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富野アニメには、洗脳された女性キャラクターが敵として登場するという、「洗脳少女」のモチーフが繰り返し現れます。

例えば、『機動戦士Zガンダム』の強化人間、フォウ・ムラサメ。
フォウを見てわかるように、彼女たちは大人の都合によって精神を歪められ、心を閉じ込めた巨大なマシンに乗り、多くは悲劇的な結末を迎えることになります。

今回は、そうした「洗脳されたヒロイン」を作品別に俯瞰してみようという企画です。



富野ロボットアニメ 洗脳少女の系譜


では、富野ロボットアニメでの「洗脳少女」たちをひとりづつ見ていきましょう。

本当はちゃんと俯瞰して分析すると、何か面白い見地が得られると思うのですが、このために作品を見直すこともなく、順に記憶頼みで思い出すという「洗脳少女思い出語り」になってしまっています。
並記されたメモでしかなく、全体を貫く芯のようなものがありません。
(それでも公開するのは、一ヶ月未投稿で表示されたFC2広告を消すためです)

毎度ながら本文が長くなってしまったので各少女たちのもとへアクセスできるページ内リンクを用意しました。
興味のあるキャラクターだけ、つまみぐいしていただいてもかまいません。また洗脳少女がいなくても言及している作品もあります。

『戦闘メカ ザブングル』

『重戦機エルガイム』

『機動戦士Ζガンダム』

『機動戦士ガンダムΖΖ』

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』

『オーバーマン キングゲイナー』

『機動戦士ガンダム』


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洗脳ヒロイン:なし


一年戦争の中で、何人かの女性達が男のために死んでいくけれど、洗脳されて戦ったわけではない。
ランバ・ラルに対するハモン、ガルマに対するイセリナ、そしてシャアに対するララァ。
いずれも正規の軍人ではなく、戦場に出た理由は男で、彼女たちにはジオンの大義など何の意味もない。

後年のガンダム洗脳少女の構図にもっとも近いところにいるのはララァ・スンだろうか。
シャアに拾ってもらった恩。ただそれだけのために戦場に出て、連邦の戦艦を次々に落とす。彼女には思想も大義もない。おそらく彼女自身がそれでいいとした。だが何か考えを植えつけられたわけではない。

宇宙世紀昔話「白鳥の恩返し」

一羽の白鳥が、自分を救ってくれた青年の前に美しい娘のすがたで現れ、こう言いました。

ララァ「ガンダムを倒すおてつだいをさせてください。あなたは私が守りましょう。でも約束してください。ひとつは今日からノーマルスーツを着ること」
シャア「うん。ララァがそう言うのならな」
ララァ「そしてもうひとつ。けして、戦闘中の思考はのぞかないでくださいね」

青年はキスでそれに答え、ふたりは仲むつまじく暮らしました。

しかしある日のこと。ガンダムとの戦闘中に青年はのぞいてしまったのです。

シャア「ララァ!奴とのざれごとはやめろ」
ララァ「けしてのぞかないでといったのに。見られたからにはもうここにはいられません。ああ、アムロ……時が見える……」

娘は白鳥の姿に戻って、天に還ってしまいました。
青年は死ぬまで寝言でつぶやくほどに、たいそう悔やみ続けたそうな。

<おしまい>


これはもちろん単なるおふざけですが、元ネタの鶴女房(鶴の恩返し)が、人間と人でないものが結ばれる異類婚姻譚であることを考えると少し面白いかも知れません。

人(シャア)に、人とは少し違うものであるニュータイプ(ララァ)が嫁いで一刻の平穏を得るが、人であるがゆえにそれを失ってしまうという話として。

『戦闘メカ ザブングル』


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洗脳ヒロイン:エルチ・カーゴ


エルチ・カーゴは、交易商人カーゴ一家の跡継ぎにして、アイアン・ギアーの艦長。物語のヒロインのひとり。
物語中盤で敵に拉致され洗脳を受け、敵キャラクターとして主人公ジロン達の前に再登場する。その後、その身は奪還され、治療を受けることで洗脳が解かれ、再び味方へ戻る。

私が幼少時に初めて見た富野洗脳ヒロイン。そういう意味で非常に思い出深い。
特徴は、もともと味方側のキャラクターが洗脳され敵となる点と、一次的に洗脳が解く方法があるところ。
洗脳時のエルチは、ジロンに強い敵対心を抱くが、ジロンがキスをすると一時的に洗脳が解ける。
よって戦闘中には、エルチはジロンの命を狙い、ジロンはエルチへのキスを狙うという、キス・オア・ダイが発生する。

子供の頃、この「キスすると洗脳が解ける」というギミックに、相当ドキドキしていたのを今でも覚えている。
単にキスシーンだからというのではなく、洗脳された少女に唯一の望みとしてキスして正気を取り戻させるというシチュエーションにドキドキしていたはずです。しかも、主人公ジロンのキスでも決定的にエルチを取り戻すことはできないという。

