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今回は、いつもの富野アニメではなく、久しぶりにマンガを題材にしたおはなし。
といっても、単に考える題材がマンガだというだけなので、「物語」というものに興味があれば楽しんで頂けるかも知れません。いつものように、めんどくさい長文だけども。

題材の連載時期などを考えると、結局いつもどおり、昭和の紳士淑女諸君にだけアプローチしている気もしますが、それがどうしたアッテンボローの精神で進めていきたいと思います。(結局、全ての表現が昭和)





マンガ原作者として『魍魎戦記MADARA』シリーズや『多重人格探偵サイコ』などを手がけた大塚英志。

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私は彼の作ったフィクションにはあまり興味が無いのだけれど、批評家・評論家としての物語論は好きで、昔からあれこれ読んで、大きな影響を受けたりもしました。

その大塚英志がマンガ『めぞん一刻』について昔から何度もくり返し書いていることがあり、そのテキストに出会う度に私は、ページをめくる手を止めて考えてしまう。

出るべきか、留まるべきか、それが問題だ


『めぞん一刻』は、夫と死別して悲しみとこんにちはした未亡人にしてアパート「一刻館」の管理人・音無響子と、彼女を慕う大学生・五代裕作の陽だまりラブコメディ。
(この作品の紹介は全く不要に見えて、もしかすると今や意外と必要なのかもという気もする)

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この作品を、主人公五代がモラトリアムな大学生から大人へ移行していく期間を描いた成長物語、として見た場合、以下のように考えることができます。

(1)舞台となる下宿先「一刻館」は五代が通過儀礼を受けるための仮の住まいである。
(2)そこで大人となり配偶者(響子)も得た五代は最終的に一刻館を出ることで、物語は完成するはずである。


というのが、かなり単純化しましたが大塚英志の主旨。
通過儀礼作品のサンプルとして何度も書かれており、時期や媒体によって異なる部分もあるでしょうが、大意は変わっていないはずです。

しかし実際の作品ではどうだったのでしょうか。

一刻館を出なかった五代と響子


『めぞん一刻』は物語の最後に、五代と響子は結婚し、子供が出来てからも一刻館に住み続けることがエンディングで示唆されています。
彼らは「一刻館」から出ることなく、物語は終了を迎えたわけです。

これはモラトリアムの継続であり、読者もそれを望み、高橋留美子もそれを許したのだろう、と大塚英志は言います。一刻館は永遠の終わらない青春として続いていく。

少年の「成長物語」として、一刻館(仮住まい)の位置づけはその通りだろうと私も思います。
ですから「通過儀礼」という物語構造の上でなら、最後に一刻館を出ていく、という終わらせ方は妥当性があると思いますし、読者も一刻館を出て行くエンディングだからといって猛反発したとも思えません。

「一刻館を出るラスト」でも恐らく大きな支障は無かった。
それでも「一刻館に残るラスト」が選ばれたのは、やはりモラトリアムの継続なのか。
大塚英志の言うように、2人で新居でも構えるべきだったのか。

さて、ここがひとつの考えどころです。

ここまで読んだあなたはどう思いますか?
もし良ければ、少し立ち止まって考えてみてください。

「物語」として正しいか、正しくないか


さて、この問題。
これを「高橋留美子と大塚英志、どちらが正しいのか」という視点で考えてしまうと、貧しいものになってしまうと私は考えます。

それよりは、自分が物語に対してどういうスタンスを取るのか、という問題としてとらえた方が面白くなるはずです。
検討した上で選ばれる、という過程にこそ意味があると思うので「一刻館を出る/出ない」というお題は、考えるサンプルとしての価値があります。

ですから以下に書くことは、私個人として考えたことで、私の物語に対するスタンスの表明にすぎないことをあらかじめお断りしておきますね。つまり「物語の正しさ」の話ではない、ということです。

正しいか、正しくないか、という問題にあらず


私は、一刻館を出て新居を構えるというラストが物語構造的にも読者感情的にも特に問題はないものと踏まえた上で、原作と同じように一刻館を出ずに暮らすラストを選んでもいいのでは、と思っています。
つまり「出る/出ない」でいえば、「一刻館を出ない」という終わり方。

その理由のひとつに、五代は与えられたいくつかのステップを踏むことで、大人になるプロセスをきっちり通過していることがあります。

(1) 女性とのお付き合いの練習をする (七尾こずえ)
(2) 童貞を捨てる (管理人さん以外で)
(3) 惣一郎と同じ体験をした上で乗り越える (八神いぶき)
(4) 天職を見つけ家族を養う甲斐性を身につける(保父の仕事)


