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夏期休暇に田舎に帰省して、地元の友人2人と映画『サマーウォーズ』を見てきました。
なんとなく、そのシチュエーションの方が映画がよりステキになる気がしたから。

友人A「…『サマーウォーズ』やってるシネコンがある、でかいショッピングモールまで、車ですっごいかかるけどな!」

君たちもTVCMなんか見て、面白そうって言ってたじゃないか。

友人B「でも、誘われなかったら、見には行かなかったな。遠くて大変だし」

まあ、車出してもらった君らは確かにお疲れサマーウォーズなんだけど、きっと君たちに損はさせない。
この映画は、そういう映画のはずなんだ。

サマーウォーズ

映画『サマーウォーズ』上映終了。

―どうだった?

友人A「おもしろかった!『ぼくらのウォーゲーム!』は昔見たけど、いい感じに忘れてて全然楽しめたよ」
友人B「俺はアニメとか全然見てないけど、おもしろかったよ。で、OZってなに?」

―終わってから言うか。ああ、あなたはPC持ってなくて、ネットも全然やってないもんな。

友人B「でも携帯ではやってるし、映画の最初にOZのプロモーションビデオがあるし、なんとなくは分かったけどね。」
友人A「思い切って来てよかった。楽しかった」

―友人たちは、とても楽しんでくれたようだ。良かった良かった。さあ、ご飯食べて帰ろうか。

友人B「で、自分はどうなの?」



期待していたのは「みんなにとって80点の映画」


『サマーウォーズ』については、前回のエントリで書いたように、幅広く多くの人に楽しんでもらえる映画になればステキだな、と期待をしていました。

この映画は、「誰かにとって100点の映画」であることより、「みんなにとって80点の映画」であることを選択すべきだろうと。

例えば、まだ感想記事がまとめきれてないけれど、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は、私にとって100点といってもいい。でも、それはこれまでのエヴァ体験を含めた人生が大きく影響するので、みんながみんな100点をつける映画だとはとても思えない。人によって極端に差が出るタイプの映画だと思う。

その意味では『サマーウォーズ』は、そういう私の期待に応えてくれた。
ホームランバッターではなく、アベレージヒッターに徹していて、平均点が高い映画になっていると思う。
劇場には、お盆ということもあってか、家族連れの姿も多かったし、アニメをパチンコの液晶でしか見ていないような地元の友人も楽しい映画として、面白がってくれた。

公開前に、あんな記事を書くほどに期待と心配をしてたわけだから、私もとてもうれしい。

なのに、なぜ、こんなにも、もやもやサマー(ウォー)ズなんだろう。
純粋に私自身の体験としてはどうなんだ、と言われたら、それが、その、正直に告白して、びっくりするほど、テンションが上がらなくて困った、という他ない。

楽しんでいないかと言われれば、楽しんだ。面白かった。
うまいなあ、らしいなあ、と感心しながらも見た。

にも関わらず、目の前(スクリーン)に美人がいるのにちっともエレクチオンしないので、これは私がウォーゲームをDVDでたくさん見てるからだなとか、いろいろ理由をつけながら見たが、結局、最後まで自尊心とラブライフを取り戻すことは出来なかった。

そのことには困惑している。理由は自分でも未だによく分からない。
僕の体が昔より、大人になったからなのか。

本当は「ネットと現実」、「家族」、「田舎」などについて、何か話をするのが『サマーウォーズ』感想のお作法だと思うけれど、こういった経緯もあり、あまりそれらの要素と、それを語ることに興味が持てなかったので、鑑賞しながら、考えていたことをメモ形式で書くことにします。(※思い出したり、思いついたことは随時追加する予定です)
メモなので、思考があっちこっちに行ってますから、メモ同士のつじつまがあっていなかったりもしますし、絵コンテ集や設定資料なども見てないので、あくまで映画を見た上でのメモと、とらえてください。

<ネタバレ注意>
上映中なので全てを語るようなネタバレはしませんが、それでもネタバレ満載なので、ご注意を。
ただし、最大のネタバレはやはり『ぼくらのウォーゲーム!』なので、未見の人はそのまま見ずに『サマーウォーズ』に行った方が良いでしょう。



映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ


全体で見ると、「世界規模の混乱を家族だけで解決するには、どういう家族構成にすればいいか」、という視点で見ると、とても興味深い映画だった。
実際のところ、主人公の友人1名を除けば、田舎の陣内家のみで話が進み、問題が解決する。
陣内家は、この映画のためにつくられた、問題解決のための家族集団なので、そこにリアリティがどうこう言うのは、割合ナンセンスかな、と思います。

■「陣内家の人々」
  • 「映画の舞台となる陣内家は、由緒正しい名家だが、財産の類は一切ない」というのを冒頭でわざわざ強調するのも、家族のネガティブ要素のひとつ「親族間での財産争い」をなくすためでしょうね。映画に不必要な要素は全てつぶしておく。

  • 内科医、自衛官、消防士、救急救命士、警官、水道局員など、問題解決に役立つ職業を出す必要があるが、これを家族だけでまかなうには、陣内家の男たちがそういう特殊な職業ばかりについていなければならないことになる。
    しかし、その理由として、「『人の役に立て』というのが栄ばあちゃんの教えであり、それを忠実に守っているから」で処理しているのは、なかなかすばらしい。

