローンも、掟に従い三日を逃げ切った。
目には目を、歯に歯を。人を殺したなら、問答無用で殺されることを覚悟する。つまり、心はいつでもハンムラビ(西田敏行)。伝える言葉が残されるわけです。

そういえば昔「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いがありましたが、惑星ゾラの人にそれを聞けば、ごく単純に「殺されるから」と返ってくるでしょう。

この非常に原始的な抑止力によって、荒れ事は日常茶飯事とはいえ何とか北斗の拳にはならずに、生活のバランスを保っているのが惑星ゾラなわけです。
もちろん、このルールが支配階級イノセントによって影でコントロールされていることも、社会が決定的には崩壊しない理由のひとつでしょう。

ここまでで分かる「三日限りの掟」が表現している世界観をまとめてみましょうか。

「三日限りの掟」で分かる惑星ゾラの世界
・単純なルールしかない非常に原始的な社会
・当然社会に荒れ事はつきもの。弱肉強食の傾向あり。
・被害者側も三日以内での報復が許されている。社会がフォローすることはない。
・どちら側になるにせよ、たくましく無ければ生きていけない社会。


これは、ザブングルを見たことがある人なら、素直にうなずけるところではないかと思います。
では次に、このルールは、ここで暮らす人々の心にどのような影響を与えているでしょうか?

行動原理の説明としての「三日限りの掟」


惑星ゾラの人々によくある傾向
・どうしても刹那的な生き方になる(長期的な生き方ができない)
・恋愛観も熱しやすく冷めやすい傾向に(惚れっぽい)
・自己責任でたくましく生きている


この世界では、誰しも加害者側だけでなく、被害者側にもなるでしょう。
重要なのは被害者側になったときで、いくら腹を立てても、三日間で決着をつける事が出来なければ、仕方なかったとあきらめていかなければ生きていけない。
野良犬にかまれたと思って、忘れて、振り切って、切り替えを早くしなければ生きていけない。
かくして、惑星ゾラの住人は、今現在その場、その場の幸せを考えて生きるようになる。
いつ何があるか分からないのだ。

また、人々は、ウォーカーマシン(ロボット)などのテクノロジーは、支配階級イノセントにもらっています。ザブングルもウォーカー・ギャリアもイノセントの技術です。自分達では作れないし、作る気もない。
だからイノセントがロボットでも船でも何でも交換してくれる青い石(ブルーストーン)を手に入れる方法だけ考えて生きていればいい。交易したり、力ずくで奪ったり。
非常に単純化された社会ですね。(この単純化は意図的に仕組まれたものと分かる)

恋愛観も影響を受けているでしょう。
昔「エルチもラグもお尻が軽い女性だ」と、ヒロイン達の惚れっぽさを批判というか、嘆いていた意見を聞いたことがあります。
確かにエルチもラグも、主人公ジロンをほっぽって、他の男といい仲になったこともあります。ヒロイン達のこうした行動は今だと下手するとビッチ扱いされるんでしょうか。

でもこれは、惑星地球の現代日本に生きる私達を基準にしているからそうなるわけで、ヒロイン達は惑星ゾラ基準ではごく自然にふるまっており、批判される言われは全くありません。
恋愛に「三日限りの掟」が適用されるわけではないが、惑星ゾラ気質というものはやっぱりあって、みんな惚れっぽい。熱しやすく冷めやすい。
好きになって三日で後腐れなく別れるような恋人達も多いんじゃないでしょうか。なんというかラテン系な感じで、その辺りすごく情熱的かつ、おおらかに思える。
刹那的に今を楽しんで生きるなら、いい男、いい女と出会ったときに、何にもしないのは間違ってるしね。
計画を進めるイノセントにとっても、シビリアンが幅広く交配する方が望ましい状況なんじゃないかな。

結局、社会的なフォローはほとんど無い代わりに、それにつきまとう社会的儀礼もモラルもマナーも薄い。
自分が幸せになるように自己責任でたくましく生きていくしかないのだ。
そして、みんな、実際にたくましく生きている。

