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夏期休暇に田舎に帰省して、地元の友人2人と映画『サマーウォーズ』を見てきました。
なんとなく、そのシチュエーションの方が映画がよりステキになる気がしたから。

友人A「…『サマーウォーズ』やってるシネコンがある、でかいショッピングモールまで、車ですっごいかかるけどな!」

君たちもTVCMなんか見て、面白そうって言ってたじゃないか。

友人B「でも、誘われなかったら、見には行かなかったな。遠くて大変だし」

まあ、車出してもらった君らは確かにお疲れサマーウォーズなんだけど、きっと君たちに損はさせない。
この映画は、そういう映画のはずなんだ。

サマーウォーズ

映画『サマーウォーズ』上映終了。

―どうだった?

友人A「おもしろかった!『ぼくらのウォーゲーム!』は昔見たけど、いい感じに忘れてて全然楽しめたよ」
友人B「俺はアニメとか全然見てないけど、おもしろかったよ。で、OZってなに?」

―終わってから言うか。ああ、あなたはPC持ってなくて、ネットも全然やってないもんな。

友人B「でも携帯ではやってるし、映画の最初にOZのプロモーションビデオがあるし、なんとなくは分かったけどね。」
友人A「思い切って来てよかった。楽しかった」

―友人たちは、とても楽しんでくれたようだ。良かった良かった。さあ、ご飯食べて帰ろうか。

友人B「で、自分はどうなの?」



期待していたのは「みんなにとって80点の映画」


『サマーウォーズ』については、前回のエントリで書いたように、幅広く多くの人に楽しんでもらえる映画になればステキだな、と期待をしていました。

この映画は、「誰かにとって100点の映画」であることより、「みんなにとって80点の映画」であることを選択すべきだろうと。

例えば、まだ感想記事がまとめきれてないけれど、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は、私にとって100点といってもいい。でも、それはこれまでのエヴァ体験を含めた人生が大きく影響するので、みんながみんな100点をつける映画だとはとても思えない。人によって極端に差が出るタイプの映画だと思う。

その意味では『サマーウォーズ』は、そういう私の期待に応えてくれた。
ホームランバッターではなく、アベレージヒッターに徹していて、平均点が高い映画になっていると思う。
劇場には、お盆ということもあってか、家族連れの姿も多かったし、アニメをパチンコの液晶でしか見ていないような地元の友人も楽しい映画として、面白がってくれた。

公開前に、あんな記事を書くほどに期待と心配をしてたわけだから、私もとてもうれしい。

なのに、なぜ、こんなにも、もやもやサマー(ウォー)ズなんだろう。
純粋に私自身の体験としてはどうなんだ、と言われたら、それが、その、正直に告白して、びっくりするほど、テンションが上がらなくて困った、という他ない。

楽しんでいないかと言われれば、楽しんだ。面白かった。
うまいなあ、らしいなあ、と感心しながらも見た。

にも関わらず、目の前(スクリーン)に美人がいるのにちっともエレクチオンしないので、これは私がウォーゲームをDVDでたくさん見てるからだなとか、いろいろ理由をつけながら見たが、結局、最後まで自尊心とラブライフを取り戻すことは出来なかった。

そのことには困惑している。理由は自分でも未だによく分からない。
僕の体が昔より、大人になったからなのか。

本当は「ネットと現実」、「家族」、「田舎」などについて、何か話をするのが『サマーウォーズ』感想のお作法だと思うけれど、こういった経緯もあり、あまりそれらの要素と、それを語ることに興味が持てなかったので、鑑賞しながら、考えていたことをメモ形式で書くことにします。(※思い出したり、思いついたことは随時追加する予定です)
メモなので、思考があっちこっちに行ってますから、メモ同士のつじつまがあっていなかったりもしますし、絵コンテ集や設定資料なども見てないので、あくまで映画を見た上でのメモと、とらえてください。

<ネタバレ注意>
上映中なので全てを語るようなネタバレはしませんが、それでもネタバレ満載なので、ご注意を。
ただし、最大のネタバレはやはり『ぼくらのウォーゲーム!』なので、未見の人はそのまま見ずに『サマーウォーズ』に行った方が良いでしょう。



