「シャアって、ニュータイプなの?」

その何気ない質問を受けたのは、以前、友人と雑談していたときのこと。
確か友人が当時やっていた『ガンダム』のパチンコかパチスロかの話を聞いていて、シャアが登場(活躍?)するという流れからの質問だった気がする。要は、シャアって強いけどニュータイプなの?という。


友人は、ガンダムシリーズに全く詳しくない。
基本的に『機動戦士ガンダム』(ファースト)しか見ていないはずだし、それすら全話見ているかどうか。

彼が『Zガンダム』以降も見ていれば、「シャアか。そうだなあ……なりそこない王子かな」「だよねー」ぐらいで、笑いながら軽く終われるかもしれない。
(と、いうよりファーストより先を見ていれば、この質問をすること自体無いかもしれないが)

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しかし『ガンダム』に詳しくないからこそ発せられた、「シャアって、ニュータイプなの?」という素朴な疑問に、私はどう答えようかと、ちょっと考えてしまいました。

「なぜ迷う? 考えるまでもなく答えは明らかでしょう?」……と、そう思いますか?

では、あなたなら、『ガンダム』をよく知らない人に対して、この質問にどう答えますか?

「シャアはニュータイプか?」その時の答え


では、質問されたその場その時の私はどう答えたか。
少し考えた上で、ファースト最終話でアムロがシャアに対して言った台詞を思い出しました。

アムロ「貴様だってニュータイプだろうに!」


ほら。ニュータイプ界のパイオニアかつレジェンドであるアムロが、シャアをニュータイプと認めてるよ。
大御所ニュータイプ亭アムロ師匠が認めるんだから、シャアも上方ニュータイプ大賞新人賞ぐらいの資格はきっとあるんだよ。
と、とにかくニュータイプ御本人が「こいつはわしと同じニュータイプや」ゆうとるんですよ。

そんな感じで適当なことを言うと、友人も笑いながら納得し、何とかその場は済ませたのでした。

はたしてシャアをニュータイプだと判定できる場面はあったのか?


しかし、後になって一人考えてみると、友人は納得しても、私自身がいまいちスッキリしない。

アムロがファースト最終話の段階で、シャアのことを「貴様だってニュータイプだろうに!」と断言できる根拠となる描写が、果たしてされていただろうか?

ここでのポイントは、われわれ視聴者に対して、シャアがニュータイプと分かるような場面があったかどうかではありません。
アムロの視点で見た場合、シャアがニュータイプだと確信できるような場面があったかどうかです。

問題は「貴様だってニュータイプだろうに!」と叫んだアムロの、シャアという人物に対する認識です。

いつ、どこで、どのような場面で、アムロはシャアのことをニュータイプだと認識したのでしょうか?

最近とみに衰えを感じる記憶を少し辿ってみるが、いざ「アムロ視点」となると、決定的な場面がパッと思い浮かびませんでした。(皆さんは思い浮かぶでしょうか?)

どうやらこれは、ちゃんと調べながら考えてみた方が良さそうですね。
幸い、あやふやな私の記憶をサポートする強い味方、Amazonプライムビデオに最近追加された『機動戦士ガンダム』全43話が視聴可能です。



ではこのプライムビデオを活用しつつ、アムロによるシャアのニュータイプ判定を確認してみましょう。




疑問点と目的、進め方などのまとめ


まず今回の疑問点と、調査の進め方などを、ここでまとめておきましょう。

<疑問点>
『機動戦士ガンダム』において、アムロ・レイが、シャア・アズナブルのことを、「ニュータイプ」だと認識したのは、いつ、どこの場面が根拠になっているのか

<対象となる作品>
TVシリーズ『機動戦士ガンダム』全43話。 

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※劇場版については基本的に対象外だが一応チェックはしておくつもり。
※小説版や富野監督の発言なども対象外なので、基本的には考慮に入れない。
※『Zガンダム』など後の作品については、考える上での参考にはするが、当然根拠にはならない。

<ポイント>
視聴者が、シャアをニュータイプだと気づいたタイミングではありません。
主人公アムロ・レイの視点で考えたとき、本編中にアムロが「シャア=ニュータイプ」を確信する場面はどこなのか?が大事なポイント。

<調査の進め方>
全話見て確認する時間もありませんし、そもそもニュータイプという要素が登場するのは中盤以降です。
ここは思い切って、ラストから遡る方法をとってみましょう。
ニュータイプ判定が提示された、最終話「脱出」でのアムロの台詞「貴様だってニュータイプだろうに!」をスタートとして、そこから場面を遡りつつ、シャアに対するアムロの認識を追ってみます。
かなり変則的ですが、最初の描写を頭から探すより、確実で効率はいいはずです(とにかく楽がしたい)。

以上になります。早速、スタート地点となる最初の場面から考えてみましょう。




最終話「脱出」 : フェンシング対決


ラストからの遡り方式なので、最初はいきなり最終話。
アムロがシャアを、自分やララァと同じニュータイプだと叫んだ場面からスタートです。

場面としては、ア・バオア・クー内部での生身でのフェンシングシーン。
少し、前後のやりとりを引用してみましょう。

シャア「わかるか?ここに誘い込んだ訳を」
アムロ「ニュータイプでも体を使うことは普通の人と同じだと思ったからだ」
シャア「そう、体を使う技はニュータイプといえども訓練をしなければ」
アムロ「そんな理屈」
セイラ「やめなさいアムロ、やめなさい兄さん」
セイラ「二人が戦うことなんてないのよ、戦争だからって二人が戦うことは」
シャア「ヤアッ」
アムロ「チィッ」 
セイラ「あっ、あれ」
アムロ「い、今、ララァが言った。ニュータイプはこ、殺しあう道具ではないって」
シャア「戦場では強力な武器になる。やむを得んことだ」
アムロ「貴様だってニュータイプだろうに」

第43話「脱出」より


フェンシングで両者が激突し、いわゆる「ヘルメットがなければ即死だった」シーンが発生します。
ここでアムロは、ララァの声を聴き、彼女が言ったことを口にします。

0079_001.jpg

アムロ「い、今、ララァが言った。ニュータイプはこ、殺しあう道具ではないって」


一方のシャアはこれに対して

シャア「戦場では強力な武器になる。やむを得んことだ」


こう答えるのですが、アムロがララァのメッセージを口に出してしまっている以上、シャアはアムロの台詞に対して反論しただけなのかも知れません。

アムロはこれまでの数あるニュータイプ描写に加え、「光る宇宙」での体験や、この場面での映像描写から言っても、実際にララァの声を聞いたのでしょう。
でもシャアは? 彼には何か聞こえたのでしょうか? 本当にアムロと同じ体験をしたのでしょうか?

単純に描写だけを見れば、「聞こえた」「聞こえてない」どちらともとれると思います。

ただ、シャアの台詞の中身を考えると、ララァの声が聞こえていたとした場合、その彼女からのメッセージに対して本当に「戦場では強力な武器になる。やむを得んことだ」とドライに答えるでしょうか。

シャアは、のちの作品『逆襲のシャア』で消滅間際に至るまで、ララァを失ったことを後悔し続けることになる男です。
アムロ曰く真の発言者はララァですが、シャアの発言はあくまでアムロに対して、ドライに見せつつ自己正当化して、必然だったのだと自分自身を誤魔化しているようにも見えます。

実際のところ『逆襲のシャア』でも、未だにララァの幻影に悩まされるアムロに対し、シャアのララァ関連の場面は、彼自身の回想(ララァの死)と、おなじみギュネイの台詞「大佐のララァ・スンって寝言を聞いた女は、かなりいるんだ」で分かるとおり、寝言です。

しかも、アムロが寝ているときに実際にララァの幻影に出会う場面がきちんと用意されているのに対し、劇中でシャアの前にララァが現れてくれる描写そのものはありません。
この差は当然、意図的でしょう。

このフェンシングの場面に限らず、シャア・アズナブルがララァの声を聞いたり、姿を見たりするシーンは実際には描かれず、シャアにとってはララァは喪ったままの存在になっています。

主人公だけが死んだヒロインを見ることができ、一方ライバルはヒロインを見ることができないわけです。
ということは、これすなわち……


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ということで、大佐も夢でララァを見てるだけの人生では満足できなくなって、ララァのコスプいや、小惑星のひとつやふたつ、落とすようになるわけです。


まさに夢見る大佐じゃいられない。セブン(相川七瀬)もそう歌っています。
相変わらずの脱線により、こんなペースではいつまでたっても終われないので、決定的な根拠となる場面を求めて、もう少し遡ることにしましょう。

第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」&最終話「脱出」 : ガンダムvsジオング


場面は遡り、ア・バオア・クー周囲でのガンダムvsジオングの最終決戦。

この戦闘シーンでアムロがシャアに対して、ピースなニュータイプのバイブスをポジティブに感じたかどうか考えてみましょう。

キシリアはニュータイプの可能性があるものを乗せるしかないと、シャアにジオングを預けていました。
「学徒兵乗せるよりはマシ」という、赤い彗星の名にふさわしい極めて高い評価といえましょう。

また「足? あげなん飾りたい。なくてよかよ」と、きついジオン訛りで、率直にジオングの説明をしてくれたジオン兵(技術士官?)も、これまた率直に「大佐んニュータイプ能力は未知数たい」とポテンシャルに太鼓判を押しています。

ですから、ニュータイプの研究機関(フラナガン機関)をもつジオン内の評価としても、「ニュータイプの可能性はあるが未知数」というものだったんでしょう。その辺りがはっきりしないのは、フラナガン機関のテストや検査をちゃんと受けてないんでしょうか、この人。

もちろんアムロは、そんなジオン内での評価など知る由もありません。
ただ、ジオングの有線ハンドビームは、以前戦ったブラウ・ブロのオールレンジ攻撃と同じものです。

ブラウ・ブロのパイロットは「シャリア・ブル 攻撃効かず ブラウ・ブロ 荒くれKNIGHT 首くくるとは」(在原業平)の歌でおなじみ、木星帰りの枕詞シャリア・ブル大尉。ちなみに首はブラウ・ブロのメガ粒子砲塔の有線でくくります。荒くれKNIGHTは他に思いつかなかったので(正直)。

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シャリア・ブルのことを「普通の敵とは違う」と感じたアムロであれば、同じように有線ハンドビームでオールレンジ攻撃を仕掛けてくるシャアを「普通とは違う=ニュータイプ」と感じた、という可能性もあるでしょう。

ちなみにアムロがニュータイプのバイブスをポジティブに感じたシャリア・ブルは、シャアとララァに面会した際、こんなことを言っています。

シャリア「大佐、この少女、ああいや、ララァ少尉から何かを感じます。そう、力のようなものを」
シャア「で、大尉は私から何を感じるのだね?」
シャリア「いや、わたくしは大佐のようなお方は好きです。お心は大きくお持ちいただけるとジオンの為に素晴らしいことだと思われますな」
シャア「よい忠告として受け取っておこう。私はまた友人が増えたようだ。よろしく頼む、大尉」

第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」より


恐らくニュータイプ・ララァの存在を強調するためだと思われますが、ララァとシャアに対する感じ方に差をつけています。
少なくとも、シャリアが「同じぐらいのニュータイプ2人と出会った」という場面にはしていませんね。

シャア「で、大尉は私から何を感じるのだね?」
シャリア「……かなりの歪んだ変態性とコンプレックスの総合商社ぶりを感じますが……ここで、申し上げた方がよろしいので?」
シャア「はははは。大尉はガルマ大佐がなぜ戦死されたかご存知か?」
シャリア「大佐のような方にはお心は大きくお持ちいただけるとジオン・ダイクンの名誉と、私の命の為に素晴らしいことだと思われますな」
シャア「よい忠告として受け取っておこう。私はまた友人が増えたようだ。よろしく頼む、大尉」


これはともかく、戦闘を通してシャアをニュータイプと確信する、というのは可能性としてありそうです。

それも前半での単に手強いエースパイロット「赤い彗星シャア」というより、ジオングのように「サイコミュ」を搭載し、ニュータイプにしか出来ないオールレンジ攻撃をこなすまでに至ったシャアに対してなら、単に手強さだけでなく証拠も揃っています。
(まあ、シャアはジオングの性能を完全に引き出せたわけではないようですが)

0079_ziong.jpg

そう仮定するのであれば、ジオング戦以前の戦闘シーンでは、仮にアムロがシャアをニュータイプかも?と感じていても、「サイコミュ兵器」みたいな決定的な要素がないような気はしますね。

そもそも前半はただのエースパイロットでしたし、後半はアムロがニュータイプの覚醒によってシャアより優位に立つ上に、ララァの登場により、アムロとララァ2人のニュータイプに割り込む普通の人、として対比されることが多かったですから。

とはいえ、このジオング戦も可能性のひとつだというだけで、決定的な証拠があるわけではありません。
さらにもう少し遡りましょう。

第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」 : ガンダムvsジオング遭遇


戦闘が発生する少し前、ジオングとガンダムが遭遇するまでの流れは以下のようになっています。
ポイントになる台詞を抜き出してみました。

(1)ジオングで発進して、アムロを探すシャア
シャア「しかし、奴(アムロ)はどこにいるのだ?」
シャア「ん?あれか。モビルスーツ隊」
シャア「……奴め」

(2)ジオングを意図的に無視するアムロ
アムロ「大物だ。シャアか?」
アムロ「うしろから?なんだ?チッ」
アムロ「シャア以上のニュータイプみたいだ、しかし」
アムロ「しかし、今はア・バオア・クーに取りつくのが先だ」
アムロ「本当の敵はあの中にいる、シャアじゃない」

(3)ガンダムを補足するジオング
アムロ「取りついた。ん?」
アムロ「シャアか。こちらを見つけたな」
シャア「見えるぞ、私にも敵が見える」


この場面については、ハリーラットさん(@harry_rat)からお借りした、分かりやすい画像もあります。 ※クリックで元サイズ画像が開きます

0079_vol43.png


この一連の流れにおいて、まず重要なのは、この台詞。

アムロ「シャア以上のニュータイプみたいだ」


これは、暴れまわるジオングのプレッシャーを感じて、これはシャア以上のニュータイプが乗っているに違いない、とアムロが誤認をした、ということになるでしょう。

アムロによる貴重な、シャアとニュータイプを関連付ける台詞なんですが、結構微妙な台詞でもあります。

  • 一応、この段階でシャアのことを「ニュータイプ」的なものと認識していたことになる。
  • しかし、ジオングに乗ってがんばっているシャアを「シャア以上のニュータイプ」と誤認するほど、アムロのシャアに対する評価はそもそも低かったらしい。
  • 少なくとも、自分やララァと同格のニュータイプだとは全く思っていなかったようだ。

ジオング以前のシャアは、アムロにとってどういう意味での「ニュータイプ」だったんでしょうか?

