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『機動戦士ガンダム』シリーズに登場するロボット「モビルスーツ」は、宇宙戦争で使われる兵器です。

スペックや武装なども細かく設定されており、ファンはミリタリー的な楽しみ方をすることが出来ます。
プラモデルもかつてその要素を取り入れて発展しましたし、現在でもネットでは「どのガンダムが最強か」などの議論が発生し、検証するためにミリタリー的な見地が持ち込まれたりもします。

私は残念ながら、プラモデルも買いませんし、ミリタリー的な知識も素養もないので、そういう対象としてのモビルスーツには全く興味がありません。
興味があるのはやはり、物語内に登場する「キャラクター」としてのモビルスーツということになります。

フィクションに登場させるためにつくられた架空兵器なのですから、登場人物(キャラクター)と同じように、当然そこには登場させる意図と、物語上で果たすべき役割があるはずです。
機械であり兵器であるモビルスーツを、どうすれば物語中で「キャラクター」にできるのでしょうか。

今回は、いくつかのサンプルをもとにあれこれ雑多に考えてみましょう。
(いつもどおり、当然いろいろ脱線します)

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『ガンダム』シリーズに、主役ロボット「ガンダム」が登場する意味とは


先日とあるきっかけで、『機動戦士ガンダム』シリーズにおいて主役ロボットが「ガンダム」である意味についてツイート連投しました。
一連の流れに関しては、あでのいさん(@adenoi_today)が、Togetterでまとめてくださいましたので、ぜひご覧ください。私はともかく様々な方の発言が集まっており、興味深いものになっていると思います。

ガンダムが「ガンダム」である意味
http://togetter.com/li/630810

詳細は読んで頂くのが良いですが、私のパートは基本的に『機動戦士Zガンダム』についてのもの。
簡単にまとめると以下のような感じになります。

(1)「ガンダム」の名を継いだ主役機ガンダムMk-IIが、突出した性能を持たないのは「7年後の世界」の現状認知としては普通のこと。
(2)Mk-IIは「ガンダム」の顔と名前を利用しているだけのガンダム。
(3)Mk-IIに限らず『機動戦士ガンダム』以降のガンダムは、全てガンダムのフェイク(偽物)。
(4)Mk-IIに対してのZガンダムの価値は「父から与えられたガンダム」ではなく、カミーユが開発に関わったこと。


『機動戦士ガンダム』以降のシリーズでのガンダムが、いかに「ガンダム伝説」を利用したフェイクであるか、というのは『ガンダムF91』『Vガンダム』を中心に、あでのいさんが語ってくださっています。

私は『機動戦士Zガンダム』をリアルタイムで見ていた子供のひとりでしたが、ガンダムMk-IIが主役機にふさわしい強いロボットであると思ったことはありません。
これは私や周りの友人を含めた当時の子供の共通認識だった思います。

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確かにガンダムMk-IIは、初代ガンダムのようにスペシャルなロボットではなく、普通のロボットに過ぎませんが、『Zガンダム』において、それが間違っているとは思いません。
作品上の必然から来る「偽物のガンダム」という微妙なポジションのキャラクターをきちんと果たしています。
無論すべてが上手く表現できているとは思いませんが、意味なくMk-IIがああいうモビルスーツになったのでは無いのは確かだと思います。

まあ、そもそもタイトルが二代目主役機の名を冠した『機動戦士Zガンダム』でしたしね。
同じように二代目機が登場する『ザブングル』『ダンバイン』『エルガイム』はタイトルが初代主役機名になっていました。

その番組名を冠した正真正銘の主役機「Zガンダム」については、Twitterで興味深い情報を知ることができました。

「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」「Zガンダムにね」



『Zガンダム』の主人公カミーユ・ビダンのモデルが、彫刻家カミーユ・クローデルであることは有名ですが、ロダンとクローデルとの関係と「Zガンダム」という機体とカミーユとの関係との関連というのは初耳でした。

そこで早速、LDライナーのインタビューについて検索してみると、さすが!ひびのたわごとさんが紹介してくださっていました。関連箇所だけ引用させて頂きます。

ZガンダムLDライナー富野インタビューby庵野
http://dargol.blog3.fc2.com/blog-entry-3937.html

庵野:カミーユ・クローデルって、その後映画にもなりましたけど、その頃は誰も名前知らない人ですよね。半生を精神病院で過ごした女性(ひと)で。カミーユも最終回で精神をやられちゃいましたが、それもクローデルに影響を受けて?

