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前回記事の富野全滅戦争回避ゲームは、割と面白がってもらえたようで、うれしく思っています。みんな元気に病んどるね!

前回はゲームを通じて富野作品を考えてみたわけですが、今回もちょっと趣向を変えたアプローチ。
富野アニメ作品自体ではなく、いかに自分が富野作品を体験していったか、その歴史を思い出しつつ書いてみたいと思います。
結局のところ、それは自分語りになるわけですが、富野作品、またはガンダムシリーズは数も多く、「どう富野体験をしてきたのか」で、同じ作品を語っても、思い入れやスタンスもさまざまに変わります。
このブログでは、富野作品についての言及が多いので、一度そのバックグラウンドを示しておくのも悪くないですし、たいしたことも書けない私にとっては、体験こそが自分が持つ唯一のオリジナリティと言えます。結局、私自身の体験を語るぐらいしか「私にしかできないこと」は無いんですよね。

ちなみに私は、富野アニメで産湯をつかう、と何度か書いているように、子供の頃から基本的には、順番どおり、リアルタイムで富野アニメを見てきました。
だから、「子供から大人になるまでの間に、順番どおりに富野アニメを見た」というのが私の武器であり、同時に限界です。
例えば「大人になってからファーストを見た」とか、「SEEDを見てから、ファーストを見た」という感想は、どうあがいても書けません。
だから、自分と違うルートや年齢で富野作品に関わった方の意見というのは、とても興味深いといつも思っています。

皆さんも自分とは違う富野体験プロフィールの例として、この記事をご覧いただき、そしてもし可能ならば、皆さん自身のプロフィールを書いていただければ、こんなにうれしいことはありません。私だけでは単なる自分語りですが、サンプルが色々あると比較もできて面白くなるはずです。「数だよ、アニキ!」と肩がトゲトゲの人も言ってました。

では、私の富野作品体験を<「私の履歴書」富野アニメのプロフィール>と題してお送りします。残念ながら日経新聞には掲載されませんので読めるのはここだけ。
やはりファーストガンダムの存在が大きいですが、あえて、ファーストを見る前の時代、つまり「ファースト前夜」からスタートさせましょう。



ファースト前夜


幼少のころは、完全に「仮面ライダー」と「ウルトラマン」大好きっ子でした。
アルバムを見れば一目瞭然。
いついかなる時でも、ライダーの変身ポーズか、ウルトラマンの光線ポーズで写真にうつっている。
あまりに全ての写真がそれなので、見てるとだんだん面白くなってくる。七五三だろうが正月だろうが関係なし。カメラを向けられれば、条件反射的にポーズをとっていた。
とはいえ、ポーズの種類はなかなか多彩だ。リアルタイムでは到底見ていないライダーやウルトラマンのポーズも色々やっている。
ビデオも無かったのに、こんな幼児がなぜ?

それは、変身ベルトや人形などのおもちゃではなく、ケイブンシャ大百科など本ばかりを好んで買っていたから。
母には「字もまだ読めないのに、ライダー大百科をねだり、買ってやるとそれで字を覚えた」と、のちに聞かされた。
つまり大百科の変身ポーズの図解などを見ながら、見たことないものも覚えたと思われる。
変身ベルトのおもちゃはいらない。ベルトの図解資料があればいいのだ。大百科があれば他に何にもいらなかった………(泣きながら)ご、ごめん。ぼく、うそついた。本当はおもちゃ欲しかった。でも、うち貧乏で、おもちゃ買ってもらえへんかった。でも本は安いしわりと買ってもらえたから。
わかった。もういい。君の気持ちは分かった。つらかったな。

前振りが長くなったが、この時期の富野アニメ体験。

『無敵超人ザンボット3』、『無敵鋼人ダイターン3』


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「ザンボット3」「ダイターン3」は、多少は見ていたんじゃないか。
でも当然、富野作品と認識もしていなかったし、そもそも、全話どころか30分きっちり見るような年齢でもなかった。つまり年齢的にも完全に富野体験前夜で、はじまりはやはりファーストになる。

はじめのファースト初体験


『機動戦士ガンダム』


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ファーストガンダムは、世代的に再放送で見たはずだ。
本放送も見れたはずだが「ザンボット」「ダイターン」のように部分的に見た程度のはず。