これについて重要なのは『機動戦士ガンダム』では、ニュータイプ能力の発露に関しては、ある/ない、の二択ではなく、かなり幅のあるグラデーションになっていることです。

ホワイトベースクルーも、ミライやセイラなど、アムロほどではないですが、ニュータイプ度が比較的高い人もいれば、ブライトやカイのように低めの人たちもいます。しかし、ホワイトベースクルーは激戦とアムロの影響もあるのか、最後にアムロを迎えるランチの上にニュータイプ度がまったくゼロの人はいないように見えますね。

0079_lunch.jpg

「異能力者と一般人」のように能力階層がはっきりと分かれているのではなく、誰にでもニュータイプ的な素養自体はあり、グラデーションとしてのニュータイプが感じ取れるように演出されているところが『機動戦士ガンダム』のすばらしいところでもあります。

それを踏まえるとシャアのニュータイプ度も、アムロ・ララァを頂点とした相対的なグラデーションの幅の中で表現されるものに過ぎないわけです。

ミライやセイラにニュータイプの素養があることは、ファーストを見た人なら誰もが感じることですが、かといって彼女らを「まぎれもなくニュータイプです!」と断言するのも「ニュータイプではない!」と断固否定するのも、グラデーション化されている事を考えると違いますよね。0か1かではないので。

同じようなことが恐らくシャアにも言えて、ニュータイプの素養は当然あり、アムロは対峙することも多かっただけに「ちょっと違う」と感じていたようですが、自分やララァと同種(同レベル)のニュータイプとまでは思っていなかったようです。

覚醒したアムロ「他の敵はその回で惨殺できるけど、シャアは腕1本ぐらいで毎回生き延びてるみたいだから、多少違うね」


こわ! 白い悪魔こわ! ※アムロはこんな恐ろしいコメントしてません

逆に言えば、「シャア以上のニュータイプが乗っている」と誤認させるほど、ジオングではシャアはがんばっていたことになります。

ただ、それでもジオングの性能は完全に引き出せませんでしたし、オールレンジ攻撃もアムロに攻略されました。
胸部のコクピットをピンポイントで射撃され、頭部コクピットに移動していなければ即死でした。
「シャア以上のニュータイプ」との見積もりのジオングにも、アムロの圧勝と言っていいと思います。
(フェンシングといい、ジオング胸部への射撃といい、アムロが完全に殺す気まんまんなのが良い)

いやいや。ア・バオア・クーの激戦の中で、シャアはニュータイプらしく、アムロのガンダムの姿を発見しているじゃないか。と、思ったお友達もいるかも知れませんね。

アムロ「シャアか。こちらを見つけたな」
シャア「見えるぞ、私にも敵が見える」


確かに、あの中でガンダムを発見できたのは、シャアのニュータイプ能力によるものかも知れません。

しかし、ララァに戦う目的もないと言われたアムロは、彼女との出会いと別れを経て「戦争終結のためにザビ家の頭領を打ち取るしかない」という高みまで意識がいっており、だからこそジオングを発見しても無視していたわけです。

それに対しシャアは、ララァを喪ったことからアムロに私怨を抱き、当初の目的であったザビ家暗殺やニュータイプの未来や可能性を信じることも止め、ひどく視野の狭いアムロ絶対殺すマンになってしまいました。

このようなシャアは当然アムロに勝てるわけがないですし、このような視野の狭い「アムロ絶対殺すセンサー」が発動したからといって、シャアのニュータイプとしての価値が上がるわけでもないと思います。(むしろ逆ですね)

このアムロとシャアの比較に関しては、以前記事を書きましたので、宜しければご覧ください。

ガンダム0083とガンダム0079の比較
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-26.html

しかし、そうなると、どこからが一定レベル以上の覚醒したニュータイプなんだ。定義をくれ。
中心気圧と最大風速がどれだけ必要なんだ? 参加標準記録でどれだけのタイムを出せばいいんだ?

と、なりそうですが、これは恐らく能力値80以上は軍師になれる、みたいな数値的な定義の問題ではなく、物語上の役割の問題であるはずです。

ファーストにおけるシャアは、アムロとララァの関係に嫉妬して、人類史上初の出来事を永久に壊してしまうという役割なので、ジオングに乗れようが、アムロを発見できようが、ただそれだけの存在ということになると思います。

ということで、アムロがシャアをニュータイプだと認識している台詞は見つかりました。
ただ、その評価はかなり低く、少なくとも戦場において同レベルの存在とは思っていなかったようです。

とはいえ、この時点でニュータイプとしての評価があるということは、さらにこれ以前に、そのきっかけがあったということです。さらに遡ってみましょう。

第41話「光る宇宙」 : ララァとの交感シーン


さらに遡って、宇宙世紀のピカチュウこと「光る宇宙」へ。

ここでは、アムロとララァのニュータイプ同士の深い交感シーンがありますが、前述のようにシャアは蚊帳の外に置かれる関係上、むしろニュータイプの2人(アムロ&ララァ)と、それに嫉妬する1人の男(シャア)として対比をされていました。

よって、アムロとシャアの間にニュータイプ同士のあれこれはありませんが、アムロとララァが深くつながった際に、ララァの思念を通じて彼女を理解すると同時にシャアを理解した、という可能性を考えることはできます。

0079_lalah.jpg

ララァを通じた間接的な理解ということになりますが、確かにありえる話です。

実際、この第41話「光る宇宙」以降に、アムロがシャアという人物を理解しているとしか思えない台詞が出てきます。

アムロ「しかし、今はア・バオア・クーに取りつくのが先だ」
アムロ「本当の敵はあの中にいる、シャアじゃない」


ここでの「本当の敵」とは、当然ザビ家ということになります。
ザビ家が事実上の独裁体制をしいていることは、アムロだって以前から知っているわけですが、だからといってザビ家を倒す、という目的意識で戦ったことは別に無かったでしょう。

しかし土壇場のア・バオア・クーに来て、ニュータイプではあるものの一兵士であるアムロが、いち早く戦争を終結させるにはザビ家の頭領を討つしかない、という意識で戦闘に参加するわけです。
と同時に、ジオンそのものやシャア個人は「本当の敵」ではないということを悟っているのだと思います。

それはララァを通じてシャアを理解したことで成し得たものではないでしょうか。

そして、アムロの台詞はそれを裏付けるように進みます。

アムロ「シャアだってわかっているはずだ。本当の倒すべき相手がザビ家だということを。それを邪魔するなど」
アムロ「……今の僕になら本当の敵を倒せるかもしれないはずだ」
アムロ「ザビ家の頭領がわかるんだ」

シャア「その力、ララァが与えくれたかもしれんのだ、ありがたく思うのだな」


アムロは、シャアが本来戦うべき相手がザビ家であったこと、そして現在その目的を見失っていることまで理解している。
そして、今の自分になら「本当の敵=ザビ家」を倒せるかも知れないと感じている。

やはり「光る宇宙」こそが、アムロがララァから与えてもらった贈り物ではないのか。
ララァの思念からシャアを通して、ファーストの物語の根幹を成す「世界の大枠」を掴んだ。そこにはシャア自身がニュータイプであるという「ララァの認識」も含まれるのだろう。

そのアムロに対してシャアは、その理解と力は、ララァが君に与えてくれたもの(in 光る宇宙)だと言う。
つまり、シャア自身の台詞からも、ララァからアムロに与えられたものが存在することが説明されている。

ララァがアムロにくれたもの 時の狭間のラビリンス
ララァがアムロにくれたもの 夢にまで見た淡い夢
ララァがアムロにくれたもの 人の未来と可能性
ララァがアムロにくれたもの 全てを分かり合える人
ララァがアムロにくれたもの シャア・アズナブルのプロフィール
ララァがアムロにくれたもの 本当に倒すべきザビ家
ララァがアムロにくれたもの 取り返しのつかない涙
ララァがアムロにくれたもの いつでも会いにいける場所

大好きだったけど 彼氏がいたなんて
大好きだったけど 最後のプレゼント
bye bye my sweet darlin'
戦い終わらせるわ


後でまとめますが、もちろんララァを通して、が全てではなく、これまでの積み重ねがあった上の「光る宇宙」です。とはいえ、大きなポイントであったことは事実でしょうね。

ここで調査をやめてもいいのですが、念のため、もう少しだけ遡って、ポイントとなる回だけチェックしましょうか。

バックトゥザ一年戦争あとすこし



モグタン「ここは宇宙世紀0079年のロンドンだよ!」



一体何ごとかと ヒヤヒヤドキッチョしたが、なつかしい。あ、ケロンパじゃなくて二代目おねえさん。
そしてこんなことばっかりやってるから、この記事はちっとも終わらない。

第39話「ニュータイプ、シャリア・ブル」はすでに確認したので、さらに ヒヤヒヤドキッチョ(「遡る」の意)して、簡単にチェックだけしておきましょう。

第37話「テキサスの攻防」&「第38話「再会、シャアとセイラ」のテキサスコロニー編

ララァとアムロが反応しあい、お互いの名前をニュータイプ力(ちから)でお互いの脳内への送信に成功します。グラハム・ベル以来の快挙ですね。ララァのこれまでのキャラクターとは違った特異さがさらに際立つパートです。
シャアのニュータイプ度が分かるところは特になかったと思います。
しいて言うならここかな。ララァがアムロの存在を感じるシーン。

ララァ「あたしと同じ人がいるのかしら?」
シャア「ララァ、今なんと言った?」
ララァ「フフフ、大佐があたしの心を触った感じなんです」
シャア「私が? ララァ、冗談はやめにしてくれないか」


ララァにとって、アムロとシャアの「心に触った感じ」が似ている、と。ですがもちろん、アムロにとっての「シャア=ニュータイプ」の手掛かりとなるシーンではありません。

第34話「宿命の出会い」

サイド6でアムロとララァが初めて対面する回。
この回では、偶然の雨宿りから、アムロとララァの運命的な出会いを描いており、ララァが特別なキャラクターだということも画面からびんびん伝わります。

雨が止んだ後の帰り道。車がぬかるみにはハマって立ち往生するアムロ。そこを通りかかった1台の車。

0079_hentai.jpg

アムロ「すいません。あ、あの、お名前は?」
シャア「シャア・アズナブル。ご覧の通り変態だ」


という伝説の名シーンが登場します。
あんな格好の真っ赤な仮面の男が車から降りてきたら、事案発生です。即通報です。防犯ブザーです。
正しいやりとりは、前後を含めて以下のとおり。

車を停めて姿を現すシャア

アムロ『シャア』 ※心の声
シャア「すまんな、君。なにぶんにも運転手が未熟なものでね」
アムロ「い、いえ」
ララァ「ごめんなさい、よけられると思ったんだけど」
アムロ「あっ」
シャア「車で引かないと無理だな」
アムロ「え?」
シャア「君は?」
アムロ「ア、アムロ、アムロ・レイです」
シャア「アムロ?不思議と知っているような名前だな」
アムロ『そ、そう、知っている。僕はあなたを知っている』
アムロ「お、お手伝いします」
シャア「構わんよ、すんだ」
アムロ「すいません。あ、あの、お名前は?」
シャア「シャア・アズナブル。ご覧の通り軍人だ」
アムロ『シャア』
シャア「ララァ、車を動かしてくれ。静かにだぞ」
ララァ「はい、大佐」
アムロ『あれがシャアか。シャア、アズナブルといったな』
シャア「ゆっくりだよ、いいな?ララァ」
シャア「どうした?下がれアムロ君」
アムロ『始めて会った人だというのになぜシャアだってわかったんだ?それにあの子、ララァといったな?』


アムロは初めて会った男を「シャア」だと確信しています。これはニュータイプ的な直感と思っていいようですね。(赤い彗星はド変態コスプレ仮面との事前情報を入手していない限り)

一方のシャアは「聞いたことあるような名前だな」程度で、アムロのように「宿敵」であることを見抜いてはいません。

「不思議と知っているような名前だな」ぐらいの台詞は、ニュータイプや『ガンダム』も関係ない一般的なフィクションでも、何らかの演出上のサービスや意味ありげな一言として使われてるような台詞なので、シャアの勘の良さの証明にはならないでしょうね。

そもそも物語開始当初から戦ってきたライバルの最初の出会いであるにも関わらず、このように互いの理解に格差もあって、不思議少女ナイルなエルメスことララァとの出会いの方が衝撃である、という描き方がされています。

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やはりシャアは、この時点ではニュータイプ(ララァ)のプロデューサー的存在ではあっても、本人のニュータイプ能力については前景化されていません。
むしろこの後、あの赤い彗星がつい先日実戦デビューした少女に「邪魔です」と言われる、というような形で、「ニュータイプ」の特殊性を強調させるための対比役にさせられているほどです。

これ以前に遡っても、アムロとシャアがモビルスーツで直接相まみえるのはジャブローまで遡ってしまいますし、その少し前までいけば第26話「復活のシャア」で久しぶりに再登場した回。その前はランバ・ラルの前まで遡る……。
もうこれ以上は必要なさそうですね。遡り調査はここまでとして、まとめに移りましょう。




調査まとめ : アムロはシャアをいつニュータイプと判定したか


今回の目的はTV版『機動戦士ガンダム』において、「アムロ・レイが、シャア・アズナブルをニュータイプであると確信した根拠を見つける」というものでした。

結論から申し上げると、「決定的な描写は存在しない」ということが分かりました。

調査前の「特にそのシーンが思い当たらない」という記憶が実は正しかったことになりますね。
ただ、あやふやな記憶ではなく、調査の上できちんと「存在しない」ことを確かめることには、それなりに意味はあります。ありますよね? ねえ、あるって言って!