映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ


全体で見ると、「世界規模の混乱を家族だけで解決するには、どういう家族構成にすればいいか」、という視点で見ると、とても興味深い映画だった。
実際のところ、主人公の友人1名を除けば、田舎の陣内家のみで話が進み、問題が解決する。
陣内家は、この映画のためにつくられた、問題解決のための家族集団なので、そこにリアリティがどうこう言うのは、割合ナンセンスかな、と思います。

■「陣内家の人々」
  • 「映画の舞台となる陣内家は、由緒正しい名家だが、財産の類は一切ない」というのを冒頭でわざわざ強調するのも、家族のネガティブ要素のひとつ「親族間での財産争い」をなくすためでしょうね。映画に不必要な要素は全てつぶしておく。

  • 内科医、自衛官、消防士、救急救命士、警官、水道局員など、問題解決に役立つ職業を出す必要があるが、これを家族だけでまかなうには、陣内家の男たちがそういう特殊な職業ばかりについていなければならないことになる。
    しかし、その理由として、「『人の役に立て』というのが栄ばあちゃんの教えであり、それを忠実に守っているから」で処理しているのは、なかなかすばらしい。

  • 親族が映画に必要な職業にしかついていないのは必然なので、あとはどう言い訳するかだけ。
    それを、栄おばあちゃんの信念ということにし、ばあちゃんを敬愛し実行している子供たち、ということにしてしまうのはストーリーの補強的にも悪くない。(いわゆる私の好きな「1アイデアで複数の効果」というやつ)

  • ただ女性陣は主婦ばかり。ちょっとバランスが悪いかも知れない。
    もし専門的な職業についた男性陣と主婦である女性陣ということで分ける意図なら、女性陣は「男どもはバカだよねえ」と言いつつ、家の実務的なことを切り盛りしている方が良かった気がするなあ。葬式や食事の準備、子供の世話とか。
    栄ばあちゃんのもうひとつの教えである「よくないのは、ひとりでいること、おなかが空いていること」については、女性陣が解決する、と分かりやすく単純化しても良かったかも知れない。
    アカウント貸しはしないといけないけど。

  • 公式サイトの陣内家家計図を見たときに気づくのは、長男(栄ばあちゃんの長男)がいないこと。
    長男の存在が消されているのは、家長としての栄ばあちゃんの強化と、「栄の退場」後に家長権の委譲が長男へスムーズに行われてしまうからでしょうね。主導権を取る人間が存在してしまうと、混乱が発生しないから。

  • ヒロインである夏希先輩の両親は、OZの混乱の影響もあり、エンディングにしか登場しない。両親がいると夏希先輩は、当然のように親を頼るので、両親は解決後にしか娘の元へ来させない。


  • ■「家族の食卓」
  • インタビューなどで監督自身が語っていたように、「家族の食卓」は作画的にもテーマ的にも重要な役割を果たしていた。とにかく、みんなでご飯を食べる。

  • 侘助登場。彼は食卓の輪には加わらず、食事も口にしない。

  • そのあと、栄ばあちゃんが侘助をナギナタで追い回す際に、食卓は一度崩壊する。

  • 次の日の朝(「栄の退場後」)、これまでひとつの食卓を囲んでいたが、はじめて別々のテーブルで、一人ひとりに配膳された食事をとり、食卓がバラバラに。

  • しかし、侘助が帰還し、親族が再びひとつになると、大テーブルをみんなで囲み、大皿の料理を取り分ける食事をとる。ここは良かった。侘助が食卓につく際に当たり前のように誰も何も言わないのがよかった。

  • そしてその後、同じ食卓で食事をした全員で、ラブマシーン撃破に成功する。

  • 食卓の役割が非常に分かりやすい。

  • と、思ったら、「世界危機のタイムリミットが刻まれているときに、なぜ呑気に全員でご飯食べてるんだ」と怒っている人もいるらしい。現実で取るべき正しい行動と、フィクションでの正しい行動は別物なんだけどな。


  • ■「主人公ケンジくん」
  • OZ混乱の犯人扱いされたあと、警官の翔太兄(にい)に身柄を拘束され、車で連行されるが、そのときに「え?この家を出るの?」って驚いた。
    連行途中で陣内家に引き返すのだけど、『ぼくらのウォーゲーム!』がマンションの部屋から一歩も出ずに解決したように、陣内家から一歩も出ずに解決させるのかな、と勝手に思っていた。
    あれは、ケンジに実際発生している混乱を、肉眼で確認させるためなんだろうか?

