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「人を操る力を手に入れた天才少年」を考えるとき「コードギアス」と「DEATH NOTE」はすぐ関連が思いつきますね。
その「DEATH NOTE」の主人公夜神月は最終的に無残に死んだ。
では「コードギアス」のルルーシュはどうなるのか。

ルルーシュは幸せにはなれないし、幸せになる必要も無いと考えます。それはなぜか。

■パンを盗む少年の話

「コードギアス」は反逆の少年ルルーシュのピカレスクロマン(悪漢小説)と銘打たれている。
ルルーシュは善人ではない。目的のために手段を選ばない。手段の中にはいわゆる「悪い」とされる手段も含まれる。
目的は母の死の真相を究明し、皇帝(帝国)に復讐することと、妹(ナナリー)が幸せに暮らす世界をつくること。
だが、その目的を追えば追うほど彼自身は幸せから遠ざかっていく。もちろん彼もそれは自覚している。(だからこそスザクにナナリーを託したかったのだけれど、ユーフェミアの存在がそれを許さなかった)
この辺りはもう、本当に古典的な「病気の家族のために泥棒をする子供」の物語ですよね。
病気の親や貧しい兄弟のためにパンを盗み「兄ちゃんこれどうしたの?」「働いて買ったんだよ。いいから食べな」という少年。
本人もパンを盗むのは悪いことと分かっている。しかし家族のためだ。俺が悪いんじゃない。世の中(世界)が悪いんだ、というよくある話。
こうして少年の事情を知っている我々視聴者としては、悪いことをしている少年をかげながら応援するわけだが、それは同情からだけではない。

■ルルーシュが反逆するもの

「コードギアス」はお上品でない。
これはルルーシュが悪人だとか死体や血が出てくるとか直接的な描写の意味ではない。
虐げられたイレブン(日本人)の救世主たるルルーシュがブリタニア(征服者=アメリカ)、2期では恐らく中国にもギャフンと言わせるのを痛快と感じて溜飲を下げるアニメという意味でだ。
意図的にナショナリズムを煽って満足させる仕組みにしているよね。
これはガンダムSEEDと同じプロデューサーの影響が大きいと聞いた。お上品とはお世辞にも言えず好きではないが、一般大衆に受ける要素を全て盛り込むというコンセプトは徹底しているし、舞台を架空の異世界の小国にして日本をイメージさせる程度では済ませない所は覚悟がきっちりしている(お下品だけど)。
水戸黄門や遠山の金さんをみんなが喜ぶのは、大衆が憎むものを「物語の中で」痛快にやっつけてくれるからだ。
もちろんあくまで「物語の中(虚構)」で。これは物語が本来持つ健全なシステムといってもいいでしょう。昔からある古典的な物語の仕組みのひとつだ。

だから「コードギアスR2」のこの先のシナリオは知らないが、現実世界のことを考えると残念ながら「コードギアス内の中国」はルルーシュに痛い目に合わされるだろう。
逆に言えば、悪人ルルーシュは帝国(=アメリカ)や中国に屈せず抵抗するからこそ、日本人(イレブン及び我々視聴者)の支持を受けることができているとも言える。

それにしても反逆者のリーダーを日本人にしてない所など、用意周到ですさまじいね。
帝国や中国をひどい目にあわすのはあくまでブリタニア人のルルーシュ。
(逆にスザクを帝国側の日本人キャラクターとして配置している)

ちなみにこのルルーシュとスザクの対比に目をつけて、ルルーシュとスザクを田中芳樹「銀河英雄伝説」と「アルスラーン戦記」に例えた記事を書きました。
重ねやすいと感じたのは、田中芳樹作品には明確な人物の対比があって物語構造が分かりやすいからでしょうか。

■まとめ ルルーシュは幸せになれない

「コードギアス」はその一話の情報量やそのスピードなど、いかにも今を代表するアニメーションだと思う。
放送後、1週間かけてネット上で消費するのに耐えうるべく設計されている(「ガンダム00」はこれが足りないと思う)のが現代的だ。

しかし物語の構造自体は、人間の感情に訴えるに有効とされるポイントを集めに集めた極めて古典的な物語だ。
もちろんほめ言葉であり、視聴者が望むものを惜しみなく投入する大衆娯楽としての「コードギアス」はすばらしい、というのが私の評価です。
(この「全部入り」には、CLAMPも貢献してると思うのだが、脱線するのでここでは触れない)

ここで冒頭の問いに戻りましょう。
「コードギアス」のルルーシュは最終的にどうなるのか。幸せにはなれないし、幸せになる必要も無い。それはなぜか。

それは―――ここまで読んでいただいた方にはお分かりかも知れませんが、ルルーシュの破滅、それもまた我々が見たいと望むものだからです。

ルルーシュは、この後もなんだかんだありながらも痛快ガンガン行進曲を奏でつつ、愉快ツーカイな活躍をすることでしょう。
でも目的に近づけば近づくほど、彼はどんどん不幸になっていき、最後には破滅し、大事なものを失うに違いありません。
「悪いことをした登場人物は作中でそれなりの代償を支払う」というのは物語が持つ基本的なルールであり、健全なシステムでもあります。
(Vガンダムのカテジナ・ルースを見よ。そしてなぜVガンダムが唯一、名作物風の終わり方をしなければならなかったかを)
「間違った手段で達成された目的」には、それなりの対価を支払う必要があるのです。ルルーシュとて例外ではありません。
それは、全ての人が(恐らくルルーシュファンの人でさえ)、見ながらに予感していることではないでしょうか。
「こんなことを続けていては、最後はとんでもないことになってしまうに違いない」

私は、ルルーシュが成功への階段を登るのと同時に、破滅へのカウントダウンが刻まれていくのを毎週楽しみにしています。
なぜなら、ルルーシュが手を血に染めてまでつくった世界が崩壊する悲劇を見るのは、視聴者とっては喜びでもあるからです。
視聴者が望むものを必ず見せてくれる全部入りの「コードギアス」が、これだけを我々に見せてくれない、ということがあるでしょうか?
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(2008/08/22)
福山 潤水島大宙

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Re: ルルーシュは幸せになれない(「コードギアス」は古典的な物語)

「嗚呼、今ルルーシュは幸せである」
(「コードギアス コンプリートボックス」より)

Re: Re: ルルーシュは幸せになれない(「コードギアス」は古典的な物語)

コメントありがとうございます。

> 「嗚呼、今ルルーシュは幸せである」
> (「コードギアス コンプリートボックス」より)

そこにはそういった記述があるということでしょうか。
ルルーシュは最後にそこまでたどりつけて幸せでしたね。

Re: ルルーシュは幸せになれない(「コードギアス」は古典的な物語)

ナショナリズムとか考えたわけでもなく、単純に面白げなエンタメ作品を目指したとか、どっかのインタビューで監督さん言ってました。
いつの世も、作品にチンチクリンな深読みを加えてお下劣な味に仕上げるのは我々オタクの仕事なわけです。同時に、醍醐味でもあるわけですが・・・。

だって、谷口悟朗ですしね。

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