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「英雄生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」(柴錬ハムレット)

柴錬先生、全くもって仰る通りです。物語の中でキャラクターの生死をどうするか、それが問題なのです。
ニンテンドーDS『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』をきっかけに、プレイヤーが登場人物の生死について悩んで楽しめるゲームについて考えてみましょう。
ゲームが題材ですが、物語をどうゲームで表現すると面白いかな、というお話なので「物語」が好きな方なら、興味を持ってもらえるかも知れません。



ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣
(2008/08/07)
Nintendo DS

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ニンテンドーDS『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』のTVCMを見て、久しぶりにプレイしたくなりました。ゲームの質はすでに証明済みで問題ないし、二画面の利点を生かしたDS版はさぞプレイしやすくなって楽しかろうて、とネットで調べてみると面白い記事が見つかりました。
スマブラの桜井さんが、エムブレムのプロデューサーの方にインタビュー(というか対談ですね)した記事。全体通して面白い記事ですが、私個人が特に興味深かったのは以下のところ。

桜井: ちょっと気になっていたことがあって・・・。
本作の序章で、マルスの城が敵軍に強襲された時。
マルスが落ち延びるために、誰かひとりを囮(おとり)として出さないといけなくなりますよね。
ユニットの1人を選んで、マルスの扮装をさせて、敵の関心がそのニセモノに向かっている間に、マルスを逃がしちゃおうと。
で、あそこで囮になった人は、やっぱり二度と戻ってこないんですか?
成広: (申し訳なさそうに)・・・戻ってこないですね。
桜井: (すごく残念そうに)・・・そうですか。
(中略)
成広: 誰を出しました?
桜井: 自分は何も迷わずにジェイガンを・・・。
成広: ええっ、そうしましたか!
桜井: おいおいご老体にはマルスの変装はムリだろ!と思いつつ(笑)。
でも、なぜかまんまと敵はだまされるという。

Touch-DS.jp - 桜井政博さんが訊く 『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』


物語のはじまりで、主人公マルス王子を逃がすために、仲間の1人を囮役として選択できるらしい。しかも選んだ仲間は二度と戻らず、ゲームでは使うことができないらしい。

これは面白い!
なんという項羽と劉邦展開!(劉邦が身代わりを立てて脱出したのを連想しました)
ごく普通のゲームであれば、死ぬ役割だけのキャラクターを用意し、それが死ぬ所までを自動的なイベントとして処理するところでしょうか。しかしDS版エムブレムではゲームが始まったそばから必ず死ぬと決まっている囮役に誰を選ぶかをプレイヤー自身に決めさせている。
ファイアーエムブレムは真のエンディングのために、犠牲者ゼロでのクリアーを目指すようなゲームですが、その手始めにプレイヤーの責任で犠牲者を1人出し、それを背負わせるということか?
自動イベントでなく、プレイヤーの選択で1人のキャラに死んでもらい、主人公にその責任を背負わす。そして、以後の戦いでマルス王子(主人公=プレイヤー)は、誰も犠牲にすることなく戦い抜く決意をするわけか。
犠牲者ゼロといういわば極めてゲーム的なクリアーの正当性に物語的にもプレイ的にも補強をかけたような形なのかな?上手いなあ。

実は私は以前、ファイアーエムブレムに触れた記事を書いたことがありました。

例えば「ファイアーエムブレム」というゲームは、いっぱいキャラクターが出てくる、シミュレーションRPGですが、こいつがどえらいシミュレーションで、全員を生かしたままクリアーしないと真のエンディングを迎えられない。
これはとても歯ごたえのあることで、ゲーム的には極めて正しい。
しかし実は、それを達成するために、成長をほとんどしない老将ジェイガン(=ゲーム的に使えないキャラ)は、1度も戦場に出ることなくクリアーを迎える、といったような状況が発生する。母ちゃん達には内緒だけど!


マルス王子の守役である老将ジェイガンは、ゲーム的には役に立たないキャラクターですが、物語的には十分に使い道のあるキャラクター。
ただ単純に「お話」として見るなら、ジェイガンはマルスを守って華々しく散るような見せ場を作って「死んだ方が映えるキャラ」なんですよね。その方が盛り上がって面白い。でも真のエンディングを目指して無駄なくリスクなくプレイしようとすると、ゲーム的には役に立たないジェイガンを使わないことになってしまう。