ファーストガンダムを見て、幼い私の世界は変わった。完全に変わった。
しかし、変わったことを記憶として、はっきり覚えているわけではない。
でも変化は一目瞭然。
なぜか?
なぜなら、ある時期を境にして、アルバムの写真から、ライダー変身ポーズと、ウルトラマンの光線ポーズが一切なくなったから。

多分、「ガンダムを知った今、ライダーポーズなんてしてらんねーよ。幼稚なポーズとはオサラバだ」と生意気に思ったんだろう。
これはもう面白いほど劇的に無くなっている。手の平を返したように。ああ、私はここでガンダムを見たんだな、とはっきり分かる。我ながら面白い。
ちなみに、変身ポーズ等は確かに無くなったけど、その代わりに、木の棒を構えて勇ましくうつっている写真が登場してくるんですけどね。
この子、完全にビームサーベルかまえてはるわあ。分かりやすい子供やわあ。
(変化してるだけで、全然、卒業してない)

私がガンダムのチャンバラにどれだけ夢中になったのかは、この記事にまとめてあります。
「ロボットチャンバラ」としてのガンダム<ビームサーベル戦闘論>

とにかく、ここが完全にターニングポイントになった。
こういう証拠もあって、恥ずかしいほどにそれは明らかだ。

ファースト以後


『伝説巨神イデオン』


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リアルタイムでは見てない。見たい見たくない以前に、うちでは放送が入らなかったと思う。
「イデオン」を見るのは、TVで、映画『The IDEON (伝説巨神イデオン)接触篇/発動篇』を放送したときなので、何年かあとだ。それでも小学生だった。
「発動篇」には強烈な衝撃を受けた。「デビルマン」(漫画版)と並んで、幼少期の二大トラウマ作品だと記憶している。
ちなみに「デビルマン」は、なぜか歯医者の待合室に置いてあるものを読んだ。テレビアニメのデビルマンはすでに知ってたはずなので、そのイメージで何も知らずに読んでしまった。
例のあたり(首祭り)を読むときには、なぜか待合室に私1人しかおらず、あまりに怖くなりすぎて、「ひ、人がいる所にいかねば!」と、まだ名前も呼ばれてないのに、診察室に入っていった。歯医者が大嫌いだった私がすすんで診察室に入ったことは、後にも先にもこの時だけ。

『戦闘メカ ザブングル』


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この頃から、多分、富野監督と認識して、自ら好んで見ていたはず。
よく遊んでくれた親戚のお兄ちゃんが、ガンダムとか好きで、アニメ雑誌も買っていた。それで「ザブングル」なども「ガンダム」を作った人の作品だという情報を仕入れたはず。

ちなみにこのお兄ちゃんはプラモもたくさん買っており、遊ぶ際にはこのプラモを使って、よく2人でプラモ狂四郎(プラモシミュレーション)ごっこをした。
兄ちゃんは、こんなだから当然、コミックボンボン派で、多分その影響から私もコミックボンボンを購読していた。当時は、コロコロコミックの方が人気があり主流派だった。だが、せっかくだから俺はこのボンボンを選ぶぜ。
もちろん、ガンダムがあるというだけが理由だ。それだけで十分な理由だった。

ちなみに「ザブングル」についても記事書いてますので、良かったらどうぞ。
惑星ゾラで生きるための、たったひとつのルール。<"異世界もの"としての戦闘メカ ザブングル>

『聖戦士ダンバイン』


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「ダンバイン」については、このブログではいろいろ書いたので、あまり書くことがない。全滅初体験作品。そのあたりについては以下の記事で。
なぜショウ・ザマはバイストン・ウェルで眠ってしまったのか <『聖戦士ダンバイン』に見る物語の始め方>

あ!そういえば、ザブンブルとダンバインは本編が始まる前にもアイキャッチが入るのですが、あれは誰のアイデアなんでしょう?数秒のアイキャッチで一気に作品世界へ連れて行ってくれる良い趣向で、すごく好きでした。のちの富野作品はもちろん、他のアニメもなぜあれをやらないのかなと思っていたのですが。結果的には、この二作品が例外でしたね。