最終回でのラグ・ウラロのとった驚くべきステキな行動


ひとつ鮮明に思い出すのは、最終回「みんな走れ!」のオーラスでの、ラグ・ウラロの行動だ。

最終回のラストで、主人公ジロンは、そっと仲間の元を去るヒロインエルチを追いかけて、エルチをつかまえる。
大人になって初めて最終回を見た私は、このシーンを見て「やっぱりエルチが第一ヒロインか…」と思った。完全にジロンがエルチを選んでいるから、エルチをヒロインとしてストーリーをまとめた、と感じた。
ジロンを巡るヒロインには、エルチ・カーゴとラグ・ウラロの2人の女性キャラがいる。私はラグが大好きだったが、話の流れとしてはエルチが第一ヒロインと呼ぶにふさわしかった。

しかし、この後、ジロンとエルチを追いかけて、仲間全員がやってくる。もちろんラグもだ。
そこで、ラグ・ウラロはびっくりする行動に出る。

ジロンに向かって走り、抱きついて、キスをするのだ。
それに対するジロンの反応はといえば「こいつぅ!あはははは!」と笑っている。


これはすばらしい!
ジロンは明確にエルチを選んだ。ラグはエルチをお姫様だっこして走ってくるジロンを見た。それでもラグはジロンに抱きついてキスするし、ジロンはそれをあははと笑う。
「主人公が選んだヒロイン」なのかどうかなんて、ラグには関係ないんだよね。ジロンはいい男で、エルチもいい女なんだけど、ラグもいい女なんだよね。それだけしかない。
私の好きなラグは主人公に「選んでもらう」必要なんか無いんだった。第一ヒロインとか第二ヒロインとか、男目線で物語のまとめ方を考えていた自分が恥ずかしかった。

このラストシーンは、バックで流れる名曲「HEY YOU」と合わせて、いつ見ても私を感動させる。ザブングルの全てを象徴しているよね。
ヒロインを主人公(男)の従属物にしか考えないのは、男女差別どうこうは一切関係なく、単に物語を楽しむ面で損だと思うので、ザブングルを見よう。
あと「エルチは目が見えないから、ラグがジロンとキスしてもどうせ見えないからいいよね」と考える魂の穢れた人には、容赦なくICBMを投げつけるよ!

このおおらかさを楽しめる人は見るべきだし、楽しめない人は一つ損をしてるから楽しみを増やすために見るべき。
つまり、みんな、見れ!そして走れ!(感動とかその他もろもろで)

異世界の人々の内面をどう考えるべきか


ということで、まとめましょう。
「三日限りの掟」には、世界観説明と、そこで生きる人々の生き方・考え方の説明と、2つの役割があるわけです。

■「三日限りの掟」 2つの役割

(1)世界観説明
・単純なルールしかない非常に原始的な社会
・当然社会に荒れ事はつきもの。弱肉強食の傾向あり。
・被害者側も三日以内での報復が許されている。社会がフォローすることはない。

(2)人々の行動原理、生き方説明
・どうしても刹那的な生き方になる(長期的な生き方ができない)
・恋愛観も熱しやすく冷めやすい傾向に(惚れっぽい)
・自己責任でたくましく生きている


つまり「三日限りの掟」とは、単なるルールではなく、作品を一言であらわすことができるキーワード
世界設定のためだけでなく、そのルールで生きる人々の意識、考え方までを一言で象徴させるための重要なキーワードなのです。

いわゆる"異世界もの"という作品は数多くあって、そこには作品ごとに違った世界と、違った人々が住んでいます。
しかし難しいのが、異世界で生きる人々の内面が、我々(視聴者、読者)とどう違うのか、ということ。
オリジナリティあふれる世界観や、斬新な設定、見たこともない生き物や街やファッション。
そういった異世界もので一番楽しいところに凝れば凝るほど、
「じゃあ、そんな不思議なところに生きている人々は、私達とは考え方や生き方そのものがかなり違うんでしょうね」
となってしまうのだが、そこはわりと我々と大差ない作品も多いように感じます。

もちろん感情移入できないようなキャラクターで物語をする必要もないのだが、あまりにも我々(しかも現代人)に近いと、オリジナリティあふれた世界とキャラクターの間で生じる"ずれ"に少々戸惑いを覚えます。

