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『機動戦士ガンダムZZ』を自分の中で整理しておこうとしたのですが、そのための前提となるシャアとハマーンの関係性をまとめはじめたら(いつものごとく)長文化したため、単独記事として別にしておくことにしました。

『ZZ』話のためにまとめた内容ですが、『機動戦士ガンダム』から『機動戦士ガンダムZZ』までを範囲とした「ニュータイプとその因果の中心にいたシャア・アズナブルの話」に仕立てましたので、独立した記事としても読んでいただけると思います。

では、宇宙世紀のブロックごとに分けて見ていくことにしましょう。まず『機動戦士ガンダム』から。

UC0079 『機動戦士ガンダム』


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本記事の主役であるシャアを中心にした、簡単な見取り図を作成しましたので、参考にご覧ください。
「主人公」「シャア」「ニュータイプ少女」「妹(偽妹)」という4つの要素でまとめています。
もっと要素を増やすこともできますが、複雑化しますし、本記事のテーマ的にあえて4つに絞りました。

0079

この図をご覧いただくとお分かりの通り、『機動戦士ガンダム』での4つの要素は以下になります。

・主人公 = アムロ
・シャア = シャア(当たり前)
・ニュータイプ少女 = ララァ
・妹 = セイラ(シャアの妹)


物語の主人公であるアムロと、立ちふさがるシャア。シャアが見出したニュータイプの少女・ララァ。
この宇宙三角関係は、第41話「光る宇宙」で不意にクライマックスを迎えます。

激しい戦闘の最中に、アムロとララァがニュータイプ同士の心の交流を果たします。
これはこれ以後長く続くガンダムシリーズで初めて描写された、ニュータイプ同士の深い精神のつながりです。

シャア「ララァ、奴との戯言(ざれごと)はやめろ!」


しかしシャアがこれに嫉妬し、二人の間に割って入ることで、決定的な喪失=ララァの死が発生します。

言わずと知れた『機動戦士ガンダム』の名場面ですが、この場面の成立にはアムロ、ララァ、シャアの3要素だけでなく、4要素目としてセイラ・マスも関与しています。

■ララァか、アルテイシアか


悲劇の直前、シャアのゲルググは、アムロと兄の間に割って入ろうとするセイラのGファイター(コアブースター)を斬ろうとするが、寸前でナギナタの刃を止め、相手が妹アルテイシアだと気づく。
だが、そのスキをアムロに突かれて片腕を斬られてしまい、さらにとどめを刺されようかという絶体絶命のピンチをララァにかばわれ、彼女は命を落とします。

ニュータイプ・アムロとララァによる心の交流を表現する上での対比・強調の問題だと思いますが、この場面でのシャアは、肉親であるセイラの存在に徹底的に気づかない。
赤の他人でロクに会話すらしたことがないアムロとララァが感じ合い、分かり合ったのと比べて、血が繋がっているはずのシャアとセイラの通じなさは極めて象徴的だと思う。

そもそもシャアがナギナタの刃を止めることができたのも、先にララァがセイラを感じ取り「大佐、いけません!」と止めたからに過ぎません。
しかもその後に、シャアがコクピット内のセイラを目視して「アルテイシアか!」と気づく主観のカットをわざわざ入れている(これがすばらしい)。

セイラの存在を知っていたかどうかすらも怪しいララァが先に感知し、目視でないと愛する妹に気づかない兄に親切に忠告してくれたおかげで、シャアはセイラを殺さずに済んだ。だが、それゆえにララァの死を招いた。
結果的にではあるが、シャアは、妹の命を助けることを引換にして、後に自分で母とも呼ぶ女性の命を失ったともいえるでしょう。

だがこの後の最終話、ア・バオア・クー内で、セイラをアムロ(ホワイトベースの仲間)の所へ送り出し、妹とも決別するので、シャアは一年戦争で、「ニュータイプ少女」と「妹」の両方を失ってしまった。
(ついでにいえば、姉ともいうべきキシリアも自分で殺したので、すべての女性関係を一度失ったともいえる)