『重戦機エルガイム』


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ガウ・ハ・レッシィが好きだった。多分、二次元に対する初恋はレッシィじゃないかな。
ただねえ、同じぐらいバスターランチャーが好きだった。どっちが好き?と聞かれたら、気分次第で「ばすたーらんちゃー!」と答えるほどに、女の子と武器が等価だった。
でっかい棒状のものは全てバスターランチャーとして、ごっこ遊びに使った。問題は、私の体にランチャーのコードを刺すプラグが無かったことぐらいだ。

はじめての、ぼくらの「ガンダム」


『機動戦士Ζガンダム』


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Zガンダムがはじまる、というのを知ったときの衝撃と喜びは未だに覚えている。
新作のニュースにあれほどこころ踊ったのは、Z以外には、のちの「エヴァンゲリオン」があるだけ。自分にとってはそれほどのビッグニュースだった。

「Zガンダム」がはじまることが、なぜそんなにうれしかったのか?
それは、はじめての、ぼくらの「ガンダム」だったからだ。

「ファーストガンダム」は(再放送ではあるが)ほぼリアルタイムの「ガンダム」ブームで見たとはいえ、あれはやっぱり自分よりひとつ上の世代のものだった。
「トライダーG7」や「ダイオージャ」は、ぼくらのものかも知れないが、「ガンダム」はぼくらのものじゃない。その違いは幼くても感じていた。
だが「Zガンダム」はちがう。ぼくが、はじめて自覚的に、リアルタイムで追っていく「ガンダム」だ。
ガトーは3年程度待ったかも知れないが、私は6年ほど待ったのだ。そして、ついに自分たちのものといえる「ガンダム」がやってきた!

そしてはじまったZガンダム第一話「黒いガンダム」を見た時のうれしさと驚き。
ファーストガンダムと全く同じシチュエーションで全てがその逆だ!視点はシャア側だし、ガンダムは黒いし、ガンダムに乗り込んだ少年はコロニーに潜入した敵を倒すどころか、ついていってしまうし。(アムロがザクを倒さずに、そのままガンダムを手土産にシャアのムサイの所に行ってしまったようなもの)
第一話は、ファースト第一話が体に染みついていた子供の私には強烈に面白かった。
逆パターンということは、このままシャアが腐りきった連邦をぶっつぶして、宇宙世紀をガラッと変えてくれる。そんな「シャアの逆襲」話になるかも?と思っていた。

その後はまあ、ご存じの展開で、自分たちのガンダムになると意気込んでいた私にとっては、肩透かしをくらったような形だった。
なんだかんだいって最後まで見たけれど、ぼくらの「ガンダム」という感じにはどうしてもならなかった。

ベースになる目線がおっさん寄りというか、ファーストより上になっていて、それも私のような子供を困惑させた。
だって、みんなにうざがられているカツよりも、見ている私はさらに年下だったもの。
カツは確かに青臭いのだが、カツが批判する大人たちやアムロやクワトロが煮え切らないのは確か。
でも子供は子供だって言われるし、かといって大人達もぐだぐだしていた。あれ?シャアの逆襲は?大人になったカッコいいアムロは?彼らにあこがれた子供たち(カツや私)は?
つまりは「そんなもんだろう(シャ乱Q)」ということを見せられたわけだけど、それを「まあ、そうだよね」と、相槌うつには私は子供すぎた。
だから結局、「Zガンダム」は残念ながら、ぼくらの「ガンダム」にはならなかった。

多分、この辺りは「大人になってからZを見た」とか「カツの年齢を越えてからZを見た」などで変わってくるんじゃないかな。
正直、私にはカツを「うざい」「子供のくせに」「何にも分かってない」「才能ないのに余計なことするな」みたいに、単純にバカにしては見れない。
だって、私はガンダム見て、アムロにあこがれて、木の棒をビームサーベルに見立てて写真に写ってた子供だよ?
連邦は腐りきってるからつぶすべき。シャアがそれをやってくれるからついていこう、と喜んでた子供だよ?
カツと何が違うの?