それを解消するために数多くの設定やエピソードを重ねたり、いくつもの専門用語を造語してみたりして、我々とは違う人々を表現することはできます。

重要なのは、ザブングルではそれを、たった1つのキーワードにまとめたということ。

この課題はシンプルなキーワードに集約させることこそが重要であり、難しいと、私は考えます。
「三日限りの掟」は、ザブングルの世界観とキャラクターの行動原理が、ひとつのルールに集約されています。
ザブングルは西部劇風の世界ですが、極端な話、この「三日限りの掟」を用いれば、ファンタジー風だろうと、未来世界風だろうと別の「三日限りの掟」の物語が作れる。これは、そういうレベルの重要なキーワードです。(村上龍における「5分後の世界」のような)

こうして、このルールは、作品全体を貫くキーワードとして、作品内で明示され、適用されました。
「三日限りの掟」無しでは、ザブングルの世界―惑星ゾラは、替えの効く「西部劇風世界」としてのみ表現されていたかも知れません。

では最後のまとめ。

「三日限りの掟」を用いた『戦闘メカ ザブングル』という作品のすばらしいところ
・たった1つのルールで、作品世界とそこに生きる人々の内面の両方を表現しているところ。
・そしてこの定められたシンプルルールを破る(掟破り)ことがテーマになっていること


ここまで「三日限りの掟」のすばらしさを語っていてなんなんですが、ザブングルはルールを破る物語です。ここまで語ったようにすばらしい1つのルールがあるわけですが、主人公ジロン・アモスは、このたった1つしかないルールを破っていきます。それが「掟破りのザブングル」となって作品全体のテーマにもなっているのです。その意味でもルールの明示は必要不可欠でした。

ですから、ルールとしての「三日限りの掟」と、そのルールを破るジロン・アモスを両方語っておく必要があるのですが、ここまででもう十分すぎるほど長くなりすぎました。
「掟破りのザブングル」については、また機会を改めて。
次回、戦闘メカ ザブングル「なんで掟を破るのさ」でお会いしましょう。
さて。(さて、どうしよう…)
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TVアニメ『かんなぎ』を見ています。
原作は読んでないので、見る理由は「監督:山本寛」というだけでした。
山本寛作品では『涼宮ハルヒの憂鬱』も見てましたが、当時は同時に『ZEGAPAIN -ゼーガペイン-』も放送していたため、この時期はSFマインドを満たすことが出来て幸せいっぱい胸いっぱいだったことを覚えています。
ちなみにゼーガペインを見ようと思ったのは「原作:伊東岳彦」の名前だけなので、あそこまで面白くなったのは嬉しい誤算でした。
人は1つの理由だけでどうなるか分からんものを見ることができるものです。

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で、『かんなぎ』。
押しかけ美少女同居ものなんですが、その女の子が神すなわちゴッドだというお話です。
つまり、ゴッドねえちゃんと同居。………ゴッドねえちゃん?

えーと、正しい情報と詳しい情報は、公式サイトとwikipediaのお仕事だと思うので任せた!

TVアニメ『かんなぎ』公式サイト
http://www.nagisama-fc.com/anime/

wikipedia「かんなぎ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/かんなぎ_(漫画)

アニメは普通に楽しんでますよ。
マンガをそのままアニメに生かしているなら、原作は、ネームが面白いタイプの作品なんですかね。そんな感じがします。

面白いなあ、と思うのは、オープニングにも現れていますけど、神様をアイドルとして表現しているところです。
ここではその1点だけを話題にしましょう。




カミはアイドル(中山美穂)


ゴッドねえちゃんことナギ様は、神木としてこの土地を守る土地神(産土神)であったが、街の開発?で神木は切られてしまう。
その神木を使って主人公が作った女神像に魂を宿して、再びこの世に姿を現したナギ様だったが、この土地を守るためには神様パワーがあまりに足りない。
それも当然で、神木を切り倒してしまうような時代。誰も土地の神様を信仰していない。
神様パワーを得るには、再び人々の信心を得ることが大事だということで、ナギ様は信者獲得を目指します。
つまりアイドル(偶像)になって、人気者になるのだ。