このような形で、ドタバタコメディの果てとはいえ、一応ちゃんと大人への通過儀礼は果たしています。

ちなみにヒロイン音無響子は物語のかなり初期から五代に好感を持っていました。
五代はヒロインからの好意を最初から得ているわけですね。

「五代と響子が最終的にくっつく」という落としどころが決まっていても長編マンガとして続いたのは、高橋留美子が生み出す超絶ドタバタラブコメ時空が理由のひとつ。

もうひとつは高橋留美子が、傷を負った未亡人を支えることができる大人の男性になるまで、五代の恋を成就させなかったからです。
作者が与えた通過儀礼を突破した五代くんは、最終的に惣一郎の墓前で「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」と言えるほどの男になりました。

だからこそ大塚英志にとっては、ラストが画竜点睛を欠くという感じなのかも知れません。
でも一刻館に留まるというラストによって、この物語を「モラトリアムの継続だ」と言ってよいのかな、と昔から思っています。
もちろん、あくまで物語構造上のサンプルとしての指摘であり、それに一定の妥当性があることはここまで書いてきたとおり理解していますけどね。

一刻館ビフォーアフター


私は「一刻館は出なくてよい」と考えていますが、それは「五代と響子はやっぱり一刻館にいないとね」というファン心理ではありません。
『めぞん一刻』の場合は、一刻館を出ることなくモラトリアムの終わりは表現できるのでは、と思うからです。

ただ、それにはやはり、結婚する前と後では「一刻館に住む」という意味が変化したことを提示する必要はあるはずです。

個人的にそれを強調するのに一番いい補強は、響子が死別した前夫・惣一郎さんと一刻館とのつながりを作っておくことじゃないかな、と思っています。
例えば、惣一郎さんが若いころ手頃な一人暮らし先として少し住んでいたとか。オーナーである音無のお父さんがボロい建物なので取り壊そうとしてたけど反対したとか。そのために少し管理人のマネゴトをしたことがあるとか。

※実際、作品の中では、惣一郎さん(犬でなく故人の方)と一刻館の関係は特に何もないはずです。

惣一郎と一刻館のつながりを作っておくことで、五代による惣一郎の墓前でのプロポーズ「あなたもひっくるめて響子さんをもらいます」の目録の中に以下の3つを含めることができます。

・音無響子(故人・惣一郎との結婚歴を含む)
・惣一郎さん(前夫の名前がついた犬)
・アパート一刻館(惣一郎さんの思い出の場所)


人と犬と場所。この3つは音無惣一郎に誓って、五代裕作が責任を取りますよ、という意味で。
そうなると、愛する女性とその愛犬だけでなく、ボロアパートの面倒を見て守っていくのも五代の役割になります。

これまで五代にとって一刻館は大人になるための仮の住まい(非日常空間)でしたが、結婚によって、これからは妻子を養って生きていくための生活空間(日常)に変わったはずです。
一刻館はボロアパートのまま変わっていませんが、物語上の意味と役割は変化している。

それを明示するために、必ずしも惣一郎を使わなくてもよいですが、何らかの補強は必要な気がします。

例えば、大きく変化した五代に比べれば、むしろ変わらず一刻館に居続ける住人の一の瀬さんや四谷さんがおかしいので、朱美さんみたいにそれぞれの理由で一刻館を出ていくのもいい。
一の瀬さんの場合は、息子も大きくなって手狭になり、自然とそれなりの住居へ引っ越したり。
四谷さんは、気づいたらメモ1枚残していなくなっていたりしてもいいかな。(もちろん家賃滞納分未納)
この方向でいく場合ならね。

もしくは一の瀬さんや四谷さんをそのままにしておくならば、五代は保父を続ける一方、食べていくために響子と共に一刻館の管理人業も続けていくことにする。(これは原作のままでも恐らくそう)

そして、物語のラストでは新しい入居者を迎える描写を入れる。
しかも、最後の最後に、苗字に数字が入っていない入居者がやってくる。

一の瀬、二階堂、四谷、五代、六本木。

住民すべての苗字に数字が入っていた『めぞん一刻』という物語は終わり、住民は移り変わっていく。

とある昼下がりの一刻館。
五代が入居者のために部屋の掃除を始め、一ノ瀬さんと四谷さんが酒を片手に冷やかしにくる。
新しい入居者がどういう人なのか訊かれてうっとうしくなった五代は、契約書を見ながらそれに答える。

五代「どんな人って、ごく普通のサラリーマンの男性ですよ」
四谷「なんだ男ですか」
五代「名前は、ええと、不破雷蔵さん、ですね」


ま、まさかの『りびんぐゲーム』オチ!

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男性の成長物語として見たときの欠落


「長い前フリしやがって」「このネタが書きたかっただけだろ」とお思いの諸兄、お怒りはごもっともですが、しばし……しばし、待ちんしゃい!