ダメだ。この調子で書いてたら、長くなりすぎて、全作品を記事一つにまとめるのはとても不可能だ。
(というか、今読み返してみたら、富野作品と直接関係ない話ばっかりだ)
不本意ながら、記事を前後篇に分けさせていただこう。前編は「Zガンダム」まで……いや、もう一つやってしまおう。

『機動戦士ガンダムΖΖ』


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シリーズ後半から、習い事に通いだし、見なく(見れなく)なりました。
ガンダムが見れなくなるような習い事に行く、というただ1点でZZとの関わり方が分かるというものです。今までだったら絶対にそんなことはしなかった。
ZZは打って変わって、子供達が好き放題して、大人たちをギャフンと言わすのですが、Zガンダムを見てきた私にはその露骨な路線変更が、子供(自分)に媚を売られているようで、イヤだった。
要するに、ZもZZもどっちも極端だったのだ。子供の私には。
結局、ZZの後半を見るのは、後年、再放送でということになる。

ということで、今回はここまで。
次回は【後篇】として、「逆襲のシャア」とそれ以降をお送りする予定です。

【発動編】できました!
アムロとシャアの子供たち。<「私の履歴書」富野アニメ体験プロフィール【後編】>
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ダンバイン記事を書いているときに思いついた「富野由悠季」体験ゲームのアイデア。
単なるアイデアというかコンセプトのメモなので、アイデアを広げて可能性を探る方向の話だけにします。

最大のポイントは、「ガンダム」ゲームではなく「富野由悠季」ゲームだということです。

その1 「富野由悠季」ゲームの基本メモ


  • 「富野由悠季作品を体験できるゲーム」ができないか。
    現在までにガンダムゲームは数限りなく発売されている。しかし、それはガンダムゲームであって、富野ゲームではない。「ガンダム」ゲームとは別に、富野作品の世界を擬似体験できるようなゲームができないか。

  • 2つの勢力でおこなわれる戦争が舞台。この戦争の終着点は「双方全滅」と決められている。
    それを何度も何度も工夫しながらやり直して、全滅の輪廻から逃れるのがゲーム目的

  • これを、ルート分岐型のコマンド選択アドベンチャーではなく、AIキャラ(富野AI搭載)を使ったアドベンチャー、シミュレーションゲームにする。(「ガンパレードマーチ」、PS2「魔法先生ネギま!」のイメージ)

  • 主人公(=プレイヤー)は、どちらかの陣営に所属して、兵士として戦争に参加する。
    戦闘もあるが、目的は戦争に勝利することではなく、「全滅を回避すること」なので、局地戦ごとの勝利に自衛と自己満足以外の意味はない。

  • 自分以外は、AIキャラが勝手に行動するので、AIキャラ同士で、好き合う真似ごとや、傷を舐めあう道化芝居が始まったりする。他にも困るのはAIキャラが勝手に命令違反でロボットで出撃したり、そのまま敵に捕まって洗脳されて帰ってきたりする。いずれも(富野銀河では)よくあること。
    さらに和平会談がAIキャラのせいでダメになったり、勝手に暗殺をしたりされたりするかも知れない。
    要するに主人公が「戦争ダメ!」と思っても、各キャラが個別のエゴで勝手に動くので、ちっとも戦争が終わらない。

  • では主人公は全滅回避のために何をするのか。
    両軍のどちらかが不利になりすぎないように戦力バランスをとる?
    そんなことはしない。する必要がない。

  • 戦力バランスはプレイヤーでなく、ゲーム側が調整する。
    常に戦況が不利な側にテコ入れが行われる。資金、より優秀なパイロット、新型ロボット、大量殺りく兵器など。しかもエスカレートする方向でテコ入れが行われるので、戦争はヒートアップし、両軍均衡が取れたまま、最終的に双方全滅する。

  • プレイヤーがこのゲームで恐怖すべきは、エスカレートしながらも戦争が終わらないこと。終わらせようとプレイヤーが戦闘で活躍しようが、わざと負けようとしようが、それは局地戦に過ぎず、戦争は終わらない。

  • では主人公はどうやって戦争を止めるのか。
    こういうゲームはAIいじり遊びなので、AIキャラに何か影響を与え、キャラクターに変化を起こすのが普通。コミュニケーションをとって、良い関係を結び、良い方向へ導く、という感じに。