決定的な描写はありませんでしたが、アムロが最終的にシャアのことを「貴様だってニュータイプだろうに!」とは言っているわけですから、その台詞に至った流れを可能性から複合的に考えることはできます。
というか、決定的な証拠がない以上、可能性の中から落とし所を探るしかないでしょう。

ではここまでに得られた情報と考察を整理してみます。

<シャアを「ニュータイプ」であると認識した時期について>

第42話「宇宙要塞ア・バオア・クー」以前ということは判明

※第42話、ジオング遭遇時のアムロの台詞「シャア以上のニュータイプみたいだ」より

<全体的な傾向と流れ>

シャリア・ブル、ララァと続けてニュータイプが登場する時期には、むしろシャアは普通の人側として対比されるキャラクターになっています。
エースである赤い彗星を、軍に入ったばかりのララァがその戦果を凌駕し、邪魔に思い、心配するように。
ララァの死後、ニュータイプ用モビルスーツであるジオングをぶっつけ本番で動かせた事、そのジオングに遭遇したアムロの「シャア以上のニュータイプみたいだ」の台詞によって、視聴者も「シャアもやっぱり(アムロやララァに劣るが)ニュータイプなんだな」と理解する流れ。

<アムロがシャアを「ニュータイプ」であると考えた要因(可能性)>

いくつかあるので、箇条書きにしてみました。

(1)ニュータイプの自分と互角に渡り合って死なないエースパイロットだから(生存バイアスかも)

(2)サイコミュ搭載のジオングでのオールレンジ攻撃(ブラウ・ブロと同じ「普通でない」攻撃)

(3)ララァとの精神交感時に、彼女を通してシャアのことも理解した(ニュータイプであることも)

(4)上記も含めた上での、アムロのシャアに対する、ある種の買いかぶり。


ひとつの大きな理由は、シャアとの戦闘を通じて、アムロが相手のことを「ニュータイプでは?」との認識を深めていったという要素。
より正確には、アムロ自身も後半ニュータイプへと急成長していくので、最終話まで生き延びて、自分と戦えるようなシャアのことを、自分と同種であると認識していった、という感じでしょうか。
これは連続アニメであるTV版だからこその積み重ねが、可能性としての説得力を生んでいます。

ふたつめのオールレンジ攻撃については、ジオング遭遇時にすでにシャアがニュータイプとの発言がありますので、ジオングとの対戦で、シャアに対するニュータイプ度の見積もりが上がったという感じでしょうか。

もうひとつ大きな要素が、みっつめ「光る宇宙」でのララァとの精神交感シーン。
これにより、ララァを通じてですが、シャアという人物のことも理解したのではないか?という可能性。
実際に、アムロはこれで知ったとしか思えないことを、これ以降しゃべっていますので、シャアのニュータイプ要素に関しても十分にありえるとは思います。

また違った角度として、よっつめ。
アムロのシャアに対するある種の買いかぶりと見ることもできるでしょう。
いくつか、最終話のやりとりを抜粋してみましょう。

シャア「今、君のようなニュータイプは危険すぎる。私は君を殺す」

アムロ「本当の敵はザビ家ではないのか?」
シャア「私にとっては違うな」

アムロ「い、今、ララァが言った。ニュータイプはこ、殺しあう道具ではないって」
シャア「戦場では強力な武器になる。やむを得んことだ」
アムロ「貴様だってニュータイプだろうに!」


シャアはその言葉とは裏腹に、ララァの死を「やむを得なかった」とは全く思っていないし、アムロを殺したい理由は「今、君のようなニュータイプが危険すぎるから」では無い。ララァを死なせた自分への苛立ちとアムロへの怒りと嫉妬の私怨を、仮面で取り繕っているに過ぎない。

アムロは、ララァとの経験があるからこそ、同じニュータイプであると認めたシャアと自分がこれ以上殺し合うことに意味を見出せないし、同じ目的であるザビ家を倒して、こんな戦争は早く終わらせるべきでは?と思っている。

ところが同時にララァの「ニュータイプは殺し合う道具ではない」という声を聞いた(はずとアムロは思っている)シャアが、この期に及んでごまかしのふざけた台詞を吐くので、ほとんど売り言葉に買い言葉のように、ついカッとなって叫んだ言葉が「貴様だってニュータイプだろうに!」だと思われる。(これが14年ほどワインのように熟成されると「情けないやつ!」になる)

しかしそれはシャアに対するアムロの買いかぶりであって、ララァを失うという共通体験は、アムロにとっては結果的に戦う意味と守るべきものを自覚させるものとなったが、シャアにとっては「アムロ絶対殺すマン」への変身トリガーでしかなかった。シャアに発現したニュータイプ能力も結局アムロ=ガンダムの撃墜のためだけに使用されてしまっている。

アムロのシャア・アズナブルへの高すぎる見積もり評価は、他ならぬシャア自身の言動によって覆され、間違いであることが証明されていく。

シャア=ニュータイプ認識のトリック


さて、このような可能性要素のミックスによって、アムロはシャアをニュータイプと認識していたのだ、ということになるのでしょうが、はっきりいって、ここにはある種のトリックが存在すると思う。

前述のように、シャアはララァ達ニュータイプとむしろ対比されていたのに、彼女らがいなくなったために、急にニュータイプ(の可能性)として扱われる。しかしララァの死で決定的な体験をしたのはアムロであって、シャアではないから覚醒の契機にはなっていないし、実際にそういう描写もない。

しかし実際に、テストもしていないジオングで戦えてしまう。
そんなシャアを、アムロは以前からニュータイプと認識していたという事になっており、特に驚きもしない。
今回調べたように、アムロがシャアから直接ニュータイプを感じ取るような描写や演出は特にされていないにも関わらず。

きちんと見ていくと色々と不自然かつ釈然としない点があります。
しかし、普通に見ていてそうは思わないのは、もう富野由悠季にだまされ……トリックにかけられているという他はないような気がする。

浜田「うーん、見事なトリックだ。どうしてわかった?」
東野「もし、僕がトリックだったらどうします? トリックの身になって考えてみてください。謎は深まるばかりです」




トリックの身になって考えてみると、まずキシリアの立ち回りが大変上手い。
シャリアもララァも死んだ状況では、ニュータイプの可能性が少しでもあるものをジオングに乗せてガンダムにぶつけるしかないと主張するのは彼女だ。確かに名のあるパイロットは全員死んでしまって、選択の余地なくシャアしかいない。

とはいえ「乗れるニュータイプもいないのに、サイコミュ搭載モビルスーツ作ってたんですか?」と言いかけようとした頃に、キシリアが「総帥がニュータイプにもっと早くお気付きであればな」と、先ほど眉間を撃ちぬかれて反論不能になった甘い兄上に全責任を負わす盤石の立ち回り。

結果、ニュータイプとしては可能性程度のシャアが、テストもしてないジオングにぶっつけ本番で搭乗して、最終的にガンダムと相打ちにまで持ち込むという、冷静に考えると奇跡としか思えない戦果を上げることになりました。
明日の朝刊一面は「赤い彗星ジオングで大金星!キシリア采配ズバリ!」で決まりです。

でも、画面を見てる限り、この辺りの不自然さはあまり感じません。
もうなるべくして、物語が収束していったという感じで、私も今回検証するまで、あまり疑問に思っていませんでした。

恐らく本来は、もう少し丁寧に、段階を踏んで、ニュータイプというものをアムロと視聴者、ついでにシャアにも体験させ、理解させていく予定だったのかも知れません。シャリア・ブルとララァだけでなく、例えばその後にもう何人かサンプルとなるニュータイプのキャラクターを追加したりして――――本来?

つまり『機動戦士ガンダム』が全43話でなく、「幻の全52話構想」であれば、もしかするとニュータイプとしてのシャア・アズナブルの描かれ方は、あやふやで唐突なものではなく、もう少し自然だったのかも知れませんね。

これはニュータイプ・シャアの表現についての「例えば」であって、『機動戦士ガンダム』が全52話であれば良かったという話ではありません。
全43話の現状でも、こうして検証しない限りは違和感なく、自然に受け入れてしまうような構成・演出がされていることはすでに語ったとおりです。

結局のところ、ニュータイプとしてのシャアとはどういう存在なのか


さて、今回はアムロの視点で「シャアをニュータイプだと認識したのはどのタイミングか?」を調べてながら考えてきました。

実は決定的な描写が存在しない事が判明しながらも、富野監督にだまさ……巧みな構成により、そのことをあまり感じさせない流れになっていることも分かりました。

ただ、はっきり言いまして、これ自体は『機動戦士ガンダム』の小ネタやトリビア程度にすぎません。

しかし、シャアのニュータイプとしての立ち位置や根拠が実はあやふやであったという事実は、『機動戦士ガンダム』TV放送時のニュータイプ、そしてアムロとシャアを考える上で、重要なポイントを教えてくれているとも考えます。

そのポイントは2つ。

(1)シャアはアムロを、アムロはシャアを、お互いをニュータイプだと認めるようになったが、この2人の間にはいわゆるニュータイプ的な精神交感がない(直結による相互理解ではない)

(2)シャアは、ララァと深くつながったアムロと違い、ニュータイプとして「決定的な体験」をしていない(生涯できなかった)


シャアは、ごく短期間のうちに、素人同然から自分を凌駕するまでに不自然に急成長したアムロ・レイを、連邦が実戦投入してきたニュータイプであると確信しています。

実際に初期からアムロと戦ってきたシャアだからこそ納得感もありますが、いわゆるニュータイプ的なセンサー(直感)による判断ではありません。アムロの存在はニュータイプとでも定義しないと考えづらい、という仮定が確信に深まっていった感じでしょうか。

一方のアムロ側。今回の調査としては、シャアと長らく対峙してきた経験の上で、「光る宇宙」でのララァを通してシャアを理解した、という面が大きいのではないかと思われます。

これにはニュータイプ能力が使用されていますが、ララァというフィルターを通して間接的に理解をしています。ですから「ララァが認識しているシャア大佐」とも言えるので、もしかすると実像とはズレがあるのかも知れません。

ただ 「貴様がララァを戦いに引き込んだ」と、シャア相手になじれるほど、ララァとシャアの関係性とその主体がどちらにあるのかも理解しているところを見れば、やはりアムロ側の方が深い理解をしているんだろうな、という気はします。
いずれにせよ、アムロからシャアへの一方通行的な理解であって、相互理解では全くありません。

つまりこの二人は相互不理解、ディスコミュニケーションの中でお互いが「相手はニュータイプである」ということを理解した、ということになります。

同じ結論に辿り着いたにも関わらず、ララァの一件による互いの立場のため、ニュータイプ的に交わり、分かり合えることはありません。実際に光の中に消えていくその瞬間までその日は来ませんでした。
(それでもアムロにとってシャアが、シャアにとってアムロは、ある意味で最大の理解者だったのですが)

『機動戦士ガンダム』のニュータイプといえば、アムロとララァの時を超越した深い交感シーンをイメージすることが多いですよね。
人は変わっていける。人は分かり合える。人はいつか時間さえ支配することができる。

しかしその裏では、互いの立場を超えてこの戦争で何をすべきなのか。違う出発点から、全43話をかけて同じ結論に辿り着いたのに、結局最後まで殺し合いしか出来なかった二人のニュータイプがいました。

0079_vsziong.jpg

『機動戦士ガンダム』はコミュニケーションの可能性の物語であると同時に、ディスコミュニケーションの現実と限界の物語でもあったわけです。
そのドラマを演じるキャストは全員ニュータイプであり、いわゆるオールドタイプとニュータイプの断絶の話ではありません。理解し合うのもニュータイプ。相互不理解もニュータイプ。

つまり「ニュータイプ」という新しい存在を描きながらも、まぎれもなく「人間」そのものを題材として描いているわけです。
それが『機動戦士ガンダム』。のちにファーストガンダムと呼ばれる作品での、ニュータイプのお話であると私は思っています。

情報ネットワークに覆われた現代社会を予見したわけでもないし、家族的なものを超越する擬似家族的な共同体への希望として示されたわけでもないんじゃないかな。

なりそこない王子のあせり


そして、ファースト以降の作品を見る限り、スペースノイドを導くジオン・ダイクンの遺児シャア・アズナブルが、「ニュータイプとして決定的な体験をし損ねた」ことはかなり大きな影響を与えています。

ハマーン、カミーユ、ナナイ、クェス……特にハマーンとカミーユの時に顕著ですが、才能ある若いニュータイプを前面に押し出してプロデューサーのような位置に自分を置きたがるのは、役割から逃げたがる性格と共に、自分が「ニュータイプとして決定的な体験をしていない」ことも影響しているはずです。

しかし『Zガンダム』では、カミーユ以前にプロデュース失敗したニュータイプであるハマーン・カーンの逆襲にあいますし、プロデューサーとしては、シャアよりやり手でより狡猾なシロッコが登場します。
「戦後世界を支配するのは女だと思っている」といいながら、その女性を支配する事で世界をコントロールしようとするシロッコですが、「女」を「ニュータイプ」と入れ替えれば、実は「これからはニュータイプの時代だ」などと言っているシャアとそう大差はなく、彼に対する皮肉としても機能するキャラクターだと思います。

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シャアが自分自身を「ニュータイプ」として、ジオンの遺児として先頭に立ち、道化を演じることに割り切れないのは、父性から逃げるその性格もさることながら、やはり「ニュータイプとして決定的な体験をしていない」ことも大きいのではないでしょうか。

だからこそシャアは、アムロ・レイにこだわり続けます。
後に「母になってくれるかも知れなかった女性」と語るララァと、時の向こう側、ある種の「彼岸」に立ったのはアムロ・レイだけ。
しかし、自分を導いてほしかったララァはもういない。
殺してやりたいが、「ニュータイプ」として人々を導く資格があるのは、シャア視点だとララァと交わったアムロ・レイしかいない。

しかし当のアムロは宇宙に出たがらなかったり、ニュータイプと関わりになるのにも消極的です。
挙句の果てに、愚民どもにその才能を利用され、「貴様ほど急ぎすぎもしなければ、人類に絶望もしちゃいない」 などとのたまう。

