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『聖戦士ダンバイン』の物語により深く触れるために、自分なりに問題点を整理して再構成してみようという企画『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)。

前回は、 『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)【問題提起編】として、ダンバイン全体を「行きて帰りし」物語でとらえてみたり、問題点を考えたりしました。
今回は、いよいよ再構成案を考えてみることにしましょう。

その前に、おさらいも兼ねて、簡単にポイントを整理してみましょう。

聖戦士ダンバイン 1聖戦士ダンバイン 1
(2006/08/25)
中原茂土井美加

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再構築のポイント


ダンバインの基本ストーリーライン
(1)ショウの召還→異世界で戦う
(2)東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還
(3)ジャコバの「浮上」→地上編へ
(4)シーラの「浄化」→地上編決着


前回、ここから考えたポイントはこんな感じ。

ポイント(課題)
・一見、オーソドックスな「行きて帰りし物語」に見えるが全然そうではない。(それで良い)
・主人公ショウが、物語の重要な転換点で、意思決定していない(関与していない)。
・主人公ショウと、異世界バイストン・ウェルのつながりが希薄である。
・オーラマシンの「浮上」と「浄化」があまりにご都合主義的で唐突。


ストーリーの各ブロック、重要イベントはそのまま同じにしながら、これらのポイントを踏まえて意味合いを変えたいと思う。

大きな変更要素は、3点。

変更要素
(A)「主人公ショウ」(目的と行動)
(B)「浮上」(バイストン・ウェルからのオーラマシンの排除)
(C)「浄化」(地上からのオーラマシンの排除)


散漫にならないため、できる限り上記3点の変更の話に集約する。

※ご注意
・小説『オーラバトラー戦記』、小説・OVA『リーンの翼』は未読未見。あえて読まないし、見ない。
・構成上、どうしても『聖戦士ダンバイン』のネタばれが発生します。ご注意を。
・あくまで今現在の私が考えた私なりの『ダンバイン』です。富野監督の考えや意図とは関係ありませんので誤解なきよう。

また根本的な前提として「問題点を解消した物語=より面白い物語」というわけではありません。矛盾や問題を抱えようが面白いものは面白いし、構造上問題がなくてもつまらないものはつまらない。
だからこれは、思考実験のようなものです。ひたすら、ひたすら長くて申し訳ないのですけど。



ブロック(1) ショウの召還→異世界で戦う


<変更点>
大きな変更点は特になし。


このブロックは、基本的にはTV版どおりで、大きな変更点はなし。
ただし、変更点(A)「主人公ショウ」(目的と行動)に関係するところについては検討の価値はあります。「物語がよくなるか、どうかなんだ。検討する価値はありますぜ!」

主人公ショウを「すぐに寝ない子」にする必要はあるでしょう。
そのために、「やる気」「元気」「根気」の「3本の木」を植えるのもいいですが、バイストン・ウェルへの召還に工夫をしてもいいかも知れません。

分かりやすいのは、ショウ1人が召還されるのではなく、同時にショウの関係者が(巻き込まれか何かで)召還されるパターン。
召還されるのは、近しい人であれば、兄弟(姉、妹、弟)、親友、恋人あたりの守るべき人。

彼ら彼女らがいれば、ショウは守るべき人のために眠るヒマも無く必死にならざるを得ないでしょう。敵方に姉を人質にとられたり、親友とはぐれたり、弟・妹が襲われたり。
はぐれた親友や恋人を探すという理由で、バイストン・ウェル世界中を回ることもできるし、人質にとられたりや養ったりするためということで、戦うことにとりあえずの理由をつけたりもできる。(要は、「ZZガンダム」のジュドーなので、これはジュドーパターンということですね。)
これらは、あくまで物語導入のための理由付けなので、途中で本当の「戦う理由」「戦う目的」への移行が必要になります。(いわゆる「契約」と「再契約」の関係ですね)

逆にショウをTV版どおりの「すぐに寝る子」のままにしておくのであれば、兄的存在を追加すると良いかも知れません。聖戦士として兄(兄的存在)が召還され、ショウが巻き込まれて召還された、というパターンですね。
この場合、ショウは始めは兄に庇護されますが、味方にせよ、敵対するにせよ、最終的には兄を乗り越えるような展開になるでしょう。
(要するにこちらは、最近のアニメでいえば「グランガラン」…いや「グレンラガン」パターン。)

私は以前、他の記事で「1クラス全員バイストン・ウェル召還」とか言ってたぐらいなので、地上人のバリエーションをつくるという意味では、「ショウ以外も召還」には基本的に賛成です。ただし、できれば肉親や恋人など、関係が深すぎる人間じゃない方がいいのでは、とは思っています。

とりあえず検討としては、これぐらい。
「召還人数」を可能性のひとつとして保留しつつ、ひとまずはTV版と同じくショウが1人で召還されたということで先を進めることにします。
この後の検討の中で、物語上の役割として必要性がでてきたら、他の人を召還することにしましょう。