大事なものを失ったシャアは、アクシズへと逃げ延び、次のフェイズへ入ります。

UC0081 アクシズ時代


かけがえなのない女性ララァと死別し、また最愛の妹であるアルテイシアとも決別したシャアは、その後アクシズで、ハマーン・カーンに出会い、恋人関係になったといいます。

この時期に関しては、物語内で直接描写があったわけではないので、あまり考えすぎても意味がないと思います。あくまで設定上の問題と考えることにしましょう。(北爪宏幸さんのマンガがありますが、最初の方しか読んでませんし、そもそも、それがあったからどうとも思わない)

ではシャアとハマーンだけの問題ではありますが、この時代の見取り図です。

0081

シャアの業が深いなと思うのは、結局この人はララァ喪失後に、ニュータイプ少女(少年も)を何人も引っ掛けることになるんですよね。

その結果から考えると、最初のひとりとなったハマーンは、一年戦争で失ったララァと妹の代用物だったように思えます。

ただ、ニュータイプ能力以外何も持たず、また持とうともしないララァと違い、ハマーンには家柄もあれば、政治能力や統率力などさまざまな才能を持っていたようです。
ハマーンは、シャアの推挙を受けてミネバ・ザビの摂政になり、政治の表舞台に立ちます。
(父シャーマン……マハラジャ・カーンのあとを継いで、アクシズの第2弾ヘッドとなったわけですね)

しかしミネバの扱いなどを原因に、シャアとハマーンは政治的に対立して、シャアはアクシズを離れたという。
ミネバという子供の教育方針に対し、夫婦である父シャアと母ハマーンが対立したような形ともいえますね。
父シャアは責任を放棄して出ていき、残った母ハマーンが引き続きミネバを育てることになります。

物語上の描写がないのであくまで推測ですが、シャアにとってのハマーンは、短い間に「妹」「ララァ(の幻影)」「恋人」「妻(パートナー)」とさまざまなポジション(あくまで構造上の配置)を取ったキャラクターになると思います。

ハマーンの方でも、築いた関係の行き着く先として、頼れる夫(大人の強い男)の役割をシャアに求めたかも知れません。
それなのに対立したシャアは家(アクシズ)を出ていってしまい、ハマーンは、残された子供であるミネバとアクシズの民の面倒を見るシングルマザーになってしまう。
ハマーンが、決定的に「大人の男」に対する不信感を抱いたとすればここになるでしょう。

そもそもハマーン・カーンはシャア無しでは存在しえないキャラクターで、彼女の行動原理は「シャア無き欠損をどうするか」ということに尽きると思う。(初登場の『Zガンダム』ですでにシャアを失っていた)
直接キュベレイでシャアの首根っこを抑えて連れ戻そうとしたり、ジュドーにシャアを感じてそれにこだわったり、シャアがいなくても一人でがんばる!と強がったりするが、どれもシャアの存在なしでは成立しない。

シャアに与えられた欠損は少女に大きな傷を残したと思われ、それは次の世代に影響を及ぼします。

UC0087 『機動戦士Zガンダム』


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では『Zガンダム』の見取り図を見てみましょう。シャアはクワトロと名前を変えて登場。
「主人公」はカミーユになるが、これはクワトロがスカウトしたニュータイプ。その意味では「ニュータイプ少女」の位置だと言ってもいい(と、言うとカミーユに殴られるけれど)。クェス・パラヤの立ち位置は「女カミーユ」でしたが、逆をいけばカミーユは「男クェス」ですからね。
ニュータイプ少女は、クワトロには引き続きハマーン。
カミーユに対しては、フォウやロザミア(偽妹でもある)、サラなど数多く登場するが、その全てが死んでいく。

0087

『Zガンダム』終盤、第47話「宇宙の渦」において、ハマーンのキュベレイとカミーユのZガンダムは、戦闘中に精神が共鳴して、深いレベルでつながる。
『ガンダム』でのアムロとララァを彷彿とさせる、ニュータイプ同士での「僕達は分かり合える」シチュエーションの再来ですね。

この場面のキャストは高いニュータイプの素養を持つハマーンとカミーユの2人だけ。
「光る宇宙」での「シャア」や「妹(セイラ)」のような要素が参加していない。
『ガンダム』で達成し得なかった、敵味方を越えて、ニュータイプ同士で心が通じ合える条件は揃っている。「光る宇宙」のその先へいけるかも知れない。