つまり「結論を急ぎすぎるな」と。それがララァと共に彼岸を見たアムロの結論です。
(逆に言えば、その体験をしてさえこの結論は、人類の歩みに魔法のような奇跡など無いという諦念でもあるでしょう)

だがシャアは、その景色を見ていない。体験していない。
それなのに、ジオン・ダイクンの遺児というだけで、スペースノイドを導く道化をやらされている。
だから彼は、『逆襲のシャア』において、アムロに「ならば、今すぐ愚民共すべてに叡智をさずけてみせろ!」と無理難題を言います。

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新大阪のマクドナルドで「ポテトS大盛りと水。はよせいや。しばくぞ」と注文する大阪人のような「いらち(せっかち)」さです。
なぜここまで性急なのか。なぜ次の世代に任せたり、未来を信じられないのか。

それは彼自身こそがアムロに、「今すぐ叡智を授けて欲しい」側の人間だからでしょう。
全人類にと言っていますが、この世で最もそれを欲しているのは誰あろう、シャア・アズナブル本人だろうと思います。

アムロの「結論を急ぐな」(未来に託せ)では、何より自分自身が救われない。
だから待てない。だから「ポテトS大盛りと叡智!はよせいや!しばくぞ!」と、今すぐ寄越せの無茶を言いながら、結局のところアムロに救済をすがっている。
ニュータイプとしての自分を産んでくれる母たるララァがいない以上、もうアムロしかいない。

そんな「結論を急ぐな」のアムロと、「今すぐ救え!」のシャアの二人が、目の前にいる少女(クェス・パラヤ)すら救済できずに、お互いに責任をなすりつけあいながら、光の中に消えていく。

それが『逆襲のシャア』の結末であり、『機動戦士ガンダム』で、お互いをニュータイプであると認識した二人の結末になりました。




あとがきや余談など


今回は、友人の「シャアって、ニュータイプなの?」という素朴な疑問をきっかけに、最終回からの遡りというかなりずぼらな調査を行いました。

今回の記事のベースはTwitterに連投していたツイートがベースになっております。
リアクションも色々頂き、参考になる情報も提供して頂きました。可能な限り盛り込んだつもりです。
Twitterにて、ご協力を頂いた皆様、ありがとうございました。

記事を読まれた方で、私がもし重要なポイントになるようなものを見逃していたら、ぜひ教えてください。
「あ、それありましたね。なるほどなー。失敗したなー」と返させて頂きます。(記事を修正しろ)

正直、劇場版には一応チェックだけ入れておくつもりでしたが、結局全部チェックしきれてません。
対象範囲はTV版だけにして良かったと思いました。

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ちなみに、この記事全体で、シャア・アズナブルという人物の事をボロクソに言っているように見えるかも知れませんが、シャアの事は最も愛すべきキャラクターだと思っておりますので、誤解とご心配なきよう。(ボロクソ言っているのは事実です)

シャアもアムロもひとつの記事では語りつくせないので、このブログではさまざまな角度から記事を書いております。
今回の視点設定だと記事内容もこうなった、というだけに過ぎませんので、ご理解ください。

もしご興味がありましたら、当ブログの富野作品関連記事の一覧から面白そうなのをお読み頂けると嬉しく思います。

【目次】富野由悠季ロボットアニメ 記事インデックス
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-171.html

ここから余談になりますが、シャアが明確にニュータイプ的なセンサーを使用するのは、ファーストの続編『機動戦士Zガンダム』第1話「黒いガンダム」ではないか、という気がします。
(「アムロ絶対殺すマン」センサーは、ア・バオア・クーでも使っていますが)

クワトロ「この感触……アムロ・レイ……ララァ・スンか……!?」


主人公カミーユに対して、グラサンノースリーブが、アムロやララァの感触と同じようなものを感じているという台詞です。
これをそのまま受け取れば、アムロはともかく、あの時点でのララァに対してもニュータイプ的な感触を同じように感じていたということになりますが、まあファースト以降のことは、後付け補強的に結構何でもできてしまいますからね。(だから、記事本編でも参考資料にはしませんでした)

ちなみに賢明な読者諸氏なら、上記を踏まえて、「ララァとニュータイプ的に精神接触できていたなら、なぜアムロみたいな事ができなかったの?」という疑問も浮かぶのはないかと思います。

これについては過去記事でも触れたことがありますが、私は「シャアが、ニュータイプ同士の関係になる前に男女関係になってしまうから」ではないかと思っています。

0079_manandwoman.jpg

ニュータイプ同士の関係を結ぶ前に、ニュータイプ少女と男女の関係になってしまうんですね。シャアは。
で、自分は役割を押し付けられるのが死ぬほど嫌いなくせに、パートナーには男女を前提とした関係と役割を押し付ける。
恐らくこれでは「男と女」の関係にしかならず、ニュータイプ少女は基本的に愛するシャアのために戦い、命をかけようとするでしょう。ララァ、ハマーン、ナナイあたりは、一時的にせよこのような関係になっていたのではと思われます。

ちなみにこれは『∀ガンダム』においてハリー・オードが、彼に好意を持つキエル・ハイムに対して「貧しい愛」であるとして、きっぱりと否定した関係性です。
仮面をつけた男の「貧しい愛」を、はるかな未来、同じく仮面の男が否定する。
これもまた、全肯定&全否定の『∀ガンダム』という作品に含まれる重要な要素のひとつだと思います。

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このようなシャアですから、『Zガンダム』においてカミーユ・ビダンがもしその名の通り少女であったなら、確実に寝ていると思います。
男同士であることで、シャアとカミーユの関係は「貧しい愛」による破綻は免れましたが、役割からとことん逃げるシャアはカミーユの兄とも父ともならず、結局カミーユはあちら側へ行ってしまいました。(彼を助けたのはシャアのシャドウでもあるジュドー・アーシタ)

同じようにシャアは、『逆襲のシャア』のときに、女カミーユことクェス・パラヤが父親を求めていることに気づかないまま、みすみす死なせてしまいました。人は同じ過ちを繰り返す。

劇中でシャアとクェスの間には肉体関係は無いはずです。
ですが、もしクェスと過ごす時間がもっと長くなれば、シャアは恐らく自分と彼女の関係性をはっきりさせるために、男女の関係になるでしょう。その片鱗は本編にも出ています。

クェス「あたし、ララァの身代わりなんですか?」
シャア「クェス。誰に聞いた?いや、なんでそんな事が気になる?」
クェス「あたしは大佐を愛してるんですよ」
シャア「困ったな」
クェス「なぜ?あたしは大佐の為なら死ぬことだってできるわ」
シャア「わかった。私はララァとナナイを忘れる」
クェス「……なら、あたしはαで大佐を守ってあげるわ、シャア」


はい。見事な「貧しい愛」のパターンのひとつですね。
あとは肉体関係を持ってしまえば、関係はさらにはっきりし、シャアは男性として女性を利用する側に立てるでしょう。
もちろんララァやナナイのことも忘れませんので、ここでクェスに語っていることは全て嘘です。
(そして、ニュータイプではあるが未熟な少女クェスに、その本心を見せない程度のことはできる)

これを見る限り、シャア・アズナブルが彼が望むところへたどり着く可能性はやはり無いように思えます。
『逆襲のシャア』の中で、本人も少しは自覚があるようですが、多分ちゃんと分かってない。

シャア『ジオン独立戦争の渦中、私が目をかけていたパイロット、ララァ・スンは、敵対するアムロの中に求めていたやさしさを見つけた。あれがニュータイプ同士の共感だろうとはわかる』


やはりシャアは、人間界に転生させて、人生をやり直させるしかないんじゃないかなと思いますね。
昔、一度使ったネタですが、やはりこれでしょう。

火の鳥「お前は生まれ変わって、革命家となり、インテリの世直しをするのです」
シャア「え、またですか!?」
火の鳥「その次もです」
シャア「えー!」


ですから、私は正直『ガイア・ギア』読んでいませんけど、アムロではなくシャアのメモリー・クローンである「アフランシ・シャア」というキャラクターが存在する事は、とても納得できます。
それは『逆襲のシャア』ラストで、受精卵(サザビーの脱出カプセル)に戻ったシャアには、人生やり直す必要があるからだと思うんですよね。それは義務でもあり、罰でもあり、多分チャンス(恩情)でもある。

ただし、アムロの方は転生どころか思念体にすらならないと思うけどね。


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おまけ(今回の歌ネタ)


今回はなぜか歌ネタが多かったのですが、文中に入れるとさすがに邪魔だと思いましたので、末尾おまけとして、元ネタ動画を集めておきます。(ネタの時点で邪魔とか言わない)







書いてる本人が途中で「こんな長いの誰が読むの?しかもおふざけだらけで…」と思った記事を最後まで読んで頂いて、本当にありがとう。
よく考えたら、毎回どの記事もそうなので、懲りずにまた書くと思います。ではまたお会いしましょう。
それは昔。私がまだ「お兄さん」で通用するほどの昔。
確か正月で、祖父の家に親類が集まって食事をしたあと、私は居間で何人かとTVを見ていた。

そこへ、親戚の幼児(当時2~3歳ぐらいか?)がトコトコ歩いてきて、あぐらを組んで座っていた私のひざにちょこんと座って、私の体にもたれかかり、一緒にTVを見始めた。私は驚いた。なぜか。

関係が日常的で、深ければわかります。
でもこれまで、せいぜい盆と正月に何度か遊んであげた程度の、覚えているかどうかも怪しいレベル。
そんな人間の膝に、こうも屈託なく座り、全幅の信頼を寄せるように体を預けられるものかと、幼い頃から人見知りで警戒心の強い子供だった私は少し驚いた記憶があります。

もちろん子供が飽きて、どこかへ行くまでの間、私はおとなしく座っていました。

チンピラ主人公のズボンの端


『グランド・セフト・オート(GTA)』という超人気ゲームシリーズがありますね。
アメリカの架空都市を舞台に、車を盗んでイカした(イカれた?)チンピライフを満喫する自由度の高いゲームです。


私は『GTA3』を途中までプレイしたことがあるだけですが、このゲームをプレイして何より感動したのは、オープンワールド(箱庭世界)のつくりこまれた架空都市が、反社会的な存在であるチンピラ(犯罪者)に与えられていたことです。
現代社会的なゲーム舞台で心から自由に遊ぶには、反社会的な存在になるしかない。

ゲーム上、自動車泥棒や暴行・殺人がシステムとして用意されているからそれをするのではない。
自分(プレイヤー)がどうしようもないクズだからこそ、それをするのだ。楽しむのだ。
少なくとも私には、そういうゲームでした。

こうした『GTA』的なゲームで、「チンピラ主人公のズボンの端を、いつの間にか見知らぬ幼児が握っている」というシチュエーションはどうでしょう? その姿をちょっとイメージして欲しい。
主人公が歩くと、幼児もそのまま拙い歩き方でついてくる。
止まれば、幼児も止まる。

このようなギミックを追加するだけで、ゲーム内容が変化したりはしないだろうか。

もちろん暴力的なプレイに何も制限はしない。
だが、幼児が巻き込まれた場合、たやすく死んでしまい、二度と主人公のズボンの端は握らないだろう。

ちなみに、Twitterで(間接的に)頂いた反応によると、GTA+幼児は『BioShock(バイオショック)』というゲームで、似たようなシチュエーションは体験できるらしいです。



私はこのゲームを全く知らないので、少し検索してみたのだけど、プレイヤーの選択で「助けるか」「能力強化の犠牲にするか」を選べる、リトルシスターというキャラクターがそれにあたるのだろうか?

バイオショック
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病弱な妹の薬代を稼ぐ兄


考え方的には、先程の幼児とむしろ逆になるけれど、「GTA的主人公に盲目で病弱な妹を追加する」というのは、どうだろう。

妹には日々の生活費と莫大な手術費用が必要になる。
兄は反社会的な活動でそのお金を稼ごうとする。それが最も手っ取り早く合理的だ(おまけに楽しい)。
だからゲームプレイ内容は、通常の『GTA』と全く変わらない。
いや、むしろ積極的に犯罪や殺人などをすればするほど、それだけ妹の為になるはず。

いつもの自由な行動(犯罪や暴力)の結果、「盲目の妹」の命が助かっている、という要素だけがゲームに追加され、制限は何もない。

もちろん盲目の妹は、兄の仕事を知らず、自分の為に無茶をしているのではないかと、いつも主人公を心配している。

AI王様と私


いくつか思わせぶりなイメージを書いてきましたが、ここまでのあれこれを踏まえて、もう少し具体的な妄想ゲームを考えてみましょうか。

もちろん、ゲームを実際に作るでもなく、リアルにゲームを設計するわけでもなく、面白おかしくコンセプトだけを提示して、ゲームを考えるふりをしながら「物語」について考える、という、このブログで何度もやってるいつもどおりのアレです。
単なる妄想にすぎないので、ここからは読者諸氏の豊かなイメージ力(ちから)に頼ることになります(それもいつもどおり)。

さて、どんなゲームか。

実は、『ターミネーター2』的な「暴力装置とその主人のコンビ」という構造のゲームで、面白いことができないかな、と以前から考えていました。

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ただ、プレイヤーが担当するのは、暴力をコントロールする側(主人)の想定で考えていました。
でも、ゲームにおけるプレイヤーという存在は、むしろターミネーターに近いのではないのか。

プレイヤーは暴力を担当するキャラクターとして、コンピューター(AI)の主人とペアを組む。
その方が、構造的にも、内容的にも興味深いものになるかも知れない。

プレイヤーは暴力の象徴的なキャラクターになります。
ターミネーターのような存在でもいいし、サムライや騎士でも、魔法使いや超能力者でも何でもいい。
キャラクターとして大事なことは以下の3つ。
  • 比類なき戦闘力をもっていること(暴力装置)
  • ある目的のために、仕えるべき「王(主人)」をもっていること
  • 暴力は「王」の許可を得ることで初めて使用できること
※「王」というのは地位や役職ではなく、概念的なキーワードだと思ってください。