ブロック(2) 東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還


このブロックも展開はTV版どおり。
ただし、このブロックでシーラ・ラパーナ女王が初登場することもあって、のちのちのために、シーラの設定を少しいじっておきたい。

<変更案>
シーラ・ラパーナを、バイストン・ウェルでの人間界の盟主とする。
強い実権はないが、権威と伝統を持ち、人間界の象徴として君臨する。
覇者を承認する役割をもち、彼女が認めた王がバイストン・ウェルを実質的に治めることになる。


これは日本で言えば天皇家にあたり、中国では春秋時代の周王朝にあたり、ヨーロッパではローマ法王のような感じかも知れない。

変更の意図は2つある。
1つは、『ダンバイン』における戦争の構図に変更を加えるため。
もう1つは、ラストの浄化に説得力を与えるための設定の補強。

■ダンバインでの戦争の構図


味方側:シーラ・エレ連合軍 vs 敵側:ドレイク・ビショット連合軍

物語後半は完全に、上記のような二カ国vs二カ国の戦争になっています。
国家同士がお互いオーラマシンを抱えて全面戦争しているわけで、この状況でどちらに非が、どちらに大義が、というのは物語上の理屈でしかないと思う。
つまり女王であるエレとシーラが可憐な美少女で、一方のドレイクとビショットがおっさんであり、聖戦士としては乙女は助け、おっさんは殺すしかないということだ。
これは半分は冗談だが、半分はまじめにそう思う。おっさん4カ国大戦だったら、誰が味方に見える?誰を殺せばいい?

先にオーラマシン軍拡をしたのがドレイクだとしても、その対抗としてオーラマシンを装備して戦うシーラ、エレもその意味では大差ない。核保有国に対抗するために、核を保有するやり方と同じですからね。

存在としては同じだからこそ、ジャコバによってシーラもエレも、全てのオーラマシンが放逐されたし、シーラの「浄化」の光も敵味方、分け隔てなく包みこんだ。
「良きオーラ」だとか「悪しきオーラ」だとかは関係ない。オーラマシンで殺しあう輩はある意味、全て悪い。

もちろん物語の構成上、ドレイクに対抗できるオーラマシンを持った国は必要だが、ドレイクをオーラマシンで滅ぼすという行動には意味はない。できれば全く違うレイヤーでドレイクに対抗する指導者が欲しい。
その人は敵側、味方側の区別無く、バイストン・ウェルの人間界全てを代表して、責任を取る立場の人がいい。

そう考えて、シーラを、聖王家、聖王女的な、ひとつ上の別ポジションに置いてみました。
彼女はバイストン・ウェル統一王朝時代の最も古く高貴な血筋(例えば。何でもいい)とでもいうことにする。

ドレイクもそもそもの最終目標はシーラから征夷大将軍の(ような)位をもらうこと。
しかしオーラマシンは人の欲望を肥大化させる。ドレイクはオーラマシンを手に入れたことで、そうした古き風習に頼ることなく世界を手に入れる野心をもつ。

シーラはドレイクの野心に気づき、バイストン・ウェル人間界代表として、ドレイクを止めることを決意する。
しかしそれは結局、ドレイクに引っ張られてオーラマシン軍拡をすすめている、全ての人間たちを止めることを意味する。
そういう意味で、シーラの戦う相手は、ドレイクだけでなく、エレなど味方側も含めた全てのオーラマシンと、その力を利用するもの、ということになる。
だからこそシーラは、彼女と同じ考えをもつショウを支援し、彼にビルバインを与えることになる。

ブロック(3) ジャコバの「浮上」→地上編へ


「浮上」がありますので、予定どおり変更します。まず私の案は以下のような形。

<変更案>
妖精の長ジャコバ・アオンは、歪んだ存在であるオーラマシンによって、バイストン・ウェルが戦乱に荒れるのを憂う。
それを知ったショウは、コモンとして、地上人として、妖精の長に提案します。
「それならば、地上に全てのオーラマシンを追い出すというのはどうでしょう?」
ジャコバは、ショウの提案をグッドアイデアと認め、儀式を行い、地上へ全てのオーラマシンを「浮上」させるのだった。


つまり私の提案は、『「浮上」はショウ自身の選択であり、ショウの責任ということにしてはどうか』というものです。
実行者は、ジャコバ・アオンのままで構いません。その代わり「浮上」自体のアイデアはショウのものとして、彼がジャコバに提案するということにします。

「浮上」は、バイストン・ウェルからオーラマシンを全て消し去るという、物語のキーポイントの一つです。ですが、『ダンバイン』ではジャコバから唐突になされ、ショウは関与していません。
実際のところ、オーラマシンは全て排除されたので、バイストン・ウェルは元の秩序を取り戻したでしょう。(平和を取り戻したということではない。)ショウは何もしてないですけど、結果的にね。

それをショウ自身の選んだ道ということにしましょう。
ショウはこの時点で一度里帰り済みですので、地上でのオーラバトラーの強力さ、凶悪さを理解しています。理解しているにも関わらず、地上人のショット・ウェポンが作った兵器の責任をとるには地上で、と決意し、「浮上」を提案するのです。

それは「地上」と「バイストン・ウェル」を天秤にかけて、後者をとったということでもあります。
地上人として、バイストン・ウェルに対してけじめをつけた、ということでもあります。