  • 親族が映画に必要な職業にしかついていないのは必然なので、あとはどう言い訳するかだけ。
    それを、栄おばあちゃんの信念ということにし、ばあちゃんを敬愛し実行している子供たち、ということにしてしまうのはストーリーの補強的にも悪くない。(いわゆる私の好きな「1アイデアで複数の効果」というやつ)

  • ただ女性陣は主婦ばかり。ちょっとバランスが悪いかも知れない。
    もし専門的な職業についた男性陣と主婦である女性陣ということで分ける意図なら、女性陣は「男どもはバカだよねえ」と言いつつ、家の実務的なことを切り盛りしている方が良かった気がするなあ。葬式や食事の準備、子供の世話とか。
    栄ばあちゃんのもうひとつの教えである「よくないのは、ひとりでいること、おなかが空いていること」については、女性陣が解決する、と分かりやすく単純化しても良かったかも知れない。
    アカウント貸しはしないといけないけど。

  • 公式サイトの陣内家家計図を見たときに気づくのは、長男(栄ばあちゃんの長男)がいないこと。
    長男の存在が消されているのは、家長としての栄ばあちゃんの強化と、「栄の退場」後に家長権の委譲が長男へスムーズに行われてしまうからでしょうね。主導権を取る人間が存在してしまうと、混乱が発生しないから。

  • ヒロインである夏希先輩の両親は、OZの混乱の影響もあり、エンディングにしか登場しない。両親がいると夏希先輩は、当然のように親を頼るので、両親は解決後にしか娘の元へ来させない。


  • ■「家族の食卓」
  • インタビューなどで監督自身が語っていたように、「家族の食卓」は作画的にもテーマ的にも重要な役割を果たしていた。とにかく、みんなでご飯を食べる。

  • 侘助登場。彼は食卓の輪には加わらず、食事も口にしない。

  • そのあと、栄ばあちゃんが侘助をナギナタで追い回す際に、食卓は一度崩壊する。

  • 次の日の朝(「栄の退場後」)、これまでひとつの食卓を囲んでいたが、はじめて別々のテーブルで、一人ひとりに配膳された食事をとり、食卓がバラバラに。

  • しかし、侘助が帰還し、親族が再びひとつになると、大テーブルをみんなで囲み、大皿の料理を取り分ける食事をとる。ここは良かった。侘助が食卓につく際に当たり前のように誰も何も言わないのがよかった。

  • そしてその後、同じ食卓で食事をした全員で、ラブマシーン撃破に成功する。

  • 食卓の役割が非常に分かりやすい。

  • と、思ったら、「世界危機のタイムリミットが刻まれているときに、なぜ呑気に全員でご飯食べてるんだ」と怒っている人もいるらしい。現実で取るべき正しい行動と、フィクションでの正しい行動は別物なんだけどな。


  • ■「主人公ケンジくん」
  • OZ混乱の犯人扱いされたあと、警官の翔太兄(にい)に身柄を拘束され、車で連行されるが、そのときに「え?この家を出るの?」って驚いた。
    連行途中で陣内家に引き返すのだけど、『ぼくらのウォーゲーム!』がマンションの部屋から一歩も出ずに解決したように、陣内家から一歩も出ずに解決させるのかな、と勝手に思っていた。
    あれは、ケンジに実際発生している混乱を、肉眼で確認させるためなんだろうか?

  • ちなみに陣内家に来た夜には、大家族なんて苦手だ、と言っていたのに、翌日の身柄拘束時には、楽しかった、来れて良かったと告白する。正直、ここはよく分からない。

  • 個人的には、親類一堂が集まって大家族状態になることが当たり前の夏希先輩にとっては、普通で面白くもない毎度のことで、そういう当たり前が、ビジターのケンジにとっては楽しい、ということにした方が良かった気がするなあ。
    ケンジ「こうやって、全国から親族が集まってみんなで食事するって面白いですね」
    夏希「そう?私には当たり前すぎて、面白くとも何ともないんだけど」

  • その後、「栄の退場」があったり、侘助と親族のいさかいがあったりして、夏希先輩が親族特有のうっとうしさがイヤになり、「家族」に絶望するパートに進んでおく。
    そこでケンジがバラバラになってた家族をひとつの目的でまとめあげて、夏希が再度、家族っていいな、と再発見する。
    ケンジが陣内家に入っていって、親族の大切さ、すばらしさを再認識させてくれたから、夏希はケンジに魅かれる。というような展開の方が分かりやすかったんじゃないのかな、という気がする。


  • ■「ヒロイン夏希先輩」
  • 先に書いたように、個人的には「家族」の良さを認識するのは、ケンジでなく、この人であるべきな気がする。そういう意味で夏希を主人公のように扱う方向もあったかも知れない。

  • 「侘助に負けているのに、花札決戦の代表になることに説得力がない」との声も耳にするが、侘助との勝負では、夏希の方が手札も良く、引きも良く、基本的に夏希はついてた。ただ、勝負の駆け引きという意味では侘助の方が上だったというのを見せたかったんじゃないかな。
    ラブマシーンは花札の知識が無い上に、AIのせいか駆け引きも侘助ほどでは無いので、十分勝てる見込みのある勝負だった、という意図だったのかな、と思った。