なんでしょうね。自分に近しかった少女が敵に捕らわれて(洗脳によって)心変わりするというのは、ある種のNTR(寝取られ)みたいなものなので、それにドキドキしたんだろうか。

その流れで想い出深いのは、漫画『ブラックエンジェルズ』でもジュディ(ヒロイン)が敵につかまったとき、普通にボス(しかも単なる影武者)にレイプされてたこと。
あの頃は、週刊少年ジャンプのヒロインが敵に拉致されてレイプされているという時代だった。時代のせいなのか平伸先生のせいなのか知らないが。ザブングルと並んで幼少期の自分にはショッキングな出来事だった。

話を戻して、あと印象的なのは、洗脳が解けたエルチが、自分を洗脳した女性科学者(Dr.マネ)を許すところでしょうか。
洗脳を指示したのはもちろんカシム・キング(男性)なのですが、直接洗脳を施したのはこの科学者(女性)です。でもエルチは彼女の命乞い(弁明)を受け入れるんですよね。

富野洗脳ヒロインを考えるとき、誰が洗脳したのかと、もうひとつ、直接的に少女と関わったのが誰なのか、というのもちょっと注目ポイントとしてもいいかも知れない。
男性による少女洗脳のプロセスの中で、『ザブングル』のように少女と同じ女性が洗脳に関わるパターンもある。

エルチは生存するが最終的に光を失うので、「結局、悲劇的結末じゃないか」と思う人もいるかも知れないが、「みんな走れ」を見た私はそうは思わない。
だから『ザブングル・グラフィティ』のアレは個人的には蛇足だと思っているけど、お祭り劇場版であのノリが許されないとも思わない。(ガンダムでああいう事をすると「どちらが正史か」「歴史の上書き修正」になるが、『ザブングル』では全く無縁のことだ)

『聖戦士ダンバイン』


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洗脳ヒロイン:なし


地上と異世界バイストン・ウェルが交錯する作品なので、違う世界へ飛び込むキャラクターを使って、洗脳ヒロインを出せないことはない。
例えば、主人公ショウなんかは、見知らぬ世界であるバイストン・ウェルに召喚され、事情も分からぬままドレイク達の話をそのまま鵜呑みにしてダンバインに乗っています。非常に危なっかしい。
またそれとは逆パターンで、地上人ショット・ウェポンが音楽教師だったミュージィー・ポーを自分の開発したオーラバトラーに乗せたような、後のシロッコのような方法も考えられます。

しかし聖戦士はドレイクの野望に一方的にそそのかされただけでなく、本人自身の自己実現のためにオーラバトラーに乗るような、win-winの関係でしたのでもちろん洗脳ではありません。
またショットは普通にミュージィーを大事な人だと認識していました。ショットはどうもパーソナリティとしては常人並というか、キャラクターとしての個性が弱く、普通に人を愛せるようです。
ショット・ウェポンのキャラクター性を大幅に強化したところに、パプティマス・シロッコがいると思ってもいいかも知れません。

小説『オーラバトラー戦記』は未だに読んでないのですが、こちらは記憶をなくした地上人のヒロインが主人公に敵対するようなことを聞いた気がします。これは洗脳少女に近いキャラクターなのでしょうか。
もしそうならTVアニメである『ダンバイン』にこそ出ていませんが、個人創作の意味合いが強い小説だと結局出てるわけですね。洗脳ヒロインが。

『重戦機エルガイム』


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洗脳ヒロイン:クワサン・オリビー


クワサン・オリビーは、主人公ダバ・マイロードの義妹にして婚約者。
マインドコントロールされた状態でいきなり敵として登場し、最終回で精神崩壊したオリビーを連れて、ダバが皆から去っていくところでこの物語は終わります。
原作のベース(主に永野護成分かな)のひとつである『スター・ウォーズ』に例えると、
帝国を打倒したものの、最終的に精神崩壊したレイア姫(オリビー)の面倒を見るために、英雄ルークが皆の元を去り、ハン・ソロ(ギャブレット)もイウォーク族と共にそれを見送って終わるという感じでしょうか。

ポセイダルのくり返しにならないために、英雄ダバは新世界構築から距離を置く必要がありましたが、オリビーがその理由として使われた形でしょうか。(同時に、アム、レッシィの両ヒロインのどちらも選ばない理由付けでもある。)
バイストン・ウェルの聖戦士もそうですが、強すぎる救国の英雄はその後の治世では不要な存在になるので、英雄のまま物語から消えねばなりません。

エンディング分類という意味では、表舞台から姿を消し、保護者として隠遁するパターンとして『∀ガンダム』の系統に連ねることができるかも知れない。

クワサンは主人公と深い関わりがあるものの、エルチと違い、前半の元人格での活躍→洗脳描写→全く違う人格へ、というプロセスが無かったためどうしても印象が弱かった感があります。
はじめから洗脳少女として登場するのであれば、一定以上のエキセントリックさは必要で、それはこのあとの少女たちで実現されていきます。

