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生きているからつらいんだ!生きているから!
キ・テ・イ・ル、といえば現在、大人気放送中のアニメーション作品『キルラキル』。
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私も毎週を楽しんでいるわけですが、特に好きなシーンはこれですかね。

とある病院の病室で、ベッドに横たわる少年と付き添いの母。

まさお「……ママ、どうせ僕、死ぬんだろ?」
母「怒りますよ、そんなこと言ってると!そう今日はね、グランドチャンピオンさんがお見舞いに来てくれるのよ」

そこへSPを伴って、ツカツカと病室に入ってくるひとりの少女。

少女「いやー、まさお君、神衣着用者、鬼龍院 皐月だよ」
まさお「あなたがグランドチャンピオン?」
少女「グラ……神衣着用者、鬼龍院 皐月だよ」
まさお「神衣って、極制服よりすごいの?」
皐月「ははははは。極制服よりすごいかだって?」
皐月「極制服は少しの努力で誰でも着られるんだよ。神衣というのはね、一つ星を着てー、二つ星を着てー、三つ星を着てー、天下に乳房を晒しても恥ずかしくない人間だけが着れるんだよ」

まさお「僕もいつか神衣が着れるかな?」
皐月「着、続ければね」

サラサラと色紙を書く鬼龍院 皐月。

皐月「着られる前に、着ろ」
皐月「人間はね、着る人間と着られる人間の2種類に分かれるんだよ。君には『着られたい男No.1』になって欲しいな」

書いた色紙を少年に渡す鬼龍院 皐月。

皐月「じゃあ鬼龍院 皐月は行くからね」

病室を出て行く鬼龍院 皐月。廊下から聴こえる声がだんだん小さくなっていく。

皐月「右足着てー、左足着てー、右手着てー、左手着てー、股間着てー、着続けるんだよ……」


こんなシーンなかったって?そんな瑣末なことにこだわっていたら大きなことは成し遂げられません。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんやですよ。そら陳勝・呉広も乱起こすわ。

さて『キルラキル』本編については、今はただ楽しむことにして、今回は背景でにぎやかしを務めるモブキャラクター(群衆)のおはなし。

『キルラキル』本能字学園のモブたち


『キルラキル』に登場するモブ、その中でも特に物語の舞台となる本能字学園の一般生徒たち。
彼らは名もなく、個別認識もできず、背景として後ろをにぎやかす存在に過ぎません。

でも私はなぜか『キルラキル』のモブたちに懐かしさを覚えます。
彼らは自分たちがモブであることを自覚しながら、主人公たちが繰り広げるドラマをいちばん近くて面白いポジション(視聴者よりもエロい角度、とも言えるかも知れないが)で見ようとしている。
要するに物語の本筋とほぼ無関係に、モブが欲望を持っており、貪欲に行動しているんですよね。
もちろん、モブがそんなことをしたところでストーリーへの影響は全くないのだけれど、だからこそ好き放題やっているともいえる。

そんな『キルラキル』のモブ見て、個人的な懐かしさを覚えるのはなぜなのか?
それは、私の思春期に大きな影響を与えたマンガ『宇宙英雄物語』のモブたちを連想するからです。

『宇宙英雄物語』私立恒星高校のモブたち


『宇宙英雄物語』は、『キャプテン・フューチャー』をはじめとしてSFのオマージュ、パロディ盛りだくさんのスペースオペラ。

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モブが印象的だったのは特に物語前半、私立恒星高校を舞台としたドタバタコメディのころ。
『キルラキル』での本能字学園の生徒と同じく、恒星高の一般生徒たちがモブを務めます。
彼らは主人公たちのドラマや戦いを、まるで祭りや芝居でも見物するように楽しんでいて、私は当時、主人公ではなく、このモブたちに感情移入し憧れを抱いていた。

Wikipediaの『宇宙英雄物語』ページ内「恒星高校」の項目が、モブたちをよく紹介していたので、これを引用してみましょう。

私立恒星高校(しりつこうせいこうこう)

グリフィス財団旗下の私立学校法人。十字や咲美達の通う高校で物語前半の舞台。住所は東京都中野区茅古町1-1-1。グラウンドに星詠み号が封印されている。ロジャーが創立した、海外に三つの分校を持ち大学並の施設を所持する。
全校生徒、全教員がハイテンションでお祭り好き。騒動があれば報道部や映画研究会が駆けつけ、話が脱線すると演劇部が盛り上げ、面白いという理由で十字に付きまとい、女生徒たちは「物語はヒロインを交えて盛り上がるべき」としてヒロインの座を射止めるべく十字にアプローチをかけ、更に戦闘時にはサバイバル研究会が戦術を担当する。