ショウのこの決断はベストが無い中で彼なりのベターとして選んだものですが、彼によって地上の人々が少なからず犠牲になるでしょう。視聴者全ての賛同は得られない類の大変罪深い行動です。
ですから、作品中で彼の選択に対する「アンチキャラ」を配置しましょう。
この場合、「ショウ!なぜ地上がめちゃくちゃになると分かっていながら、オーラマシンを浮上させた!」と、ショウを批判するキャラになりますね。
地上を大事にしているキャラクターが必要ですね。新キャラクターを追加して役割を背負わせてもいいが、現状で存在するキャラクターを使うならば、トッド・ギネスだろうか。

トッド「俺のママとアメリカがめちゃくちゃになるところだったんだぞショウ!」
トッドには悪いが、実際にママがケガする、死亡するなどの実被害を出して、強調する方法もある。
トッドは視聴者の代わりにショウを責めなくてはいけないし、ショウはこの批判を受けなければならない。

ブロック(4) シーラの「浄化」→地上編決着


TV版と同じく地上編です。
今回の流れでは「ショウのせいで」地上にオーラマシンがあふれて、地上は大混乱。という状況です。
もちろん、ショウは地上をめちゃめちゃにしたいというわけではありません。今度は地上からオーラマシンを根絶するために戦います。

<変更案>
地上で合流したショウやシーラ、エレ達は。ドレイクやショット、ビショットは地上に圧力をかけていく。
もはや一刻の猶予も無い。ショウはシーラに、地上のオーラマシン根絶のために相談。
シーラは「浄化」という方法があることを明かす。シーラの王家に伝わる秘儀。ショウはシーラに「浄化」によるオーラマシン根絶作戦を提案。
しかし全てを「浄化」するためには、敵味方も含めた全てのオーラマシンが一堂に会さなくてはならない。
そこで、「浄化」を前提にした最終決戦のために作戦が進められた。そしてドレイク、ビショット、ショットを全て集めることに成功。
太平洋上の決戦により双方壊滅。準備が全て整ったシーラの「浄化」が発動する。
全てのオーラマシンが地上から消え、ショウ達もまた、地上から消え去った。


ポイントはこの2点
・「浮上」と同じく、「浄化」もショウが意思決定をした結果、選ばれた作戦ということにする。
・「浄化」の存在を早い段階で明かし、全ては「浄化」作戦に向けた舞台づくりのため戦いを進めるという構成にする


TV版と結果は何も変わらないのですが、中身の意味合いはこれでかなり違ってくると思います。

まず「浄化」作戦を、「浮上」と同じくショウが意思決定したものにします。
これで、ショウは「バイストン・ウェル」「地上」双方の世界でのオーラマシン根絶の中心にいたことになります。

これと同時に、シーラの浄化に必然性をもたせましょう。
ラスト直前で現れるデウス・エキス・マキナでなく、あくまでショウとシーラの決意で準備された最終作戦と言う形にします。

ジャコバは地上にいない(いても無理だが)。シーラに「浄化」を任せるほかは無いが、いかに霊力が高いとはいえ、人の身でそんなことをすればどうなるか分からない。残酷だがショウはそれでもシーラに捨て身の「浄化」作戦を提案する。
つまり「目的のために死んでくれ」とお願いするわけです。シーラはそれに同意する。
(なんか「ナースエンジェル しいらSOS」みたいになってきた)

あとの軍事行動は、全て「浄化」作戦のためという展開にする。
太平洋に全てのオーラマシンを終結させて一大決戦するのも、その後全てを浄化するのも全て予定通り。

しかし、作戦の真の目的はショウとシーラの秘密、ということにした方がいいかな。
ショウとシーラの目的は勝利でも平和でもない。敵味方関係なく、オーラマシンを排除して、狂った戦いを止めること。
「浄化」は敵味方わけへだてなく全てのオーラマシンが対象となりますからね。

TV版「ダンバイン」のストーリーは一応ここまで。

再構築ストーリーおさらい

(1)シーラ登場
バイストン・ウェルの盟主、聖女王シーラとショウが出会う。
シーラとショウは、オーラマシンの根絶ということで意見が一致する。

(2)ショウによる「浮上」
ショウは、地上とバイストンウェルを天秤にかけて、地上をオーラマシン戦争の舞台に選び、ジャコバ・アオンの力で「浮上」を行う。(トッドはこの選択を許さない)
オーラマシンは全て地上へ。バイストン・ウェルはオーラマシン以前の状態に戻る

(3)地上からのオーラマシン根絶
ショウは今度は地上のオーラマシンの根絶を目指す。最終目標はオーラマシンの開発者ショット・ウェポン。シーラもバイストン・ウェル軍が地上に戦火を及ぼすことが無いよう手を尽くす。これはバイストン・ウェル盟主としてのけじめ。

(4)ショウとシーラによる「浄化」
ショウとシーラは「浄化」作戦を立案。この作戦のための準備を整える。
決戦において、シーラの「浄化」が発動。地上からオーラマシンは全て消滅する。