洗脳少女としてのクワサン・オリビーのルーツがどこ(誰)にあるか分からないが、次作品『機動戦士Ζガンダム』ラストにおいて、『エルガイム』とは真逆に、今度は幼なじみの女の子が精神崩壊した主人公の面倒を見ることになろうとは当時は知る由もない。

あと全然関係ないけど『エルガイム』といえば『仮面ノリダー』だよね。主に音楽面で。
世間的にはジョッカーの曲として認知されてそうだけれども。

『機動戦士Ζガンダム』


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エルチ、クワサンを経て、やってきました洗脳少女パラダイス。

洗脳ヒロイン:フォウ・ムラサメ


この記事でとりあげる洗脳少女の中で、恐らくもっとも知名度があるキャラクターだと思われるので、ひとつの分かりやすいサンプルになるかも知れない。

彼女はティターンズの兵士にして、人工ニュータイプである「強化人間」ですが、敵として戦う前にカミーユに出会うというのは、アムロとララァと同じですね。
そのあと、12時までのシンデレラデートでキスまで行ってしまうのが違うところ。フォウはララァと違って何もない少女なので、事前にそこまでしておかないとドラマにならない。

名前も記憶も何も持っていないフォウは、それを取り戻そうと巨大なモビルスーツ・サイコガンダムに乗り込み戦います。
ガンダムの強化人間少女たちは、少女のイメージとは真逆な、いかつく巨大なマシンに乗り込むことが多いですが、これは彼女たちが囚われている心の「城」と思ってもいいでしょう。アイデンティティに悩み、自意識が肥大した少女ほど城は堅牢巨大となり、巨体を少し動かしただけで周りを傷つけてしまう。
籠城している彼女たちを解放するために、ガンダムの主人公たちは攻城戦に挑む(コクピットを開けようとする)のですが、なかなか容易ではありません。

ララァにとっての天秤は、救ってくれた隣にいる異性であるシャアと、敵MSのコクピットにいながら精神的につながったニュータイプのアムロでした。人と人の天秤。

フォウにとっての天秤は、過去の記憶と、カミーユとつくれるかも知れない未来。

洗脳ヒロイン:ロザミア・バダム


地球連邦軍のオーガスタ研究所で調整を受けた強化人間。精神調整と共に体も強化されている。一年戦争時のコロニー落としが精神に大きな傷を残しており、ティターンズはそこを利用しエゥーゴを敵と思わせるようローレン・ナカモトに精神操作させた。(Wikipedia:ロザミア・バダム


フォウと同じ強化人間。物語前半にも登場するが、後半にカミーユを兄と思い込むよう洗脳されて再登場する。

ちなみに今回初めて、Wikipedia:ロザミアの項を参照したのだが、ロザミアは17歳という設定だそうで驚いた。カミーユと同年齢?
私は24歳ぐらいだと思っていた。20歳すぎの女性がカミーユを「お兄ちゃん」と呼ぶ方がいとしさとせつなさとグロテスクさとが高まってよいと思うので、今後も私の中では24歳ぐらいのイメージにしておこうと思う。(ケンシロウ「お前のような妹がいるか」)

このあとさらに記憶を操られ、カミーユでなくティターンズパイロットのゲーツ・キャパを兄と思い込まされる。
いわば三段階で精神が変質させられたキャラクター。

兄役のゲーツ・キャパを演じるのが矢尾一樹というところが味わい深い。
後番組である『機動戦士ガンダムZZ』において、彼はジュドー・アーシタという宇宙世紀最強の兄を演じることになる。

個人的にはフォウよりロザミア(ロザミィというべきか)の方が印象深いので、「永遠のフォウ」より「ロザミアの中で」の方がくるものがある。
カミーユのセリフ「かわいそうだが、直撃させる!」が忘れられない。
これしかロザミアにしてあげられることがない。全く救いがない。

今から振り返ると『BLACK LAGOON』の双子ヘンゼルとグレーテルが思い起こされる。

ロック「くそ。くそッ。畜生ッ!…なんて……なんてことだ、あんまりだ……
……みんなが寄ってたかって、あの子を虎に仕上げたンだ。人食い虎にしちまったんだ!!ちきしょう!!」

ベニー「……ロック。ああいうものを、真っすぐ見るな。ここはそういう場所で――それが一番だ、それしかないんだよ、ロック。」
ロック「…………俺が――」
ベニー「あの子を養うか?無理だ。あの子は殺しをやめられないよ。」

ベニー「……誰かが、ほんの少し優しければ、あの子たちは――学校に通い、友達を作って、幸せに暮らしただろう。でも、そうはならなかった。そうはならなかったんだよ、ロック。だから――」

ベニー「この話はここでお終いなんだ。」


洗脳ヒロイン:サラ・ザビアロフ


パプテマス・シロッコ子飼いのパイロット少女。
フォウ、ロザミアが研究所によって科学的に強化・洗脳されているのと違い、サラはパプティマス・シロッコへの心酔によって成り立っている。彼をパプティマス様と呼び「シロッコと健康のためなら死ねる!」と思っている。