富野:もちろんです。あの時は「エルガイム」の反動で本能的にクローデルみたいな人をモデルにしたんだけど、今ならうまく説明できる。カミーユ・クローデルにとっての師ロダンの位置づけが、カミーユ・ビダンにとってのZガンダムだってっていう。その構造が僕にとって一番シンプルにとらえられる。クローデルとロダンの関係というのは、愛人関係でありながら、じつはロダンの半分くらいの作品を彼女が作ってたんじゃないかという。でも世間的には、クローデルの作品もロダンが作ったんだと見なされて、失意の中で彼女は精神をやられる。反対にロダンという人はそのおかげで美術史に残っていったわけ。でもひとりの人間として考えると、ロダンが自分ひとりで成立していったかといえば決してそうではない。クローデルみたいな人もいたんじゃないか。と同じように、ガンダムだけで「ガンダム」が出来るわけではない。要するに「表現される人と物の関係」を、クローデルとロダンの関係は象徴的に表しているサンプルだったんです。だからカミーユに惚れこんじゃた。


インタビュー読むと色々連想されて面白いですね。

例えばベルトーチカに「アムロにガンダムを譲れ」と言われたこと。
つまりこれは、アムロが乗ってないと『機動戦士ガンダム』じゃないでしょ?ということですよね。
だがカミーユは、アムロにガンダムパイロットの座を譲らなかった。

あとは、エマさんによる「私の命を吸って」問題。
エマは最終回「宇宙を駆ける」で、Zガンダムは人の意思を吸い込んで、自分の「力」にできるとカミーユに伝えています。だから、死にゆく私の命を吸って、とカミーユに頼み、そして死んでいく。

Zガンダムが持つ「力」というのは、同じく最終回シロッコ戦で、フォウとロザミアも語っています。

フォウ「カミーユはその力を表現してくれるマシーンに乗っている」
ロザミア「Zガンダムにね」


エマもフォウも、Zガンダムというマシンにその「力」があると言っています。カミーユではなく。

もちろん、アポリーの乗ったZガンダムに同じことが出来るかといえば、出来ないでしょう。
ですが、やはりこれは「ガンダム」の力なんでしょう。ただし、それには人の命とマシンとをつなぐ、霊媒体質のパイロットを必要とする。

そう考えるとカミーユは、神に捧げられた人身御供の巫女(というとカミーユに殴られるけど)だよね。
自分自身のというより、多くの人の意思を背負って、神にその願いを伝える役割。
そしてエマは、カミーユに与えられたのがその役割であることを、最終回で告げる役だよね。

エマは「命を吸って、力にして、戦いを終わらせなさい」と言います。
それはエマさんらしい正しさに則った言葉です。姉として最後の励ましでもあります。はっぱかけたげる、さあカタつけてよ!です。最終回にふさわしい正論といってもいい。

でも、カミーユはここまで来るまでに、死んだ多くの人たちの命を吸ってきています。背負う荷物はもう限界ギリギリです。そこにさらにひとつ荷物を載せて、さらにここまで誰も直接本人には言ってなかったのに、カミーユが最後にすべき事を具体的に伝えてしまう。

繰り返すが、エマさんの言うことは正しい。
作劇上も、最終回冒頭でラストのために、あらかじめこれを言っておくのは正しいと思う。

でも残酷だ。正しいが残酷だ。カミーユはエマに言われたとおりのことをして『Zガンダム』は終わる。

『機動戦士ガンダム』いう作品がなければ『機動戦士Zガンダム』は当然生まれなかったし、カミーユも「ガンダム」によって生み出されたキャラクターです。
相田みつをに言わせれば「Zガンダムはねぇ カミーユのために この世に生まれてきたのでないんだよ Zガンダムがさき カミーユはあと」。

主人公としてガンダムに乗り、多くの人を殺し、多くの人を殺され、そして1年でその主役を降り、翌年に始まる『機動戦士ガンダムZZ』への道をつくって、主役をジュドーに譲りました。
まさしく「ガンダム」のために生まれ、命を使ったキャラクターだったな、と思います。

これを考えると『ガンダムF91』で、カロッゾ・ロナが「人をいっぱい殺しなさい」と言われて、鉄仮面をかぶり、自らを強化改造して、マシン(ガンダム)に近づいていったというのが面白いよね。
バグを使った虐殺を、カロッゾが「誰も良心を痛める事のない良い計画」と言う意味が分かるというか、カミーユみたいに人の命を吸いたくなければ、ああいうのを使うしかないかも知れない。

『逆襲のシャア』終盤でも、ナナイが「大佐の命が、吸われていきます……」と語っていましたが、「ガンダム」というコンテンツがこれまでにどれだけの人の命を吸ってきたのでしょうか。
これからも吸い続けるでしょう。

MAは城、MAは石垣、MAは堀、情けは味方、仇は敵なり


ティターンズは、ガンダムMk-IIを奪われたあとも、サイコガンダムというモンスターのようなフェイクガンダムを開発しています。

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パイロットは、ニュータイプのフェイクである強化人間のフォウ・ムラサメ。
名前も記憶も何も持っていないフォウは、それを取り戻そうと巨大なモビルスーツ・サイコガンダムに乗り込み戦います。