TV版のダンバインのストーリーはここまでですが、個人的にはあと少し付け加えたい。
ここから先は、個人の趣味の範疇だと先におことわりしておきます。

最後はバイストン・ウェルで


ショウは、2つの世界のために働き、両方の世界からオーラマシンを消滅させることに成功した。
ここまでの展開で来た場合、地上での「浄化」で終わるのは不十分だと思われる。
異世界→地上→異世界という構図を持っているショウは、最終的にはバイストンウェルに帰るべきだと思うからだ。

その場合「浄化」がオーラマシンともども、オーラマシンに引っ張られた全ての人々を罰し、救済するというものだと、いわゆる「全滅」にしかならないので、できればオーラマシンを全て失いつつ、生き残った者たちは肉体を持ったままバイストン・ウェルに帰還することにしたい。

地上、バイストン・ウェルあわせて、この世に残った最後の二機のオーラバトラーは、バーンのズワースと、ショウのビルバイン(ダンバイン)。
最後にズワースとビルバイン(ダンバインに乗り換え?)で戦うのはサービスの意味合いと、OVAでのサーバイン、ズワース2機と重ねるイメージ。

ズワースとダンバインは当然のように相討ちになる必要があり、これでオーラバトラーはこの世から消える。

エンディング


完全に好みの問題だが、こんな感じで話が進んだ場合に一番ステキだな、と思うラストシーンは、「浄化」で霊力を使い果たし、しわしわのおばあちゃん(でも心は乙女のまま)になってしまったシーラ様を、ショウが面倒みながら、ひっそりと暮らすというラスト。

これはけして当人同士にとって悲劇ではなくて、ショウは「死んでくれ」と命をもらう代わりに、自分の命を当然シーラに賭けただろうし、シーラも霊力を全て失くし死を覚悟しても、ショウに応えた。
その2人が全てをやり終え、責任を果たしたとき、余生をこんな風に過ごしてもいいでしょう?
何より、あのままいっても聖女王と聖戦士という立場の2人はあれ以上には望んでもなれなかっただろう。でも今は一緒に暮らしてる。傍目には、おばあちゃんと介護する孫にしか見えなくてもね。私にはとてもロマンチックで幸せな構図だと感じます。



以上でおしまいです。

さて、ここまで来ると、誰でも分かると思うのですが、完全に『ターンAガンダム』ですよね。これ。

自分でもびっくりすることにこれ意図的でも何でもないんですよね。だから本当に驚いた。
途中で違和感を感じながらも、それが何か分からず、そのまま考えを進めて、ラストのイメージが出たときにやっと気がついた。

「これターンAだ!」

ショウ=ロラン→命を大事にしない人とは誰とでも戦います。
シーラ=ディアナ→バイストン・ウェル(月)の女王として責任を取ります。


最後のズワースとダンバインの相討ちは、ターンXとターンAのそれだし、ラストはいわずもがな。

『ターンAガンダム』の構造に似てしまったのはそれなりにショックでしたが、これは無意識の結果ですので別にいいのです。何がショックって、無意識ではなく、意識的にしたことがあるんですよね。それの結果が『ターンA』だったことの方が驚きが大きかった。

意識的したこと。それは「絶対に『イデオン』にはしないでおこう」ということでした。

因果地平に飛ぶのは、ひとつだけでいい


『ダンバイン』のラストで浄化されたショウ達がバイストン・ウェルに転生する姿までを描く予定があったのを、「『イデオン』に似すぎてしまうから」と取りやめにしたのは有名です。

最終話のシナリオ段階(そのシナリオは「マイアニメ」85年3月号に掲載)では、命を落とした登場人物達がミ・フェラリオとして生まれ変わることになっていたが、「それでは『伝説巨神イデオン』と同じ結末になってしまう」という富野の演出意図により、完成したフィルムからは削除されている。
Wikipedia - 聖戦士ダンバイン


これからも分かるとおり、確かに『イデオン』と『ダンバイン』には重なる部分が多く、『ダンバイン』の問題点を修正していくと、『イデオン』になってしまう可能性がある。
ただ、それは『ダンバイン』が「これは全滅するしかないな!」というストーリーとして、完成度が高まるという意味でだ。

ホントはもっと色々可能性があるんだろうけど、私には無理だった。
富野作品に強い影響を受けた上に、貧困な想像力の私では、一番最初にイメージできたのは矛盾無くスムーズに「全滅」する『ダンバイン』だった。

それは危ない。それはやめようと思った。

もうすでに『イデオン』が因果地平まで飛んでいることですし、そもそも『イデオン』『ダンバイン』通過後の人間が考えることが『ダンバイン』を「出来のいい全滅もの」にすることでは無いと、私は信じる。因果地平に飛ぶのはひとつだけでいい。

だから、『イデオン』から離れることを意識して、『ダンバイン』の再構築を考えた。
そうなると全滅を避けるための動き方を、ショウにしてもらう必要がある。
だから、どちらかの勢力ではなく、真ん中に立ってもらい、もめごとの中心であるオーラマシンそのものを相手にしてもらおうとした。つまり「誰とでも戦い、誰とも戦わない」という戦い方。
で、それは要するに『もののけ姫』のアシタカであり、『ターンAガンダム』のロランですよね。