シロッコは、新しい世界をつくるのは私ではなく女性だ、と言う建前のもとに女性を支配する男。
機械的な洗脳や刷り込みをするまでもなく、少女サラは自分を導いてくれるパプティマス様に心服しており、シロッコのために死ぬどころか、精神体になっても彼をかばうほどです。

サラといえば、カツを手玉にとり、さんざん利用したことも印象深いですね。
以前も書きましたが、アムロの活躍を見て育ち、ニュータイプに憧れたカツは当時のガンダム視聴者である少年(私)そのものです。
しかし、カツはニュータイプを間近に見ていただけの普通の人なので、ガンダムに乗れるわけでも、ニュータイプ少女との出会いと精神の交流があるわけでもありません。ありていに言えば「主人公」ではない。

だからアムロやカミーユのようにニュータイプ少女と接触しても、ただ純粋に騙され、利用されるだけで終わる。
(「あなたって、いい人ね」ぐらいには思われるけれど)

私が本放送『Ζガンダム』を見ていたとき、カツよりさらに年下でしたが、カツの言動とその結果にはショックを受けたのを憶えています。
一年戦争を戦い抜いた(視聴していた)幼い少年が、カツを見てのリアクションは、私のように打ちのめされるか、ひたすら嫌悪するかどちらかだと思う。このふたつは、リアクションの表現がちがうだけで根は同じ。

もちろんこれはあくまで子供の反応で、大人になってから(つまりカツより年上になってから)、初めて『Ζガンダム』でカツを見た人の中には、「うざい。でしゃばり。無能。カス。死ね」としか思わない人もいるでしょう。
そうした主人公クラスの力を持った偉大な方とは、残念ながら友達になる予定がないので、それはそれで別に私はかまいません。

個人的には『逆襲のシャア』ラストで、アムロと普通のパイロットたちが同じ行動をしたときに、このあたりの問題は解決されたように感じています。
そのあたりのことは、以下の過去記事をご参照ください。
アムロ・レイが、宇宙世紀の最後にしてくれたこと。<『逆襲のシャア』で起きた【奇跡】>

サラよりカツの言及の方が多くなってしまいましたが、それは私がサラ側でなく、彼女と接触したかった少年側だったので仕方のないところかも知れません。

『機動戦士ガンダムΖΖ』


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洗脳ヒロイン:キャラ・スーン


ネオ・ジオンの女性将校で、前半はマシュマーの監視役として登場。その後、ジュドーたちに捕まり、アーガマで掃除・洗濯などをした時期を経て脱走。
アクシズに戻ると、強化されて再登場する。強化が不安定らしく、ジュドーに会うと昔の人格を取り戻したりする。

「洗脳(強化)されたけど、少女じゃないよね?」とのご意見はごもっともですが、設定上は23歳らしいのでそんな年増でもない。この後に控える、プル、プルツーとの平均年齢で少女ということにしてほしい。

マシュマーといい、キャラといい、『ΖΖ』後半の路線変更の象徴のように強化され人格が変わり、周りのシリアスさと釣合いと取ろうとしているが、その実、存在の滑稽さ自体は変わっていない。
キャラに関しては、アーガマ捕虜時代に掃除・洗濯など家事をやらされるなど、うまくキャラクターを回せば面白い存在になれる可能性もあったと思う。
しかし、アーガマは子供だけの船にされていくので、23歳のキャラはそこに居続ける資格を失わされてしまった。

このあたりのことは、いつか書きたい『ΖΖ』記事でいろいろと触れたいと思う。

洗脳ヒロイン:エルピー・プル


アクシズのニュータイプ少女。天然ではなく科学的に生み出されたニュータイプ。
精神的にはガンダムへの敵意などを刷り込まれている。グレミーの支配下にあったが、ジュドーにひかれて離反。のちにもうひとりの自分であるプルツーと対立する。

兄(ジュドー)を求めるプルは、ハマーンのシャドウでもある。幼く素直なプルは、心の求めるままにジュドーの元へ行くことができた。

私が『ΖΖ』でもっとも好きなシーンは、第28話「リィナの血(後)」のラスト。

この回でジュドーは、自らの戦う動機である囚われた実妹リィナを助け出したが、ジュドー不在時にプルが嫉妬を爆発させ、リィナが受けて立ち、妹同士の戦いが始まる。
このときのプルがリィナに向けて言ったセリフをいくつか拾ってみましょう。

プル「私には親も兄弟もいないから……だからジュドーが欲しいんだよ!」
プル「なのに…リィナはいいよ。あんたは黙っててもジュドーにかわいがられて。アクシズに来たらグレミーにかわいがられて。……あたしなんて、毎日毎日変な機械を頭にかぶらされて!」
プル「ジュドーをちょうだい、ちょうだいよ!あんたはいっぱい幸せだったじゃない!」
プル「今度は私が幸せになる。だから……ごめん!」(殺意を持って、リィナの首を絞める)