  • 要するに、あの時、もっとララァに優しくしていれば、ハマーンに優しくしていれば、レコアに優しくしていれば、クェスに優しくしていれば、歴史が変わったかも知れないぞ、というのを実際に試せるゲーム…わー。全部シャアさん。(正直シャアさんは女性関係を何とかするだけでも歴史が変わったと思う)

その2 「富野由悠季」ゲームの応用メモ


  • 主人公(=プレイヤー)は、ロラン(ターンA)、アシタカ(もののけ姫)のような境界線上のポジションに置く。できれば両陣営に出入りして、双方の仲介役をさせたい。
    ロランのように女装したら、敵軍にも普通に出入りできることにしようか?(敵軍には別人の女性として認知されている)いっそ水をかぶると女になっちゃうフザケた体質にでもしようか。敵軍でお湯をかぶると一大事。

  • キャラクターを完全に分けるのも手。双子が両陣営に分かれていて、ボタンひとつで担当キャラをスイッチできる。双子なので共感能力があることにして、それぞれがお互いの陣営でエスカレートする戦争を止めようとする……というのはディアナ様とキエル・ハイムだな。これは。

  • リピートプレイを前提としたゲームなので、基本的には全滅する。
    何度かやり直したりして、試行錯誤しながら、全滅回避の道を探っていく。
    実際のところ、ゲーム目的である「全滅回避」を実現させるには、何かゲームシステムの軸になるようなものが必要だろう(けど思いついてない)。

  • 人気や視聴率やスポンサーのご機嫌などを総合したポイントのようなものがあって、これが低いと、無理なテコ入れや、残り話数の削減などが行われる。いや、やめ。これはちょっとメタすぎるからやめよう。

  • 圧倒的に理不尽な死、という意味では、用意されたシナリオの中でどれだけ死なれても、ゲーム体験としては富野ゲームじゃないと思うし、やはり未熟でもAIゲームに希望を見出したいなあ。

  • プレイヤーは、ゲーム世界の住人から見れば異世界からの来訪者、いや富野風にいえば聖戦士。プレイヤー(=主人公)は、「あっちの世界(現実)」と「こっちの世界(仮想)」の挟間に立つ境界線上の存在。

  • そういう立場であるプレイヤーにとって、AI同士の戦争は圧倒的に、他人事(ひとごと)。
    他人事だからこそ、その世界の全滅回避のために行動できる。
    ゲーム世界の人々(AI)は相手を憎み戦争に勝つことしか考えていない。プレイヤーだけ、その因縁から解放されている(他人事だから)。

  • まあ「全滅回避」はあくまで建て前(最終目標)で、実際のところ、AIキャラと富野ごっこをして、思いもかけない言動に笑ったり、戦闘に明け暮れながらイデオンばりの全滅をしたり、それっぽいことを楽しむというゲームなんだろうと思います。

メモは以上なんだけど、長い。メモじゃないな(笑)。
イメージだけしか無いのですが、どんな雰囲気のゲームかだけでも伝わればいいのですが。

ゲームのアイデアメモとしては、もう全て出し切ってますので、ゲームに興味を持った方以外はここで読むのをストップしても全然問題ありません。
私はもうちょっと、この「富野全滅回避ゲーム」について考えてみることにします。

「富野全滅回避ゲーム」をもう少し詳しく


ジャンル:
AIシミュレーションアドベンチャー

舞台設定:
2つの陣営の戦争が舞台。(オリジナル設定にして、特定の作品にしない方が良いと思う。)

目的:
プレイヤーはこの戦争が両陣営の全滅に終わらないように奔走する。戦争の終結が全滅で無ければ目的達成。全滅したら転生してもう1回チャレンジ。

プレイ時間:
リプレイ(やり直し)をたくさんすることが前提のゲームなので、1回のプレイ時間は出来る限り短くしたい。初回10時間ぐらい?慣れてくると、数時間で終わるような感じかな?