アイドルとして売り出すために、学校へ行って人気者になったり、公式ファンクラブをつくったりして、信者数を広げる。
信心深い老人達などではなく、高校生など若者の人気を得ようとするのは、もう純粋に女性アイドルの客が若者だから。
また、妹(これも神。ゴッドいもうと)と信者のパイを取り合ったりする。これは同期のライバルアイドルですね。

こうして人々の支持を得ることにより、神様パワーが上がって、色々できるようになるようだ。
アニメでは第3話ぐらいしか、その仕組みが使われていないので良く分からないが、基本のメカニズムはこうであるらしい。

人々が信じて、愛することで神様(アイドル)は力を得る、というこの仕組みは、単なるおふざけのマンガ設定ではなく、神様という存在にとても忠実ですね。

偶像(アイドル)崇拝とは良くいったもので、神様とアイドルはとても良く似た存在だからです。

人々の信仰を糧にする偶像(アイドル)


多くの人間が支持することで力をもつという例は実際の神様に見ることができます。
例えば、三国志のおヒゲのレッドドールこと関羽。
三国志の最終的な勝利者が誰か、というのはたまに話題になります。どう定義するかによりますが現代の我々から見れば、おそらく関羽になるでしょう。
何せ単なる一武将が、世界中の中華街にある関帝廟で愛される関聖帝君(かんせいていくん)という神様になったんですから。劉備や曹操もびっくりです。

明の万暦42年(1614年)万暦帝から「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」、天啓年間に天啓帝による「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」という神号を追贈され、清では北京地安門(北門)外に廟を作り、順治9年(1652年)に順治帝から「忠義神武関聖大帝」、乾隆年間に乾隆帝から「忠義神武霊佑関聖大帝」、嘉慶 (清)年間に嘉慶帝から「忠義神武霊佑仁勇関聖大帝」、道光年間に道光帝から「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」という神号が贈られた
wikipedia「関帝」


どう偉いのかすらもう分かりませんが、どんどんすごい称号が上乗せされてゆきます。褒めるための漢字を全て付けた感じ。言葉の意味はよく分からんがとにかくすごい名前だ。

単なる人間、1本の木でも、人々に愛され、畏れられ、信心を得れば神になることができるし、さらに信仰を集めれば神格が上がり、神様としてもどんどん出世できるのです。

これはアイドルと同じ。すなわち、単なる歌好きの田舎の女の子でも、人々に愛され、尊敬され、信心を得れば、超時空シンデレラとして、歌姫として、女王として、銀河の妖精として、どんどん出世できるのです(ネットの世界ではそれこそ「神」になれるでしょう)。

もちろん、その逆もあります。

信心を失い、人々に忘れられた神様がどうなるのか。
『かんなぎ』劇中でも、このまま神として忘れられたら、力を失い、最後は消えていく運命だと、語られました。
これも実際に神様の世界であることで、私が最初に思い出したのはアイルランドの妖精達。

フェアリーの起源にはさまざまなものが考えられ、被征服民族の民族的記憶、異教の神や土着の神が神格を剥奪されたもの、社会的に差別・追放された人々を説明するための表現、しつけのための脅しや芸術作品の中の創作、などが挙げられる。小さい姿に描かれたり、遠い場所に行ってしまうといった話は、意識の中で小さくなってしまった存在であるということを表している。
wikipedia「フェアリー」


昔、ケルトにはまった時に、そのきっかけとなった井村君江さんの著作を色々読んでいた時期があったのですが、妖精は昔、その土地で信仰されていた神だったが、キリスト教が入っていくにつれて、神格を失い、人々の記憶の中で大きさも力も小さくなり、あの姿になった、とのことでした。
それでもアイルランドに妖精が多く存在するのは、アイルランドにキリスト教を広めた聖パトリックが、土着信仰を否定せず、キリスト教との融和をするように努めたからと言われています(聖パトリックえらい)。
逆にいえば、キリスト教に限らず宗教の伝播、軍事的征服や、民族の融合、移動など様々な理由で土着の神様達は、信仰を失い消えていったり、力を失い小さくなったり、悪魔にされてしまったり、他の神と融合(女神転生)したりしてきたわけですね。