こうして考えると、やはり『ターンAガンダム』は、ガンダム文脈でなく、『イデオン』『ダンバイン』と並べることで、分かりやすくなるし、また違った面白さを感じることができるかも知れない。
「ガンダム全然見てないんだけど、『ターンAガンダム』を見るには、これまでのガンダムを見ないとダメ?」
と、聞く人がいたら、
「『ターンAガンダム』だけで全然いいよ」
と、最初に答えるけど、それでも他に何か見ておきたいと言われたら
「じゃあガンダムじゃなくて、『イデオン』を見ましょう。劇場版でいいですよ。ただし先に『イデオン』見てね」
と答えたい。(ダンバインは?…ちょっと長いよねえ)

「まとめ」と「課題」


富野由悠季がニュータイプを描くことで逆説的に明らかにしたように、人と人とは分かり合えない。
それはひとつの絶望だけど、「分かり合えない」ということを分かり合っていくことはできる。
それですらとても困難なことだけど、全ての人間が憎しみ殺し合い全滅する前に、それに気づくことができればそれで上出来だ。
シャアはそれは無理だと言っていたが、アムロはそこまで絶望はしていないと返した。
どちらが正しかったかは、『ターンAガンダム』を見れば分かる。(みんな見ようね)

ただ、それには、アシタカやロランのような、境界線上の人間が必要だった。
こちら側でも、あちら側でもないところに立つ人間が。
(私はそういう意味では、ターンAはやっぱり「おとぎ話」とか「神話」のイメージが強い。)

ロランはムーンレイス(月の民)でありながら、地球に2年住み、すっかり地球が好きになり、月と地球の両方を愛する人間になった。その後のポジショニングも月と地球を行ったりきたり。男性と女性の2つの性も行ったりきたりすれ違いあなたと私の恋。

再構成案で書いたとおり、私はショウの「立ち位置」と「しなければならないこと」というのは、すぐ決められた。
ショウを二つの世界の狭間に置いて、「どちらかの勢力」ではなく「オーラマシン」を相手として戦い、全滅を回避させる役割をさせようとしたんですよね。

ただ、ショウ・ザマという人を、それができるような人間にするために、何をどう変えればいいのか、ということに、自分なりの結論が出せていない。(だからこれまで書いた再構成案にもその部分は一切含まれていない)
バイストン・ウェルとの結びつきが弱すぎると言ったのも、地上とバイストン・ウェルとのバランスを取るためだったし、ショウの相手をリムルにするのもひとつの手と言ったのもそう。
例えばだが、よくある話として、ショウの両親の片方が実はバイストン・ウェル人で、地上とバイストン・ウェルのハーフ、などの設定にすれば一応条件はクリアーできる。クリアーだけなら。何か大きな軸がいるはず。他の要素と有機的に結びつくような何かが。
色々考えたが結局、これだというアイデアは思いつかなかった。すみません。これは宿題にさせてください。



あとがき


想定外なことに『ダンバイン』から始めて、『イデオン』から離れようとして、結局『ターンAガンダム』に行き着いてしまった。
私があれこれ考えたことは、とっくの昔に富野監督が到達してたわけです。
でも結論は一緒でいいんです。仮に私にいくばくかのオリジナリティがあるのだとすれば、そこへ到る思考の筋道そのものだけ。悩んだり、先ほどのようにいいアイデアが浮かばなかったりしたのも含めてね。だからカットせずに全て書きました。長くなった上に、こんな結論で申し訳ありません。(最後まで読んでいただいた方、ありがとうございます)
バイストン・ウェル小説を読まずにここにたどりついたのは、「あえて読まない」意義があったと私個人は感じます。面白い実験でした。

ラストも、体はおばあちゃん、心は乙女のシーラ女王というのも私個人は好きなんだけど……。

「バーロー!見た目は乙女、頭脳は老婆。その名はディアナ・ソレル」

あー、ですよね。心はおばあちゃん、体は乙女のディアナ・ソレルの方がいろんな意味で良いに決まってるよね。『ターンAガンダム』はすごいなあ。

私はもちろん、どっちもOKです。(節操がない)

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子供の頃にリアルタイムで体験したこともあって、私は『聖戦士ダンバイン』を愛しているのですが、この作品にはいくつかの歪みから来る問題があるんですよね。ね?ショウ君。

ショウ・ザマ「オレが最初に寝たからとか言うんだろ?でも―――」

クローバーがほんの少し長生きすれば、制作状況や時代が変われば、ショウが眠らなければ、違う物語もあったかも知れない。
でも、そうはならなかった。ならなかったんだよショウ。
だから、この話はここでおしまいなんだ。

………ちがうちがう。終わんない終わんない。

おしまいにしないために『聖戦士ダンバイン』の物語を自分なりに再構築してみよう、というのが今回の企画です。

聖戦士ダンバイン 1聖戦士ダンバイン 1
(2006/08/25)
中原茂土井美加

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『聖戦士ダンバイン』リビルド(再構築)