その結果、プレイヤーが犠牲者ゼロのクリアーを目指すことで、ゲーム的にはジェイガンの命は助かるが、物語的にいえばジェイガン(というキャラ)が死んでしまう(分かりやすい例としてジェイガンを使ったが、多くの「予備」キャラクターを揃えているファイアーエムブレムでは「誰か」がそうなってしまう可能性が高い)。
ファイアーエムブレムはもちろん名作なのですが、犠牲者ナシのエンディングを迎えるために、ジェイガンに代表される多くのキャラクターは倉庫で眠ることになる。そういう意味では、誰も死んでない真のエンディングはもっとも多くのキャラクターが「死んでいる」エンディングとも言える。

お笑い芸人は何もやらずに画面に映らないぐらいなら、熱湯をかぶったり落とし穴に落ちたりバンジージャンプしたりひどい目にあっても自分の見せ場を作った方がいい、という心意気で生きていると思いますが、全く触ってもらえないゲームのキャラクターもそういう心境なのかも知れません。

もちろんファイアーエムブレムが間違っているわけでも、真のエンディングを目指すプレイヤーが間違っているわけでもない。エムブレムに限らず、ゲームでは構造上、キャラクター(の物語)が死んでしまうことがどうしても多いのでもったいないな、何とかできないかな、と昔から思っていたわけです。

そこで、この『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』ですよ。
桜井さんはマルスの囮役にジェイガンを選択して、ジェイガンはその期待に応えて立派に務めを果たし、戦死したようです。これは本当に素晴らしいイベントですね。
プレイヤーの多くは、この後のプレイで最も使わないであろう「いらない子」を選ぶのでしょうが、そういう「いらない子」に物語的な見せ場を用意できるのイベントでもあるのですから。
私ももしプレイすることがあれば、囮役にジェイガンを選ぶでしょう!やっとジェイガンにふさわしい場面(それが最期ですが)を作ってあげられる!
本当の事言うと、前半戦の山場あたりでの若い戦士達が集合した後、時代の移り変わりと世代交代を象徴させるポイントで死なせてやりたいけど、他にこういう場面も無いでしょうしね。



で、これをきっかけに、1つ、ゲームのアイデアを考えました。
実は昔考えたネタでイマイチ分かりづらいなあ、と思っていましたが、このエムブレムのイベントをヒントにすると、すっきり整理できる気がしましたので。

ポイントは以下の点。
・ゲームという媒体を上手く利用して、物語を面白く表現すること。
・そのためにはゲームシステムと物語が、がっちりリンクしているゲームを。
・プレイ的に不利な行動することなく、キャラクター性を発揮させたい。


※ちなみに単なる1アイデアなので、基本的にオモシロおかしくなるように、分かりやすくてインパクトのあるように書きますので、その辺りご注意とご了承ください。

【ゲーム名】 108人勇者大行進(仮)


■ゲームジャンル:

シミュレーションRPG

ジャンルは物語が表現しやすいゲームなら何でもいいと思うのですが、エムブレムからの流れでシミュレーションRPGにとりあえずしときましょう。

■設定(どんなお話?):

ここもエムブレムの流れで、ファンタジー的なお話ということにしておきましょう。
現実から離れたほうが無茶も効きやすいですし。

星に導かれて集まった運命の108人の英雄達が主役。
彼ら108人の仲間達は、帝国軍(とか魔王軍とかお好みで)と、長く激しい戦いを繰り広げる。
 

みたいな感じにとりあえずしておきましょう。
108人という数に理由はありません。ただ主人公達が「とても多い」という例えです。幻想水滸伝の「水滸伝」の意味と同じ。

■概要(どんなゲーム?):

ゲーム開始時に、味方が11人どころか108人いる!
108人パーティ。108人の仲間をつれて戦うゲームです。
いきなり108人いるので、ゲーム中、味方は1人も増えません。
スタート時の人数がMAXです。

普通にシミュレーションRPGとして進んでいくが、戦況がピンチの時など、プレイヤーの任意で108人の仲間の中から「犠牲キャラ」を選ぶことができます。

選ばれた「犠牲キャラ」は、命の炎を燃やして、さまざまな力を発揮し、味方を救い、そして犠牲となって死んでいきます。
「犠牲キャラ」が死の間際に見せるパワーは、敵の大軍をやっつけたり、とんでもない一撃を放ったり、主人公をかばったり、超絶的なもの
です。

108人いる味方はこうして、強大な力を放ちながら次々と散っていき、人数はどんどん減っていきます。果たして、ラスボス(最終面)に辿り着くまでに何人のキャラクターが生き残っているでしょうか?

さあ!諸君!!殺したり殺されたり 死んだり死なせたりしよう!