さて、では同じようなことがアイドルでも言えるのでしょうか。

人気を失い、ファンを失ったアイドルは、人々の中で忘れられ、(芸能界での)力を失い、そしてブラウン管やCDショップから消えていくことで、そこにいるのだけれど通常の人には「見えない」存在となってしまう。妖精と同じく、信じる人にしか「見えない」存在になってしまうわけです。
また消えていく過程で、手のひらを返すように悪者やビッチ扱いをされたり、ソロではなく何人かのグループの1人とされてしまったり、するかもしれません。
この辺りは、四天王だの八部衆だの十二神将だの七福神だのといった神様のグループ化と対比させると面白いでしょう(必ずしも神格の弱体化と直結してるわけではないが)。

その昔は、国中の人々が信じて愛する妖精(アイドル)がいた。
しかし、あらゆる層から認められる国民的歌手、国民的アイドルという存在が成立するのはもう今の時代むずかしい。多様化が進みすぎ、ネットを見ても分かるとおり神はいたる所にいらっしゃいますが、それを全ての人で共有することは残念ながらできません。
『かんなぎ』でのアイドル像がどうしても、いわゆるひと昔前のアイドルになってしまうのはやむを得ないし、山本寛監督など制作側の世代を考えても仕方ないような気がしますね。
この頃はまだギリギリ、みんなが同じ妖精を「見る」ことができたんです。
とはいえ、私はアイドルを語るほど、アイドルを知らない(テレビを通して普通に消費してきたが、特に誰にもはまってない)ので、あまり何とも言えませんが。
この辺りはどなたか詳しい方に語っていただけるのを楽しみにしたいと思います。

誰のものでもあり、誰のものでもないもの


冒頭に言った通り、原作のマンガを読んでいませんので、どういう展開になってるのか知りません。
しかしこういう仕組みがある以上は物語が進むにつれてナギ様は人気アイドルになり、「誰のものでもあり、誰のものでもない」存在になっていくしかないような気がします。
これは主人公の男の子からすると、結構たまらないものがありますね。
同居してきた、かわいい女の子が、多くの人間に愛されていく。それは女の子本人の望みであるからいいはずなんだけど。
1話で主人公は「神様でもトイレに行くんだな」とつぶやきますが、その後、トイレに行かない存在(アイドル)になっていく。

中身も、信心を得て、神格が上がっていくことで、神性が強まり、人間性が薄くなっていくのも面白いかも知れませんね。
人間臭いところが魅力的なんだけど、それが薄くなっていくし、主人公を特別視するのでなく、土地の人々を平等に扱う意識が強くなっていく。
つまり、「僕だけのナギ」が、「みんなのナギ」になっていく。
でもお話としては、その構図に葛藤を作らないといけないので、主人公(あるいはナギも)はそれに逡巡や抵抗するという形にする。
最終的には、力を取り戻した神(絶頂期のアイドル)としてどうするか、にするとか。引退か、結婚か、仕事か。キャンディーズか、山口百恵か、松田聖子か、中森明菜か。

まあ原作を知らないので、それをいいことに色々考えました。知らないと楽しくあれこれ考えられるので、原作が実際にどういうお話か、という事はどうでもよかったりします。
原作は多分、そんなに神様=アイドルの構図は強くないような気もしますね。アニメのオープニングが80年代アイドル全開なので、どうしてもそう考えてしまうだけでね。

女神転生アイドルサマナー


あと『かんなぎ』見て思い出したのは、昔からゲーム女神転生(メガテン)で、信者を取り合うメガテンがしたいと考えていたことでした。

メガテンは神様(仲魔)がいっぱい出てきますが、それらをうまく使って人々の信心を集め、土地の人々を災厄や悪魔から守り、幸せにするのをゲームの目的にする。

その中で一番人気(信仰)を得るのは誰か。人気を得た神様がパワーアップできる(神格が上がる)。
姿かたちも「神々しく」、巨大になり、畏敬を感じるものになっていく。強かっこいい。