  • ちなみに陣内家に来た夜には、大家族なんて苦手だ、と言っていたのに、翌日の身柄拘束時には、楽しかった、来れて良かったと告白する。正直、ここはよく分からない。

  • 個人的には、親類一堂が集まって大家族状態になることが当たり前の夏希先輩にとっては、普通で面白くもない毎度のことで、そういう当たり前が、ビジターのケンジにとっては楽しい、ということにした方が良かった気がするなあ。
    ケンジ「こうやって、全国から親族が集まってみんなで食事するって面白いですね」
    夏希「そう?私には当たり前すぎて、面白くとも何ともないんだけど」

  • その後、「栄の退場」があったり、侘助と親族のいさかいがあったりして、夏希先輩が親族特有のうっとうしさがイヤになり、「家族」に絶望するパートに進んでおく。
    そこでケンジがバラバラになってた家族をひとつの目的でまとめあげて、夏希が再度、家族っていいな、と再発見する。
    ケンジが陣内家に入っていって、親族の大切さ、すばらしさを再認識させてくれたから、夏希はケンジに魅かれる。というような展開の方が分かりやすかったんじゃないのかな、という気がする。


  • ■「ヒロイン夏希先輩」
  • 先に書いたように、個人的には「家族」の良さを認識するのは、ケンジでなく、この人であるべきな気がする。そういう意味で夏希を主人公のように扱う方向もあったかも知れない。

  • 「侘助に負けているのに、花札決戦の代表になることに説得力がない」との声も耳にするが、侘助との勝負では、夏希の方が手札も良く、引きも良く、基本的に夏希はついてた。ただ、勝負の駆け引きという意味では侘助の方が上だったというのを見せたかったんじゃないかな。
    ラブマシーンは花札の知識が無い上に、AIのせいか駆け引きも侘助ほどでは無いので、十分勝てる見込みのある勝負だった、という意図だったのかな、と思った。

  • ただ後述するが、私個人としては、こういう映画ならくどいほどにフリがあって、それを回収していくのが好きなので、夏希=ラッキーガールのシーンが細かく挿入されている方が好き(もちろん、ケンジ君は対比としてアンラッキーということになって気の毒な目に会うだろうけどね)。幸運であることは絶対にセリフでは出ないが、こうした細かいコメディシーンで分かる、ということにする。

  • 最後に軌道がずれた人工衛星が落ち、温泉が湧き出るのも夏希のおかげにすればいいよ。もちろん、何かするわけではなく、衛星をキッとにらんで、「ここには!おばあちゃんのいるこの家には落ちないで!」と叫ぶだけでいい。それで十分。


  • ■「侘助」
  • 「栄の退場」のあと、このまま伊丹十三『お葬式』になってしまうんじゃないか、と思ったが、映画見た後で調べてみたら、『お葬式』の主人公の名前が「侘助 (山崎努)」なのか。なるほどね。


  • ■「キング・カズマ」
  • 仮想世界OZでのアクション担当。

  • カズマの問題は、いじめと、はじめて年の離れた兄弟が出来たことに起因するが、解決にはケンジはほぼ関係ない。

  • 主人公が全ての問題を解決する必要は無いが、あれほど大家族の食卓から離れていたカズマが、中盤からはいつの間にか家族の輪に入っていたので、食卓の輪に戻るきっかけだけ、ケンジが作った方が良かったかな、と思うんだけど、どうだろうか。

  • 年少組の子供たちがマスコットなだけなので、カズマの兄弟っていいな、お兄ちゃんになるっていいな、と思うきっかけ作りに貢献してもいいかも知れないな。


  • ■「ラブマシーン」
  • 敵であって、敵でない。善悪の概念の無く、全ての人々に迷惑をかける災害のようなもの。
    災害に対して、誰が悪い、なぜこうなったと言っているヒマなどなく、行動して、ことを収めることが何より先決。そして陣内家には、災害対処のエキスパートが揃っている。
    この映画は、災害を収束させたところで終わり、内面や、善悪の判断は、意図的に映画の外に置いている。