ゲームの進行:
Aパート(ドラマパート)+Bパート(戦闘パート)を、1つのブロックとする。これはTVアニメ一話分をイメージ。
ドラマパートで何かストーリー的な課題が与えられ、AIキャラとコミュニケーションをとったりして進める。後半で、戦闘パート突入し、戦闘終了で一話分が終わる。これをいくつか続けていく。


以上。

「富野全滅回避ゲーム」は、AIキャラをつかって富野作品をシミュレートしたゲームです。
プレイヤーキャラ以外は、AIキャラとして自律して動きます。
ホワイトベースに例えると、主人公はアムロとしてプレイしますが、他のキャラは勝手にホワイトベース内を動き回ります。カイが女スパイを連れ込んだり、ハヤトとフラウが知らない内に親密になったりする、という感じです。プレイヤーも負けじと艦内を仕事で動き回っているマチルダさんを追っかけまわしたりもするでしょう。

■なぜ特定の作品世界にしないか


ゲーム世界は既存の富野作品ではなく、何かオリジナルの世界を用意した方が良いと考えます。
このゲームのアイデアを聞いた友人は「イデオン」を連想したと言いましたが、かといってイデオンをゲーム化すると、それはあくまでイデオンでしかない上、全滅を回避できたイデオンはイデオンなのか?という問題が生じます。
私が妄想するのは、あくまで「富野ゲーム」なので、特定の作品に縛られることはむしろ足かせになりかねません。自由度を上げ、「富野全部入り」にするためにもオリジナルにしましょう。
版権と関係なくなることで、バンダイナムコゲームズが発売する必要もなくなりますし、その意味でも自由度が広がりますね。

■ストーリー


こういうゲームで、全体のストーリーをどう表現するか、というのは難しい問題です。
AIキャラ達が作り出す偶然のドラマ性こそが魅力ではあるのですが、何か物語の方向性を与えてやる必要があるでしょう。
この時に一番相性がいいのが「学園もの」。
AI遊びのゲームはリアルタイム進行なので、学校の予定と合わせて行動していくと、リズムがつくりやすい。学校行って、授業して、お昼食べて、放課後みんなと遊んで、1日が終わると、このタイプのゲームでの楽しみが一通り体験できる。
学校には基本的に「学生」という同じタイプの人間しかいないのも都合がいい。
唯一足らない非日常は、バトルパートを設けることで補完できます。

■「連続TVアニメ」フォーマット


「富野ゲーム」の場合、学園ものフォーマットを使うのもひとつの手ですが、ここはひとつ、30分のアニメ一話分のリズムそのものをゲームフォーマットにするのを提案したいと思います。
それが、Aパート(ドラマパート)+Bパート(戦闘パート)形式です。
Aパートで、ゲーム側から簡単な動機付けとなるシナリオを提示して、そこでシナリオに沿ったリアクション行動として、AIキャラと戯れます。その状況の続きで戦闘パートに突入して、戦闘完了でおしまい。これを1ブロックにします。

例を出した方がわかりやすいですね。
富野アニメでおなじみ「リーダーが突然の熱病で倒れ、てんやわんや」の回を例にしましょう。

【Aパート(ドラマパート)】
まず、リーダー(艦長など)が熱病で倒れます。そこからAパート(ドラマパート)スタート。
AIキャラは与えられたお題(シナリオ)に対して、リアクションをとります。
この回の場合は、代理リーダーを誰にするかでモメたり、みんなが不安がったり、ここぞとばかりに武闘派が先走ろうとしたり、リーダーに敵対するキャラが暗躍したり。
主人公は、限られた時間の中で、みんなを励ましたり、代理リーダーと作戦を相談したり、ケンカを処理したり、エッフェル塔の下で岬君とすれ違ったりします。その関わり方で人間関係や関わった人(AIキャラ)が変化していく、という感じでしょうか。


そこへ敵機接近を告げるいつものアラームが鳴って、Bパートへ突入します。

【Bパート(戦闘パート)】
戦術シミュレーションゲームのような感じで、戦争をやりましょう。
詳しいルールはここでは重要では無いので省略。大事なのは、主人公以外は戦場でもAIキャラとして動くということ。もうひとつは、その回のシナリオに沿って、戦闘が行われるということ。
今回の場合は、リーダーがお休み、ということ。作戦だの指揮系統だのいろんなものがあやふやでてんやわんや。でも何とか敵を撃退して戻ったら、リーダーの病状も良くなってた。
リーダーの大変さと、彼がいないことで違う人物が目立ったり、ダメになったり、違う側面を見れた。
で、おしまい。