ゲームでは、プレイヤーは自分が仕えるべき主人となる「王」(AIキャラクター)を、用意された何人かの中から選択できるとよいですね。

それぞれの「王」はそれぞれ自分の目的を持ち、暴力装置である主人公(=プレイヤー)を、どのような目的で、どのように使うか、という利用目的、倫理基準、判断基準などが異なります。

ある「王」は復讐のために。別の「王」は逃避行のために。また別の「王」は何かを手に入れるために。
個人として達成したい目的を持っており、そのために主人公(=プレイヤー)の力を必要とします。

主人公(=プレイヤー)の暴力(戦闘能力)は、何段階かのレベルに分けて制限がかけられており、その制限が解除できるのは、自らが仕える「王」のみ。
「王」が制限を解除することで、圧倒的な暴力をゲーム内で振るうことが出来ます。

要するに「三蔵法師(王)に対する孫悟空(暴力装置)」、「水戸のご老公(王)に対する助さん(暴力装置)」をするゲームといえば、分かりやすいでしょうか。

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ご老公が「懲らしめてやりなさい」と言った時だけ、助さんの暴力は解放され、「それぐらいでよいでしょう」と言った時点で、暴力はまた制限される。そういうゲームです。

暴力の使用はプレイヤーではなく、仕える「王」に委ねられますが、暴力が制限される方向だけで不自由になるとは限りません。

仕える「王」によって、暴力の使用基準は異なりますので、「ちょっと、足になる自動車を調達してこい」「この村を住民ごと焼き払え」などという倫理基準でプレイヤーを使おうとする「王」もいるはずです。

場合によってはプレイヤーが望まぬ状況で暴力を振るうことを命じられる可能性もあるでしょう。
それでも基本的には暴力装置に徹して、忠実な「王」の剣となり、「王」の目的を達成することがプレイヤーの役割になります。

『Fate』シリーズでの「サーヴァント(英霊)」側をプレイするゲーム、とも言えるかもしれないですね。

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ここまでの基本ルールまとめ


ここまでいかがでしょうか。
所詮、妄想にすぎないので、コンセプトだけ把握して頂ければ大丈夫ですが、ここまでの基本ルールを簡単にまとめておきます。
  • 主人公(=プレイヤー)は、自分が仕える「王」(AIキャラ)を決め、その従者となる。
  • 「王」はそれぞれ背景も個性も異なるが、目的のために主人公を利用するという点では同じ。
  • 主人公の戦闘能力は「王」に捧げたもの。勝手に暴力をふるうことはできない。
  • 主人公の戦闘能力にはリミッターが設定されており、これを解除できるのは「王」のみ。
  • 「従者」として、「王」の目的をサポートし、それを達成することでゲームクリアとなる。

では、この「王(主人)と暴力装置(従者)」コンビによる、ゲーム全体のプレイイメージを考えてみましょうか。

多分、このゲームを考える上でもっとも分かりやすく、相性も良さそうな物語は「復讐劇」ではないかと思われます。
以後は、「復讐劇」をサンプルとして話を進めましょう。

復讐するは我でなし。王の望みなり。


このゲームの場合、「復讐」はプレイヤーの目的ではなく、プレイヤーの主人たる「王」の目的です。
両親の仇、恋人や子供の仇、同胞の仇、何かは知りませんが、あなたの主人は「復讐」を望んでいます。

主犯を含めた、n人の仇が「復讐」のターゲット。
それを共に旅しながら追い、主人を守りながら、ターゲット全員をひとりずつ殺していくのがこのゲームでのプレイヤーの役割です。

こういう設定では、復讐すべきターゲットにも、それぞれ人間模様があり、複雑な事情があり、というのがセオリーなので、標的を追う中で、主人と従者(プレイヤー)は、ターゲットの個人的な背景を深く知ることになるでしょう。

命を狙われていることに気づいたターゲットが、あわてて雇った何十人もの用心棒。
「王」によってリミッターを解除された主人公が、圧倒的な暴力でそれを粉砕していく。

そして、追い詰めたターゲットをどう「処理」するのか。

このゲームでは、主人の命令(制限解除)なしでは、プレイヤーは暴力を振るうことが出来ないので、ターゲットの背景を知った上で、主人が下した判断に従うことになるでしょう。

あなたが仕えることを決めた「王」は、ターゲットを殺すのか。見逃すのか。

この生殺与奪の権利を、プレイヤー(人間)ではなく、パートナーである主人(AIキャラ)に完全に預けてしまうという点がちょっと面白いかな、と思っています。AIの言うとおりにターゲットの命を奪う人間。

あくまでも構造上の面白さなので、コンピューターゲームとして実際にあったとして単純にどうだろう?とは思いますが。

復讐劇にスポットを当てれば、これは『無限の住人』で少女・凜(主人)に雇われた用心棒・万次(暴力装置)をプレイするゲームでもあります。



万次は凛の仇である逸刀流には何の恨みも因縁もありません。
実行者こそ万次ですが、凛の殺意が逸刀流を殺すのです。

その万次の視点と役割で物語に関わる、というのをちょっとやってみたい気がします。

よその世界の他人事を救う英雄


そもそも、ゲーム世界での魔王の危機も、銀河系の危機も、個人的な復讐も、現実世界からコントローラーを通じて介入するプレイヤーにとっては、はっきりいって、よその世界の他人事なわけです。
プレイヤーは究極的にいえば、このゲーム世界の誰にも義理もなければ、恨みも利害関係もない。

でもだからこそ、その世界の論理に縛られず、憎しみの連鎖にも囚われず、綺麗事の理想を押し通したり、メタ的な視点で解決法を探すことも出来る。

今回のゲームでは、復讐に燃える主人(AIキャラ)こそが、真にこの世界で生きるキャラクター。
それに仕える従者(プレイヤー)は、誰にも恨みもなければ、義理も利害関係もない……でも殺そうぜ!

他人事気分で関わりながら、圧倒的な暴力で、よその世界を決定的に変えていく。
それこそゲームにおけるプレイヤーなのだから。

AI人格いじりによる不確定の未来


さて前述したように、プレイヤーに、目の前の標的を殺すかどうかの権利はありません。

ですから、どうしようもないクズに対して「見逃せ」と命じられるかも知れないし、改心して真面目に暮らし女房子供もいる人間を「殺せ」と命じられるかも知れない。

全ては仕えた「王」の選択次第。

なのですが、AIキャラクターが登場するゲームなら、プレイヤーが干渉することでAI人格に影響を与えて変化させていくのも、ひとつの重要な楽しみ。

旅の中で、状況によっては「王」はプレイヤーに相談をしてくることもあるでしょう。
どう返答するかはプレイヤーの自由で、暴力とその支配について、諭すことも誘惑することもできるはずです。

コミュニケーションとプレイヤーの行動、そして行動の結果として、復讐の中で「王」が実際する体験。
それが、AIキャラである「王」の人格に影響を与えながら、ゲームは進行していきます。

ですからゲームシナリオ上、ターゲットの誰を殺して、誰を助けるか、というのは当然確定していません。
そのときの主人のAI人格と感情的なブレによって、プレイごとに選択は異なっており、恐らくプレイヤーも完全にコントロールすることはできないのではないでしょうか。できないといいですね。

用意された「命令違反」


あと必要そうなギミックは、「従者による命令違反」を可能にしておくことでしょうか。
主人公の暴力は「王」によって管理されているわけですが、何かのデメリット(ペナルティ)と引き換えに、自らの意思で暴力をふるえるようなゲームシステムを組み込んでおくべきでしょう。

例えば、これにより、「王」が「見逃せ」と判断したターゲットを、「御身を守るために仕方なく」殺すことができたりする。
これは「王」の命に逆らった命令違反になるので、2人の関係に大きな影響を与えるかも知れない。

他にも、「王」がさらわれ、リミッター解除をしてもらえない状態で、救いにいくためにやむなく暴力を解禁したり。
「王」がかわいがっていた野良犬に協力をお願いして、おいしい串焼きをゲハハとつくったり……いや、これはやりすぎだな。

プレイヤーにとって、暴力を管理されるストレスを解消する手段であると同時に、シナリオ上の自由度を得るためにもぜひとも必要なシステムだと思います。

はたして、「王」と「従者」の復讐の旅の結末はいかに。


『ヴィンランド・サガ』的な要素もありますね。多分。

擬人化されたゲームシステム


以上で、大体このネタで考えていたアイデアは出しきりました。

このゲーム、再三書いているようにコンセプトだけのものなので、実際にゲームにしたさいにどうなのか?どうするのか?という事はあまり具体的には考えていません。
最初に書いたとおり、ゲームを考えるふりをしながら「物語」について考える、というのが最大の目的であるように思います。

もしゲームが実在していたら、ストレスが溜まりそうな気もしますが、例えば用意したシナリオで物語を誘導するタイプのゲームでは、そもそもプレイヤーの暴力はゲーム側にきっちり管理されているわけです。
ここはイベントシーンだから人は殺せない。ここはバトルステージがだから殺せる。それが終わるとイベントだから殺せない……といった具合に。

もっといえば、シューティングゲームや格闘ゲームでさえ、暴力をふるうためのルールやタイミングは、ゲーム進行によってきちんと管理されている、とも言えないこともない。

であれば、今回のネタに出てくる「王」とは、プレイヤーの暴力を管理するゲーム側のシステムが擬人化され、人格を持ったキャラクターのように考えることもできるかも知れません。

ある場面では「誰も殺さず、情報を集めろ」と、シナリオ進行させる。
ある場面では「50人敵がいるぞ。全員やっつけろ」と、ステージミッションを設定して戦わせる。
ある場面では「仇だが、この男は見逃すことにする……」と、ゲームの不確定要素として変化を与える。

一種のゲームマスターであり、審判であり、出演俳優であり、すばらしいゲーム体験を共につくるための正にパートナーでもあるわけです。

あとがき・まとめ


ゲーム世界ではプレイヤーこそが圧倒的な暴力を持ちますが、それをメタ的なゲーム進行(システム)ではなく、もっと自然な形でコントロールできないだろうか、というのが、アイデアの発端だったと思います。

それでこんな不自由な制限があって、普通のゲームでは当然のように与えられる「暴力をばらまき、誰を殺すのかの自由」がないゲームを考えてみました。

恐らく擬人化したことでストレスは増大するとは思うのですが、その代わり、我慢に我慢を重ねたあげく、「存分に暴れ回れ!」と、主人から全てのリミッターを解除されて振るう暴力の嵐は、いつでも撃てる銃とはまた別の意味での気持ちよさを与えてくれるのではないかという気はします。


ああ。そういえば、『BLEACH』では、死神が現世に来る際に霊力を封印されるため、「限定解除」を行うことで本来の戦闘能力を発揮できるというシステムがありましたね。

暴力リミッターの解除という意味では、ああいう感じに近いかも知れません。

今回、意図的に映画やマンガなど、さまざまな作品を持ち出しましたが、感情や選択を司るイデオロギー型のキャラクターと、破壊と問題解決を司る暴力型のキャラクターの組み合わせによる、バディ関係というのはよく使われるパターンです。

その関係をゲームで再現しつつ、プレイヤー側に暴力型主人公をやらせてみてはどうか?というのが、今回のネタの肝ですね。

妄想なので私が考えるのはあくまでコンセプトアイデアだけなのですが、このコンセプトを元に色々考えてみるのは面白そうです。何かよいアイデアが浮かべばまた何か書きますし、これを読んだ方で何かアイデアや情報などがあれば教えて頂ければ幸いです。(これと同じ体験ができるゲームがあるなら、プレイした方が早くて楽なのでやってみたい)

それではまた、次回お会いしましょう。(特にオチフレーズ思いつかず)
この世に生を受けて以来、富野アニメで産湯をつかい、アニメーションを見続けること幾星霜。

老いさらばえた現在ではさすがに視聴本数はかなり抑えているけれど、それでもハードディスクレコーダーに録画されてる作品の視聴が追いつかない。
それらは再生ボタンが押されないまま、地表の空気に触れることなく眠り続ける化石のように、クールごとに地層として折り重なっていく。

ということで、地層と化した録画を消化すべく、先日『この素晴らしい世界に祝福を!』全話を見ました。


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2016年1月~3月放送の作品なので、地層としてはかなり新しい。
もちろんもっと下の地層に、カンブリア、オルドビス、シルル、デボン紀などの「HDの中の古生代」と呼ばれる録画もあるのですが、この作品を見るのを決めた理由は、1クール全10話しかなかったこと。
見やすい。

小説原作の作品ですが、私は小説はまったく読んでいません。
いわゆる異世界転生(転移?)もので、かなりキャラクター力(ちから)で押し切るファンタジーRPGコメディといったところでしょうか。楽しく見ました。面白かったです。

視聴前に作品の傾向から「異世界RPG」に介入するようなメタ視点は想定していたのですが、その世界でのオンラインゲーム的なゲームルールが、想定以上に物語内できっちりと大事な役割を果たす作品でした。

一癖も二癖もあるキャラクターが最大の魅力の作品だと思いますが、けしてそのためにゲームシステム(ルール)をないがしろにはしていませんでした。むしろキャラクターの特徴をシステム(ルール)の枠内でキレイに説明できるはずです。

呼べば答える腐れ縁 ただれた仲間だ 人畜無害の人材


『この素晴らしい世界に祝福を!(このすば)』の世界では、主人公を始めとした冒険者たちは、戦闘やクエストで得た経験値を元に、任意でスキルポイントを割り振って、冒険に役立つさまざまな技能を覚えることが出来ます。ゲームそのままですね。

もしこの世界へ私が転生するとしたら、どのスキルにポイントを使うのか相当悩むことになるでしょう。
異世界とはいえゲームではなく、そこで本当に生きていかねばならない現実でもありますからね。

さてその一方、主人公パーティは全員頭のネジがおかしいキャラクターたちばかり。
まずはそのイカれた仲間たちを紹介しよう。

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エントリーNo.1
スキルポイントを爆裂魔法にしか割り振ってない魔術師