  • ただ後述するが、私個人としては、こういう映画ならくどいほどにフリがあって、それを回収していくのが好きなので、夏希=ラッキーガールのシーンが細かく挿入されている方が好き(もちろん、ケンジ君は対比としてアンラッキーということになって気の毒な目に会うだろうけどね)。幸運であることは絶対にセリフでは出ないが、こうした細かいコメディシーンで分かる、ということにする。

  • 最後に軌道がずれた人工衛星が落ち、温泉が湧き出るのも夏希のおかげにすればいいよ。もちろん、何かするわけではなく、衛星をキッとにらんで、「ここには!おばあちゃんのいるこの家には落ちないで!」と叫ぶだけでいい。それで十分。


  • ■「侘助」
  • 「栄の退場」のあと、このまま伊丹十三『お葬式』になってしまうんじゃないか、と思ったが、映画見た後で調べてみたら、『お葬式』の主人公の名前が「侘助 (山崎努)」なのか。なるほどね。


  • ■「キング・カズマ」
  • 仮想世界OZでのアクション担当。

  • カズマの問題は、いじめと、はじめて年の離れた兄弟が出来たことに起因するが、解決にはケンジはほぼ関係ない。

  • 主人公が全ての問題を解決する必要は無いが、あれほど大家族の食卓から離れていたカズマが、中盤からはいつの間にか家族の輪に入っていたので、食卓の輪に戻るきっかけだけ、ケンジが作った方が良かったかな、と思うんだけど、どうだろうか。

  • 年少組の子供たちがマスコットなだけなので、カズマの兄弟っていいな、お兄ちゃんになるっていいな、と思うきっかけ作りに貢献してもいいかも知れないな。


  • ■「ラブマシーン」
  • 敵であって、敵でない。善悪の概念の無く、全ての人々に迷惑をかける災害のようなもの。
    災害に対して、誰が悪い、なぜこうなったと言っているヒマなどなく、行動して、ことを収めることが何より先決。そして陣内家には、災害対処のエキスパートが揃っている。
    この映画は、災害を収束させたところで終わり、内面や、善悪の判断は、意図的に映画の外に置いている。

  • ラブマシーンが、アカウントを奪い、成長して、権限を増やし、神々しくなっていく様を見て、星新一のショートショートを連想した。
    「神」とは何か、を知るため、研究者が「神」に関するありとあらゆるデータをコンピューターにインプットしていく。コンピューターは次第に光を帯び、そして最後は人間からは見えなくなった。
    (と、いう感じの話だったと思う。あれは、どこに収録された、なんと言う話だったろう?)

  • ラブマシーンは知識欲、知的好奇心を与えられたハッキングAIだそうだ。知識を蓄え、知的好奇心を満足させられるなら何でもする。しかし、ラブマシーンから与えられた意味不明の暗号を、知的好奇心だけで解いてしまったケンジと、何がちがうのだろうか(ケンジは結果的に無罪だったが)。
    もちろん違うのだけれど、その辺りは割りと省略してあるのかな。

  • ケンジがなぜ、数学オリンピック代表になれなかったのか、というあたりと、ひたすら貪欲に知識を蓄えて強大化するラブマシーン、とかの対比でもうひとつぐらいテーマ足せそうだけど、まあ優先度低いよね。


  • ■「その他いろいろ」
  • ケンジの友人佐久間くんは、すばらしく便利だな。デジモンだと光士郎だね。

  • 『ぼくらのウォーゲーム!』は、「デジタルモンスター」という、ポケモンタイプの作品が原作だったため、主人公はデジモンを前線で戦わせ、後方で指示を出す、という形だった。この形式は「友達」を戦わせる一方で、主人公は手を汚さない。
    そのため『ぼくらのウォーゲーム!』では、後半で主人公がモニタの中のネット世界へ入りこみ、デジモンと一体化して、直接戦いに参加する。

  • 「主人公が主体として戦闘に参加する」というのは絶対に必要なシークエンスだと思うが、『ぼくらのウォーゲーム!』の中でもっとも、概念を大事にして、現実を飛び越えた場面だった。ポケモンタイプの作品で主人公が戦いの主体となるためには仕方ないのだが、他の場面とのリアリティレベルと比べて、どうしても私は違和感が残った。

  • 『サマーウォーズ』では、本人がアバター(ネット世界での分身)と同一なので、デジモンが抱えていた問題は最初からクリアーされている。時代の変化と、オリジナル作品であることで自然かつスムーズに解決されたね。

  • 「栄の退場」後、ショックを受ける家族全員を大広間側から、カメラを横移動させながらとらえるシーン。メガネのおばさん(声は『時かけ』のヒロイン)が、赤ちゃんにお乳をあげている。非常に分かりやすい。

  • 栄ばあちゃんは、物語の途中であんなことになってしまうが、あれ無しで何とか構成できないかな、というのを色々考えた。
    もちろん「かわいそうだから」とかではもちろん無く、あれが絶対必要な要素なのかどうか、ちょっと考えてみたかったのだが、映画という限られた時間だと、あれを入れて構成を組むのがもっとも分かりやすくて、流れもスムーズになるはず。
    ただ、もっとも効果的であるのを認めた上で、それに抗いたい気持ちに少しなった。