ここでジュドーが間に入り、リィナとプルの二者択一でなく、3人で兄妹になればいいと取りなし、プルも納得します。

こうして言葉にすると、うまくまとまったように見えないこともないですが、画面を通じて感じるのはむしろその逆。血の繋がった実妹の圧倒的な優位性。
プルの言葉にあるとおり、リィナは無条件でジュドーに愛される、代わりのいないオンリーワンの存在であることがプルと並べることで改めて浮き彫りになります。

そしてこの回のラスト。リィナが隠れていた小屋に、戦闘中の敵モビルスーツが墜落する。
妹を失い、炎上する小屋の前で呆然と立ち尽くすジュドー。涙を流すジュドーにプルが言う。

プル「ジュドー、アーガマに戻ろうよ。……今日から私がリィナになってあげるから


それを聞いたジュドーは無言でプルの頭を小突く。プルは押されて地面にへたりこみ、号泣。
この回はプルの泣き声で終わる。

結果として、リィナは消えて、プルの望んだとおりの結果(兄の独占)になったわけだが、プルは何もうれしくてこのセリフを言ったわけではない。
彼女もリィナの死を悲しんでいて涙を流している。このセリフは純粋にプルなりのやさしさや思いやりで言っているはずだ。
でも、目の前で最愛の肉親を失った直後というか真っ最中(炎上中)の人に言うセリフではやっぱりない。
やさしさの形が、どこかいびつで、それが本当にやるせない。

ただそんなプルも、死の直前にはジュドーをじっと見つめて「ジュドー……好きだよ」とつぶやくなど菩薩化しており、妹(リィナの代わり)ではない何かになっていた。

ちなみに「リィナの血(後)」の次回は、ジュドーがアーガマに帰還し、コアファイターのコクピットに閉じこもるところから始まる。
アムロもカミーユも現実での1週間をまたいで立ち直り(を要求され)、連続アニメの主人公の責務を果たすしかなかったが、ジュドーは思い切り引きずった。

リィナの死によって、「主人公の動機(目的)」が全てなくなって、ジュドーが戦う意味がゼロになった。
ここで動機の再設定が行われて、ジュドーの戦う意味もここを境に変わる。そのきっかけになったのがルー・ルカ。

ジュドーに強い関心を持つ女性のほぼ全てが、彼の妹になろうとするのとは違い、彼女だけが妹になろうとはしない。
その意味で、ルー・ルカが動機の再設定のトリガーになること自体は正しいと思うけれど、もう少し良い形で処理できなかったかなと思わないでもない。

さて実妹リィナに代わりはおらず、プルはリィナが死んでも本当の妹になることはできない。だが、プルには代わりがいる。それも11人(11人いる!)。
そのひとりが、プルツー。

洗脳ヒロイン:プルツー


プル・クローンのひとり。プルがジュドーの元へ去ったあと、グレミーにより目覚めさせられ、ガンダムと戦う。プルより好戦的で攻撃的な性格が強い。

プルが言っているとおり「もうひとりのプル」だが、プルがハマーンのシャドウであることを考えれば、プルツーもハマーンのシャドウ。
ハマーンの人格を、プルとプルツーの2人に分けたとも言える。『ドラゴンボール』の神様とピッコロ大魔王のような感じでしょうか。
プルは天真爛漫で素直に感情を現し、自分の心が求めるままにジュドーの元へと赴くが、プルツーはより理性的で冷静であると共に、攻撃的。ジュドーの説得にも頑なに応じず戦い続ける。だがプルツーもジュドー(お兄ちゃん)大好き。それを理性で最後まで我慢し続ける。

ここでハマーンを語らないわけにはいかないが、彼女は洗脳少女というわけではないし、恐らく長くなるのでこの辺りのことは別の記事で改めてまとめたいと思う。
トピックは以下のようなものになるんじゃないかな。

・ハマーンとシャアの関係。
・ハマーンの2つのシャドウ(プルとプルツー)
・シャアの2つのシャドウ(ジュドーとグレミー)
・ジュドーと4人の妹(リイナ、プル、プルツー、ハマーン)による妹大戦
・妹でない女性ルー・ルカ

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』


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洗脳ヒロイン:クェス・パラヤ


地球連邦軍参謀次官アデナウアー・パラヤの娘。父の愛人とは険悪で、家を飛び出すが、最終的にとびこんだ先がよりによってシャアの胸の中だった。

洗脳少女というカテゴリとは少しずれるかも知れないが、シャアの戦争の道具として死んでいった少女。
シャアの「来るかい?」に引っかかると、本当にろくなことがない。

富野監督の想定どおり、立ち位置は女カミーユですが、そういう女性がシャアに接するとこうなってしまうという見本のような人。
カミーユは女みたいな名前かも知れないけれど、まぎれもなく男なので、クェスのようにはならなかった。