・最強の爆裂魔法(ティルトウェイトやイオナズン的な)を覚えているが、それしか使えない。
・その爆裂魔法も消費魔力の関係で1日1回しか使えない。
・魔法を使うと、あとは倒れるのみ。(誰かが回収し、背負って帰る必要あり)
・「爆裂魔法しか愛せない」「一日一爆裂」

エントリーNo.2
防御・挑発系スキルのみに割り振り、攻撃が当たらないドM女騎士

・前衛として、敵の攻撃を一手に引き受けるが、それを喜びとする真性のマゾヒスト。
・攻撃は当たらないし、両手剣修練スキルを覚えるつもりもない。
・非常にタフで、ルックスも良いが、己の性癖のためにのみスキルポイントを使っている。
・「モンスターと必死に戦うも力及ばず敗北し、陵辱の限りを尽くされたい」

エントリーNo.3
女神であり僧侶系呪文のマスターでありながら残念知性のプリースト

・正真正銘の女神であるが、お調子者で考えなし。打たれ弱くて泣き虫なかまってちゃん。
・女神ゆえに冒険者としてはすでにカンストしており、低い知力や幸運は上昇する余地はない。
・必要スキルポイントが高いが冒険に直接役には立たない宴会芸スキルを全習得。
・「駄女神」「元なんたら」「狂犬女神」「なんちゃって女神」

頭のネジの緩み具合という意味では、いずれ劣らぬ猛者(もさ)揃い。
だが、彼女らがキャラクターとしてそう見えてしまう理由のひとつとして、冒険者として常軌を逸しているほどにスキルポイントの割り振りが極端であることがあるでしょう。
いわゆる(スキルポイント)を「○○に全振り」キャラばかりということですね。

説明のできる「頭のおかしさ」


彼女らは、単にコメディのできる「頭のネジがおかしいキャラクター」として登場した、ということではありません。
彼女らの「頭のおかしさ」は、作品世界の中でちゃんと筋が通った「頭のおかしさ」だからです。

先ほど、私ならその世界での人生を生きるためのスキル習得に大いに悩むだろう、と書きましたが、おそらくそれが冒険者として普通の考え方だと思います。

それが例えゲーム的な世界であっても、普通はそこで優位に立ち振る舞うことが出来るように、より有益なスキルにポイントを割り振って、キャラクター(自分自身)を成長させていくはずです。

そうしたゲーム攻略的な効率と効果を重視した冒険者像を、標準(常識)として置いた上で、常識はずれの彼女たちがいる。
すなわち。

彼女らはスキルポイントを自分の趣味や性癖に全振りしてしまうような人物

ゲームなら酔狂で済むが、それで本当に生きていかねばならない

冒険者としては、常軌を逸している

頭がおかしい


このような構造となっており、ゲームルール(システム)に則った「頭のおかしさ」になっています。

逆の言い方をすれば、彼女らと直接会って話をしなくても、ステータスや習得スキルが記載された冒険者カード(キャラクターシート)を見るだけで、彼女らの「頭のおかしさ」は説明ができるはずです。
非常に理に適った、スマートな「頭のおかしさ」といえますね。

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※「頭がおかしい」という言葉をこうも集中的に書いたのは初めてのことであり、少し読み返すだけで段々と私自身の「頭のおかしさ」に疑いを持ってしまうが、まだ何とか正常を保っていると思いたいので、文を先に進めることにします。

ポイント全振りキャラクター達が起こす局所的な奇跡


ここまで紹介したように、主人公パーティは極端なステータスと全振りスキルを持った非常に普通の冒険のしづらい(=コメディにしかならない)集団となっています。

コメディ製造機と化した彼らが巻き起こすドタバタが、この作品のメインの楽しさといえるでしょう。

ただ、ここでポイントとなるのは、趣味&性癖の全振りスキルは全く使えないわけではなく、極めて限定的な使い方ですが、時と場合によっては平均的にスキルを上げてる冒険者より、よほど強力な力を発揮するということです。

スキルが偏っているだけで、ポイントは振られているのです。いや、偏っているからこそ特定の領域では通常の冒険者を遥かに凌駕します。コメディするだけの弱者ではありません。

それでも、ピーキーすぎてお前にゃ無理だよ!という扱いが難しい極端なステータス&スキルではあるのですが、これを主人公カズマ作戦立案のもと、メンバーたちが上手く連携することで、絶大な効果を発揮する(ことがある。気がする。ごくまれに)。

人口に膾炙したゲーム的な異世界を舞台にした上で、その世界のルール(システム)に則った、極端なコメディ用のキャラクターメイキングをした愉快な(イカレた)メンバーでパーティを組ませる。
普段は無能または迷惑な存在だけれど、ある限定された状況下で協力しあうことによって、その極端なステータスやスキルがプラスに活きる、という設定は上手いし、とても使いでがあると思う。

もちろんその上で、魅力的なキャラクター表現すなわちキャラクター力(ちから)に尽きる作品だとは思うけれど。

原作小説を読んだことはないけれど、作者の方はかなりクレバーに世界やキャラクターを設定し、使いやすい物語構造を組んでいるのではと感じます。

私は、物語の基本構造や型みたいなところへの興味が大きいので、この作品は魅力的で優秀なテンプレート(褒め言葉)だと評価したいと思います。


この物語構造に、どんなストーリーが乗る(展開される)のかというのはまた別の話です。

世間的には、このストーリー部分で評価の大部分が決められることが多いような気がしますが、私は基本設定(物語の型)だけで充分フィクションとしてすばらしい、と評価してしまいますね。

「設定はいいけど、話が……」ではなくて、「設定がいいので、その時点でフィクションとして優秀」という評価の仕方です。ストーリーの問題はまた別。

自分でも極端だという自覚はありますが、面白い物語の型、優れた物語構造、基本設定に興味の軸足を置くのは、私がフィクションに接する上での基本方針です。
ポイント全振り、とまでは行かないまでも、偏ったポイントの振り方をしてるとは自分でも思います。

例外的なチートキャラクター『あくあっ女神様っ』


ここまで本作品におけるシステムで説明できるキャラクターの「頭のおかしさ」を紹介しました。
ですが、ひとりだけルールやシステムを逸脱した、規格外のキャラクターが存在します。

それはもちろん、人あらぬ身である女神アクア様でございます。

なぜ女神が、異世界の冒険に付き合ってくれるのか、についてはWikipedia:このすばの記述を引用しましょう。

不慮の事故で命を落とした高校生の佐藤和真は、天界で女神アクアに異世界への転移を持ちかけられる。アクアは「異世界には望むものを1つだけ持っていける」と異世界転移の特典を持ち出しながら勧誘するが、アクアの態度があまりにも和真を味噌っかすに馬鹿にしていたために和真は激怒し、アクアを「異世界に持っていく"もの"」として指定する。


女神に何が望みか?と訊かれたときに、女神本人を希望するという、要するに『ああっ女神さまっ』みたいなものです。


もちろん、『このすば』は、汚い螢一と汚いベルダンディーのマリアージュなんですけどね。

ともかく女神アクアは、神すなわちゴッドであるゆえに、冒険者としてはスタート時に成長の余地なくカンスト(レベル99みたいなものか)。
プリースト系の呪文はもちろん、有り余るスキルポイントで近接スキルや宴会芸まで身につける余裕ぶり。
彼女が本気を出せば、魔王も何とかなるのではと思わせるチートキャラクター。

実際にアニメ本編でも主人公カズマが死んだ際に、複数回死んでいるためもう甦れないという世界のルールを、後輩女神を恫喝することによって、ねじ曲げました。

この女神アクアが仲間にいることで、いざというときに世界のルールをねじ曲げた解決策すら物語展開として選択できます。
非常に便利なキャラクターですが、神様だけあって、あまりにも強力すぎるといえます。
プリーストとして、サポート側にまわらせているとはいえ、それでも恐ろしく強い。

強すぎるキャラクターは通常、ストーリーを進めるにあたって邪魔に(都合が悪い)なってしまうことも多く、いっそ退場させるか、さもなくば力が思うように振るえないよう強力な枷でもつけないと、レギュラーキャラとしては使いづらい。

例えば簡単に思いつくのは「神の力が封印された、または制限された」あたりでしょうか。
普段は本来の力の何分の一しか出せず、卍解もできないことにして、ここぞという場面で制限が解除されることにする。
システマチックで分かりやすく、オンラインRPG的なこの世界にも合っているような気がします。

ですがこの作品において、女神アクアには何の制限もかかっておらず、神のごとき能力をそのまま使うことが出来ます。
しかし、ある制約により、女神の力はデウス・エクス・マキナとはなっていません。

では『このすば』における女神の制約とはなにか。

それは、女神アクアがバ……いや頭のネジが少々お緩みになっていることに他なりません。
つまり、もう成長する余地のない、悲しいほど低い知力ステータス。
それに加えて怠惰で脳天気で、ちやほやされて甘やかされたい、お調子者の泣き虫のかまってちゃん。
結局、先に説明した「イカれ気分のロックロール頭」であることに、すべては集約されるわけです。
ほかに、なんにもいらないね。作者はしたたかだね。

恐ろしく強大な力。それを使えば絶対的な神にも悪魔にもなれる。
だがゆるい頭ではどちらにもなれず、考え無しで力を使って莫大な借金をこさえるぐらいが関の山。

『このすば』は、この世界のシステム(ルール)にきちんと則ったコメディパーティのお話です。
にも関わらず、そのシステムを壊せるぐらいのチートキャラ、女神アクアにはなんの制限も課さず、ただただ彼女の残念なパーソナリティだけでバランスを取っているのが面白いと感じました。
核兵器の発射リモコンをネコに預けているようなものというか。

「力を制限された女神」と「何も制限されていないがとにかく駄女神」というのは、物語に与えることができる力の大きさはは似ているかも知れませんが、キャラクターとしては全く似て非なるものです。
このあたりのコントロールとキャラクターの立て方が興味深いですね。





実はTwitterで雪駄さん(@H926)さんの億泰ツイートを見て、この一連の『このすば』話は思いついたのでした。

大きなる力には大いなる制限がともなう。
ただし、その制限は分かりやすく目に見えるものとは限らない。

『このすば』はアニメ二期決定しているということで、あの素晴らしい異世界をもう一度(あのすば)。ということになったようです。期待しましょう。よりひどい内容を。




あとがき および今後の予定など


以上で本文は終わっていますので、以下はあとがきというか雑文です。

久しぶりの記事どうしようかな、ということで、Twitterからゲーム関係のツイートを拾い集め、それで1つ記事をつくろうかなと考えたんですが、やってみると小ネタばかりですが数がそこそこありましたので、ひとつずつ短めのテキストを書くことにしました。
実際やってみると、内容は何も増えてないのに、テキスト分量だけ3倍ぐらいになっています。

増えたのは、『このすば』を知らない人たち向けへの丁寧な紹介部分だったりするので、ツイートより濃度が3倍ぐらい薄まったとも言えるんですよね。
だから私はいつもツイートベースに記事書くときは、見かけのテキスト分量ではなく、内容的にも価値が増えるようにしてるんですが、今回は意図的にやめました。なぜって? とりあえず早く更新だけしておきたかったので。
私はサボってるだけで、ブログ更新を意図的に休止してるわけではありませんからね。
そう思われても仕方ない更新間隔ですけどね。

とりあえずしばらくは、拾い集めたゲーム系ツイートで、短めテキスト、短い更新間隔でなんとかしたいと思っています。
『パトレイバー』のシリーズ記事もそういって始めたんですよね……。あれの続きも書きます。
もちろん、当ブログのメインコンテンツともいえる富野アニメの記事もネタがないわけじゃないから何か書きます。

荒木哲郎監督の『甲鉄城のカバネリ』は、録画してあるけど全く見ていません。
こうして録画地層は、三畳、ジュラ紀、白亜紀と積み重なっていく……。



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今回は、『機動戦士Zガンダム』の挿入歌「銀色ドレス」をきっかけに、カミーユ・ビダンとフォウ・ムラサメの関係、そしてカミーユが地球に降りた意味などについて、あれこれ考えてみましょう。


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『銀色ドレス』はとにかく難しい


富野由悠季監督が「井荻麟」というペンネームで行ってきた作詞活動を語りつくす「井荻麟作詞論」。
TOMINOSUKI / 富野愛好病のkaito2198さんが進めている一大連載です。

その第53回 OP・EDおよび挿入歌のビジネス事情その2 が公開されてまもなくのこと。

kaito2198さんと富野アニメの挿入歌について話し合っていたとき、ふと気づく。

私「挿入歌といえば、『銀色ドレス』の記事がまだですよね? なぜなんでしょう?」


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『銀色ドレス』はテレビアニメ『機動戦士Zガンダム』の挿入歌。
連載では、第34回 「銀色ドレス」 として予定されていましたが、第53回に至っても、その記事はアップされていませんでした。このような扱いは「銀色ドレス」のみです。

kaito2198さん「あれは難しいですね……」


その後、それはなぜなのかという説明を受け、私自身も生まれて初めてちゃんと歌詞と向き合ってみて、未だ記事化されてなかったことに納得しました。確かにこの曲、難しい……。

kaito2198さん「いちばん難しいのは、そもそも誰の視点の曲なのか、ということです」


「視点」ですか……ちょっと『銀色ドレス』について整理してみましょう。

『銀色ドレス』は誰の歌?


まず歌詞全体については、以下のリンク先をご覧ください。

銀色ドレス(歌詞タイム)
http://www.kasi-time.com/item-6175.html

視点を考える上で必要な基本情報は以下のとおり。

歌い手:森口博子(女性)
一人称:僕(男性の一人称)
二人称:君


※歌詞中に「暖めておくわ」(女性語)が一箇所あり


劇中での使われ方としては、第20話「灼熱の脱出」で挿入歌として使われました。
カミーユが、フォウの協力で宇宙へ上がるときの曲です。

使われ方から普通に考えれば、女性(フォウ)から男性(カミーユ)に向けた歌でしょうか。
歌っているのも、女性である森口しぇんしぇい(博多風味)ですし。
高杢しぇんしぇい!森口しぇんしぇい!(このネタ、さすがに解説がいるような気がする…)

でも、一人称が「僕」ですから、男性(カミーユ)視点で、女性(フォウ)に向けた歌と考えてもいいのかも知れない。

と思ったら、歌詞中には「暖めておくわ」のように女性語になってる箇所もある。
ではやっぱり、女性の歌? どっちなんだろう?