ガンダムの強化人間少女たちは、少女たちのイメージとは真逆な、巨大で暴力的なマシンに乗り込むことが多いですね。例えばこんなメンバー。

・サイコガンダムのフォウ・ムラサメ
・サイコガンダムMk-IIのロザミア・バダム / プルツー
・クィン・マンサのプルツー
・α・アジールのクェス・パラヤ


並べてみただけで恐ろしいラインナップですね。

以前書いたことがありますが、これら巨大なモビルアーマーはその名のとおり彼女たちの心の「鎧」いや、彼女たちが囚われている心の「城」です。

思春期の少女たちは、それぞれの理由で不安定。
アイデンティティに悩み、自意識が肥大した少女ほど、その「城」は堅牢巨大な要塞となります。
モビルアーマーの巨体は、触るものみな傷つける不器用なギザギザハートの現れであるかも知れず、少し動いただけで世界とそれと同時に中に囚われた少女自身を傷つけてしまいます。

これらのモビルアーマーは全て拡散メガ粒子砲を持ち、ビームを四方八方肘鉄砲にまき散らしながら大暴れしますが、これはつまり少女の大号泣です。
女の子が泣きじゃくっているわけです。他傷・自傷行為しながら、ぎゃんぎゃん泣きじゃくっているわけです。めちゃんこかわいいね!(崩れゆく街並み)

『イデオン』の全方位ミサイルみたいなのと同様に、兵器による感情の発露ですね。

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モビルアーマーに籠城している彼女たちを解放するために、ガンダムの主人公たちは攻城戦に挑みます。
城攻めの方法として、暴力で屈服させようと言う人もいますが、やはり接触して(体をくっつけて)話しかけて、落ち着かせるべきでしょう。
しかし、カミーユやハサウェイを見て分かるように城門を開かせる(コクピットを開かせる)のは容易ではありません。

カミーユは結局、サイコガンダムがジェリドのバイアランの攻撃から庇ったことでフォウを失っています。
エルメスに庇われてララァを失ったシャアと同じような体験をしたわけですが、エルメスならともかく人型のサイコガンダムがなぜコクピットのある頭部で庇って一撃で死ななければならないのか、ということはよく言われますね。

またサイコガンダムMk-IIのロザミアの場合では、「かわいそうだが、直撃させる!」のセリフと共にカミーユ自身が葬り去っています。
こちらは「殺す側」という意味では、アムロがララァを殺してしまったのと同じような体験といえます。
カミーユはこのとき頭部コクピットを一撃で撃ちぬいていますが、フォウを同じように頭部への一撃で失った体験が、この見事な射撃につながっているのだとしたら、こんなにやるせなく、不条理なことはないと思います。

一方、ジュドーは攻城戦が巧みで、終盤でもクィン・マンサのコクピットを開けさせたことが、グレミー・トト直接の敗因にもなっています。
(結果的に、少女を救い切れてないのがやるせないところなのですが)

以上、メガ粒子が乱舞する巨大モビルアーマー戦は「号泣少女とそれに困る男子」のアングルで見るとより楽しいよ、というお話でした。かわいいね!(廃墟の中で)

もちろん作品の性質上、搭乗するモビルアーマーが先に決定しているような場合の方が多いのではないかと思います。
ただ、このような巨大で暴力的でバカげたマシンにどのような人物をパイロットとして乗せるのがふさわしいのか、ということを考えたとき、極めて精神的に不安定な少女たちが選ばれたのは組み合わせの妙を感じます。慧眼と言うほかないですね。

単なる兵器であるモビルアーマーが、強化人間の少女たちを得ることで、ひとつのキャラクターとなり、私達に強烈な印象を残すものになったのですから。

ちなみにこの流れで見たときに『ガンダムF91』で、モビルアーマー「ラフレシア」に搭乗するのが、ベラ・ロナ(セシリー)ではなく、その父カロッゾ・ロナ(鉄仮面)であることがやっぱり面白いよね。モビルアーマーにふさわしい精神的に不安定なパイロットは娘ではなく、自らを強化人間の手術を受けた父の方だという。

アムロとシャア、2人の初めての共同作業です


号泣少女のひとりであるクェス・パラヤのα・アジールが登場する『逆襲のシャア』。
主役となるモビルスーツは、もちろんアムロ・レイの乗機、νガンダムです。

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ガンダム以降のガンダムは全てフェイクと述べましたが、それでもこのνガンダムに関しては、単なるフェイクとは呼べないものを感じます。
それはなぜかと考えてみると、やはりνガンダムが「アムロとシャアの子供」だからではないでしょうか。