彼らは物語をいちばん近くて面白い位置で見ることについて貪欲だ。必要とあれば(あくまでモブとしてだが)介入も辞さない。
引用内にもあるように、主人公たちが本筋から脱線しそうになったら演劇部女子が軌道修正したりしていたが、あれも物語進行上の要請というより、観客(モブ)としてより面白いものを見るためだったように私は感じていた。

つまり物語への奉仕というより、あくまでモブたちが面白がるための欲望ベースによる介入。
結果、彼らは物語をいちばん近くて面白い位置で見ていたと思う。読者である私よりも。

だから私は当時、モブになりたかった。より正確に言えば、モブの位置で物語を眺めて、背景で物語に参加したかった。時には爆発に巻き込まれて吹っ飛ぶ危険性があるにしても。
『お笑いウルトラクイズ』のにぎやかし参加芸人みたいなものかも知れない。決してメインにはなれなくても、米軍バズーカが飛んでくる○か☓の前にはいたいし、宴会場でのプロレスコーナーでダブル猪木が降臨するのを目の当たりにはしたい。

人によってはモブでもいいから入りたい学校が、例えば「友引高校」だったり「蓬莱学園」だったり「麻帆良学園」だったりするかも知れません。この辺りは、世代だったり好みだったりするでしょうね。

余談ですが、マンガ雑誌購読歴として思春期にコミックコンプ(『宇宙英雄物語』連載誌)を買うルートに入ったことがのちの自分の方向性を決定的にしたと、今から考えると思います。
これは冗談ではなく、そこのセーブポイントからやり直して、他の雑誌を買ってたりすれば、また違う人生があったはず。それが良いか悪いかは別として。

ジェラシーが止まらない。


『キルラキル』の本能字学園は、モブ生徒になるにしても過酷すぎる環境ではありますが、それでもモブたちは、主人公たちが進めている本筋のドラマとは全然関係なく、モブとしての欲望や面白さを自分勝手に追求しているところが良いですね。

物語に奉仕する気が全然ない結果、エロスの塊のようなモブも多くて、好印象を抱かない方もいるかも知れません。実際『キルラキル』モブに対して否定的な発言もネットでは見受けられたましたが、画面を見てる視聴者より、画面内の名もないモブの方が絶対楽しんでるはずなんです。むしろそこに嫉妬すべき。

少なくとも私は嫉妬を感じますね。やつらが私より楽しんでいるさまを見て感じるのは嫌悪感ではなく嫉妬。ジェラシックパーク開園です。

『あしたのジョー』のホセ戦でドヤ街の子供たちが試合を見に来ることができなかったように、『キルラキル』も今後の展開によっては、のんきなモブなど出る余地も無い展開になるかも知れません。個人的には学園と生徒モブたちに何らかの出番があればな、とは思いますが。

純粋に作業コスト的な意味でもモブ大活躍が無くなるかも知れないけれど、できれば背景で爆発に巻き込まれて彼方へ吹っ飛んで欲しいと願ってやまない今日この頃です。

呼びかけよう名前を すばらしい名前を


『宇宙英雄物語』のモブといえば、もうひとつ大好きな場面がありました。
主人公に「吉田」と名前を呼ばれた友人役のモブキャラが「そうか、俺、吉田かぁ」と感動するシーン。
名もない彼はこれにより「吉田」というキャラクターなったわけです。

私たちは全員が、一人ずつひとつのビュリホーネーム(ゴダイゴ)を持っているわけですが、物語世界のキャラクターは必要でなければ名前が与えられない。
しかし主人公が「吉田」と、名前を呼んだ瞬間に、そのキャラクターは「吉田」であることが確定します。まさに、名前それは燃える生命(いのち)。

私の大好きなマンガ家のひとりである那州雪絵は昔、キャラクターを命名する時に「そのキャラクターが他の誰かに名前を呼ばれる(イメージ)からつけることがある」みたいなことを言っていました。
創作手法としてなるほどな、と思った覚えがありますが、これも誰かに名前を呼ばれることで、名前持ちの個別キャラクターとして確定されるパターンと考えることもできますね。