歌詞が全てロジックで説明されるべきとは思わないけれど、曲にとって大事なポイントである「視点」のレベルで、どう考えればいいのか迷いますね。

女性歌手による「僕」について


やはり、考え所は女性歌手による「僕」にありそうな気がします。

私は音楽には全く詳しくないので、女性歌手による「僕」についても表面的なことしか知りません。
ただ、少し検索などして調べてみると、その効能としては以下のようなものあるようです。
  • 音として「わたし」より「ぼく」の方が、言葉が短くアクセントになる。力強さもある。
  • 女性が「ぼく」と歌うことで、「少年」性を帯びる(中性、性未分化的なものも含む)
  • 女性が男性視点として歌う(その逆も)ことでの、違和感の効果
  • 受け手になる男性への寄り添い、受け入れやすさ(アイドルソングなど)

純粋に、音や字数の問題もあれば、女性歌手+僕で性をミックスしたり、それで何らかの感情を生み出すような効果もあるようです。

そう考えると、「銀色ドレス」は女性視点(フォウ)? それとも男性視点(カミーユ)?ということではなくて、どちらも同時に存在する曲なのではないか、と思えてきました。

その根拠を『Zガンダム』本編に求めてみましょう。
フォウとの出会いを描いた第19話「シンデレラ・フォウ」では、カミーユとフォウはまさしくシンデレラのような時間制限付きのデートを楽しみますが、お城を去らなければならない制約のあるシンデレラは、フォウの方です。

フォウ:夜中の12時までには戻る。それくらいの時間は構わないだろう?
見張り役:12時ですか?
フォウ:今殴ったことは勘弁して欲しい。今は、少しだけ時間が欲しい。
見張り役:わかりました。大尉にはそう伝えましょう。


これでフォウは12時までのシンデレラとなりました。
結局、この後、サイコガンンダムの登場により魔法は解けてしまうのですが。


そして次回となる第20話「灼熱の脱出」では、今度はカミーユに時間制限が付きます。
アーガマが衛星軌道上に、コースを固定できるのは、24時間のみ。
この好機に何としても宇宙へ帰らなければなりませんが、フォウの協力により、スードリのブースターを奪うことでカミーユは無事に宇宙へ戻ることができました。
(この場面で流れるのが挿入歌「銀色ドレス」)

この回のカミーユはいわば、ブースターの馬車に乗り、宇宙へ帰るシンデレラ。
つまりシンデレラ・カミーユになっています。

宇宙に戻ってきたあとで、エマに「地球で恋をして来たんでしょ? 」と指摘されたように、地球に忘れ物をしてきたというのもシンデレラですね。

それぞれがシンデレラを演じた第19話「シンデレラ・フォウ」と第20話「灼熱の脱出」は、こうして対になっており、おとぎ話と同じく束の間の出会いと別れが、カミーユ、フォウの両面から描かれています。

であるなら「銀色ドレス」も、どちらかの曲ではないでしょう。
フォウの曲であり、カミーユの曲であるはずです。
だからこその女性歌唱の「僕」ではないのか。

今日という日はよかった(今日以外はよい日じゃない)


kaito2198さんと色々議論しながら、私たちはこの「シンデレラ・フォウ&シンデレラ・カミーユ視点」で、ひとまず「銀色ドレス」を整理できるのではという手ごたえを得ました。

例えば、そういう視点から改めて歌詞を見てみると、歌い出しもすんなり受け止められますね。

僕も見つめてた 蒼い瞳
ある日 突然に 消えてしまう


ファウもカミーユも蒼い瞳なので、これは2人が見つめ合っているわけだし、突然目の前から消えてしまうのも、片方ではなく2人が共に体験したことですからね。
フォウとカミーユの視点の融合というか、2人の重なりが感じられます。

歌い出しはあくまで一例。
歌詞全体の解説については、kaito2198さんが書かれた記事をご覧ください。

井荻麟作詞論 第34回 「銀色ドレス」
http://kaito2198.blog43.fc2.com/blog-entry-1331.html

それにしても、毎回こういうレベルでの歌詞の検証をしているのは改めてすごいと思いましたね。

ちなみに個人的には、「銀色ドレス」の歌詞の中ではこの部分が好きですね。

濡れた手を拭いて 全て済むと
君が思うのは いけないけど


この歌が兵士でもあるフォウとカミーユの両方を指すとすれば、何によって手が「濡れて」しまっているのかは、いわずもがな。
図らずも「濡れた手」になってしまった少年と少女が最終的にどうなったかを知っている身としては、やるせない気持ちになります。もちろん手を拭いたからといって全て済むものではないにせよです。

ですが、この歌はけして絶望の歌ではありません。
戦場で敵味方になって殺し合う中で訪れた、一瞬にして永遠の奇跡を描いた歌。
12時までの舞踏会で魅かれ合い、一瞬の出会いを尊いものとして、「今日という日(だけは)よかった」と喜び合う歌です。たとえ、二度と会えないかも知れないとしても。

「銀色ドレス」ってどんなドレス?


今さらですが曲名でもあり、歌詞にも入っている「銀色ドレス」って一体なんなのでしょうか?

シンデレラのイメージとドレスを合わせると、女性用のパーティドレスのようなものを想像しますが、この曲がカミーユの事も歌っていることを考えると、カミーユに殴り殺されるかも知れません。

それにシンデレラのドレスの色は、銀色ではなく青色と決まっているようです。
これは、欧米において、青(ブルー)は、幸せ・忠実・信頼・純潔を表すことから来ているそうで、聖母マリアのシンボルカラーも青。
ブルードレスはシンデレラの「純潔・貞操・清純」などを表現しているようですね。

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では銀色のドレスとは何か?
恐らく一意ではなく、いくつかのイメージを持っているものと思いますが、そのひとつとして私は、銀色ドレス=モビルスーツ説を推したい。

モビルスーツは、宇宙で輝く金属色(メタリック)なドレス。
ここではスーツではなくあえてドレス。

特にカミーユにとっては、宇宙に戻った第20話「灼熱の脱出」の次の回が、第21話「ゼータの鼓動」。
番組タイトルにもなった主役機Zガンダムの初登場回です。

カミーユは、自分がデザインに関わった銀色のドレスで、番組後半の宇宙を駆けることになります。

フォウにとっても、モビルスーツは彼女が着ねばならない一種のドレスなのですが、彼女にとってモビルスーツの存在はネガティブなものでしかないので、フォウに対してはそのまま、キラキラとした美しいドレスのイメージで良い気がしますね。

映像をつくるなら、銀色ドレス=Zガンダムで宇宙を駆けるカミーユと、美しくキラキラしたドレスのフォウを重ねるようなイメージでしょうか…………Zガンダムとキラキラのフォウ?……どこかで見たような?



「銀色ドレス」と同じく、森口博子が歌う後期OP「水の星へ愛をこめて」が、イメージ的には近いんじゃないのか。これ。
フォウは別に銀色のドレスは来てないけど、謎のキラキラに包まれて、カミーユがZガンダムで駆けていく。そうそう、まさにこんなイメージ。
子供の頃から思っていますが、このフォウのキラキラってどういうイメージなんでしょうね。格子状で、何か具体的なものを表現してる気がするんですけど、分からない。鎖とかそういうイメージなのかな。

そもそも銀色ドレスのイメージを「水の星へ愛をこめて」に見出すというのも、何か間違っている気もするけれど、森口しぇんしぇいで上手くつながったような気もして面白いといえば面白い。

過去がない少女と過去を捨てたい少年


「銀色ドレス」では、同じシンデレラとして歌われたカミーユとフォウですが、そんな2人が一瞬の邂逅のあと別れることになったのは、共通点ではどうにもならないほどに根本的な違いがあったからでしょう。


強化人間フォウ・ムラサメは過去がない少女。
「強化」のため、自身の過去の記憶や本当の名前すら失っており、「フォウ・ムラサメ」という名前もムラサメ研究所の4(four)番目の被験体ということで与えられたものに過ぎない。

フォウが戦う理由は、それで過去の記憶が取り戻せると信じているから。
(正確には、ムラサメ研究所がそう信じさせているだけ)

何もない彼女は、記憶が、過去がどうしても欲しい。その意味で彼女は「過去」のために生きるキャラクターです。

ではカミーユはどうか。

カミーユと言う名前で生きてきた過去は、彼にとってコンプレックスであり、少し複雑な両親との家庭環境も含めて、出来れば否定して捨て去りたいものだろうと思います。
だからカミーユは、盗んだガンダムで走り出す。行く先も分からぬまま。暗い宇宙の帳の中へ。
でなければ、あんなにも簡単に日常を捨て去ることはできないでしょう。

コンプレックスである過去から目を背けての行動ですから、未来といってもポジティブな面だけではありません。
若者らしく屈折はしていますが、それも含めて前しか見えないという「未来」志向のキャラクターです。

「未来」に生きるカミーユと、「過去」に生きるフォウの会話は悲しくすれちがいます。

カミーユ:本当の名前は?
フォウ:わからないわ。私には昔の記憶がないのよ。知りたいんだ、昔のこと。それを探していたの。
カミーユ:でも、思い出なんて、これからいくらでも作れるじゃないか。

※中略

カミーユ:フォウ、アウドムラへ行こう。君が連邦軍にいる理由なんてないんだ。
フォウ:あそこに、あそこに私の記憶があるの。あの飛行機が私に記憶を持って来てくれる!
カミーユ:フォウ
フォウ:孤独はイヤ! 紛らわしたくても紛らわす思い出もないのよ。両親のいるカミーユには、理解できないでしょ。

※中略

フォウ:私は記憶が欲しいの。自分のことをもっと知りたい!
カミーユ:フォウ、出て来るんだ。
フォウ:Mk2を倒せば、ムラサメ研究所は私の記憶を戻してくれると言っていた!
カミーユ:それは違う! そんな約束、あてになると思っているのか?
フォウ:自分のことを知りたいのが、いけないことなの?
カミーユ:フォウ、宇宙へ行こう。
フォウ:宇宙へ?
カミーユ:エゥーゴの技術なら、君の記憶を取り戻せるよ、フォウ。
フォウ:研究所で治せなかったことを、宇宙で治せるものか!
カミーユ:やってみなくちゃわからないだろう?


カミーユは、宇宙へ行けば記憶を取り戻せると説得する。もちろんその保証などありません。
ただカミーユは未来を信じている。

だが過去にこだわるフォウは、カミーユの語る無根拠な未来を信じることができない。
彼女は結局サイコガンダムから降りず、明るい未来が待つという宇宙に出ることのないまま、その生涯を終えました。

つまり、この2人の関係は、

宇宙=未来=カミーユ vs 地球=過去=フォウ

という構造になっています。

ホンコンでの一瞬の出会いのあと、カミーユが宇宙へ戻ってZガンダムを手に入れ、フォウはサイコガンダムから離れられないまま、宇宙に上がることなく終わってしまう、というのは示唆的です。

この時点でのカミーユを、宇宙=未来の象徴的キャラクターとして見たとき、フォウとの出会いだけではなく、この一連の地球パート全体が、過去との対峙といえるかも知れない。
ちょっと地球編を振り返ってみましょうか。

地球での過去との対峙


カミーユが地球に降りるのは、第11話 大気圏突入からです。
なぜ地球に降りるのか。地球連邦軍(ティターンズ)の拠点である南米のジャブローを攻撃するためです。

ジャブロー基地は、前作『機動戦士ガンダム』に登場した、まさしく過去の象徴的な場所です。
過去には激戦が繰り広げられ、アムロ達が必死に守った重要拠点ですが、『Zガンダム』では、カミーユたちは攻めこむ側。
しかし、激戦どころかジャブロー基地はもぬけのから。核で消滅させられてしまいます。
カミーユは、伝説のホワイトベースクルーのひとり、カイ・シデンをレコアと共に救出します。
これが、最初の「過去」との出会い。

それから、カイ・シデンを皮切りにして、前作『機動戦士ガンダム』の人々と出会います。
ハヤト・コバヤシ、カツ・コバヤシ、そして、一年戦争の英雄アムロ・レイ。
ホンコンで、ミライ・ヤシマ。

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ベルトーチカ・イルマには「アムロさんにMk2を譲らない?」と、ガンダムのパイロット(主人公)の座を、過去の主役に譲るように迫られる。だがカミーユは絶対に、その座を譲らなかった。

これもひとつの過去との対峙だと思いますが、この件については以下の記事にて詳しく書きましたので参照されたい。

カミーユにMk2を譲れと迫る、ベルトーチカの必然 <『Zガンダム』と『エルガイム』の主人公たち>
http://highlandview.blog17.fc2.com/blog-entry-225.html

そして、この記事で詳しく取り上げた、「過去」に生きる少女フォウ・ムラサメとの出会い。

ここでカミーユは、コンプレックスだった過去をフォウに話し、少女の承認を経て、自分の名前(過去)をついに受け入れる。

フォウ:カミーユ……カミーユ、もう一度だけ聞いて良い? 今でも「カミーユ」って名前、嫌い?
カミーユ:……好きさ!……自分の名前だもの!」


カミーユは最終的にフォウに自分の名前について訊かれ、自分の名前だから好きなんだ、とまで言えるようになります。

宇宙=未来=カミーユという構造を前提に、この地球編自体を「過去との対峙」編なのだとすれば、そのラスボスというか最終イベントは、カミーユが彼自身の過去と対峙し、それを受け入れることが出来るのか、ということになるでしょう。
そして、それを可能にしたのが、そもそも嫌いになる名前も過去の記憶も何もない少女だった。

「過去は、記憶は、すばらしいもの」と無条件に肯定できるフォウという存在によって、カミーユは過去を乗り越え、再び宇宙に戻ることができました。
しかし、そのフォウのキャラクターは強化人間として人工的に、強制的につくられた、という歪んだものです。
それでもそんな彼女でなければ、カミーユは救われなかったかも知れない。でも、フォウは――。