『聖戦士ダンバイン』は、制作当時の外部的、内部的な要因で、いくつか問題を抱える物語になっています。
外部要因としては、視聴率だったり、スポンサーの売上不振からの路線変更、設定変更であったり。
内部要因としては、バイストン・ウェルという異世界を主役にしすぎたことへの歪みであったり。こちらは以前のエントリ(「なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか」)で詳しく取り上げました。

『ダンバイン』には、本来語られるはずだったプレーンな形の物語が存在していたと想像できます。
しかし、それはさまざまな要因により我々の前には姿を現さなかった。
その「幻の物語」を体験するには、同じ異世界バイストン・ウェルを舞台にした小説、『オーラバトラー戦記』や『リーンの翼』を読むのが一番てっとりばやいだろう。
特に『オーラバトラー戦記』は、個人の作家性を色濃く反映できる小説という形式を利用した、富野由悠季本人によるセルフリメイクだ。と思う。多分。おそらく。

なぜ「多分」かといえば、私が『オーラバトラー戦記』も『リーンの翼』も読んでいないから。
だから、そこで語られ直したであろう聖戦士の物語が、実際にどうだったのかは良く分からない。
確かショウの名前が変わってたりするんですよね?超電子ダイナモが埋め込まれてるような感じの名前に。

読んでしまえば全てが終わる。読むと妄想力(ちから)が弱まる。
だからあえて、これらは読まずに『聖戦士ダンバイン』の物語を自分なりに考え直してみようと思います。

企画意図と注意書き


目的:『聖戦士ダンバイン』の物語を再構成する
・『ダンバイン』が持つ物語上の問題点や課題点を検討する
・私なりに問題点を修正して『ダンバイン』を再構成してみる。
・ただし、できる限りTV版『ダンバイン』の展開とキャラクターはそのまま残す。

ポイント
・小説『オーラバトラー戦記』や『リーンの翼』は未読。あえて読まない。
・OVA『リーンの翼』も未見。あえて見ない。
・「読まず、見ず、wikipediaも調べず」。これらの作品と比べたりはしない。(比較三原則)
・構成上、必然的に『聖戦士ダンバイン』のネタばれが発生します。ご注意を。
・あくまで今現在の私が考えた私なりの『ダンバイン』です。富野監督の考えや意図とは関係ありませんので誤解なきよう。


特に最後のもの。当初は「富野監督が本当にやりたかったダンバイン」を想像しようかな、といろいろ考えていったのだが、考えるうちにこれは「幻の物語」を発掘するものでも何でもなく、自分自身の物語に対する考えを『ダンバイン』を通して整理しているだけだということに気づいた。だから結局「富野ならこうするでしょ?」ということをやっていません。
そんな難しいことはそもそも出来ないし、物語とちゃんと向かい合うには拙くてもいいから自分自身でぶつかる方がいいよね。

…などと言っているが、要するに単なる妄想といった方がよく、表現手段のある方ならこういうのを二次創作作品に発展させるんだろうなと思ったが、私にはそれはできないので、こうするほかない。



さて、では始めましょうか。
まずは、『ダンバイン』の全体の大枠をつかんで、問題点や課題点をピックアップする必要がありますね。
とっかかりとして『ダンバイン』、というか「聖戦士伝説」を、物語の類型のひとつ、「行きて帰りし物語」で考えてみることにしました。

「行きて帰りし物語」で考える聖戦士物語


行きて帰りし物語」とは、その名のとおり、「行って」「帰る」おはなし。

現実(日常) → 異世界(非日常) → 現実(日常)

と、いった具合に、登場人物が、どこかにでかけ、そして帰ってくる、というお話のパターンの1つです。
この言葉の元になった「ホビットの冒険」「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」や、なじみ深いところでは「千と千尋の神隠し」なんかもそういうお話ですね。
千尋ちゃんが、ちょっと不思議な世界へ行って、そこでさまざまな体験をして、元の場所へ帰ってくる。それだけのお話でしたよね。

『ダンバイン』も、東京の高校生である主人公ショウがバイストン・ウェルという異世界でさまざまな体験をするお話ですので、オーソドックスな「行きて帰りし物語」のフォーマットに当てはめてみましょう。

行きて帰りし『ダンバイン』


(1)主人公は現実世界で何らかの問題を抱えている。
(2)主人公は異界であるバイストン・ウェルに行き、聖戦士として戦うことになる。
(3)異界で通過儀礼を受け、見事それを突破した主人公は、世界を救い、大人へ成長する。
(4)役割を終えた主人公は、現実世界に帰還する。


・非日常は、あくまで成長のための仮の世界であって、最終的には元の日常に戻ってこないといけない。
・元の日常に帰ってきたときに、主人公自身が変化しているため、いつもの世界がちょっぴり変わって見える。

という所がポイントでしょうか。

『ダンバイン』ですと、バイストン・ウェルの戦いを終結させて、その後、東京へショウが戻ってくる。
たくましく成長したショウは、両親の問題ですねることもないし、盗んだバイクで走り出すこともない(お金持ちだから元々ないけど)。きっと、これからは両親に対しても、社会や未来に対してもショウはちゃんと向かい合っていけるだろう………おしまい。