  • ラブマシーンが、アカウントを奪い、成長して、権限を増やし、神々しくなっていく様を見て、星新一のショートショートを連想した。
    「神」とは何か、を知るため、研究者が「神」に関するありとあらゆるデータをコンピューターにインプットしていく。コンピューターは次第に光を帯び、そして最後は人間からは見えなくなった。
    (と、いう感じの話だったと思う。あれは、どこに収録された、なんと言う話だったろう?)

  • ラブマシーンは知識欲、知的好奇心を与えられたハッキングAIだそうだ。知識を蓄え、知的好奇心を満足させられるなら何でもする。しかし、ラブマシーンから与えられた意味不明の暗号を、知的好奇心だけで解いてしまったケンジと、何がちがうのだろうか(ケンジは結果的に無罪だったが)。
    もちろん違うのだけれど、その辺りは割りと省略してあるのかな。

  • ケンジがなぜ、数学オリンピック代表になれなかったのか、というあたりと、ひたすら貪欲に知識を蓄えて強大化するラブマシーン、とかの対比でもうひとつぐらいテーマ足せそうだけど、まあ優先度低いよね。


  • ■「その他いろいろ」
  • ケンジの友人佐久間くんは、すばらしく便利だな。デジモンだと光士郎だね。

  • 『ぼくらのウォーゲーム!』は、「デジタルモンスター」という、ポケモンタイプの作品が原作だったため、主人公はデジモンを前線で戦わせ、後方で指示を出す、という形だった。この形式は「友達」を戦わせる一方で、主人公は手を汚さない。
    そのため『ぼくらのウォーゲーム!』では、後半で主人公がモニタの中のネット世界へ入りこみ、デジモンと一体化して、直接戦いに参加する。

  • 「主人公が主体として戦闘に参加する」というのは絶対に必要なシークエンスだと思うが、『ぼくらのウォーゲーム!』の中でもっとも、概念を大事にして、現実を飛び越えた場面だった。ポケモンタイプの作品で主人公が戦いの主体となるためには仕方ないのだが、他の場面とのリアリティレベルと比べて、どうしても私は違和感が残った。

  • 『サマーウォーズ』では、本人がアバター(ネット世界での分身)と同一なので、デジモンが抱えていた問題は最初からクリアーされている。時代の変化と、オリジナル作品であることで自然かつスムーズに解決されたね。

  • 「栄の退場」後、ショックを受ける家族全員を大広間側から、カメラを横移動させながらとらえるシーン。メガネのおばさん(声は『時かけ』のヒロイン)が、赤ちゃんにお乳をあげている。非常に分かりやすい。

  • 栄ばあちゃんは、物語の途中であんなことになってしまうが、あれ無しで何とか構成できないかな、というのを色々考えた。
    もちろん「かわいそうだから」とかではもちろん無く、あれが絶対必要な要素なのかどうか、ちょっと考えてみたかったのだが、映画という限られた時間だと、あれを入れて構成を組むのがもっとも分かりやすくて、流れもスムーズになるはず。
    ただ、もっとも効果的であるのを認めた上で、それに抗いたい気持ちに少しなった。


  • 細田守に何を求めるのか―私の場合


    私は細田さんに、情緒的な所は全然求めていないんですよね。
    求めているのは、構成が巧みで、視点が俯瞰的で、対比を重視して、展開を同時進行して、それをキレイに最後に全部回収して、というテクニカルなところなんですよね。テクニカルな「まんが映画」なところが好き。
    だから例えば、細田さんの作品で「泣く」ことはこれまで無かったですし、求めてもない。

    そういう意味では、『サマーウォーズ』はもっと悪ノリして「やりすぎ」て欲しかったという気がする。
    リアリティなんて、豚に食わせてもいいから、うまくいきすぎ、やりすぎな細田アニメが私の好みです。

    ■やりすぎサマーウォーズ

  • 後半の見せ場、花札決戦。夏希アバターの魔女っ子変身シーンで、てっきり栄ばあちゃんにもらった朝顔柄の浴衣にちなんで、朝顔柄に変わるかと思ったのに全然そんなこと無かった。ジョンも気がきかねーな!