というゲームです。

「仲間の死」を強力な魔法のように使って、攻略していくゲームになります。
シューティングゲームの「ボム」と思ってもらうと分かりやすいかも知れない。
大事なものだが、ここぞという時にプレイヤーの判断で爆発させる「ボム」。
難敵をやっつけるのに使ったり、生き残るために緊急回避として使ったりする「ボム」。
限りあるため使いたくないが、適時にそれを使っていくことがゲームデザインに組み込まれている要素。ただしこのゲームでは「ボム」と違い「仲間」は死ねば復活しませんし、増えることもありません。

この「仲間の死」システムを分かりやすくするために仮に「サクリファイス(仲間の犠牲)」システムとでもしておきましょう。

■「サクリファイス(仲間の犠牲)」システム:

「仲間の死」は、基本的にプレイヤーが任意のタイミングで自由に発動できるようにしましょう。

仲間を死なせることで、ゲーム的、物語的には以下の効果があります。

<ゲーム的な効果>
通常のプレイでは得られない強大な効果がある。例えば、以下のような感じ。

・複数の敵を撃破(攻撃対象の増加)
・強力な一撃が撃てる(ダメージ量の増加)
・主人公や味方をかばってくれる(ピッコロさん)
・死ぬとアイテムを残す(形見を残す、獣の槍の材料になる)
・奇跡を起こして○ターンの停戦
・死ぬと別のキャラクターがパワーアップする(師匠が死んで弟子が、親が死んで子がパワーアップなど)
・不治の病。効果として全能力値がアップする。しかし何面か先で必ず死ぬ(トキ、三杉くん)
・裏切り。仲間が裏切り敵対する。しかし、のちのち目が覚めてアイテムや人質や秘密を持って帰ってくる(が、その過程で死ぬ)

MP108を持っており、消費MP1で強力な魔法が使えるが、ゲームを通じて回復はできない有限のリソース、と考えてくれてもいい。キャラクターは死ねば復活はしないので、「死の効果」と「キャラクターの戦略価値」を考えて「効果」が上回るようなら、使っていく(死なせていく)。

<物語的な効果>
このゲームでは基本ストーリーは存在するが、109人もいる各キャラクターの掘り下げは全く行わないようにします。ただし、

「サクリファイス」システムを使ってキャラクターが死ぬ時、そのキャラのドラマイベントが展開される。これは回想シーンや走馬灯のようなものと思ってもらってもいい。例えば、こんな感じか。
・乱暴なやつだが、実は動物が好きでやさしいやつだった。
・せこいやつだと思っていたが、実は故郷の母に仕送りをしていた。
・昔はかなりのワルだったが、ある出会いで改心し、その人に応えるためにがんばっていた。
・冷たいやつに見えるが、実は盲目の妹がおり、妹にはとても優しい。
・戦災孤児。生き別れた父を探して旅をしてきた(実は108人の中にいたりする)

などなど。ここは考えられる限りのいろんなパターンを出すところです。

物語的には、プレイヤーが好きな時に好きなキャラの掘り下げイベントを見られる効果があるということです。そのキャラのイベントを見る=死ぬ、ですけども。

108人を殺せば、108人分のイベント、ストーリーが体験できます。
50人殺せば、50人分のイベントだけ体験したことになります(その代わり58人の仲間の命は守り抜きました)。
単純に言えば、ゲームが下手な人ほど「サクリファイス」に頼って、多くの仲間を犠牲にし、代わりに多くのイベントを見ることになるかも知れません。逆にゲームが上手い人は犠牲が少なくて済み、代わりにイベントの体験は少なくなっているかも知れません。
私はゲームが得意ではないので、上手にプレイしないとイベントが見られない、ということが無いのはちょっといいかもと思いました。

<「サクリファイス」システムまとめ>

・プレイヤーが任意で自由に仲間の死を選択できる。
・効果は「強力な魔法」+「キャラの掘り下げイベント」
・効果とキャラクターの命のトレードオフ。
・仲間は108人の有限のリソース。
・死んだキャラは生き返らないので、誰をどこで死なせるかが駆け引き


■難易度:

こういうゲームなので、味方を犠牲にしないとやっていけないような難易度にする必要がありますね。常にどの面でも厳しい局面にあり、誰を犠牲に選ぶかを考えなくてはいけないレベル。
もう仲間が死んでいくことは前提で、回数制限のある魔法のように、いつ、どこで、何を(誰を)使用する(死んでもらう)かを考えるゲーム。

■エンディング:

こういうゲームですので、犠牲者ナシクリアーだと真のエンディング。ということは全くありません。遠慮なく仲間を死なせていきましょう。
ゲームの性質的にエンディングでなく、その過程に価値があることになるでしょうし。