量子将棋のプレイヤーではないですが、主人公が行動することによって物語世界が確定していく。
モブキャラに名前を付けて呼んだことで「名前付き脇役」として確定されましたが、さらに「お前確か野球部だったよな?」と言えば、彼はその瞬間、野球が得意となるでしょう。
「お前んち、ラーメン屋だよな?食べに行こうぜ」と言えば、ラーメン屋の実家と店主である両親が生成されるはずです。

で、この「主人公が物語世界を生成する」というネタを考えていくと、これが結局『涼宮ハルヒの憂鬱』なんだということに気づき、基本構造の優秀さを改めて思い知ったりするのでした。

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『彼氏彼女の事情』のモノクロモブ


アニメのモブ全体を俯瞰して語れるわけではないので、あくまで個人的に印象に残っているモブが出てくる作品をいくつか。
贅沢で上手なジブリのモブとかではなく、むしろ演出処理上の理由で(あえて)いびつな処理をしているようなものの方が印象に残りますね。

『彼氏彼女の事情』がアニメになったときには、教室内のクラスメイト(モブ)がモノクロ処理されていたのが印象に残っています。手元に映像がないのでまさに記憶の印象だけなのですが。

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モノクロモブは、純粋に省力化だったり、このアニメのテーマのひとつである、コミックっぽさを表現する手法のひとつだったりするのでしょうが、何より恋愛が大きなウェイトを占める作品として効果的だったように思えます。

つまり少女マンガ世界では「わたし」と「あなた」は華やかに色づき、それ以外はグレースケールでいいんだな、と、背景に溶けこむモノクロモブ学生だった私は感心したりしました。

他の作品、特に少女マンガ原作の作品では他にも同手法がありそうですが、私はそれらの作品をあまり見ておらず、『彼氏彼女の事情』も正直、庵野監督&ガイナックスだから見たというぐらいなので、どれくらい普遍的な処理なのかは分からないですが。あくまで自分にとって印象的だったのが、カレカノだったということですね。

『輪るピングドラム』のピクトグラムモブ


『輪るピングドラム』ではメインキャラクター達以外のモブたちが、ピクトグラムの域まで抽象化されていました。

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シーンの都合上、人間の姿でなければならない場合は、ちゃんと人間のキャラクターにしていましたので、あくまで演出上の処理としての記号、ですね。

これを見た時に思い出したのは、学生時代の友人でした。
彼は一緒に街を歩いているときなどに「今、通り過ぎた女の子、かわいかったな!」みたいなことをよく言っていました。
下手すると一瞬で通り過ぎる車の中の女の子にまでチェックを入れていたりして、全然、他人の顔を見ておらず、覚えてもいない私は「よく見てるなそんなとこまで」と、ある種、感心していたのでした。

彼が周囲をそこまで見ていられるのは、もちろん単に「女の子だいすき!」ということもあるだろうけど、通り過ぎる他人と自分の人生が無関係だと思っていないんだな、と私は感じました。
行き交う人々は赤の他人に過ぎませんが、例えば、女の子に話しかければ一緒にお茶に行けるかも知れないし、居酒屋でとなりのサラリーマンと意気投合するかも知れないし、路地のネコと一緒に散歩するかも知れない。

私はそういう世界認識ができない人間なので、行き交う人々の顔は目に映っていると思うけれど、自分に全く関係がないものとして脳が処理をせず、何も覚えていない。
極端にいえば『輪るピングドラム』のピクトグラムモブのような処理を脳内でしている。すれちがう人の存在自体は認識していて避けて歩くけれども、顔がない。

もちろん雑踏で全ての人を個別認識するような人はおらず、みんな適度に解像度を落としていると思うけど、それこそ程度問題で、自分は抽象化がひどいな、と感じた。
少なくとも社交的だったこの友人は、自分のように知り合い以外を全てをピクトグラムにはしていなかったのだろうと思う。

『輪るピングドラム』は物語上選ばれた演出なので何も問題はありませんが、私のこれは自分が無意識に選択した世界の見え方で、閉鎖性や非社交的なところがよく出ていると思う。今は多少解像度が上がったかな?

そんな記憶もあって、この作品のピクトグラムモブが、とても印象に残ったのかも知れないですね。
せっかく記号化されているのですから、物語を進行するメインキャラクターたちに集中すればいいものを、なぜかピクトグラムのモブに関心が向いてしまうという。

みな自分自身の物語の主役である一方、誰かにとっては単なる背景のモブであったりします。
フィクションのモブが何らかの意図を持って演出されているのと同じように、あなたの世界の見え方も脳内が演出処理した結果なのかも知れません。
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