別に「行きて帰りし」過程で、必ず成功や勝利をしなければいけないわけではないですが、オーソドックスに、めでたしめでたし、でまとめるならば、こんな感じのお話にはできますね。

しかし『ダンバイン』を見た人ならご存知の通り、この作品はこういうお話にはなっていません。

実際の行きて帰りし『ダンバイン』


(1)主人公ショウは現実世界で何らかの問題を抱えている。
(2)ショウは異界であるバイストン・ウェルに行き、聖戦士として戦うことになる。
(3)その途中で地上(東京)に戻ってしまい、母親と衝突。両親を捨て、帰る故郷を失くす。
(4)やむなく異界に戻り、戦いを続けたが、異界側から拒否されて、またもや地上へ。
(5)現実世界でロボット大戦争(もう日常じゃない)。
(6)ショウはライバル・バーンと相討ちに。シーラ女王の力で全員バイストン・ウェルに帰還。
(7)全てのオーラマシンが無くなった地上には平和が訪れる。でもショウはいないし、帰ってこない。


基本パターンからはずれるのは(3)の、いわゆる「東京上空」から始まる東京三部作から。
まだ異界で何もしてないショウが、その途中で東京に里帰りし、そこで両親と故郷を捨てることになります。
この時点で「行きて帰りし物語」で最後に帰るはずの「日常」がなくなってしまいます。

さらに(4)。異世界側に戻ってはみたものの、おさまることのない戦乱に妖精界の渡辺えり、ことジャコバ・アオン様がお怒りになりまして、ショウはまだ何にもしてないのに、オーラマシンは全て地上世界へほっぽり出されます。(これが「浮上」)
このことで、物語の舞台は完全に地上世界のみとなってしまい、異界(非日常)としてのバイストン・ウェルの出番は終わってしまいます(そのために用意された世界にも関わらず!)。

代わりに、これまでの日常だった地上世界に大量のオーラマシンが溢れ出し、非日常世界に変化してしまいます。
したがって以降は「非日常化した世界を、日常へ戻す戦い」となっています。

(6)最終的にはバイストン・ウェルの軍勢が終結して一大決戦を行い、双方壊滅的な打撃を受けますが、敵方の王であるドレイク、ビショット、そしてオーラバトラー開発者ショット・ウェポンを討ち取ります。しかしショウはライバルの黒騎士バーンと相討ちに。そこへシーラ女王の”浄化"。全てのオーラマシンは消滅し、人々の魂はバイストン・ウェルに帰還する。

(7)全ての非日常がなくなった地上は平和になり、「日常」としての現実世界へ戻っていく。
しかしショウの姿はシーラの浄化の光と共に消えうせてしまい、チャム・ファウ1人が残された。

面白いのは、作品の途中(前半早々)で、主人公ショウが帰るべき日常そのものを失ってしまうことでしょうか。
さらに舞台が現実世界へ完全に移行することで、舞台としての異界(バイストン・ウェル)そのものも失ってしまいます。
その後は、非日常化した現実を救うために戦うのですが、日常を取り戻せたとしても、そこはもうショウが帰ってくる場所ではないのです。

ベタな英雄神話である「聖戦士伝説」が、このようにねじれているところが非常に面白い。
個人的には「これがダンバイン」と感じる部分ですから、この展開自体は変える必要を感じません。
しかし、この流れを生かそうとするときに物語上の問題点、課題点がいくつか存在するように思います。

『聖戦士ダンバイン』の問題点


あくまで私が気になって、今回何とかしたいと考えている問題点です。
これら問題点は、スポンサーや視聴率など外部要因が大きな影響を与えているものも少なくないですが、ここでは問題の発生理由は置いておいて、これらの要素が物語にどういう問題を及ぼしているのか、ということだけ考えます。

『聖戦士ダンバイン』問題点
・ショウが物語のキーポイントで重要な意志決定をしていない。
・ショウとバイストン・ウェルのつながりが弱すぎる。
・だからショウが何の動機で何がしたいのかよくわかんない。
・ジャコバによる、唐突で一方的なオーラマシンの放逐(「浮上」)
・最終回のシーラの「浄化」。シーラが完全にデウス・エキス・マキナ。


だいたい「主人公ショウ・ザマ」です。ショウの問題が解決すれば、他の問題も解決できるんじゃないかな。

ショウ・ザマ(主人公)問題


もともとショウは第一話でいきなりぐっすり眠るような困った主人公なのですが、それが悪かったのか全体を通して問題が多く、第一話以降も彼が何の目的で、なぜ戦うのか、私にはいまいちすっきりしない。

このストーリー展開が悪いわけではなく、要するにショウが「聖戦士の義務」だけで戦うにしては、「ショウがバイストン・ウェルという世界を愛しているようには見えない」というのが問題だと思うんですよね。

他の聖戦士や地上人は、普通に「行きて帰りし」物語の構造を持っている。
元々、地上で不遇な人たちだったけれど、異世界で存在を認められる。
だから地上へ帰ってきたときには凱旋帰国。故郷へ錦を飾る、という感じになっていた。
「ジャンヌ・ダルクの再来」と持ち上げられたジェリル。アメリカをもらってママといい暮らしをしようとするトッド。出世したショット・ウェポンは不幸時代の友人を呼び寄せてポストを与え、世界を見返そうとする。
みんな、エゴ丸出しの行動とはいえ、非常に分かりやすい。
この辺りの地上人の自己実現に関しては、以前書いたエントリ(【聖戦士急募】バイストン・ウェルで君の夢をかなえよう!)でまとめてみました。