  • 細田守に何を求めるのか―私の場合


    私は細田さんに、情緒的な所は全然求めていないんですよね。
    求めているのは、構成が巧みで、視点が俯瞰的で、対比を重視して、展開を同時進行して、それをキレイに最後に全部回収して、というテクニカルなところなんですよね。テクニカルな「まんが映画」なところが好き。
    だから例えば、細田さんの作品で「泣く」ことはこれまで無かったですし、求めてもない。

    そういう意味では、『サマーウォーズ』はもっと悪ノリして「やりすぎ」て欲しかったという気がする。
    リアリティなんて、豚に食わせてもいいから、うまくいきすぎ、やりすぎな細田アニメが私の好みです。

    ■やりすぎサマーウォーズ

  • 後半の見せ場、花札決戦。夏希アバターの魔女っ子変身シーンで、てっきり栄ばあちゃんにもらった朝顔柄の浴衣にちなんで、朝顔柄に変わるかと思ったのに全然そんなこと無かった。ジョンも気がきかねーな!

  • 最後に温泉が湧きますが、温泉が湧くこと自体は全然いい。リアリティとかなんて関係なく、むしろ湧くべきだとすら思うが、温泉の「フリ」が無いような気がする。「フリ」した上で温泉湧こうよ。
    先に書いたように、湧いたのは、ラッキーガール夏希のおかげということでいい。

    そしてスタッフロールを後日譚のフォトアルバムみたいにして、一族みんなで温泉入ろうよ。
    いやがるカズマも湯船に入れて、カズマが女の子だという誤解にとどめをさそうよ。

  • 紅白まんじゅう等の、まんじゅうネタは回収されてるんだっけ?セリフは無かったと思うけど、背景にあったりしたんだろうか。そこまで確認できなかったけど。

  • 物語と並行して進行する高校野球の試合は、細田さんらしい要素なんですが、決勝戦の決着は問題解決後、いつのまにか着いてしまっていました。
    非常に分かりやすい要素なので、どうせなら最後も、やりすぎなほど、重ねるほうが好み。例えばこんな感じ。

    延長戦。ランナーを置いてのサヨナラのチャンスに、上田高校のピッチャー(陣内家)が平凡な外野フライを打ち上げる。ダメかと思いきや、なぜか敵外野手がこれを落球。サヨナラ勝ち。
    (もちろん、このプレイが行われている瞬間には、ケンジによる軌道修正が行われており、プレーの描写自体は当然省略される)
    アナウンサー「平凡な外野フライに見えましたが・・・なにか落下予測地点に誤差が生じたのでしょうか?風でしょうか?」
    解説「どうでしょうか?これはまさに、奇跡としかいいようがありませんね」

  • あとは、落ちてくる小惑星探査衛星を、エヴァ三体で受け止めたらよかったんじゃないかな。三体の配置は女のカンで。

    アスカ「思ったより、全然速いじゃない。私じゃ間に合わない!」

    ケンジ「よろしくお願いします!」(エンターキーを押す)
    落下軌道を微妙に変える小惑星探査衛星。

    シンジ「軌道が変わった!ミサトさん!」
    ミサト「605から607!急いで!」

    箱根から上田までは遠いけど、シンジさんが音速を越えて走ればきっと何とかなるよ。




  • 『サマーウォーズ』まとめ


    いい映画であることは間違いないのですが、細田さんにしては、同時進行イベントと、対比構造が弱いのでは、という印象を受けました。(もちろん、私は「やりすぎ」大好き病なんですけどね)
    リアリティや、話のつじつまやディティールを、勢いとスピード感でねじ伏せるような映画であれば、前半でまいておいた要素が全てクライマックスに向かっていく必要がありますが、(意図的でしょうが)回収していないものや、スムーズでないものもあり、全てが1点に集まるような感覚が私には味わえませんでした。
    私がノリ切れなかったのは、『ぼくらのウォーゲーム!』体験のせいでもなく、このあたりなのかな、という気が、この文章を書きながら何となくしてきました。
    リアリティがどうこうでもなく、家族やネット世界の描き方がどうこうでもないんですけどね。
    映画ってむずかしいですね。

    いろいろ書きましたが(妄想しか書いてない)、『サマーウォーズ』は金曜ロードショーで立派に放映できる映画です。
    そこが本当の『サマーウォーズ』のスタートなのかな、という気もします。


    『サマーウォーズ』関連記事(四部作)

    このブログの『サマーウォーズ』記事です。よろしかったらどうぞ。最初の記事はネタバレありません。

    ■見る前(上映前)のレビュー
    日本の夏。『サマーウォーズ』の夏。 < 『ぼくらのウォーゲーム』再構築(リビルド)の価値は >

    ■見た後のレビュー(この記事) ※ネタバレあり
    サマー"ウォーズ"バケーション <田舎で見た、映画『サマーウォーズ』鑑賞メモ>

    ■特別編:ゴハン食べるの?食べないの?(フード理論) ※ネタバレあり
    世界の危機には「家族で食事」を <『サマーウォーズ』 フィクションと現実で異なる「正しい行動」>

    ■完結編:『サマーウォーズ』のパッケージングと可能性の検討について ※ネタバレあり
    10年前、世界を救ってくれた子供たちと、日常を守ってくれた大人たちへ<『ぼくらのウォーゲーム!』と『サマーウォーズ』>




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Re: サマー

こんにちわ

私も昨日やっと見に行きました。
とてもいい作品なのに何やらちょっとすっきりノれないなぁと思ってたのですが あなたの感想を伺って大いにうなずきました。すっきりしない気持ちを判りやすく解説していただいてありがとうございます。