  • 最後に温泉が湧きますが、温泉が湧くこと自体は全然いい。リアリティとかなんて関係なく、むしろ湧くべきだとすら思うが、温泉の「フリ」が無いような気がする。「フリ」した上で温泉湧こうよ。
    先に書いたように、湧いたのは、ラッキーガール夏希のおかげということでいい。

    そしてスタッフロールを後日譚のフォトアルバムみたいにして、一族みんなで温泉入ろうよ。
    いやがるカズマも湯船に入れて、カズマが女の子だという誤解にとどめをさそうよ。

  • 紅白まんじゅう等の、まんじゅうネタは回収されてるんだっけ?セリフは無かったと思うけど、背景にあったりしたんだろうか。そこまで確認できなかったけど。

  • 物語と並行して進行する高校野球の試合は、細田さんらしい要素なんですが、決勝戦の決着は問題解決後、いつのまにか着いてしまっていました。
    非常に分かりやすい要素なので、どうせなら最後も、やりすぎなほど、重ねるほうが好み。例えばこんな感じ。

    延長戦。ランナーを置いてのサヨナラのチャンスに、上田高校のピッチャー(陣内家)が平凡な外野フライを打ち上げる。ダメかと思いきや、なぜか敵外野手がこれを落球。サヨナラ勝ち。
    (もちろん、このプレイが行われている瞬間には、ケンジによる軌道修正が行われており、プレーの描写自体は当然省略される)
    アナウンサー「平凡な外野フライに見えましたが・・・なにか落下予測地点に誤差が生じたのでしょうか?風でしょうか?」
    解説「どうでしょうか?これはまさに、奇跡としかいいようがありませんね」

  • あとは、落ちてくる小惑星探査衛星を、エヴァ三体で受け止めたらよかったんじゃないかな。三体の配置は女のカンで。

    アスカ「思ったより、全然速いじゃない。私じゃ間に合わない!」

    ケンジ「よろしくお願いします!」(エンターキーを押す)
    落下軌道を微妙に変える小惑星探査衛星。

    シンジ「軌道が変わった!ミサトさん!」
    ミサト「605から607!急いで!」

    箱根から上田までは遠いけど、シンジさんが音速を越えて走ればきっと何とかなるよ。




  • 『サマーウォーズ』まとめ


    いい映画であることは間違いないのですが、細田さんにしては、同時進行イベントと、対比構造が弱いのでは、という印象を受けました。(もちろん、私は「やりすぎ」大好き病なんですけどね)
    リアリティや、話のつじつまやディティールを、勢いとスピード感でねじ伏せるような映画であれば、前半でまいておいた要素が全てクライマックスに向かっていく必要がありますが、(意図的でしょうが)回収していないものや、スムーズでないものもあり、全てが1点に集まるような感覚が私には味わえませんでした。
    私がノリ切れなかったのは、『ぼくらのウォーゲーム!』体験のせいでもなく、このあたりなのかな、という気が、この文章を書きながら何となくしてきました。
    リアリティがどうこうでもなく、家族やネット世界の描き方がどうこうでもないんですけどね。
    映画ってむずかしいですね。

    いろいろ書きましたが(妄想しか書いてない)、『サマーウォーズ』は金曜ロードショーで立派に放映できる映画です。
    そこが本当の『サマーウォーズ』のスタートなのかな、という気もします。


    『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

    このブログの『サマーウォーズ』記事です。よろしかったらどうぞ。最初の記事はネタバレありません。

    ■見る前(上映前)のレビュー
    日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

    ■見た後のレビュー(この記事) ※ネタバレあり
    サマー"ウォーズ"バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ>

    ■特別編:ゴハン食べるの?食べないの?(フード理論) ※ネタバレあり
    世界の危機には「家族で食事」を <『サマーウォーズ』 フィクションと現実で異なる「正しい行動」>

    ■完結編:『サマーウォーズ』のパッケージングと可能性の検討について ※ネタバレあり
    10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>
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