『りびんぐゲーム』はもちろん冗談ですが、保父をやりながら、一刻館で響子と共に、夫と父親と管理人と宴会部長でもしながら、たくましく生きていけばいいんじゃないかな、と思っているのは確かです。

それをモラトリアムと言うのは、『めぞん一刻』を男性視点の成長物語や消費物語としてとらえ過ぎていると感じるんですよね。

確かに『めぞん一刻』は掲載が青年誌でしたし、『うる星やつら』の高橋留美子作品だし、まさしく男性のための作品のように見えます。ですが、本質的には女性のための物語になっていると私は考えています。

それは言うなれば、音無響子が幸せになるための物語。
もし物語の中で五代が成長して大人になっていくのが通過儀礼だとするなら、それは女性(響子)に捧げられる儀式だと思うのです。

数々のステップをクリアして響子を幸せにできる条件を満たさない限り、お母さん(高橋留美子)はプロポーズもセックスもさせない。

しかし響子とセックスはさせない一方で、前述のとおり、童貞喪失は通過儀礼の1ステップとして赤の他人(風俗)で済ませている。
一見すると「男性主人公の成長物語にしては童貞喪失を簡単に描きすぎ」という印象を受けます。

ですがこれも「女性のための物語」と見れば当然といえます。

男なら初めての相手は憧れの響子さんに……といった男子のロマンに高橋留美子は全く興味はありません。
だから未亡人の音無響子に、女性の扱い方を知らないような男をあてがうようなことはしません。
(しかも、ここまで準備させておいた上で、五代に一度失敗をさせるという周到さ)

「一刻館に住み続ける」というラストについても、女性視点ならこうも考えられる。
一刻館の管理人業は、若い夫婦が親類のツテで続けられる低家賃&副収入と思えば悪くないかも知れない。
生まれたばかりの子供を抱えて環境を変えるより、住み慣れた一刻館の方が響子が落ち着けるかも知れない。
一刻館は住人コミュニティが強固で、特に経産婦であり先輩ママである一の瀬おばさんのサポートが得られる環境の方が、響子にとって助かるかも知れない。

男性の成長物語として見た場合、物語構造上、一刻館を出たほうが確かにキレイに収まるかも知れない。
しかしその成長が、傷ついた女性の欠損を埋めるために捧げられたものだとしたら、通過儀礼用の仮住まいだろうが何だろうが、より幸せな日常のために図太く住み続けてもいいんじゃないか。

『めぞん一刻』は「母性支配の物語」か


こういう『めぞん一刻』を、男性が一刻館からついに出ることができなかった「母性支配の物語」と、評論することはできると思います。実際そういうことを仰っている方も色々いらっしゃいますね。
ただ、やはりそれは「少年の成長物語」や「ビルドゥングスロマン」的な視点が強すぎると思います。
(ありていにいえば男性的視点。実際、一刻館を出ないことを批判している多くの方が男性だと感じます)

それに「母性支配の物語」になっているのは、恐らく高橋留美子の設計どおりのはずです。
だから、そこを指摘したとしても特に意味がない。

それよりは、そういうマンガを、男性から絶大な支持を受ける「主人公・五代裕作の成長物語(ドタバタラブコメ)」として、成立させたことの方が興味深い。

高橋留美子が青年マンガ誌で男性読者の大人気を得るようなラブコメを書くことで、一見『うる星やつら』のように男性向けの消費財を与えているように見えますが、その物語構造では男性のロマンを否定していることはここまで語ってきたとおり。

君たちの童貞ロマンなど不要だから、女性のことを考えるなら、無駄なコンプレックスが無く、女性の心と身体を扱えて、仕事と家族を養える経済力を持った男性になってね、というマンガです。

『うる星やつら』と違い「時が流れる世界」で、男女が結ばれる物語を描くに当たって、高橋留美子が成立条件としたものが何だったのかを考えると面白く、またその冷徹さやシビアなところに戦慄も覚えますね。

最後に残ったもの


「物語上の正しさ」の話ではない、という前置きをして始めたとおり、私は「一刻館を出る」というのが選択として間違いであるとは別に思いません。そういうお話もありえると思います。

ただこの物語は、男性の成長物語であると同時に、女性の回復物語です。
それを女性作家の高橋留美子が、若い男性を主なターゲットとした青年マンガ誌に連載し、大きな人気と支持を得ました。
その、どちらか一方的ではない両面性が大きな魅力となっているのは間違いありません。

ですから「一刻館を出ない」からといって、この作品に傷がつくようなことは無いと思います。
個人的には、物語が完全に終わっても、ぬけぬけとその舞台に住んで生活を続けていくところに、女性作家である高橋留美子の図太さとしたたかさを感じて、好ましいと思います。