 野球部の父母ならテレビでなく球場で応援団に混ざるだろう?とか経験上思ったのですがそういうコトをツっ込むのはヤボというものですね。

いい作品であることは間違いないと思います。
 
 

Re: Re: サマー

コメントありがとうございます。
この映画に関しては、皆さん、いい映画だと語る一方で、もやもやしたものを抱えている場合が多いですね(いわゆる「サマーウォーズ問題」)。
私もそうですが、みあさんもどうやらそのようですね。

いろいろと他の方の感想も読みましたが、その「もやもや」については、「家族」や「ネット世界(OZ)」についての問題点を指摘したものが多いようです。
確かにそれらの要素の問題もあるのですが、私がそれ以上にショックを受けたのは、そういった部分のリアリティを犠牲にしてでも確実に保証されていると信じていたクライマックスの収束性とテンションでした。
そのため、あえて「家族」や「ネット世界(OZ)」などの要素は問題点としてはとらえずに感想を書きました。楽しんでいただけたなら幸いです。

>  野球部の父母ならテレビでなく球場で応援団に混ざるだろう?とか経験上思ったのですがそういうコトをツっ込むのはヤボというものですね。

仰るとおりで、父母が球場に行くと、視点がバラけるからまとめたのだと思います。

選手:グラウンド(試合)→その父母:スタンド(応援)→親戚一族:テレビ(応援)

という図式になってしまうので数式ではないですが、

選手:グラウンド(試合)→父母と親戚一族:テレビ(応援)

と、まとめたわけですね。映画としては正しい処理だと思います。

「サマーウォーズ」は、あの大家族を処理するために、相当の配慮がされている映画です。
老若男女に混乱なく楽しんでもらうために、数多くのフックを用意すると同時に、パスルのように要素をカットしたり、まとめたりしています。(ある意味、お客を信用していないとも思います)
破綻するような内容を、ギリギリのところで映画にしていますが、なんというか、ストーリーどうこうより映画の存在そのものがある意味、タイムサスペンスで私はドキドキします。

> いい作品であることは間違いないと思います。

そうですね。いい映画なんですけどね。 ←これを絶対に言ってしまうわけです(笑)。

「サマーウォーズ ぼくらのウォーゲーム」で検索したらトップにあったのでお邪魔しました。
昨年の記事にいまさらコメントする無礼をお許しください。

私はまずサマーウォーズを映画館で2回、小説で1回、DVDで1回見たので、計4回見ています。
デジモン世代をリアルタイムで生きてきた人間なのですが、ぼくらのウォーゲームを見たのは上記の4回の後、つまりごく最近です。
ウォーゲームを見終わった直後の感想は二つ、「盛り上がりに欠ける」と「コレほぼそのままサマーウォーズだな」でした。
ウォーゲーム放映当時…デジモンにハマっていた当時に見ておけば良かったとも思いました。
TOMMYさんもおっしゃっていた通り、サマーウォーズをすでに見た人にウォーゲームは勧められないな、と思います。放映当時の視点、言ってしまえば「こども心」を持っていた状態で観賞すれば素晴らしい作品なのでしょうが、現在の視点だとやはりそう思わざるを得ません。
すべてにおいてウォーゲームよりサマーウォーズが上回っている、とはデジモン世代を生きた私には口が裂けても言えないのですが、やはりあれほど被った(被せている)作品だと総合的に見てサマーウォーズのほうが良作と認めるしかないようです。

しかし「サマーウォーズ最高!」と言っている、ウォーゲームを知らない方々を見ると複雑な気持ちになるというのが本音です。
作品自体は一度も見ずに、そのテーマソングだけ聴いて神曲だなんだと言っている方々を見た時と同じような心境になるのです。
恥ずかしい話、原作に固執してしまうタイプの人間なので、そういった方々には「もっと作品を知ってもらいたい」という感情が湧くのです。知らない方々には知らない方々なりの楽しみかたがあるんですけどね。我ながら大人げないです。


最後になりましたが、TOMMYさんのレビューを読んで作品の見方が広がりました。私が思いもしなかった改善点(?)や隠喩なども面白かったですし、参考になりました。今後自分にもそういった観賞の仕方ができればいいな、と思います。

ちなみに小説版を読めば、ケンジが数学オリンピックで失敗した理由、夏希が詫助に初恋をした具体的な要因などがわかりますので、よろしければぜひ。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。
複雑な心境でいらっしゃるようですね。

私は、『ぼくらのウォーゲーム』が届いていない人に「ぼくらのウォーゲーム最高!」と言ってもらうために作った映画が『サマーウォーズ』だと考えていますので、「サマーウォーズ最高!」と言ってもらえれば、それは成功と思っていいと考えています。
その先、『サマーウォーズ』を見た後で『ウォーゲーム』が必要になるかどうかは、何か見る理由が必要になるでしょうね。

『ぼくらのウォーゲーム』は『サマーウォーズ』で上書き保存しなくてよい映画だと思っていますので、私は『サマーウォーズ』は別名保存して、それぞれを楽しむことにします。