■ゲームのまとめ:

このゲームは始まった時に全ての仲間が揃っています。
スタート時にキャラに思い入れはあまり無いですから、外見(好み)や能力値(データ)などを見て、「いらない子」から順番にどんどん捨てていくことになります。
そういう意味では(ゲームに限らず)どんな作品でも心の中でやっている「キャラ選別」をするゲームです。好みの子だけ残して、あとは捨てていきましょう。
このゲームでも当然、使わないキャラと使うキャラに分かれるのですが、使わないキャラクターがいるぐらいなら、それを死なせることで、ゲームルール的にも物語的にも最大の効果を発揮させ、見せ場を作って退場させる。いっそ、それをメインのシステムに据えて、いつ誰をどのように死なせれば、ゲーム的に有利か、お話が盛り上がるか、考えながらプレイするのが楽しいんじゃないか、ゲームで物語を楽しむ1つの方法なんじゃないかという考えです。

そうやってゲームを進めていくとキャラクターラインナップ的な意味での「精鋭」が集まっていきますが、このゲームはそこからが勝負です。捨てたくないキャラクターも戦況次第では死なせていくことになります。
最終面に生き残ったメンバーは、過酷な予選を突破して決勝まで残った、本当にどうしても守りたかったメンバーと言えるでしょう。

このゲームでの真の物語とは、メインストーリーでも無ければ、各キャラクターの死に際のドラマイベントでもありません。
プレイヤーがどうやってキャラクターを死なせてきたか、誰を守ったか、という道のりこそが最も重要なストーリーになるはずです。
108人を死なせてしまってたった一人になる物語もいいし、絶対守りたい15人を守り抜いた物語もいい、死ぬ思いして108人全員を守り抜こうとするのもいい物語です。
ゲームでのプレイヤーの行動(過程)が、そのまま物語になる、というものが最もゲームの物語として好きな形ですので、それが実現できるゲームがいいですね。
ゲームの後、友達と何人死なせたのか、誰を残したのか、話が盛り上がるようになれば一番いいんじゃないかと思います。



あとは、このゲームについての雑多なメモです。

主人公と仲間の関係


このゲームだと主人公が仲間に死を命じることになるので、主人公と仲間の関係がどうなっているのかは、ゲームルールを物語として納得してもらう上で重要です。
ファイアーエムブレムのように、王子とその家臣の関係にして、さらに古代、中世的な価値観で主君に滅私奉公してもらうというのが基本線でしょうか。

主人公を魔王側(敵軍)にして、恐怖で支配している魔王の死の命令を、魔物の配下がこなす、または狂信的に応える(ヴァニラ・アイスのように)のも一つの手ですが、キャラの掘り下げなどドラマ面で考えるとつらい。

いっそ特定の主人公を無しにするのも考えました。または主人公は一応いるが、主人公すら「サクリファイス」で死なせることができる(その後は108人の中で二代目主人公が継ぐ)。
しかし命令系統もなく、毎回「俺が俺が」「どうぞどうぞ」のダチョウ倶楽部的立候補でどんどん死んでいくのもなあ、と思いますし、できればちゃんとプレイヤーに「死の命令」の責任を背負ってもらう方がいいと思います。

こうやってあーでもないこーでもないと考えていると、
「いっそ主人公に『死の命令』すらできる魔法とか特殊能力とかがあることにしたらどうだろうって、それはコードギアス!」
と、ルルーシュのギアス能力に至ってしまう。
コードギアスまじハンパない。まじリスペクト。いや本当にすごいねコードギアス。このゲームをそのままの設定でできるわ。

仲間を殺す抵抗感


このゲームのことを友人と話したら
「仲間を殺すことに抵抗があるなあ」とのこと。これはごもっともの反応。

しかし、それこそルルーシュのように仲間の死を自分で背負っていくのを楽しむゲームなので、どんどん死なせていってくれないと醍醐味が味わえない。
そのため軽く、つまりスナック感覚で仲間を死なせることが出来るように、色々工夫が必要のはず。

・仲間の人数が108人
→仲間が20人なら精神的に犠牲を出しにくい。108人でなくてもいいがとにかく多く。お試し感覚で死なせられるほど多く。

・仲間が最初から全員揃っている
→仲間集めはこのゲームの本質じゃないからやってられない。集める過程で思い入れが出来て殺せなくなる。洗い立てのまっさらな白いシャツの状態で108人に会い、死なせていって欲しい(徐々に赤シャツになります)。