■ゲームのテンポ・プレイ時間


できれば、実際のアニメと同じく、ドラマパートを10分~15分、戦闘パートを10分ぐらいの計30分以内で終わるようなテンポだといいんじゃないでしょうか。
リプレイが前提となるので、テンポは出来るだけ早く。そしてプレイ二周目からは、エピソードのすっとばしができると一番いい。途中の五話分をスキップするとか、いきなり三話からはじめるとかできるといい。その間は「話があった」ことにして、自動的に進行する、というのができれば最高。

AIには、シナリオのシチュエーションを与えるが、それは各話だけのこと。
ゲーム内のパラメータは継続していくが、シナリオ的には何も受け継がない。
次の回になれば、また次の回のシチュエーションが与えられる。そこに前回のシナリオの影響はない。(リーダーも前回は熱病だったが、次回ではぴんぴんしている)
つまり、キャラは連続していくが、おはなしは一話完結的に、その回その回でリセットされる。

AIキャラを使いつつ、富野TVシリーズ(一年分)のような、毎話毎話の趣向を凝らすストーリーを再現してみるには、この方法が適しているかな、と考えています。
もちろん専門的なことは何もわからない単なる妄想なので、ただの方向性だけの話ですけどね。
(結局ゲームネタと言いながら、「ゲームを考えながら、富野由悠季について考える」なんだよね)

ゲームで富野作品が再現できるのか


このゲームは、以前の記事(ダンバイン再構成)で、どうやったら全滅コースを回避できるのか、あれこれ悩んでいるときに思いつきました。要するに私は「富野全滅回避ゲーム」を脳内でやっていたわけですね。

それで、ここまで考えてみましたけど、これを実際につくってみたら、富野由悠季体験ゲームとして成立するか、といえば、はっきりいって厳しいでしょう。
そもそも、富野のキャラクターや物語の作家性をAIで十分に表現できるとは思っていないし、一応、30分枠の制限をつけてAIキャラを押し込めるような工夫もしてみましたが、そんな上手にAIキャラが立ち回ってくれるわけでもないでしょう。
だから、面白がれるとするなら、それは富野作品を好きかどうかだけ。そこに依存してしまうと思う。

では、例えば富野由悠季にゲーム用書き下ろしストーリーでも書いてもらい、それを元にノベルゲームなり、アドベンチャーゲームなりを作ればいいのか。そちらの方がより「富野」ゲームなのか。

私はそうは思わない。
どのみち、ゲームに取り入れることができるのはエッセンスだけだ。
それならば、「富野全滅回避ゲーム」の方が、体験してみる価値が、ゲームにしてみる価値があると私は考える。

たとえば「富野全滅回避ゲーム」では、ドラマパートの時間を限定しているから、戦闘までにやりたいことが全てできるわけでもないだろう。仲間たちの全てをケアできるわけでもないだろう。
だからこそ、しばらくケアをしそこねた女性キャラが敵方に寝返った場面に遭遇すれば、レコアやクェスをケアできなかった人たちを連想し、せっかく恋人関係になった女性キャラが次の戦闘であっけなく逝ってしまったことに、理不尽に死んだ多くのキャラを重ね、戦場で執拗に追ってくる敵方のエースを苦々しく思い、それに対して憎しみだけで敵を殺してしまっていることに愕然とし、全滅して転生(リプレイ)するときには、次こそ幸せになろうと願う。

アムロ・レイは「Zガンダム」において、カミーユがフォウを失う場面に居合わせたとき、「人は、あやまちをくりかえす」とつぶやいた。確かにその通りだが、だからといって彼は絶望はしていなかった。しかし、その場にはシャア・アズナブルもいた。
このゲームは多分、人間が(AIキャラだから)愚かで、エゴの塊で、常に憎しみ合って、きちんとシナリオにコントロールされていないから理不尽に愛し、別れ、死んだりして、しまいには全滅する。そして、それを飽きることなく、くりかえすだろう。
あなた(プレイヤー)は、それに絶望して自ら人類に引導を渡すこともできるし、希望は捨てないで何度もトライすることもできる。
これが富野ゲームで無いのなら、いったいなんのゲームなのか。

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