こんにちは。
昨晩のサマーウォーズを見て、もやもやが抑えられず、ぼくらのウォーゲームと並列して検索してきました。

ウォーゲームが子供時代の青春として美化されてしまっているのかもしれませんが、サマーウォーズは焼き直しという印象がぬぐえませんでした。
個人的にリアリティや則しているかどうかを基準に見てしまうので、サマーウォーズは受け付けられなかったのだと再確認しました。
デジモンの話であるならば現実世界のみに終始せず、仮想空間によってわりと無理がきくと思うのです。
しかし現実世界に舞台をおきながら、この話は映像としてのエンターテイメントを追求したのだなというような印象をもちます。
エンターテイメントに必然性を求めるのは無粋なのかもしれませんが、私は話の展開をテンポよく進めるための設定や事件がご都合主義にしか思えませんでした。
しかしあなたの記事を読むことによって、サマーウォーズの表象していたものや布石がどう回収されたのかを知ることができました。
私が思っていたほど悪いものではなかったようです。
素敵な記事をどうもありがとうございます。

蛇足かもしれませんが。
紅白まんじゅうは、栄の長女の葬式だから替えてもらわなければ、といった台詞があったはずかと。

長々と乱文を失礼いたしました。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございます。

> こんにちは。
> 昨晩のサマーウォーズを見て、もやもやが抑えられず、ぼくらのウォーゲームと並列して検索してきました。

この記事にあるとおり私も、もやもやサマーウォーズでしたので、お気持ちはお察しします。
(これを一部で「サマーウォーズ問題」と呼んだりします)

> エンターテイメントに必然性を求めるのは無粋なのかもしれませんが、私は話の展開をテンポよく進めるための設定や事件がご都合主義にしか思えませんでした。
> しかしあなたの記事を読むことによって、サマーウォーズの表象していたものや布石がどう回収されたのかを知ることができました。
> 私が思っていたほど悪いものではなかったようです。

ご都合主義の面が強いというのは私自身もそう思います。
ただ個人的には、ご都合=悪いもの、という意識があまりなく、すばらしいご都合を楽しむこともできると思っています。つまり、フィクションであるがゆえの、現実にはありえない、楽しいご都合。
(私はこれを子供時代から見ていた「ガンダム」の富野監督に学びました)

> 蛇足かもしれませんが。
> 紅白まんじゅうは、栄の長女の葬式だから替えてもらわなければ、といった台詞があったはずかと。

そうなんです。気にしてたのは、そのセリフのあとの事です。(ちょっと私の書き方が悪かったようです)
エンディングで、おまんじゅうの交換が間に合わず結局、紅白まんじゅうを弔問客に渡してたりとかあったのかな、と思いまして。

まだ、見てないんですよー(T_T)
見なきゃねー

Re: サマー

こんにちは。
TOMMYさんの斬新なレビュー、とても楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。

自分が腑に落ちなかった点は、格闘して勝つ=アカウントを乗っ取れる というルールが当たり前になっているところでした。
戦闘シーンがなくては見所がなくなってしまいますが。。

すごくいい映画だと思うのですけどね(笑)

Re: サマー

こんにちは。
テレビでやっていたので、なんとなくネットを検索していて
通りかかりました。

僕が見ていて感じたのは(以前見たときにも感じたのですが、
再見するまで忘れていました)、
「ノーライフキング」との、類似性でした。
ほとんど指摘されていないのですが
(まあ、だれも「ノーライフキング」なんて、
見ていないし、見ても好意的な評価は得られにくい映画なので、
類似性の指摘が無いのも仕方がないと思いますが…)
元ネタの1つとして、意識してるんじゃないかな~?と
個人的には思います。

まず話の構造がよく似ており、
ヴァーチャルな世界の危機を救うことが、
現実の世界の危機を救うことにもなる、という構造です。

原作の小説は、ドラクエの3だか4だかの頃
(ファミコン全盛時代に)書かれたもので、
押井守の場合、「これだけ熱心にゲームをやっているのだから、
お金がもらえてもいいのではないか」という
「妄想」をこめて、「アヴァロン」を企画したと言っていますが
(「仮想世界」と「現実の世界」との混交の1例)、
「ノーライフキング」の「妄想」は、
これだけゲームの中で、何度も世界を救っているのだから、
現実の世界が救えても、いいのではないか、というものです。

基本的に、ゲームの主ユーザーである「子供(たち)」は、
「現実の世界」にはコミットできません(子供なので)。
救えるのは(コミットできるのは)、せいぜいゲームという
「仮想世界」だけです。
しかし、「仮想世界」と「現実の世界」がコミットされたなら、
「仮想世界」の救済は、すなわち、
「現実の世界」の救済となります。
これは、「サマーウォーズ」でも、似たような構図になっています
(元ネタの「ウォーゲーム」も同じような感じだと思いますが、
 見たのが、昔だったので、よく覚えていません)
「仮想世界」を救うことで、「現実の世界」も救われて、
その仮想世界で活躍できるのは、現実の「大人(たち)」ではなく、
ゲームの主ユーザーである「子供(たち)」です。
つまりまあ、子供の「妄想」なわけです
(あるいは、現代を舞台とした、新しい形の
「ファンタジー」です)。

ただし、ノーライフキングの方は、設定が適当なので、
OZのように、具体的なSF設定がされているわけではなく、
世界の危機などの設定は、ただ子供たちの噂として、
存在しているだけです。
つまり、ノーライフキングの適当な設定を、
かなり理想的な形で置き換えたのがサマーウォーズだといえます
(余談ですが、押井守の方は、世界の救済なんて、
まったく、する気が無い、というのが、面白いところです。
彼の理想は、虚構世界に行ったまま、帰ってこない
といった、ところでしょうか?)