だが皆さんご存知のとおり、ニュータイプであるハマーン本人が、カミーユを拒絶します。

ハマーン「よくもずけずけと人の中に入る。恥を知れ!俗物!」
カミーユ「やめろ!僕たちは分かり合えるかもしれないだろ。ここに来るまで……」
ハマーン「黙れ!貴様もシャアと同じだ!」
ハマーン「貴様は確かにすぐれた資質を持っているらしいが。無礼を許すわけにはいかない!」


そうだった。
ニュータイプ能力があろうと、人間は分かり合えることを拒絶していく愚かな生き物なのだったな。
この場面は2人だけである必要があり、当事者である2人でないと、この絶望がきちんと露わにならなかっただろう。

私は「ニュータイプのドラマ」というのは、最初のサンプルであるララァの死の場面で基本的には終わっていると思っています。最初の機会でよくあれをやったな、と出し惜しみのなさに感動を覚えます。
ガンダムにおいて、ニュータイプという異能者を通して常に逆説的に描かれるのは、あくまで人間です。ニュータイプは人間を描くための悲しき戦争(アニメ)の道具と言ってもいい。
そこで描かれるのはもっと言ってしまえば、「人間は分かり合えない生き物だ」というひとつのテーマ。
これは人として逃れ得ない絶望だ。確かに、これを結論としてしまうなら絶望のままで終わるだろう。
だが、分かり合えないということを分かり合っていくことはできる。それが唯一の希望だ。
そのことを示すには、長い時間と多くのドラマが必要となってくる。

だから宇宙世紀では、はじめに起きた絶望を出発点にして、ニュータイプのドラマをさまざまなバリエーションで延々と繰り返していく。
ハマーンとカミーユのドラマもそのバリエーションのひとつでしかない。
ニュータイプとして心を開いた悲劇(ララァ)に対する、心を閉じた悲劇。絶望のバリエーション。

とはいえ、なぜこの場面でハマーンは心に踏み込まれるのを頑なに拒んだのだろうか。
それはハマーンの「貴様もシャアと同じだ!」のセリフにあるとおり、カミーユより以前にハマーンの心に入った人間がおり、その人は彼女を救ったかも知れないが結果的に大きな傷を残したからなんだろう。
ハマーンがこういう人間になったのは、彼女自身の性質もあるかも知れないが、シャア・アズナブルに大きな責任があると思っていいはずだ。

もちろん例えばの話だが、シャアが年上の男性としてうまくハマーンを導くことができていたら、仮に対立してもハマーンから逃げ出さなければ、彼女がカミーユを拒絶するようなニュータイプにならなかった可能性はあると思う。

そう考えれば、「光る宇宙」から「宇宙の渦」までがニュータイプのエピソードとして、物語のひとつのサイクル。
一年戦争末期、ニュータイプに夢を見始めていたシャアが、宇宙世紀はじめてのニュータイプ同士の精神の交流という歴史的な場面を、個人的な感情で崩壊させてしまった。
その後シャアは、失った妹とララァの代用品であるハマーンを得るが、結局のところ彼女を傷つけ、責任も取らず逃げだしてしまう。
さらにその後シャアは、カミーユという新たなニュータイプの素材を見つけ、シャアが見出した2人のニュータイプであるカミーユとハマーンが戦場でついに出会う。
そして、カミーユはアムロがララァにしたのを同じことをしようとして、ハマーンに、分かり合えるはずのニュータイプ本人に拒絶されてしまう……。

ハマーンによる「光る宇宙」の再演は、シャアにとって「ララァの因果に、ハマーンが報い」であり、因果応報といってもよいのではないか。

ハマーンは、その昔シャアがララァに求めたように、カミーユとの「戯言(ざれごと)」を途中でやめましたからね。
よかったですね、クワトロ大尉。ハマーンはララァと違って、あなたがいなくても戦闘中の「戯言」をやめる人間に育ちましたよ(にっこり)。

シャアは、この一連のニュータイプドラマに常に中心で関わりながら、あまりの人間らしさゆえに悲劇しか生み出せない役割を与えられています。
ニュータイプというものの可能性をあの時点で最も信じていたと思われるシャア・アズナブルが、ニュータイプ同士で起こった宇宙世紀初の交流を自らの手で壊し、さらに次世代のニュータイプ同士の出会いと拒絶にも影響を与えた、というのは運命の皮肉というほかありません。