クェスはシャアの「娘」と「恋人」をやろうとし、「大佐、あたしララァの身代わりなんですか?」のあとは「母」もやろうとするが、裏返せばシャアに「父」と「恋人」と「息子」の役割を求めることになるので、もちろんシャアは戦争の道具以上の扱いにはしなかった。

クェスは高いニュータイプの素養を持つはずだったが、シャアの心の中は結局表面しかのぞけていない。
それは彼女が未熟なのか、それともシャアが悪いのか。

『機動戦士ガンダムF91』


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洗脳ヒロイン:なし


少女という意味ではヒロイン、セシリー・フェチャイルドが最初に思い浮かぶ。
主人公シーブックの通う学園のヒロインであり、敵方クロスボーン・バンガードの姫君でもある。
祖父マイッツァーに実家であるロナ家に迎えられ、シーブックが死んだと思っていた経緯もあり、ベラ・ロナとしてクロスボーンのアイドルを引き受ける。
だが、さまざまな事情があるにせよ、これは葛藤の上のセシリー自身の決意であり、洗脳とは違う。
だから戦場でシーブックと交戦し、彼が生きていることを知った際に、彼女は再び自分の意思でセシリーに戻ることを決断した。
(セシリーの母ナディア、シーブックの母モニカ、アンナマリーも含めて、女たちは自分の意思で生きる場所を変えるが、男たちは自分のポジションを変えずに守り続ける)

では従来の「洗脳少女」のポジションを与えられたのは誰なのかといえば、それはもちろん鉄仮面カロッゾ・ロナだ。
セシリーの父であるカロッゾは、義父マイッツァーに従って期待に応えていくが、妻に逃げられ、鉄仮面をかぶり、自ら強化手術を受けるが、成長した子にも否定される。
彼は優秀で、義父にも忠実だったが、彼に与えられた仕事は「過剰人類を効率的に処分すること」。
だがマイッツァーが、セシリーを探し出しクロスボーンのアイドルに迎えたことから分かるように、半分マシンの義子は便利ではあるが、本当に欲したのはマイッツァーの血をひいた若く魅力的な女性だったのかも知れない。コスモ貴族主義(の理想部分)を体現できる存在。
カロッゾの花が機械じかけの宇宙の妖華ラフレシアだったのに対し、セシリーの花が瑞々しさを残した生花(切花)だったように。

いわゆる「洗脳少女」ポジションが、女性でなく男性(しかも中年)で、しかも自分で自分を洗脳(強化)していくというのがこれまでに比べて面白いとは言えるかも知れない。
それが肉親である実子にも拒まれれば、そのまま破滅にまで進むしかない。つくづく男というものは度し難いな。

ここではお題の洗脳少女に無理やりからめて書きましたが『機動戦士ガンダムF91』という作品自体は、PSB1981さんの記事を読むのがよろしいかと思います。

偽史同士の抗争=ガンダムF91という物語
http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20110211/1297406715

『機動戦士Vガンダム』


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洗脳ヒロイン:なし


カテジナ・ルースとか、ファラ・グリフォンとか、両親の教育によってつくられた主人公ウッソが、とか無理やりお題にからませて書けないことはないけれど、もういい加減疲れたのでやめます。いちばん従来モデルに近いのは、ファラ・グリフォンだろうか。

メモとして書いておくとしたら、洗脳兵器エンジェル・ハイロゥが登場したことぐらいかな。
赤ちゃんが生まれたら、ベビーベッドの真上にエンジェル・ハイロゥを吊るしておくと良いと、ばっちゃが言ってた。

そういえばエンジェル・ハイロゥは強力な精神波を発信しますが、そのときのポワワン的なSE(効果音)は、このアニメ独自のものでなく、いわゆるライブラリとして色んなアニメに使われてるものです。恐らく皆さんもどこかで聞いたことがあるに違いありません。

私にとってこの効果音で思い出すのは『ミンキー・モモ』。
本放送時に初めてエンジェル・ハイロゥの精神波が流れたときは「アダルトタッチで大人になるどころか、シャクティのドリミン波で逆に赤子に!」と、どっきんハートにまばたきショットでした(びっくりして目をパチクリした程度の意)。

『オーバーマン キングゲイナー』


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洗脳ヒロイン:シンシア・レーン


本名はシンシア・ウェラ・レーン。 18歳。
オーバーマン乗りの少女で、キッズ・ムントの秘蔵っ子。
趣味で遊ぶゲーム・オーバーマンバトルでは連続200回対戦チャンプの「クィーン」の称号を持つ。本人が登場するのはずっと後になってからだが、ゲーム内では第一話から登場。シンシアを倒したゲイナーが「キング」となった所から物語は始まっている。(Wikipedia:OVERMANキングゲイナー


『キングゲイナー』は最近の作品だけど、本放送以降の見直しがないので、あまり詳細を覚えていない。
また見直したときにでも、ここの記述をアップデートしておくことにします。