・死なせやすいキャラがいる
→死なせる抵抗感が低いキャラをたくさん作る。余命いくばくもない老人、単なるおっさん、酒バクチのクズ野郎、ロボット(人造人間か)など。スナック感覚でつまんでもらえるようにいかにも練習台のようなキャラを色々つくりましょう。
(でも、クズ野郎が死ぬ時に、ちょっといい話エピソードを見せられたりするんだろうなあ)

・死ぬことが前提のゲーム難易度
→ゲームの難易度的に、強力な魔法(サクリファイス)が無いとクリアーできないようにする必要がある。もう死なせれば死なせるほどゲームが楽になるよ、という感じに。

あとは練習用サクリファイスイベント(「この扉は内側からしか閉めれない」など、死なすしかねーだろ的なベタ犠牲のオンパレード)とかかな。

それでも仲間を殺す抵抗感


こういったスナック感覚で仲間を死なせる工夫も友人に話してみたが、
「実際にゲームが無いからなんともいえないけど、やっぱり自分の責任で死なせてしまうのってなんかいやじゃない?行方不明とかじゃダメなの?」とのこと。
ゲームなんだからただのデータなんだし、殺せばいいじゃんというプレイヤーばかりじゃないよね。これもごもっとも。

まあ「仲間を死なせる」というのは、「キャラクターの死」というコンセプトでつくったゲームアイデアでしか無いので、厳密に言うと同じ状態が作れれば死ななくていい。
別に私も殺したがりでも、キャラなんかみんな死ねばいい、と思っているわけでもないし。例えばこんな感じでどうか。

「聖戦士ダンバイン」のバイストン・ウェルみたいに、現実世界から異世界に召還される話にしようか。
108人の大量召還。同じ学校の生徒100人とかでもいいかも知れないね。
で、異世界の人々に「聖戦士」扱いされて、戦争に参加することになってしまう。
もちろん現実に帰りたいが、話を聞くと帰れる方法はただ一つ。
それは「英雄的な行動をとって死ぬこと」のみ。ただ死んだり、自殺するのではダメらしい(死ねない、ということにしようか)。
仲間を救ったり、敵の大将の首を獲ったり、聖戦士らしく異世界に貢献して死ぬことで、初めてこの世界での役割を果たしたことになり、現実世界に帰ることができる。
もう少し幅を広く取って「他人のために命を投げられるか」ぐらいにしてもいいかな。
やむをえず高校生たちは、いやいやながら英雄として死ぬことを目標に戦うのであった。

これなら「死ぬけど、死なない」パターンなので、むしろ死なせるのは、早く現実世界に帰らせてあげることになって恩情になるかもね。
それに108人みんなは「英雄的な死(→現実世界に帰る)」を希望しているので、「サクリファイス」は彼ら自身が望んでいることでもある。立候補ものに近い。
ゲームプレイヤーとしての主人公は、異世界側の指導者かな?(ダンバインでいうとシーラ様になるかな)

これも1つのパターンだけど、要は実際に殺さなくても同じような状況は作れるので、配慮が必要ならそれなりに工夫すればいいと思います。
ただアイデアレベルだと、伝えたいことの分かりやすさが必要なので「仲間を死なせる」と内臓むきだしの表現にしています。

他にも細かいのが色々ありますが、また機会(という名のやる気)があれば。



このゲームで仲間を殺すのは、お話上は敵軍ですが、実質プレイヤー自身です。ゲーム(作者)側の強制ではありません。死の責任は、プレイヤーが担います。
普通のゲームと違い、これはゲームシステムに組み込まれた肯定される行動なので、何も悪くありませんし、不利になりません(むしろ有利になります)。
誇りを持って「サクリファイス」で仲間を死なせて、その死を自分で背負っていくことを楽しみましょう。

ゲームに限らず、マンガや映画やアニメでも、キャラクターの生死に関しては「殺せ!」「殺すな!」など色々な意見があります。では受け手側がキャラクターの死を決めてはどうでしょう?
ゲームはそれが比較的しやすいメディアだと思います。
そういう意味でこのゲームでは、極めて作者的な振る舞いが必要になるでしょうね。

まさに英雄生きるべきか、死ぬべきか、
―――いや英雄生かすべきか、死なすべきか。それが問題だ。
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Re: 身を捨ててこそ浮かぶキャラあれ < 『ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣』で考えるキャラクターの生死>

>>受け手側がキャラクターの死を決めてはどうでしょう?
実写ドラマでやったら、もう凄い事に。

サクリファイスシステム

DSのヴァルキリープロファイル-咎を背負う者-をお勧めします。

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