シャアのことを揶揄する「ニュータイプのなりそこない」という言葉がありますが、その言葉はモビルスーツでの戦闘能力などではなく、この一連のドラマの主人公としてこそふさわしいものだと思います。
本当に彼はニュータイプになりそこなった。もう人間そのもので人間以外の何者でもない。私達と何も変わらない不完全きわまりない人間です。
愛されて当然のすばらしいキャラクターだと思います。

※参考
『Zガンダム』のこの場面については、TV版と劇場版で異なる部分があります(流れ自体は変わりません)。
それについては、以下をご参考になさるとよろしいかと思います。
カミーユとハマーンの交感(テレビ版と劇場版の違い) - 『だからtominoは・・・』ライナー・ノート(仮) - だからtominoは・・・

UC0088 『機動戦士ガンダムZZ』


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そして『機動戦士ガンダムZZ』。
『ZZ』についてはまた別に記事を書く予定ですし、自分の中でも整理しきっていないので、あくまで「シャアとハマーン」という今回の流れに沿ったものだけにしておくことにします。

「主人公」はジュドー・アーシタに変わります。ジュドーにはガンダム主人公で初めて「妹」のリィナがいます。

ポイントは「シャア」の不在。当初の想定では、後半に登場予定だったのですが、映画『逆襲のシャア』製作決定を受けて、『ZZ』への出演が無くなってしまいました。
「ニュータイプ少女」はハマーンが引き続き登場しますが、前述のようにハマーンは、シャアありきのキャラクター。シャア不在の物語である『ZZ』はいったいどうなっているのでしょう。

0088

見取り図を見ていただくと分かるのですが、シャアの要素は、主人公ジュドーと、ネオ・ジオンの士官グレミー・トトの2人で分け合うような形になっています。シャアの表裏をそれぞれ担当します。

ジュドーは、妹がいるお兄ちゃんで、ハマーンにシャアの気配と勘違いさせるガンダム主人公です。
グレミーは、そもそもが出演キャンセルとなったシャアの代わりを務めるためのキャラクターで、血統に支えられた金髪エリートで、ニュータイプ少女を手中にしています。

『ZZ』前半では、ジュドーとグレミーで、リィナの保護権を巡って取り合いを繰り広げます。
グレミーはジュドーの実妹リィナを手に入れることで、より本物のシャアに近づくことができます。
対するジュドーは、グレミーの支配下にあるニュータイプ少女(プル、プルツー)を解放して保護していきます。
ジュドーとグレミーの戦いは「妹(偽妹)」「ニュータイプ少女」を手に入れ、シャア・アズナブルに近づくための戦いと言ってもいいかも知れません。

ただ、シャアの半身ゆえにジュドーもグレミーも、不完全な兄ではあります。

ジュドーは妹リィナに対して、過保護な愛情を与えます。お前はオレのようになるな。幸せにしてやるから兄ちゃんのいう通りにしてろ。愛情はたっぷりですが、近視眼的で危なっかしく心配な兄です。

一方のグレミーは、ジュドーには与えることができない、豊かな生活と高等教育を与えることができます。
しかし、妹リィナに愛情を注ぐ一方で、同じような年頃の少女であるエルピー・プルを平気で戦争の道具に使うことができる兄です。
(シャアが妹セイラに与えた「過保護な忠告」が、ジュドー。贈った「金塊」が、グレミーともいえます)

不足している半身は、ジュドー自身が持つパーソナリティで補って、より強い存在になるべきなんでしょうね。

■ハマーンのシャドウ、プルとプルツー


同じように、ハマーンのキャラクターも、プルとプルツーという2人の少女に分かれています。
後期OP「サイレント・ヴォイス」にもそれを象徴させるような、プルとハマーンが重なるカットがありますね。



プルとプルツーは、ダークサイド・シャアであるグレミーに支配されています。
2人を解放していくのが、ライトサイド・シャアであり、宇宙世紀最強のお兄ちゃんであるジュドー。
それを達成したからこそ、ジュドーは最終回で、ハマーンと一騎打ちする資格を得ることができる、と『ZZ』全体を考えることができるかも知れません。