でもショウは彼らより一足先に里帰りして、すでに両親と決別。地上世界からも拒絶され、バイストン・ウェルが唯一彼が生きられる世界になった。
そのためショウだけが、他の地上人と違い、普通の「行きて帰りし」の構造をもっていない。
作品中で彼がただ1人、異世界→地上(東京)→異世界 という通常の逆の「行きて帰りし」プロセスが与えられている。

だからショウだけが、成長や変化の場としての「地上」を与えられて、そこで体験したことをバイストン・ウェルに持ち帰るキャラクターなんじゃないかな、と考えています。
地上人なのに、バイストン・ウェルのために生きることを運命付けられているからこそ、ショウは真の聖戦士に一番近い位置にいる。
バイストン・ウェル側に都合のいい理屈でいえば、そうなるんじゃないかな。元の世界を完全に捨てて、自分達の世界のために奉仕してくれる聖戦士ということなので。
ショウ側から見ても、生まれた世界を捨てただけの価値を、聖戦士稼業やバイストン・ウェルの生活に見出すことができれば良いのだけれど。

で、この流れで考えると、『ダンバイン』でのショウとバイストン・ウェルの結びつきって非常に弱い。

ショウは特にバイストン・ウェルという世界自体を愛しているわけでも無い。
現代っ子だと思うので、現代文明の批判者でも無いと思うし、若者が田舎や発展途上国へ行って感動するようなタイプでもないでしょう。
東京三部作で両親と故郷を失って、バイストン・ウェルしか生きる場所がなくなり、聖戦士ショウとして生きることを決意するのですが、消去法的にやむなく選ばされた面が強く、ショウが積極的にバイストン・ウェルを選んだという感じはしません。

何もバイストン・ウェルそのものを愛さなくてもいいのです。ショウの目的や意志がはっきりすればいいので、世界を愛するかわりに、バイストン・ウェルの女性を愛する、というのでもいい。
ショウにとって、バイストン・ウェルが何かかけがえのないものになれば、その理由は何でもかまわないと思います。
しかし実際は、一番近くにいる女性は同じ地上人のマーベルだし、シーラ女王とはお互い立場もあって何も発生しない。

『ダンバイン』ではニー・ギブンとリムルがロミオとジュリエット状態になっていますが、リムルの相手役をショウにするのもひとつの手だな、と思います。ショウが守らないといけないもの、戦わなくてはいけない理由がかなりクリアーになりますね。
OVA『ダンバイン』(私は未見)では、そのカップリングだと聞いたことがあります。OVAゆえの人物と設定の整理かな、と思うのですが、確かショウは転生後か何かで「地上人」では無いんでしたよね?
本当は「地上人」ショウと「バイストン・ウェル」の女性、という世界の異なる2人の組み合わせが最も効果的であると思います。

ジャコバの「浮上」とシーラの「浄化」問題


「浮上」→バイストン・ウェルからオーラマシンを排除する。
「浄化」→地上からオーラマシンを排除する。


役割は同じなので、この2つはセットで考える問題。
2つとも、路線変更や幕引きのためのデウス・エクス・マキナになっていて、色々と事情を知っていると「これしか無かった」と思うのだけれど、純粋に物語として考えるならば批判されても仕方がないかも。

ただし、私は「浮上」と「浄化」の存在そのものに問題があるとは思わない。
ショウの問題とあわせて、いくつかの変更を施すことで、展開は同じままでも、問題解決はできると考えています。

『ダンバイン』リビルド(再構築)のポイント


さて、今回は【問題提起編】ということで、ここでまとめ。
【再構築編】では、ここまで出した問題点に対する修正案を出します。
出来る限り、本編の展開はそのまま生かしたいと思いますし、展開自体に問題があるとは全く思っていないので、全体のストーリーラインは変更しません。

(1)ショウの召還→異世界で戦う
(2)東京上空(東京三部作)→バイストン・ウェルへ帰還
(3)ジャコバの「浮上」→地上編へ
(4)シーラの「浄化」→地上編決着


これら各イベントはそのまま同じにしながら、内容というか意味合いを変える。

また変更点は、基本的に以下の3点に絞ることにする。

・「主人公ショウ」
・「浮上」
・「浄化」


これは話が散漫にならないようするため。
話の主軸と考えるポイントの変更だけを検討します。
本当は変更を加えることによって、その影響はさらに細かい部分に及ぶことになるが、全ての検討はキリがないし、もう趣味の領域だ。私は物語の構造にしか興味がないので、皆さんの脳内でうまいこと整合性をつけていただけるとありがたい。大丈夫。みんなならできるよ。やったらできる子だって私は信じてる。

以上で問題提起編は終了。
次回は、今回のお話をもとに、具体的な再構成案をお送りしたいと思います。

では、後編の【再構築編】へつづく。

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