相違点は、そもそもOZは「ゲームではない」ということですが、
「世界中の人を巻き込むレベルでの仮想世界」というものを
設定しようとした時、さすがに、それが「ゲーム」では、
リアリティがない、ということでしょう
(そこまでの普及はありえないということで)。
つまり、極力リアルに、現実と置き換え可能なくらい、
大規模な「仮想世界」を設定する、という事が優先されています。

で、「仮想世界もの」や「ゲームもの」というのは、
「アヴァロン」をはじめ、結構あると思うのですが、
「仮想世界」の救済が、「現実世界」の救済になるような、
構図を持った作品は
(いわば、「仮想世界」と対になる形で
「現実世界」が存在する、というテーマ自体)、
「サマーウォーズ」と「ノーライフキング」以外、
ほぼ無いのではないかと思います。

他の類似点は、カズマに応援メッセージが届くところで、
なんとかを、倒してください、みたいな感じで、ウィンドウに
出ていましたが、
ノーライフキングでも、だれかノーライフキングを倒してください
というセリフがあります。
また、カズマにアカウントをあずけるために、
大量の人が来る所も、
ノーライフキングでは、主人公の塾の机に、
誰からともしれない、大量の応援メッセージが、
ポストイットなどで張り付けられている、という
よく似た場面があります。
まあ、「ウォーゲーム」の方が、元ネタとしてあるのかも
知れないので、はっきりしたことは言えませんが。
ポイントは応援メッセージの匿名性という所で、
パソコン以降の、独特のスタイルだと思います。

ということで、「ノーライフキング」を1度見てみると、
類似性を発見できるかも(できないかも)知れません。
ちなみに、後半の展開は、原作と映画で違うのですが、
どちらも哲学的というか、生死について、とか、
現実と仮想とは何か、とか現在の子供に迫る危機とは、
みたいな、サマーウォーズとは、似ても似つかないものです。

サマーウォーズに話を戻すと、
最大の問題点は、コンセプトに一貫性が無いことではないかと思います。
これは、OZをゲームでなく、現実的な「仮想世界」に
してしまったことから、そもそも起こっているのですが、
結果的に、「仮想世界」を舞台にしているにもかかわらず、
「ゲームの腕前」のような「仮想的パワー」で問題が解決されず、
数学の能力とか、マシンのスペックとハッキング能力とか、
しまいには花札とか、やたらと「現実的な能力」で、
問題が解決されているのです
(つまり、わざわざ「仮想世界」に設定する意味が、無い)
だったら、数学オリンピックの話にするか、
ハッカーの話にするか、ダイハード4のような形にするか、
花札の話にすれば、いいわけです
(一貫性を持たせるのであれば)。
取ってつけたような家族テーマというのも、
OZとは折り合いが悪いですし
(家族テーマがやりたいなら、それこそ、山田太一みたいな
話にした方が、いいわけで)
叔父さんの回想は、どうして、あんなに大きく取り上げられるの
でしょう(主役でも無いのに)ああいうのがやりたいなら、
「サイダー・ハウス・ルール」みたいに、しないと、
ということで、主人公の恋話も含めて、な~んか、
全体的に、コンセプトがチグハグなのです。

デジモンの方は、ちゃんと、ゲームで解決していたと
思うんですけどねえ(チートで改造みたいな、
「現実的な能力」が、介入することなく)。
OZに関しては、リアリティを優先しすぎたかな、ということと
「大家族」テーマとは、折り合いが悪かったかな、
という気はします。

ただ、デジモンの焼き直しと言われがちですが、
やはり、「時かけ」の成功後、ライフワーク的な
「デジタル・テーマ」の集大成として、この映画を
やっておきたかったんだろうな、という監督の心情は、
伝わってきます。なにしろ、かかっている金が、
全然違いますしね(そして、マニアにはともかく、世間的な
評価でいえば、デジモンの知名度なんて、全然ですし、
焼き直しにも抵抗はなかったでしょう)
かけれるだけの金をかけて、デジタル・テーマを
やりきろう、ということは、伝わってきます。
それだけに、「大家族」テーマは、正解か?という気はします。
「大家族」テーマでアクションものをやるにしても、
「仮想世界」以外に、もっと適切に合わせられるモチーフが
あったんじゃないか、という気はします。



Re: サマー

過去記事を読みましたが、

サマーウォーズが、集大成、かつ
焼き直し、かつ、
デジモンがマイナーすぎるので、
焼き直し上等、というのは、
ブログ主さんも、おなじ意見だったようですね。
家族テーマが、ファミリー向け、という
「読み」は、ありませんでした。

しかし、デジタル・テーマの集大成をやりたい、というのが
監督側の欲求であり、
家族テーマ(に類するもの)を入れることが、商業上の要求であるなら、
監督は、最初から、勝ち目のない戦いを
強いられていたのかもしれませんね~
(仮想世界テーマもので、ファミリー向けって、無理ありますもん。
それこそ、ジュラシック・パークとか、ザスーラみたいに
お祭りテーマパークものにでも、しないと…)