そもそもアクシズはジオンの残党の集まった小惑星で、国力も限られ、兵たちも練度も低い。
でもアクシズにはろくな大人がいない。将官も兵も(そして外部でも)多くが「ハマーン様!ハマーン様!」と呼び崇拝するが、愛染(『BLEACH』)なら「崇拝は、理解から最も遠い感情だよ」と言うかも知れない。
「ハマーン様」と呼ぶ人間は、ハマーンにとって最もどうでもいい存在だろう。必要とあればマシュマーのように強化でもして使うまで。
例えばラカン・ダカランあたりは大人に見えるが、結局、ハマーンとグレミー、小娘と小僧の間を行ったり来たりするような存在にすぎない。頼れる大人がいない。パートナーがいない。私はいつも孤独だ……。

多分、ハマーンの期待に応えられるような強い存在は、富野由悠季が言うところの「迷いを捨てたシャア」しかいない。アムロをあっという間に消し、ジュドーやグレミーもお話にならない。多分、ハマーン自体もすぐに殺し、アクシズ全軍を掌握してしまうような男。それこそがハマーンが望む強い存在。

もちろん「迷いを捨てたシャア」というのは、辞書にも「ありえないものをあらわす例え」と書いてあるので、どこにも存在しない。

でも地球圏には、強い大人の男はいなかったが、強い子供はいた。

強い子供であるジュドーが面白いのは、彼はハマーンと面と向かって、批判し、説得し、コミュニケーションをとろうとするんですよね。
実は、ジュドーにはアムロや、カミーユと同じ形でのニュータイプの交感シーンがない。
これを「ニュータイプ能力が一段劣る」ジュドーと言えないこともないですが、私はむしろ、ハマーンに対してはそんなジュドーだからこそ良かったのだと思います。
ジュドーは、ニュータイプ力で心の中に入ろうとはせず、正面から人間として対話しようとした。
ニュータイプであるがゆえに傷を負い心を閉じたハマーンにとっては、恐らくその方が好ましい存在だったと思います。

そんなハマーンの最後のセリフは、有名なこれでした。

ハマーン「帰ってきてよかった……強い子に会えて……」


エピローグでは、死んでいたと思った妹リィナが、シャアの妹セイラによって救われており、涙の対面を果たしますが、ジュドーはリィナに別れを告げて、木星に旅立ちます。
これはもちろん『逆襲のシャア』とジュドーを無関係にする意義が大きいでしょうが、妹と別れ、他者であり妹ではない女性ルー・ルカと旅立つというのは、物語の落としどころとして、それなりに意義のあることだったと思います。(このあと、ジュドーとルー・ルカの関係がどうなるかということはどうでもいい)
リィナは元より、プルもプルツーも、そしてハマーンも、妹たちはジュドーのそばにいることは許されませんでしたし、ジュドーも言い方は悪いですが、彼女らの死(リィナの死も含め)を通過儀礼としたようです。
こうも多くの少女が死なないと得られない少年の成長ってなんなんでしょう、と思わないでもないですが。

ちなみにシャアの要素をジュドーとグレミーが受け持ったり、ハマーンがプルとプルツーに分かれて、グレミーに支配されていたりするのは、永井豪『バイオレンスジャック』と思えばわかりや…す…くは全くないけど、面白いよね。『バイオレンスジュドー』。豪ちゃん世界では割りとよくあることなので。
ハマーンを飛鳥涼とした場合、ジュドーがジャック(逞馬竜でもあるけど)、グレミーがスラムキングかな?

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巻末付録など


今回はシャアを中心に『ガンダム』から『ZZ』までのニュータイプの因果を振り返ってみました。
もちろん要素を絞ったので、シャアもハマーンもここに書いたことはある一面に過ぎません。

『ZZ』については、また違った角度で別の記事を書く予定です。
『ZZ』はいまいち掴み切れなくてスッキリしないのですが、もともと外部要因などもあって歪みを内包する作品なので、歪みなくキレイに整理できたら、それはそのために何かを歪めているような気もします。
だから矛盾や不明点を抱えたままでいいかな、無理に整理しなくても、と今は思っています。

さて、各パートで使用した見取り図ですが、これを全部つなげた大きな画像を作成しましたので、巻末付録(おまけ)として置いておきます。
あくまで本記事に必要だった四要素だけですが、宇宙世紀0079~0088を一覧できますので、シャアさんの因果応報ぶりでも確認して楽しんでみてください。

※画像が大きいので縮小しています。クリックして別ウィンドウでご覧ください。
『機動戦士ガンダム』シャアを中心とした、ニュータイプ因果の流れ
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