この、こうでなければ2人は出会うことも、その先もなかった。だが、それでもなぜこの2人は出会ってしまったのか。
というのは、前作のアムロとララァとの出会いにも言えますが、富野作品で特に特徴的な因果ですね。
個人的には、この因果のやるせなさが、富野作品の強力な魅力のひとつです。

それでいくと、地球=過去を背負ったフォウは、カミーユは救えても、彼女自身は地球から出られない(救われない)んですよね。この構造のままでは。

「永遠のフォウ」と「ロザミアの中で」


はっきりいって、フォウというキャラクターはホンコンで役割を終えているので、キリマンジャロでの再登場は物語としては必要がないと思います。

総監督の富野曰く、テレビシリーズの当初の構想ではフォウは第20話「灼熱の脱出」で死なせる予定であったとの事である。しかし、そこでフォウを死なせてしまったらストーリーが1年続かない事に気付いたため、うやむやな形で生死不明という事で一時離脱させ、第35話「キリマンジャロの嵐」で再登場させたという。従って、劇場版では当初の構想を忠実に反映させた話の流れとなっている。
Wikipedia:フォウ・ムラサメ


フォウの地球(ホンコン)での役割はすばらしいけれど、殺すためだけに登場させたキリマンジャロは見ていてつらいですね。
ホンコンで一度、キリマンジャロで一度、二度殺す必要はありません。
劇場版でカットされたのは、彼女のためにも当然にして優しい処理だったと思います。

ただ、キリマンジャロにおいて、カミーユの目の前で死ぬことによって「永遠のフォウ」になるでしょう?
もう過去も未来もなく永遠の存在になってしまう。宇宙で未来を生きるはずだったカミーユが最終的にああなってしまったことを考えると「永遠のフォウ」の存在は結構重いような気もします。
カミーユをあの結末に向かわせる分水嶺のようなポイントが「永遠のフォウ」にあったかも知れない。

個人的には「永遠のフォウ」は耐えられるけど「ロザミアの中で」は耐えられないんですよね。
「かわいそうだが、直撃させる」以外にしてあげられることがないって、ニュータイプとか、ガンダムとか何なんでしょうね。
リアルタイムで見ていた時から、何度も見返す今に至るまで、カミーユじゃないけど、宇宙でバイザー上げたくなる。

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あけましておめでとうございます。

このエントリは、2016年最初の記事として、このような新年のあいさつからはじめようと思って、正月明けぐらいに記事のほぼ全文を用意してたんですが、先日突発的に「月の繭」に関する記事を書いてしまいました。

「MOON」から「月の繭」へ 菅野よう子から井荻麟へ <『∀ガンダム』が第1話から最終回までに獲得したもの>

これが書けたことは幸いでしたが、その代わり、順番が入れ違いになってしまいました。
一応、挨拶の機会もないですし、冒頭のあけおめ残しておいたけど、さすがにもう違和感がすごい。

さて、この記事は当ブログ1年間の記事を紹介する、毎年恒例のまとめ2015年版です。
これまで忙しい年末にがんばって公開していましたが、昨年2014年版はさぼって年明けに公開したところ、「アラ、いいですね」の波が何度も押し寄せて来てしまい、今年も年明けということになってしまいました。

2015年に書いた記事数は、11本。
久しぶりに二桁いった気がしますが、かといってセレクトするような数でもないので、全て紹介します。
記事数は少ないですが、熟練の職人が心を込めて、ひとつひとつ手作りしております。
柔らかな口当たりと、ほのかな甘味をお楽しみください。




2015年唯一の富野アニメ関連記事


当ブログは特に専門的なテーマのない雑多なブログですが、メインコンテンツは富野由悠季監督のアニメーション作品に関する記事になるでしょうか。
ところが振り返ってみたら、2015年は1つしか記事書いてない!

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ベルリの前に広がる日本海に『キングゲイナー2』を幻視する <グレートメカニックG「富野由悠季 G-レコを語る」1万字インタビューより>

『Gレコ』放送終了後の富野監督インタビューを元にした記事。
結構アクセスとブックマークを頂きましたが、私の記事が、というより、富野監督の発言に注目が集まった感じでしょうね。
ただ、私はこれを書きながら、いくつか宿題というか、課題のようなものに気づかされたように感じました。(まあ、それを素直に書くかどうかは別問題なんですけれど)

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『Gレコ』は、この後、総集編劇場版が進行中であると聞きます。
このインタビューで登場したポイントがどうなっているのか期待したいですね。

マンガ版『機動警察パトレイバー』を読みなおそう!


2015年は、マンガ版『機動警察パトレイバー』を15年ぶりぐらいに読み直し、そして記事を書き始めた年、ということになるでしょう。


もともとシリーズ記事どころか、ブログにするつもりすらなく、きっかけは『パトレイバー』についてのツイートでした。起点はこれ。


その後、psb1981( @takepon1979 )さんと長い雑談になり、色々と興味深いトピックが生まれてきたので、「アラ、いいですね」の波が何度も押し寄せてきて、これはブログにでもまとめないと、もったいないなという誘惑に負けてしまいました。

記事の一覧


第1回:1988年に生まれた、1998年の物語<シリーズ『機動警察パトレイバー』:時代背景>

第2回:コワモテの優しい巨人<シリーズ『機動警察パトレイバー』:山崎ひろみ>

第3回:MEGANE AND POLICE(メガネ&ポリス)<シリーズ『機動警察パトレイバー』:進士幹泰>

第4回:悪・即・弾 その男、凶暴につき<シリーズ『機動警察パトレイバー』:太田功>

第5回:第二小隊の学級委員は決して犯罪者に屈したりはしない!<シリーズ『機動警察パトレイバー』:熊耳 武緒>

以上の5記事を書きましたが、シリーズは終わっていませんので、2016年も引き続き『パトレイバー』記事は書きます。

順番的には、このあと「後藤喜一」について書かなくてはならないのですが、彼については優れた言説がネット上にすでに数多くあります。ですからその存在を踏まえた上で、少しひねった形で書く必要があるかな、と考えてはいます。

ただ、ツイートで全て吐き出した時点で、自分の中で一旦終わってるので、再度モチベーションを上げ直して、ひとつの記事にまとめる、というのはそれなりにしんどかったりします。

とはいえ、自分でも満足している熊耳さんの記事などは、改めて考え直すことで到達できたので、やっぱり必要な過程ではあるんですよね……。『パトレイバー』のことを考えるだけで、口座にお金が振り込まれる世界へ行きたい。そんなバビロンを目指すプロジェクトは2016年も続きます。ああ、約束の土地へ、どうぞ導いて。

『機動警察パトレイバー』記事が一覧できる目次ページも作りましたので、宜しければご覧ください。

【目次】『機動警察パトレイバー』記事インデックス

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細田守監督作品『バケモノの子』


映画『バケモノの子』は、2015年7月に公開された細田守監督の最新作。

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この作品についても全く記事を書く予定ではなかったのに、結果的に3本も書いてしまいました。
映画自体は、公開後まもなく劇場で見て、感想ツイートを少しして、psb1981( @takepon1979 )さんと色々雑談して、で終わるはずでした。

それから3ヶ月ほどのち、10月に入って坂井哲也(@sakaitetsu )さんが『バケモノの子』をご覧になって、あれこれとお話をしました。


こうしてTwitter上で面白い話が色々と集まってしまったため、「アラ、いいですね」の波がまた何度も押し寄せてきて、これはブログにまとめないともったいないな、の精神により、以下の3本の記事を書く結果を招いてしまいました。

子育て西遊記 in ケモ街diary <映画『バケモノの子』と中島敦『わが西遊記』>

これは作品のモチーフのひとつ、中島敦『わが西遊記』から見る、子育て西遊記としての『バケモノの子』のおはなし。
それは私が昔から見たかったものでした。

東京都渋谷区「刀乱舞る -とらぶる- ダークネス」事件<映画『バケモノの子』の「父子」と「普通」について>

こちらは、がっつり長文感想。でも映画のレビューじゃないですね。
細田映画の風物詩「モヤモヤ」を中心に、鑑賞後に物語について色々考えたことをメモしたもので、いわば思考のはらわたのようなものです。
作品についてのツッコミも色々しています。
特に大きいのは、記事タイトルにあるとおり、「父と子」の戦いと、「普通」ってなに?という2つでしょうか。

『バケモノの子』の不正な.zipを解凍して見えてくるもの <映画『バケモノの子』と子供の危機にいない父>

前記事とは全く逆に「親子げんかもせず、熊徹と九太が一体化する」という展開は、この映画にとって正しいものであった、というスタンスで、作品を考えていきます。
そこで注目されるのが、この作品に登場する、もうひとりの父親。

この3本目の記事は、個人的には、2015年に書いた中では熊耳さん記事と並んで、よく書けたかな、と自信を持っています。
時期ハズレなこともあって、全く注目されませんでしたけどね。
そもそも『バケモノの子』自体が、50憶以上のヒット作のわりには、これまでのような賛否両論の議論が起きていないというか、話題力があまり無いんですよね。荒れてないといいますか。
でも、モヤモヤ成分はこれまでと同じくらい含まれていると思うんですけどね。

細田映画は金曜ロードショーでリピートされるようになってからが本番ですので、そこに期待したいなあ。



『FURY(フューリー)』はいいぞ!


えーと、最後は劇場版『ガールズ&パンツァー』の記事ですね。



あ、失敬失敬。実写版『ブラピ&パンツァー』の方でした。
やけに、西住殿に『ファイトクラブ』感があるなあ、『セブン』デイズ・ウォーダディだなあ、と思ったら、ブラッド・ピッドでござった。

FURYYYYY!! おまえは今まで殺したドイツ人の数を覚えているのか <映画『フューリー』でのブラピ&パンツァー>

劇場版『ガルパン』のちょうど1年前ぐらいに見てる映画なんですね。
動くモノホンティーガーが見れる映画でしたが、戦車とか全然分からない私にはその価値は分かりませんでしたが、映画としてバケモノとして描かれていたことは分かりましたよ。

番外編:


西島秀俊さんのCMでおなじみ、インスタントラーメンの日清ラ王。

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この日清ラ王のCMについて、色々気になることをいじったりしながら、インスタントラーメンのCMにおける「誰がラーメン作るのか?」問題を考えていきます。

「まるで、生めん。」は誰がために <日清ラ王TVCMの“ラーメン誰がつくる”問題>

Wordpressで作ったサブブログの記事なので番外としました。
しかも、ブログ全体としてはまだ色々といじってる途中なので、不完全な状態なんですが、記事書いちゃったので。

サブブログは単に、サーバー借りて、Wordpress入れて、色々いじってみよう、という遊びをするためだけのものなので、器が目的で、内容とか一切考えてませんでした。

FC2ブログの方が、アニメなどの長文ネタで固まってきてるので、それ以外のことを書く場にすればいいかな、とは思ってるんですが。
で、Twitterでツイートした短いネタなんかを、リサイクルすればいいしと思って、ラーメンネタの記事を書いたんですが、結局、長文になりましたね。これはもう病気やね。

何とか短くてどうでもいいネタを書いていきたいと思いますので、サブブログも宜しくお願い致します。

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2015年の記事は以上です。
予定にまったく無かった記事を、多く書くことになってしまった1年だったな、という印象です。

Twitterでの話が面白くて「アラ、いいですね」の波が何度押し寄せても、私は絶対に屈したりはしない!

記事を書くことになっちゃったよ……。

といった即堕ち2コマの繰り返しというか。
ただでさえ記事を量産できないのに、自分で自分の首を締めたとしか言いようがありません。笑うがいい。このような痴態をさらした私の姿を。

Twitterは元々、アウトプットが苦手な自分のためのメモやブログの元ネタづくりとして始めたので、意図通りともいえるんですが、記事にするときにはゼロから書き直すので、手間はそう変わらないんですよね。

この記事を書いている今現在だと『ガールズ&パンツァー』のツイートが多いので、あれを仕立て直せば、何本か記事が出来ると思いますが、再構成の手間というか、それをする過程でもう一段面白くなる確信がないと、どうしても二の足を踏みますね。
そうじゃないと、ただの清書というか、繰り返しの作業のようになってしまいますから。

全ては言い訳……だがな少年。やらない言い訳ばかりを思いつく、それが大人というやつなんだよ。

そうは言いつつも新年ですから、ここは前向きに、2016年というか将来の目標的なことを書きましょう。
  • いつか『パトレイバー』シリーズ記事を何とか完結させたい。
  • いつか台湾に旅行にいきたい。(行った事ない)
  • いつか北海道に旅行にいきたい。(行った事ない)
  • いつか同人誌に参加したい。(作りたいではないのが最低なポイント)

こういうの書いたことがないのですけど、最近私の友人が「結婚したいな……」と周りに言ってたら結婚することになった、と報告してきたので、ははあこれやな。この欲望に対する正直さと率直さが、幸運を呼び込むんや。ドリームがカムしてトゥルーになるんや。決戦イズフライデーなんや。と、感じたので、珍しく書いてみました。

台湾と北海道は行った事ないので純粋に旅行として行きたいのと、この場所ならブログを通じてのお知り合いにお会いできそうなので。
北海道行った時は、ぜひ『波よ聞いてくれ』聖地巡礼ということで、スープカレー食べに行って「おい、ルーがしゃばしゃばじゃねえか。ルーがしゃばしゃばだから店長呼んで来い。いやだからルーがしゃばしゃばで」みたいな、今どきそれ言う?みたいな感じで、初めてスープカレー食べた昭和世代ごっこしたいと思います。(ちなみにスープカレー何度も食べたことあります)

同人誌は、ブログとは違う面白さがあると思うので1度くらい体験してみたいなと思うのですが、「行動なき意思団」と呼ばれるほどの持ち前の行動力のなさと、社交性の低さで、実現に至っていません。というか実現に至ろうと行動したことがないです。

なんていうか、すべて「いつか」という、具体性のない未来へ丸投げしてる感じが何ともいえないですね。

いつか、いつか、いつか。
かなえたいと。きっとかなえたいと……。

私も、ソーメンマンさんの息子が、眠るシューマイを見守るような優しい目で、この世のあらゆるものを見つめていきたいと思っております。今年もよろしく!(すがしい顔で)



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