ちなみに、今回見て感じたのは、あらためて、監督の演出の
確かさ、でした。初見のときは、あまり気付かなかったのですが、
音楽の使い方や、パソコンなどのギミックの知識とか、
充分、宮崎アニメにも対抗できる「確かさ」だな、
と感じました。
細田演出というと、どうしてもケレン味の方に、目がいきがちですが、
意外と、地味な所でも、ロジックで組んでいるというか、
色々なカード(演出ロジック)を持ってるな、という感じで、
また、調べるべきことを、ちゃんと調べて作っている「堅実さ」も
ありますし、
こんなに、手堅く、上手い、演出の人だったか、
と改めて思いました。
ケレンもできるし、手堅くもできる、
抒情もできるし(侘助の回想とか)、スピードのある演出もできる(暗号早解きなど)、
いかにもアニメというフィクション性も(主人公やヒロイン周辺)、リアリティを優先した人物描写もできる(ばあちゃんや、じいさん周辺)、
SFアイデアも出せるし、現実的なギミックも調べて入れられる、
という感じで、
フィクション性、リアリティ、どちらか一方という演出家が多い中で、
どちらもできる、幅のある演出ができる人だと思います。
なにより、テンポのコントロールや(ボロボロの車で
飛んでくる侘助とか、74が75になる所とか)、
ここで「抜き」のシーンを入れる(風呂とか)、などの目配りは、
しっかりしています。
まあ、声優の使い方は、あまり上手くないですが。
あと、影のない人物というのも、前半は、違和感ありましたが。

しかし、いわば表面といえる演出の腕が確かなだけに、
話の中心である「軸」の部分が、「時かけ」ほど
シンプルにまとまっておらず、残念だな、とも思います
(しかも、ギミックやアイデアが不足しているわけでもなく、
単に、モチーフの組合せの問題として、軸がまとまっていない
あたりが、残念)。

あと、宮崎アニメとの類似性も散見できて、
分かりやすい所では、大量アバターと、タタリ神の類似などですが、
気付きにくいところだと、
パソコンの様子がおかしいので、隣の部屋のふすまを開けると
(氷が持ち去られた後で)、
熱気が、むあっと押し寄せて、顔がゆがんで、
後ろに転がるのですが(部屋もオレンジ色で)、
こういう、多分、ウソなのだけど、「アニメとしての
分かりやすさ」を優先した描写というのは
(いくらパソコンが熱くても、部屋はオレンジ色に
ならないですから)
いかにも、宮崎の好きそうな演出です
(たとえば、「ナウシカ」などで、砲弾を撃ったときに、
一瞬、バックが真っ暗になり、人物はオレンジ色、一色に
なる、みたいな)。

あと、仲リイサの声が変なのって、
「前歯が出てるからだな」と、改めて気付きました
(何で、声優に選ばれたんでしょう…)

9.さんへ

コメントありがとうございます。

確かに『ノーライフキング』との類似を指摘した評は私も見たことがありません。
私自身は原作となる小説『ノーライフキング』は相当昔に読んだきり、映画は未見です。
ですから『ノーライフキング』についての細部の記憶はもう飛んでいます。

ただ『ノーライフキング』と並べるとすると、やはり『サマーウォーズ』のベースにして、まさしく子供のための作品である『ぼくらのウォーゲーム!』になるのではないでしょうか?
大人が見えないところで、子供がゲーム(デジモン)とネットワークを持っていて、ノーライフキング(ディアボロモン)へ子供として戦いを挑む。世界はひとつでも、大人と子供の見ている世界はレイヤーが違う、という意味で。

『サマーウォーズ』は、ファミリーでも見れる作品に仕立て直しをしていますので、ネット世界であるOZを、老人も大人も子供も使うインフラとして描いています。
そのため、いわゆるノーライフキング的な、子供だけが見ている世界のレイヤーというものを排除しています。
(それは映画的な必要性から、単純化がされていると思いますが)

『サマーウォーズ』が『ノーライフキング』と似ていないと言いたいのではなく、かなり『ノーライフキング』と構造が近い『ぼくらのウォーゲーム!』がいかにして、ファミリー映画に仕立て直されたか、という所に私自身の興味がある、という感じです。

でも『ノーライフキング』を並べて考えるのは面白いと思いました。
長文のコメントありがとうございます。

通りすがりさんへ

コメントありがとうございます。
(もしかすると、コメントNo.9の方と同じ方でしょうか?)

要素の組み合わせもさることながら、ギミックが多すぎて、相当のキメラになっていると思います。
ただ、それは初めから承知で、詰め込みすぎて破綻しそうな内容を、演出でねじ伏せるつもりでやってるんだと思っています(実際に出来たかどうかとは別問題として)。

『ぼくらのウォーゲーム!』についてのインタビューで、
今のやり方で100点は取れるかも知れないけど、120点は取れない(取れるやり方はしていない)、というようなことを語っていたので、その後の『時をかける少女』と『サマーウォーズ』では、それぞれ別の方法である意味、バランスを自ら崩して、まとまりのいい作品にはしていないのではないか、という風に私は思っています。

だから最初からバランスがいい作品というのは目指してないというのが私の印象です。
それは制作者としては必要な、悪くないステップだと考えていますが、それで実際に完成したフィルムがどうだったかは、受け手が各自、自由に判断すべきところでしょう。

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