ただ、ここまで時系列で見てきたとおり、近年はモロ洗脳少女みたいな敵は出てきていなかったので、物語後半のシンシアを見てたときは、正直いうと最初に「またか」と思った。そして二番目に「あんたも好きね」と思ったのは覚えている。

ドミネーターに乗ったシンシアに「甘い、甘いよ、チョコレートより!」と襲われたら、チョコラテをここに置いていく(『BLEACH』における「甘さは捨てろ」の意)しかない。

雀の子 そこのけ そこのけ お馬が通る(小林一茶)
雀の子 チョコラテ チョコラテ おいてゆけ(小林一護)

いやチョコラテはどうでもいい。富野監督の作品が(残念ながら)増えていっていない今、シンシアが最新の洗脳少女ということになるでしょうか。最後の洗脳少女になるかどうかは分からない。

まとめ:洗脳少女と呼ばれて…って「この私が洗脳を受けている?」


というわけで、富野ロボットアニメの洗脳ヒロインたちを見てきました。
後半明らかにバテたのと、作品によって記憶に偏りがあるものは、また機会を見てアップデートできればと思っています。すみません。

さてまとめとして、洗脳少女たちを社会学やジェンダーなどの分野で語って終わらせる手もあると思うのですが、私はそれが得意でも好きでもないので、あくまで物語の要素(機能)としてまとめたいと思います。

富野アニメの「洗脳少女」は大きくは2つに分類できます。

A:科学・機械的に洗脳を強制されたもの
エルチ・カーゴ、クワサン・オリビー、フォウ・ムラサメ、ロザミア・バダム、キャラ・スーン、エルピー・プル、プルツー

B:思想的に洗脳(影響)を受けたもの
サラ・ザビアロフ、クェス・パラヤ、シンシア・レーン


数としては圧倒的にAパターンが多いですね。
Aパターンの方が、洗脳人格と素の人格の両面を、多重人格的に表現できるので、ドラマ要素としての使い勝手がよいように思います。
Bパターンでも二面性を出すことは可能ですが、あくまで人格は1つですので、それは思想的にゆらいでいるということになり、変化してしまっています。
その点、Aパターンは女の子としてどれだけ心を開いても、洗脳人格に切り替われば、戦闘マシンとして戦ってくれます。ゆえに悲劇性もより高いといえましょう。

それにしても、どちらのパターンにせよ、なぜこんなにも多くの洗脳少女が出てくるのでしょう。
私は理由のひとつには「大人の言い訳」があるように思います。

・物語の舞台である戦場では、普通に考えれば大人の軍人ばかりしか出てこない。
・主人公の少年が出会う同世代の少女を、味方だけでなく敵にも登場させてドラマをつくりたい。
・その少女とボーイ・ミーツ・ガールさせて、恋をさせたりもするし、もちろんバトルもする必要がある。
・少年は戦争の中で、少女を救いたいと思うが、当然なかなかうまくいかない。


このときに、条件に合ったどんな少女を出せばよいでしょうか。

主人公と心を通わせられる愛らしい少女であり、かつロボットに乗って戦闘を行う少女?
恋とケーキと占いが好きで、同時に同じぐらい軍事政権や効率的な人殺しに興味があるキャラクターであればいいのかな?

昨今こういうキャラクターは普通に存在するような気もしますが、問題はこれに違和感を持つかどうか(持たないのが悪いとは言わない)。持ったとして何かが必要と思うかどうか。

ガンダムに乗って数ヶ月のアムロが大活躍するには、超能力者のような言い訳が必要だと思った人ならば、少女たちにも理由が必要と考えるかも知れません。

・少女たちは、もともと普通の女の子。チョコパフェも好きだし、男の子とデートもしたい。
・しかし何か戦闘用の人格のようなものを植えつけられている。
・この戦闘用人格のときは攻撃的になり、マシンに乗って暴れまわり、主人公にも耳を貸さない。
・(ガンダムの場合は)モビルスーツパイロットに年齢は関係なく、ニュータイプの素養があれば少女でも兵士として利用されることにする。


こういうことにすれば、未成年の少女がなぜ軍に入りロボットに乗り戦場で人殺しをするのか、なぜ主人公と普通の少女のように接することができるか、という問題はクリアできます。
(主人公である少年に関しては、こうしたことは第1話から1年かけて描かれます。)

思想的な洗脳パターンでも、これは同じような形で使えます。むしろ子供であることが、盲目的に誰かを信じる愚かさの説得力を増すでしょう。

そして、どちらのパターンにも共通して重要なことは、少女に戦闘用の人格を与えた主体、つまり洗脳を実行した大人が必ずいるということです。
少女に少女らしさだけでなく、戦闘マシンとしての役割を期待する大人たちがいて、はじめて洗脳少女は存在します。

これは人殺しをする子供の免罪でもあり、主体をあくまで大人にして責任をとることでもあり、どう理由をつけようが悲劇的な少女を消費してしまうことへの言い訳でもあります。