νガンダムは、パイロットとなるアムロ・レイ本人による設計と、そのアムロと互角の決着をつけたいと望んだシャアによる技術提供によって生まれたモビルスーツです。
ガンダムのマスクと名前を持ち、ジオン系技術であるサイコミュ兵器を搭載したモビルスーツであり、アムロとシャア、2人の遺伝子を使った愛の結晶と言ってもいいでしょう。

そしてνガンダムという肉体の誕生に、アムロとシャアの2人が関わっていたことは『逆襲のシャア』ラストに形となって現れてきます。

物語の終盤、大破したサザビーから射出された脱出コクピットを、アムロのνガンダムはトリもちで捕らえて手につかみます。(よくサイズがおかしいと突っ込まれる丸いボールです)

この「トリもち」というものを媒介にして、νガンダムの手と脱出コクピット(もちろんシャア大佐入り)がくっついて、一体となることがとても面白い。
このトリもちで、アムロとシャアはもう離れられない関係になってしまったわけです。
そう、まさに最後の瞬間まで。

実利的なことをいえば、トリもちはアムロとシャアを一体化して通信状態を保つ言い訳でもあるし、ネオジオン兵によるシャア奪還とアクシズを押す無防備なνガンダムの撃破を不可能にする言い訳でもあるでしょう。
シャアの命を見捨てればνガンダムは倒せるでしょうけど、アクシズ落下の状態でそれをやる意味は特に無いだろうし、この映画でそれができる唯一の存在ギュネイはもう死んでいる。

さて、トリもちで脱出コクピット(シャア)とνガンダム(アムロ)が文字どおり一体化して、三位一体、一心同体三銃士となったことで、どうなったのか。

肉体(νガンダム)に対し、心(アムロとシャア)が2つになりました。この2つの心は口論を始めます。
心の中にいる天使と悪魔のケンカのようなものですね。

体のコントロール権はアムロにあるので、νガンダムはアクシズを押し始めるのですが、その最中もずっとνガンダムの肉体の中で、2つの人格がせめぎ合います。

シャア「ふふふふ、ははははっ」
アムロ「何を笑ってるんだ?」
シャア「私の勝ちだな。今計算してみたが、アクシズの後部は地球の引力に引かれて落ちる。貴様らの頑張りすぎだ」
アムロ「ふざけるな。たかが石っころひとつ、ガンダムで押し出してやる」
シャア「馬鹿な事はやめろ」
アムロ「やってみなければわからん」
シャア「正気か?」
アムロ「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」
シャア「うわああっ……アクシズの落下は始まっているんだぞ」
アムロ「νガンダムは伊達じゃない」

シャア「結局、遅かれ早かれこんな悲しみだけが広がって地球を押しつぶすのだ。ならば人類は、自分の手で自分を裁いて自然に対し、地球に対して贖罪しなければならん。アムロ、なんでこれがわからん」


元々『逆襲のシャア』は、人類に対する絶望と希望が、シャアとアムロの2人のキャラクターに別れて、争い合うような作品(永井豪ちゃん的作品理解)です。
そう考えると、この2人の最終状態が、アムロ&シャア in ガンダム(from L.A.)というのは興味深いですね。(from L.A.=ロンドベルとアクシズから来た2人の意)

作劇上、人格を分離して配役した2人のキャラクターが、最終的に2人が生んだガンダムの中でまたひとつに統合されたかのようです。この状態は、富野監督個人が強く持っている二律背反状態に形の上でもより近づいたとも言えるかも知れない。
すぐに全ては光の中に消えていくのだけれど。

個人的にはこのようなことを感じているので、νガンダムは単なる主役モビルスーツというより、おはようからおやすみまで、いや、誕生から消滅まで、アムロとシャアの因縁を象徴するキャラクターとして大変優れていると思っています。





今回は「キャラクターとしてのモビルスーツ」をテーマにお送りしたように見えましたが、実際のところ、Twitterでのツイートリサイクルまとめです。
観念的な部分が多くて、自分で書きながら自分であまり好みじゃなかったりしますが、Twitterだと、思いついた順に適当にツイートするんでそうなりがちなんですよね。

ですから今回の話は、全部本気で書いているというよりは、半分くらいは「まあ、こじつけるのも一種の芸か」と思いながらやっているところもあります。

ただ「キャラクターとして演出されたモビルスーツ」にこそ魅力を感じているのは本当のことですし、「ロボットによる感情の発露」は、ガンダムに限らない富野作品の特徴のひとつなので、いつかちゃんとやってみたいですね。

ともあれ、もう少し具体的な話が好みなので、そうなるように生きていきたいと思います。
僕は僕に。君は君に。拝み倒して泣けばいい、いや笑えりゃいい。

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