人気を失った神様は消えてしまったり、悪い属性がついたり(貧乏神、疫病神とか)する。神様パワーも衰える。
その代わり、いたずら好きの妖精ちゃんになったりして、姿かたちが「かわいく」、小さくなっていくようにする。
これはグラフィック的にそうなるようにする。雷獣ヌエが、ピカチュウになってしまうような変化。

弱い神様にもメリットがあり、神格が低いおかげで顕現(実体化)するコストが低い(メガテンでいう所のマグネタイト消費が少ない)。
だから、いつも人間のそばにいられる。つまり、いつもサトシにだっこしてもらって、マスコットでいられる。

強い神様は、神格が高いため実体化するコストも高い。顕現できても奇蹟を起こして神様パワーを起こすと実体をたもてなくなり、また消えてしまう。
このため、1年に1回しか顕現できなかったりする。1月1日や、7月7日や、12月25日など、人間の「願い」が最大限に高まる日にしか出現できなかったり。

プレイヤーは芸能事務所の社長のようなものと思ってもいいでしょう。神様はタレントです。
人々のニーズに合わせて、恋愛の神様、商売、健康、勝利の神様などのタレントをそろえる必要があります。
人気アイドルポジションにどの女神を置くか、ラクシュミなのか、ティターニアなのか、キクリヒメなのか。何人かの神様でアイドルユニット「四天王」を結成したり、「七福神」つくったり。

ちなみに『かんなぎ』のナギ様は、神木が顕現したものなので火炎(アギ系)が弱点。
スキルは、ケガレを払うハマ系とあとはテンタラフー?ぺったん胸で物理反射させてもいいですが。
そして最終的にはマハナギダインを覚えればいいと思います(効果はみんなで考えよう)。



※追記
第7話「キューティー大ピンチ!激辛ひつまぶしの逆襲(後編)」が面白かったので追記。

引きこもりの神様


主人公とケンカして押入れに閉じこもったナギを、引っ張り出そうとみんなであれこれするというお話。
内容はこれだけですので、必然的にナギは最後にしか姿を見せません。

これはもう、完全に日本神話の天の岩戸隠れですよね。

天岩戸(あまのいわと)とは、日本神話に登場する岩で出来た洞窟である。
太陽神であるアマテラスが隠れ、世界が真っ暗になってしまった岩戸隠れの伝説の舞台である。
wikipedia「天岩戸」


"てんてるたいしん"ことアマテラスが、不良の弟の凶行に嫌気がさして引きこもりになってしまってさあ大変。みんなで、あれこれ工夫して、アマテラスを引っ張り出すのだ、という説話です。

かんなぎ第7話もまさにこんな感じで進み、キャラクター達が集まって、あれこれ策を試すが上手くいかない。ちょっとエロい事で気を引いて、扉を開けさせようとするところも神話と同じ。

もちろん天岩戸は単にモチーフというだけなので神話とは違い、アマテラスより頑固なナギ様を引っ張りだすことは誰にも出来ずに終わります。結局、扉を開けさせたのは……あれは、トイレ?水に流す。
さすがトイレにいく神様。北風とおしっこ。

そういう意味で、いや、おしっこでなく天岩戸ネタということでは、実に神様らしい回でしたね。
最初は「これは省エネ回かな?それでこのネタは上手いなあ」と思いながら見てましたけど、最後の魔女っ子アニメネタがすごい動いていたので、あれはリソースをあそこに回したということなんでしょうかね。

別に必要以上に神話のメタファーを見ていく必要は無くて、単に普通に楽しめばいいと思う。
実際、今「かんなぎ」で盛り上がってるのは違う部分だし、第7話もクラナドネタが入ってたことの方がキャッチーだ(そっちは言われるまで気づいてませんでした)。
ただ偶像崇拝も含めて、基本構造レベルで意外にちゃんと神様してるので、楽しむための方向の1つとして持っていてもいいかも知れない。



関連リンク
過去のある女性を受け止めるために、用意された通過儀礼<『かんなぎ』と『めぞん一刻』>


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