富野由悠季は、素人アムロが大活躍するドラマが必要と判断の上で、宇宙世紀のリアリティとして「ニュータイプ」という言い訳が必要と感じることができる人です。
敵と味方に別れた少年と少女の悲劇はドラマとして魅力的ですが、それに何が必要かと感じ、言い訳を考えた結果が「強化人間」や「刷り込み」なのかも知れません。

このあたりは、少女自らの意思で変身して、能力も名前も変えて戦うようなヒロイン(セーラームーンやプリキュア)と比較して考えても面白いかも知れませんね。



では最後に富野監督ご本人に「洗脳少女」について聞いてみましょう。
ひびのたわごとさんにて、そのことに言及した対談が紹介されていますので、少し長いですが引用させていただきましょう。

「ガンダム」のおもしろさは「視点の相対化」にある
特別対談 富野由悠季VS田中芳樹

田中 じつは「ガンダム」を見ていて感じたことがありまして、それは富野さんのいくつかの作品にも共通するように思えるのです。ふたつあって、ひとつは、兄妹の生き別れのシーンが多いということ、もうひとつは洗脳された美少女がよく出てくる(笑)ということなんですが、富野さんにお会いして、ぜひお聞きしたかったことなんです。それは意識してやってらっしゃることなんですか。

富野 ウーン……正直にいいまして、意識的にやってます。 
 まず、兄弟の生き別れについての質問ですが、これは現実のいまの生活に関与していることですから、はっきりとはお答えしかねるんです。

田中 それはどうも、大変失礼なことをお聞きしまして……。

富野 いえいえ、気になさらないでください。そのことについては詳しくはいえませんが、ぼくの創作活動のバックグラウンドとしてまちがいなくあります。ぼくは、いわゆるロボットもの、というジャンルで作品を創っていますが、たとえロボットものであろうとも、作者には、そういうバックグラウンドをもたないと良いものは書けないという気持ちがあります。それがないと作品になりませんし、買ってくれる人に、見てくれる人に失礼だという気がします。

田中 よくわかります。

富野 正直いって、そういったバックグラウンドを作品のなかで表現していくのは非常に恥ずかしいことです。とっても恥ずかしい。でも、その恥のない作品を書かないのは、ぼくはイヤですね。本当は、自分の恥を全部さらけ出して、それでいて気楽でいられればいちばんいいのでしょうけどね。

田中 ほんと、そう思います。

富野 それは、ロボットものであろうと、田中さんのスペースオペラといわれているジャンルであろうと同じでしょ。

田中 たしかにそうでしょうね。

富野 だからぼくは、恥を全部さらけ出すような度胸はないけれど、作品のなかには必ず入れるようにしているんです。それともうひとつの質問の「洗脳された美少女が多い」というご指摘ですが、それは、僕の女性観がいろいろな形で屈折して出てきた結果だと思いますね。

AM(女性) 富野さんのお書きになった作品、特に「ガンダム」に関する限り、女性蔑視の感じが強いんですけど……。

富野 そういわれると「そうですか」と返事をするより仕方がないんだけど、さっきも話した通りぼくの女性に対する気持ちが複雑にからみあって、本当は女性への憧れがすごく強いのに、そのウラハラな感情が、女性蔑視と受け取られてしまうことになってしまうのかもしれませんね。

AM ほんとは好きなのに、わざと女の子をいじめちゃう感じですね。

富野 そういうことです。そのあたりが、女の子をイジリ回したい感情になってしまうの。

AM(女性) カゲキィ!!(笑)。

富野 本当は、女の子がキライなのかもしれないなぁ。

AM ウソでしょう(笑)。

富野 ウソだなァ(笑)。好きなんだけどね、好きだけど押さえちゃう。

(引用部分以外も興味深い対談の全ては、ひびのたわごとさんでご覧ください。)


多くの作品に同じモチーフが繰り返し現れるのはやはり……なんといいますか。

ハリー・オード「趣味か?」


そうですね。趣味ですね。
作品ごとにはいろいろ分析できると思いますし、先に書いたように物語の要素としての有効性も多少あると思いますが、こうも多くの作品に登場していること自体は趣味としかいいようがないでしょう。

本人も自覚している屈折した女性観のなせるわざということなんですが、そうした自身のバッググラウンドから来る部分を恥ずかしいものと感じていて、それでも恥のない作品はイヤだというコメントが面白いところです。
いわゆる「パンツを脱いだ作品」であるべきだ、ということでしょうか。

ただ若い世代は、富野監督が「恥ずかしい」と感じるような要素にはすでに屈託がないかも知れませんね。
それは監督がいうように気楽なことでもあるし、解放されていて自由なことでもあるし、一方であまりにも屈託がないのはどうかな、と思わないでもありません。

以上、長々とお付き合いいただきありがとうございました。
今回ご紹介した『洗脳少女』の中で興味をもったヒロインがもしいましたら、ぜひビデオショップGOKURAKU(いやSENNOUだったかな?)で、富野アニメをレンタルでもしてご覧になってください。

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