そう、好ましさ。
「物語の正しさ」ではなく、単なる個人的な「物語の好ましさ」としてね。




あとがき


以上、長々と書きましたが、構成上はどちらもありえることを検討した上で、最後は結局「好み」の問題になりました。
ですが、私は物語に対する最終的なスタンスとしてこれでいいと思っています。

rock
「物語のさまざまな可能性を検討するのは定石だ。
 そうして隙間を埋めていって、最後に好みだけが残ったとき、最高の物語になるのさ」


ま、これも冗談ですが、可能性の検討と好みは別の問題として切り離しているのは本当ですね。

物語なんて面白ければ何でもいいわけなんですが、何かの構造で物語が組まれていたら、何らかの処理は必要になります。
ただし基本構造を否定したり、変えたり、壊したり、放棄するというのもひとつの方法で、選ばれた答えだろうと思います。

私は元々の性質に加えて、思春期の頃に出会った大塚英志の影響も大きかったと思いますが、物語の構造とか基本設定をすごく気にしてしまうタイプです。
ですが、それゆえに物語に対して「構造としてこうなるべきだ」というスタンスにならないように注意しています。
例えば、キャラクターは成長すべき、とかもそうですね。

「構造としてこうなるべきだろう」と考えること自体は問題ないのですが、この記事で書いた『めぞん一刻』での例のように、そこは出発点に過ぎません。
他の可能性や考え方はあるか、それで何が表現されるのか、そもそも面白さ自体は増えるのか、そのための条件は何か、などを考えないと意味がないと思います。
何より、そこがいちばん楽しいところですしね。

「物語としてはこうあるべきなのに、こうなってない(=だからダメ)」で止めると、構造のチェックだけで終わってしまうので大変もったいないと思います。
面白ければ何でもいいんだよ、で止めてしまうのも、もったいないので私はしないけどね。
(すると、こういうめんどくさい長文を書く人間ができあがります)

関連記事とSpecial Thanks


本稿は以前書いた記事の続編的な内容を、Twitterでつぶやいたものがベースです。
その記事と、Twitterでご協力頂いた方をご紹介しておきます。

過去のある女性を受け止めるために、用意された通過儀礼<『かんなぎ』と『めぞん一刻』>

未亡人を幸せにできる男になるために、高橋留美子が五代くんに課した通過儀礼についての記事。
本稿はこの記事を前提にしているところがあるので、読んで頂いた方が分かりやすくなるかも。

記事の最後に、追記おまけ:男女逆転「シティコーポ 一刻館」というネタがあります。
これは「妻をなくして傷ついたままの大人の男性=音無響一郎」と「彼を好きになった女子大生(処女)=五代裕子」の場合どうなるか?どうするか?という性別逆転のシミュレーション遊びです。

これも「一刻館を出る/出ない」と同じように、考えるサンプルとして面白いのではと思っています。

Twitterでは、@yon2hiyoko13さんと、このネタについてあれこれお話をしました。

男女逆転するとどうなるか、を始めとして、オマージュとして男女逆転の一刻館をやっているライトノベル『紅』や、トラウマ男子を回復させる女子という意味での『彼氏彼女の事情』などの話も出ました。

結論としては、教育実習生に迫る男子高校生、八神伊吹くんは人気出そうだね、ということに。

また、ここまで書いておいて何ですが『めぞん一刻』のコミックスを手元に持っていないので、あやふやな記憶については、富野とかBLOGサイト2の坂井哲也 さんに色々と教えて頂きました。
「高橋留美子の図太さ」という表現についても、坂井さんのお言葉をそのままお借りしました。
(含まれる意味については、私なりの解釈が入ってしまっていますが)

『めぞん一刻』連載当時、高橋留美子が「五代は童貞喪失しなければ」と考えているときに、編集者が反対をしたという逸話があります。
私はこのエピソードの内容だけで、勝手にこの編集者が男性だと信じていたのですが、坂井さんにやはり男性であったと教えてもらいました。
編集者が反対したのは、男は1度だけでも性交をすると女性に対する態度が変わるためで、響子さんとの接し方にも変化がでてしまうだろう、との理由だそうです

それに加えてアシスタントの女性陣は、五代が童貞を失うことにみんな賛成だったらしいとの話も教えてもらい、思わず笑ってしまいました。面白いですね。

さて最後に。もし『めぞん一刻』を読んだことがない方がおられたら、ぜひ読んでみてください。
この記事では性質上、物語の結末などについてネタバレしまくっていますが、それで輝きを失うような作品ではありません。

優れた連載マンガは、誰でも察しのつくような話の落としどころを提示してくれます。
ただ、その最終地点へどうたどり着くのかについては検討がつかず、過程が気になって仕方がないのです。
(面白くないマンガではしばしば逆の状況が発生します)

だから書きます。
結末は、五代と響子が幸せになります。
過程を存分にお楽しみください。

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